銀の狐の英雄募集
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――プロローグ

 薄いヴェールのような雲が空と月を覆い、降り注ぐおぼろな光がいっそうあちこちの
影に溜まる闇を深くするような夜。既に街角には人影も無く、うるさいくらいだった昼
間の活気もすっかり息を潜めている。近くにあるはずの民家も戸を固く閉め、かすかな
灯りさえも漏れ出ていなかった。目を向けてみても、濃紺のバックに映る、さらに深い
色の影だけ。
 眠りに着いた街の裏路地を、空の籠を手に下げた若い一人の少女が足早に歩いていく。
「すっかり遅くなっちゃった……。やっぱり、泊まらせてもらって、明日にすればよか
ったかしら」
 心中の不安を払うように、少女の口から言葉が漏れる。だがそれを聞くものは彼女以
外には居らず、吐き出された言葉は闇へと吸い込まれていった。
 街はすっかりと静まり返り、遠くに聞こえるかすかなふくろうの声と、少女が歩くた
びに靴が石畳に当たって立てる。こつこつという軽い音のみが響いている。耳にまとわ
りつくようなその音は否応無しに不安をかきたて、少女の可愛らしい顔は無意識のうち
に闇と孤独への恐怖に曇っていった。それでなくてもここ最近は色々と物騒な話が絶え
ないのである。いくら近道だからといって、こんな夜に、ただでさえ人気の無い裏道を
行くことを選んだのは失敗だったわと少女は内心で後悔した。ただ暗い夜道のため、考
え事をしながらも足元の地面に注意を払うことは忘れない。裏路地はそれほど人通りも
無いため、道路の定期的な補修がされていない場所も多く、昼間でも気をつけていない
と転んでしまいそうになることもあるのだ。つくづく、彼女はこんな道を選んだ自分の
考えがイヤになった。
 でもそれも後ちょっとのこと。この先の角を曲がれば、街の中心への大きな通りに出
る。そこまで行けば彼女の家ももう、すぐに着く。さっさと明るく暖かい家に帰ってこ
んな怖い思いからおさらばしたかった。

「あら?」
 不意に何かに気付いた彼女は足を止め、顔を上げる。前方の空間に目を移すと、そこ
にはこんな時間には珍しく、人影があった。ちょうど厚い雲が月光を遮ってしまったた
め、その人物の顔かたちや衣装はおろか、男か女かさえはっきりとは判別できない。ぼ
んやりとしたシルエットは、まるでそこだけ闇が濃度を増したように思えた。
 本来なら、人に出会えた安堵を感じるところだったのだろうが、少女の心に浮かんで
きたのは言い知れぬ恐怖だった。人影は先ほどからじっとその場所に佇んでいるだけで、
かすかな身じろぎも、一言の言葉も発していない。だが、それがなんだか異様に不気味
に思えた。
 きっとただの思い込みに違いないと彼女は自分に言い聞かせる。人気の無い道をずっ
と歩いてきたせいで、嫌なイメージが生まれてしまっただけだ、と。別にこの街で暮ら
す人間は彼女だけなわけではないし、あの人影も夜遅くに出歩かなくてはいけない用事
ができただけかもしれないではないか。
 そう考えても内心の恐怖は消せるわけも無く、彼女はさっさとここを通り抜けてしま
おうと再び足を踏み出すと、ペースを速めた。それに対しても人影は何の反応も無く、
彼女はもしかして、あれは人影に見えただけの何かの置物か、そうでなければ自身のあ
まりの恐怖が作り出した錯覚ではないのかとすら思えてきた。
 だが、少女とその影が五歩ばかりの距離に狭まった瞬間、それまで石造のようにぴく
りとも動かなかったそれが一歩、足を踏み出した。余りにも突然のことであったため、
少女もびくりとして歩みを止める。
 刹那、空を覆い隠していた雲が流れ、月が完全にその姿を表す。静かな光が裏路地に
も降り注ぎ、少女と、その目の前の人影を照らし出した。
「えっ!?」
 少女の口から小さな声が漏れる。しかしそれは目の前の人物の顔かたちに対するもの
ではなかった。それよりも、少女の双眸が捉えたもっと意外なもの、そして普通こんな
場所においてありえない光景に対するものであった。
 いつの間にか先ほどの人影の手には、すらりと長い刀身を晒した一振りの剣が握られ
ていた。月光にきらめきを返すでもなく、その光を飲み込むでもなく、ただただ、夜の
中に浮かびあがったその剣は、切っ先以外まっすぐな両刃で、刀身の中央には不思議な
紋様が浮かび上がっていた。中空に浮かんだ月を背にするその姿は、まるで一枚の絵画
のようでどこか現実感が無い。
 そのせいか、少女は恐怖を感じてはいなかった。というよりも、あまりにも状況が突
然すぎて、頭が現実を理解できないでいた。
 剣を携えた影はやはり一言も声を発することは無く、ただ一歩一歩静かに足を進める。
戸惑い立ちすくむ少女の前までくると、まるで何年も繰り返したかのような、ごく自然
な動作でその剣を振り上げた。
 直後に音が響いたのは一瞬のことで、また辺りには死んだような静けさが立ち込めて
いった。

――――――――――――――

 ……今はもう通り過ぎたかつての日々の記憶。
 どこかの小高い丘の上。夕暮れの太陽が照らす空は赤みを増し、深い藍が滲み出した
地平線は夜の訪れを感じさせる。草に覆われたその頂上で、一人の女の子が、一組の大
人の男女の間に挟まれるように座っていた。遥か異国の地、東方の衣装を纏った少女の
年のころは5、6歳くらいか。肩にぎりぎり掛かるくらいの銀髪が、夕日に美しく煌い
ている。そして両脇の男女は彼女よりもずっと年上、とはいっても、まだ若く、20代
前半といったところに見えた。
 少女はにこにこと笑顔を浮かべながら、左右の男女を交互に見やる。
「ととさま、かかさま。また、むかしのおはなししてー」
「はいはい、本当にお前はととさまたちの話が好きだな。そんなにおもしろいか?」
 少女のおねだりに、父と思しき青年が彼女の頭を撫でる。銀髪の少女は心地よさそう
に目を細めながら、父の顔を見上げる。ちょうど、栗色の短い髪が草を揺らす穏やかな
風にそよいだところだった。青年の右目は黒い眼帯で隠されていたが、左目、少女を見
つめる茶色の瞳には深い愛情の色があった。
「うん! すっごくおもしろいよ! だからね、また、くろいめがみさまがあかいきょ
じんとたたかうおはなしして!」
 満面の笑顔を浮かべたまま、少女は父の上着を引っ張る。
「ほらほら、もうすぐ日も暮れる。お話は家に帰ってからしてもらいなさい」
 困った顔をしつつも、少女のされるがままになっている夫を見かねて、少女を挟んだ
青年の反対側、同じく東方の服を着た母親が娘をたしなめる。少女と同じ銀色の長い髪
を一つに纏めた女性は、不満げに口を尖らせるわが子を穏やかな笑みをうかべたまま見
つめた。
「はぁ〜い、わかりました〜……」
 やがて根負けした少女がしぶしぶと頷き、腕を放す。母親はその姿に一つ頷き彼女の
頭を撫でると、腰を上げる。その拍子に、女性の服のすそから豊かな毛並みを持つ尻尾
が一本姿を現した。だが、三人の誰一人ともそのことを驚く者は無い。
 既に日は随分と沈み、夜の気配が深くなってきている。それに気付いた父親も立ち上
がり、少女の手を引いた。
「んじゃあ帰るか。皆も待ってるだろうしな」
「そうだね。あまり遅くなって心配させるのも悪いだろう。ほら、帰ろう」
 夫婦は頷きあい、少女の手をそれぞれ握って歩き出す。だが丘を下る途中で娘が大き
なあくびを一つしたのを見ると、青年は苦笑した。
「なんだ、眠くなっちまったか? 仕方ないな。ほれ、ととさまにおぶされ」
「うん……ととさまだいすきー……」
 とろんと眠そうな声で返す娘に小さく笑うと、青年は彼女を背負う。少女もまた父に
しっかりとしがみつくと、すぐにそのまぶたが下りていった。

――――――――――――――

  テーブルに突っ伏すようにしてすやすやと穏やかな寝息を立てていた少女に男が近
づき、何度も呼びかけながら、その華奢な体を揺する。
「……ょうさん。……きゃくさん。
お嬢さん着きましたよ。起きてくださいよお客さん!」
「ふぇ?」
 体が揺り動かされる感覚に、反射的に少女の口から声が漏れた。その意味も何も無い
呟きが聞こえたのは彼女自身だけではなかったようで、先ほどからずっと少女に呼びか
けていた男は、彼女を揺り動かす手を止めた。
「目が覚めましたか、お嬢さん。あなたが眠っている間に、とっくに他のお客さんは降
りてしまいましたよ。とにかく、ここが終点です。お休みだった所申し訳ないのですが、
まずは降りてもらえませんかね」
 やや呆れたような声のする方に振り向いた彼女の目は、中年の男の姿を捉えた。続い
てきょろきょろと周囲を見回すと、こじんまりとした板張りの空間と、見慣れない風景
が目に入る。ややあって、彼女はここが乗り合い馬車の客室であり、自分をじとりと見
つめる男が御者であることに気付いた。
「あ、あーそっか。やることなくてあんまりにも退屈な上、ごとんごとんって揺れるの
が気持ちよくて、いつの間にか寝ちゃってたのね」
「そういうことです。とにかく、起きたなら降りてくださいませんかね」
「あ、あはは……。ご、ごめんなさい、今降りまーす」
 御者の視線にいたたまれなくなった少女は、慌てて立ち上がり荷物をまとめると小さ
なドアを開け、外へと飛び出す。とん、と彼女の足が地に降り立つと、背後の馬車は、
すぐさまがらがらと車輪が大地を蹴る音を立てて走り去っていった。
「いそがしそうだね……」
 少女は馬車が去った方向をしばらく見つめていたが、やがて視線を正面に戻す。彼女
の眼前、十数歩進んだ先には立派な石造りの門がそびえており、左右にはずっと先まで
門と同じ石造りの壁が伸びていた。
「うわあ……話には聞いていたけど、やっぱり大きいわ……」
 門を見上げ、感嘆の声を漏らした少女は小さく頷くとゆっくりと歩き出し、その門を
くぐっていった。銀色の髪をそよ風に揺らせながら。

