「英雄志願と魔物の少女」シリーズ
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W.

 一目見て高級と分かるような家具や調度品が置かれた室内。
そのちょうど中央にある、やはり精緻な細工が施されたテーブルをはさんで、二人の人影が
あった。
一人は立派な口髭をたくわえ、肉付きのいい体を豪奢な衣で装った男。
それはいかにも貴族然とした姿ではあったが、彼の目には他者を見下したような色と、隠し
切れない欲深さが滲み出た色が浮かび、どこか優雅な衣装とは違って高貴さとは無縁のよう
に感じられる気配が漂っていた。

もう一人、部屋の中で彼の反対側の椅子に座る人物は、頭からつま先までを覆い隠すかのよ
うに黒いローブを纏っている。うっすらと布地から見て取れる体のラインが、見るものに影
の正体を女性のように思わせているが、目深に被ったフードは顔の造型はおろか、表情すら
も影の中に押し隠しており、ただじっと座るだけの姿には特徴らしい特徴もない。そのため
か、先ほどからテーブルの前に影のようにたたずむ姿は、まるで亡霊のようにも見えた。

二人はどちらも口を開くことも無く、先ほどからテーブルの上を見つめている。
視線が注がれる卓上には一枚のカードが載っていた。一見、まるで遊戯用の絵札に見えるが、
その表面には細緻な紋様と蛇を描いた絵が記されている。そのデザインには芸術的な価値も
ありそうに見えるのだが、模様のせいかどこか禍々しい気配を感じさせた。
だが、当人達はそんなことに何の関心もないようで、視線は外れることも無くただひたすら
絵札に注がれている。

突如、二人が見つめる先のカードの端に火がついたかと思うと、瞬く間に火は大きくなり絵
札を包み込んで燃え始めた。炎は音も無く部屋を赤く照らし、目を見開き、瞬きもせず見つ
める彼らの前で札は一瞬の後にひとかけらの灰すら残さず消滅した。
「……」
「おい、どういうことだ!?」
押し黙ったままのフードの人影に、耐えかねた男が声を荒げる。
そんな男の苛立ちに対し、影は無感情な声で答えた。
「どうやら、刺客として送り込んだメドゥーサは、彼らの始末に失敗したようです……」
彼に答える淡々とした声にはまるで感情らしいものは無い。失敗と言いながらもフードの人
物はその結果に特に何も感じていないようだった。
だが、対する男はその答えを聞くや、みるみる顔を紅潮させ、激昂した声を上げた。
「何だと、失敗だと!? 貴様、その意味が分かっているのか!? あの忌々しいフリスア
 リスの犬どもめが、まだこの宝珠を狙っているんだぞ! ええい、だから下等な魔物にな
 ど任せるべきではなかったのだ! おい! あんな小僧どもにどれだけ手間取っているの
 だ! いちいちまどろっこしいやり方などせずに、さっさと殺してしまえばよかろう!!
 くそっ! 癪に障る! どいつもこいつも無能どもめが!」
男のあまりに激しい剣幕に、もしその場に誰かがいたら室内の調度品やガラスがびりびりと
震えるような錯覚すら覚えたかもしれない。だが、フードの人物はそれに何の反応も示すこ
となく、わめき散らす男とは対照的に静かな声が影から発せられた。
「……ガスパーニュ様。
 確かに刺客はやられましたが、まだこちらが圧倒的に有利なことには変わりません……。
 それに、ただの子どもらに一体何が出来ましょうか……」
今までに起こったことなどまるで問題としないかのように、言葉が淡々と語られる。
「ふ、ふん……。そうだな。確かにわが手にこの宝珠がある以上、あんなゴミどもが何を
 しようと取るに足らんことだ……!」
落ち着き払った影の人物の言葉に多少は落ち着きを取り戻したのか、男は手にした宝珠を
見つめてにやりと醜く歪んだ笑みを浮かべる。しかしそれも一瞬のことで、すぐにまた厳
しい表情となってフードの人影を睨んだ。
「だが、やはりあの邪魔者どもがうろうろしているのは落ち着かん。魔物どももそうだが、
 特に我に斬りかかろうとしたあの小僧! あの忌々しいフリスアリスの飼い犬の小僧はな!
 いいか、次こそは必ずやつらを消してみせろ!」
口角泡を飛ばしながらそう言い捨てると、男は足早に部屋を後にした。
「は……。仰せのままに……」

男が去った室内。物音一つせず、空間を静寂のみが支配している。かすかな明かりすらつけ
ない室内は暗く、まるで闇が世界を塗りつぶしているかのようだ。
そんな中、一人部屋に残り中央のテーブルを見つめる人影は先ほどから身じろぎもせず、ま
るで彫像のようにすら見えた。
どれだけの時間が過ぎたろうか。不意に人影はばさりと頭を覆うフードを脱ぐと、纏められ
たつややかな長髪を背後に流す。
「…………」
彼女は無言のまま、机の上に手をかざす。すると音も無く、中空に透き通った水晶球が現れ
た。その中には、ぐっすりと眠る一人の少年の無邪気な寝顔が映っている。
「…………」
彼女は一言も発さず、水晶に映りこむ少年をただじっと見つめ続ける。その視線は憎い敵を
見るというよりも、どこか待ち焦がれるような色を湛えているようにも見えた。
直後、室内を満たす闇の中で、一瞬だけその瞳がひときわ強く、不気味な色に輝いたのを
見たものは誰もいなかった。

