銀の狐の英雄募集
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「ん……?」
 不意にぼやけていた目の焦点が合い、アルティスの視界がはっきりした。目に映ったの
はどこかの貴族屋敷のような内装。どうやらその建物の中、自分は丁度長い廊下の真ん中
に立っているらしく、靴の裏を通して足には厚手の絨毯のやわらかい感触が伝わっている。
 自分はいつからここにいるのか、どうしてこんな所にいるのか、記憶がはっきりしない。
左右を見回せば、白く美しい壁に細かな装飾の施された燭台が据え付けられ、蝋燭の火が
静かに揺らめいていた。
「ここ、は……」
 いつかどこかで見たような光景。頭の片隅に残るおぼろげな記憶をたどりながら、彼は
ゆっくりと足を進めていく。
 今がいつなのか、昼なのか夜なのかも判然としない。建物の中には彼以外の姿は見えな
かった。だが、誰かがいる。気配を感じているわけでもないのに、アルティスは何故かそ
う感じた。
「…………」
 長い廊下を彼は無言で歩き続ける。通路の左右には様々な絵や彫刻が置かれ、床には真
紅の絨毯がひかれていた。それは確かに財を尽くし、豪華といえるものであったが、どこ
か見かけばかりに傾注し、貴族らしい気品というものが欠けているように思えた。
 高価そうな調度品の数々に目もくれず、廊下を進むアルティスは廊下の両側に並ぶドア
の一つ、その前で足を止めた。無意識につばを飲み込み、ドアの取っ手を掴む。
 軋んだ音を立てながらそろそろとドアを開けたアルティスは、ゆっくりと室内に足を踏
み入れる。廊下と同じように豪奢な室内の丁度真ん中には丸いテーブルが置かれ、入り口
に背を向けるようにして一人の女性が椅子に腰掛けていた。長い髪が垂れ、華奢な肩が目
に映る。
 瞬間、アルティスの思考は停止した。
「あ、あんたは……」
 呆然と彼は呟く。その声にはいつもの冷静さは無く、かすかに震えていた。
 まるで亡者のように、アルティスはよろよろと女性に近づく。
 彼女は青年の存在に気がついていないのか、先ほどから微動だにしない。しかしアルテ
ィスは全く構うことなく、一歩一歩女性に近づいていく。
 後一歩、あとほんの少し近づけば女性の肩に手が届く。
「……っ」
 無意識に足を止めた彼は、自分でもよく分からない衝動に小さな声を漏らす。何を恐れ
ているのかと首を振り、一つ息を吐くと一歩、足を踏み出した。
 瞬間、不意にアルティスの足元が消失した。同時に身体が奈落の底へと落下するのを感
じる。
「なっ!?」
 あまりに突然の出来事に、パニックを起こしかけた彼の目に映ったのは、どこまでも黒
一色の空間だった。先ほどまで目に映っていた室内の光景などどこにもなく、ただただ闇
が広がっている。その中を、アルティスはどこまでも落ちていった。
 そして闇に落ちながら、彼の意識は急速に遠のいていく。
(ま、まて! 待ってくれ!! お、俺は……、おれは……っ!!)
 心の中で叫びながら、アルティスは手を伸ばす。しかし掴むべきものは見えず、彼は空
しく落ち続ける。焦りと絶望に心を狂わせながらもがくも、彼の心とは裏腹に目の前は暗
さを増し、意識はどんどんと沈んでいく。
「かあ、さ……」
 最後、思わず呟いた言葉すら何者にも届かず、黒い世界へと吸い込まれていった。



「あ……?」
 真夜の自室。アルティスは自分の口から発せられた間抜けな呟きで目を覚ました。目に
映るのは、見慣れた天井。そして何かを掴もうとするかのようにまっすぐに伸ばされた腕
だった。
「夢……か……」
 どこか自嘲的に呟きながら、アルティスは身体を起こす。寝巻きを嫌な汗がぐっしょり
と濡らし、背中に張り付けていた。暗がりの中に目を凝らすと、眠りに着く前と同じ、片
付けもしていない、散らかったままの室内の様子がおぼろに分かった。
 壁際には鞘に入れられたロングソードが立てかけられ、ベッドわきのテーブルには読み
かけの本が無造作に置かれている。冒険者御用達の宿舎、つまりは安宿の一室、いやとい
うほど見慣れた自分の部屋だ。間違ってもどこかの貴族が暮らすような、立派な屋敷など
ではない。
「くそ」
 誰に向けるでもなく悪態をつくと、アルティスはもう一度、布団に包まりベッドに横に
なった。何かを吹っ切ろうとするかのように目を瞑る。
 だが夢とはいえ、先ほどはっきりと脳裏に刻まれた光景は簡単には消えてくれず、目を
閉じるとあの屋敷がまぶたの裏に浮かび上がる。同時に、言い表せない感情がアルティス
の心を乱した。
「ちっ……。俺は、こんな、こんなに……」
 弱かったのか、という言葉をプライドで押し留め、飲み込む。無意識に服の上から触れ
た胸、肌に巻かれた包帯を感じ、青年はつい最近遭遇した事件、そしてその中で出会った
魔物の少女のことを思い浮かべた。
 自分よりもずっと年下でありながら、自分よりもずっと強力な力を持った少女。彼女と
知り合うきっかけになった事件で遭遇した化け物は既に倒されたとはいえ、おそらく自分
ひとりでは手も足も出なかったことだろう。
 その化け物を倒したのは、魔物とはいえ、女の子。そしてそのとき、自分は無様にのび
ていたのだ。
「くそ、くそ……! お、俺は……!」
 無力感と惨めさ、悔しさに彼は唇をかみ締める。
 窓の外からは物音一つしない。大都市とはいえ夜も遅いこの時間、辺りには静けさが満
ち、人々は穏やかな眠りに包まれているのだろう。
 だが、自分に再び穏やかな眠りが訪れるとは、彼はとても思えなかった。

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 『銀の狐の英雄募集』
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第二話「蠢く影、迷える剣士」
 
 さわやかな朝の空気が街中に満ち、明るい空から穏やかな陽光が降り注ぐ。辺りを見回
せば、既に人々は各々の活動を始めていた。様々な格好の人や魔物が通りを行き交い、騒
がしくもにぎやかな音を奏でる。朝市が立っているのか、遠くの方からは威勢のいい商人
の声も聞こえていた。
 大陸の中央から北東に離れた地域とはいえ、その一帯を治めるフリスアリス家の屋敷が
存在する中心都市だけあって、この街の目覚めは早いらしい。既に通りに並ぶ店のいくつ
かは営業中の札を出しており、野菜や果物を籠いっぱいに積んだ馬車が街中を忙しげに駆
け抜けていった。
 たくさんの人や物が行き交う通りを、一人の少女が歩く。年のころは10代前半、まだ
まだ「女の子」といった風で、幼さを感じさせる娘だった。遠い異国、東方風の上着に藍
色のスカートを穿いた格好は、なびく美しい銀色の髪と、内に秘めた元気が漏れ出すよう
に輝くこげ茶色の瞳、そして何より可愛らしくも整った顔と相まって否応無く人目を引く。
 事実、道行く何人かは足を止め、興味深そうに彼女の姿を見つめていた。
「うーん、やっぱり朝の空気は気持ちいいねー」
 街の大通りを歩きながら、少女――タマモは目を細め空を見上げる。かすかに涼しさを
感じさせる風が彼女の頬をなで、銀色の髪を舞わせる。
商店や立派な宿、ギルドが立ち並ぶ町の中心を通り過ぎ、彼女は住宅街へと足を進める。
目指すのはアルティスが暮らす宿。何度も通ったおかげで道はすっかり頭に入っており、
目をつぶっていてもたどり着けそうな気さえする。
 歩きながら、タマモはふとアルティスのことを考える。
「うーん。最初は嫌なやつだと思ったけど……」
 出会いの印象は最悪だった。由緒正しい稲荷の血統に、幼いながらも七尾を持つ自分を
あろうことか子ども扱いし、何度もバカにした(と、彼女は思っていた)。まあ、顔は整
っている方だとは思うが、あの無愛想な態度と性格はとてもじゃないが人から好かれるよ
うなものではないだろう。
「けど……私のこと命がけで庇ってくれたし」
 そう、彼は絶体絶命の危機に陥ったタマモのことを、我が身を顧みず救ってくれた。あ
の時彼がいなかったら、自分は「魂喰らい」の凶刃によって命を落としていたかもしれな
いのだ。こうして暢気に街を歩けるのも、ある意味では彼のおかげといえた。
「だから、アルトのこと好きかって言われると、いや、好きなんだけど……うーん」
 自分の言葉に、タマモは腕を組んで唸る。事件解決後、タマモは勢いに任せてとんでも
ないことを口に出しそうになったが、幸か不幸かその言葉はほかならぬアルティス自身に
よって押し留められていた。その後冷静になって改めて考えてみると、いきなり愛の告白
は早急すぎた様な気もする。自分は誇り高い稲荷一族の一人、いきなりそんなことを言う
のははしたないかもしれない。いや、どう考えても先走りすぎだった。
「まあそれはそれとして。あいつが悪い人じゃないのは、確かなんだよね」
 何度も部屋に押しかけ、最初よりは彼の人となりを知るようになった今では、アルティ
スという人間は、当初感じたような高慢で無愛想な人間ではないとタマモも分かっている。
不器用で無愛想ではあるが、根は他人のことを気にかけることのできる、やさしい男なの
だ。
 それに加えて、当たり前だが、たった二、三度会っただけの者を自分の身を投げ出して
まで救うような真似が出来るほどの勇気を持った男はそうはいないだろう。それだけでも、
彼女が惹かれる理由としては当然かもしれなかった。
「いろんな意味で変わってるんだよねー」
 さらに彼の部屋に行くようになって分かったことだが、アルティスは冒険者などという
ヤクザな職業をやっている人間にしては珍しいくらいの読書家で、なかなか知的な面もあ
る。そのせいなのか、物腰にもどこと無く育ちのよさがあり、細かな動作も洗練されてい
るような気がした。
 今、単純に「アルティスという男を知り合いとして、好きか嫌いか」で問われれば、彼
女はいついかなる場所でも、誰にでも躊躇いなく好きと答えるだろう。
 だが、それが「男女の仲としての好きか」と言われると……自分は「好き」だとは思う。
けれども、タマモがそう想っているからといって、相手もそうであるとは限らない。結局
の所、自分ひとりの片想いに過ぎず、お互いの気持ちを確かめ合ったわけではない現状、
いくら好きだと思っても、タマモの心には晴らせないかすかな不安が漂っているのだった。
 そして、いくら好色といわれる種族である稲荷の彼女でも、流石に真昼間の街中で口に
はしないが、パートナー選びにおいて最も重要と言っても過言ではない「交わり」に関す
ることがある。
「アルトを助けるためにはああするしかなかったけど……やっぱり、その先は我慢するべ
きだったよね」
 あの時は様々な事情から自分が無理やりしてしまったが、彼は自分との行為のことをど
う思っているのだろう。恥ずかしいことだが、齢10と少しの身にして七尾の自分は、夫
となった男との交わり無しで暮らすことなど出来はしないだろう。
 もし、彼が人ならざる身の自分との行為を嫌悪しているのだとしたら。決して結ばれる
ことは出来ない。それはまだ幼いタマモにとって何よりも怖いことでもあった。
「はぁ……。何だかもやもやするなあ。ととさまとかかさまは、こんなときどうしたんだ
ろう」
 考えたところで答えの出ない問題に、タマモは溜息をつく。そうした考えを浮かべ、気
にすること自体が、少なくとも彼女の中では既にアルティスの存在がもはや無視できない
もの、彼無しの未来など考えられないということの証であったが、それに気付き、認める
にはまだ少女は幼すぎるのであった。