――――――――――――――
 『銀の狐の英雄募集』
――――――――――――――

第一話「魂喰の剣、銀色の娘」

 数多くの人々が自然と共に、あるいは自然を切り開いて作り出した街で生きている世
界。だがこの世界には、人と限りなく似ていながらも、人とは決して同じではないもの
たち――魔に属すものたちも暮らしている。
 魔のもの達とはいえ、彼女たちは血も涙も無い化け物ではない。寿命が長く、人より
も少しばかり強大な力を持ってはいるが、人と同じように泣き、笑い、家庭を持ち子ど
もを作り幸せに暮らすことを夢見ているものも少なくない。ただ、その考え方や性格は
人間の持つ常識とは、いくつかの点で多かれ少なかれ異なってはいるが。
 もちろん、すべての人間が異種族を素直に受け入れられるわけではない。王都や教会
の教えが強い影響を持つ地域では、魔物とは人に仇なすものであり、人とは相容れない
危険な存在として見られている。だが、その考えもまたすべてではなく、人々の中には
魔物たちのことを理解し、恋人や家族として共に暮らすものたちも存在していた。

 その一つが、大陸の中央から北東に遠く離れたこの地域一帯である。とある一族が領
主となって代々治めてきたこの地は、あちこちに豊かな自然を残し、人を寄せ付けない
深い山林原野には、多くの魔物や亜人種が暮らしている。
 領主は人と魔物の共存に理解が深く、人と魔物の積極的交流をも支持しているため
旅人や冒険者だけでなく、人外の者達もが集い、中央の大都市にも負けずとも劣らない
活気が生み出されていた。

「うーん、広いなあ……それにたくさんの人。さすがこの地方の中心都市だねー」
 セミロングの銀髪をした少女が、そのこげ茶色の瞳で街中をきょろきょろと見回す。
まだ10代前半といったその幼い娘は、この辺りでは見かけることのない不思議な格好
をしていた。ゆったりとした上着を前で合わせ、腰帯を巻いているそのスタイルは東方
のものだ。だが下半身はスカートにニーソックスといったいでたちで、それがかわいら
しい銀髪の彼女によく似合っていた。
「おい、あの子見ろよ」
「おお、かわいいな。っていってもまだお子様だけどな」
「あら、変わった格好ね」
「でもなんかいい感じじゃない? 何処のお店のかしら」
 その容貌と奇妙な服装から、街行く者たちが彼女の方を振り返る。だが彼女はそんな
周囲の反応に気を止めた風もなく。あちこちの店へとふらふらと目を向けていた。その
視線の先、彼女が歩く大通りの両脇にはいくつもの店が立ち並び、その店棚やショーウ
ィンドウの中にはみずみずしい果物や輝く宝石、立派な刀剣、はたまたさっぱり用途が
わからない不思議な形をした道具などというものまでが並べられている。
「あ、あの指輪かわいいかも。あっちのお店の料理も美味しそう」
 彼女はあちらこちらに視線を向けながら歩いているので、当然ながら前はろくすっぽ
見ていない。街の中心へと続く通りだけあって、広さは十分にあるがその分人通りも激
しいのだが、不思議なことに少女は他の通行人や路上の看板にぶつかるどころか、着た
服すらかすっていないようだった。道行く人々はその奇妙さに、まるで気付いた様子は
ない。
「んー……どうしよっかな。まっすぐあそこに行ってもいいんだけど、それじゃあなん
だかもったいないし……」
 ぶつぶつと独り言を呟きながら歩いていた少女の鼻がふいにぴくんと動く。足を止め
てすんすんと二、三度香りをかぐと、彼女は顔を上げた。
「はいいらっしゃい! おや、かわいいおじょうちゃん。どうだい、とりたての果物を
使った、特製アイスはいかがかな?」
 少女の目の前にはアイスクリームを売る移動式の店が止まっており、足を止めた彼女
に人好きのするような顔つきの男が、にこにこと笑顔を浮かべてコーンの先のアイスを
見せる。それを目にした銀髪の少女の瞳がきらきらと輝いてるのを見れば、それ以上の
売り文句は必要ないと誰の目にもわかった。

「まいどありー」
 背後にアイスクリーム屋の声を聞きながら、彼女はにっこりと微笑む。
「えへへ……買っちゃった」
 いたずらっぽく呟くと、少女は可愛らしい舌を出してひんやりとした冷気を放つアイ
スをぺろりと舐める。舌先に冷たさを感じると同時、仄かな甘さと果物の香りが口内に
広がった。
「おいし〜。かかさまのごはんもおいしいけど、こういうのはつくってくれないから
ねー」
 そういうともう一度ぺろりと舐める。まるで食べてしまうのがもったいないというか
のように、彼女はアイスにそっと舌を這わせていった。
 と、不意に通りの向こう側が騒然とし始める。何事かと顔を上げた彼女の耳に、何人
かが叫ぶ声と、がしゃんがしゃんという何かが壊れる音が聞こえてきた。
「なんだろ?」
 小首をかしげた瞬間、どんという衝撃が襲い、彼女はバランスを崩す。何とか転ばな
いように体勢は立て直したものの、持っていたアイスは手からこぼれ、地面にぼとりと
落ちた。
「あ……」
 無残に広がったアイスを見て呆然と呟き、すぐに顔を上げると、彼女にぶつかったと
思われる男の後姿が通りを逃げ去っていくのが見えた。もう一度視線を足元のアイスに
むけた彼女のそばを、何人かの男が叫びながら通り過ぎていく。
「まて、ひったくりめ!!」
「あっちに行ったぞ!」
「逃がすな!!」
 少女はしばしうつむいていたが、やがてその肩が小刻みに震えだした。小柄な体から
子どもが持つものとしては考えられないような強大で異様なオーラが立ち上り、小さな
笑い声が口から漏れる。
「ふ、ふふ……ふふふ……。よくも、よくもわたしのアイスを。……絶対に許さないん
だから!」
 顔を上げると逃げる男の背をきっと睨む。直後、細い足が地面を蹴り、少女は逃げる
男に向かって大きく高く跳躍した。空中で体を一回転させ、ひったくりの目の前に軽や
かに着地する。
「ふふふふ……さあ、アイスの敵をとらせてもらうよ……!」
「な、何だお前は!?」
 突如目の前に現れた幼い女の子に、犯人は走りながら問いかける。だが、彼女は不気
味に笑いながら意味不明の言葉を口にするだけだった。
「くっ! 何だこのがき!?」
 思わず本能的な恐怖から、男は隠し持っていたナイフを抜き、彼女に向けて突きを繰
り出す。幼い子どもに向けての凶行に、周囲の人々の口から悲鳴が漏れた。
「あまいよっ!!」
 だが、その切っ先が少女を捕らえると思われた瞬間、彼女の像がぶれたかと思うと、
伸びきった男の腕を少女の小さな手が掴む。ギャラリーがあっという間もなく体を翻し
た少女がその腕に力を込めると、彼女より頭二つは大きい男が宙に浮き、そのまま背中
から道路の石畳に叩きつけられた。
「うっ、ぐう……」
 ひったくりは短くうめくと、体から力が抜ける。背中から綺麗に落ちたのでたいした
怪我はしていないだろうが、しばらくは目を覚ませまい。余りにも見事なその技術に、
周囲の人々は静まり返り、驚きの表情で少女を見つめる。
 少女は男の様子を満足そうに眺めると、とりあえず気が済んだのかふうっと息を吐き
出した。
「さてと、とりあえず倒しちゃったけど、どうしよ」
 そこで初めて気付いたかとでもいうように眉根を寄せる彼女の言葉に、ギャラリーの
誰かが呟く。
「あ、あの子、す、すげえ……」
 その声に我に返った人々は、次の瞬間わっと叫んで彼女の周りに殺到した。
「すげえぞおちびちゃん!」
「うおおおお、かっこいいぜ!!」
「いまの何!? なんて技!? どこで習ったの!?」
「あなたこの辺で見ない顔だけど、どこの子!?」
 彼女を取り巻き、やいのやいのと騒ぐ街の人々に、少女は戸惑った様子で視線をさま
よわせる。
「あ、あの、その、わたしは、その……」
 人々は少女の戸惑いなど構わず、矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。パニック寸前の彼
女の口からは意味の無い呟きが漏れるばかりで、完全にうろたえていた。
「ん……? あっ! おい!! ひったくりが逃げるぞ!?」
 不意にギャラリーの誰かが叫ぶ。少女を含め人々がはっとして目を向けると、いつの
間にか気がついた男がこそこそと人々の輪から抜け出し、人だかりから少し離れた所で
走り出そうとしているところだった。完全に男のことを忘れていた人々も、周囲を人だ
かりに囲まれた少女も反応が遅れ、ひったくり犯は既に走り始めている。
「ま、まちなさい!!」
 少女が発した制止の叫びも空しく、犯人は肩越しにちらりと彼女を見やると一目散に
逃げ去ろうとする。

 だが、男の行く先の角から、一人の青年がすっと現れ、その進路をふさいだ。見たと
ころ彼の年は22、3歳くらいだろうか。すらりとした体つきに整った顔は、冒険者風
の格好をしていても、どこか育ちのよさを感じさせる。だがその顔は無愛想そのもので、
濃紺の瞳が冷たく目の前の男を捉えた。
「なんだ、てめえ! どきやがれ!!」
 相手が女子どもでないためか、逃走犯は遠慮無しで男に殴りかかる。
「お前、道で出会った人をいきなり殴ろうとするのか? なら……殴り返されても文句
はないな?」
青年はぼそりとそう呟くと、男の拳が触れるよりも早く動いた。彼は手にした剣を鞘に
込めたまま、素早く、そして力づよく振りぬく。その勢いが風をおこし、青年のこげ茶
色の前髪がふわりと舞った。
「ぎゃぅっ!?」
 硬い金属の鞘に思いきり頬を張られ、男は悲鳴を上げながら吹き飛ぶ。そのまま道の
横のゴミ箱に頭から突っ込んで動かなくなった。
「……やれやれ」
 溜息をつきながらその様子を確認した青年は、男を引きずり出すと、手近な布で彼の
手足を縛り上げる。
「どうやら、こいつがひったくりで間違いなさそうだな。こうしておけば後は自警団が
なんとかするだろう」
 手際よく男を拘束すると、青年は慌てて走ってきた銀髪の少女をちらりと一瞥する。
それから再び気絶した男に視線を戻し、少女を見ないまま淡々と語った。
「ん? 何か用か? あいにくお前みたいな子どもには関係のない話だ。あぶないこと
に首を突っ込んで怪我する前に、家に帰れ」
「なっ……!?」
 絶句する彼女を気にした風もなく、男を手近な柱にしばりつける処置を済ませた青年
は立ち上がる。パンパンと手で服についた埃を払い、呆然と見つめる少女にもう一度だ
け目を向けたものの、すぐにまるで興味なさそうに視線を外すと、踵を返して通りの向
こうに去っていった。
「な、なんなのあいつ……!」
 ぶるぶると震える彼女に、街の人の会話が聞こえてきた。
「あ、あれはアルティスさんだね」
「あー、この前もギルドが手配してた盗賊を捕まえたんだっけ? 最近になってこの街
にきたんだって聞いたけど、なかなかやるよね、彼」
 感心した調子で口々に青年を褒め称える人々の声を聞きながら、少女は彼が去った方
角をじっと睨みつける。
「ふーん、アルティス、ね……。由緒正しき血を引くこのタマモをお子様扱いとは、言
ってくれるじゃないの……! 見てなさいよ、この次は私の実力を思い知らせて、吠え
面かかせた上で謝らせてやるんだから……!!」
 顔を真っ赤にさせて、銀髪の少女、タマモは固く拳を握り締めるのだった。

