インプ被害報告書
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プロローグ

 闇に閉ざされた空間に、突如亀裂が入るように細い光が差し込む。
 何年、それとも何十年だろうか。外界と隔絶された空間はまるで時が止まっていたか
のように、その広大な空間には何の気配も、物音も無くひっそりと息を潜めていた。
 そのあたかも全て凍りついたように静かな部屋の長き眠りを破ったのは、一つの影で
あった。
「……」
 言葉一つ発せず、微かな足音すら立てずにするりと室内に滑り込む様子は、まさしく
「影」という言葉がぴったりと当てはまるようなものであった。頭から足先まで全身に
黒い布を纏った姿は、まるで室内の闇が人の姿をとり、具現化しているようにも思える。
 室内には大小さまざまな木箱や壷、武具や調度品、美術品が置かれていたが、侵入し
た影はそれらに目もくれずまっすぐに奥へと足を進めると、女神像の台座にはめ込まれ
た宝玉を手に取る。一瞬だけ布の切れ目から見えるその目で輝く宝玉を見つめた後、そ
っと懐へとしまいこんだ。
 次の瞬間、影はまるで幻のようにその場から掻き消え、三歩ほど離れた場所に飛び退
る。
「警告。警告。侵入者ヲ確認。侵入者ヲ確認。撃退もーどへ移行」
顔を上げ、先ほどまで立っていた場所を見ると、宝玉を取り去った台座に立っていた女
神像が動き出し、こちらに向かいその手から魔力弾を放とうとしていた。ガーゴイルを
彫像に見せかけたガーディアンだったのだ。
 その手から魔の弾丸がまさに放たれようとした刹那、影はまたも霞み、闇色の空間に
閃光が煌いた。

――――――――――――――

大陸の中央から北東に遠く離れた地方都市。いたるところの山や森に人を寄せ付けない
豊かな自然が多く残り、また中央教会の威光も薄いこの地域には、多くの魔物や亜人種
が暮らしている。
 この地域一体を治める領主、フリスアリス家は代々人と魔物の共存に理解が深く、特に
現当主『キルレイン=フィル=フリスアリス』は人と魔物の積極的交流を支持している、
ある意味変り種の人物として街の住民をはじめ、周囲に知られていた。
 それゆえ彼自身も住むこの地方都市には人間だけでなく多くの魔物・亜人が集い、中央
の大都市にも負けずとも劣らない活気が満ちていたのだった。

 ある日の昼下がり。自室での執務に一区切りをつけ、少しばかりの休憩に紅茶でも頼も
うかとメイドを呼びつけるために腰を上げたキルレインの耳に、こちらに誰かがばたばた
と駆けて来る足音が聞こえてきた。
 直後、彼の部屋のドアがはじけ飛ばんばかりに勢いよく開けられ、メイド服を纏った一
人の女性が大慌ての様子で執務室に飛び込む。
「だ、旦那さま!! 大変、大変でございます!!」
 メイドはとにかく慌てているらしく、普段わざわざ偽装している角や羽、尻尾までが飛
び出してしまっている。とにかく何か言おうとしているらしいが、その口はぱくぱくと閉
じたり開いたりしているばかりで言葉が上手く出てこないようだ。
「ふむ……君の様子からとにかく大変なことは分かった。
だがまずは……落ち着きたまえジュリア。
私は構わないが……もし部屋に客人でも来ていて、今の君の姿を見たら驚かれるだろう。
……いろいろ「出て」いるぞ。それから、部屋に入るときはノックを忘れないように」
「え……? あ! す、すみません旦那様! 大変申し訳ありません!」
 『ジュリア』と呼ばれた彼女は一瞬何を言われたのか分からなかった様子だったが、
自分の体を見直し、サキュバスの正体が完全にばれてしまっているのに気付くと顔を
真っ赤にしながら角や羽を隠した。
 キルレインはその様子をちらりと一瞥し、よろしい、というように一つ頷く。
「それで、一体何があったのだね?」
 その言葉に先ほどよりは落ち着いたジュリアが、しかし一大事といった深刻な面持ちで
口を開く。
「じ、実は……大倉庫の、封印術式が……」
「……なんだって?」
 その言葉、内容に、いつもは落ち着き払った態度を崩さない当主の顔にも驚きが現れた。