 悩みつつも歩き続けるうちに、既にタマモは目的地についていた。顔を上げると、視界
に見慣れた建物が映る。冒険者なんて職の人間、その大半は年中財政難であり、そうした
彼ら御用達の宿というよりは長屋のような集合住宅である建物がここだった。色あせた壁
やら割れたガラスを補修してある窓が並ぶ建物は、お世辞にも立派とは言いがたいもので
あった。
 タマモはそんなぼろい建物を気にも留めず、てくてくと敷地に足を踏み入れる。並んだ
ドアのいくつかを通り過ぎ、彼女の目が目指す場所を捉えた瞬間、その目的地であるアル
ティスの部屋のドアが開く。思わず立ち止まったタマモの前で、室内から目当ての相手が
彼女の目の前に姿を現した。
「アルト」
「ん? ああ……なんだお前か」
 突然自分の名を呼ばれた青年、アルティスはちらと視線を声に向ける。そこにいるのが
タマモだと見て取ると、かすかに張られていた気が、緊張と共にその身体から抜けた。
「あれ? お出かけ?」
 怪我はもう殆ど治っているとはいえ、いまだ本調子ではない彼はここ数日、ずっと家に
こもっているのが常だった。こんな時間から出歩くのは珍しい。
 疑問を浮かべたタマモの表情に、アルティスはいつも通りの調子で言う。
「ああ。この間の報酬も入ったことだし、そろそろこいつを買い換えようと思ってな」
 言葉と共に、彼は腰につけた剣鞘からロングソードを引き抜く。
「ふーん。見ていい?」
「ああ」
 タマモが近づいて剣を受け取り、見る。刀身には細かなひびが入っており、小さな刃こ
ぼれもいくつかあった。剣にはそれほど詳しくないタマモが見ても、その姿は寿命が近い
ことを感じさせた。
「んー。なら、ついていってもいい?」
「別に構わないが」
 剣を返しつつ発せられたタマモの言葉に、特に興味もなさそうなアルティスの声が答え
る。彼は受け取った剣を鞘に収めると、タマモの脇を通り抜け門へと向かった。
「あっ、ちょっと待ってってば〜」
 アルティスの背にタマモの少しばかり焦った声が掛かる。足を止めた彼へと、少女は小
走りに駆け寄る。タマモが追いつくとアルティスは再び歩き出し、二人は並んで宿の門を
くぐった。

「ねえアルト。出歩いたりして、身体は大丈夫なの?」
 住宅街から街の中心へと足を進めている途中、ふとタマモがかすかに心配そうな表情を
浮かべてアルティスの顔を窺う。
「ああ、もう傷は塞がった。ただ、魔剣に受けた傷のせいか、まだ体力は全快とまでは行
かないようだがな」
「そっか……」
 アルティスの答えに、タマモの顔がかすかに曇る。彼の怪我は自分を庇って受けたもの
なのだ。負い目があるのだろう。沈んだ様子の彼女をちらと見た青年は、独り言のように
呟く。
「気にするな。あれは勝手にやったことだ」
「でも……」
 反論しかけた言葉が途切れる。タマモの顔は沈んだままだった。そんな彼女にアルティ
スはぼそりと呟いた。
「それに……その後お前には命を救ってもらったしな。だから、おあいこだ」
 いつも通りのそっけない物言いではあったが、そこには彼女を案じるようなかすかな響
きがあった。
「うん……ありがと」
 その言葉にタマモの表情がわずかながらも和らぐ。少女の顔をちらりと見、アルティス
はやれやれとばかりに首を小さく振った。
 青年と少女が並び、両脇に建物が並ぶ通りを歩く。しばし足を動かすと街の中心部へと
差し掛かった。すれ違う人の数が増え、建物も立派な商店が目立つようになってくる。色
とりどりの看板と、軒先に並ぶ様々な品物が人目を引く。
 そうした店や通りには老若男女、人と魔物、見た目も種族もばらばらな者達の姿があち
こちにあった。この街は古くから人と異種族の交流が盛んで、家族や仲間として人と魔物
とが共に暮らしているケースも多い。
 そのため、街の中に魔物がおり人と談笑するという、知らないものから見ればある種奇
妙極まりない光景にも違和感を感じているものはいないようだった。
 ふと、視線を向けた先。タマモは買い物をする仲のよさそうな親子の姿を見つけた。父
親らしい人間の男性と猫型獣人の女性の間に手を繋がれている猫娘の女の子は、露店の品
物に目を輝かせ、両親にねだっていた。父親と母親はちょっと困ったような表情を浮かべ
ているものの、その顔は明るい。
「何か気になるものでもあったのか?」
 彼女の様子が気になったアルティスが声をかける。我に返ったタマモはちょっとだけ恥
ずかしそうに言った。
「あ、ごめん。ほら、あそこにいる人たちがね、なんかさ、幸せそうでいいなって」
 その言葉にアルティスも視線をタマモと同じ場所に向ける。ちょうど猫の女の子が店員
から包装された品物を受け取るところで、嬉しそうな少女の顔が見えた。父親も母親も、
露店の店員もそんな女の子の姿を暖かく見つめている。
「人と魔物が仲良く出来るって、いいよね」
 同じ光景を見ていたタマモが、ポツリと漏らす。化けた見た目は人と全く変わらないの
で忘れかけていたが、アルティスの隣に立つこの少女は人とは違う生き物、強大な力を持
つ魔物なのだった。それは、以前の事件の時に頭よりも肌で実感している。
「そういえば、お前はいつも人の格好だな。この街なら元の姿でいても構わないんじゃあ
ないのか?」
 ふと疑問に思い、アルティスは問いかける。この街では魔物の姿を見ることは日常茶飯
事であり、誰も狐娘が歩いていたとて気にはしないだろう。多少は好奇の目で見られるか
もしれないが、驚くのは初見の旅人ぐらいなものだ。かくいう自分も初めてこの街に来た
ときには驚いたものだった。
「うん、まあそうなのかもしれないけど。知らない人の前とか、街では人間の姿に化けて
おきなさいって言われて育ったから、なんだか癖になっちゃってて」
「ふむ?」
「ととさまもかかさまも、『寂しいことだけどみんながみんな私たちみたいな魔物のこと
を受け入れてくれるとは限らない』って。無用ないさかいの元になるから、あんまり正体
を言わない方がいいって」
 確かに言われてみればそれも当然かもしれない。世の中には、人よりも強力な力を持つ、
人とは違った者達のことを素直に受け入れてくれる者たちばかりではないのだ。いや、こ
の街の様な例外を除けば、魔の存在を恐れ、拒絶し、排除しようとするものたちの方が一
般的といえるのかもしれない。彼女の父母がそう言い聞かせたことも分かる気がした。
「だから、あんまりみんなでお出かけすることとか無かったから。ちょっと、あの女の子
がうらやましいなって」
 少しだけ寂しそうに呟き、タマモは歩き去る親子を見送る。それから沈みかけた場の空
気を変えるように、わざと明るい調子で口を開いた。
「そうだ、アルトのお父さんとお母さんってどんな人だったの?」
 だが、その言葉にアルティスは答えなかった。
「…………」
「アルト?」
 訝しげにタマモが青年の顔を覗き込む。直後、彼女はびくりと震えた。
 そこにはいつもの無愛想な表情を強張らせたアルティスの姿があった。唇を噛み、隠し
切れない様々な感情がかすかに表に滲み出している。それだけで、彼の触れてはいけない
部分に自分が触れたことが分かった。初めて見る青年のそんな顔に、タマモは失言の愚を
後悔するよりも、敵と対峙する時とは違う、説明できない恐怖を感じる。
 しばらくして、ようやく口を開いた少女は自らの軽率さを呪いながら、青年に謝罪の言
葉を口にした。
「ご、ごめんなさい」
「……いい。気にするな」
 搾り出すように、アルティスは言う。平静を装ってはいたが、その言葉に制御できない
感情――怒りと、悔しさと、悲しみと、そして決意がにじむのをとめることは出来なかっ
たようだ。しかしその感情はタマモに向けられたものではなかったことは、少女にも何と
なく分かった。
 それきりお互いに黙り込み、二人の間に気まずい空気が流れる。少し歩いた所で、アル
ティスは前を向いたまま、唐突に口を開いた。
「お前の両親……」
「え?」
「お前の両親は……お前のことを大事に想ってるんだな。それが……少し羨ましい」
 独り言のように呟き、アルティスは足を速めた。何故彼がそんなことを言うのか、タマ
モには分からなかったが……彼女は言葉の響きに、アルティスの本心がわずかに見えたよ
うに感じていた。
 どうしてそんなことを言うのか、どういう意味なのか問い直したかったが、既に彼の姿
は武器屋の戸をくぐり、店内へと消えていくところだった。
「アルト……」
 何か釈然としないものを胸に残しながらも、タマモも慌てて彼の後を追い、店へと入っ
ていった。