 これが、その後長い付き合いになるタマモとアルティスの初めての出会いだった。
それはまったくもって、お互いに最悪の第一印象だったといわざるを得なかった。

――――――――――――――

「う〜……あんの男、思い出しても腹立つー!」
 頬を膨らませ、見るからに不機嫌そうにしながら、タマモは町の中央通りからまっす
ぐのびる坂を一人上っていた。本人はしかめっ面のつもりなのだろうが、幼い少女がぷ
りぷりと怒っている様子はどこか可愛らしく、道行く人々は彼女の姿に暖かい視線を送
っていた。
「なんでみんな、こっちを見て笑ってるんだろ? むう……」
 それを何となく感じる彼女は、ますます頬を膨らませる。まさか「なんですか?」と
訊く訳にも行かないので、タマモはそのまま足を進めることにした。
 彼女が目指すのは街よりも小高い丘の上に広い敷地を持つ、この辺り一帯の領主、
フリスアリス家の屋敷である。やがて坂を上りきると、大きな門が彼女の前に姿を現
した。門扉の鉄柵は開かれており、タマモは広大な庭園へと足を踏み入れる。
「わあ……」
 タマモの目の前に広がる広大な敷地の庭は、鮮やかな緑の芝で地面が覆われ、そのあ
ちこちにはよく手入れされた庭木が整然と植えられている。所々に置かれた彫像や石で
作られたオブジェがそれらの緑と調和し、見事な庭園を作り出していた。
 その庭をまっすぐに貫く道を進み、彼女は大きな屋敷の入り口前に立つ。屋敷から漂
う風格に思わず緊張してゴクリとつばを飲み込んだタマモは、深呼吸をして落ち着きを
取り戻し、こんこんと立派なドアを叩いた。
「はい、どちらさまでしょう?」
 ノックをしてすぐ、屋敷の中から女性の声が響く。見つめるタマモの前で扉はゆっく
りと開き、中からメイド服に身を包んだ一人の女性が現れた。豊満な体つきにやや切れ
長の目の美しい人物で、何処となくメイドにはふさわしくない妖艶さが漂っているよう
に思えた。
「あ、あの父母から聞いてきました、タマモ=エルフィードです。領主様にお会いした
いんですけど」
「はい、言付けは承っております。それでは、こちらへどうぞ」
 タマモの名乗りを聞いたメイドは恭しく頭を下げると、少女を屋敷内に招きいれ、そ
のまま先導して歩き出す。数歩離れて、タマモはメイドの後ろについていった。
 立派な絨毯が敷かれた長い廊下を進む。その両脇の壁にはいくつもの絵画や調度品が
あったが、タマモは特に興味を示した様子もなくメイドの後を追った。
 やがて、少女の目の前には大きな両開きの扉が姿を現す。
「こちらで主人がお待ちです。……ご主人様、タマモ様をお連れしました」
 メイドの声に、室内から若い男の返事が響く。
「ああ、ご苦労様でした。どうぞ」
「失礼します。では、タマモ様、どうぞお入りください」
 主人のものだろう声の承諾を聞き、ドアの前で振り返ったメイドはそう言うと、両開
きのドアをゆっくり開けた。
「お、お邪魔しまーす……」
 その雰囲気に再びぶり返した緊張に固まりながら、タマモはおそるおそる室内に足を
踏み入れる。部屋の中はかなりの広さがあり、彼女の5、6歩ほど先には山のように書
類が積まれた大きな机があった。その向こう、椅子に腰掛ける青年が顔を上げ、緊張に
こわばったタマモの顔を、彼の緑色の瞳が見つめる。予想よりも若く、20代にしか見
えない領主の姿にタマモは内心驚く。
「あ、う、え……タマモと申します。
り、りょ……領主様におきましては、ご、ごご機嫌麗しゅう……」
 かちこちになってしどろもどろに挨拶しようとするタマモに、凛々しい青年の顔が朗
らかに笑い、少女に優しく声をかけた。
「いらっしゃい、堅苦しい挨拶は抜きにしてかまいませんよ。よくきてくださいました。
そうか、あなたがタマモさんか。……大きくなりましたね」
 穏やかな青年の笑顔に肩の力が抜けたタマモは、やや驚きながら声を返す。
「あの、私を知ってるんですか?」
「もちろんですよ。……確かに、分からなくても無理はありませんね。いくら私の姿が
変わらなくても、会ったのはあなたが赤ちゃんのころですから」
 そういって領主の青年は懐かしそうに目を細める。タマモに穏やかな表情のまま向き
直ると、立ち上がり彼女の前までゆっくりと歩いてきた。
「では、改めて名乗りましょう。
この辺りを治めさせていただいている領主、カーライル=フリスアリスです。ようこそ、
私たちの屋敷へ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 そういって差し出された手を、タマモの小さな手も優しく握り返した。

「そうですか、皆元気でなによりです」
「いえ、父母やみんなも、領主様たちがお元気でいることを知ったら安心すると思いま
す」
 ここじゃあくつろげないだろうというカーライルの提案もあって、あれから二人は応
接間へと場所を移していた。タマモは最初ふかふかのソファーを物珍しげに見ていたが、
すぐにその感触が気に入ったらしく、ゆったりと腰を埋めていた。すっかり緊張は解け
たらしく、表情にはいつもの明るさが戻っている。
「それで、タマモさんは何故一人でここに?」
 かねてからの疑問だったのだろう。会話が一段落ついたところで、さりげなくカーラ
イルが問いかける。その言葉にタマモはもじもじと体を動かし、ほのかに頬を染め、先
ほどまでとは違って消え入りそうな声でぼそぼそと言葉を発した。
「……あ、あの。は、恥ずかしい話なんですけど……。パートナーって言うか……その、
は、は、伴侶を探しに、ですね……」
「は、伴侶? ……それはつまり……」
「は、はい、そういうことです……。わたし、その……血筋のせいか、もう七本になっ
てて。それで、いつまでも抑えることも出来ないし、相性のいい相手を探そうと思って、
この街に来たんです。皆に聞いた話から、この街なら私みたいなのでも付き合ってくれ
る男の人がいると思って……」
 そう呟くタマモはまだ幼い少女の姿だが、恥らう様子は乙女そのものであった。そし
てカーライルはそれ以上に、目の前の少女が秘めた強大な力に気付く。確かに彼女の相
手は、その辺りの人間には務まらないだろう。
「そうですか、良い方が見つかればいいですね。何か出来ることがあれば、私も及ばず
ながら力をお貸ししましょう。……そうだ。そういうことならば、この街にいる間はど
うか離れの建物を自由に使ってください。手配はしておきます」
「ありがとうございます、領主様」
「カーライルでいいですよ」
領主の申し出にタマモが深々と頭を下げたそのとき、彼らの耳に廊下を誰かがばたばた
と慌しく駆けてくる音が聞こえてきた。一瞬のち、応接間のドアが勢いよく開け放たれ、
一人のメイドが大慌てで室内に飛び込む。
「か、カーライル様ー! い、一大事でございますー!!」
 室内になだれ込んできた彼女はたいそう慌てた様子で、その背からは黒い皮膜の羽が、
そして頭髪からは硬質の角が二本、覗いている。彼女はとにかく何事か報告しようとし
ているらしいが、その口はぱくぱくと開閉を繰り返すばかりだった。
 その姿というよりは、いきなり飛び込んできたことに驚いて目を丸くするタマモの脇
で、やれやれといった様子のカーライルが息を吐く。
「はあ、ジュリアさん……一大事なのは分かりましたからまずは落ち着いてください。
ノックもなしに入っては、お客様が驚いてしまいいますよ。それから角と羽、昼間はし
まっておいてください」
『ジュリア』と呼ばれたメイドは一瞬目をぱちくりとさせ、大きく深呼吸を行う。そし
て自分の体を見直し、サキュバスの角や羽が露になっているのに気付くと顔を真っ赤に
しながら慌ててそれらを隠した。
 カーライルはその様子を見つめ、また一つ息を吐き出す。
「それで、一体何がどうしたのですか?」
 領主の問いかけに、先ほどよりは落ち着いたジュリアが、焦燥をその顔に貼り付けた
まま口を開く。
「『魂喰らい(ソウルイーター)』の犠牲者が、また……!」
「……なんですって?」
 耳にしたその言葉と内容に、常に穏やかな当主の顔にも驚きと怒りの色が浮かぶ。た
だ事ではない空気に、タマモもまた顔を引き締めるのだった。

「……『魂喰らい』というのは、最近この辺りを騒がせている通り魔の名前です」
 再び領主の執務室。机の上に置かれた報告書を前に、カーライルがタマモに説明する。
「通り魔、ですか?」
「ええ、襲われたのはもう10人にもなります。まだ死者が出ていないのが不幸中の幸
いですが。しかし神出鬼没で目撃したものも居らず、こちらとしても捕まえるどころか、
正体すら分かっていないのです」
「え? だって、襲われた人は生きてるんでしょう? 話を聞けば、すぐに分かるんじ
ゃないの?」
 当然の考えを口にするタマモに、カーライルは残念そうに首を振る。
「確かに、それが出来ればすぐに犯人は捕まえられるでしょうね。けれども、それは無
理なんです」
「無理、って……」
 困惑するタマモに。カーライルは無言で机の上にあった水晶玉を手に取る。彼の手の
中で水晶がかすかに瞬くと、虚空に映像が映し出された。
「これって……」
 呆然と呟くタマモの目の前に映し出されたのは、通り魔の被害者達の記録映像のよう
だった。一見、それらは共通点などない様々な年恰好の少年少女のようだったが、タマ
モは気付いた。怪我の位置や深さは多少の違いがあるものの、その顔色はほとんど健康
なものたちのそれであるのに、彼らはまるで、「魂が抜かれたかのように眠り続けてい
る」のだ。昏々と眠り続けている様子は、言われなければ通り魔の被害者だと分からな
いだろう。
「……気付きましたか? 襲われたものたちは皆、それからずっと眠り続けています。
傷は全快しているのに目は覚めない。まるで魂を食われたかのような犠牲者の姿に、い
つしか犯人は『魂喰らい』と呼ばれるようになったのです」
「…………」
 じっと映像を凝視するタマモの耳に、カーライルの声が響く。彼女はずっと中空の絵
から視線を外していなかった。その先には、タマモと同じか、それより幼い年の子ども
が静かに眠り続ける様子が映し出されている。時が止まったかのような彼の姿に、タマ
モの小さな手が固く握り締められた。そして、彼女の小さな唇がかすかに震える。
「……許せない……」
 ポツリと呟かれた声は、彼女自身も意図して出したものではなかったかのようだった。
傍らのカーライルも危うく聞き逃す所で、思わずタマモに顔を向ける。
 少女は怒っていた。この事件の犯人か、それとも不条理な現実にか、はたまた何も出
来ないでいる自分にかは分からなかったが、その声からは静かな、深い怒りの響きがあ
った。
「……カーライルさん、私にもこの事件、手伝わせてくれませんか?」
「え? で、ですが……」
 突然の申し出に戸惑うカーライルに、タマモは顔を上げて向き合う。まっすぐに彼を
見つめるそのこげ茶色の瞳には、確かに怒りがあった。そして、それ以上に深い正義と、
強い決意の色があった。
 ほんの数秒、両者は見つめあい、すぐにカーライルは息を吐き出す。
「……わかりました。では、タマモさんにもお手伝いをお願いしましょう。とは言いま
しても情報や仲間も必要になるでしょう。冒険者ギルドへの依頼という形で話をしてお
きますので、必要なものをそろえたところでそちらから受けてください」
 カーライルは紙を一枚取り出すと、さらさらと何かを書き、自分の署名を入れると丸
めてタマモに差し出す。彼女はそれをうけとると、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、カーライルさん」
「いいえ。ですが、十分気をつけてくださいね。そして、無茶はしないこと。これだけ
は約束してください」
「はい、わかってます。それじゃあ、いってきますね!」
 もう一度頭を下げて礼をするとタマモは執務室を後にする。ドアがぱたんと音を立て
て閉じられるのを見届けると、カーライルはふっと微笑んだ。
「……あのまっすぐな正義感に、言い出したら聞かない頑固さ。まったくもって、ご両
親そっくりですね。彼も良い子に恵まれたものです」
 青年は椅子に座ると、青く澄んだ空を見上げるのだった。

