バブルスライム被害報告書
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薄暗い闇が淀むダンジョンの中。その大部屋で、一人の青年が長剣を振り回している。
そう、それはまさしく「振り回している」といった表現がぴったりと合う感じであっ
た。彼の動きは一応は素人ではないし、とりあえずは、と言う前置きがつくものの実戦
でもそこそこは使える腕だろう。
しかし……その戦い方は洗練された動きや、熟練の技というものとは程遠かった。
「このっ!」
半ばやけくそ気味な声と共に、ロングソードを持った腕が振られ、斬り上げが繰りださ
れる。
しかし、その動きを既に読んでいた相手は、上半身をわずかに反らす必要最小限の動き
で襲い来る剣先をかわすと、反撃の「尻尾」をがら空きの相手の胴体に叩き込んだ。
「ぐふ……ッ!!」
鈍いうめき声と共に大きく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる男。
相手は最初から手加減してくれていたようで、男は激しい痛みに動けず、立ち上がれな
くはあったが、外見上の大きな怪我はないようだった。
そんな男の様子を見下ろしていた魔物――女性の体に蛇の下半身を持つ、ラミアと言う
種族だ――は、ふう、と一つ息をつくと暗い迷宮には場違いといっていいような明るい
声を出した。
「はい、残念でした〜。それじゃ、お帰りはあちらでーす。あとはアリ娘さんたち、
お願いね〜」
彼女が呼びかけると、部屋の奥につながる通路の闇の中から人間の娘と蟻をあわせたよ
うな姿をした魔物が2匹、担架を担いでやってきた。
そのまま地面に横たわる男を手慣れた様子で担架に乗せると、ダンジョンの出口につな
がる通路に向かって走り出す。その様子をじっと見守っていたラミアは、彼らの姿が見
えなくなると、また一つ息を長い吐き出し、誰にともなく言った。
「あの人が頑張ってるのはこのダンジョンの皆が知ってるんだけど……。
言ってしまえば……どうしようもなく、実力が足りないのよね……」
出来の悪い子どもを案じるようなその声が迷宮の暗がりに消えた直後、入り口の方から
誰かが蹴り飛ばされる音と、地面にぶつかる鈍い音が響いた。

