インプ被害報告書
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U.

 フリスアリス家の治める街の外れに広がる鬱蒼とした森。人があまり立ち入らないこの場
所は、多くの魔物たちの格好の住処でもあった。領主の計らいで森には必要以上に人の手が
入ることは無く、自然のままの姿を残している。
 森の近くに住む人間でも好きこのんで立ち入りはしない奥まったところに、木々に隠れる
ようにして立っている廃屋がある。近くに住む街の者でも、森の中のこんな所に、このよう
な建物があるということを知るものは少ない。
 長い間放置され、風雨によってくたびれた建物の中には、埃を被り古びた大きな長机やベ
ンチが置かれている。床にはペンや破れた本など、様々なものが散らばっており、過去にこ
こを使っていた人々の名残を寂しく示していた。
 おそらく、かつては近くの人々に集会場のような役割を持つ場所として使われていたのだ
ろう。その、今はうち捨てられ、室内の家具にはただ埃が積もるだけの忘れ去られた空間。
建物の中の比較的広い一室に、人影があった。

「……」
 まるで地面から影が立ち上がったかのような、全身を覆う黒装束。
その鋭い瞳からは何を思っているのか、欠片も読み取ることが出来ない。
 影はすっとすべるように部屋の中ほどに進む。部屋の床が一段高くなった所の手前まで来
ると、その足を止める。そのまますうっと視線が動くと、眼前のやや上方の虚空に目をとめ
た。
 一瞬の後、影は虚空にぴしりと亀裂が入ったかのような錯覚を覚える。いや、錯覚などで
はなかった。いつの間にか、実際に空中に裂け目が生じている。
 その光景に驚いた様子もなく、無言で見つめる瞳の先、虚空の裂け目はじわじわと広がっ
ていく。ほんの数瞬の後、その場に大人二人ほどが通れる位の「穴」が開いた。
無感情にそれを見つめる影の前に、空中に開いた黒いトンネルから新たな人影が姿を現した。
「……時間通りのようだな。それで首尾は?
高い金を払ったのだ、上手くいっただろうな?」
 漆黒の色で統一されながらもどこか貴族を思わせる、精巧な装飾の施されたローブを纏っ
た男が口を開く。外見は50代くらいか。肉付きのいい体つきに、豊かな口ひげ。
目の前の影を見下したような色を持つその瞳は、どこかその尊大な響きを持つ声と似合って
いた。
 そして、男の斜め後ろにはもう一人。まるで男の影のように、彼にとり憑く幽霊のように、
気配を感じさせず付き従う人影があった。こちらは装飾もない、質素な黒のローブを頭から
はおっている。フードを目深に被っているせいで、その表情はおろか、男か女かすらうかが
い知ることは出来ない。
「では、例のものを……」
特徴に乏しい、平坦な声でフードの人影が促す。その声は男とも女ともつかず、地の底に蠢
く幽鬼を連想させるような不気味な声だった。
「ここに」
「さっさとよこせ。お前のようなものには分不相応な品なのだからな」
 どこか小ばかにしたような男の言葉に気を悪くした風もなく、影は懐から小さな袋を取り
出す。それを目にした途端、男は急にせかせかとした様子で近づくとひったくるように袋を
手に取った。袋に手を入れ、中身を掴むと男はまるで天に見せつけるかのように、それを高
く掲げる。
手の中に掴んだものを見つめる目には愛しき女性を眺めるような、しかしそれにしてはどこ
か下卑た色を隠しきれない熱情があった。
「おお……この輝き……。間違いない、これこそ『天啓の宝珠』!
……ついに、ついに! 念願の宝珠を手に入れたぞー!!」
感極まったように興奮を抑えられない声が叫ぶ。その手に握られていたのは血のように紅い
色をした丸い宝石だった。
「ふ……ふふ……ふ……、ふひ……ふひひ……ふひゃーはぁっはっは!!
ついに手に入れた! 手に入れたぞ!! これこそまさしく! まさしく長年追い求めてい
た宝珠!
これで! これであの忌々しいフリスアリスのヤツめを!
あいつらを地獄の底に突き落としてやることが出来るというものだ!!!」
突如壊れた機械のように高らかに勝利の叫びを上げる男を、フードの人影と黒い影は言葉も
なく無感動に見つめる。
彼らのそんな様子などお構い無しに、男は一人これからの想像に愉悦を覚え、笑い続けるの
だった。