――――――――――――――

 街道沿いにたたずむ小さな旅人向けの宿。
メドゥーサの襲撃という大騒ぎの一夜が明け、今は昨日の騒ぎなど無かったかのように辺り
は静まり返っている。まだ時間も早いためか道行く者達の姿も無く、周囲一帯には清浄な朝
の空気が漂っていた。
その宿の一室、アレイクたちが泊まった部屋にも朝のさわやかな光が、薄手のカーテンを透
かして射し込んでいた。窓の外では小鳥達のさえずる声が響きわたり、室内にもかすかに届
いている。
彼らの部屋の中にはベッドが三つ並び、アレイクたちは3人はそれぞれの寝台で布団にくる
まっている。昨日の騒ぎでドアは吹き飛んでしまったものの、ベッドが壊されなかったのは
彼らにとって幸運だった。まだ朝早いこともあり、彼らは3人とも柔らかな布団に包まれな
がら、静かな寝息を立てていた。

「う、う〜ん……」
朝の気配を感じたのか、部屋の中央に置かれたベッドからアレイクの間延びした声が漏れる。
もぞもぞと布団から出た頭が動くと、うっすらと室内を照らす窓からの光を感じたまぶたも
ゆっくりと上がっていく。
「もう朝か……。ふぁ〜あ、昨日は大変だったからな。もうちょい寝てたい気もするけど、
 次の目的地も分かったことだし。そろそろ起きるか……」
大きくあくびをしながら一人呟くと少年は2、3度目を瞬き、寝台から体を起こそうとする。
だが、そこで自分の体がまるで動かないことに気付いた。
「な……? なんだ!? くっ! ぐっ……!!」
体のあちこちに目いっぱい力を入れてみたり、腕を曲げたり伸ばしたり動かそうと試みてみ
たりするものの、体や手足の感触はあるのにまるでそれが自分のものでないかのように持ち
上がらない。
「……だめだ! ちっとも起きあがれやしねえ!」
不意に少年の脳裏に昨日の戦いの光景が思い出される。そこから、まさかまた何者かの攻撃
かという考えが浮かんだ。いつの間にか、無意識に額にはじっとりと汗がにじんでくる。
パニックになりそうな頭を無理やり鎮めた彼は、そこで先ほどから自分が発した言葉がきち
んと耳に届いていることに気付く。どうやら声は出せるようだ。さらに試してみると、何と
か首は左右に動かすことが出来た。
そこで、とりあえず両隣で寝ている仲間にとりあえず助けを求めようと思い立ち、アレイク
は大声を上げた。
「プリン! くー! おーい、起きろ! ちょっと起きてくれ!」
彼の叫びに、両隣のベッドのふくらみがごそごそとうごめく。寝ていたプリミエーラとクズ
ノハはその声に体をゆっくりと起こすと、彼のほうに視線を向けた。
特に朝に弱いインプの少女はのそのそとベッドから降り立つと目をこすりながら、アレイク
に少々苛立った声をかける。
「う、う〜ん……うるさいわね〜? 朝早くから大声出さないでよ〜。
 まったく、何なのよ?」
「何かあったのか、アレイク?」
反対側のベッドから身を起こし、彼のベッドの傍らに来たクズノハも、少年に声をかけた。
大声を上げた彼を見る目は不審げではあるものの、まだ若干のんびりとした様子の二人に
対し、アレイクは若干の焦りを含んだ声を発する。
「わ、わりい! けど、緊急事態なんだ! 目覚めたら俺の体、まったく動かないんだ。
 もしかしたらまた、敵の襲撃かもしれねー!」
「何ですって!?」
流石にアレイクの発言には驚いたようで、それを聞いたプリンの寝ぼけ眼がさっと引き締ま
る。ベッドをはさんで彼女と反対側に立つクズノハも同じように面持ちを引き締めると、冷
静に状況を分析し、いつも通りの落ち着いた声をパニック一歩前の少年にかけた。
「ふむ……。しかし、私たちは全く問題なく動けるぞ? 何者かは分からないが、寝込みを
 襲うにしてもやり方がずさんだ。どうも腑に落ちないな」
「あ、そういえば……」
プリンもクズノハの言葉で気付いたのか、自分の体を確かめるように動かすと幾分落ち着き
を取り戻した。
「アレイクだけを対象とした攻撃かしら?」
「かも知れないが……それだけだといまいち狙いが分からないな」
腕を組み、考え込む二人。だが、ここで考えても答えが出そうにはなく、彼女たちはとりあ
えず状況の把握と解決を優先することにした。
「と、とりあえず体を見てみましょ。何か手がかりがあるかもしれないし。アレイク、ちょ
 っと布団どけるわよ?」
「あ、ああ」
アレイクが頷くのを見て、プリンは少年の体を覆っていた掛け布団をばさりと取り去る。
鬼が出るか蛇が出るか。二人は、その下から現れたものを見て絶句した。