――――――――――――――

「で、通算30回目の挑戦も……意気込みむなしく失敗した、と」
目の前に座った女性がニヤニヤしながら俺に話しかけてくる。その表情が何よりも雄弁
に彼女の心境を語っている。くそ、完全に面白がってやがる。
ここは先ほど俺がいた迷宮からそれほど遠くない町の中にある食堂の一角。冒険者だけ
でなく、町の者達もよく利用するこの店は、今が昼飯時ということもあって、多くの客
がひしめき、店内は喧騒で賑わっていた。
あれから町に戻ってきた俺は、心と足の向くままこの店に向かい、その途中で出会った
知り合いとともに、奥の壁際、いつもの席に着いた。
俺は彼女を睨むと、テーブルに置かれた料理をがつがつと口にかきこみながら言う。
「うるさいよ。ちょっと調子が悪かっただけだって。次こそ最深階まで踏破してみせる
ぜ」
「へえ〜、ほお〜、ふ〜ん。……その言い訳は、確か5回目と16回目と27回目にも
聞いたはずだけど?」
そう言ってニヤニヤ笑いを浮かべ、半目になりながらこちらの様子をうかがう彼女。そ
の指摘が事実だけに、急にばつが悪くなって俺は彼女から顔をそらす。
横目でちらりと彼女の姿を盗み見る。分厚いめがねにいつもぼさぼさの髪。皺でよれよ
れになり、くたびれた学者服が年頃の女性としては致命的な、どうしようもない「いも
くささ」を彼女から漂わせている。
しかし、その胸についた紋章は紛れもない「アカデミア」のもの。こんなやつがエリー
トである王立研究機関の一員だなんて信じたくないが、事実なんだからひどい話だ。も
との素材は悪くないんだから、もうちょっとまともな格好すればいいのに。
そんな俺の考えなど知らず、彼女はまだ口元にニヤニヤとした笑いを浮かべ、じっとこ
ちらを見つめている。
「だいたいさ、ぎりぎり中級くらいの難易度のダンジョンを一人とはいえ、30回も挑
戦して踏破できないって事実をもっと真剣に受け止めるべきだと思うよ、君は。
はっきり言って……向いてないんじゃない? 冒険者って職業。
最近じゃ魔物さんたちも同情して、やられてもお金や道具、持って行かないんでしょ?
それどころか、丁寧に迷宮の外まで送ってくれるって話じゃない」
遠慮もなく、痛いところをついてくる。的確にして正論であるが故に、俺の心はまるで
ナイフで乱れ突きを喰らったようなダメージを受けた。
確かにそれは……正直考えたくはなかったが、最近頭の片隅にずっとある考えだった。
そう、さっきまでいたダンジョンの難易度は、実はそれほど高くない。内部に仕掛けら
れた罠も少なく、住んでいる魔物も危険度は低いものたちばかりだ。ある程度の腕の冒
険者なら一人でも十分最深階まで攻略できるし、実の所もう、あそこにはめぼしい宝も
ない。せいぜい冒険の初心者が経験をつみ、腕を磨くために使うくらいだ。その彼らも
数回の探索の後、ダンジョンを卒業してもっと危険で見返りの大きな冒険に旅立ってい
く。
そう、残るのは……俺のような「落ちこぼれ」だけ。
いつもの考えが頭に浮かぶと、急に気分が重くなり、俺はずるずるとイスに沈み込んだ。
そんな俺の様子に流石に言い過ぎたと思ったのか、彼女は僕の肩をバンバンと叩くと、
「ま、まあやられても毎回無事に帰ってきてるんだし! 何事も最初は皆初心者だし、
諦めなければきっとそのうち腕も上がるわよ!」
と無責任な励ましの言葉をかけると、すたすたと去っていった。

彼女が去った後。俺はテーブルに突っ伏しながらさっき彼女に言われたことをずっと考
えていた。というよりも、言われたその言葉が耳の奥にずっと残っていたのだ。
「向いてないのかなあ……やっぱり……」
力も素早さも知力も並のレベル。
特に秀でた技術があるわけではなく、他の者に無いような特殊能力を持っているわけで
もない。やっとこさそろえた装備も、ごく一般的な武具。アイアンソードになめし皮の
鎧。そんな一般人に毛が生えただけのような戦士はギルドでパーティを組むのだって一
苦労だ。
話で聞いた冒険者に憧れ、故郷の村から一山当てることを夢見て冒険に出て既に一年。
特に大きな成功を収めることもなく、最近はずっと腕を磨くと言う名目で挑んだあの中
級ダンジョンの攻略に足踏みをしている状態だ。
けれどもここまでやってきて、それを諦めるというのも……なんだか夢に敗れて、自分
に負けた気がして……受け入れられそうも無い。
「……はあ」
無意識にため息が出る。ダメだ。このままここでぐずぐずしていても何も解決しない。
とりあえず……この後はどうするか。何か良いアイディアが無いか考えながらイスから
立ち上がり、カウンターまで行くと食事の代金を払う。
思えば、今日のダンジョン探索での収入はほぼゼロ。食費とかの出費は仕方ないとはい
え、今の手持ちは少々心許無い。
「ギルドで仕事でも探すか……」
ぼやきながら、俺の足は冒険者ギルドへと向けられていた。