 二人が入った武器店は外見も内装も立派なもので、棚には剣や槍や斧のほか、弓やハン
マーも並べてあった。反対側には立派な全身鎧が飾られている。流石はフリスアリス領の
中心都市、その中心街に店を構えるだけはあった。なかなか繁盛しているらしく、広い店
内には、彼以外に何人かの客の姿もあった。
「ふぇ〜。すごいね」
 店内をきょろきょろと見回しながら、タマモは感嘆の声を漏らす。物珍しそうに陳列棚
の前を行ったりきたりする少女に構わず、アルティスは店奥のカウンターに歩み寄った。
すぐに、店員が出てくる。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用件で?」
「この剣がもう寿命でな。これと同じくらいの長さ、重さでいいのを探している」
 鞘をカウンターに乗せ、アルティスは希望の条件を告げる。剣を受け取った店員が何度
か頷き、二言三言話すのにアルティスも口を開く。しばし交渉が行われ、店員はさらさら
とメモを取ると奥に消えていった。おそらく倉庫へとアルティスの希望に合う剣を取りに
行ったのだろう。
 カウンター前でアルティスが店員の帰りを待っていると、武器防具を眺めるのに飽きた
タマモが近寄ってきた。
「アルト、もう剣買ったの?」
「いや、まだだ。今いくつか取りに行かせてる」
「ふうん」
「それよりお前は何も買わないのか? ついてくると言うものだから、てっきり何か買う
ものがあるのだと思っていたが」
 手に何も持っておらず、店員を呼ぶ様子もないタマモを見、アルティスが問いかける。
「うん、私は別に何も。ほら、私の戦い方、素手だから」
 タマモの言葉に、アルティスは彼女の戦いを思い出す。あの時自分は一部始終を見ては
いなかったが、確かに彼女は格闘やら奇妙な術で戦っていたような記憶がある。なるほど、
それなら剣や槍はいらないだろう。
 そもそも彼女は見た目こそ小さな女の子だが、その実は強力な力を持つ魔物なのだ。人
間の武器などなくても、そこらの戦士以上に戦えるに違いない。
 そんな考えが浮かんだ瞬間、アルティスの胸にほんのわずかな劣等感と悔しさとが浮か
びあがった。
「どうかした?」
「いや……」
 不意に押し黙ってしまったアルティスを不思議そうに見つめるタマモの言葉に、青年は
声を返す。丁度そのとき、店の奥から剣を持った店員が戻ってきた。
「お待たせしました。こちらではいかがでしょう」
「ん、ああ」
 アルティスは剣を受け取り、鞘から引き抜く。柄の長さも、重さも今まで使っていた剣
と変わらなかった。だが、その刀身は傷一つなく銀色に輝いている。しばし握りを確かめ、
手になじませるように軽く振っていたアルティスは、元通り鞘に収めると、それをカウン
ターの上に置いた。
「これでいい」
「まいど、ありがとうございます」
 アルティスは懐から財布を取り出すと、店員に渡す。店員は財布の中から金貨を取り出
し、慎重に数を数える。代金分の金貨を取ると、財布を青年に返し頭を下げた。
「じゃ、帰る?」
「ああ」
 タマモの言葉に頷き返し、二人は武器屋を出ようと、出口に足を向ける。
「ああ!? もう一回言ってみやがれ!」
 突然、店内に男の荒っぽい怒号が響く。タマモとアルティスが目を向けると、そこには
二人の人物がにらみ合う姿があった。一人は筋骨隆々の大男で、腰には体格に見合うだけ
の大剣を下げている。頬傷が目立つその風貌は、冒険者というよりは山賊といった方がぴ
ったりだと思えた。
「聞きたいなら何度でも。そんななまくら刀を『クロム=ヴェインの魔剣』だなんて嘘、
見苦しいからやめろといったのさ」
 そうぴしゃりと言い放ったのは、目の前の大男より頭一つは小さい女だった。薄い紫の
髪に、どこか人形のような表情。黒曜石のように澄んだ瞳。そのうち右目は、黒い眼帯で
隠されていたが、それがいっそう少女の不思議な雰囲気を高めていた。身につけたのは革
でできたトップスとパンツ、グローブというラフな格好である。
 だがなにより目を引くのは、その背に背負った巨大なハンマーだった。大の大人でも一
人では持ち上げられそうにない鉄鎚を、少女は軽々と背負っている。ハンマーは見た目た
だの鉄塊で、おそらく魔法での重量軽減などもされてはいないだろう。それを背負って平
然と立つことが出来るとなると、相当な膂力だ。店の中で始まった揉め事というだけでな
く、少女が巨大武器を背にし、まるで苦にしていない異様さに店内にいた人々の目が集ま
っていた。
「あの、娘……」
「うん、気配が違う。人間じゃないよ。きっとあの眼帯も、魔物としての特徴を隠す偽装
の術がかけられた品なんじゃないかな」
 アルティスの言葉に、タマモも頷く。単純に常識外れの膂力だけをみても、あの娘は並
みの冒険者以上の実力だろう。さらに正体が魔物だとしたら、何か特殊な力を持っていて
もおかしくない。
 だがハンマーを背負う少女と相対する男も頭に血が上っているのか、それとも単純に相
手の力量が見抜けないのか、まったく引くつもりは無いようだ。
 観衆の注目と相手の怒りを気にした風もなく、少女は淡々といえるほどの調子で言葉を
紡ぐ。
「大方適当なことを言って、脅しつつ無理やり高く売りつけようとしたんだろうけど。あ
んまりにもひどい詐欺だったんで、見ちゃいられなかったよ。なまくらとはいえ、それ以
上のボンクラに使われてたんじゃ剣もかわいそうだ」
「小娘が……!! なら、その刃の切れ味、てめぇで味わいな!!」
 少女の言葉に激昂した男が、剣に手をかける。抜き放たれた剣を大上段に振り上げ、男
は目の前の少女に向けて力任せにたたきつけた。白昼の刃傷沙汰に、野次馬の間から悲鳴
が上がった。誰もが直後起こる無残な光景を予想し、息を呑み目を瞑る。
 だが、いつまでたっても少女の悲鳴も、血しぶきが飛び散る音も聞こえなかった。おそ
るおそる目を開けた人々は、自分の目に映った光景に思わず声を上げる。
「やれやれ……。頭も腕もこの程度じゃ、ほんとどうしようもないな」
 呆れたような少女の声が、店内に響く。そこには振り下ろされた剣を持つ腕を片手で掴
んだ少女と、驚愕と恐怖の混じった顔で目の前の人物を見下ろす男の姿があった。
「な、なん……だと……。ば、ばかな」
 男は焦ったように力を込めるが、腕は万力で固定されたようにびくともしない。顔を真
っ赤にし、額に汗を浮かべた男とは対照的に、腕を掴む少女は顔色一つ変えず、涼しい顔
であった。
「バカはそっちだろ。で、まだやる?」
 つまらなそうに呟き、少女は腕を掴む手にかすかに力を込める。それだけで男には自分
の腕がめきりと嫌な音を立てた気がした。男の顔の恐怖が増し、額には嫌な汗が浮き出る。
「もうこんなバカなこと、しない方がいいよ。もしまたこんな恐喝と詐欺やってるのみた
ら……この腕、『もぐ』からね」
 一瞬底冷えのする目で男を睨むと、少女は手を離す。よろよろと後ずさった男は、怯え
た目で少女を見つめ、やがてあたふたと店を飛び出していった。
「やれやれ。これであんなこと、もうしないだろ」
 少女は表情を和らげると、ふうっと息を吐く。同時にカウンターの向こうから、安堵の
表情を浮かべた男が眼帯少女に歩み寄る。どうやら大男に絡まれていたらしい店員が何度
も頭を下げ、礼を言っているようだった。周りで見ていた野次馬達もざまあみろとか、す
げえなあなどと口々に感想を言いつつ、店を出て行く。
 そんな光景――正確には、おそらく魔物らしい少女――を、タマモとアルティスはじっ
と見つめていた。その視線に気付いたのか、少女は眼帯に覆われていない左目を二人に向
ける。
「ん? なにか用?」
 そう言い、少女はタマモ達の方に近づいてくる。目の前まで来た彼女は、タマモを一瞥
するとぴくりと眉を動かした。
「ありゃ、あんた魔物か。しかも小さいのにすげえ魔力だね」
「分かるんですか?」
 驚いて聞き返すタマモに、少女は笑う。
「まあ確かに見た目は人間そっくりだけどね。そんな強い魔力が漏れてるんじゃ丸わかり
さ」
「そういうお前も、人間じゃあないんだろう」
 アルティスの言葉に、眼帯少女は頷く。
「うん、そう。まあ、あたしの方もあれだけのことやってばれないのがおかしいか」
「まあな」
「あはは……最初は放っておこうかとも思ったんだけど、あんまりにもあんまりだったん
でね。一鍛冶師として、剣を詐欺に使われたんじゃ黙っていられなくて」
 そういって彼女は照れくさそうに頭をかく。そしてふと真面目な顔になると、タマモ達
を見回し、何を納得したのか頷く。
「うん、そっちのおちびちゃんはいうまでもなく、にいちゃんもなかなか腕がたちそうだ。
よかったらさ、ちいっとばかり話を聞いてくれないかな」
 顔の前で手をあわせて頼み込む眼帯少女に、二人は顔を見合わせる。少しの間ためらっ
ていたものの、結局は気になった二人は、頷いた。
「ええと、はい」
「とりあえず話を聞くだけだがな」
「ありがと! といっても、ここじゃなんだね。とりあえず場所を変えよっか」
 そういって少女はすたすたと歩き出す。タマモとアルティスは妙なことになったものだ
と思いつつも、その背を追った。