 屋敷の廊下を進み、玄関に戻ってきたタマモの前に、不意に二つの人影が飛び出る。
「おねーちゃん! 冒険に行くんでしょ!?」
「あたしたちも連れてって!!」
 開口一番そう叫んだのは、黒髪に翠玉の瞳を持つ少年と、金の髪にやや赤味のかかっ
た眼の少女だった。双子だろうか、その顔立ちは瓜二つでまだ男女の違いが現れていな
いため、髪や目の色の違いがなければその作りは全く同じに見えそうなくらいだった。
「ねえ、いいでしょ?」
「ぼくたちも冒険いきたいー」
「ちょ、ちょっとあなたたち!?」
 タマモの両手を引っ張る子ども達は彼女よりも幼く、年のころはまだ10かそこらに
しか見えない。この屋敷にいて、何処となく見覚えのある顔立ちをしたこの子達はもし
かして、とタマモが考えをめぐらせたとき、また新たな女性の声が響いてきた。
「ほら、いけませんよ二人とも。お客様にご迷惑をかけては」
 タマモが声のした方に振り向くと、一人の若い女性がこちらに走ってくるところだっ
た。メイドのものとは違う、貴族のものと一目で分かる上品なドレスを纏っている。女
性の背には先ほどのメイドと同じような黒い羽があり、舞う美しいロングの黒髪からは、
黒い角が覗いていた。その姿から、彼女が先ほどカーライルから聞いた彼の妻、カテリ
ナだとタマモにはすぐに分かった。
「あ、申し遅れました、私はカテリナ。この子達の母ですわ。ほら、二人ともお客様に
ご挨拶をして。それから手を引っ張らないの」
 タマモたちの前にやってきたカテリナは、いまだ駄々をこねる二人の子どもを銀髪の
少女から引き離す。流石に母親には逆らわず、双子はあっさりと手を離した。
 そして、母親の左右に並ぶと、ぺこりとお辞儀をする。まず先に、黒髪の男の子が名
乗った。
「エクセル=フリスアリス! 10歳です! 好きなもの! エレちゃんです!」
「エレミラ=フリスアリス! 10歳です! 好きなもの! エクセルくんです!」
「はい、よく出来ました」
 カテリナは二人の頭をそれぞれ撫でる。くすぐったそうにしながらも、満足げな双子
の顔を見つめるとタマモに向き直り、頭を下げた。
「ごめんなさい、子ども達が大変失礼を……。何処から聞きつけたのか、あなたの冒険
についていくって聞かなくて」
「だってー」
「あたしたちだって戦えるもん!」
「だめです。わがまま言っちゃいけません。めーしますよ」
 カテリナの諭す言葉に、二人の目じりにみるみる涙が浮かぶ。だがそれと一緒に、幼
い双子の体からじわじわと魔力も漏れ始めていた。思わずびくりとしたタマモの前で、
男の子の瞳が人外のものへと変わり始める。女の子の方も瞳が変化し、さらには耳が尖
るだけでなく、既にカテリナと同じような角と羽、尻尾までが現れていた。その変化に
呼応するように、二人の目に浮かぶ涙は大きな粒となり、今にも零れ落ちそうになって
いる。
「わ、わ、ちょ、ちょっとまって……!」
 タマモはたじろぎ、涙腺が決壊寸前の双子を何とかなだめようと口を開く。だが、そ
れよりも先にエクセルとエレミラの前に回りこんでしゃがんだカテリナは、双子の肩に
手を置くと優しく語りかけた。
「ほら、二人ともかっこいい冒険者になりたいんなら泣いちゃダメです。焦らなくても、
あなたたちがもうちょっと大きくなったら、すぐに冒険に出れるようになりますよ。そ
うですね……せめてあと、一つか二つ、タマモさんくらいの歳になったらね」
 約束のように呟いた母親の言葉に、二人の涙がぴたりと止まる。
「本当?」
「うそじゃないよね?」
「ええ、本当ですよ。ね? タマモさん」
 カテリナはタマモに顔を向け、にこりと微笑む。その言葉に期待を込めた双子の四つ
の目がタマモに向いた。カテリナの意図を察した少女は、大きく頷く。
「じゃあ……」
「我慢する」
 涙を手の甲や腕でぬぐう二人を見ながら、タマモは何とかこの場を乗り切ったことに
安堵の息を一つ吐き出す。双子が廊下の向こうにかけていくのを見送ると、タマモの側
にやってきたカテリナは、すまなそうに頭を下げた。
「すみません、タマモさん。私たちや知人の話を聞いて育ったせいか、子ども達は冒険
にとても憧れていて。ああでも言わなければ、言い出したらなかなか聞かないんです」
「いいえ、いいんです。こちらこそ助かりました。どうもありがとうございました」
 カテリナを気遣うように礼を言うタマモに、双子の母親も肩の力を抜く。
「それならよかったです。……でも、先ほどはああ言いましたが、本音を言えばタマモ
さん、私はあなたのことも心配なんです。夫達からあなたの実力は聞いていますが、そ
れとは関係なく、あなたもまだ幼い女の子なんですから。決して無理はしてはいけませ
んよ」
 優しい声で、しかし真剣な目でじっとタマモを見つめるカテリナ。そこにはまさに母
親が子どもを案じる姿があった。見た目こそ違えど、タマモは穏やかな表情を浮かべる
中に深い愛情をにじませる彼女に、自分の母の姿を重ねる。
「……はい、約束します」
 カテリナの願いをかみ締め、タマモは強く頷くのだった。

――――――――――――――

「ふう、流石にあんな小さな子達じゃ、この事件には関わらせられないわよね」
 カテリナの助けにより、何とか双子が自分についてくることを阻止したタマモは、年
長者としての責任を感じながら呟く。まあ、そうは言っても彼女自身、あの二人との歳
の差は一つか二つで、さほど年齢は離れていないのであったが。銀髪と和服を風に揺ら
れながら、てくてくと道行く姿は傍から見ればまったくの子どもで、仮に軽鎧や武器で
完全装備していたとしても、傍目には冒険者ごっこでもしているようにしか見えないだ
ろう。