町の中にある建物でも、一際目を引くのが立派な石造りの建物、冒険者ギルドである。
各地のあらゆる情報の収集から仕事の斡旋、協力者の募集や紹介、戦利品の売却まで、
様々な業務を取り仕切っているここに冒険者ならば新米からベテランまで例外なくお世
話になる。
建物内には今日も今日とて様々な姿の冒険者がひしめき、カウンターで受付と何事かを
話したり、仲間内での打ち合わせをしたり、あるいは装備の手入れしている姿が玄関を
くぐった俺に目にも見て取れた。
そんな彼らを横目に、俺は仕事依頼の紙が張られた連絡ボードが取り付けられた壁際に
向かう。
ここの連絡ボードに掲示されている依頼は、受付から直接斡旋してもらう仕事よりも比
較的難易度が低く、しかも報酬がすぐに手に入るものが多いのが利点である。だがその
分、冒険と言うよりは何でも屋のような雑務も多くを占めるため、ある程度以上の腕を
持つものたちはめったに利用することはない。言うなれば駆け出し冒険者御用達の経験
と小遣い稼ぎのための仕事、といった所である。
しかし、金欠状態の今の俺にとっては、背に腹は換えられないのが現実。
とにかく、すぐに片付けられるような内容でそこそこの現金報酬がもらえるような仕事
の依頼がないか、掲示板に張られた紙を一枚一枚チェックしていく。
「ええと、『緊急、下水道の調査。報酬は……』……まあ、すぐ出来そうなものってい
うとこんなものか……」
内容が内容だけに、あまりいい仕事ではないが……危険な魔物の討伐などよりは遥かに
リスクも低く、同ランクの難易度の依頼の中では比較的報酬の額も多めだと思う。贅沢
は言っていられないし、とりあえずこれを受けるとしようか。
そう考えると、俺は張られた紙を取り、受付カウンターへと向かった。

――――――――――――――

「はぁ、覚悟してたとはいえ、やっぱいい仕事じゃないよな」
ぼやく声が壁や天井に反響し、不思議な響きとなって耳に届く。
ここは街の地下に張り巡らされた下水道内部。それなりの大きさを持つこの街には下水
道が整備されてがおり、地下には東西南北にこのような空間が網の目のように存在して
いる。
今も俺が歩くレンガ造りの通路の横をにごった水が流れており、この下水が街にとって
必要不可欠なものであることを雄弁に物語っていた。
歩きながら、俺は依頼内容をもう一度頭の中で確認する。今回は下水道のある地点、最
近になって水の流れが悪くなった原因と思しき場所に赴き、状況を調べることが目的だ。
場合によってはその原因を取り除くようにも言われたが、それはあくまで俺一人で対処
できそうな問題の場合であり、無理そうと判断した場合は報告だけで良いそうだ。
正直、さっさと終わらせてこんな場所、とっととおさらばしたい。レンガタイルで作ら
れた通路は所々ぬめぬめとしたもので湿っており、坑内は下水から発せられる不快なに
おいが充満し、鼻が曲がりそうだ。
当然、こんな所をうろつくような物好きは俺のほかにいるはずも無く、時折小さなネズ
ミが壁際をちょこちょこと走るくらいだった。
下水が流れるかすかな音と、俺の足音のみが地下に響く。
しばらく歩くと、問題の場所とされている地点にたどり着いた。見取り図と照らし合わ
せ、間違いの無いことを確認する。
「さてと、問題の場所は……っと。……あれか」
周囲をざっと見回して、その原因はすぐに分かった。下水の流れる排水路に設置されて
いる金属の柵、そこに布切れなどのゴミが多数漂着し、流れをせき止めているのだ。
「ふむふむ。とりあえずアレをなんとかしてどかせばいいみたいだな。ええと……あ、
あれでいいか」
近場に転がっていた鉄の棒切れを手に取り、詰まっている大きなゴミを引っ掛けて通路
にどける。それを何度か繰り返すと、滞っていた水の流れが再び勢いを得て、流れ出し
た。
「ふう。これでよし、と。それじゃあ、後は依頼主に報告して、念のためここの清掃を
するように言っておけばオーケーかな」
思ったよりも楽な仕事だった。これでもうここには用は無い。さっさと戻って、報酬を
もらうとしよう。
そんなことを考えながら、最早持っている意味も無くなった棒切れを傍らに置こうとし
た俺は、ある事に気付いた。
「ん……? なんだ、これ?」
さっきはゴミを引っ掛けていたせいで気がつかなかったが、なんだか棒の先端に妙なも
のが付着している。気になった俺はもっとよく見えるように棒の先端を顔に近づけた。
棒から漂う臭気に顔をしかめながらも注意深く観察すると、薄緑色と水色の中間のよう
な色をした、半透明の粘液のようなものが先端から棒の中ほどまでの部分に付着してい
た。粘液、といってもそれほど粘性は無いようで、目の前でそれがとろりと糸を引き、
地面に垂れる。
「ゼリー、いや……違う? こんなもの見たこともないし、良く分からないな……」
ふと思いついて先ほど引き上げたゴミを注意深く観察すると、やはりその表面が同様の
粘液で濡れている。どうやらゴミが絡まった原因の一つに、この粘液が関わっているよ
うだ。
一応、このことも報告しておいた方がいいだろうか。考え込む俺は、自分に物陰からに
じり寄る脅威に気付くことができなかった。いや、気付いた所で俺にはどうしようもな
かったのかも知れない。