 街の中央通りに店を構える、この街最大の酒場兼宿屋『輝く銀翼亭』。冒険者をはじめ、
人間、魔物を問わず集まるこの店は様々な姿の客で賑わい、色々な意味で有名であった。
その評判は街のものなら当然、いや、この街の住人でなくとも、フリスアリス領に住むも
のなら知らないものはいないというほどである。
 白髪と白いヒゲ面のマスターに3人分の料理を注文したタマモ達一行は、店の隅にある
テーブルに陣取る。ラージマウスのウェイトレスが料理の載った皿を届け、ちょこちょこ
と走り去るのを見送ると眼帯少女は口を開いた。
「自己紹介がまだだったね。あたしはルーテ。鍛冶師……見習いね。魔物なのはもう分か
ってるみたいだけど、種族はサイクロプス」
「サイクロプス? にしてはやけに表情が豊かだな。それに目を隠しているとはいえ、顔
のつくりは人と変わらないように見えるが?」
「おお、にいちゃんよく知ってるね。ま、普通のサイクロプスはみんなおとなしいという
か、無感情なんだけどさ。あたしの場合は親父が変り者でね。影響受けちゃってるのさ」
「お父さん、ですか」
「そう。まあ、山奥に住んでるような偏屈親父よ。んで、顔かたちが魔物っぽく見えない
のは偽装の魔術が掛かってるから。この眼帯の効果ね。外してみよっか」
 そういうと、彼女は眼帯を取り払う。顔が一瞬霞み、眼帯にかけられていた偽装の魔力
が消え去る。腕をのけた下、ルーテの顔には本来二つあるはずの目が、鼻の上、顔の真ん
中に一つしかなかった。額にはいつの間にか、一本角が現れており、耳もぴんと尖ってい
た。
「というわけ。ほら、これなら正真正銘のサイクロプスでしょ?」
 そして再び眼帯をつけると、顔がまた霞む。一瞬の後に彼女は右目を覆い隠し左目を露
にした、人と同じような顔つきになる。
「んで、そっちのおちびちゃんとにいちゃんは?」
 目の前で行われた変装……というよりも変身に少し驚きながらも、タマモも自らの名を
名乗る。
「あ、よろしくお願いします。タマモ=エルフィード、稲荷です」
「アルティス、ただの人間だ。で、話っていうのは?」
「せっかちだね。まあ、別にいいけど」
 あいもかわらずのアルティスの無愛想に、ルーテと名乗ったサイクロプスの眼帯少女は
苦笑する。だが特に気を悪くした風はないようだった。
「話っていうよりかは、まあ頼みごとみたいなものでもあるんだけど。実はあたし、ちょ
っと剣を探していてね」
「剣?」
 思わずアルティスの腰の剣に目をやったタマモに、ルーテは首を振る。
「ああ、剣っていってもそこのにいちゃんの腰にあるようなのでなくて、もっと特別なや
つよ。さっきの武器屋にいたのもその情報集めのためってわけ。この街一番の店なら、何
か噂くらい入ってるんじゃないかと思ってね」
「ふむ、『特別な剣』か。それはつまり……さっきの男が言ってたような『魔剣』とでも
いう類のやつか?」
 アルティスの言葉に、ルーテは頷く。
「そ。あたしが探してるのはまんまその通り。『魔剣』っていっていいような代物。道中
の噂でも、この近くで魔剣を使った事件があったって聞いたし、もしかしたらもしかする
かもな〜って思ったからね。あんたたち、何か知らないかな」
 ルーテの言葉に、タマモとアルティスは顔色をわずかに変える。その様子に目ざとく気
付いたルーテは、料理ののった皿を脇にのけるとテーブルに身を乗り出した。
「ありゃ、いきなりヒット? 何か知ってるみたいだね。聞かせてもらえない?」
「ええっと……」
 あの事件は終わったとはいえ、簡単に話していいものかどうか迷ったタマモは助けを求
めるようにアルティスを見る。その視線を受けた彼は少し考えたあと、頷いた。
「構うまい。口止めされているわけでもなし、どうせ町の情報屋にでも行けば分かること
だしな」
「うん、分かった」
 そうして、タマモは以前自分達が関わることになった事件について語った。「魂喰らい」
と呼ばれる通り魔が人々を襲っていたこと。彼女が持つ魔剣には人の命を吸い取る力があ
ったこと。そして、魔剣を破壊することによりその犯人も消え去ったこと。
 ルーテはタマモが説明をする間、じっと黙って話を聞いていた。一通りタマモが説明を
終えると、ルーテは口を開く。
「確認したいんだけど、タマモちゃん。そいつが持ってた剣は、『漆黒のまっすぐな刀身
を持つ、両刃剣』で間違いない?」
「う、うん。後は刀身に変な紋様が浮いてたけど。多分、呪いかなんかの」
「そう……。じゃあ、やっぱり……」
「やっぱり? それじゃあ、そいつがお前の探していた剣なのか?」
 アルティスの言葉に、ルーテは腕を組んで考え込む。
「多分。実物を見れればよかったけど、話を聞く分でも間違いないと思う」
「あ、でも壊しちゃったけど……」
 気まずそうにタマモが口を開く。例の魔剣はその戦いの際、タマモが呪いに囚われた哀
れな魂を救うために、粉々に砕いていた。
「ああ、そのことならいいのいいの。実を言うとさ、あたしがその剣を探してたってのも、
見つけて壊すためだったから」
「壊すため?」
「どういうことだ? とりあえずきちんと整理してくれ」
「うん、いいよ。まああの魔剣が消滅したなら問題はもう解決してるんだけど。その剣は
さ、元々は私の一族の一人が頼まれて作ったものだったんだよ。依頼主はお金もだけど、
大昔に失われたような鍛冶や魔剣、妖刀作りの極意をも惜しむことなく教えてくれてね。
その代わり最高の剣を作れって。最初は喜んで作ることを引き受けた鍛冶師は夢中になっ
て剣を打っていたのだけど」
「けど?」
「やたら妖しげな材料を使ったり、儀式を行うように言われて、次第にその注文と依頼主
に不審な所を感じるようになってね。依頼を破棄して剣を処分しようとしたんだけど、そ
の前に納品直前の剣が盗まれちゃったってわけ」
「なるほどな。それで、もし悪用されているくらいなら壊そうとして探していたってこと
か」
 アルティスの言葉に、ルーテが頷く。テーブルの上のコップを取り、喉を潤すと彼女は
続けた。
「そういうこと。だから、あの剣がもうなくなってしまったなら、それはそれで。おちび
ちゃん、ありがと。それと……みんな、迷惑かけてごめんなさい」
 それまでのさばさばした様子から一転、顔を引き締め、苦しそうな表情になったルーテ
は真剣な声で謝罪の言葉を口にし、頭を深々と下げる。それを見て慌てたタマモがわたわ
たと手を振った。
「い、いいですよ謝んなくて! もう全部終わりましたし、被害者の人も意識を取り戻し
ましたから。だから、もう顔を上げてください」
「そうだな、そう気にするな」
「……ありがとう」
 しばらくしてようやく顔を上げたルーテに、それまで何かを考えていたアルティスが声
をかける」
「……ひとついいか? あんた、確かさっき剣の製作を依頼したやつがいるといったな。
そいつはどうなったんだ?」
「え、ああ、でもそれも解決してるからいいの。だって剣を壊して、持ち主だった通り魔
は消えたんでしょう? なら、通り魔をやってた依頼主の男ももういないってことで……」
「男?」
 思わず聞き返したタマモに、きょとんとした表情でルーテは言う。
「そう。男。なんだか人間なのかそうでないのかもよく分からない、嫌な気配のやつだっ
た。確かにアイツなら、剣に呪いをかけて人々の魂を狩るなんて狂った真似、してもおか
しくはないだろうね」
 気味悪そうに呟くルーテの言葉を遮り、タマモはポツリと呟く。
「違うわ……『魂喰らい』は、男じゃない……」
「え? 今の……どういうこと?」
 だが、それにタマモは答えることは出来なかった。彼女の頭の中にあの時の光景が浮か
び上がる。自分がこの目で確かに見た、戦った光景ははっきりと思い出せる。剣に囚われ
ていた魂は確かに女性のものだったはずだ。それに、考えてみればわざわざ自分の使う剣
を作らせるようなことをしておいて、魂を縛るような強力な呪いを剣にかけるだろうか。
 タマモが見た「魂喰らい」は、あの哀れな魂は明らかに何者かに操られていた。ならば、
その操り主は?
 急速に嫌な予感が胸の中で大きく膨れ上がっていく。それと同時に、タマモは言い知れ
ぬ恐怖を感じていた。
 それはアルティスも同じだったようで、無愛想な顔をゆがめながら、忌々しそうに呟い
た。
「つまりは、『魂喰らい』を倒したものの……裏にそいつを操っていたやつ、別の黒幕が
いるということか。ならば……事件はいまだに解決していないということになるな」
 その言葉に、ルーテの顔に緊張が走る。誰もが口をつぐみ、一言も発さなかった。だが、
口には出さずとも三人の心には同じ言葉が浮かんでいた。
 まだ終わりではない。その事実が重苦しく、彼らの上にのしかかった。