 タマモがそんなことを考えているうちに、彼女の足は領主の屋敷から延びる坂を下り
終え、街の中心部へとやってきていた。中央通りには人間だけでなく、ワーウルフの少
女やケンタウロスの郵便屋、インプの少女、ゴーレムの露天商など、魔物の姿も多く見
られる。彼女たちの多くは耳や尻尾、羽などの魔物の特徴を露にしたままだった。だが、
この街ではそんな光景は日常茶飯事のようで、道行く人々もそれが当然のもののように
受け止めていた。歩くタマモの脇を通り過ぎる何組かのカップルにいたっては、人間の
男性と魔物の女性という取り合わせなくらいである。
 そうした光景を見つつ、タマモは道沿いに並ぶいくつもの店のうちでも、特に人目を
引く立派な石造りの建物に足を向ける。
 正確には、そこは店ではなかった。この街と地域一帯を守る自警団――といっても、
全戦力を合わせれば騎士団クラスなのだが――の詰め所兼、冒険者ギルドというもので
あった。
 建物からにじむ風格というか威圧感のようなものに、タマモの顔に無意識に緊張の色
が浮かぶ。だがすぐにドアの取っ手を引き、頑丈な木製の戸が軋む音を響かせ開くのを
見ると、少女はギルドの中へと入って行った。
 室内に響いた扉の開く音に、中にいた数人の冒険者らしき人物が幼い女の子という奇
妙な来客に訝しげな視線を向けたが、すぐに興味をなくしたように雑談やらなにやらに
意識を戻していく。
 彼らの様子を気に留めた風もなく、タマモはギルドの中を興味津々の様子で眺め回す。
やがて依頼受付の窓口を見つけると、カーライルから貰った紹介状を持って、カウンタ
ーへと歩み寄る。ギルドの窓口に居た女性は、まっすぐ自分の所に向かってくる少女に
少しだけ意外そうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔を作る。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。あら、可愛らしいお嬢ちゃん。ここは冒険者が仕事や情
報を求めて訪れる場所よ? あなたみたいな子が、何か御用かしら」
 女性は優しげな声で、周囲の冒険者と比べれば明らかに場違いと思えるような幼い姿
の少女に語りかける。ギルド内に居る者たちも、口に出しこそしなかったが同じような
感想を持っていたようだった。タマモはそんな空気もさほど気にした風はなく、口を開
く。
「えっと……領主様からの紹介で、『魂喰らい事件の解決』依頼を受けたいんですけど。
それと、何か情報があったら教えてもらえませんか?」
「え……? 『魂喰らい事件』!? あの事件の解決? あなたが?」
「? そうですけど」
 十かそこらの子どもにしか見えない少女がクエストの申し込みをしてきたことだけで
なく、その内容がここ最近ギルドだけでなく、巷をも騒がせている連続通り魔事件とい
う危険度も最高ランクのものだっただけに、受付の女性は思わず聞き返す。女性の驚き
にも、タマモはそれがどうかしたのかとばかりに小首を傾げるだけで、ふざけている様
子は微塵も無い。それがますます受付嬢を困惑させた。
「あ、これ紹介状です」
 タマモが背伸びしてカウンターに紹介状を差し出すと、受付の女性はいまだ驚きなが
らもそれを手に取った。書かれた内容にざっと目を通し、サインが確かに領主のもので
あることを認めると、戸惑いながらも少女に告げる。
「は、はい、確かに領主様の紹介状と確認しました。で、ではわずかですが支度金と、
これまでこちらに集まった情報のメモをお渡ししますので、よ、用意が出来るまでお待
ちください」
「はーい、ありがとう」
 タマモは受付の言葉に頷いてカウンターから離れると、適当な長椅子に腰掛ける。背
伸びしたせいで少し乱れた着物を直す彼女の前で、また一人の青年がカウンターに何か
しらの書類を出し、離れていくのを視界の端に捉えた。ぼーっとしているとほどなくし
て、再び受付から声が掛かる。
「タマモさま、ご用意が出来ました。こちらへ」
「あっ、今行きまーす」
 聞こえた声に返事をし、立ち上がったタマモはカウンターへと進む。彼女がカウンタ
ーに到着する前に、受付に誰かの名が呼ばれ、彼女と同じく窓口へと進む気配が背後に
感じられた。
「……では、これが支度金。そしてこちらのメモが『魂喰らい』について今まで集まっ
た情報ですね。ああ、そちらの方にお渡しするものも、情報自体は一緒です」
 そういって差し出された報告書は2枚。きょとんとしつつもその紙の片方をタマモが
つかんだ瞬間。全く同じタイミングで差し出された手が、もう一枚の紙の端をしっかり
と掴む。
「へ?」
 タマモが真横から伸びた手に思わずばっと顔を向けると、そこには同じく、依頼を受
けた少女の方に振り向いた青年の顔があった。かすかに驚いたように見える、それでも
どこか無愛想なその顔にはタマモは見覚えがあると感じた。それも当然、その青年はつ
いさっき彼女を不機嫌にさせたその張本人、アルティスその人だった。
「あ、あんたは……!」
 思わず叫びだしそうになったタマモに対し、あくまで無感動なアルティス。少女の手
に握られた紙に書かれた文字を見て取った青年は自分と同じ事件を追うタマモに、呆れ
たようにかすかに首を振ると、ぼそりと呟く。
「誰かと思ったらさっきの娘か。俺の忠告を聞いてなかったのか? こんな荒事に首を
突っ込んで、命を落としても知らないぞ」
「うるさい! なによえっらそーに! 私はちゃんと領主様から依頼されてるのよ! 
あんたこそね、私の邪魔しないで!」
 勢い込むタマモに、青年は肩をすくめる。
「やれやれ……笑えない冗談だ。ここは子どもの遊び場じゃない。ましてや、その事件
はな。冒険ごっこはよそでやれ」
「な!? 冒険、ごっこですってぇ!?」
 タマモにそう言うと、アルティスは受付嬢からメモを受け取り、つかつかと出口に向
かう。怒りに震えるタマモに視線を向けることなく、そのままギルドを後にした。
「くう〜……やなヤツ! 何よ、いちいち! 同じ剣士でも、優しいととさまと比べた
ら月とすっぽんだわ!」
 タマモは立ち去るアルティスの後姿にあかんべーと舌を出すと、差し出されたもう一
枚の紙をひったくるようにして受け取る。事態についていけず困惑顔の受付嬢に見送ら
れ、不機嫌さも露にギルドの出口をくぐった。

――――――――――――――

 ギルドを後にして半刻ほど後。タマモはにぎやかな街の中心部に背をむけ、昼でも薄
暗い裏路地にやってきていた。わざわざこんな道を通ろうという物好きもそうはいない
のか、人気もなく、建物が日を遮る路地は気のせいか空気も淀んでいるようで、言葉に
出来ない居心地の悪さがある。
「さて、情報によれば、ここが一番新しい事件の現場だね」
 ギルドで貰った報告書をもう一度確かめ、タマモが辺りを見回す。少女は少しでも妖
しい場所が無いかと、油断なくあちこちに視線をさまよわせた。が、ざっと見た感じ特
に変わったところは無い。
 だが、視覚のみでなく周囲の気配をも探っていたタマモは、自らの肌に辺りに漂う暗
い気が触れるのを敏感に感じ取り、顔を曇らせる。言いようの無い妙な感触に、気持ち
悪そうな表情を浮かべた。
「うう……ただでさえ暗くてじめじめしてて、あんまり長居したくない場所かも。それ
にギルドで貰った報告書によると、事件がおきてからすいぶん時間も経ってるはずなの
に、この嫌な気……。まるで鬼門ね。これだけ淀んでれば……通り魔じゃなくても、何
かしらの事件はおこっても不思議じゃない、そんな感じもするね。
……まあそれはそれとして」
 眉根を寄せたタマモがふうと息を吐き、何かを無理やり意識から締め出そうとする。
だがすぐに顔を上げると、彼女から少し離れたところでしゃがみこんで地面を調べる青
年に叫んだ。
「……だからなんであんたがここにいんのよ!! 邪魔しないでって言ったでしょ!!」
 突然タマモが上げた声に、しかし驚いた風もなく顔を上げた青年は、やれやれといっ
た様子で立ち上がる。彼もまた息を一つ吐き出すと、呆れたように自分を睨みつける少
女に振り向いた。
「それはこちらのセリフだ。何度も言っているが、これは子どもの遊びじゃない。怪我
をする前に、さっさと帰れ」
「な、ななな……。こっちも遊びでやってんじゃないのよーっ!」
 彼女なりに真剣に捜査をしているのを遊びと評され、顔を怒りで真っ赤にしたタマモ
が叫ぶ。しかしそんなタマモの激昂にもアルティスは何処吹く風といった感だった。冷
めた目で彼女の様子を一瞥した青年は、やれやれと肩をすくめる。
「……どう見ても子どもの遊びだが。まあいい、忠告はしたぞ」
 アルティスはそう言うと彼女から興味を失ったように視線を外し、もう一度裏路地を
注意深く見回す。しかし、彼はここではもう手がかりが見つからないと判断したのか、
悔しげに唸るタマモには構わず、裏路地から去っていった。

「くー……何よかっこつけて」
 アルティスが去った方向をまだ憮然とした様子で見つめていたタマモの袖を、吹き抜
ける風が揺らす。
「……まあ、いいわ。あんなやつの相手よりも事件を解決することが先決よ。幸い、私
にはまだここでやれることがあるしね」
 軽く首を振って、再び真剣な表情に戻ったタマモは、路地の丁度真ん中に立ち、そっ
と目を閉じる。そして、かすかに得意げな声音で呟いた。
「ふふ、あの男には分からなかったでしょうけど。いくら普段は人通りの少ない道、そ
して通り魔事件の後だからといって、昼間から街中でこんなに気が淀んでいるのはおか
しいわ。きっと、犯人の邪気がまだ残ってるせいに違いない。それを探れば……上手く
すれば何か分かるかも」
 肩から力を抜き、タマモはすっと自然体に立つ。彼女が精神を集中していくと、その
輪郭がぼんやりと発光していく。魔術の心得があるものが傍で見れば、その光から何か
が路地に少しずつ広がっていくような感覚を覚えただろう。だが辺りには人影はなく、
神秘的な銀髪の少女の様子を見つめるものは誰もいなかった。
「…………うぅ、分かっていてもやな感じの気配……」
 タマモが辺りに立ち込める陰の気に眉をしかめた一瞬の後。目を閉じたままの彼女の
眉がピクリと動く。
「……! やっぱり、あった。しかもこんな強くて嫌な気配が残ってるなんて……犯人
は人間じゃないのかも……? でもなんだろ……すごく嫌な邪気には間違いないんだけ
ど、どこか……悲し気な思念が残ってる……?」
 やや困惑したような声が、タマモの口から漏れる。気にはなったが、今は事件解決の
ための手がかりを探すことが第一と考え直し、少女は再び意識を周囲の気配に集中させ
る。
「……あっち……? わずかだけど、邪気がつながっている……」
 かすかに残る気配から犯人の逃走経路の痕跡を掴んだタマモは、目を開けると先ほど
感じた方向に視線を向ける。彼女が顔を向けた先には、街の中心部から逸れ、街外れへ
と向かう細い道が伸びていた。
「……とにかく、行ってみましょうか」
 かすかな胸騒ぎを押し殺し、タマモは追跡を決める。自分自身の言葉に小さく頷き覚
悟を固めると、少女は裏道から漂う気の痕跡を辿って歩き出した。
「…………」
 タマモの位置からは完全な死角になった物陰から、歩き出した少女の姿をこげ茶色の
髪をした一人の青年が見つめていた。ためらいもせずどんどんと路地の奥へと進むタマ
モの姿に彼は溜息を一つ漏らすと、自らもまたそっとその場を後にした。