「……」
「……」
「……」

「むにゃ……アレイクさん、あったかいです〜……すう、すう……」
布団の下、そこにあったのは昨夜彼らを襲ったメドゥーサが、少年にしっかりと抱きつき
幸せそうな寝言を呟きながら熟睡している姿だった。
少女はアレイクの体をまるで抱き枕のように腕ごと抱きしめ、今は正体を現し蛇と化して
いる薄い青色の鱗に覆われた下半身は少年の腰から下、両足にしっかりと巻きついている。
美しい少女の上半身には何も身に着けておらず、ふくよかな胸が彼の胸板に直接押し付け
られている。そのふくらみは彼女が身じろぎするたびにゴム鞠のように形を変えていた。
よく見るとベッドの中には昨夜彼女が纏っていたらしき服やブラジャーが落ちている始末
である。それから推測すると、どうやら昨日の夜のうちからずっとこの中にいたとみて間
違いなさそうだった。
彼女が裸身であることに気付くと、少年の顔が見る見るうちに真っ赤になる。
慌ててメドゥーサから体を離そうとするも――蛇の下半身は流石に彼を締め付けすぎない
ように力は加減されていたが――しっかりと巻きついたその拘束はちょっとやそっとでは
解けそうになかった。これでは起き上がることが出来ないどころか、腕すら動かせないの
も納得である。
彼女の頭から生える、束ねられた髪の先端が変化したような蛇たちの中には騒ぎに眼を覚
ましたものもいるようで、戸惑う3人の様子などどこ吹く風とばかりに気ままに体を動か
し、その小さな舌をちろちろと出し入れしていた。

敵襲かと身構えていたプリンとクズノハ、そして当のアレイクにもあまりに予想外の光景
に、3人とも言葉をなくし、しばし思考が停止する。
そのうち一番早く現実に復帰したのは、やはりいつも冷静なクズノハであった。
クズノハはアレイクとメドゥーサに交互に目をやると、彼女には珍しく視線を絡み合う
二人から外し虚空を見つめ、言葉を捜すようにしながらゆっくりと口を開いた。
「……む。アレイク……意外と、大胆、だな……」
その声がほんのわずかに悔しさに震えているように感じるのは果たしてアレイクの気のせ
いであろうか。
クズノハの言葉に、言いようのない罪悪感を感じたアレイクが弁解の口を開くよりも早く。
ようやく少年の傍らでこの状況に凍り付いていた少女、プリンが復活する。
「な……な……な……、何やってんのよっ!? この、スケベッ! バカアレイクッ!」
彼女は一瞬で顔をアレイク以上に真っ赤にしたかと思いきや、部屋中の大気を震わせる怒
鳴り声を上げた。
耳元で大声を出された少年は起き掛けの脳に強烈な刺激を受け、目を白黒させる。そのあま
りの剣幕には、めったなことでは動じないクズノハでさえ頭の耳をぺたりと伏せていたくら
いであった。
プリンは彼らに構わずゆっくりと視線をベッドに落とすと、先ほどとは全く違う妙に穏やか
な声で少年に語りかけた。
「へ〜……そう、『昨日の敵は何とやら』なわけ。出会った女の子と早速同衾なんて……
 インキュバスも真っ青なプレイボーイっぷりね?」
不自然なまでに満面の笑顔なのが、逆に底知れない恐ろしさを感じさせる。彼女の雰囲気に
昨夜上位の魔物と対峙した時以上の危機感がアレイクを襲った。それを如実に示すように先
ほどから彼の額を嫌な汗がとめどなく流れ落ちていく。固体化したかのような場の空気を換
えようと、抱きつかれた少年は慌てて口を開いた。
「ちょっと待てよ! 俺だってこんな状況訳わかんねーって! 大体お前、昨日俺が一人で
 寝るところ見てただろーが!」
「はっ、どーだか! フリだけして後で引っ張り込んだんじゃないの!? それくらいなら
 出来なくはないでしょ!? スケベなアレイクならね!」
またもぎゃいぎゃいと言い合い、騒ぎ出す二人。彼らの調子にクズノハはすっかり口を出す
タイミングを逃してしまったようで、やれやれといった様子でベッドに腰掛けると熱を増す
一方の口論に対し傍観を決め込むことにした。

しかしその原因となったメドゥーサの少女は、言い争う二人にも全く構うことなく先ほどと
同じくすやすやと幸せそうな寝息を立てている。それどころか、布団をはがされて体が冷え
たのか、よりいっそうアレイクに体を押し付けだした。
「う〜……もっとぎゅーしてくれなきゃ、やー……くぅ、くぅ……」
その様子を目の当たりにしたプリンは、矛先を少年から蛇娘に変え、さらにヒートアップし
た。
「……あっ、ちょっと! あんたもドサクサ紛れにくっついてんじゃないわよ! だいたい
 元凶の癖に何幸せそうに寝てんのよ!! 起きなさい! 離れなさいよ!
 何よ!! でっかい乳くっつけて! あてつけ? なにそれ私への嫌味なの!?
 そこっ! アレイクも胸押し付けられて鼻の下伸ばしてんじゃないわよ!! 
 このバカっ!!」
次第に変な妬みも入り、騒ぎは混沌の度合いを増していく。クズノハも流石にこれをどうに
かする案は無かったようで、休めるうちに休んでおこうと考え、もう一度布団に戻ると横に
なった。

