インプ被害報告書
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V.

 両脇に背の高い木が並ぶ街道を、3つの人影が歩いている。
 先頭を歩くのは、活発そうな表情とまっすぐな瞳が印象的な少年。身に着けたレザーアー
マーとマントが旅装であることを示している。
 その後ろを、彼よりやや低い背丈の幼い外見の少女と、人目を引く鮮やかな銀色の長い髪
が風になびく娘がついていく。少女の髪からは小さな角がその姿を現し、スカートのすそか
らは黒く細い尻尾が覗いている。
 隣を歩く娘も美しい銀髪に狐の耳が生え、腰から伸びる髪の色と同じ銀の豊かな毛並みを
持つ尻尾が揺られていた。
 彼女らは、インプと妖狐。人ならざりしもの達である。
 だが、二人を連れ立って歩く少年は、そんなことはまるで気にした様子はない。
 時々すれ違う旅人たちも、初めは少女らの異形に少し驚いた様子を見せるものの、彼女た
ちに人を襲う気がないことが分かるとまた視線を前方に戻し、歩き去っていく。
 彼らの方は、そんな人々にいちいち構うことなく、先ほどから変わらぬ歩みを進めていた。

「ちょっと、アレイク?
さっきからどんどん進んでるみたいだけど、何か当てがあるわけ?」
 しばらく歩いた所で、幼い外見の方の少女が目の前の少年に声をかけた。
 一行が小屋を出発し、森を抜けた後、もう既にかなりの距離を歩いている。
 アレイクがあまりに確固たる足取りで歩き続けたのでとりあえずついてきたわけだが、こ
の道は街に戻る方向ではない。
 となると、てっきり彼女が気付かないうちにあの連中の手がかりを見つけて、その足取り
を追っているのかと思ったのだが。
「ん? いや、特に当てがあるわけじゃねーけど。
もしかしたらこの辺りにまだあいつらがいるかもしれねーし」
 少年は悪びれもせず、そんなことを言ってのける。その言葉に口を開けたまま、しばらく
ぽかんとしていたインプの少女の顔がみるみる赤く染まっていく。
「ばっ……かじゃないの!! あんた、何の当てもなくただ歩いていただけ!?
そんなんで見つけられるわけがないじゃない!!
……はぁ、そうよね。あんたが何か考えてるとちょっとでも思った私が悪かったわ……」
 怒鳴り声が響き、周囲の木から驚いた鳥達がばさばさと飛び立つ。だがその怒りはすぐに
鎮まり、少女は諦めたようにがくりとうなだれた。
「なんだよそれ。じゃあプリン、お前は何か考えあるのかよ?」
 むくれた様子のアレイクが口を尖らす。それに対し、プリンは人差し指を一本、ぴんと立
てると出来の悪い生徒を諭すように少年に言い聞かせた。
「あんた……、今までのことを領主様に報告することぐらい思いつきなさいよ。
もしかしたら向こうでも何か手がかりを見つけてるかもしれないんだし。
それに、自分ひとりで突っ走りすぎよ。
あんた一人で何でもできると勘違いしてると、この先確実に死ぬわよ!」
 少女の正論に、アレイクはぐっと詰まる。助けを求めるように妖狐の娘に視線を向けた少
年であったが、彼女もまた厳しい目を彼に向けていた。
「確かに、プリミエーラさんの言うとおりだ。
アレイク、君はもう少し落ち着いて物事を捉え、もっと周囲と息を合わせるべきだよ。
自分ひとりで何でもできると思っているうちは、まだまだ子供だ。
それでは何にも出来やしないよ」
 厳しい言葉の中にも自分のことを考えてくれている彼女たちの言葉。それが分からないほ
ど彼も愚かではなかった。
「わ、悪かったよ。……確かに、ちょっと焦りすぎてたかもしれない」
 そっぽを向きながらだったが、猪突猛進の少年の口から一応の謝罪の言葉が聞けただけで
も着実な進歩なのかも知れない。
 プリンはまだ言い足りないようであったが、傍らに立つ妖狐、クズノハの視線を受けてや
れやれといった様子でため息を一つついた。
「それで、どうする?」
 先ほどまでの厳しい表情を緩め、穏やかな声でクズノハが問いかける。アレイクはその声
に視線を二人に向けた。
「師匠の所に戻った方がいい……よな、やっぱ」
「まあ、それが無難でしょうね。
今のとこ、私たちには直接あいつらを追えるような手がかりらしい手がかりもないし」
「ふむ……あの屋敷か。私が行っても大丈夫なのか?」
「まあ、大丈夫だと思うわ。領主様、器の広さは相当なものだし」
 がやがやと道端で話し込むアレイクたち。

 と、不意にプリンの頬に水滴が一粒当たる。
「あら?」
 彼女が見上げるのが早いか、わずかばかりの雲が浮かぶだけの明るいはずの空からぽつ、
ぽつ、と水滴――いや、雨が降ってきた。
「雨? 変ね、そんなに雲なんて無いのに」
「天気雨ってヤツか。 珍しいこともあるもんだな」
「……」
 次第に強くなる雨の中、少年はとりあえず雨宿りできそうな場所がないかと周囲を見回す。
 すると、先ほどまでは話に夢中だったために気付かなかったが、前方に小さな建物がある
のが彼らの目に入った。
 比較的しっかりとした造りの木造2階建ての建物だ。屋根が張り出しており、その軒下に
入ればこの雨もしのげるだろう。
「お、あそこで休ませてもらおうぜ」
「そうね。じゃ、走りましょ」
「わかった」
 天気雨とはいえ意外と雨脚の強い中、一行は前方の建物目指して街道を駆け出す。
 建物まではそれほどの距離があるわけでもなかったため、彼らはずぶぬれになる前に屋根
の下にたどり着くことが出来た。
 ばたばたと軒先に身を寄せた彼らが改めて建物を見やると入り口ドアの脇に小さな看板が
あることに気付く。
『休憩、宿泊 お気軽にどうぞ』
 しばし3人ともその文字を見つめる。
「なるほど、宿だったのか」
アレイクが看板の文字を読みながら呟く。
「街道沿いの、旅人達の宿ね。こっちの方には来ることが無かったから、こんな所に宿があ
るなんて知らなかったわ」
「といっても、今は客はいないようだな。だが、一応主人に話を聞くか?」
 取り出した布で髪を拭きながら発せられたプリンの言葉に、窓から中の様子を窺っていた
クズノハが答え、提案する。
「そうだな……。ダメ元で訊いてみるか」
「ええ、もしかしたらってこともあるしね。
それに、この雨が行くまでは中で少し休ませてもらいましょ」
「そうすっか」
 プリンの言葉にアレイクとクズノハも頷く。アレイクが木で作られた両開きのドアを開け
て中に入ると、二人の少女もそれに続いた。