――――――――――――――

 人ごみを掻き分けるように街中を駆け抜け、街の門を通り過ぎ、人気の少ない森の中の道
を風のように駆ける少年と少女。
長短様々な草が生い茂った荒れた地面、ところどころ地表に巨木の根が浮き出る道を、まる
で街中を駆けるような軽やかさでアレイクとプリンは走り抜けていた。
「ちょっと! アレイク! 本気なの!?」
どこか不安そうな表情を浮かべながら、インプの少女は目の前の少年の背に声をかける。
「あったりまえだろ! 相手が折角どこにも行かずに近くで待ってくれてるんだ。
さっさと乗り込んで片付けた方が早いだろ!」
走りながら肩越しに振り返り、少年はプリンに叫びを返す。
アレイクの顔は自信に満ち溢れた不敵なものだったが、今回の事件がそう簡単なものではな
いとうすうす感じていた彼女には不安を大きくするだけだった。
「ムチャよ! 私たちだけでなんて! 領主様……いえ、せめて町の戦士団か警備の人には
知らせるべきだわ!」
「そんなことしてる間に逃げられちまうかもしれないだろ!? 
それに無茶かどうかはやってみなければわかんねー!」
 彼女の忠告にも耳を貸さず、さらにスピードを上げるアレイク。
プリンはせめて先ほどから消えない嫌な予感が単なる気のせいでありますようにと祈ると、
諦めて彼の後を追った。

 やがて、木々の合間に隠れるようにして立っている建物が視界に姿を現す。
「あれ、か……?」
思ったよりも大きな建物だ。距離が近づくにつれその姿が大きくなっていき、アレイクの目
にもその細部まで見て取れるようになっていった。見た目は捨てられて久しい廃屋といった
感はあるが、草やつるが覆う外観に反し、壁にはさほど大きな崩壊は見られない。ドアや窓
もしっかりと閉じられており、中に誰かいるのかどうか様子を窺うことはできそうになかっ
た。
「っ!?」
 最初はそのまま建物に乱入しようとしたアレイクであったが、不意に空気がひやりとした
ものに変わったような感覚を覚え、その足が止まった。
左右を見回し近くの大木の陰に身を隠し、建物をじっと観察する。まもなく遅れてたどり着
いたプリンも少年の側に並んだ。
「はぁ……はぁ……。アレイク、私のこと置いていかないでよ!」
「しっ! ちょっと静かにしてろって」
腕を伸ばし、抗議を口にしようとする彼女を制するアレイク。
彼女もその言葉に口をつぐみ、彼と同じく建物に視線を向ける。
「……いる、わね」
「だよな」
 廃屋の周囲は静まりかえっており、いつもならうるさいくらいに騒いでいる虫や小鳥の声
が全く聞こえない。そのせいか辺りにはどこか張り詰めたような緊迫感が漂い、それが中に
いるであろう者達が只者でないことを如実に物語っていた。
プリンは無意識にぶるっと体を震えさせると、傍らに立つ少年に話しかける。
「どうするの? はっきり言って、離れたここからでもやばい感じしかしないわよ。
アレイク、いくらあんたが無鉄砲でも分かるでしょ? 中にいるのが誰であれ、考え無しに
乗り込んでどうにかなる相手じゃなさそうよ?」
 赤い瞳に不安をにじませながら、何とか説得できないかと言葉を続ける。
「犯人のてがかりを見つけただけでも十分よ。後は、領主様に頼めば何とかしてくれるわ。
ね、一旦ここは引きましょ?」
だが、彼はプリンの言葉に首を振るとさっき以上に鋭い視線で廃屋を見つめ、口を開いた。
「だめだ! 師匠たちが来る前にあいつらが逃げちまうかもしれない! 俺たちはまだ、犯
人の姿さえ確認してないんだ。ここで逃がしちまったらもう見つけられない!
プリン、お前は師匠のとこに行ってこのことを話してくるんだ。俺はもうちょっと様子を探
ってみる。心配すんな、俺にだって考えくらいはあるさ!」
「えっ……!? ちょっと!? こら、待ちなさい! ムチャよ!
アレイク!? 待ちなさいったら!!」
 腰のポーチと剣をぽんぽんと軽く叩くと、彼女の返事も待たずに真剣な表情で建物に向か
って駆け出すアレイク。
ついていくべきか、彼に言われたとおり誰かにこのことを伝えに行くべきか。
戸惑い、自分の行動を決めかねるプリンの視界に映る少年の姿は、どんどん遠ざかっていっ
た。