 彼らの騒ぎは、宿の主人が朝食の準備が出来たと呼びに来るまで小一時間ほど続き、
結局アレイクがプリンの怒りのびんたを食らうといういつものパターンでけりがついたらし
い。

――――――――――――――

 その後メドゥーサの拘束が緩んだ隙を突いて何とか脱出したアレイクは、プリンとクズノ
ハと共に朝食をとり、再び部屋に戻ると身支度を整える。
 そして一行は、これからどう行動するのか、昨夜の話し合いの続きを行うことにした。そ
の間もメドゥーサはベッドの上で枕を抱きしめながら幸せそうな寝息を立てていたが、3人
はあえてそれに触れる愚を冒すことはなく、意識の外に追いやった。
結果、この先の目的地としては、昨夜プリンがメドゥーサの記憶から得た手がかりを元に、
この事件の黒幕と思しきガスパーニュ侯を調べるために彼の屋敷へと向かうことになった。
プリンはアレイクの師である領主、フリスアリス家の屋敷に戻り、支援を求めるという手も
考えなくは無かったが、ここから街に戻った後調査隊を組織・派遣するまでのタイムロスが
痛いというアレイクの主張もあり、とりあえずここまでの経過報告をまとめた手紙を送って
おいてもらうよう、彼らはケンタウロスの郵便屋に頼むということで手を打つことにした。

「もういくのかい? もう少しゆっくりしていったらどうだね」
「いや、そうしたいのも山々なんだけど、あんまゆっくりはしてられねーんだ」
「ええ、やらなくてはならないことがあるので。お世話になりました」
「そうか、まあ冒険者にはいろいろあるんだろうな。とはいっても、流石に宿にまで魔物
 が襲ってきたのは初めてだったがね」
「それは……申し訳ありません。昨夜は大変ご迷惑、おかけしました」
「いや、いいさ。また機会があったら立ち寄ってくれよ」
「はい、必ず」
「ありがとな、おっちゃん」
階段を下りたところでこちらに気付き、見送る宿の主人に3人は頭を下げてお礼をいい、宿
を出た。そのまま目の前の街道を彼らは目的地に向かって進む。まだ辺りには朝の気配が残
っており、息を吸い込むとさわやかな空気が胸を満たした。
件のガスパーニュ家の屋敷がある街までは街道に沿って歩けば、数日で着くはずである。
流石にそこそこの広さがあり、街中ほどではないにせよ整備され踏み固められた街道にまで
日中に姿を現す獣や魔物はおらず、彼らは少しばかりのんびりと景色を楽しむ余裕を持つぐ
らいは気を抜くことが出来た。人通りはまだ少ないが、それがかえってインプや妖狐といっ
た「魔物」である彼女たちには人目を気にする必要がないということでリラックスできた。
何しろただでさえ冒険者風の少年、街娘風の普段着を来たインプの少女、銀髪銀毛が目を引
く和装の妖狐の娘が連れ立って歩いているという珍妙な組み合わせの一行なのである。興味
や奇異の目で見られるのは、特にこの中では自分が一番常識人だと考えているプリンには辛
いものがあったのだった。

「ちょっとまってくださーい!」
だが、そんな彼らの背に宿からいくらも行かないうちに声が掛かった。
足を止め振り返ったアレイクたちの目に、先ほどアレイクに巻き付いてひと悶着起こしたメ
ドゥーサの少女が息を弾ませてこちらに駆けてくるのが映る。思わず、3人の顔にはなんと
もいえない表情が浮かんだ。
こちらに一直線に走って来る少女は――この辺りの人々は彼女たち魔物に対する偏見や抵抗
が少ないとはいえ――流石に真昼間からいかにもな異形を人目に晒すのはまずいと思ったの
だろう。本来蛇となっているその頭髪は薄い水色の人間と同じような髪の毛になり、頭の両
側でツーテールに纏められている。同様にスカートの下の下半身も蛇のものではなく、今は
人と同じすらりとした二本の足に擬態していた。注意深く見ればその瞳や尖った耳が分かる
ものの、パッと見たところ何処にでもいる街娘に過ぎない格好であった。
だがそれでも整った顔立ちや、走るたびに揺れる布に包まれた胸の大きなふくらみが道行く
何人かの人々の視線を集めてはいたが。
道の真ん中に立ち止まる彼らの前に、やがて少女がたどり着く。
「貴女……どうかしたの?」
疑問と、ほんの少しの敵意をにじませながら問いかけるプリミエーラに、ようやく彼らに追
いついた少女は荒い息をつきながら口を開いた。
「はぁっ、はぁっ……もう、置いていくなんてひどいですよ〜!」
「へ?」
いまいち彼女の発言が理解できなかったアレイクの頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。
助けを求めるようにクズノハの方に顔を向ける少年だったが、クズノハもやや戸惑ったよう
な表情を浮かべていた。だが、それでも目の前の蛇娘が何を考えているかはうすうす察して
いるようではあったが。
対する当の彼女はそんな少年達に構わず、二、三度息を吸っては吐き、呼吸を整える。そし
て、改めて口を開いた。
「皆さん! 操られていたとはいえ、昨日は大変ご迷惑をおかけしました! 
 この責任はあたし『ペトラ』が、メデューサの誇りにかけて、あたし自身の体できちんと
 取らせていただきます!
 と、そういうことですので、不束者ですがどうかよろしくお願いします!」
あまりに突然のことに、どういう反応を示せばいいのか分からず、固まるアレイクたち。
だが少女の方はそこまで一気に言い切ると、腰を九十度に曲げて深々とお辞儀をした。
「ちょ、ちょっと! えっと、ペトラさん!? そんな勝手に!」
ようやく彼女の言った意味を理解したプリンが、抗議の声を上げる。
「ペトラ、でいいですよ」
「あ、いいの? じゃあ、ペトラ?
 ……ってそうじゃなくて、何ちゃっかり勝手に仲間になるとか言ってくっついてきてる
 のよ!」
街道という場であることをすっかり忘れ大声を張り上げるインプ。しかしメデューサはそん
な彼女の文句に取り合わず、いつの間にか蛇の姿に戻した下半身をするりとアレイクに巻き
つけると、そっと彼の耳元で囁いた。
「……ふふ、朝はとっても気持ちよかったですよ……? これから、よろしくね。
 ア・レ・イ・ク・さ・ん?」
胸を押し付け、金色の瞳を細めて彼に微笑みかけるペトラ。思わず顔を赤くした少年にくす
くすと笑いを漏らすと、メドゥーサは最後にふっと彼の耳に息を吹きかけ、体を放した。
「あ、あえ?」
「ちょ、ちょっとお!! 何してんのよ! アレイクもそんなにその胸がいいの!?
 バカバカ! 何よちょっとちちが大きいからって!!」
いまいち何をされたのか分かっていない少年が目をぱちぱちさせる。そんな様子にプリンは
再び腕を振り上げて叫ぶ。さらに少年に対しては涙目になりつつも突き刺すような視線を送
りつづけていた。
インプの隣に立つクズノハは、先ほどの少年とメデューサの会話を耳をぴくりと動かし一言
も漏らさず聞いていた。口元に手をあて、考え込むようなそぶりを見せる。
「……なるほど、流石は高位の魔物。おっとりした態度も地のようだが、好意を持った相手
 は積極的に誘惑というわけか。……油断も隙もあったものでは無いな」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ声を耳にし、小さく息をはきながら、誰にも聞こえないような小さな声
で呟いた。