――――――――――――――

 その後、とりあえず次の行動を話し合ったタマモ達は手持ちの情報を少しでも増やすた
め、手がかりを求めて以前に魂喰らいと戦った空き地に再びやってきていた。にぎやかな
街の中心から離れたここは相変わらず人気がなく、石壁と、うち捨てられた廃屋だけが周
囲を取り囲んでいる。
「ここが、その通り魔と戦ったって場所?」
 ルーテの言葉に、二人は頷く。ルーテは腰に手を当てて、人どころか生き物の姿すらな
い空き地を見回した。その光景は、どことなく死した世界を想像させる。隣では腰につけ
た剣の柄を握ったままのアルティスが、同じく辺りに油断無く目を光らせている。
 しばし辺りを調べてみるものの、何か変わったところは見受けられない。アルティスは
誰に言うでもなく、つまらなそうに呟いた。
「とりあえず来てみたが、特におかしな所は見受けられないようだな」
「うー、何度きても嫌な気配」
 気配に敏感なタマモが、ぶるぶると身体を振るわせる。空気と一緒に嫌な気配が肌にま
とわり付くような錯覚を無理やり追い出すと、彼女は空き地の中央に進み、地面の一転を
指し示す。
「ここ。ここが、魂喰らいが消えた場所。……でも、今はもう何も残っていないけど」
 確かに、タマモが指差した地面には既に何の痕跡も残っていなかった。いくら人が立ち
入らない場所とはいえ、あれから何日も経っている。地に刻まれた足跡や戦いの跡、さら
には魂喰らいやタマモ自身の魔力の残滓ももうすっかり消え去ってしまっていた。
「来るだけ来てみたが……無駄足だったか」
「うーん、かなあ」
「かもしれないね」
 剣の柄から手を離し、幾分緊張を解いたアルティスの声にタマモとルーテも頷く。あま
り期待はしていなかったが、もしかしたら、と思っていたのも事実だった。手がかりを得
るどころか次の目的地も失い、タマモ達は知らず肩を落とす。
「うーん、ここにいてもどうしようもないか。どうする? 冒険者ギルドにでも行ってみ
る?」
「だが、『魂喰らい事件』についてはともかく、黒幕らしき存在について知ってるのは俺
たちくらいだしな。ギルドにどれだけの情報があるか」
「そうだよね。後は何か手がかりになりそうな話がないか聞きに自警団の詰所に行くとか
……領主様に相談してみる、とか?」
「それぐらいだろうね」
「ああ」
 タマモの言葉に、他の二人も頷く。この手の情報、それもガセや根も葉もない噂でなく、
それなりに信憑性があるものが得られそうな場所といえば、ギルドか、自警団詰め所、領
主の館辺りだろう。
「じゃあ、まずは手近なギルドに行ってみましょ……ッ!?」
 歩き出そうとしたタマモが足を止め、突然、空き地の入り口に鋭い視線を向ける。彼女
はそれまでの人の姿の偽装を止め、銀色の毛に包まれた獣の耳と、同じく銀の七本尻尾を
露にする。
「なんだ? どうした?」
「おちびちゃん?」
 急に戦闘態勢に入り、緊張した面持ちで空き地入り口の空間、何もない場所を凝視する
少女に戸惑った二人が声をかける。だが、タマモはその言葉に返事をせず、鋭く虚空を睨
みつけていた。
 タマモの表情には、いつになく焦燥とかすかな恐怖さえにじみ出ている。それは幼いな
がらも確かな実力を持つ彼女らしからぬ表情といえた。
「……やばそう、ね」
「ああ」
 事態をいまいちよく飲み込めていない二人も、冒険者としての経験と勘から、直感的に
まずいことになっているのだと察した。ルーテは背負ったハンマーを構え、アルティスは
剣を抜く。
「……来るわ」
 緊張をはらんだまま、タマモが口を開く。その言葉に応えたのか、音もなく虚空から影
が滑り落ちるように、漆黒のマントを纏った人物が姿を現した。白髪を後ろに撫でつけ、
口ひげを蓄えた男はゆったりとした動作で地に降り立つ。顔には年齢を感じさせる皺が刻
まれていたが、その瞳だけは老人とは思えないほどの強い光を宿していた。
「気付かれたか。いやいや、君たちがこのままこの場を去ってくれたならありがたかった
のだがね」
 初老の紳士を連想させる、低いながらもどこか品のある声。だが、どこか聞くものを不
安にさせるような、暗い気配を伴っている。
 タマモは緊張を含んだ固い声で、男に答えた。
「……急に嫌な気が濃くなったからね。魔力を上手く隠そうと、あんたみたいな嫌な気が
いるだけで、場は影響を受けるのよ」
「ふむ、気配、か。流石は七尾。その辺の冒険者とは比べ物にならないほど、感覚は鋭い
ということかね」
 紳士はタマモの尻尾を一瞥すると、感心したように言う。
 緊張したまま、戦闘態勢を崩さないタマモの様子をちらりと見た男は傍らのアルティス、
ルーテへと視線を移す。
 そこではじめて気がついたかのように、男はわずかに意外そうな声を上げた。
「ああ、君もいたのかね。ルーテ=ヴェイン。分からなくても無理はない。思えばきちん
と顔を見せたことも無かったからね。最後に会ったのはいつだったかな? 依頼完了の報
告は君から直接聞きたかったのだがね」
「き、貴様……!」
 その言葉に、ルーテの顔色が変わる。仇を見るかのような、もはや凶悪ともいえるほど
の光を単眼に宿し、男をにらみつけた。
 だがそれにまるで構わず、男は続ける。
「君の腕は、君が作ったあの剣は実に素晴らしかったよ。その腕はもしかしたら両親より
も。惜しむらくは例の剣がもう破壊されてしまったことだがね。何、心配することはない、
十分に役割は果たしてくれたよ。君も誇らしかろう? 自分の手がけた魔剣が、素晴らし
い出来だったことは」
「だ、黙れ!」
 そのやり取りで、タマモ達にも分かった。「魂喰らい」の魔剣を作ったのは、サイクロ
プスの一族の誰かではなく、ルーテ自身だったのだ。だからこそ、歳若い身でたった一人、
旅をしてまで探し続けていたのだろう。
 そして、彼女に剣の製作を依頼したのが目の前の人物なら、それはすなわち。
「お前が事件の黒幕、ということか?」
 アルティスの言葉に、初老の男は頷く。
「黒幕とはひどい言われようだな。まあ、否定は出来ないがね」
 あっさりと認められる。だが、それは開き直りや自棄ではなかった。別に知られた所で
構わない、そんなある種の余裕すら感じられる。
「なら、あんたを倒せば、こんどこそ事件は解決よね」
 全身に力をみなぎらせ、いつでも飛びかかれるように軽くひざを沈めたタマモに、男は
余裕の表情を崩さず、答える。
「それは困るな。私には私の目的があるのでね。ふむ、これ以上あれこれ嗅ぎまわられて
うろちょろされるのも面倒だ。君たちにはここで消えてもらうのがよさそうだな」
 その声はごくあっさりと発せられたもので、まるで殺気というものがなかった。だがか
えって、その何でもない響きに不気味なものを感じたタマモは、無意識のうちに身体が震
えた。
 ぱちんと男が指を鳴らす。すると、先ほど男が現れたときと同じように、音もなく虚空
に無数の穴が開く。タマモたちを取り囲むように浮かんだゲートからは、死の臭いがはっ
きりと漂って来ていた。
 そしてその穴の中から、鎧兜を身につけ、剣や槍、盾を手に持った人影がひたひたと生
気のない足取りで歩み出てくる。いや、生気が無いのは当然であった。兜や鎧の隙間から
覗く顔身体には、肉が付いておらず、不気味な白骨を晒していたのだから。
「スケルトンファイターか。男性型ということは、魔物ではなくあの男の術で作り出され
たものだな」
「ほう、博識だね」
 男の感嘆に、アルティスは顔をゆがめる。