――――――――――――――

 廃屋の広々とした一室。一人悦に入る男に、先ほどから男の側に立つ黒いローブの人物は
恭しく頭を垂れると、ぼそぼそと言葉を発する。
「……閣下。そろそろ……」
「う、うむ。そうだな。物は手に入れたのだ。
こんな汚い所に何時までも留まることもないか」
催促の言葉に男は少々気を悪くした様子だったが、再び手元の宝珠に目を落とすとにやりと
した表情を浮かべた。
 と、彼の様子を先ほどから見つめていた黒装束の視線に気がつくと、まとわりつく子虫を
うるさがるかのように手を振りながら口を開く。
「ああ……。報酬か? ふん、小汚らしい盗賊めが物欲しそうな目をしおって。
心配せんでもきちんと払ってやる。ほれ、取るがいい」
男は胸元から小袋を取り出すと、影の目の前に無造作に放る。汚れた床に落ちた袋はチャリ
ンという音を立て、緩んだ口からは金貨の輝きがもれ出ていた。
 袋を拾おうと音もなく近づく影。その足が目の前で突然止まる。
「?」
いぶかしむ男をよそに、黒装束は素早く身を翻し、背後のドアに懐から小刀を投げつけた。
がつっ、と言う音と共にナイフが戸板に突き刺さる。
「な、なんだっ!?」
突然のことに理解が及ばず驚く男をよそに、影は鋭い視線を入り口に止めたまま無言で警戒
を続ける。
だがドアを油断なく見つめる黒装束の緊迫した様子に反し、特に何かが変わった様子も、
起こる様子もない。
実際にはわずかな時間であったが、男には永遠にも感じられる静寂が辺りを満たす。
やがて、無言で成り行きを見守る彼らの耳にどこかのんびりとした調子の声が聞こえてきた。
「……ア……ウ……ゴハン……」
その声と共に、何かを引きずるような、ずるりずるりという音が大きくなっていく。
 そして、古びたドアがぎいい、という耳障りな音とともにゆっくりと内側に開いた。
「……何者だ?」
ごくりと無意識につばを飲み込む男の視界に、ドアの影から「それ」が姿を現した。
透き通った緑色の裸身の少女。その顔つきだけを見れば、愛らしい少女に見えるかもしれな
い。
しかし、その表面はぬらぬらとした液体にまみれ――いや、その体自体が半液体の物質で作
られているのだ――太ももから下の部分は体と同じ色の緑の水溜りのような液だまりに溶け
込んでいた。
 男達の目が見つめる視線にも構う様子はなく、スライムはあちこちに視線を向けるとふら
ふらと室内をうろつきはじめた。
「な、なんだ? こいつは……?」
「……どうやら、野生のスライムのようです……。
もしかしたら、閣下の話を聞いていたのかも……」
 呟く男にそばの黒衣の人物が答えを返す。その言葉に男は落ち着きを取り戻すと、侮蔑し
きった目を向けた。
「……ふ、ふん! 下等な魔物風情めが驚かしおって! まあいい。知能もないスライムご
とき、気にするほどでもあるまい」
どこか無理に虚勢を張っているような声で言い放つ男。その間にも特に目的も無いようにス
ライムは部屋のあちこちにうろついている。
彼の言葉に、男の側に控えている黒いローブの人物はスライムから目を離さず、ぼそりと呟
いた。
「……ええ、『知能のないスライム』ならば……」
その言葉が終わる前に、先ほどから無言でスライムを見つめていた黒装束が素早く跳躍する
と、スライムに飛び掛った。
まるで死神の鎌のように大きく振るわれた腕を、少女の姿をしたスライムは先ほどまでの緩