 それからしばらくして。
 フリスアリス家の広大な敷地の外れ、木々に囲まれた小さな噴水の前にキルレインと
ジュリアは立っていた。
 傍目には何の変哲も無い噴水があるだけの、貴族の家らしい庭園。しかしそれを見つめ
る二人の視線は険しい。
「……確かに、結界が外されているな」
「はい、私も最初は気のせいかと思ったのですが……。おそらく昨晩、何者かがここに
忍び込んだのではないかと」
 フリスアリス家は領主というだけでなく、魔物や異種族との交流も活発であるがゆえの
敵も多い。そのため、敷地や建物には賊避けために王都でもなかなか見られないような高
レベルの魔術防護や結界がかけられている。
 その防壁をたやすく潜り抜け、しかも一般人には感知できない幻術を見破ったとあって
はただの盗賊ではあるまい。そのことを十分に分かっている二人は、緊張から自然と言葉
も少なくなる。
「とにかく中に入ってみないことにはな。」
キルレインはそういうと一歩前に進み、噴水の正面に立つと幻術解除のための言霊を唱え
た。
『我は正伝なり! その封、我が名の前に道を開け!』
 彼の口から解呪の言葉が響いた瞬間、周囲に突風が吹き荒び……一瞬後、噴水と庭園は
その影も形も消え去り、地下へと続く長い階段が姿を現した。
 コツコツ、と足音を響かせ、キルレインがゆっくりと階段を降り始めると、ジュリアも
その後につき従い、地下の闇へと足を進めていった。

 長い階段を下った先、倉庫というよりは巨大な宝物庫か、はたまた貴人の玄室すら想像
させる空間に、二人は足を踏み入れる。
 彼らの想像とは違い、室内は全く荒らされていない。盗賊やその筋の収集家がのどから
手が出るほど欲しがりそうな金品や宝石、貴重な道具などは全く手がつけられた様子もな
く、そのまま元の場所に置かれていた。
 室内の様子を確認しながら、二人は部屋の奥へと進む。最奥、他の収蔵品以上に一際目
を引く女神像の置かれた台座のところまで来て、キルレインはどこか感心したような声を
発した。
「ガーディアンを一撃か。ますます只者ではないな……。」
 彼の足元には、動力核である胸のクリスタルを砕かれた女神の姿をかたどったガーゴイ
ルが横たわっていた。
そして彼女が守護していた台座からは、はめ込まれていたはずの宝玉が消えている。
「はじめから狙いはここの『天啓の宝珠』だったのだな。……しかし、これを知っている
とは……何者だ?」
 腕を組み考え込む様子の当主に、傍らのジュリアがおずおずと声をかける。
「それで……いかがいたしましょう、旦那様?」
 その声に彼は思考を中断させ、横たわるガーゴイルに視線をやると、ジュリアに指示を
下した。
「とりあえずの所、被害はあれだけのようだ。賊の腕から見ても……おそらく、ここから
はもう手がかりは見つかるまい。
あとはこの子のコアのクリスタルにどれだけ情報が残されているかだが……それもあまり
期待は出来んな。
幸いガーゴイルの本体は無事だから、この子を元通り修復してやったらここは再び封印し
ておこう。」
「わかりました、そのように手配します。」
 二人はガーゴイルの側にしゃがみこみ、修繕に必要な処置を彼女に施すと、この場を後
にした。

 再びキルレインの執務室。机に向かい、先ほど倉庫より戻る時から難しい顔を崩さない
キルレインの前に、優しげな香りを漂わせるカップが置かれる。
 視線を上げたキルレインに、ジュリアがにっこりと微笑んだ。
「紅茶です、旦那様。少しは気もまぎれるかと思いまして」
 そういわれて、さっきからずっとだんまりであったことに彼は気がつく。ありがとうと
礼をいい、カップに口をつける。
 中身を一口飲み、ふう、と息を吐いた彼に、ジュリアがおそるおそるといった様子で疑
問を口にする。
「あの……さっき言っていた『天啓の宝珠』って、何なのでしょうか?」
 その言葉にまた眉根を寄せた当主だったが、首を左右に振り、長い息をつくと話し出し
た。
「うむ……君も知っていると思うが、我が家は代々異種族との交流を持ってきた。
その中で手に入れたという曰くつきの物も多い。
件の『天啓の宝珠』はその中でもとびっきりのものの一つで、真偽はわからんが初代当主
が天使から授かったとも言われている代物だ。
なんでも、この世全ての知識を蓄え、悠久の過去から遥か未来までも見通すことが出来る
という。
もっとも、その魔力を扱えた者は今まで誰もいないがね。だがもしその知識を得ることが
出来れば、そのものは神にも匹敵する……という話だ」
 当主の口から語られる内容はあまりに突拍子もなく、キルレイン自身あまり信じてはい
ないようであった。知らず、ジュリアはぶるっと体を震わせる。
「そんなすごいものがあったんですね……」
 彼もまた頷く。
「本来その存在は当主と一部のもの以外は知らないはずだったのだが……犯人が誰であれ、
その伝承をどこかで知り、そして信じているのだろう。
まさか使えるとは思えないが、物が物だけに一刻も早く取り戻さねば」
 自然と焦燥がにじむ当主の声に、ジュリアは心配そうな表情で彼を見つめる。