「ちっ、魔剣に人の魂を狩らせていたような趣味の悪いやつに褒められたくはない」
 アルティスが悪態をつく間にも、スケルトンは数を増していく。
「……3人相手なら、まあ、まずはこれくらいでよかろう」
 タマモ達を30体ほどのスケルトンが取り囲むと、男は呟く。虚空の穴が消え、がちゃ
がちゃと音を鳴らしながら、骨を露にした戦士らは武器を構えた。落ち窪んだ頭蓋骨の眼
窩には、深い闇だけが存在している。
「それでは、短い間だったがお別れだ」
 まるで友人への別れの挨拶のように、男が言う。その言葉を合図に、タマモ達を取り囲
んだスケルトンは、少女達に襲い掛かった。
「みんな、気をつけて!」
 剣を手に斬りかかってきた先頭のスケルトンを蹴り飛ばしながら、タマモが叫ぶ。武器
を構えていたアルティスとルーテも小さく頷き、向かってくる敵を迎撃する。
 スケルトンは数こそ多いものの、以前戦った「魂喰らい」に比べれば動きは遅い。自分
を含めたここにいる面子の力なら、そうそう不覚を取ることは無いだろう。
 タマモ達は背中を預けるようにかたまり、手近な敵を相手にする。大きく振り下ろされ
た剣をかわすと同時に、タマモは反撃を繰り出した。
「せいっ!」 
 胴に入った蹴りでよろめいた所に、間髪いれずに追撃。兜ごと頭を吹き飛ばされたスケ
ルトンは、その場に崩れ落ちる。
 視界の端では、振りぬかれたアルティスの剣に一体のスケルトンが袈裟斬りに切り裂か
れ、ルーテのハンマーが別のスケルトンをぐしゃりと叩き潰している所が見えた。
「やった?」
「いやいや、あまいな」
 タマモの言葉に、男が応える。はっとして倒れたスケルトンを見ると、まるで見えない
糸に引っ張られるかのように頭が胴体へと戻り、くっついた。そして、よろよろと立ち上
がる。アルティスとルーテが倒した相手も同じだった。飛ばされた首が、砕かれた骨が元
通りに復元し、武器を手に立ち上がる。
「下級とはいえ、スケルトンも不死者だ。首を飛ばしたくらいでは『死なない』よ」
「ち、厄介な」
「しつこいのは嫌いなのよね」
 かすかに焦りを浮かべながら、アルティスとルーテは再び向かってきた相手に攻撃を繰
り出す。スケルトンはその一撃であっさりと倒れるが、すぐさま自動復元が始まる。
「さてどうするね? 君たちはいつまで踊り続けられるのかね?」
 面白そうに男が言う間にも、スケルトンが2体、タマモに向けて手に持った槍を突き出
す。
「くうっ!」
 タマモは突き出された槍の柄を握って飛び上がると、宙返りの勢いを利用した踵落とし
をスケルトンの脳天に見舞う。頭蓋骨を砕かれ不死者は地に伏すものの、すぐに砕けた破
片が集まり、再生を始める。
「ならっ! これはどう!?」
 小柄な身体の周囲に狐火を漂わせ、起き上がりかけたスケルトンに向かって、タマモは
手を突き出す。火球は一直線に飛び、スケルトンに着弾、爆発する。それだけで終わらず、
魔性を帯びた炎が敵の身体を包み込み、火柱を上げた。
「ほう」
 その威力に、男の口から感嘆の響きが漏れる。一瞬の後、炎が消え去った後には炭化し
た骨と、黒ずんだ武器や鎧の残骸だけが落ちていた。流石に焼かれてしまっては不死者と
いえど再生できないらしい。
 焼き尽くされた骨が再び動き出さないのを確認して、タマモが叫ぶ。
「こいつら炎に弱いみたい! わたしの術でなんとかするわ! アルト! ルーテ! 少
しだけ持ちこたえて!」
「わかった」
「なるべく早くしてよね!」
 頷き、タマモ達は陣形を変える。中央のタマモを守るようにアルトとルーテが位置を取
り、近づくスケルトンを斬り、叩き潰す。無論それでスケルトンが活動不能になるわけで
はないが、完全に守りに入ったアルティスたちの壁を抜くことは、スケルトンの軍勢にも
そう簡単には出来ないようだった。
 彼らに守られながら、タマモは目を閉じ、呼吸を整える。すうっと息を大きく吸い込み、
ゆっくりと、囁くように呪詞を唱え始める。
「――――――――――――」
 東方の言霊なのか、いや、それとも人の知る、人の理解できる言葉ではないのか、タマ
モの口から響く音、その意味はアルティスには分からなかった。
 それでも。その響きが確かな力を持っていることだけは分かった。彼女の口から音が漏
れるたびに、その身に纏った力が強まっていく。七本の美しい銀の尻尾がざわざわと逆立
ち、周囲に浮かぶ狐火はその輝きを増し、陽炎の如く景色をゆがめた。
「ふむ、それはいささかまずいな」
 タマモの行おうとしていることを察したのか、男がわずかに眉をしかめる。その言葉で
不死者たちはタマモの詠唱を止めるべく標的を少女にかえた。
「させないっての」
 だが、タマモに襲い掛かろうとしたスケルトンはすぐさまアルティスとルーテに吹き飛
ばされる。吹き飛ばされた一体は背後に控えていたスケルトンにぶつかり、隊列を乱すも
ののすぐさま武器を構え、再びタマモに押し寄せる。
「まずいな……このままでは」
「くっ、このお!」
 いくら守りに集中しているとはいえ、流石の彼らもじりじりと押され始めた。いくら彼
らの腕がスケルトンより上とはいえ、彼我の数の差が大きいのだ。アルティスが珍しく、
焦ったように問いかける。
「まだか!?」
 その言葉とほぼ同時、詠唱が完成し目を開いたタマモは、二人に叫ぶ。
「できた! 二人とも、どいてっ!」
 タマモの叫びに素早く反応し、アルティスたちは彼女が左右に大きく突き出した両腕、
その斜線上から飛び退く。
「焼き尽くせ!」
 たった一言、その情けも容赦もない言葉と共に、彼女の両の手のひらから小さな火の玉
が飛び出す。先ほどスケルトンの一体を焼いた火球よりも小さな火の玉はしかし、まっす
ぐ飛んで彼女らを取り囲む一団に飛び込むと、天まで届くような巨大な炎を上げた。その
まま火柱は左右へと走り、炎の壁となってスケルトンの一団を飲み込んでいく。
「くっ……!」
「あっちち」
 空気を焦がす熱に、アルティスたちは思わず顔を覆う。しかし彼らを丸く取り囲むよう
に位置する敵に沿って燃える炎はほんの一瞬で消え、後には欠片すら残さずすべてが燃え
尽きた光景が広がっていた。鼻につく臭いと、黒く焦げ、ぶすぶすと煙を上げる地面がそ
の威力を物語る。
「ふう……なんとかなったかな……」
 大技で力を使い果たしたのか、タマモがぺたりと座り込む。
「うわー……こりゃすごいわね。おちびちゃんの力は想像以上かも」
 その隣では、一瞬前まで絶体絶命であった状況を一発でひっくり返した少女の術に対し
てルーテが素直に驚きを表していた。
「……」
 しかし、アルティスの表情はどこか浮かない。自分では結局、あの状況を打破すること
は出来なかった。いつも肝心なところでは何も出来ないという無力感が、ひどく心を苛む。
そしてそんなことを考えてしまう自分が、ひどく嫌なものに感じられるのだった。
「アルト、大丈夫?」
「……あ、ああ。なんでもない」
 押し黙ってしまった青年を案じるように、タマモが声をかける。その声で我に返ったア
ルティスは首を振ると、タマモ達の方に歩き出した。
 瞬間、まるで氷を背中に入れられたような悪寒が青年の全身を通り抜ける。
「っ!?」
 頭がそれを理解するよりも早く、彼はタマモの前に飛び出すと剣を構える。刹那、アル
ティスは高速で飛来した光の矢を殆ど反射的に剣で受けた。
 腕に痺れるような衝撃。耳障りな音と共に、手に持った剣の刀身が砕ける。
「ぐぅっ……!」
「アルトっ!?」