慢な動きが嘘のように俊敏に飛び退き回避する。
「ちっ! くそ、ばれたか!」
 飛び退ったスライムの口から幼い少女の姿には似つかわしくない、活発な少年の声が響く。
直後、表面を覆っていた粘液がどろりと溶け流れ消えたかと思うと、革の軽鎧をまとった栗
色の髪の少年の姿が現れた。
「……変化の呪符、か……」
 完全に正体を現したアレイクを見据えたまま、ぽつりと彼に飛び掛った影が漏らす。その
言葉に少年はどこか悔しそうにしながら答えた。
「そーゆーこと。くっそ、完璧に化けたと思ったんだけどな。まさかこんなに早くばれると
は思わなかったぜ」
偽装を見破られたというのに、少年の声には焦りや恐怖はなく、響きにはいまだどこか余裕
を漂わせていた。
「な、なんだ貴様は!! いったい、どうやってここを知った!?」
 不敵な笑みを浮かべるアレイクとは対照的に、突然の乱入者に彼を見つめる男の声はうわ
ずり、驚き戸惑っている。
 アレイクは男の手にしっかりと握られている宝珠の輝きを認めると、安堵の吐息を漏らし
た。
「お、間に合ったみたいだな! おっさん! その宝珠、返してもらうぜ!」
腰の剣に手をやりながら、少年は疾風の如く駆け出す。
「き、貴様! フリスアリスの手の者か!?」
「ま、そんなもんだ! 誰だかしらねーがぶっとばされたくなかったらさっさとそれを返し
て降参しろっ!」
恐怖が混じり、パニック一歩手前のような男の声と活発で不敵な少年の声が空気を振るわせ
る。
だが男に飛び掛ろうとする直前、アレイクは横から飛び出してきた影に気付き、とっさに後
ろに飛びのいた。
「くっ! やっぱそう簡単にはいかねーか!」
はらり、と前髪が数本落ちる。
 先ほど彼の変化を見破り、飛び掛ってきた黒装束がアレイクと男の間に割って入ると、そ
のまま彼の行く手を遮るように立ちふさがっていた。
(人間……? いや……魔物、か?)
 正面に立つ人物は顔すらも黒い布で覆われており、その正体を察することが出来ない。
ただ、黒頭巾の切れ目から覗く瞳がこちらをじっと見つめている。
 おそらく、こいつが宝珠を守っていたガーディアンを一撃で倒したヤツだ。先ほどからの
動きと言い、目の前の人物が只者ではないことだけはアレイクにも感じられた。
(こいつは……正直やべえ相手かもな……)
 剣を抜き、目の前の敵を油断なく観察する。向かい合う人物はどうやら無手のようで、
刃物や武器に類するものは持っていないようだが……その構えに隙がない。
お互い、じりじりと間合いを詰める。
ちら、影の背後の男とフードの人物に眼をやると、影がアレイクの相手をしている事を見て、
じりじりと下がりだしていた。
(くそ……あいつら逃げる気だ……。
かといってこいつ、隙を見せられる相手じゃねえし……)
焦りばかりが募るアレイクだが、下手な動きを見せれば眼前の相手にやられかねないためど
うすることも出来ず、その場に足止めされていた。
そうしている間にも、少しずつ男達との距離が開いていく。
(ダメか……!)
アレイクがそう思った刹那。男達とは違う第3者の、しかし彼にとってはよく聞き知った声
が部屋に響いた。
「このバカ! 一人で突っ走ってんじゃないわよ!」
ほぼ同時に、天井から小柄な影が宝珠を持った男に飛び掛る。
完全に不意をつかれ、彼女に対応できない男の手から、飛び降りてきたプリンが宝珠を奪い
返そうと手を伸ばし――