「……!」
不意に感じた違和感に足元を見下ろした俺は、目を見開きぎょっとした。
棒やゴミに付着していたような粘液が、いつの間にか俺の足元に水溜りを作っていたの
だ。いや、パッと見たところ「それ」は先ほどの粘液よりも若干色が濃く、そして粘性
も高いようだった。慌てて足を上げた俺の足元でにちゃりという音が響き、靴からは粘
液が何本もの糸を引いた。
「な、なんだ、これは!?」
何処から流れ込んできたのだろうか。粘液の正体よりも、まずそれを確認しようと、足
元からにちゃにちゃと響く音に不快感を感じながらも周囲を見回した俺は、「そいつ」
の姿を視界に収めた。

初め俺の目に映ったのは、自分の立っている場所から数歩離れた部分、周囲の床一面に
広がる粘液よりも不自然に少しだけ盛り上がった水溜りだった。心なしか、色もその部
分だけが周囲よりも濃くなっている気がする。
「なんだ……?」
足元に広がる粘液のことも忘れ、俺はじっとその水溜りを見つめる。直後、ポコポコと
表面に気泡が生まれたかと思うと、ごぼごぼという音を立てて粘液が膨れだした。
「う、うわっ!?」
粘つく床に足を取られながらも、慌てて後ずさろうとする俺の前でどろどろとした液体
はどんどんそのかさを増し、人の背丈ほどにまでなっていた。まるで溶岩のように表面
は溶け流れ、周囲の床をさらに覆っていく。立ち上がった粘体と、辺り一面の床に広が
った粘液からは、先ほど以上に激しく泡が生まれ、そのいくつかはシャボン玉のように
ふよふよと宙を舞った。
目を見開き、言葉もなくその様子をただ見つめる俺の前で、盛り上がった粘液の塊が少
しずつその姿を変えていく。うっすらと透き通った薄緑色はそのままに、まずいくつか
のくびれが生まれ、びちゃりと粘液を撒き散らしながら二本の細い触手が本体から分か
たれた。塊の表面をとろりとジェルが流れ落ちるたび、まるで粘土細工を作るかのよう
にその姿がはっきりとしていく。水溜りに太ももから下を沈めたような足が作られ、そ
の根元にはつるりとした股間があった。「上半身」にはたわわな双丘がいつの間にか生
まれ、はっきりと女性的なフォルムを描き出している。
そう、目の前の物体は、「人間の女性」のような形を作り上げていっているのだった。
このとき俺が取るべき行動は、すぐさま駆け出しこの場から離れるというものであった。
だが、経験に乏しい俺は目の前の異様な光景に完全に呑まれ、足はおろか、体全体がま
るで石になってしまったかのように固まっていた。逃げることも、武器を構えることも
せず、ただその場に棒立ちになる。
俺に構わず、塊の頂点から流れる液がまるで長い髪のように形をとる。だがそれは決し
て人や動物の持つ体毛のように一本一本分かれたものではなく、髪の輪郭を持つゼリー
状の物体の塊に過ぎなかった。
うっすらと透けて見えるその薄いヴェールの向こうで、人間のような顔が生まれていく。
すっと通った鼻筋、若干丸みを持った頬。ちょこんとした小さくかわいい唇は力なく開
かれ、その中から舌のような触手が覗いている。
そして、まぶたがゆっくりと持ち上がると、その下から大きなくりくりとした目が現れ
た。体の色よりもより濃い緑色の瞳には光は無く、虚ろな視線をあちこちに向けている。
もう流石の俺にもその正体は分かっていた。こいつは、「スライム」の一種だろう。半
液状の体を持ち、平原から迷宮、果ては海にまで住む種類がいるくらい多種多様な生態
で知られる魔物。流石に都市の地下、下水道にまでいるとは思わなかったが。目の前に
いるものもその一つなんだろうが、俺は初めて見るタイプだ。