――――――――――――――

「いらっしゃい。おや、剣士に狐と悪魔の娘さんとは珍しい組み合わせだ。冒険者かね?」
 宿の主人らしい、年老いた男が声をかける。
 真っ白な髪と深いしわが刻まれた顔は商売人らしい愛想があり、その声はしゃがれてはい
たが人のよさを感じさせるものであった。
 領主のフリスアリス家が魔物との共存を支持している影響で、この地方に住む人たちにも
魔物に対する偏見はそれほど無い。
 実際、人とのコミュニケーションが取れる魔物の中には、人間社会に溶け込んで暮らして
いるものもいるのだった。
「ああ、まあそんなもん」
答えながら、アレイクは中を見回す。
 フロントというほど立派なものではないが、ドアから入ったところは簡素なロビーといっ
た風になっており、休憩用のテーブルやイスが置かれている。
 正面に見える木製のカウンターに、先ほど声をかけてきた男の姿があった。宿泊用の部屋
は二階にあるらしく、カウンター脇の通路の先には階段が見える。
 見たところアレイクたちの他に客の姿は無く、カウンターの向こうに座る主人も暇をもて
あましているようだった。
「えと、ちょっとお伺いしたいことがあるのですけど」
 入り口からカウンターの所までやってきたプリンが、会釈をしながら主人に声をかける。
 何事だろうかと疑念と興味を浮かべる彼に対し、プリンは重要な部分は上手くぼかしなが
ら、自分達が盗賊を追っていること、その犯人と思しき人物をこの辺りで見かけていないか
と尋ねた。
「う〜む……今日は一日家の中にいたからなあ。
少なくとも、話に聞いたような人はうちの宿には来なかったよ。
多分、表の道も通っていないと思うね。力に慣れなくて申し訳ない」
 主人の言葉は彼らにとってはある程度予想していたものではあったが、流石に現実として
突きつけられると少々の落胆を感じざるを得なかった。
「そうですか……。ありがとうございます」
プリンはぺこりと頭を下げると、入り口にたたずむアレイクたちの所まで戻って来た。簡単
に、今聞いた情報を話す。
「まあ、そう簡単にいくとは思っていなかったけど。手がかりが無いのは厳しいわね」
「そうだな。今のところの手がかりとしては、せいぜい私たちの記憶にあるやつらの姿だけ
だからな」
「くそ! さっき取り逃がしさえしなければ!」
 吐き捨てながら拳を握り締めるアレイクの手を、そっとクズノハが包む。
「……くー?」
 思わず顔を上げた少年の目の前に、優しげなクズノハの瞳があった。
「また、熱くなっているぞ。そうやって後悔していても何も始まらない。
今は、自分が出来ること、すべきことだけを考えればいい」
 年下の子供を諭すような、しかしそれでいて決して偉ぶっていないクズノハの声に少年の
手から力が抜ける。
「……そう、だな。あいつらを追いかける事だって、捕まえる事だって、まだまだチャンス
はあるんだしな!」
「そうそう、あんたに後悔なんて似合わないわよ。
……ま、正直言うとあんたには「後悔」じゃなくて「反省」が欲しいとこだけどね」
「どーいう意味だよ!?」
 再び瞳に強い光を取り戻した少年を横目に、インプの少女が突っ込む。その言葉にくって
かかるアレイクをなだめつつ、クズノハは切り出した。
「ところで。今のところ手がかりがない以上、領主の所での情報収集を行う、と言うのが今
後の予定でいいのか?」
 その言葉にプリンは首肯し、同意を示す。
「そうね、それがベターな選択だと思うわ。
少なくとも、当ても無く闇雲に動き回るよりはいいでしょう」
「ちぇ〜……。結局師匠のとこに戻りかぁ……。なんか情けねー……」
「そうやって面子や体裁を気にしているうちはまだまだ半人前だよ。
真の冒険者、プロならば過程や手段よりもまずは依頼の達成を目標にしなくては」
「わ、わかってるって……」
 ぼやくアレイクに、クズノハが諭す。少年は頭では分かっていてもいまいちそれを認めに
くいのか、ぶすっとした表情を作った。

「けど、結構街から遠くまで来ちゃったのよね。
今から戻るとなると、領主様の所につくのは夜遅くになっちゃいそうね」
 窓の外、傾きはじめた太陽を見ながらプリンが呟く。
「ふむ。どうする?」
「そうだな……。
ん? そういえばここ、宿屋なんだっけ。
そうだ、どうせなら今日はここに泊まればいいんじゃないか?」
 ぽんと手を叩いたアレイクに、プリンの体がぴくんと反応する。それに気付かず、彼は少
女達に向き直った。
「プリン、くー。それでいいか?」
「私は構わない。確かに、さっきの戦闘で体力も妖力もかなり使ってしまったしな。
休んでおくのも悪くはないと思う」
 クズノハは小さく頷きながら、その提案に異論が無いことを示す。続いてアレイクはもう
一人の方に顔を向け、意見を聞くことにした。
「プリンは?」
「わ、わたしっ!? そそそうね! さっき体力使ったものね!
うん、街に戻る途中で魔物に襲われたら大変だしね!?
うん、うん、泊まるのはいいと思うわ! 構わないわよアレイク!」
「……? よくわかんねーけど、泊まることでいいんだな?」
 何故か顔を赤らめ、慌てたようにまくし立てる彼女に不審の目を向けながらも、アレイク
は宿泊の旨を告げるべくカウンターに歩み寄る。
「え〜っと、おっさん。ここに3人泊まれる?」
「ああ、宿泊かい? 大丈夫だよ」
「そっか、よかった。じゃあ、えっと3人、一部屋で」
「ぶっ!!」
 さりげなくアレイクの言葉に耳を澄ましていたプリンは、その言葉を耳にした瞬間吹き出
してしまった。余りにも唐突な言葉が聞こえてきたせいで、隣のクズノハが支えてくれな
かったら危うくすっころんでしまう所だったくらいである。
 体勢を立て直し、心配するクズノハにお礼を言うのも忘れて目にも止まらぬ動きでアレイ
クの元に向かい、背後からその頭をつかむ。
 実際は二人の間には身長差があるので、プリンは隠していた翼を現し空中に浮いていた。
 その背から立ち上るオーラが少女の背に炎が浮かんでいるような錯覚を見るものに感じさ
せている。
「あ〜れ〜い〜く〜? いきなり女の子二人と同部屋にとか何考えてるのかしら〜?
同衾? 3P? そんなこと考えるのはこの頭?」
「いてててて! はぁ!? いきなりなんだよ。意味わかんねーよお前!」
「意味わかんないのはあんたよ! あんたがそんなスケベだったとは思わなかったわよ!」
「インプにスケベって言われたくねーよ! じゃあお前、二部屋取る金あんのかよ!?」
「あ」
 その言葉にプリンからゴゴゴ、という音と共に出ていた黒いオーラが突然消える。
 そういえば、アレイクが半ば無理やりかつ急に連れ出したせいで、彼女は金はおろか、
装備すらろくに用意していなかったことに気がついた。
 今着ている服も、旅や冒険に着るような丈夫なものではなく、ごく普通の普段着である。
 プリンは助けを求めるようにクズノハに視線をやってみたものの、彼女もまた首を左右に
振っていた。手持ちは、無いらしい。
「ああ……。何でいっつも、こうなるのかしら……」
 プリンの頭の中では、冒険に出るのにそれほど資金を用意しなかったアレイクに対する憤
りよりも、「折角の機会」がこういう色気の欠片もないものになった情けなさの方が勝って
いた。
アレイクから手を離すと、へなへなとその場に座り込む。
「あ〜……、一部屋で、いいのかね?」
 彼らの様子にあっけに取られていた宿の主人が、おそるおそる声をかける。
「ああ、それで頼むよ」
「一晩、厄介になります」
「……もう、いいです。それで……おねがい、します……」
主人に向け、アレイクが返事を返し、クズノハが頭を下げる。そんな彼らをよそに、プリン
は一人やり場の無い気持ちと共に涙を流すのだった。