その後しばらくなんだかんだと文句を言っていたプリンだったが、彼女も、ペトラ――メド
ゥーサのような強い力を持つ魔物の助力というメリットを否定することは出来ず、結局彼ら
の旅路にまた一人……という数え方があっているのかは分からないが、魔物の少女が加わっ
たのだった。
「はあ、なんかもう疲れたわ……」
落とした肩をぽんぽんと慰めるようにクズノハが叩く。がくりとうなだれた首にどこか達観
したような表情を浮かべ、プリンはとぼとぼと歩き出した。

――――――――――――――

ペトラを加えた一行は、当初の予定通りガスパーニュ家のある街までの旅路を進む。
それなりの距離がある旅とはいえ、強力な魔物を連れている彼らが他の魔物や獣に襲われ
ることはめったに無く、宿を出て一日目、二日目は特に何の問題も無く予定を消化した。
だが三日目、全体の半分ほどの道のりを過ぎ、街道が丁度森の中に入ったところで、急に
あたりに濃い霧が立ち込めだした。
「霧……妙ね? この辺り、こんなにひどい霧が出ることなんて聞いたことが無かったと
 思うけど」
あっという間に数歩先の景色すら白く霞みだしたのを見て、プリミエーラが疑問の声を上げ
る。彼女の言うとおり、朝や夕暮れ時でもなく、また近くに湖などがあるわけでもないのに
急にここまで深い霧が立ち込めるのはあまりにも不自然すぎた。もともと視界が悪い森の中
ということもあって、すぐに周囲の様子は殆ど分からなくなる。
「ああ。ちょっとこれは……自然に出てきたとは考えられねーな」
「もしかしたら……敵の妨害、かもしれない。妙な気配もかすかに感じる」
彼女の意見に同意するかのように、アレイクとクズノハも顔を引き締め、油断無く辺りを見
回した。その後ろでは、ペトラがいつの間にか人間の娘の姿からメデューサ本来の姿を現
し、目を閉じて周囲の気配や魔力を探っている。
と、彼女が再び目を開くと同時、その口から警告の叫びが発せられた。
「ッ!? 上!」
その声に反射的に上を見上げた少年に、白くかすんだ靄を切り裂くように樹上から落ちてき
た大蛇がインプの少女に襲いかかるのが見えた。完全に不意を衝かれたプリンは噛みつこう
とする蛇の攻撃に全く対処できていない。無防備な彼女は攻撃をかわすことも出来ず、鋭い
牙が服の上からがぶりとその柔肌に食い込もうとしていた。
「あぶねぇ!」
「えっ!? きゃあっ!」
目を見開き、悲鳴を上げる彼女をアレイクは無我夢中で突き飛ばす。蛇はそのまま獲物との
間に割り込んできた少年に刃のような牙を突きたてた。
「ぐっ! いってぇ!」
「あ、アレイクッ!?」
うめき声が口から漏れ、少年は蛇を振りほどこうと腕を大きく振る。だが牙はしっかりと肉
に食い込み、蛇は己の胴を少年の腕に巻きつけて離れようとしなかった。倒れこんだまま少
年を振り返ったプリンの口から、悲鳴が漏れた。
「くそっ! 離れやがれ!」
「アレイク! 動くな!」
もがく少年にクズノハが短く呼びかけると、鋭い爪がさっと振るわれる。瞬きする間もなく
蛇の頭と胴体はまるで一本の線が引かれたかのように分断された。食い込んだ牙が緩むと頭
はぼとりと地面に落ち、きつく巻きついていた胴も締め付ける力を失うと拘束を緩め、頭の
後を追った。
「ありがと、くー。助かった」
「いい。怪我は大丈夫か?」
かまれた腕を抑えながら礼を言うアレイクに、短くクズノハが答える。
「ああ、こんなのかすりきず……」
顔をしかめつつも、強気の言葉で答えるアレイク。だが直後、少年はくらりとふらつく。
その体から力が抜けると彼はがくりと地面にひざをついた。
「アレイク?」
「ちょっと!? どうしたの!?」
「な、なんでもねーよ……これぐらい……」
慌てて駆け寄る少女達に、真っ青な顔で強がるアレイク。だがその体は小刻みに震え、歯が
がちがちと鳴った。
「なんでもない訳ないでしょ! ほら、いいからちょっと見せて!」
明らかに尋常でない少年の様子にプリンは有無を言わせず彼の腕を取ると、袖を一気に捲り
上げる。すぐに血のにじんだ布地の下から、異様な紫色に変色した咬み傷が露になった。
「これって……!? まさか!?」
「! 毒、みたいですね……。見たところさっきの蛇のでしょうね。おそらく即効性のかな
 り強い毒を持っていたようです……」
彼女の背後から同じく傷を覗き込んだペトラも、眉をしかめ言葉に焦燥をにじませた。
その間にもアレイクの息はどんどん荒くなり、顔色も血の気が引き悪くなる一方だった。
「とにかく、どこか落ち着いて休ませられる場所を探そう。
 アレイク、すまないがそこまで辛抱してくれ」
「ああ……」
クズノハは額に汗をにじませるアレイクをおぶると、周囲を警戒しながら歩き出す。プリン
とペトラも心配そうな表情のまま、その後に続いた。