不意に、俺の鼻先に「彼女」から生まれた泡が一つ、漂ってきた。その気泡がぱちんと
はじけた瞬間、下水の臭いよりもさらにキツイ、鼻を突く強烈な臭いがあたりに広がる。
「うっ!? げほっ、げほっ! この臭いは……! さっきのアレか!?
ごほごほごほ!!」
間近でその臭気をまともに吸い込んでしまった俺は、思わず噎せ、ごほごほと咳き込ん
だ。しまった、まさか毒性か何かあったりはしないだろうな。スライム種は様々な種類
がおり、しかも住んでいる環境に合わせて変質することも多いため、どんな特質を持っ
ていてもおかしくないのだ。
俺は涙をにじませつつ咳を繰り返したが、どうやら即効性や直接体にダメージを与える
タイプの毒性は無いようだ。強いていうならそのひどい臭いだが、致命的な毒に比べれ
ばまだマシなものである。
とりあえず口元を押さえ、臭いを耐えようとした俺の耳に、直後声が聞こえた。
「あはぁ……」
妙な響きを持ったその声にぎょっとして顔を上げると、俺から3,4歩離れた所に立つ
スライム娘がこちらにその視線を向け、先ほどまでぼうっとしていた顔にどこか嬉しそ
うにも見える蕩けた笑顔を浮かべているのが見えた。
頭の中で、彼女たちスライム娘の生態が浮かび上がる。液状の体を持つ彼女たちの主な
食料は、人間の精気。特に男性の精液を好むと聞いたことがあった。どうやら先ほど立
てた音でこちらに気付いた彼女に、興味をもたれてしまったらしい。
「みつ、けた……おとこ、の、ひと……」
ずるり、ずるりと音を立てながら、スライムは虚ろな視線を向けたままゆっくりとこち
らに近づいてくる。
魔物は基本的に人を襲っても、その命まで奪うことは殆ど無いとはいえ、性交によって
衰弱したり、弱った所や無防備な所を獣などに襲われて結果的に死ぬこともある。流石
に下水には危険な獣はいないだろうが、だからといってむざむざ襲われるつもりも無い。
「くそっ! や、やってやる!」
幸い相手の動きはのろい。実はスライムと戦うことになるのは初めての経験だが、この
程度の動きの相手なら、俺でも十分勝てるはずだ。
腰の剣を抜き、間合いを取ろうと一歩後ずさろうとして、俺はがくんとつんのめった。
戸惑いながら足元を見た俺の目に、いつの間にか床から足を這い上がり、ひざの辺りま
でを覆ったスライムが映った。スライムはじゅるじゅると蠢き、形を変えながら、太も
も、腰そしてさらに上へと上ってこようとしている。粘性はそれほど無いと思ってはい
たが、まるで下半身全部を包み込むようにまとわりついたスライムは俺の脚をしっかり
と固定していた。
「う、うわあああっ!?」
その様子にパニックに陥り、大きく腕を振り回して払いのけようとしたものの、俺は
バランスを崩して仰向けに倒れこむ。
ばしゃりという音を立てて粘液がしぶき、そのいくつかが俺の体の上に降りかかった。
「くぅっ!」
背中をうった痛みに顔をしかめ、床に触れた背中を塗らす液の生暖かい感触に、背筋を
震わせる。
だが、それだけではすまなかった。
床一面のスライムが、倒れこんだ俺の体を覆い始めたのだ。先ほどから完全に覆われた
下半身のスライムもじわじわとその覆う面積を広げており、最早下腹部の辺りまで完全
に覆い尽くされている。その半透明の液を通して、俺の服が見て取れた。
「は、はなせっ!」
床に触れた部分からぐにゅぐにゅと這い上がってくるスライムを振りほどこうと腕を持
ち上げる。その動きに糸を引いてスライムが千切れる。腕にまとわりついたスライムか
ら生暖かい感触がつたわってきた。
しかし一旦は腕は拘束を逃れたものの、下半身を固定された俺が上手く立ち上がること
は出来ず、再び床に手がつくと触れた部分からスライムが覆い始めた。そんなことを繰
り返しているうちに上半身は胸元までスライムに覆われてしまい、さらにスライムは鎧
や服の内側にまで侵入を始めだした。
「う、うわああっ!」
胸や腹の素肌に直接当たるどろりとした生暖かい異様な感触に思わず悲鳴が漏れる。
だが、そんなものはまだこれから起こることの序章でしかなかったのだ。