――――――――――――――

 そんなやりとりからしばらく後。部屋に荷物を置いたアレイクたちは一階の食堂で早めの
夕食を取っていた。
 小さな宿であるため、食堂とはいってもそれほど広いわけではなかった。それでも彼ら以
外には客がいないため実質のところ貸切状態で、3人は他人を気にすることなくゆっくりと
食事を取ることができた。
 テーブルの上にはパン、スープを始め鶏肉やサラダなど、旅人向けの宿としてはなかなか
に豪勢といえる料理が並んでいる。正直、彼らが払った料金からすると分不相応とも思える
くらいだ。
 主人曰く、食材は使わないと痛むからサービスとでも思って気にすることは無いそうだが。
無理に遠慮することも無いため、一行はその好意をありがたくいただくことにした。

「そういえばさ。くー、昼間に俺の変化見破っただろ?
ほら、小屋でスライムに化けてたやつ。
何で分かったんだ? あの呪符での変身は完璧だと思ったし。
正直かなり自信あったんだけど」
 ちぎったパンを頬張りながら、アレイクはテーブルを挟んで正面のクズノハに問う。
 その顔には見破られた事へのわずかばかりの悔しさと、それ以上に純粋に不思議だという
感情が浮かんでいる。
「あ、私もそれは知りたいわ。
呪文スクロールでの変身を見破るってかなりの腕の魔術師でも難しいのに」
 アレイクの右隣に座り、スープを飲む手を止めたプリミエーラも続く。
 昼間、廃屋への潜入の際にアレイクが使った呪符は、彼が師の倉庫から無断で持ち出した
ものだけあって、その辺の冒険者程度の腕ではそうそう変身を見破ることの出来ないもの
だったのだ。
 興味深そうに見つめる二人の視線に、クズノハは食事の手を止め、持っていたコップを
テーブルに置く。
「いや、そうたいしたことではないよ。
まず最初に不審に思ったのは、スライムの割には動きがなんだか「魔物らしくなかった」
から。
腹を空かせているにもかかわらず、あそこにいた男に襲いかからないのは不自然だ
本能に身を任せるような魔物ならなおさらね」
「なるほどね……」
 感心したようにプリンが漏らす。アレイクも言われて思い当たったのか、腕組みをして
ふんふんと頷いた。
「それで探ってみると、気の質が人間のものだったから。化けているのだと思ったのさ」
「気の、質?」
 聞きなれない単語に首をかしげる少女の方に顔を向けると、狐の少女は首肯し、説明を
続けた。
「ああ。例えば声が一人一人異なるように、そのものが持つ「気質」――生命力や魔力の
気配と言い換えてもいい――というものは個人によって違う。
人と魔物では、なおさら。どんなに上手く化けていても気の質だけは変えられない。だから
見破れたんだよ」
 淡々と話すクズノハ。彼女が言うような方法で対象の偽装を暴くことは不可能ではないし、
熟練の冒険者や魔術師の中にはそういった技能を持つものも確かにいる。
 だが、そういった者達であっても、よほどの錬達者かそれを手助けするようなアイテムが
ないと難しいだろう。
 本人はなんでもない事のようにしゃべっていることが、逆に彼女のすごさを物語っていた。
「すっげえな……。くー、そんなのどこで覚えたんだ?」
 その驚きを顔に貼り付けたまま、テーブルに身を乗り出すようにしてアレイクが尋ねる。
 クズノハはそんな彼の勢いにちょっと身を引きつつも、先ほどまでと変わらない静かな
口調で語りだした。
「ん……。そうだな、私が生まれた地ではそれほど珍しい技術ではなかったからな。
物心ついたときには自然と身に着けていたと思う」
 どこか遠くを見つめるような眼差し。彼女の声には故郷を懐かしむような響きがあった。
「クズノハさんの生まれたところって、少なくともこの辺りじゃないわよね?
その不思議な響きの名前といい……東の方?」
アレイクを引っ張り、席につかせながらプリンが問い掛ける。
「ああ、この国からずっと東の国、海に浮かぶ小さな島々からなる国だよ。
昔、そこでいろいろあってね。新しい住処を探してあちこち旅をした結果、ここまでやって
来たというわけさ。
……もっとも、辿り着いて最初の仕事の依頼主はとんだ悪人だったようだけれどもね」
目を閉じるとやれやれと言わんばかりに嘆息する。
 そんな彼女の様子を見、アレイクは再びパンを手に取りながらにかっと笑いかけた。
「そーそー。悪いのはあのおっさんだし。そんなことなんかさっさと忘れた方がいいって。
仕事なら、もっといいやつがいっぱいあるって。くーの腕はそんじょそこらの冒険者なんか
よりよっぽどすげえんだしさ」
「ふふ。そうかもな。ありがとう、アレイク」
 アレイクの言葉に、クズノハの口元がほころぶ。

 そんな彼らの様子を、少年の傍らに座るインプは目にいくばくかの焦燥を浮かべて見つめ
ていた。場の空気を変えようと、すこし慌てたように話題を振る。
「そ、そういえばさ。アレイク、あんたってどこの生まれなの?
私があの街で暮らし始めた時には、確かあんたまだ領主様のところにいなかったわよね?」
 プリミエーラがキルレインの住む都市で暮らし始めたのは今から数年前。
 大きな街とはいえ、彼女が住み込みで働いている銀翼亭は冒険者達もよく利用する酒場だ
けあって、情報はおのずと多く集まる。
 しかし、それでも「アレイク=エルフィード」という少年についてはいつの間にか領主の
館に居候していたくせに、その出自などはまるで噂にならなかった。
「ああ……」
 不思議そうに見つめるプリンと、いくばくかの興味を瞳に浮かべるクズノハを見て、アレ
イクはいつもの彼からはらしくもなく言葉を濁した。
「俺、さ。親のことも、本当の名前も、どこで生まれたのかも……自分のこと、何も知らな
いんだ」
「え?」
「アレイク、君は……孤児、だったのか?」
 プリンは虚を突かれたように言葉を詰まらせ、クズノハが静かな声で問い掛ける。少年は
それに小さく頷くと、ゆっくりと語りだした。
「俺……、赤ん坊の時に魔物の森の入り口に捨てられてたんだって。最初に俺が暮らしてた
孤児院の院長が言ってた。
ボロ布にくるまれて、何一つ親の手がかりになりそうな物は無かったんだって。
だから、名前も院長達が相談してつけてくれたんだ。
エルフィードっていうのは、俺のことを見つけてくれた人が、エルフの女の人だったから
だって。
それからずっと後になって、魔力を持つ子どもがいるっていう話を聞いて、師匠が俺のこと
を引き取ってくれたんだ」
「そんな……」
「アレイク……」
 まるで他人事のように淡々と話す少年を、二人は掛ける言葉もなく見つめる。
 彼が孤児であること自体は知っていたプリンでさえ、少年が話す内容は初めて聞くもので
あり、衝撃的な内容だった。そんな彼女たちに構うことなくアレイクは続ける。
「どうして親が俺を捨てたのかなんて、わからない。
俺を捨てなきゃなんないような、何かどうしようもない事情があったのかも知れないし。
理由なんて無かったのかも知れない。
いまさら理由なんて知っても、どうにもならないし。そのことに関してはもう、あんまり知
りたいとも思わない。
でも、俺自身のことについては、どんなやつが俺の親なのかは、やっぱり知りたいんだ。
冒険者になれば、有名になれば……。
もしかしたら、その手がかりが見つかるかもしれない……!」
 ひざに上に置かれた手が、きつく握り締められる。
ただひたすらに冒険者を目指すアレイクの心の中に、そんな理由があったのだと知った彼女
たちは一言も発することも出来ず、ただ彼を見つめるだけだった。
「……へへ。なんからしくねーこと言っちまった。
こんなこと話すつもりなんて無かったのにな。
わりい、ちょっと外の風にでも当たってくるよ」
 重く沈んでしまった空気を吹き飛ばそうと、アレイクは鼻の下を指でこすりながら明るい
声を発するとともに席を立ち、食堂を出て行った。
 残された二人はそれでもしばらく黙って彼の出て行ったドアを見つめていたが、やがて食
事を済ますと静かに部屋を後にした。