 と、どたどたと廊下をこちらに向かってくる足音が彼らの耳に聞こえてきた。
「聞いたぜ師匠! その宝玉、俺が取り戻してくる!」
 ドアを開けるが早いか、飛び込んできた少年は叫ぶ。大きな茶色の瞳に栗色の髪、
15、6歳くらいか、まだ子供らしさを面影に残す少年。その姿は既に旅支度万端といっ
た様子でレザーアーマーにマントを纏い、腰には大小のポーチ、さらに鞘越しにも魔力を
にじませる剣をつけていた。
「私はここを離れられんし、カテリナと婿殿は南に新婚旅行に行ったばかり。
『魔を従える者』ラウスはまた冒険に出ているというし……」
「師匠ーッ!? 何で目をそらすんだ!」
「……自分を納得させているのだ! ……仕方ない。アレイク、行ってくれるか?」
 大きなため息を一つつくと、観念したようにキルレインは少年を見やる。
 アレイクと呼ばれた少年はその言葉に待ってました!といわんばかりに顔を輝かせ、胸
を張った。
「まっかせろ! 宝石の一つや二つ、ちょちょいのぱぱっで取り返してくるぜ!」
 言うが早いか疾風の如く部屋を駆け出す。キルレインが窓の外に目を向けると、既に彼
は庭を出、町に向かう下り坂を駆け抜けているところだった。
「アレイク君で大丈夫なのでしょうか……?」
「正直分からん。相手の賊もかなりの腕のようだしな。だがまあ、あの剣に装備といい、
アイツなりにいろいろ考えて準備はしたようだ。
才能も不安材料もダントツだが、バカな弟子には旅をさせろ、か……?」
 ジュリアが心配そうにこぼす。その言葉にキルレインもまたため息を一つつくと、すで
に温くなってしまった紅茶をまた一口すすった。
 その彼こそ、キルレインが引き取り剣術・魔術を教えている孤児の少年。
 名を『アレイク=エルフィード』という。


――――――――――――――
『英雄志願と魔物の少女』
――――――――――――――

T.

 領主キルレインの屋敷がある地方都市。人間、異種族問わず受け入れるこの街は昼夜を
問わず活気に満ち、数多くの旅人や冒険者が訪れる。
 そんな街の中央通りに店を構えるのが、この街最大の酒場兼宿屋『輝く銀翼亭』である。
新米ハンターから年季の入った冒険者、人間、魔物を問わず集まるこの店には会えない種
族はおらず、手に入らない情報は無いといわれるほどで、それゆえ街の人々からは正しい
名前で呼ばれることはほとんどなく、もっぱらこう呼ばれていた。