その手が空を切った。
「……えっ!?」
「な、なにっ!?」
プリンとアレイクが同時に声を上げる。
「きゃあっ! ……いったぁ〜……。何なのよお!?」
 男に飛び掛った体勢だったため、プリンは着地のバランスを崩し、地面にしりもちをつく
と小さな声を上げた。
「幻像……! いつの間に!?」
 遠目から見ていたため、いち早く事態に気がついたアレイクが叫ぶ。
だが、つい先ほどまでは確かにあの二人とも生身の人間だったはず。いくら目の前に気を取
られていたとはいえ、アレイクとプリンに気付かれずに身代わりを作り出し、それと何の気
配も無く入れ替わるとは只者じゃない。
 あの男がそんな高等技術を身につけていたとは考えられなかった。
と、すると……付き従っていたローブのヤツの仕業か。
考えをめぐらせるアレイクたちが身構える。
と、依然張り詰めた空気が支配する部屋の中にどこからとも無く声が響いた。
「……どうやらお仲間はそれだけのようで……。ちょうどいい、始末する手間が省けたと言
うもの……。まとめて、ここで消えていただこう……」
 声が続けると、先ほど男が投げ捨てた、床の金貨の詰まった袋がめこめこという気味の悪
い音と共にうごめきだし、袋の口から黄土色の泥があふれ出した。
泥はとても袋の大きさからは想像できない量を溢れさせ、見る間に天井に頭がつきそうなほ
ど巨大な人の、それも女性の姿を形作っていく。
「……こ、こいつ!?」
「……!」
「ちょっと、冗談でしょ……」
息を呑む彼らの前で、泥で出来た巨人は意志のない、うつろに濁った瞳にアレイクたちを捉
える。そうしてゆっくりと、しかし圧倒的なプレッシャーと共に「彼女」は動き出した。
「……心配しないでも殺したりはしない……。まあ、死ぬまで彼女の中で交わり続けること
にはなるが……」
「ちっとも安心できないわよ!」
またも響いた声に、プリンが文句をぶつける。叫んだ彼女に反応したのか、泥で出来た女の
ゴーレムはプリンの方に手を伸ばした。
「……ひっ!」
「プリン!」
 思わず縮こまったプリンを泥の手が捕らえようとした瞬間。アレイクと対峙していた影が
少年の目の前から消える。
閃光が走り、室内を通り抜けたと感じた瞬間。一陣の風と共に彼女を抱えた黒装束がアレイ
クの隣に戻っていた。
「……大丈夫か?」
「あ、ありがと……」
 戸惑いながらもお礼を言う彼女を地面に下ろすと、黒装束はアレイクの隣に立ち、ゴーレ
ムを睨む。
アレイクも視線を敵から逸らさないまま、自分の隣に立つ人影に声をかけた。
「ありがとな。……とりあえず、一時休戦ってことでいいのか?」
「ああ。……どうやら最初からやつらは私の口も封じるつもりだったようだしな」
ちらりと巨人の足元に落ちている破れた袋を見やる。その内側には召喚の魔法陣が描かれて
いた。もし彼女が手にとっていれば、その瞬間泥の中に飲み込まれていたのだろう。
「そっか。じゃあさ、ついでに宝珠取り戻すのも手伝ってくれねー? 正直なとこ、あんた
の方がそこのドジインプより強そうだし」
「ちょっと! 誰がドジインプよ!? 大体あんたが手伝ってくれって言ったから私までこ
んな危ない目にあってるのよ! こらあ、聞いてるの!?」
プリンの抗議を無視し、にかっと笑いかける少年に隣の影は若干の戸惑いを含んだ声で答え
る。
「……本気で言っているのか? そもそも私があれを盗んだことが元凶なんだぞ……?」
「んー……でも話を聞いたとこ、悪いのはあのおっさんぽいし。なんだかんだでさっきも俺
を本気で殺そうとはしてなかったし。そこのドジ……プリンも助けてくれたし。
それに――どうも俺にはあんたが悪いやつには見えねーし」
少年のあまりの能天気さに後ろで頭を抱えるプリン。その様子を無視してアレイクは続ける。
「なんつーかあんたの目……寂しそうだし。なあ、一緒にいかねーか?」
彼の目には隠し事もはかりごとも無い。本心からその言葉を言っていることが分かる、
まっすぐな瞳。
少年を横目で見つめていた影はふっと一息つくと、ほんの少しだけ、嬉しそうな声を漏らし
た。
「……そうだな。それも悪くない……」
「よっし! 決まりだな!」
 小さくガッツポーズをとるアレイクに、背後からインプの少女の焦った声が掛かる。
「はあ、いろいろ言いたいことはあるんだけど。……とりあえず、この後どうすんの!」
緩慢な動作で迫ってくる巨大な泥女を前に、先ほどまでの焦燥は微塵も感じさせず少年は高
らかに宣言した。
「決まってんだろ! こいつをぶっ飛ばして、あいつらを追っかける!」
剣を正眼に構え、握った柄から魔力を流し込む。刀身に刻まれた古代文字が淡く発光し、少
年を中心に風が起こった。
「……そうだな。まずはここを切り抜けてから。全てはそれから、か」
 少年の隣に立つ人物も頷くと、全身を覆っていた黒装束と頭巾を投げ捨てる。
その布の下からはすらりとしつつも女性らしい柔らかな体のラインを包む、動きやすさを重
視した薄手の衣服を纏った凛々しい少女の姿が現れた。異国の服か、あまり見ないデザイン
だがそれが彼女にはよく似合っている。
「ええっ!?」
 プリンが驚きのあまり、小さな叫び声を上げる。それは影の正体が若い女性だったことも
あったが、それ以上に……
 光に美しく輝く流れるような長い銀髪から覗く、髪の色と同じ銀の獣毛に覆われ、先端が
少しだけ黒く染まった三角形の耳。手足も耳と同じような色の毛で覆われ、鋭い爪が伸びて
いた。
引き締まったお尻からは輝く銀色のふさふさとした尻尾が生え、左右に揺れる。今は肉食獣
のように鋭く細められた瞳は、眼前の敵を力強く、油断無く見据えていた。
「……きつね? ワーフォックス、ってやつか?」
問いかける少年に、獣人の少女は鋭い視線を少し緩める。
「こちらではそのような名で呼ぶのか。生まれた地では私は「妖狐」と呼ばれていた」
「ヨウコ?」
繰り返すアレイクに少女は頷く。
「あやかしの力――お前たちが言う魔力――持つ狐、ということだ。種族名だが。
……私自身の名は、『葛ノ葉』という」
「クズノハ……不思議な響きだけど、いい名前だな! 俺はアレイク、でそっちが……」
「プリミエーラ……」
「プリンだ。よろしくな! くー!」
背後でぎゃいぎゃい騒ぐ声を聞き流すと、少年は彼女に笑いかける。
「ああ……こちらこそ。アレイク」
そんな様子をちらりと見、「くー」と呼ばれた少女は小さく微笑むと少年と共に迫り来る
敵に向かって駆け出した。