――――――――――――――

「あいつがバカの一つ覚えみたいに冒険者冒険者って言うの、それが理由だったのね……」
 木で作られた浴槽いっぱいに張られたお湯に浸かりながら、プリンが呟く。今は生まれた
ままの姿をした少女は湯に肩まで入り、その暖かさを堪能していた。
「プリミエーラさんも知らなかったのか?」
 隣で同じように湯に浸かるクズノハが尋ねる。美しい銀髪は今は纏められ、透明な湯の中
に美しいスタイルの裸身が透けて見えた。
 プリンは彼女の問いかけに小さく頷くと、ふうと息を吐く。
「あいつ、意外と自分のこと話さないのよ。まあ、訳有りだろうなってことぐらいは薄々気
付いてたけど」
「そうか……」

 ざぱっという音と共に、クズノハが湯船から上がる。水気を切るために、ふさふさとした
尻尾が勢いよく振られた。
「だが、さっきの様子だとアレイクはそのことで私たちに気を遣わせたくはないと思ってい
るのだろう? 
なら、私たちに出来ることは今まで通りに彼に接することだろうな。厳しいようだが、
それは彼自身が答えを見つけなくてはいけない問題なのだから。
もちろん、そのために手伝いとして出来ることがあれば、協力は惜しまないが」
 肩越しに視線をプリンに向けながら、クズノハが言う。その言葉にプリンは大きく頷い
た。
「そうね。私たちが変に気にしすぎても、あいつもイヤでしょうしね。うん、いつも通り
が一番かな」
 言いながら、彼女もまた風呂から上がる。背の翼をはためかせると、浴室に漂っていた
白い湯気が一瞬かき消えた。
 更衣室で着替えていたクズノハを見ながら、プリンはポツリと呟く。
「……クズノハさん、すごいね。私、アレイクのあんな顔なんてはじめて見たから内心
動揺しちゃってたのに。クズノハさんはしっかりしてて」
 うつむきながらのそのそと着替えるインプの少女にクズノハはそっと近づくと、その肩
に優しく手を置く。
「そんなことは無いよ。私はただ、二人よりちょっとだけ長く生きて、いろいろなことを
見てきただけ。焦らなくても、プリミエーラさんもにそのうち分かるようになる」
「……うん、ありがとう」
 穏やかなその声と、肩に置かれた手の暖かさを噛み締めるようにプリンはそっと目を閉
じた。

――――――――――――――

 その後、風呂から部屋に戻った二人の目に入ったのは、すやすやと寝息を立てて気持ち
よさそうに眠るアレイクの姿だった。
 旅人用の宿であるため、部屋には一人用の小さなベッドが3つのほかには、めぼしい調
度品も無い。ただ宿泊するための施設なのだ。
 ベッドも上等なものでは無論無く、寝るためだけの狭いものだ。もちろん、野宿よりは
断然マシだが。
 だがアレイクはそんなベッドでも熟睡しているらしく、二人が帰ってきても起きる様子
も無い。そのあまりの暢気さに、プリンは思わず頭を抱える。
「……このバカ。いろいろ真剣に考えてた私がアホみたいじゃないの。気持ちよさそうに
寝息なんて立てて。
はぁ、そうよね。あんたってそういう奴なのよね」
 彼と泊まるということになってから、実の所内心でいろいろと期待し、考えていたこと
が無駄になったプリンが長い息を吐き出す。
「まあまあ。昼間の疲れも出たんだろう。ゆっくり休ませてあげよう。
アレイクは寝てしまっているし、これからのことについてはとりあえず明日の朝にでも改
めて話し合うとして、私たちも休もうか」
 クズノハはそんな彼女をなだめ、熟睡するアレイクを見ながら苦笑した。
「ええ、そうね。それじゃ、私たちもゆっくり眠らせてもらうとしましょうか」
「ああ、お休み、プリミエーラさん」
 二人も簡単に眠る用意をし、簡素なローブのような寝巻きに着替える。
 そして部屋の明かりを消すとそれぞれベッドに入り横になった。



「すぅ……」
「くぅ……くぅ……」
「……」
 安らかな寝顔で穏やかな呼吸を繰り返す少年と少女。辺りには闇が帳を下ろし、部屋の
中は静けさに包まれている。
 不意に、並んだベッドに横たわるうちの一人、狐の耳がぴくりと動く。
 周囲の気配を探るように耳はぴく、ぴくっと震えていたが、やがてその動きを止める。
同時に、その人物――クズノハは音も無くむくりと体を起こした。ベッドから床に立ち、
隣の寝台に眠るアレイクをそっと見やる。寝相が悪いのか、少年は掛け布団を跳ね飛ば
し、寝台に大の字に寝そべっていた。
「……アレイク、私は君に感謝してもしきれない。
故郷を離れ、一人異国の地をさまよう私にそのまっすぐな瞳、まっすぐな気持ちを向けて
くれたのは貴方が初めてだった。
それがどれほど嬉しかったか。君はこんなこと、望まないかもしれないが……どうか私に、
お礼をさせて欲しい」
 アレイクのベッドの脇に立ち、眠る少年に囁く。彼女の言葉にも彼は起きる気配は無く、
気持ちよさそうに規則正しい呼吸の音が聞こえるだけだった。
 少年を起こさないよう、クズノハは静かに彼の脇に体を横たえる。
 そのまま優しく彼を抱きしめ、寝巻きをはだけさせると胸元にそっと手を当てた。
「んっ……」
 むずがゆそうな声が少年の口から漏れ、体が小さく身じろぎしたものの、目を覚ます
気配は無い。そのまま肌に触れる手をゆっくりと動かす。
 まだ成長途中にあるものの、男の特徴を持った胸板を撫でるたびにクズノハの心を暖
かいものが満たしていく。
 時折少年の口から無意識にもれる小さな声と、くすぐったそうに身じろぐ体のかすか
な振動を感じながら、彼女は優しく少年を見つめていた。

 ちゅ、と軽くその頬に口付ける。
 意識するよりも早く、まるでその行為がごく自然なものであるかのように体が行動し
ていた。唇に触れる彼の肌の感触が気持ちよい。その感触をもっと味わおうと、ぺろ、
と小さく伸ばされた舌が頬を舐め上げた。
 そして胸に置かれていた手を、アレイクの下腹部、そして下半身へと動かしていく。
彼女の愛撫に反応していたのか、そこは既に寝巻き越しにも分かるほど膨らんだモノが
布を持ち上げていた。
 寝巻きと下着の布を合わせて指に挟み込み、そっとずり下げる。
「あっ……」
 大きくなった男性器がクズノハの目の前に晒され、若い牡の臭いが外に解放される。
強い臭いが彼女に吸い込まれ、その雌の本能を揺さぶった。
「ん……すごい、におい。でも……きらいじゃ、ない」
 はあっと大きく息を吐き出し、アレイクのモノを手でやさしく包む。
 敏感なそれは与えられた刺激にびくんと震え、彼女の手の中で熱を放っていた。
「気持ちよく、なって……」
 彼の耳元でそっと囁くと、クズノハは手を動かし始めた。
 しゅっ、しゅっ、と肌と肌が擦れ合う小さな音が暗闇の中に響く。ほんのかすかな
音のはずなのに、彼女にはそれがとても大きく聞こえるように思えた。