数分も歩かないうちに、彼女たちの目に白い霧の中にうっすらと浮かぶ何かの影が見えてき
た。少年を背負うクズノハを追い越し、先頭を歩いていたプリンはすぐにそれが小さな小屋
のものだと気付く。
「あんな所に小屋……? いえ、今はそんな場合じゃないわね。使わせてもらいましょ」
振り返りクズノハとペトラにそう言うと、彼女たちも無言で首肯した。アレイクはすでに妖
狐の背で一言もしゃべらずぐったりとしており、意識もあるのか無いのか定かでないという
状況だった。彼に余計な負担をかけないよう、慎重な足取りで、しかしなるべく急ぎつつ一
行は小屋へと足を進めた。

その小屋は木々を組み合わせて作った小さなものではあったが、造りは意外としっかりして
おり、中には斧や鎌などいくつかの道具が散らばっていた。どうやら近くのきこりか何かの
休憩所兼物置のようなものらしく、道具をどかせば一人ぐらいなら中に寝かせておくことが
出来そうだった。
クズノハは小屋の隅に転がっていたボロ布を床に敷き、アレイクをそっと横たえる。ぐった
りと力なく横たわるアレイクの姿に、少女達は言い表せない恐怖と焦燥を感じた。
「薬は?」
道具袋から薬を探していたプリンの方を振り返り問うクズノハに、彼女は力なく首を振る。
「ダメ……ちゃんとした解毒剤は無いみたい。あったのは、気休め程度に体力を回復する
 薬草しか……」
「無いよりはまし、か……」
手渡された草を手早く煎じると、クズノハはそっと彼の口を開き、薬を流し込む。
アレイクが何とかそれを飲み込むのを見ると、少年の額に浮かんでいた汗を拭いていたペト
ラが、不安げに口を開いた。
「これだけじゃ……どうしようもない、ですよね……」
「…………」
その言葉にプリンもクズノハも答えを返さない。
重苦しい雰囲気が室内に漂う。薬草によって体力がすこし戻ったおかげか、少年の容態は先
ほどよりはマシになった。とはいえアレイクのいまだに苦しそうな息遣いは収まっておらず、
その呼吸の音だけが彼女たちの耳にひどく大きく届いていた。
そんな中、誰に言うとでもなく、ひざを抱えうつむいたプリンがぽつりと言葉を漏らす。
「……何よ、だらしないわよ……。私をかばってあんたが倒れたら意味無いじゃない。
 英雄になるんでしょ……? それがこんな所でへばってたらダメじゃない……」
「プリミエーラ、さん……」
今にも泣き出しそうな声に、ペトラもクズノハもかける言葉を見つけられず、ただ彼女の独
白を聞き、小さくうずくまる姿を見つめることしか出来なかった。
「うん……こうしてただうずくまっていても何も解決しないわよね……分かってる」
小さな呟きが漏れ、プリンはしばらくすると顔を上げ、自分と少年を見つめている二人の方
に視線を向ける。目の端の水滴を指でぬぐうと、彼女は何かを決意したかのように強い光を
目に宿らせ言葉を紡いだ。
「アレイク、あんたがどう思ってるかしらないし……こんな時に、こんなこと一方的に言う
 のって変かも、ずるいのかもしれないけど……私、あんたを、アレイクを私の前から無く
 したくない。
 あんたバカで考え無しで、子どもで、鈍感で……どうしようもないけど、それでも……
 私、あなたが好き、だから……!」
目の前の少年に告白するというよりは、二人の恋敵に、そしてアレイクに対して宣戦布告で
もするような調子で彼女は言い切る。目を閉じたまま彼女の言葉を聞いていたクズノハは宣
言が終わると、まるでようやく言う気になったかとでも言わんばかりにとふっと肩の力を抜
いた。
「……その気持ちは私も同じだよ、プリミエーラさん。では、これで正式に私たちは恋敵ど
 うし、ということだな。言っておくが、いくら貴女相手でも私は彼を譲る気はないからね」
どこかいたずらっぽい響きの言葉とは裏腹に、その目には真剣な光を宿した狐の視線が鋭く
彼女を射抜く。
アレイクの側に座り、口元に手をあて目を見開いてプリンの言葉を聞いていたペトラも、二