 殆ど悲鳴のような声をタマモが上げる。大丈夫だ、と言おうとしたアルティスだったが、
目の前の光景に思わず言葉を失った。
「ふむ、外したか。とりあえずはその剣士君を見事、と褒めておくべきだろうね」
 そこには黒いマントを纏った初老の男が立っていた。先ほどタマモが放った爆炎にスケ
ルトンもろとも巻き込まれたはずの男が。なのにそのマントには焦げ後一つついておらず、
先ほどまでと全く同じ姿で、ほんの少しだけ驚いたような表情を浮かべている。
「うそ……」
「ば、ばかな……無傷、だと?」
 ルーテとアルティスが、はっきりと恐怖をにじませて呟く。
 そんじょそこらの魔術師でも扱えないような炎の魔法を受けたはずなのに、実際にあれ
だけいたスケルトンは全部焼き尽くされたはずなのに、かわしたのか防いだのか、この男
はまるでダメージを受けていない。
 そんな相手にどうやって勝てばいいのか、いやそもそもどうやって戦えばいいのか、ま
るで考えが浮かばない。
 男は恐怖に凍りついたような彼女らに構わず、考え込みながら独り言を呟く。
「あれほどの力……放っておいては後々面倒かもしれないな。しかしむざむざ消してしま
うのも惜しい。上手く手に入れられれば、私の目的も……」
 そう言って、男の目がタマモを捉える。どこか貪欲な色を浮かべたその瞳に、思わずタ
マモは身震いした。その彼女を庇うように、ルーテが前に出る。
「にいちゃん、おちびちゃん! ここは任せて逃げなさい!」
 叫ぶと共に駆け出したルーテが、ハンマーを振りかぶる。だが彼女が目の前に迫っても
男は平然としたままだ。その口から、興味の欠片も感じていない言葉が漏れる。
「つまらない邪魔をしないでくれないかね、ルーテ。君の役割はもう終わったのだ。出番
の終わった役者は、退場したまえ」
 そう言い、軽く手を振っただけで男は光の弾丸を生み出す。至近距離から打ち出された
それを避ける術はルーテになく、彼女は攻撃をまともに喰らってハンマーを手放しながら
大きく吹っ飛んだ。石壁に打ち付けられ、胸の中の空気がたたき出される。
「ぐ、はっ……!」
「ルーテっ!?」
 タマモが悲鳴を上げる。吹き飛ばされたルーテは気を失っているものの、かろうじて息
はしているようだった。かすかな安堵を覚えたタマモだったが、男が地を踏むじゃりとい
う音を聞いて、恐怖と絶望が高まった。
 だが、その視界が不意にふさがれる。それは、いつの間にか見慣れた、無愛想な青年の
背中だった。折れた剣を握り構えて、無言で男からタマモを庇っている。
「何の真似かね?」
 理解できないといった風に、男が声をかける。
「一応……仲間なんでね」
「……!」
 ぶっきらぼうに、だが確かに自分のことを「仲間」といった青年に、タマモは驚きより
も不思議な嬉しさを感じていた。無愛想な彼が、魔物である自分のことを仲間と思ってく
れていたのだ。それだけで、彼女は泣きたくなるくらいに嬉しくなってしまった。
 そんな彼を、ややいらだたしげに男は睨む。
「何をバカなことを……。君には興味はないのだ、今なら見逃してやろう。無駄にしゃし
ゃり出て死んではつまらないだろう?」
「うるさい……勝手に決めるな。これ以上何も出来ないのはうんざりなんだよ」
 その言葉に、男は無言で腕を振る。その動きで生み出された、先ほどルーテに放ったも
のと同じような光弾が彼を襲った。
「がっ!!」
 とっさに剣を盾にしようとしたものの、勢いを殺しきれず、折れた剣を砕きながら弾丸
は彼の身体にめり込む。しかしアルティスは口から血を吐きながらも、踏みとどまった。
「その精神力は賞賛に値するが……愚かだな。次は死ぬぞ」
「あ、アルト……い、いいよ……もういいから、逃げて……」
 タマモは自分を庇うように立つアルティスの背にすがりつき、震える声で呼びかける。
だがそれに顔を向けもせず、アルティスは吐き捨てるように叫んだ。
「うるさい! 言ったろ! 守られてばかりなんて、何も出来ないで見てるだけなんて、
もううんざりなんだよ!」
 いつも冷静な青年の叫びに、タマモはびくりと震える。その怒りとも、悲しみともつか
ないような、どちらとも感じられるような青年の叫びに、本心の響きを感じ取ったタマモ
はうつむき、黙る。
 ほんの少しの間、タマモは逡巡していた。だが、すぐに顔を上げると、口を開く。
「わかった……。なら、もう止めない。あなたに任せる。でも……わたしも何も出来ない
のはいや。ただ、守られて見てるだけなのはいや」
 囁きながら、タマモはアルティスの頭に腕を回す。
「おい……なにを」
 戸惑うアルティスに構わず、タマモは続ける。
「だから、今のわたしに出来ることをする。あなたは嫌かもしれないけれど……ごめんね」
 そういって、戸惑いながら振り向いた青年の頬に手をあて、タマモは口付けを交わす。
「んむ……っ!?」
 突然の行動に目を見開いたアルティスに構わず、タマモは深く舌を差込み、その口内を
舐める。それは時間にしてはほんのわずかのことだった。すぐに顔を離したタマモの身体
から力が抜け、青年の背にもたれかかる。
「お、おい!? 大丈夫か?」
 敵を目の前にしているため、振り向くことも出来ず声だけしかかけられない青年に、少
女は弱弱しく答える。
「へ、平気……。残ったわたしの魔力を、あなたに分けただけだから……」
「魔力?」
 そう呟いた瞬間、アルティスの身体から先ほどのタマモと同じように魔力が陽炎となっ
て立ち上り、全身に力がみなぎる。
「その力を……集めて、あいつに……」
 そこまで言って、彼女の言葉が途切れる。どうやら力を使い果たし、気を失ったらしい。
身体を支えられなくなった彼女の体重がアルティスに掛かる。だが、彼は気にも留めなか
った。今は、それよりもやることがある。
 タマモの言葉に頷き、手に持った剣に力を集中するようにイメージを固める。既に根元
から折れた剣に魔力が集まり、新たな刀身を形作るように刃を成した。アルティスは輝く
魔力の剣を構え、マントの男を見据える。その瞬間、それまで余裕の笑みを崩さなかった
男の表情に初めてかすかな焦りが浮かんだ。
「く……そのような付け焼刃で!」
 男はアルティスに向け、先ほどまでとは比べ物にならない大きさの魔弾を放つ。弱った
タマモを背負い庇った状態のアルティスには避けられないだろう。そしてもちろん、喰ら
えば吹っ飛ばされるとかそういう次元の被害では済むはずもない。
 はっきり言えば、死ぬ。
 しかし、それが分かっていてもアルティスの心には恐怖は浮かばなかった。ただ手にし
た剣を、タマモの残りの全魔力が込められた剣を、思いっきり振りぬく。男にはまるで届
かない距離で振られた剣からはしかし、大気を、空間を裂くような閃光が迸った。
 そのまま一文字に延びる剣閃は、男が放った魔弾とぶつかる。だが、衝突した瞬間、紙
を裂くようにあっさりと剣閃は弾丸を切り裂いた。
「なに!?」
 驚愕の声を男が上げる。だがそこまでだった。魔法を切り裂きながらも全く勢いを衰え
させない閃光が、一瞬の間もなく男の身体を両断した。
「――――ッ!!」
 声にならない断末魔が、男の口から漏れる。二つに分かれた身体が地面に落ち、やがて
現れたときと同じように音もなく虚空に消え去っていく。
「今度こそ、やった、か……」
 敵が完全に消滅したのを見、忌々しそうに呟いたアルティスの手から、刃を失い柄だけ
になった剣が落ちる。それとほぼ同時に、青年も意識を失い、地に倒れこんだ。