 はぁ、はぁという荒い息遣いの音が聞こえてくる。ややあって、それが自分の口から
漏れているのだとクズノハは気付いた。同時に、自分の中に熱い疼きが生まれているこ
とにも。
 いつの間にか彼を愛撫する手の動きは激しさを増し、空いたもう一方の手は自分の秘
所へと伸びていた。
 自らのそこに触れた瞬間、じっとりとした湿り気とともに、強烈な快感が脳髄を突き
抜ける。
「……ッ!」
 シーツを噛み、声が漏れるのを抑える。だが体の疼きは激しくなる一方で、秘所を弄
る手の動きをとめることはできなかった。
 同じようにアレイクを愛撫する手も激しさを増し、その刺激に反り返ったいちもつは
びく、びくと震え、その先端からは透明な液がにじんでいる。
「んっ! ふ……ぁ! んんっ! やぁ……んっ!」
 必死に声を抑えるが、それでも口と布の隙間から荒い息が漏れ続ける。興奮と快感を
表すかのように、銀色の尻尾がふぁさと振られた。
止めることもできず、快感を貪り続けていく彼女はどんどんとその頂に上り詰めていく。

 クズノハが限界を間近に迎えたその瞬間、先に絶え間なく与えられていた快感に屈し
たのはアレイクだった。
 ペニスが盛大に射精する。びゅくびゅくと吐き出される白濁した液体の熱を、自分の
手に感じたのが彼女にとってもとどめとなった。
「あ、あっ……ーーーーーーーーーッ!!」
 目の前が真っ白になるような感覚。思わずもれそうになった叫び声を布団に顔を押し
付けることで潰す。体をアレイクに押し付け、背を丸めてその快感を全身で享受する。
ぴくぴくとその背が小さく痙攣した。

 しばらく余韻に浸るように、彼に抱きついていたクズノハだったが、ふと先ほどまで
彼自身を愛撫していた手に視線を移す。
 白濁した液にまみれた手を目の前まで持ってくると、男のきつい臭いが鼻腔を刺激し
た。彼女はその臭いを気にする風でもなく鼻先に近づけ大きく息を吸い込む。
そして、そのまま手についた精液をぺろ、と舐めた。
「おいし……」
 呟くと、まるで蜜を舐め取るかのように指に舌を這わせていく。
手についた液体を一滴も残すまいとするかと丁寧に隅々まで舐めると、もっとそれを味
わいたいというように指を口に含んだ。
「アレイク……」
熱に浮かされた瞳で眠り続ける少年を見つめ、愛しいその名を呼ぶ。
 その姿は可憐な少女のようでありながらも、どこか淫らな影を纏っていた。

――――――――――――――

 しばらくアレイクの横で添い寝をしていたクズノハだったが、やがて名残惜しそうに
しながらもその体を離す。
 少年の体を拭き服を整え、布団をきちんとかけ直してやる。彼女自身も手と体を簡単
に清め、最後に再び少年に小さく口付けをした。
「……少し、ずるかったかな」
ぐっすりと眠るプリミエーラの方に視線をやりながら、呟く。
 そして先ほどまでの自分の乱れようを思い出し、頬が熱くなるのを感じながらも、再
びアレイクに目をやった。
 無邪気な寝顔を見つめながら自身の心のうちを探る。やはり自分はこの少年に惹かれ
ていると、改めて実感した。
自らの気持ちをいつかきちんと彼に伝える日が来ることを想いながら、彼女もまた自分
の寝床に戻ろうと足を踏み出した。

 ぴくんと、彼女の耳が震える。同時に、階下で何かの気配がした。
「?」
 こんな夜更けに客だろうか? ここは旅人の宿であるから、いつ客が来てもおかしく
は無いのかもしれないが、なんだか妙な気配がする。自分だけの気のせいならいいが、
万一ということもある。
「……二人とも、すまないが起きてくれ。なんだか様子がおかしい」
 いまだ眠る二人を揺り動かし、起こす。
「んあ……? どした、くー?」
「なに〜……? まだ、夜じゃないのよぉ〜」
 ぼんやりとした表情で眠たそうにしながらも体を起こす少年達に、クズノハは幾分の
緊張をはらんだ声で告げる。
「休んでいた所すまない。なんだか、階下の様子が妙だ」
「え〜? お客さんじゃないの〜?」
 まだ頭がはっきりとしないのか、目をごしごしと手の甲でこすりながら間延びした声
でプリンが呟く。
「だといいんだが……」
 気配を探りながら言いかけたクズノハの声を、がたんという大きな物音が遮る。
ほぼ同時に、主人のものと思しき悲鳴が上がる。だがそれは途中で途切れ、再び夜の静
けさが辺りに広まっていった。
「何だ?」
「い、今の?」
流石にその音で眠気を吹き飛ばされたのか、先ほどよりはっきりとした表情と声でアレ
イクとプリンは顔を見合わせる。
「悲鳴……よね? 多分、ここのおじさんの」
「どう考えても普通じゃない、よな」
 プリンは布団で胸元を隠すようにしながらベッドに座り、アレイクは寝巻きのまま床
に降り立つとポーチを腰につけ、ベッドの脇に置かれた魔剣を握った。
 少年はクズノハと顔を見合わせ、頷きあうとそっとドアを開け、階下の様子を探ろう
と廊下に飛び出る。

「……」
 黒い闇が満ちる廊下は、彼らの部屋の前にある蝋燭の小さな火だけが辺りを照らす灯
りとなっている。
 ドアの前でじっと眼前の闇を凝視する二人の耳に、しばらくして、ずるり、ずるりと
いう何かを引きずるような音が聞こえてきた。
「なんだ……!?」
 張り詰めた雰囲気の中アレイクは剣を握り締め、クズノハはその手足を鋭い爪を持つ
獣のものへと変える。

 やがて、仄かな明かりの中にそれが姿を現した。
「なっ……」
「これは……!」
 最初に暗闇から浮かび上がったのは美しい女性の上半身だった。だが、その姿は決し
て人間と呼べるものではなかった。
 美しい顔には金色の瞳。その瞳孔は爬虫類のもので、髪の一本一本は蛇となって蠢い
ている。そして、本来人ならば二本の足があるはずの下半身は青色の鱗で覆われた大蛇
と化していた。
 その姿を目にした彼らは、先ほどの音は彼女が廊下を這いずる音だったのだと理解し
た。
メドゥーサ。娘の上半身と蛇の下半身を持つラミアの上位種として知られ、人々に恐れ
られる存在である。
「何だってこんな所に、メドゥーサがいるんだ!?」
「バカな……!?」
 彼らの思考は彼女に対する恐怖よりも、このような場所で魔物の中でも高位の存在に
出会った驚愕で占められていた。
 本来彼女のような高位の魔物は、例外を除いて人の住処の近くまで出てくるようなこ
とはめったに無いはずである。
中でも特にメドゥーサは個体数が少なく、大抵はダンジョンなどに一人で暮らしている
という。食料や繁殖相手を探すにしても、こんな人里などに下りてくるなど聞いたこと
が無かった。
 理性ある魔物達は特別な場合を除いて、進んで人の命を奪うことは無いとはいえ、
彼女たちの多くは非常に強大な力を持つ。もし戦うとなると、場数を踏んだ熟練の戦士
や魔道士でも厳しい相手なのである。
 そのことを十分理解している二人の背には冷たいものが流れた。