曰く「魔界に最も近い店」、と。

 酒場兼宿屋である銀翼亭の客の入りのピークは遅い。この日も例によって昼下がりのこ
の時間、店にいるのは山のような体躯にヒゲ面が名物のマスターと、昼間っから酒を求め
てくる一部の常連だけだった。
 領主の館からまっすぐにこの店に駆けて来た少年が、店内に入るなりカウンターに身を
乗り出すのを見ると、マスターはいつもの調子で声をかける。
「またお前かアレイク。今日もまた冒険者ごっこか? 死なない程度にほどほどにしろよ」
 その言葉にアレイクはむすっとした様子で返す。
「そんな遊びなんかじゃねーよ! 今回はちゃんとした大冒険だぜ!
そうだ、マスター。あいつって今ここにいる?」
 勢いよく投げかけられた少年の言葉にマスターが答えを返そうとした瞬間、2階からバ
タンという音と、眠そうな女の子の声が響いた。
「なによ〜うるさいわね〜……まだ昼じゃないの〜ゆっくり寝かせてよう〜」
 ふあ、とあくびをしながらふらふらとした足取りでゆっくりと階段を下りてくる少女。
薄いピンク色が掛かってはいるが、ほとんど透明に近い薄手のネグリジェを纏い、眠そう
に目をしょぼしょぼとさせている。
パッと見たところ、年のころは13、4歳位に見えるが……薄い紫の頭髪からはえる角と
ピンと尖った耳、そしてネグリジェのすそから伸びる、先端が逆とげになった細い尻尾が
彼女をただの子供ではないと誰に目にも一目で認識させる。
 彼女はインプと呼ばれる魔族の一種で、この銀翼亭に住み込みで働いている従業員の一
人である。冒険者に憧れ、この店にいつもやってくるアレイクとは既によく知った仲でも
あった。彼女の小柄な姿を認めたアレイクは、いつものように声をかける。
「お〜いたいた、ちょうどいいところに。おーいプリン、悪いんだけどちょっと手伝って
くれねー?」
 その声が聞こえるやいなや、先ほどまでの眠そうな顔はどこへやら。プリンと呼ばれた
インプの少女は眦をつり上げ、ずかずかと少年に詰め寄るとその眼前に人差し指を突きつ
けた。
「何度言ったら分かるのアレイク!
私の名前は『プリミエーラ=レダ=フォルセティ』! プリンなんて妙な呼び方しないで
頂戴!」
「どーせ偽名だろそれ。めんどくせーし、呼びやすいプリンでいいじゃん」
「よかないわよ! 大体あんたいっつもこっちの事情を無視して面倒ごとばっかり持ち込
んで、ちょっと! 聞いてんの!?」
 その剣幕などどこ吹く風とばかりに、アレイクはめんどくさそうにはいはいと言うとマ
スターの方に再び向き直った。
「つーわけでマスター、プリン借りていい? いつ返せるかはちょっとわかんねーけど」
「仕方ないな。なるべく早く済ませろよ。こっちはただでさえ人手不足なんだからな」
「ちょっと、マスター!?」
 自分の意志とは無関係に、妙な方向に事態が流れ始めたことに不穏な空気を感じ取った
プリンが抗議の声を上げる。
 しかしそんな彼女の様子に構わず、マスターはふう、と息をつくと共に言った。
「……プリメラ、お前はどうせ断った所で仕事に手がつかなくなるだろう?
こっちも仕事中ずっと「もっとちゃんと誘いなさいよ、アレイクのバカ……」とか言われ
続けるのはたまらん。仕事はいいから、意地張ってないで一緒にいって来い」
「ふーん、以前に断られた時は後でそんなこと言ってたんだな。お前、実は意外と寂しが
りなんだ?」
 からかうでもなく、初めて知った、とばかりに漏らすアレイクの言葉に、プリンの顔が
ぼっと真っ赤に染まる。
「ちちち違うわよバカ! あんたみたいなドジ一人でいかせたら何が起こるかわかんない
じゃない!
あっ!? 勘違いしないでよね! 知り合いが死んだら流石に夢見が悪いから一緒にいっ
てあげるだけだからね! 仕方なく、そうこれはマスターが言うから仕方なくよ!」
 早口でまくし立てるプリンの様子に、マスターや周囲の客はまた始まった、と面白がる
ような表情を浮かべる。
 そんな彼らの様子に気付いているのかいないのか、当の少年はプリンの手を掴み、顔中
に笑顔を浮かべた。
「よくわかんねーけど、手伝ってくれんのか? ありがとな!」
 そのあまりの純粋さにプリンは頬を朱に染め、ぷいっと顔をそらしながら小さく
「やっぱり、ずるい」と呟いた。