――――――――――――――

 クズノハの尻尾が大きな円の軌跡を描くと、虚空に真紅の火球が浮かび上がる。
「ハアッ!!」
裂帛の気合と共に、火球は一直線に泥女へと飛び、轟音が響き渡り白煙がその巨体を覆い
隠す。
直後、クーは煙を切り裂いて伸ばされた泥の手を軽やかな身のこなしで回避した。
「喰らえッ!」
腕が伸びきった瞬間、魔剣を構えたアレイクが飛び込み、上段から一気に振り下ろした。
魔力により強化された刃は巨大な腕をやすやすと断ち切り、どさりと床に落とす。地面に
落ちた部分は一瞬後、どろどろとその形を崩していった。
 もうもうと立ち込めた煙はすぐに晴れ、彼らの視界に胸元に大きな穴が穿たれ、左腕を
切り落とされた泥巨人が姿を現す。
 しかし、その姿とは裏腹に先ほどの攻撃も決定打になっているようには見えなかった。
先ほど溶け、泥となった腕をゴーレムの足が踏むと、泥は意思を持つようにその巨体に吸
い込まれる。すぐに、切り落とされた部分から元通りの腕が形を作った。
「くっそ、斬ってもふっ飛ばしてもダメージが与えられねえ!」
 アレイクは再生され大きく振り回すその腕をバックステップで避けると、毒づいた。
巨人の攻撃は動きが鈍いこともあってかわすのは楽だが、こちらの攻撃も通じないのでは
ジリ貧だ。いずれは自分達の方が体力が尽きて、捕まってしまう。
「くっ……」
クズノハも唇をかみ締めると、また新たな狐火を作り出す。
しかし打ち込まれた炎弾は泥のゴーレムの表面を吹き飛ばしたに過ぎず、傷もすぐさま塞
がれていく。
「まあ、ムダでもやるしかねーけどな!」
「……ああ」
 彼らは顔を見合わせ頷くと、何度目か知れぬ攻撃を仕掛ける。いつの間にか二人のコン
ビネーションの息は合い、まるで以前からずっと一緒に戦っていたかのようだった。