「あは、みつけたぁ……」
 アレイク達の緊張をよそにメドゥーサは彼らをちらりと見、その姿を認めるとその口
から長い舌を伸ばし、唇をぺろりと舐め上げる。その瞳に光は無く、頬は既に赤く上気
しており、口から悩ましげな吐息が漏れた。
「ふふ、探したのよぉ……。
そっちの男の子はすぐにあたしのモノにしてあげるねぇ……」
 発情し、理性を失った蛇娘はこちらから視線を外さず、じっと見つめている。
異形ということを差し引いても、顔や上半身は美しい女性のもので、男にはとても魅力
的に映るだろう。潤んだ瞳で見つめられ、脳髄を蕩かす様な声で囁かれたら、そのまま
彼女の魅力に溺れてしまう男も少なくないはずである。
 だが、アレイクにはとてもそんなことを考えている余裕は無かった。
なぜなら目の前の彼女の表情、金の瞳には、まさに蛇そのものの獲物を狩るような色し
か浮かんでいなかったのだから。それを如実に示すかのように、彼女の髪の蛇がうねう
ねと動き、隙あらばこちらに飛びかかろうかとしているようだった。

「ねえ、二人とも。どうしたの? 何かあったの?」
 先ほどから部屋に戻らない彼らを心配したのか、部屋の入り口からプリンが顔を見せ
る。
「バカッ! 出てくんな!」
思わずそちらにアレイクが振り向きかけた瞬間、メドゥーサは目にも止まらぬ動きで少
年に飛び掛った。鋭い爪を持つ腕が虚空を切り裂く。
「アレイクっ!」
 傍らのクズノハが彼に体当たりするように突き飛ばす。彼の鼻先を爪が霞め、ちっと
いう音が少年の耳に響いた。
クズノハは飛びついた勢いそのまま、アレイク、プリンと共に部屋へと転がり込む。
立ち上がると素早くドアを閉め、そのまま鍵をかけるとやっと小さく息をついた。
「あっぶねえ……。くー、助かった、ありがとな」
 思わず鼻の頭を抑えながら、少年が起き上がる。
「いたた……。もう、何なのよ〜!」
その隣ではいきなり突き飛ばされたプリンが頭を振りながら悪態をついていた。
「どうやら、襲撃のようだ。おそらく、昼間の者達の仕業だろう」
 ドアの方に厳しい視線を向けながら、クズノハが呟く。
「ええ!? でも、どうやって私たちの場所を?」
「それは分からないが……。今はとにかくあのメドゥーサをどうにかしなくてはな」
「ああ。間違いなく俺達が標的みたいだし。
とりあえず、この部屋に立てこもってれば時間は稼げるか?」
「そうね、今のうちに何か考えましょ……」
プリンが言いかけた瞬間、激しい破砕音と共に入り口のドアが破片となって吹き飛ぶ。
 その残骸の向こうから、先ほどのメドゥーサが姿を現した。
どうやら尻尾をぶつけて無理やり扉を砕いたのか、その美しい青色の鱗には所々傷がつ
いている。だが、本人はまるで気にしていないようだ。
「む、無茶苦茶よ!」
 力任せな行動に、思わずインプの少女が悲鳴を上げる。
「いくらなんでも異常すぎる。おそらく、誰かに操られているんだろう」
 鋭い視線を蛇娘に向けたままクズノハが囁いた声に、アレイクが聞き返す。
「操られてる? じゃあ、あのメドゥーサは自分の意思で俺たちを襲ってるわけじゃな
いのか?」
「多分。状況からの推測でしかないが」
 重く頷く彼女の言葉を聞きながら、アレイクは剣を強く握り締める。
「許せねぇ……。自分の手を汚さず、あの子を道具みたいに扱いやがって……!
あいつら、絶対ぶっ飛ばしてやる!」
「ああ、許すことは出来ないな」
「そうね、私もそーゆーことする人嫌いだわ」
 少年の怒りに彼女達もまた頷き、まるで憎い操者がそこにいるかのように、蛇娘の背
後にある影を睨んだ。
 そんな3人の視線に構うことなく、蛇の少女は右手をすうっと上げると、手のひらを
彼らに向ける。直後、その先の中空にこぶし大ほどの大きさの火の玉が浮かび上がった。
「ちょっと!? 『火球呪文(ファイアボール)』!?
まちなさい、こんな屋内でそんなの使ったら!」
 思わず叫ぶプリンをよそに、火球はどんどん大きさと熱を増していく。
「ちいっ! 『大いなる炎の意志よ、我が意を受けその力を散らしめろ!』」
 アレイクは舌打ちしながら一歩前に飛び出し、腰に着けたポーチから丸められた羊皮
紙を素早く引き抜くと両手で眼前に広げる。
早口で文言を紡ぐと、バチィッという音と共に今まさに放たれようとしていた火球が消
え去った。同時に、アレイクの手から巻物が塵となってはらはらと落ちる。
「ぎりぎりで間に合ったか? 封呪のスクロールを用意していて助かったぜ」
「あっぶな〜、ナイスよアレイク!」
 枕で頭をかばい、床に伏せていたプリンが少年を褒める。彼はその間も相対する蛇娘
から目を離さず、じっと油断無く睨みつける。
 
 瞬間、メドゥーサの瞳がちかっと光った気がした。
「今……? アレイク、大丈夫?」
 嫌な予感を受けたプリンが傍らの少年に問いかける。だがそれに対する彼の返事は無
かった。
不審に思いそちらに目を向ける。先ほどからメドゥーサを睨み、微動だにしないアレイ
クの姿が見えた。

 いや、その少年の姿はどこか普通ではなかった。
……その姿勢がさっきからちっとも変わっていない。指一本すら、ぴくりとも動いてい
ないのだ。
「アレイク?」
「……ぐ……う……」
同じく妙な感覚を覚えたクズノハがかけた声に返ってきたのは、かすかな呻き声。
 アレイクは羊皮紙を広げた格好のまま、まるで石の像のように固まっていた。注意深
く観察すればさっきから瞬き一つしていないことに気付くだろう。
ほんのわずかに開いた口の隙間からは搾り出すような声が漏れるだけだった。
 そんな少年を、蛇娘はうっとりとした表情で見つめる。
「ふふ……まず、ひとり。
待ってなさい、邪魔な子達を片付けたら、すぐに可愛がってあげるから」
蛇娘は固まったアレイクにその下半身を巻きつけると、そっと頬を撫でる。
どこか獲物をなぶるような雰囲気を漂わせながら、メドゥーサは舌なめずりをした。

「これは……!?」
「いけない、『石化の邪眼(ぺトラアイズ)』!
クズノハさん、彼女の瞳を見ちゃダメ! 体が石になったように動きを封じられてしま
うわ!」
戸惑うクズノハに、メドゥーサの能力を思い出したプリンの声が掛かる。
「術をとく方法は?」
「えっと『金の針』っていうアイテムを使うか、術者を倒せば解けると思うけど……。
アイテムは多分アレイクが持ってるけど、のんびりと探させてはくれないでしょうし。
今取れる方法は後者だけね」
「……そうか。分かった」
 どこか冷たく響いた声に、プリンがぎょっとしてクズノハを見やる。
こちらに背を向けた彼女の表情はプリンから窺うことはできず、どこか不安を感じさせ
た。
クズノハはそのまま、無言でメドゥーサに歩み寄る。
アレイクに抱きついていた蛇は、無造作に近寄る狐の少女をうっとおしそうに見やると
躊躇無く尻尾をたたきつけた。
「クズノハさんッ!?」
 妖狐とはいえ華奢な体で、頑丈な扉をも砕く太い尻尾の一撃を受けては致命傷となる。
悲鳴を上げるプリンの前で、その予想の通り狐娘の姿が木材をへし折るかのように真っ
二つになった。
 だが次の瞬間、両断されたそれぞれの体が白い煙と化し、部屋を埋め尽くし視界を白
く染め上げる。
「何!? どこに行ったの!?」
 慌てて蛇娘は体を少年から離すと、周囲を見回す。