 ぶんぶんと手を振るアレイクとなすがままのプリンを見つめ、マスターは誰にとも無く
言う。
「若いねえ……」

――――――――――――――

 酒場の2階には宿屋としての部屋の他、従業員の私室がある。
 プリンはあの後、説明と自分の着替えもかねてアレイクを連れ、自室に戻ってきていた。
 決してマスターや客のニヤニヤと意味ありげな表情が恥ずかしくなったからではない。
断じてない。
 とりあえずアレイクを外で待たせ、自分の着替えを済ます。黒のトップスとハーフパン
ツをクローゼットから取り出し、身に着けると少年を部屋に招きいれる。彼を適当なイス
に座らせ、自分も腰を下ろしてから少女は口を開いた。
「で、一体何をしようっていうの? まあ、ろくでもないことなのだけは分かるけど」
「だからそんなんじゃねーって。実はだな……」
 口を尖らせたアレイクだったが、すぐに表情を引き締めると、事情を説明しだした。
 フリスアリス家から何者かが家宝を盗み出したこと。それを追う役目を任されたこと。
説明はところどころ主観や思い込みもあったが、まあ大筋のところでは事態から大きく逸
脱はしていないと言えるものだった。
 一方で説明の内容を聞くにつれ、プリンの方は驚きよりも呆れが大きくなっていった。
アレイクの説明が終わったところでため息と共に切り出す。
「大体話はわかったけど、一ついい? あんた、本気で自分が何とかできると思ってん
の? 話を聞いただけでも、相当やばいわよ、その相手」
「だいじょーぶだって! 俺だってガーゴイルくらいならやろうと思えば倒せるぜ!
それに、敵が強い方が『偉大なる英雄・アレイク伝説』にもふさわしいだろ!」
「だからってどこの世界に真っ先に魔物に協力を依頼する勇者がいるのよ……。ヒロイン
がインプなんて物語、どこを探しても聞いたことないわよ?」
 どこからそんな自信が来るのか、当人は事態に対し全く不安に思うところは無いらしい。
確かに、目の前の少年は剣と魔術ならそこらの大人顔負けの腕ではあるといえることは、
それなりに付き合いの長い彼女も知っていた。
だがどうも自分を過大評価しすぎるのか、経験が少ない若さゆえの無鉄砲か。目の前の子
どもっぽさがぬけない少年は、事態に対し楽天的過ぎるきらいがあった。
「ん? お前ヒロイン役やりたくねえのか? じゃあ、誰か別のを探さなきゃな」
「なんでそうなるのよ! 誰もやりたくないなんて言ってないでしょ!? じゃなくて!」
 いろいろ言いたいことはあったが、どうも話が変な方向に流れそうな予感がしたので、
頭を振ってその考えを消す。
「それに領主様の話だと今のところ手がかりも無いんでしょう? どうやって盗んだ相手
を探すのよ?」
 そういいながら、プリンはもう完全に事件解決に協力する気になっている自分に気付い
て自己嫌悪に陥った。
ああ、我ながら損な性格よね。そう思いつつもここまで聞いて手伝わない、というのも面
倒見のいい彼女の性格では考えられなかった。
 そんな彼女の内心を知らず、アレイクはポーチをごそごそと探ると中から砕けた結晶を
取り出す。
「へへ、心配ないって。そう思ってやられたガーゴイルのコアの破片を拾ってきたんだ。
ガーゴイルの記憶自体は当てにならないだろうけど、もしかしたら相手の魔力の残滓くら
い残ってるかもしれないだろ?
プリン、お前確か『魔力検知』とか『魔導追跡』とか出来たよな?」
「それくらいは出来るけど……アレイク、あんた冒険者を目指すくらいならいい加減それ
くらいの術は覚えなさい。
魔法戦士の素養を持つ人間なんてそうはいないのに、戦闘用、しかもほとんど攻撃以外の
魔術をまともに覚えないのでは領主様も呆れるわよ」
 『魔力検知』に『魔導追跡』。どちらも魔術を使う冒険者には基礎中の基礎と言える術
だ。もちろん術者によって精度や効果にはばらつきがあるものの、術の習得や行使それ自
体はそれほど難しくは無い。
 アレイクが魔力を持ちながら基礎術であるこれらを使えない、と言うのは……単に戦闘
用以外の魔法はかっこわるくて覚えたくない、と言う子供っぽい理由からだった。
 もっともその反面、戦闘用魔術に関しては既に一人前以上の腕であったのだが。調子に
乗るのが目に見えているので、決して師たちは言わないのであった。

 それとは別にさらに問題が一つ。
「それにあたし起き抜けで、魔力全然足りないんだけど」
「わかってる、それも任せろって」
 妙に自信満々な彼の様子に訝しげな視線を向けていたプリンだったが、突然何かに気付
くと顔を真っ赤にし、転がっていたクッションを抱きしめて後ずさった。
「あ……ちょっと! あんたの精とかいうのはダメだからね!? ううん、本気でいやっ
て言うんじゃなくて!
その、こんな魔力補給のためにするってのはイヤっていうか! か、勘違いしないでよ!?
もし、ほんとにちゃんとしたいっていうのなら、あたしも……」
 突然早口でまくし立て、パニック状態に陥ったプリンを、頭上に「?」マークを浮かべ
ながら訝しげに見るアレイク。
「はあ? お前いきなりなに言ってんだ? さっぱりわかんねーよ。
だから、魔力回復の当てはあるって言ったろ。
……っと、あったあった、これだよ」
 話しながらまたも腰につけたポーチの中をごそごそと探っていた彼は、中から小さな瓶
を取り出し床に置いた。
 意味不明、とでも言うかのような視線を彼から向けられ、それに気付いて正気に返った
プリンはアレイクの顔と、目の前に置かれた小瓶をたっぷり一分ほど見つめる。すぐさま
再び顔が赤くなってくるのを自分でも感じると、
「……え? あ……? あ、あ……。……アレイクの、ばか――ッ!!」
 叫ぶが早いか、平手打ちを目の前のバカに向かって放っていた。
 澄み渡る青空に、ばちぃぃぃぃん!とクリティカルヒットの小気味よい音が響いた。