「……つかまえ、た……」
目の前から響いてきた声に、俺はそこで初めてこの場所にいたのは自分だけではなかっ
たことを思いだした。はっとした俺の視界いっぱいにこちらを間近から見つめるスライ
ムの顔が映った。その顔はどことなく期待に胸を膨らませている様子で、見ようによっ
ては愛らしくも感じられるのだろうが、今から襲われる立場にある俺にとっては、恐怖
の対象以外の何者でもなかった。
「う、うう、うわああああ……っ!」
口からまたも悲鳴が漏れ、思わず後ずさりしようとするも、最早顔以外の部分をスライ
ムに覆われた俺は身動きをとることも出来ず、迫ってくる彼女をただ見つめることしか
出来なかった。
「だい、じょぶ……。こわく、ない、よ……?」
怯える俺に小首をかしげ、彼女は微笑むとゆっくりと顔を近づけてくる。彼女の体、そ
して床のスライムの表面からひっきりなしに生まれる気泡がはじけるたび、ひどい臭い
が辺りに満ちる。
目を逸らすこともできずその様子を俺は見つめ、一瞬のち、唇同士が触れ合った。
「ん、んぷっ!」
「ん、……ちゅ……んちゅ……ん、んん……んぅ……」
ついばむようにキスしてくる彼女、やがてそれは唇をこちらに押し付けるようなキスに
変わった。じっと口を閉じる俺の唇の間からぐにゅぐにゅとスライムの舌が侵入し、口
内に入り込んだ。彼女の舌は熱く、まるで溶岩を流し込まれたかのように感じ、目の前
が灼熱の赤に染まった。
舌が口内を蠢くと同時に、どろどろとした粘液がどんどん喉の奥に流し込まれていく。
涙を流しながら抵抗しようとするも、愛しげに、だがしかししっかりと頭を彼女の腕に
抱かれている俺にはどうしようもなかった。
キスの味など分かるはずも無く、一方的に蹂躙される俺の体は、次第に熱を持ち始めた。
最初はじんわりとした熱が下腹部を中心に生まれ、それはやがて男性器をズボンを持ち
上げるように立ち上がらせた。頭に靄がかかったようにぼんやりと思考は霞み、目の前
の彼女の姿がだんだん可愛らしくすら思えてきた。いつの間にか漂う匂いは気にならな
くなり、それよりも体を焦がす狂おしいほどの性欲が思考を染めていく。
とろんとし始めた俺の様子を見て取ると、スライムは嬉しそうに顔を離した。
「おいし、かった? もっと、しても。いいよ?」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
俺の口からは、短く荒い息が吐き出された。最早完全に冷静さを失い、性欲のみに支配
された俺には、目の前の彼女と交わることしか考えられなかった。
そんな俺の心情を察したかのように、体を覆っていたスライムがまるで波が引くかのよ
うに俺から離れていく。体の自由を取り戻した俺は、しかし逃げようとはせず、せかせ
かと服を脱ぎ捨てていく。鎧の留め金を外すのに手間取り、それがどうしようもなくも
どかしく感じた。
「したい……きみと、したい……」