「後ろだ」
 突然のことに戸惑うメドゥーサの耳元で、ぞっとするような声が響いた。
刹那、ざん、という音と共にメドゥーサの体が袈裟斬りに切り裂かれる。
「うっ……。あ、体が、動く?」
悲鳴すら上げることなくメドゥーサが崩れ落ちると同時に、術が解けたアレイクが床に
ひざをつく。
 彼から離れ、倒れた蛇の向こう側には鋭く伸ばした爪を真っ赤に染めたクズノハが
立っていた。
「く、クズノハ……さん?」
表情一つ変えず、倒した相手を冷たく見つめるクズノハに、プリンは呆然とした声で
その名を呼ぶことしか出来なかった。

「おいっ! くー!!」
 金縛りから解放されたアレイクは、彼女に詰め寄るとその胸元を掴む。
「いくらなんでも殺すこと無いだろ!
この子も操られていたっていったじゃないか!!」
 少年はクズノハに助けてもらったにも関わらず、彼女がまるで憎い仇であるかのよ
うな瞳を向け問い詰める。
「殺意を持って向かってきた相手には、容赦はしない」
だが、感情のひとかけらも無いかのような声に、少年はぞっとしたものを感じ、
思わず手の力を緩める。
「だからって……!」
「待ってアレイク! よく彼女を見て!」
それでもまだ言い募ろうとするアレイクを、プリンが制した。

「なんだよ! ……え?」
 苛立ちながらも視線を床に倒れたメドゥーサに向ける。
そこにあったのは、切り伏せられた少女の姿ではなく……どこにも傷跡の見られない、
美しいままの娘の体だった。気を失っているようだが、その胸が規則正しく上下して
いることからちゃんと生きていることが分かる。クズノハの手にも、血のついた様子
は欠片も見あたらなかった。
「死んで、ないのか? いや、斬られてすらいない?」
「ど、どういうこと?」
 事態が飲み込めず呟くアレイクとプリンの言葉に、先ほどまでの冷たい声ではなく、
いつもの落ち着いた、優しげな声でクズノハは言葉を発した。
「さっきの幻覚を利用して暗示をかけた。幻戯というやつだよ。
相手がどんな種類の術で彼女を操っているか分からなかったから、
賭けではあったが強烈なショックを与えることで正気に戻したんだ」
 言われるとおり、その表情は穏やかで先ほどまでの暴走した様子は消えていた。
おそらく目が覚めてもアレイク達を再び襲うことは無いだろう。
「そうだったのか……。くー、いきなり怒鳴ったりしてごめん」
 少年は安堵の吐息を漏らしながら、彼女に頭を下げ謝罪する。
そんな彼に対し軽く首を振りながら、クズノハは言った。
「いい。敵であっても思いやれる君のそういうところ、嫌いじゃない。
さっきは仕方なかったとはいえ、ちゃんと説明できなかったのは確かなのだから」
「とにかく、これで彼女はもう敵じゃないのね?
ふう、まさか宿屋でメドゥーサに襲われることになるなんて思わなかったわ……」
 穏やかな表情で横になっているメドゥーサにタオルケットを掛けてあげながら、
プリミエーラが溜息を漏らす。口に出さないまでも、とんだ一日だった、とその表情
が物語っていた。

――――――――――――――

「う、うぅ〜ん……」
 あれからしばらく後、ベッドに改めて寝かされた蛇娘の口から、小さな声が漏れる。
 少女は軽く身じろぎした後、ゆっくりとその目を開いた。美しい金の瞳にははっき
りとした意志の光が見え、彼女が正気を取り戻したことを示している。
「あ、起きた? 気分はどうかしら?」
ベッドの傍らのイスに座り、気絶した彼女を見守っていたプリンはメドゥーサの口か
ら聞こえた声に気がついたようで、優しく声をかける。
「お、気がついたのか? よかったな!」
「ふむ。術も解けているようだ。ひとまずは安心できそうだな」
同じく、ベッドの周りにいたアレイクとクズノハも彼女の様子を見つめると、安堵の
声を漏らした。
 だが当のメドゥーサはまだ状況がよく理解できていないようで、きょろきょろと辺
りを見回すと不安そうな表情で口を開いた。
「え、あれ? えっと……あたし? あの、ここ、どこ?」
先ほどまでの妖艶な雰囲気は無くなり、どこかおっとりしたような声がメドゥーサか
ら発せられる。
「あ、まだ横になっていた方がいいわ。結構強いショックを受けちゃってるそうだか
ら。ここは、私たちが取っている宿の部屋よ。順番にちゃんと説明するから」
 プリンは体を起こそうとするメドゥーサをそっとベッドに戻らせると、彼女が操ら
れ自分達を襲ったこと、やむを得ず気絶させて催眠を解いたことなどを語った。

「そうですか……。あたし、そんなことを」
 プリン達の口から話される内容は、当事者とはいえすぐには受け入れられそうも無
かった事だらけにも関わらず、彼女は予想よりは驚いていないようだった。どうやら
当人にもうっすらとその記憶があるらしい。
 すべてを聞き終えた彼女は、ベッドに体を起こすとぺこりと頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! あたし、操られていたとはいえとんでもないことを!」
ひたすら頭を下げ続ける彼女に、プリンの声が掛かる。
「いいのよ。けが人も無かったし。貴女だってあんな事したくてしたわけじゃないん
でしょう?
あんまり気にしないでいいって、宿のおじさんもそう言ってたわ。
……それより、誰が貴女にこんなことさせたのか話してくれないかしら」
 プリミエーラは真剣な眼差しで顔を上げたメドゥーサの少女を見つめる。
背後に立つ二人も、同じような表情を浮かべていた。
「えっと……すみません、そのあたりのことはほとんど覚えていないんです……。
覚えているのは誰かに召喚されて、
「3人の口を封じろ。その後はそいつらを好きにして構わない」って命じられたこと
くらいで。後は、いつの間にかこの宿にいて、皆さんを襲ったことの記憶がかすかに
あるだけなんです。」
 心底申し訳なさそうに語る彼女には嘘をついたり、何かを隠しているような気配は
無かった。
おそらく、本当に核心部分は覚えていないのだろう。もしくは、事後記憶を消すよう
に魔術か何かがかけられていたか。
「そっか……」
「でもこの子みたいな高位の魔物を召喚するだけでなく、かなり強制力のある命令を
聞かせる辺り、相手は只者じゃないわね」
「うーん、でもそれだけじゃ手がかりにはならなそうだな」
 アレイクの言葉に、腕組みしながら何かを考え込んでいたプリンが顔を上げる。
「……上手く行くかどうか分からないけど、一つだけ考えがあるわ。
彼女の表層の記憶には相手のことが残っていないかも知れないけど、もしかしたら記
憶のどこかにはその欠片が残っているかもしれない。
魔導探査の要領で、彼女の意識にダイブさせてもらえれば、
それを見つけることが出来るかも……」
「そんなことが可能なのか?」
 突拍子も無い提案に軽く目を見開きながら、クズノハが問いかける。
「やったことは無いけど、多分……。問題は、そんなことは私だけの力じゃ到底
無理っていうこと。魔法陣書いて準備を整え、今の全魔力を術に集中しても……
彼女が協力して心を開いてくれなければ、他人の記憶なんて見ることはできないわ」
 プリンは言いながら、ベッドに身を起こしたメドゥーサの方に再び顔を向ける。
「どうかしら。もちろん、個人の記憶なんて見られたくないのは分かるわ。そ
れに上手く覗けてももしかしたら手がかりは無いかもしれない。
だから、本当にイヤなら無理強いはしないわ。
こっちの勝手な言い草で、厳しいようだけど……最後の決断は貴女がして」
 プリンの真剣な言葉に、蛇の少女は言葉もなく考え込む。
だが、やがて顔をあげると、まっすぐに彼女を見返した。
「あの……あたしでお役に立てるなら、お願いします。
それでご迷惑をかけた償いが少しでもできるなら。
それに……あたしも、誰があたしにこんなことさせたか位は知りたいですし」
言って、無理に笑顔を作る。
 アレイク、プリン、クズノハはそんな彼女を真剣な瞳で見つめ、頷いた。