「……おかしいわ。いくらなんでもあれだけの攻撃を受けて倒れないなんて……」
 戦いが始まってからアレイクとクズノハ、そして敵の泥女の様子をじっと見つめていた
プリンは、言い様の無い違和感を覚えていた。
 先ほどのクズノハの攻撃もそうだ。明らかに致命傷に見えたのに、敵は一瞬後にはなん
でもなかったかのように回復していた。
「どろおんな」はスライムのように再生力の高い不定形生物ではなく、ましてやゾンビな
どのような不死性など持ち合わせていないはず。仮に製作者が強大な魔力を持っていたと
しても、基本は自由に姿かたちを変えられない魔物である以上、あそこまでの再生能力は
ないはずだ。
 もう一度、敵の姿を視界に捉える。プリンの目の前で、二人の攻撃で泥女に出来た傷が
また先ほどと同じようにみるみるうちに塞がっていく。
と、彼女の感覚はその光景の中、泥女の中の一部分に異様な魔力が高まっていくのを見抜
いた。
「何? あの……額の所……?」
もう一度感覚を研ぎ澄ませ、集中する。やはり先ほどのは気のせいではなく、確かに泥女
の頭部、額の辺りに強い魔力が集まっていた。
その意味に気付いたプリンは、すぐさまアレイクに叫ぶ。
「アレイク! 額よ! 頭部にそいつの核があるのよ!」
「核!? なーるほど! そーゆーことか!! ……くー!」
敵の攻撃を回避しながら、アレイクはクズノハと視線を交わす。
 プリンの言葉を聞き、彼の意図を察した彼女は頷くと大きく跳び退り、先ほどよりも大
きな火炎弾を作り出した。
クズノハが指差すと、火の玉はまるで矢のようにまっすぐに泥女の頭に向かい、爆音と共
にその頭部を吹き飛ばす。
衝撃と共に大量の泥が飛び散る。その大小の泥塊の中に、一つだけ金色に輝く塊を見つけ
出したアレイクは大きく飛び上がると、全開の魔力をのせた剣を真一文字に振りぬく。
剣閃が生み出す魔力の刃は過たず泥のゴーレムの核となっていた金貨をとらえ、欠片も残
さず消滅させた。同時に、ごおああ……と言う断末魔のような音がゴーレムから響く。
残った体がどろどろと崩れると。まるで雪が溶けるかのように、泥は小さくなり消えて
いった。
「……終わったか」
その様子をじっと見つめていたクズノハは、泥の最後のひとかけらが消えると小さく呟く。
「よっし! 勝利ッ! ま、当然の結果だな!」
 アレイクはたん、と地面に軽やかに着地し、刀身についた泥を落とすように剣をひゅっ
と振る。チン、と小気味よい音を響かせながら剣を鞘に収めた少年はぐっと拳を天に突き
上げる。
「はぁぁ……もうダメかと思ったわよ……。このバカにかかわると命がいくつあっても足
りないわ……」
 一部始終を見守っていた少女が戦いが終わったのを見届けると、その体から緊張が解け
る。そのまま全身から力を抜いて床に座り込んだプリンは愚痴をこぼした。
彼らは三者三様の感想を漏らしながら、勝利と、とりあえずの危機が去ったことに一息つ
くのだった。