人に負けじと慌てて口を開いた。
「あ、あたしだってお二人に負けはしません! アレイクさんは絶対あたしのものにするん
 です!」
3人の間に見えない火花が散り、室内の緊張が高まる。
だが、すぐに彼女たちは皆お互いへの対抗心を消し、同じような想いをこめて横たわる少年
を見つめた。
「……だけど、今は休戦ね」
「そうだな」
「ですね」
呟く彼女たちの表情には、大切な人を心から案じる色が浮かんでいる。
「しかし、このままではまずいですよね? 毒を何とかしないと……」
ペトラの言葉に、二人も考え込む。アレイクの体力が人並み以上にあったので今は一応持っ
ているようなものだが、このまま全身に毒が回ったままでは死の危険性もある。解毒の術が
使えれば話は早いのだが、3人とも回復系の術は不得手としていた。その上に、手持ちのア
イテムにも薬がないという以上、彼女たち自身の能力でこれをどうにかするのは難しい状況
に陥ってしまっている。
「……これくらいの規模の森ならば、どこかに解毒作用のある薬草くらい生えているはずだ。
 正直な所賭けになるが、ここでただ手をこまねいているよりは探してみる方が彼が助かる
 可能性は高いだろう」
腕を組み、アレイクを見つめながら考え込んでいたクズノハが提案した内容に、プリンとペト
ラも頷く。
「そうね、ここでただ黙ってこいつを見てるよりはそのほうがよほど建設的だわ。
 この霧がもしかしたら敵の妨害、罠かもしれないのがちょっと気に掛かるけど、方法が他に
 ないなら、やるしかないわよね」
「そ、そうですね。それじゃあ、二人が薬草探索、一人がアレイクさんの看病と護衛、という
 分担でいいですか?」
「ああ、そのほうがいいだろう。動けないアレイク一人を残していくのは危険すぎる」
「分かったわ。それじゃあ、私とクズノハさんで探索、ペトラが護衛でどうかしら。
 貴女の『石化の邪眼』なら、もし敵が襲ってきても時間稼ぎができるでしょうし」
「そうだな。私たちの方が機動力もあるし、それが最適だろう」
「わ、分かりました。では、留守の間、アレイクさんのことはお任せください」
「頼んだわよ。こいつが誰を選ぶにしろ、それまではなんとしても生きててもらわなくちゃな
 らないんだしね」
ちらりと視線を落としたプリンに、クズノハが頷く。
「ああ。そのとおり、だな」
素早く役割分担を決めると、彼女たちは頷きあう。クズノハとプリンはさっと立ち上がると必
要最小限の荷物だけを持ち、わずか一瞬だけ、アレイクの顔を見つめる。
「お二人とも気をつけて……」
背に掛かるペトラの声を受け、二人は小屋を出て行った。

「さて、二手に分かれたほうがいいわよね」
小屋の戸を閉め、辺りを見回したプリンはそうクズノハに提案する。いまだ立ち込める濃霧の
中、単独行動をとることは正直な所戦闘向きではない彼女には不安も大きかったが、アレイク
のことを考えると少しでも効率的に動きたい所であった。そのことが分かっているクズノハに
も異論は無く、二人はそれぞれ別の方向に顔を向ける。
「ああ、私はこちらから探してみる」
「じゃ、私はこっちね」
背中合わせに声を掛け合い、二人は頷く。プリンが駆け出そうとする直前、背後からもう一度
クズノハの声がかけられた
「アレイクのことが心配なのは分かるが、プリミエーラさん、無茶だけはしてはだめだよ。
 もしあなたに何かあったら、例えアレイクがよくなってもきっと悲しむだろうからね」
恋敵であっても、それ以上に大切な仲間が自分を案じてくれている。彼女の言葉からそれを感
じられたプリンは、心の底から嬉しくなると同時に、勇気が湧いてくるのを感じた。
「……うん、クズノハさんもね。私たちにこんなに心配かけさせた埋め合わせ、あいつにちゃ
 んとしてもらわなくちゃいけないものね」
「そうだな、それくらいはしてもらわないと」
くすりと笑むと、二人はそれぞれ白い闇のなかへと駆け出した。