――――――――――――――

 床に複雑な魔法陣を描き、その中央でひざ立ちになったプリンとメドゥーサが額を
あわせる。
「始めるわね。関係ない記憶は見ないようにするから。
貴女は、そのことについて覚えていることを出来る限りでいいわ、思い浮かべて」
 インプの言葉に蛇の少女が頷く。その金の瞳が閉じられたのを見て、プリンも目を
閉じ、意識を集中した。見守るアレイク達の前で、二人の体が淡い光を放つ。
そして、プリンの意識は闇の中に落ちていった。



「……ここが、彼女の記憶の中みたいね」
 真っ暗な夜空のような空間に、プリミエーラの意識だけが浮かんでいる。
 やがて、黒以外何の姿も無い、虚空のただ中にまるでスクリーンに映像が映される
ように何かの光景が浮かんできた。
 ぼんやりとした映像には、部屋の中でアレイクたちと少女が対峙しているシーンが
映されている。
「これは、さっきの戦いの記憶ね」
 やがて、その光景が霞む。次に恐怖に怯える宿の主人を睨み、石にする瞬間。そし
てまた次に暗い夜道をどこかに向かっているような光景に切り替わっていく。
「記憶を遡っているのね。ここまででは手がかりはなさそうだけど……」
 言いかけた言葉が、次の光景を見た瞬間途切れる。

 暗い地下室のような石造りの部屋。だがその造りはしっかりとしたもので、城か何
かのような印象を与える。
視線を床に向けると、地面には赤い魔法陣が描かれていた。
 メドゥーサの彼女はどうやらその中央にいるようだ。
 やがて正面、やや彼女から離れた位置に、昼間に森の廃屋で見かけた人物の一人の
姿が浮かび上がった。だが、その姿も、暗がりなうえ、フードを目深に被っているせ
いでその顔を見ることは出来ない。
 何か語りかけているようだが、その声は聞こえない。記憶が抜け落ちているのか、
それとも証拠を残さないよう消されたのか。
 どうにかその他の手がかりを得ようと集中するプリン。
 ふと、フードの人物の後ろの壁に描かれたマークに目が留まる。
「あれ? あの紋章……」
どこかで見たことがあったような。記憶の中の知識を探そうとした瞬間、不意に眼前
に浮かんでいた光景が薄れだす。どうやらほんの欠片、忘れかけていた記憶の残滓か
らの再生の限界が来たようだ。
「う〜ん、これ以上は無理そうね。彼女に負担をかけさせたくないし、戻りましょう」
 呟くと、プリンは彼女の記憶の世界から離れ、意識を浮かび上がらせていった。



「お、戻ってきたみたいだな」
「へ? きゃああ! 近いわよ! バカ!」
 意識が戻った瞬間、目の前にはアレイクの顔があった。思わずプリンは少年を突き
飛ばしてしまう。突然至近距離で突き出された両手を避けることは出来ず、少年は大
きく吹き飛んだ。
「いって〜。何すんだよ!」
「う、うるさい! あんたが悪いんじゃないの!」
 ぎゃいぎゃいと言い合いを始めそうになった二人をクズノハとメドゥーサが引き離
す。
「それで、どうだった?」
 いつもどおりの落ち着いた声を聞き、気を取り直したプリンは彼らに自分が見てき
たことを詳しく語った。
「む〜……それだけじゃあピンと来ないな〜」
「すみません。あたし、お役に立てなくて」
「いいや、気にすることは無いよ。
ところでプリミエーラさん、それが壁に書かれていた紋章なのか?」
最後に見えた壁に書かれたマークを紙の上に描いたプリンは、クズノハの言葉に頷く。
「どこかで見た気はするのよね。どこだったかなあ……」

「あの……、それ、ガスパーニュ家の紋章じゃないですか?」
 考え込む少女達に、おそるおそるといった感じのメドゥーサの声がかかる。
「え……? あー! そうよ、これガスパーニュの家紋だわ!」
その言葉でようやく思い出したプリンが、大きな声を上げる。
「ガスパーニュ? その名は確か……」
「ああ、師匠のことを前っから嫌ってる奴らだ。
そのガスパーニュの今の当主はひどく傲慢、強欲な性格だって、評判悪いんだよな」
「それだけじゃなく人間主義とか言ってるし、魔物と共に暮らすこの辺りでは人々に
も魔物にもよく思われて無いわよ。
でも、確か以前の令嬢誘拐事件に絡んでた疑いで、
領主様や婿様に潰されたはずよね……?」
「なるほど。となると、事件の全貌が少しだけ見えてくるな。
大方、その恨みを晴らす復讐のつもりだろう。
だが、方法が姑息な泥棒まがい、相手が持っているアイテム便りなのでは器が知れ
るというものだが」
 次第に見えてきた構図に、アレイクたちは推測を続ける。
「となると、敵の本拠はそのガスパーニュ家の屋敷ってことか?」
「可能性は高いわね。
……屋敷がある町は、ここからだと4日弱っていった所かしら」
「図らずも次の目的地が見えたな。「禍転じて福となす」といった所か」
言って、3人は頷きあう。

「けど、とりあえずは……」
「ああ……」
「そうね……」

「寝ようぜ!」

 アレイクが叫ぶと同時にベッドにダイブする。
クズノハ、プリンも彼と同じく、寝台に横たわるとごそごそと布団に包まった。
既に時間は深夜真っ只中。
襲撃、思わぬ手がかりの発見などいろいろ起こったために、今の今まで彼らの意識
はもちこたえていたのだが……
 昼にも戦っていたため体力、精神力を使い果たした彼らにはこれ以上議論を続け
る気力は残っていなかった。
「あ、あの?」
 事態についていけず、取り残されあたふたするメドゥーサの娘にプリンの声が掛
かる。
「あ、心配しなくても宿のおじさんに言えば貴女も泊めてもらえるらしいわ。
ごめんなさいね。私たちももう限界なの。それじゃ、そういうことで。
おやすみなさい……」
「あっ! ちょ、ちょっと待ってください!」
 慌てて声をかけた蛇娘だったが、帰ってきたのは3人の気持ちよさそうな寝息だ
けだった。
「え、ええ〜? あたし……「ほうちぷれい」、ですかあ〜〜〜!」
どこか情けない響きの、同情を誘うような叫び声が夜空に木霊した。

――――――――――――――
第三話 「妖狐のお礼と蛇の流し目」 おわり
SS感想用スレッド
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