「何で俺がぶたれなきゃならないんだよ。いみわかんねー……」
「ふんだ。このバカアレイク、もうちょっとレディに対するデリカシーを持ちなさいよ」
 ぶっすー、と不機嫌という言葉を顔に貼り付けてアレイクがこぼす。その頬には、綺麗
に真っ赤な紅葉の跡がついていた。
 その跡をつけた張本人であるプリンはまだ怒りが収まらないのか、少しぷりぷりしてい
たが、すぐに目の前に置かれた小瓶の方に興味が移った様子でアレイクに問いかけた。
「ねえ、ところでこれ何なの?」
 問われてアレイクも不機嫌さを若干和らげ、口を開く。
「前、師匠のとこの倉庫からこっそり貰っておいたんだ。魔力を回復する効果のある霊薬
で、えっと確か……『リリムの淫美酒』だったっけかな?」
その言葉に、その名前を知るプリンは驚きをあらわにした。
「『リリムの淫美酒』!? それ、上級魔族が精製した霊薬で……ワインとしても希少、
超高級な、うちの店でも置いてない、お酒の中でもトップクラスの一つよ!
あんた……知らないわよ? 領主様にばれて怒られても」
「大丈夫だって、家宝を取り戻すための必要経費だと思えばさ」
 心配するプリンと違い、こっそり失敬してきたその当人はえらく気楽である。本当は
 いけないことだとは思いつつも、彼女自身そのお酒には興味があった。瓶を見ている
だけで、飲んでみたいという気持ちがむくむくと膨れ上がっていく。
悪いのはアレイク、悪いのはアレイク。仕方なくよ、うん仕方なく、と自分に言い訳を
しながら小瓶を手に取り、蓋を開けると瓶を傾ける。
 真紅の液体がほんの少し、口に流れ込んだ。

「!!」
 最初に感じたのは、まるで稲妻が体を通り流れたかのような感覚であった。
 舌の上でまるで雪が解けて消えるかのようにまろやかな味わいが染み込み、その一瞬の
後、今まで飲んだどんな酒よりもかぐわしい芳醇な香りが口いっぱいに広がる。
 その香りと共に、まるで若い男の精を一晩中搾り取ったかのような上質の魔力が体に満
ちてくる。
「すご……なに、これ……。おい……しぃ……」
 一度口を離し、ぽぉっとした声で呟くと、瓶を再び傾ける。
「んっ……んく……んく……」
 少女の細い喉がどこか淫靡に動き、一心不乱に瓶の中身を飲み下していく。一口ごとに、
体に魔力がみなぎっていくようだ。
 しかし、もともと小瓶の半分ほどしか中身が入っていなかったこともあって、霊酒はす
ぐに空になってしまった。それが彼女にはひどく悲しく感じられる。
「あぅ……もう、おしまい? もっと、もっとぉ……」
 頬を上気させ、とろんとした目で瓶の口をぺろぺろとなめる彼女に、流石に何か変だと
感じたのかアレイクが声をかける。
「お、おい? プリン?」
「あれいくぅ……おさけ、もう、おわりぃ……? たりないのぉ……もう、まりょく
いっぱいなのにぃ……たりないのぉ……」
 その声に顔をアレイクのほうに向けた彼女は、舌足らずな調子で話しながら、まるで猫
のように擦り寄ってくる。
 背中からは隠していた皮膜の羽がその姿を現し、しっぽがふりふりと左右に揺れていた。
 今まで少年が見たことの無い彼女の姿に、どぎまぎしながらもアレイクは彼女の肩に手
をかける。
「おい、ちょっとしっかりしろって! やっべ、何か間違えたかなあ? とにかく今解毒
薬と水もってくるか……むぐっ!」
 突如唇をふさがれた。あまり突然のことに何が起きたか分からず、思考が凍りついたア
レイクの唇を、プリンの小さな舌がなめる。
「ちゅ……ぺろ……んっ……。はぁ、あれいく、おいしぃ……」
 口を離したプリンは最早完全に発情した顔で、腕を折り曲げ、肩に乗せられたままの彼
の手を優しくなでると、そのまま自らの下半身に導いていった。
「あれいく、おねがぁい……からだ、あつくて、せつないの……。ここ、さわってぇ……
いじって、ほしいの……」
 そして、アレイクの手を握ったまま、ハーフパンツの布の上から股間を弄り始める。
 あまりの異常事態に状況がさっぱりつかめない少年の方は、頭から煙を噴出し完全に思
考停止状態でインプの少女にされるがままになっていた。
 そんな彼のことなどお構い無しに、プリンは手の動きを加速させていく。
「んっ! ここ、ここぉ! あぁん! もっと、もっとだよぉ!」
 空いたもう片方の手はいつの間にかささやかな胸のふくらみに伸ばされ、衣服の上から
でもツンと立ったのが分かる乳首をつまむように弄っていた。
「やん、ちくびぃ、ちくび気持ちいぃの! あぁあん、もっとぉ!」
 最早にじみ出る愛液はパンツの布地の表面にもはっきりとシミを作り、二人の手を湿ら
せ始めていた。
 男、しかもほかでもない彼の手で自らの秘所を弄られている、という考えが彼女の自慰
を激しくさせ、快感を加速させていく。
 ……実際には鼻血を出し、既に半ば意識が飛んでいたアレイクはされるがままの人形状
態であったが。
「あ、ああ、くる、きちゃう、や、ああ、ああっ!」 
 やがて、快感は最高潮に達し、そしてついに――
「ああああああああああっ!」
 体を弓なりにそらせ、その直後糸が切れたように倒れこむ彼女。快感の残滓が走るかの
ように、尻尾と羽がときおりぴくっと震える。
「あはぁ…………」
 横たわり、吐息を漏らす。まるでそれを合図としたように、完全に意識を手放し気絶し
たアレイクがばたんと床に倒れこんだ。