「どんどんさっきの場所から離れていっちゃう……。建物も人も少ないし、なんだか妙
に寂しくなるね」
 街の中心から随分離れたせいか、タマモが邪気を追って歩みを進めるにつれ、視界に
映る建物の数も減り、まばらになっていく。すれ違う人も先ほどから一人も居らず、誰
にも整備もされずに朽ちかけた道は、どこか物寂しい。それはまるでこの都市の知られ
ざる一面が顔を見せているかのようだった。
「……気の痕はここで終わり、かあ。うーん、やっぱり無駄足だったかなあ?」
 街の周りを囲む石壁と、うち捨てられた廃屋に囲まれて存在する小さな空き地。その
中央で追跡してきた気の痕跡を見失ったタマモは、悔しそうに呟いた。何か妙なものや、
儀式の痕跡でもないかと注意を向けてみるが、特に何も感じられない。
「外れかなぁ……。あの気配はここまで、途切れてはいなかったはずだけど……」
最後にもう一度周囲を見回すと、タマモは溜息をつく。。
「仕方ない、出直しましょ。別の場所で他の手がかりが見つかるかもしれないしね」
 自分に言い聞かせ、彼女が踵を返そうとした瞬間。不意に強い風が吹き、太陽が灰色
の雲に隠れる。
「あれ? 急に曇ってきた。……ッ!? だれっ!? 姿を現しなさい!」
 急な天気の変化に空を見上げ、戸惑ったように呟くタマモの肌に、冷たく刺すような
視線を感じ取る。同時に感じた悪寒に、タマモはその源流、空き地の入り口に鋭い視線
を向けて、鋭く叫んだ。
タマモの声に返事が返るよりも早く、突然辺りを覆うように邪気が湧き上がる。
「な、なに、急に!? こんな強い気……さっきまで、全然気配もなかったのに!?」
 驚きつつも油断なく身構える彼女の眼前で、異様な魔力の気配が起こる。それと共に
空間がぐにゃりと歪み、一瞬の後、空き地の入り口に漆黒の鎧を纏った人物が姿を現し
た。ぼうっと佇むその人影からは、まるで生気が感じられない。
 しかし、その手にはまっすぐな刃を持つ一振りの剣が握られ、刀身の中央には不可思
議な紋様が禍々しい光を放っている。頭部全体を覆う兜のまびさしの中は暗く、いかな
る表情をしているのか窺うこともできなかった。
「まさか、ただの剣士が道に迷ったってわけじゃない……わよね」
 呟いたタマモの声に、漆黒の人影が視線を少女に向けたのが感じられた。それにさっ
きまでの幼く無邪気な様子とはうって変わって、少女も熟練の戦士のような鋭い目で相
対する黒い鎧を見つめる。タマモはじりじりと鎧との間合いを計りながら、静かな声で
自分の目の前に現れた人物に尋ねる。
「……あなたが、『魂喰らい』?」
「…………」
 鎧はタマモの問いかけには答えず、自然な動作でだらりと下げていた剣を構える。彼
女の言葉を聞いた瞬間膨れ上がった殺気に、少女はさらに言葉を重ねた。
「それ、肯定ととるよ?」
 タマモが言葉を発した次の瞬間、鎧姿の通り魔は大地を蹴り、傍目には消えたかと見
まごうほどの神速の踏み込みから、上段に構えた剣を少女に少しの躊躇いもなく振り下
ろした。
「わわっと! あっぶなぁ〜……」
 しかし、その凶刃が少女の体を捕らえるよりも一瞬早く、タマモはその場から飛び退
っていた。むなしく空を切った剣が風を巻き起こし、大地を切り裂く。その速度と威力
に、流石のタマモの背筋にも冷や汗が伝った。しかも、カーライルから聞いた情報や、
被害者の容態から考えると、相手の攻撃は単なる斬撃ではあるまい。不気味に浮かぶ刀
身の紋様といい、おそらくは魔術か呪いの類がかけられた魔法剣。喰らえば斬られるだ
けでなく、何がしかの魔術が発動するはずだ。素人が見ても素手に鎧もないタマモには
圧倒的に不利な相手。『魂喰らい』もそれは理解しているのか、タマモを間合いから逃
がすつもりはないようで、躊躇いなく踏み込み、次々と剣を振るってくる。だが、少女
は恐るべき速度と勢いで繰り出される攻撃を、まるで流れる水の如き軽やかで自然な動
きで避け続ける。
「……力任せの剣は、決して流れる水を断つことはないわ」
 決して超速度でなどは動いていない少女を、しかし『魂喰らい』の剣は捉えられない。
剣先がその肌に触れないぎりぎりの距離を見切り、攻撃を裂けるという、一歩間違えば
命すら危ういその行動にも、少女の表情には焦りも恐怖もない。
「そしてもう一つ、武器ありの自分が有利と、普通は思うんでしょうけどね」
 まるで電光のような突きが『魂喰らい』から繰り出された瞬間、タマモは上体を弓の
ように反らしてその切っ先をかわし、地に手を着くと逆立ちのまま、まるで飛び上がる
ように蹴りを撃ちだした。
「喰らいなさい、『砕月』ッ!」 
 迅雷の動きから放たれた、その名の通り虚空の月をも砕くかのような一撃は、攻撃後
に生まれた一瞬の隙をついて鎧の胴に突き刺さり、『魂喰らい』を大きく吹き飛ばす。
数歩分ほどの距離を舞った鎧は派手な音を立てて地面に激しく叩きつけられた。
「ふう……。武術、特に体術はととさまとかかさまからみっちり仕込まれたからね。こ
のくらいは楽勝楽勝」
 タマモは完全に沈黙した通り魔『魂喰らい』から視線を外し、得意げに微笑む。先ほ
どまで繰り広げられた、達人の域すら超えた攻防はその余韻も残さず、辺りには再び静
けさが戻っている。
「さて、観念したみたいね。じゃあその兜の下の素顔を見せてもらおうかな」
 だが、倒れた相手に一歩踏み出した少女の顔に、突然驚愕と恐怖が表れた。同時に膨
れ上がった強大な邪気に、タマモは無意識のうちに凍りつく。本能が危機を感じ、立ち
すくむ少女の目に、信じられない光景が映った。
「なっ!? 嘘、なんでもう動けるの!?」
 思わず叫ぶタマモの視界には、さっきまでぴくりとも動いていなかった鎧が立ち上が
り、魔剣を構えている姿が映し出されていた。元から相手は人間ではないと悟って、手
加減無しで全力の蹴りを叩き込んだはずで、先ほどの手ごたえから死なないまでも意識
を取り戻すまではまだしばらくかかるはずだ。例え相手が人狼など、人よりも強靭な肉
体を持つものだったとしても、いくらなんでもこの回復速度はありえない。
「…………!!」
 驚愕がタマモの思考を鈍らせた。気付いた時には、相手は瞬間移動並みの踏み込みで
彼女の目前に迫り、禍々しい剣を大上段に振りかぶった所だった。
「くっ! しまっ……」
 何とか飛び退こうとするものの、遅すぎる。直後に自分を襲うであろう衝撃と痛みに
タマモが目を閉じかけた瞬間、不意に間に割って入った人物が、少女の華奢な体を突き
飛ばした。反射的に目を開けた彼女の前で容赦なく振り下ろされた剣はそのまま彼の背
を切り裂き、真っ赤な血しぶきが上がる。
「がはっ!!」
 苦悶の声が彼女の耳を打つ。どこかで聞いた記憶のある響きの声だった。それが誰の
声だったか思いだす余裕も、混乱する彼女にはなかった。めまぐるしく変わる状況に困
惑したまま、タマモは自分をかばった青年の顔を呆然と見つめる。そして目の前の顔に、
すぐに悲鳴にも似た叫びを上げた。
「あ、あんた……アルティスッ!?」
「なに呆けてる!! 逃げろ、バカ!」
 怒鳴った瞬間ぐらりと体が傾き、倒れ伏す青年。さらに追撃を加えようとする鎧に、
倒れこみながらもアルティスは握っていたスローイングダガーを投げつける。『魂喰ら
い』は飛来する刃を高速で斬り払ったが、その衝撃でナイフに仕込まれていた火薬が爆
発を起こし、黒い兜を煙が覆い隠す。流石の相手も至近距離での爆破衝撃は効いたのか、
おおきくよろめいた。はっと我に返ったタマモは、その隙にアルティスを抱えて大きく
跳躍し、相手から十分に間合いを取る。
「……ォォォ……」
視界を奪われ、一瞬彼女達を見失った相手がかすれた声を上げながら、闇雲に剣を振り
回す音がタマモの耳にも聞こえた。風斬る音に焦りながらも、タマモは懐に手を入れる
と、宙に二枚の札を放った。
「式神! おねがい、少しだけ時間をかせいで!」
 少女の言葉に応え、虚空を舞う札が煙に包まれたかと思うと、タマモそっくりの少女
が二人、地に降り立った。タマモの分身である式神は無言で顔を見合わせると、荒れ狂
う鎧へと走る。
 彼女らが時間を稼いでいるうちに、タマモはアルティスをそっと横たえる。手につく
赤く生暖かい液体を見た少女は、顔を引きつらせ思わず彼に怒鳴った。
「う……。な、なんでこんなとこにいるの!? 邪魔しないでって言ったでしょ!!」
 少女が使った高度な術にアルティスは驚いたように目を見開いていたが、切羽詰った
少女の声に、我に返った青年も叫び返した。
「そんなことはどうでもいい!! 多少は魔法が使えるのか知らないが、あんなもんじ
ゃどうしようもないだろ! 死にたいのか! 俺のことはいいから、さっさと逃げろ!」
「うるさい! いきなり突っ込んできて、庇っておきながら自分は見捨てろとかそんな
こと、出来るわけ無いでしょ! 勝手すぎるわよ、私ならあれくらいなんとでもできた
のに!」
「いいから……ぐッ!?」
 なおも叫ぶタマモ。だが彼女の言葉に声を返そうとした瞬間、不意にアルティスの体
からがくんと力が抜ける。
「今度は何、何なの!?」
「な、なんでもない……。へ、平気だから、さっさと行け……」
「なんでもないわけ……はっ、もしかしてあの剣の!?」
 魔剣により命が吸われていることを察し、顔を蒼白にするタマモにアルティスは弱弱
しく微笑んみかける。だが、その額には脂汗が浮かんでおり、彼の受けたダメージの大
きさを物語っていた。
「にげろ……女の、子を。守る、のは……男の、役目、だろ……」
「……! な、なによ、急にそんなこと言わないでよ……! 何よ、い、い、嫌なやつ
のくせに……!」
 それまでとは全く違う青年の言葉にタマモは戸惑い、言葉が詰まる。その様子に、ア
ルティスは小さく笑った。
「はは……なんだ……こうして、みると、意外と……かわいい……な」
「なっ!? ななな!?」
 意外な言葉にぼっと頬を染めたタマモに笑いかけた瞬間、青年は激しく咳き込む。彼
の口から血が跳ね、一粒の血の珠がタマモの頬に当たった。
「ちょ、ちょっとしっかりしてよ!!」
 だが青年は少女に言葉を返さず、体からふっと力が抜ける。タマモが慌てて脈を確か
めると、アルティスはかろうじて生きているようだった。しかし、瀕死の状態には違い
ない。
「……死なせるもんか」
 横たわり苦しげな呼吸を続ける青年を見つめ、ぎゅっと拳を握るとタマモは呟く。離
れた所で式神といまだ戦っている『魂喰らい』に鋭い視線を向けると、敵の攻撃に一体
の式神が切り裂かれ消滅したところだった。
「『魂(たま)の鈴の音 荒ぶる御魂 閃き珠散れ 雪華の如く』!」
 短く詠うと、タマモは全身の気を解き放った。吹き上がる魔力の風に舞う銀髪の間か
ら、銀の獣毛に覆われた狐の耳が姿を現し、スカートのすそからは同じく銀の尻尾が七
本、飛び出す。彼女の変化に伴い、周囲を青白い燐光が舞う。人にあらざるはずの彼女
の姿には、どこか幻想的な美しさがあった。
「すぐに終わらせる!」
 霊格高き「七尾の稲荷」としての本来の姿を露にしたタマモは決意を込めて叫び、
『魂喰らい』へと突撃する。敵の力強い薙ぎ払いで吹き飛ばされた式神の一人が破けた
札に戻るのを一瞬だけ横目で見、タマモは雷の如きとび蹴りを『魂喰らい』に向けて撃
ち出した。
「穿て、『鳴神』!!」
「ガ…………!!」
 神速の蹴りに敵は全く反応できず、タマモの足が相手の頭部を撃ちぬく。そのまま逆
の足でもう一度兜を蹴り、宙を舞ったタマモは間合いを取って着地した。あまりの衝撃
に黒い兜が割れ、その下から敵の素顔が露になる。
「!? これって!?」
 タマモが驚愕に短い言葉を漏らす。その驚きは当然だった。なぜなら兜の下にあった
のは凶悪な通り魔の素顔ではなく、血の涙を流し続ける女の顔だったのだから。美しい
女性の顔にはびっしりと見たことない複雑な文字が描かれ、蒼白な素肌を埋め尽くして
いる。
「………ォォォ……」
 かすかに開かれた女性の口からは、かすれた声が悲痛な響きを持って発せられていた。
その声に耳を澄ませたタマモは、絶望に押しつぶされそうな彼女の心を感じ取る。
「……イタイ……クルシイ……、イヤダ、モウ、コレイジョウ……タスケテ、クルシイ
……タスケテ……」
 その声は助けを求め、叫び続けていた。とめどなく零れる血の涙は決して彼女が望ん
で凶刃を振るっていたのではないことを訴えている。彼女が泣くたびに、顔を埋め尽く
す呪紋が不気味に脈動する。
「あれは、呪縛……それも強力な……!」
 血の気のない頬に、光を失った瞳。一瞥しただけで、鎧の中身は生身ではなく魂だと
分かった。絶望と苦痛に磨り減った声は、女性の死後、随分長いこと囚われていること
をうかがわせる。おそらくあの呪紋を施した誰かが、彼女を無理やり縛って人を襲わせ
ていたのだろう。
「なんてことを……!」
 魂を汚すあまりに非道な行為に、タマモは目の前の敵ではなく、犠牲者となった彼女
をそんな目に遭わせた者に対する激しい怒りを覚えた。そして、悲しげに亡霊剣士を見
つめる。
「どうすれば、あの人を救ってあげられる……?」
 その時、呟くタマモの眼前で魔剣の紋様が一際強く発光する。
「……ゥ、ァァ……!」
次の瞬間、亡霊剣士の体がびくんと震え、彼女は全く意思を感じられない動きで、剣を
構える。
「……なるほど、あの嫌な感じの模様がある剣が、呪術の核なのね。なら壊しちゃえば、
あの人にかけられた呪いも消えるはず」
 倒れた青年ちらりと一度やると、全身に纏った魔力を足と拳に集中し、タマモは身構
える。
「『七尾の稲荷、玉藻』! 参ります!」
「……!!!」
 びりびりと空気を震わせる力を感じ取ったのか、相対する亡霊は声にならない絶叫を
響かせながら、剣をまっすぐに構えると少女へと突撃してきた。それを迎え撃つタマモ
も、足に集中した魔力を爆発させ、心を縛られた哀れな剣士へと跳ぶ。一瞬の間すらな
く、常人では見切ることも出来ない速度で二人は激突した。
「ァァァッ!!」
「……ッ!!」
 少女の顔面へと情けも容赦もなく突き込まれる死の切っ先をぎりぎりまでひきつけ、
最小限の動きでタマモは刃をかわす。しかし、あまりに鋭いその一撃が起こす真空の刃
まではかわしきることが出来ず、銀髪が数本宙を舞い、頬が切れ血がしぶいた。
「……!」
 必殺の一撃を避けられたことに、意思なきはずの亡霊の顔にかすかな驚愕が浮かぶ。
「うぁぁぁっ!!」
 タマモは頬の痛みに顔をしかめながらも裂帛の気合と共に、突き出された剣に魔力を
込めた両の拳を叩き込む。刹那、両者はその動きを止め、辺りに静寂が満ちた。
 直後、ぴしりという小さな音と共に、『魂喰らい』の魔剣に罅が入る。一瞬の後に罅
は刀身全体へと走り、直後ガラスが割れるような乾いた音が響く。それと共に、呪われ
た剣は粉々に砕け散った。同時に剣の内から淡い光がいくつも漏れ出し、宙に舞う破片
と共に虚空へ溶けるように消えていく。
「やった、の……?」
 張り詰めていた緊張の糸が切れ、地にひざを突いたタマモははぁはぁと荒い息をつき
ながら顔を上げる。彼女の視線の先には、魔剣の呪縛から解き放たれ、穏やかな表情を
取り戻した女剣士の顔があった。その鎧も澄んだ銀色へと戻っている。
「……ありがとう……」
「お礼なんていいよ。今度は静かに眠れるといいね。ばいばい、剣士さん」
 見送るタマモの言葉に、安らぎを取り戻した女性の魂は小さく微笑む。いつの間にか
晴れた空から差す陽光に導かれるように、彼女は天へと還っていった。