熱に浮かされた言葉が自分の口から発せられても、どこか自分の言葉ではないように耳
に響く。だが、その言葉を聞いた彼女は嬉しそうに両手を広げ、俺を迎え入れた。
「……うれ、しい……。……きて……」
申し出が受け入れられたことを脳が理解するよりも早く、俺は彼女に抱きつくと反り返
るほど固くなったモノを彼女の体内に突き入れた。
「あぅあ、あぁあああああっ!」
自分の体内に異物が打ち込まれたことに嫌悪感も持たず、どころか快感を与えられた彼
女の大きく開かれた口から嬌声が響く。
両手は俺の背に回され、べちょりとした音が響きしっかりとその体を抱きしめていた。
彼女と触れ合う部分から肌に伝わるぬめぬめとした感触と、生暖かい体温が妙に心地よ
い。その感触をもっともっと味わおうと、俺も彼女の背に両手を回し、体を押し付ける。
ずぶり、とまるで彼女の体に腕が沈むかのような感覚が伝わった。いや、それは錯覚で
はなく、実際に彼女の背に回された俺の腕は、スライムの肌に半分ほどめり込んでいる。
それもまた彼女には快感となって伝わるのか、光の無い瞳は興奮からぎゅっと瞑られて
いた。
「んく……む、ちゅ……ちゅぶ……」
「ちゅば……んぷ……ちゅ……ん……」
今度は俺から彼女に口付ける。一瞬驚いたように目を見開いたものの、すぐにスライム
は嬉しそうに目を細めると舌を絡め合わせてくれた。俺は彼女の口内を舐め、彼女は俺
に唾液を飲ませてくれる。
俺のモノを包み込んだ彼女の肉が動き始め、強烈な刺激を与えてきた。ぴったりとくっ
ついたスライムが陰茎に絡みつき、撫で、締め付けてくる。
「あぁあ……くぅぅ! ああっ!……あぐぅっ!」
人間の中とは全く違う刺激に俺は翻弄され、口からは悲鳴とも嬌声とも判別できない叫
びが漏れる。蠕動し、絞り上げてくるかのようなスライムの膣内に抗うかのように、俺
は激しく腰を打ち付ける。そのたびに、びちゃ、びしゃりと彼女の表面の液がしぶきを
上げ、破片があたりに散った。
彼女に俺が集中しているうちに、スライム娘の体はどろどろと溶け出し、いつの間にか
俺の首から下を包み込んでいた。まるで暖かい池に浸かったような格好で、彼女に包ま
れた俺は交わりあう。
俺は心の中で絶叫した。ほとばしる快感の熱に思考は焼き払われ、もはや本能のみが体
を突き動かしていた。獣と化した俺をスライムは嬉しそうに受け入れ、頭と体に更なる
快感を送り込んでくる。
下腹部、男性器から熱い塊が搾り出され、出て行くような感覚が生まれる。留めること
などできず、それは上へ、上へと昇り、彼女の体内に飛んでゆく。
「あぁああああぁぁっぁぁぁぁっ!!!」
びゅく、びゅる、びゅるるるる、という音が耳に届いた気がした。何度も何度も発射さ
れ、彼女は快楽にどろどろに蕩けた表情を浮かべ、嵐に翻弄されるように痙攣しながら
もそれを受け止めてくれている。
その姿に、言いようの無い幸福感と満足感を覚えながら、俺の意識はゆっくりと闇に堕
ちていった。