「はああああ〜……やっちゃった、やっちゃったよお……
魔族ともあろうものがこんなアイテムの魔力に負けてオナニーショーなんて……。
うう……もうお嫁にいけない……」
 あれから四半刻ほど後。
 ようやく正気を取り戻したプリンが見たものは、自慰による汗やらなにやらでぐしょぐ
しょの乱れた衣服を纏った自分。
 そして手をしっかりと握られたまま、自ら流した鼻血の海に沈む少年の姿だった。
 あまりに異様な光景に、一瞬悪夢と勘違いしたものの。さっきまで自分が「して」いたこ
との記憶が急によみがえり、彼女は真っ赤になって慌ててアレイクを起こし、自分がとても
他人に見せられたものではないひどい格好をしているのに改めて気付いてまた真っ赤になっ
た。
 幸か不幸か、アレイクは彼女の痴態のあまりのショックで記憶が飛んでしまったらしく、
目を覚ましたあと、パニック状態のプリンに、
「あれ? 俺何やってたんだっけ? あ、そうそう。早くこれ魔力探知してくれよ!
ってうわ! なんだこの血!?」
などとのたまってくれた。
 その後、再びアレイクを外に出し(当人は鼻血を洗いに行った)、着替えている途中で床
に転がっていた瓶に気付いた。拾い上げ、恨めしそうに小瓶を見つめる。
 その注意書きを読むと、これは回復薬としての高い効果の副作用として媚薬のような効果
を持っており、魔力回復に使う場合でも5倍、酒としては10倍ほどに薄める必要があった
ようだ。
 そんな劇薬の原液を飲んでしまっては、いくらインプの自分と言えどもただではすまなか
ったのだろう。
 おそらくアレイクは最初のキスの際に少量でも口移しで摂取してしまったに違いない。
もしかすると記憶が飛んだのもそのせいかもしれなかった。
 よく考えれば、人間の彼がそれくらいですんだのはまだマシな方だったのかもしれない。
 彼を怒ろうにも、そのためには何があったかを説明しなければならず……なんだかやりき
れなくなった彼女は先のセリフを吐きながらがっくりとうなだれていたのだった。