「はぁっ、はぁっ……アルティス!」
 哀れな魂が安息を得たことに喜ぶ暇もなく、タマモは横たわるアルティスへと駆け寄
った。切羽詰った様子で少女はアルティスの様子を確かめる。既に血は止まっているよ
うではあったが、青年の顔色は蒼白のままだった。不安に顔を曇らせるタマモは、困惑
を隠すことも出来ず、呟く。
「あの剣は壊したのに、何で吸い取られた命が戻らないの……!?」
 いくら傷が塞がっても、体力と生命力が戻らなくては命が危ない。最悪の未来予想図
に、思わずタマモの瞳から涙が零れ落ちた。
「このままじゃ……!」
 アルティスの手をとり、一人青年を見守るタマモの口から、涙声の文句が漏れる。
「ばか、ばか……! 散々偉そうにあんなこと言って、あんたがやられちゃったら意味
無いじゃない! こら、おきなさいよ……!」
 少女の頬を伝った涙が雫となって落ち、目を閉じたままのアルティスの顔に当たり、
はじけた。直後、青年の口が小さく震え、かすかに声が漏れる。
「うっ……うぅ……」
「アルティス!? 気がついた!?」
 驚いて顔を覗き込んだタマモの目の前で、アルティスのまぶたがかすかに開く。
「……なんだ……まだ、いたのか……? 俺、なんて……放って、逃げろと……」
「バカ! 言ったでしょ! 死にそうな人見捨てて逃げるわけないって! いいからし
ゃべらないで!」
 意識が戻ったとはいえ、依然として危険な状態には変わりない。自分を心配そうに見
つめるタマモに、青年はかすれる声で問いかける。
「た、『魂喰らい』は……」
「私が倒したわよ! だから、心配しないの!」
「は……、ウソじゃ、ない……みたい、だな……。
その、耳……そうか、お前、魔物……。
はは……とんだ、足で、まとい……だったのは……俺の……」
「そんなことない!! あなたが助けてくれなかったら、危なかった……。ごめんなさ
い、ひどいことばっかり言って……。ありがとう、命がけでかばってくれて……!
ごめんなさい、ごめんなさい……!」
 自嘲気味に呟く青年に、少女は涙をこぼしながら首を振る。タマモはごしごしと腕で
流れる涙をぬぐうと、その瞳に決意の色を湛え、青年に宣言した。
「……あなたを死なせはしない……。どんなことをしても……!」

「なに……を……!?」
 戸惑いの色を目に浮かべたアルティスに構わず、タマモはその小さなくちびるを青年
のくちびるに触れ合わせる。驚きに目を見開く青年の口内に、少女は自らの舌を入れる
と、唾液を流し込んだ。
「んっ……んちゅ……ぷ……あ……」
 舌が触れ合うたびに、銀髪の少女から傷ついた青年へと熱い何かが注がれていく。制
止しようとするアルティスは、不意に、先ほどまで消えていた全身の感覚が戻ってきた
ことに気付いた。
「ぷぁ……。……これは?」
 口を離し、彼の容態が安定したことを確かめて安堵の表情を浮かべるタマモに、アル
ティスは問いかける。だが少女はそれには答えず、頬を染めた恥ずかしげな顔で、しゅ
るりと自身の上着をはだけさせた。
「お、おい!?」
 突然のタマモの行動に思わず叫んだアルティスだが、不幸なことに体はまだ動かせる
ほどには回復していないようだ。それをいいことにタマモは青年の防具を外し、上着を
脱がせると、厚い胸板にやわらかな胸のふくらみを押し付けてくる。
「……んっ……あっ……!」
 興奮から少女の乳首は既に尖っており、肌がふれあい、擦れるたびに悩ましげな声が
漏れる。目の前の痴態に興奮するよりは混乱しているアルティスはタマモを止めること
も出来ず、ただ彼女にされるがままだった。
「はぁ、はぁ……う、く……」
 少女が与える刺激に無意識のうちに硬くなったモノが、青年のズボンを押し上げる。
動けぬ青年はそれを彼女から隠すことも出来ず、つい、快楽に喘ぎながらも視線を向け
てしまった。
「あっ……や……。ん……? あ、これ……」
 タマモもそれに気付いたらしく、どこか嬉しそうな表情
が一瞬浮かぶ。だが、すぐに首を振って、その欲望を振り払おうとした。
「はぁ……だ、だめ……だめだよぉ……。が、がまんしなくちゃ、くぅ……だめ、なの
にぃ……」
 涙を浮かべながら、彼女は必死に自分を制する。だが、触れ合う肌がもたらす快感と、
耳元で喘ぐ青年の声が、タマモの理性を次第に溶かしていった。
「あぁ……も、もう……、ごめん、ごめんね……」
 謝りながらも、彼女の手がそっと彼の股間に伸びる。
「うぁ……っ!」
「あっ……大きくなってるね……。うれしい」
 布の上からでもはっきりと分かる形を意識した瞬間、一気にタマモの体が熱くなる。
完全に発情してしまったタマモはいそいそと彼のモノを取り出すと、荒い息を繰り返す
青年を上目遣いに見つめる。
「アルトのここ、苦しそう……。いいよ、私が気持ちよくしてあげるね……」
 突然の言葉に驚いたアルティスが答えるよりも早く、少女は彼の股間に顔を近づける
と、口に含んだ。
「んっ……ちゅぷ……れろ、れろ……。やぁ……すっごい……おいしぃ……」
「くっ……う、うぁ……や、やめ……」
 口いっぱいに頬張り、先端をちろちろと舐める舌の感触に、青年から快感のうめきが
漏れる。タマモを止めようとする言葉さえ霞む声を耳にした彼女は喜びを表情に浮かべ
ると、さらに深く彼のモノを咥え込んだ。
「はぷっ、んっ……おっきぃ、よぉ……。もっと、もっとたべたいよぉ……いつでも、
いいから……。いっぱい、だしてぇ……」
 初めての相手のはずなのに、的確に弱点を突き刺激を与えてくるタマモに、青年はう
めきながらも何とか堪えようとする。しかし、止むどころか激しくなる行為に、やがて
青年は耐え切れなくなり、絶頂が近いことを感じた。
「う、くぁ……、も、もう……!」
 小さく叫んだ言葉を聞き、狐の娘は歓喜に目を細める。幼い見た目に似合わず、妖艶
さすら漂うその表情が引き金となったのか、青年はついに限界を迎えた。精液が噴出す
瞬間、タマモは喉の奥までペニスを咥え込む。
「んっ……! んんっ……! ……んくっ……ごく……んくっ……」
 勢いよく迸る精液に、少しだけ苦しそうな顔をしながらも彼女は喉を鳴らして液体を
飲み込んでいった。
「う、うう……。俺は……」
 女の子に奉仕してもらい気持ちよくさせてもらった、といえば男は本来喜ぶものなの
かも知れない。だが、口の端から飲みきれなかった精液を一筋たらしながらも微笑むタ
マモの姿を目にしたとき、アルティスの胸に去来したのは残念ながら罪悪感と敗北感だ
った。
「すまない……」
 謝る彼を優しく見つめながらも、タマモは最後の一滴までを飲み干そうと舌と喉を動
かす。ほどなくして彼がすべてを出し切ると、先ほどの冷たい眠気とは違う、気だるげ
な疲労感が青年の意識を闇へと誘っていった。しかし、彼には恐怖はなかった。これは、
回復のために必要な眠りなのだ。そうぼんやり考えながら、アルティスはまぶたを閉じ
ていく。
「ふぁ……いっぱい、飲んじゃった……。ふふ、おいしかったぁ……。また、いつでも
してあげるから。アルトに、いっぱい御奉仕してあげるね?」
 眠りに落ちる前、どこからか、そんな声が聞こえたような気がした。幻聴であってく
れと祈った瞬間、彼の意識は途切れた。