――――――――――――――

 先ほどの戦闘からしばらく後。アレイク、プリン、そして妖狐のクズノハは廃屋の入り
口に立っていた。
「とりあえず、何とかなったな。くー、ありがとな!」
 明るい表情でぎゅっとクズノハの手を握るアレイク。彼らをどこかむすっとした表情で
眺めていたプリンが口を開く。
「何とかなったな、じゃないわよ! 危うく死ぬまで泥の中で犯されるとこだったのよ!
アレイク、あんた危機感って物が無いの!? そんなんじゃ次はきっと死ぬわよ!
もうちょっと考えて行動してくれないと心配で見てられないわ!」
 ぷりぷりと怒りながら、しかしどこか少年の世話を焼くような調子の物言いに、アレイ
クはハイハイと適当な相槌を打つ。それにまたプリンは声を荒げ、効果の感じられない無
い説教を続けるのだった。
 彼らの様子を優しげな瞳で、どこかうらやましそうに見ていたクズノハは、小さく首を
振る。
「いや……君たちがいなかったら……私一人ではあいつにやられていた。アレイク、プリ
ミエーラさん、君たちには感謝してもし足りないな。
そして……それ以上に謝罪も。すまない、私があの宝石を盗み出したりしなければ……」
 頭を下げるクズノハに、ちょっと慌てた様子で少年が声をかける。
「だからそれはもういいって! 悪いのはあのおっさん達だし! 師匠たちだってちゃん
と話せば分かってくれるって!
それよりさ、くー。さっきも言ったように俺達と一緒に行かないか?」
「……いいのか? ついさっきまで敵だったんだぞ? もしかしたら私が裏切るかもしれ
ない、などと考えたりはしないのか?」
 顔を上げたクズノハは少年と、その後ろの少女を見やる。
「そんなの関係ないし気にしないって! 俺はくーと一緒に冒険したいんだ!」
「はあ、このバカ……。だけど、私にも貴女は裏切るような人には見えないわ。会ったば
かりだけど、それくらいは分かる。一応、ね……」
 アレイクは邪気の無い、純粋な笑顔を浮かべて彼女に手を差し伸べている。プリンも口
ではなんだかんだ言いつつも本気では反対していないようだった。
「……そうだな。君たちには大きな借りも出来たことだし、やつらにやられたままでは私
も気が済まないしな」
彼女は今は獣の毛に覆われた姿から、少女らしい姿に変えた細い手をそっと出すと、おず
おずと少年の手を取り優しく握り返した。
「こちらからお願いする。アレイク、私にも宝珠を取り戻すのを手伝わせて欲しい」
「ああ! 大歓迎だぜ!」
「……ま、腕は確かだしね。このバカよりは頼れそうだし。よろしくね、クズノハさん」
 喜ぶアレイクと仕方が無いと言うように肩をすくめるプリンを見ながら、クズノハは微
笑を浮かべた。
「こちらこそよろしく頼む、プリミエーラさん。アレイク、宝珠奪回のため、この私の力
を存分に使ってくれ。
……これは、その約束のしるしだ」
凛々しい瞳がまっすぐにアレイクを見つめる。とまどう少年に微笑むと、クズノハはそっ
と彼の頬に口付けをした。
「え、あえ? え?」
「……! ちょ、ちょっと!!」
「ふふ……。さあ、あいつらを追いかけるのだろう? 急がないと逃げられてしまう」
 何をされたか理解できず混乱する少年と、あまりの不意打ちに顔を真っ赤にして抗議す
るインプに背を向け、彼女はすたすたと歩き出した。
「あ、待てって! くー!」
慌てて追いかける少年とその先をどこか嬉しそうに歩く狐娘を見ながら、プリンは呆然と
呟いた。
「ら、らいばる出現……!」
そんな彼らの間を、そよ風が吹きぬけ、彼らの冒険の始まりを見守るかのように日の光が
木々の葉の間から降り注いでいた。

――――――――――――――

 真っ暗な室内。星も見えない夜のような闇が満たす空間に置かれた水晶玉に、ぼうっと
明かりがともる。
やがて透明な水晶玉は、その内部に泥のゴーレムが倒される瞬間を映しだした。
「……ふふ……なかなかやるわね……」
ぼんやりとした光に照らし出されたフードの人影は、その映像を見ながらどこか愉快そう
に言葉を漏らす。
 次に、水晶は街道を歩く三人の姿を映し出した。
まっすぐな瞳で前を見据える少年。
ぶつぶつと小声で文句を言いながらも少年の後を追うインプの少女。
そして、そんな二人を見守るような狐耳の娘。
「……どうやらあの子、人望もあるみたいね……。さて、次はどうしましょうか……?」
まるで次の遊びを何にしようか悩んでいるとでもいうように、声の主は彼らの行く先を
見つめていた。

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第二話 「妖しき影と狐のくちづけ」 おわり
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