――――――――――――――

「う……ん……」
 自分の口が発した響きが耳に届き、タマモの意識はゆっくりと覚醒した。身体に感じる
のは、柔らかな布団の感触。目を開けると、そこには見慣れた天井があった。フリスアリ
ス家の離れの一室。自分の部屋として割り振られた場所だ。窓からは明るい日の光が差し
込んでいる。
「お、気がついた?」
 目覚めた自分に気付いたらしい、女の声がする。タマモが顔をそちらに向けると、体の
あちこちに包帯を巻いたルーテが椅子に座っていた。
「ルーテ……無事だったのね」
 タマモが安堵の息を漏らす。傷だらけではあったが、ルーテの顔を見る分には元気そう
だった。
「ああ、おかげさんで。その様子だともうここがどこかは分かってるみたいだけど、領主
の屋敷、おちびちゃんの部屋ね。あの後、空き地でぶっ倒れてたあたしたちを見つけた自
警団の人がここまで運んで、手当てしてくれたってわけ」
「そうだったんですか……」
「あと、話を聞いただけだけど、あの黒マントの男の死体は見つからなかったって。あの
にいちゃんの話だと、真っ二つになったっていうから、死んだとは思うけど。あたしも気
絶してたから、見てはいないんだけどね」
 ルーテの説明で、記憶が蘇り、タマモは不意に姿の見えない青年のことを思い出す。
「そうだ、アルトは? ……っ!」
「ああ、ほら! 無茶しないの。おちびちゃんは力を使い切って、丸一日眠ってたんだか
らね。まだゆっくり休んでないとダメだってば」
 思わず身体を起こそうとしたタマモは身体に走った痛みに顔をしかめる。ルーテが慌て
て駆け寄り、その身体をそっとベッドに横たえた。
「あのにいちゃんなら、心配しなくても無事だよ。まあ、骨にひびが入ってたみたいだけ
ど、領主のとこの倉庫にあった霊薬で治るってさ」
「そうですか、よかった……」
 タマモの顔から緊張が抜ける。それを見たルーテは単眼を楽しそうに細め、タマモを見
やった。
「ありゃりゃ、あたしを見たときより安心してるよ。なんだかそこまで差が付くと複雑な
気分になるねえ」
「っ! ち、ちがいます! 別にこれはそういう意味じゃ!?」
「あら、あたしは何も言ってないけど? 『そういう意味』ってどういうことなのかな?」
「ああ、もうそういうんじゃなくって! これは、その、あの!」
 顔を真っ赤にしてわたわたと慌てるタマモを見つめてルーテは笑う。だが、少しだけ真
面目な顔を作ると、彼女は言った。
「まあ、自分の気持ちを表すのは恥ずかしくて、怖いことだけどね。でもあーいうのには、
きちんと伝えないとダメだろうねえ。それからどうなるのかは、あの兄ちゃんの気持ち次
第だから、あたしにはわかんないけど。でも伝えなければ、始まらないからね。一緒に歩
いていきたい相手なら、なおさら」
 その言葉に慌てていたタマモの動きが止まる。彼女は少しだけ沈んだ声で言った。
「やっぱり、そうですよね」
「少なくとも、あたしはそう思うよ」
 言いながら、ルーテはタマモの頭を優しく撫でる。だが急ににやりと微笑んだかと思う
と、
「けど、焦らなくていいと思うよ。見た感じでの勝手な印象だけど、あのにいちゃん、な
んだかめんどくさそうなもんを背負ってるみたいだし。それに、相手を自分色に染めるっ
てのもなかなかいいものがあるしね」
 なんてことを言う。それにタマモは顔をさらに真っ赤にさせ、何も言えなくなってしま
う。
 そんなタマモを見つめ、ルーテは続ける。
「ま、『命短し恋せよ乙女』なんていってもさ、あたしらの時間は長いんだし、相手の時
間をなんとかする方法だってあるんだしさ。慌てずあせらず、思うようにやってみたらい
いよ」
「……はい」
 頷き、タマモは言葉通りゆっくりと進んでいこうと思った。まずは自分の気持ちをきち
んと確かめ、固めて、それから彼の気持ちを確かめよう。以前聞いたとおり、彼にやらな
くてはならないことがあるなら、それが終わってからでいい。
 あれこれ悩むくらいなら、自分が出来ることを一つずつやることの方がずっとマシなの
だから。
 だから今は、疲れた身体を休めることが第一だ。そう考えタマモは再び目を瞑る。やは
りまだ体力が戻っていなかったのか、すぐさま彼女の意識は闇へと沈んでいった。

 タマモとルーテがそんな話をしているころ。ルーテと同じく身体に包帯を巻いたアルテ
ィスは、フリスアリス家の庭に一人佇んでいた。木々や芝生の美しい緑と、所々に置かれ
た彫像の白が見事な景観を作り上げている。だが、彼は特に感動した様子もなく、手近な
ベンチに腰を下ろした。
「生き延びた、か」
 危ない所だったが、今回もなんとか切り抜けることが出来た。だが、それは彼だけの力
によるものではない。最後の一撃を繰り出したのは確かに自分かもしれないが、その力を
己の剣にもたらしたのは、ほかならぬ稲荷の少女だった。
「ふうっ……」
 息を一つ吐き出し、空を見上げる。昨日、命をかけた激闘があったことなどまるで想像
もさせない穏やかな青空が一面に広がっていた。目をつぶり、青年は稲荷の少女――タマ
モのことを考える。
 彼女が自分のことを好いてくれているのは確かだろう。それどころか、あの戦いを思い
返せば分かるとおり、彼女は自分に力を……いや、命を預けてもいいとすら思ってくれて
いる。それは紛れもない、本気の想いだった。
「……」
 しかし、と彼は思う。自分にはまだ、やらなくてはいけないことがある。タマモの気持
ちを迷惑だなどと思ってはいないが、それでもまだ、受け入れるにしろ断るにしろはっき
りとした答えを出すことは出来なかった。それ以前に、自分の気持ちをきちんと確かめる
余裕が、彼には無いのだ。
「あんなことまでしておいてな……」
 言い訳がましい己の思考に、アルティスは自嘲気味に呟く。いつかはきちんと答えを出
さなくてはならない、今できるのは、それだけを忘れず胸に留めておくことだけだった。
 それに、どうやら自分の目的が果たされるのもそう遠くは無いことような気がする。あ
の男は確かに倒したが、それでも彼の直感がいまだ事件が終わっていないと告げている。
きっと、再び大きな動きが起こるだろう。
「そこで俺の力を示せれば……きっと我が家の名も……」
 彼はポケットから取り出したロケットの鎖を握り締める。細い鎖に繋がれた先、細かな
装飾と共に描かれていたのは、10数年前に没落した貴族、ガスパーニュ家の紋章だった。

――――――――――――――

 黒以外の色が存在しない空間。凍りついたかのような空気が、かすかにざわめく。そし
て、それまで生き物の気配など全く無かった空間に声が響く。
「……あれほどとはな。あの七尾の力、やはり敵に回すと厄介なことになりそうだ。それ
にあの、剣に七尾の力を宿し放った男……。あの娘と、随分相性がよいようだ」
 どこか不吉な響きを持つ声が呟く。何かを考え込むような気配と共に、辺りにしばしの
静寂が訪れる。
「やはりあの力、ただ潰してしまうには惜しいな……。出来ることなら手に入れたいもの
だが……」
 静寂を破り、再び声が響く。
「まあ、どうであれ今後の予定に変わりは無い。もう後は、ほんの少しなのだからな」
 そういって、気配が嗤う。だが、それは嗤うという言葉で表されるものとは思えなかっ
た。どこまでも邪悪で、狂っていて、そして不気味な気配だけがあった。
 黒が埋め尽くす闇の中、さらに深い闇が、ただひたすら嗤い続けていた。

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第二話 「蠢く影、迷える剣士」 おわり

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