 その後何とか気を取り直し、彼女がすべき本来の目的を思い出す。
 部屋に戻ってきたアレイクの手から渡されたガーゴイルのコアクリスタルの破片を卓上に
描いた魔法陣の中央におき、手元に用意した水晶玉を覗き込む。
 術を発動させるために魔力をこめる前に、彼女は目をきらきらさせている少年の方を向き、
釘を刺した。
「いい? 最初に言っておくけどあんまり期待はしないでよ? それと、あまりにやばそう
だったらこの事件からは手を引いて領主様にちゃんということ。分かった!?」
 念を押す彼女の言葉に分かってる分かってる、と首を縦に振るアレイク。
 少年の反応に、これは言ってもムダっぽいわね、と内心で思いつつ。しかし頼まれた事柄
は何であれ真剣にやるのが彼女のいいところである。
 副作用はともかく、流石に貴重な霊薬を飲んだだけあって今のプリミエーラの体には溢れ
るほどの魔力がみなぎり、感覚もいつも以上に研ぎ澄まされている。
 今なら、この壊れたクリスタルの破片からでも、あらゆる情報が読み取れそうな気がする。
彼女自身、それを試してみたいという気持ちも少しだけあった。
「はじめるわよ」
 短く一言そういい、アレイクが頷くのを見て展開した魔法陣に魔力を走らせる。やはり予
想通り、クリスタル内のガーゴイルの記憶は何も残っていなかった。
 まあこれは想定の範囲内である。むざむざ貴重な手がかりを残すほど相手は間抜けではな
いようだ。
 プリンはガーゴイルの記憶の探査と復元を早々に諦め、犯人がクリスタルに攻撃した際の
魔力残滓が無いかどうかに的を絞ることにした。
 だがしかし結果はスカ。やっぱりダメか、と諦めようとしたそのとき、突然水晶玉にノイ
ズ交じりの映像が浮かび上がった。
 性別も、人間かそうでないかも分からないが……ぼんやりとした黒い影のような人物が映
し出される。その直後、手に持った赤い宝玉を見つめる人影が水面に波紋が立ったようにぶ
れた。
 一秒にも満たない時間だったろうか。突如音も無く水晶玉の映像が切れると、その後は何
も映らなくなった。
 二人とも少しの間黙っていたが、その沈黙をアレイクが破った。
「今のは?」
「一瞬だったからちょっと良く分からなかったけど……。不思議な感じがしたわ。もしかし
て、さっきのは話に出てきた、盗まれたっていう宝玉の魔力が残した映像なのかも……」
 呟く彼女にも自信は無いが、それが一番納得しうる説明だと思った。
 あの影の人物もガーゴイルのコアの記憶や自分の魔力痕跡は消しても、流石に宝玉の魔力
までも記憶されていたとは考えなかったのだろう。
 考え込むプリンに、再び彼が声をかける。
「なあ、あの宝玉の魔力の波長とか気配、今探れるか?」
「一瞬とはいえ水晶には記憶されたと思うから、出来ないことは無いけど……。
でも多分、もうこの辺りにはいないと思うわよ?」
「いいから。だめもとでやってみようぜ? な?」
 妙に熱心な様子のアレイクに言われてしぶしぶ術式を起動する。とりあえず探索範囲を街
中とその周辺部に設定。さきほどの魔力波動に該当するものがないかを探査する。
 すると、直後水晶玉に微かな光が灯り、該当の反応アリの表記が映し出された。
「うそ!? まさか?」
「おっけー! ビンゴだぜ! どれどれ、場所は……?」
 まさか見つかるとは思っていなかっただけに戸惑うプリンに対し、どこか嬉しそうなアレ
イク。
 彼に言われるまま、プリンが浮かび上がった地図にマーカーを映し出させると、反応は町
外れの森の中、確かうち捨てられた廃屋があったはずのあたりから今も発生しているという。
(なんでまだこんな近くに……? よほど腕に自信があるの?
それとも、誰かと落ち合うとか? ただの物取りじゃなさそうだし……。
なんだろう、嫌な感じがする……)
 なんだか言い知れぬものを感じる彼女の内心など知った風でもなく、アレイクは既に手元
の羊皮紙に描かれた地図にマーカーを書き写すと、荷物を持って部屋を飛び出そうとしてい
た。その後姿に現実に引き戻されたプリンは、慌てて少年に呼びかける。
「ちょ、ちょっとまってアレイク! まさかそこに行く気!? こら、待ちなさいって!」
 焦りながら壁にかけてあったウェストポーチを掴み、彼女も彼を追って階下に降りる。
 マスターや客への挨拶もそこそこに、店を飛び出した少年を追って彼女も駆け出した。

 誰もいなくなった少女の部屋、机の上に置かれたままの水晶玉に、再び妖しげな光が灯っ
たことに気付いたものは、誰もいなかった。

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第一話 「見習い剣士とインプの秘め事」 おわり

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