――――――――――――――

ぴちょん。
なんだろうか。俺は疑問に思った。
良く分からないが、何かが頬に当たった感じがした。
その感触が、まだ表面に残っている。
ゆっくりと腕を動かし、その場所に触れる。
ぬるりとした液体が、指先についた。
ぴちゃん。
また音がする。同じような感触が肌にあった。
もう一度指で触れる。さっきと同じ、ぬるりと生暖かいものが頬にくっついていた。
ぼんやりとした頭でなんだろうと考えるが、いまいち正体が分からなかった。
いや、そもそも自分が何処でどうしていたのかもぼんやりしていた。
ぬるつく指先をこすり合わせる。
なんだろう。
ぴ。

「あ……う?」
「……あ。おき、た……?」
目を開けると、こちらを覗き込むスライムの少女が見えた。
先ほどのは、こちらを覗き込む彼女の頬を伝って垂れ落ちたスライムが、頬に当たった
音のようだった。
その彼女の背後に、薄汚れたアーチ状の天井が映っている。
下水道だ。そう頭が理解すると同時に、自分が置かれている状況も把握できた。
今はレンガの床にスライムがベッドのように広がっており、その中に首から上を出した
俺は包み込まれているのだ。そんな俺の顔を、ベッドから上半身を生やした彼女がじっ
と見つめている。それが俺たち今の状態だった。
そして、さっきまで俺たちがしていたことの記憶も頭に浮かんできた。まあ、襲われて
してしまったのだが、最後の方は自分から彼女を襲っていたような感じでもあった。
思わず顔がぼっと赤くなったが、彼女に対する嫌悪や拒絶といったものは欠片も浮かん
では来なかった。むしろ、先ほど以上に彼女に対する愛しさが生まれている。
彼女から漂う香りも、最早俺は気にならなくなっていた。
そんな俺の様子に気付いたのか、嬉しそうに笑顔を浮かべる彼女。俺は両手をスライム
プールから出し、そっと彼女を抱き寄せる。俺のなすがまま、引き寄せられた彼女がそ
っと目を閉じるのを見て、また優しくキスをした。
「ずっと、いっしょ……?」
こちらを不安そうに覗き込む彼女の頭を胸に抱くと、俺は大きく頷いた。
「……ああ。もう、俺は君無しじゃいられそうに無いんだ。君こそ、俺とずっと一緒に
いてくれるかな?」
耳元で呟いた俺の声に、顔を上げた彼女は目を細め、ゆっくりと口を開いた。
「……うん。 もう、わたし、も……はなれ、ない……よ」
呟くと彼女は俺の体を包み込んだまま、ゆっくりと移動を始めた。
だが、俺には不安は無かった。どこに行こうとも、彼女と一緒なら何も怖くもない。
きっと最後の瞬間まで、俺は彼女のからだに包まれて過ごしていくんだろう。そんな思
いが心に浮かんだ。

――――――――――――――

その後ギルドでは依頼を受け、下水道の調査に向かった冒険者が帰還しないことにちょ
っとした騒ぎがあったが、その後の探索で彼の物と思しき装備品などが見つかったこと、
辺りにバブルスライムが持つ特有の臭気が充満していたことなどから、彼がここの調査
中に魔物と遭遇し、襲われたと結論付けた。
結局いくつかの所持品しか見つからず、彼の行方はようとして知れないままだった。
だが、冒険者が依頼の実行中に行方不明になること事態はそうは珍しいことではなかっ
たため、やがてそれも忘れられていった。
彼はギルドや、世の一般の人々見れば実力が足らず、魔物にやられた哀れな冒険者でし
かなかったろう。

だが、何が不幸で何が幸福かは、当事者にしか分からないものである。

何処とも知れぬ闇の中で、何者かがずっと交わっている。
一人はそこそこ筋肉のついた体つきの男。そしてもう一人は透き通った美しい緑色の体
をした、蕩けたスライムの女だった。
口付け合い、抱き合い、包み込み包み込まれ、口から快感に染まった声を上げる二人の
顔は、見るからに幸せそうであった。

――『それは幸せなBADエンド?』 Fin ――

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