 時間はアルティスとタマモが「例の行為」を始める前に遡る。
「まさか、『魂喰らい』の痕跡に気付いただけでなく、アレを倒すとはな……。流石は
幼くても七尾、といった所か……」
 タマモたちが戦っていた空き地を見渡せる、街の石壁の上。全身を闇色のマントで覆
い隠した人物が、タマモの繰り出した一撃を見、興味深げに呟く。
「これほど早くアレがやられるとは思わなかったが……。まあいい、誤差の範囲だ。ア
レが集めた生命力は十分な量だ。それに襲われた奴等の意識が戻ったところで、こちら
の意図にまでは気づくまいしな」
 そういって、マントの人物は小さく笑う。だが、すぐにその笑みを消し、もう一度眼
下のタマモたちを見やった。
「しかし、七尾の狐、か……あの娘、あの力は厄介なことになるかもしれん……。何か
手を考えねばならんかも知れぬな……」
 他人に聞かせるでもなく、一人小さく呟くと人影は誰にも知られず虚空に姿を消す。
そこに誰かがいた痕跡など欠片も残らず、後にはただ、吹き渡る風の音だけが響いてい
た。

――――――――――――――

 あれから明けて一日。カーライルの配慮もあって昨日ゆっくり休んだ後、タマモは事
件の報告のために領主の屋敷、執務室へと来ていた。
「なるほど、大体の事情は分かりました。正直、『魂喰らい』を操っていた者のことな
ど気になることはたくさんありますが……とりあえずこの事件は解決、といっていいで
しょう。あなたたちのおかげで、もうこれ以上襲われる者は出ないでしょうし。操られ
ていた彼女も安らかに眠れるでしょう。本当に、お疲れ様でした」
「いいえ、わたしは、自分がやりたいことをやっただけですから」
 領主のねぎらいの言葉に、タマモは恥ずかしそうに首を小さく振る。ソファーに座る
二人の前には、カーライルがこの間、東方から来た獣人の商人から仕入れたという、緑
色の茶が湯気を立てていた。「ギョクロ」という銘柄のそれは、タマモには懐かしさを
感じさせるもので、彼女は湯飲みを手に取るとゆっくりと一口すすり、ほうっと満足げ
な息を吐く。
「そうそう、既に報告がありましたが、犯人の魔剣を壊したためか昏睡状態だった人々
も次第に目を覚ましているようです」
「そうですか、それはよかった……」
 安堵の響きを含むカーライルの言葉に、彼女も同じように呟く。これで、誰一人死ぬ
ことなく事件は解決した。怨霊にされていたあの女性も、黄泉の国でそれを知ったら安
心するだろう。
「ところでタマモさん、あなたを庇ってくれたという青年のことですが」
「あっ、は、はい!」
 話題がアルティスのことになったとたん、タマモの頬がさっと朱に染まる。どれだけ
の言葉よりも雄弁な少女の様子に、カーライルは微笑んだ。
「事後になってしまいましたが。彼もまたこの依頼に協力したということで、私の方か
ら報酬をお支払いします。そう、伝えておいて貰えますか?」
「わ、わかりました。それじゃあ、早速いってきます!」
 領主の提案を聞くやいなや、居ても立ってもいられないとばかりに飛び出したタマモ
のことをカーライルは小さく苦笑しながら見送る。あっという間に街へと続く坂を駆け
下りていく少女の姿に、在りし日の彼女の父親の姿が重なった。
「ふふ、初々しいですね。あの行動力、誰かさんを思い出します。
……事件のことも気になりますが、彼女たちの仲も負けず劣らず気になりますね。人と
魔物なんていうことに関係なく、どうか上手く行ってほしいものです」
 そう言ってカーライルが目を向けた先には、庭園の芝生でサキュバスの母親と遊ぶ無
邪気な双子の姿があった。

――――――――――――――

「……って言う事だって、アルト」
「……そうか」
 それから程なくして。街の中心からやや離れた所に広がる住宅地の一角、ボロの宿舎
の一室にタマモとアルティスの姿があった。ここは冒険者としてこの街にやってきた者
達がよく借りている宿で、彼もその例に漏れずこの部屋を使っている。
 あの『魂喰らい』との戦い直後、いつの間にか部屋を調べたタマモは昨日も当たり前
のように領主の屋敷を飛び出すとまっすぐここにやって来ていた。そして今日も、カー
ライルからの伝言という名目でアルティスに逢いに来ているのであった。
「なんだ。……報酬、嬉しくない?」
「そういうことではないが」
 無愛想に呟くアルティスはベッドの上に身を起こして何かの本を読み、その脇でタマ
モが椅子に腰掛けている。服の下なのでわからないが、彼は背の傷跡に包帯を巻いてい
る。本来なら医療院に入院する所だったのだが、あの後医者の反対を押し切って、彼は
自室に戻り養生しているのだった。流石に病み上がりの相手に家事で無理させるわけに
も行かず、簡単な料理などはタマモが作っている。というか、彼女がそれをここに来る
口実にしている節は否定できない所だったが。今日も、報告にやってきたタマモが作っ
た東方の料理が昼食だった。
「ひとつ、訊いていいか?」
 本を閉じて脇に置いたアルティスがおもむろに口を開く。
「ん? なに?」
 にこにこと笑顔を向ける銀髪の少女に対し、青年はいつも通りの静かな口調で問いか
けた。
「あのとき、俺は死んでおかしくない状態だった。それが、いくら数日の間は安静にし
ていなければいけないとはいえ、こうしてぴんぴんしているのは何故だ? お前が……
あれをしたことと関係あるのか?」
 彼の疑問は当然だった。その言葉にタマモはあのときのことを思い出したのか、頬を
染めると小さく頷く。
「う、うん……」
「教えてもらってもいいか?」
「うん……そうだね、知りたいよね」
 わかった、とタマモは頷くと、少しだけためらったものの、狐の尻尾と耳を表し、ゆ
っくりと話し出す。
「あのね、私が人間じゃないのはもう知ってると思うけど、私の母親は「稲荷」――こ
っちでは単に「妖狐」って呼ばれてるけど――っていう種族なの。それで、私たちの種
族の能力っていうか、特技みたいなものには自分や相手の「気」、つまり精気や魔力み
たいなものを操ったり、相手に流したりできるっていうのがあるのの」
「ふむ……すると……」
 彼女の言葉で、あの行為が何だったのかにおぼろげな察しがついたのか、アルティス
は頷く。タマモもまた、青年に頷き返した。
「うん、あの時あなたは生命力を奪われて、死にそうだったから。私と触れ合うことで、
精気を分けたの。その、上着脱いで、は、裸になったのは……ああやって直接触れた方
が効果があるって……昔かかさまが言ってたから」
「そうか。ならばお前に助けられたことになるな。遅れたが、礼をいう」
「いいよ、最初に助けられたのは私だもん」
「…………」
 あの行為が恥ずかしいのか、それとも最初にとった態度を思い出して決まりが悪くな
ったのか、タマモは頬を染める。少女を一瞥した青年は彼女の態度がどちらの理由によ
るものでもいいのか、特に関心を持った様子もなく、再び本を取った。だが、その目の
奥にはかすかに悔しげな色が灯る。タマモにとっては幸運なことに、目を反らしていた
彼女はそれに気付くことはなかった。
 タマモも彼にそれ以上の言葉をかけることなく、またぼんやりと窓の外を眺める。し
ばしの間、ぱらり、ぱらりとページがめくれる音だけが室内に響いた。
 しばらくして、思い出したように青年が尋ねる。
「ところで、最後のアレも、そのために必要なものだったのか? 途中から、お前の様
子が妙だった気もするのだが」
「え、最後? ……あ」
 最初アルティスの言葉が示すものがわからず、きょとんとしていたタマモだったが、
すぐに何のことか思い当たったようだった。「最後のアレ」とは間違いなく彼女のした
フェラのことだろう。その記憶がよみがえり、タマモは顔を先ほど以上に真っ赤に染め
る。そして俯くと、消え入りそうな声で呟いた。
「ううん、あれは違う……」
「……何?」
「その、ほら。私のしっぽ、七本あるでしょ? でね……私たちは尻尾が多いほど力が
強いんだけど、その分……え、えっちなことも好きで。時々どうしようもなく、したく
なっちゃうの。でね、あの、その……あなたを、か、回復させるために肌を触れ合わせ
てたら……。が、が……がまん、しようとしたんだけど、やっぱりできなくなってきち
ゃって……」
 そう告白する彼女の頬は先ほど以上に真っ赤で、頭から湯気も出そうであった。アル
ティスも流石にこの答えは予想外だったのか、しばしの間をおいてただ一言呟く。
「……そうか」
「う、うん」
 何とはなしに気まずくなった二人の間に、またしばし、沈黙が落ちる。
「あ、あのね? あの、私……あなたのこと……」
 その静寂を破り、不意にタマモが口を開く。だが青年は彼女の方に顔も向けず、静か
に、だが有無を言わさぬ声音で遮った。
「……すまないが、その先に続くであろう言葉に今は応えられない。俺には、やらなく
てはいけないことがあるんだ……」
「そう……、ごめんね。急に変なこと言おうとしたりして」
「…………」
 そうして、二人とも黙り込む。沈黙が支配する部屋でアルティスはただ静かに本を読
むだけであり、そんな彼にタマモは何度か口を開きかけ、閉じるということを繰り返し
ていた。だがその幾度目かにようやく、タマモは小さく言葉を発する。
「ね……アルト。また、来てもいい?」
「……療養の邪魔をしないなら、構わん」
「ありがとう」
 ぶっきらぼうに発せられた彼の承諾の言葉に、タマモは笑顔を浮かべるのだった。

――――――――――――――
第一話 「魂喰の剣、銀色の娘」 おわり

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