漂う靄を切り裂きながら、少女は森の中をひた走る。だがその最中にも瞳は注意深くあちこち
の地面や草むらを見回し、目的のものを見落とすまいと精神集中と緊張を保っていた。
森中を覆う異様な霧に動物達も怯えているのか、鳥や獣の鳴き声や蠢く気配は全くない。彼女
の耳には自分が地面を踏みしめ駆け抜ける音しか聞こえなかった。
「これは……違う。こっちも……ただの雑草」
無意識に口から言葉が漏れるのは、焦燥のせいなのか。眉間にはずっと皺がより、汗で額に髪
が張り付くのにも構う様子はない。彼女はそんな自分の様子に気を向けることも無く森の中を
さまよい、ただ目的の毒消しの薬草を探し続ける。
やがて彼女は森の中に存在する、広場のように開けた空間にたどり着いた。
「ここは……」
無我夢中で走り続けたせいで、いつの間にか森を抜け出してしまったのかとも思ったが、どう
やら違う。周囲を円形に木々がぐるりと取り囲むそこは、さながら自然に出来た花壇のようで
あった。影絵のように白い霧に浮かぶ木々の黒いシルエットと、足元に咲く様々な花の鮮やか
な色がまるで一枚の絵画のように、どこか非現実的な印象を抱かせる。
「こんな場所があるなんてね。天気もよくて時間があるときなら、ゆっくり日向ぼっこするの
 によさそうな場所かもね。今はそんな場合じゃないけど。
 でも、これだけたくさんの草が生えていれば……もしかしたら」
かすかに見えて来た光明に、彼女の心に希望が湧いた。すぐさまかがみこみ、足元の草花を一
本一本確認していく。
「ちがう……これじゃない。あっちのは……薬草だけど、解熱の方か……」
期待の分、もしなかったらという不安が彼女の恐怖心を大きくしていく。先ほどまで走ってき
たルートにはそれらしきものは無かった。もしここに無ければ、もし、クズノハも毒消しを見
つけられなかったら、アレイクは。考えまいとしても最悪の未来が頭に浮かび、心に絶望の影
が忍び寄りかけたその時。
「……あった!」
彼女の視線の先に確かに目当ての薬草が生えていた。はやる心を落ち着けて何度も確認し、そ
の種類に間違いの無いことを確かめる。すぐさま既に土まみれの手を伸ばし毒消し効果のある
薬草をしっかりと掴んだ。根元から草を引き抜き、土をざっと落とすと腰の小さな道具袋に押
し込む。
「後はアレイクにこれを飲ませれば。早く戻らないと」
プリンは服の汚れを落とす手間も惜しいかのようにすっくと立ち上がると、すぐさま元来た道
を戻ろうと駆け出そうとする。だが、その足が何かに取られ、彼女は地面に倒れこんだ。
「きゃあっ!?」
予想もしていなかったことでとっさに反応することも出来ず、彼女は思い切り体を地面に打ち
付けてしまった。下が柔らかい地面と草のじゅうたんであったのが幸いし、怪我こそしなかっ
たものの、予想外のことに彼女の頭は混乱した。
「な、何?」
思わず自分の足元を見ると、その細い足首に木の根っこが巻きついていた。目を見開く彼女を
よそに、もう一本の木の根がまるで触手のようにするすると伸び、もう片方の足にもしっかり
と巻きつく。ごつごつした感触が彼女の肌に伝わり、言いようのない嫌悪感が背中を通り抜け
た。
「根っこ!? でも、こんなのは普通じゃありえないわ。一体……!?」
戸惑う彼女の耳に、怒りをにじませた女性の声が聞こえてきた。
「許さない……森を荒らすものに、罰を……!」
その声とともに動く木の株に乗った女性が姿を現す。新緑の若葉の色をした長い髪と衣を身に
着けた美しい女性だが、その足は乗っている木と同化しており、背中や腕からも細い枝が生え
出している。独特の姿に、プリンはすぐさま相手の正体が分かった。
「しまった、あの子はドリアード! ここは彼女のテリトリーだったのね! 確かに今の状況
 じゃ勝手に入ってきて薬草を奪っていった敵、と見られても仕方ないわよね……。
 でもこっちにも事情があるのよ、何とか聞き入れてもらうしかないわ」
プリンはドリアードと向き合うように体の向きを入れ替え、真剣な面持ちで彼女に語りかける。
「ごめんなさい、貴女の住処に勝手に入ってきたことは謝ります。でも、私の仲間が今、毒に
 苦しんでいるの。貴女の大切な物だというのを承知でお願いします。どうか、この毒消し草
 を譲っていただけないかしら。一本だけでいいの!」
最後の方はほとんど叫ぶようになりながらも、彼女は嘘偽り無く事情を述べ、目の前の樹木の
精霊に請願する。だが、ドリアードは彼女の言葉を聞いていないのか、その美しい蒼い瞳に怒
りの炎を灯らせたまま、彼女にじわじわとにじり寄ってきていた。
「森を荒らすもの……許さない……」
「くっ!」
黒い怒りのみで塗りつぶしたかのような憎悪の呟きと共に、鋭く尖った木の枝がまるで獣の爪
の如く彼女に襲い掛かる。すんでのところでプリンは身をひねり、枝の槍をかわした。ちらり
と視線をやると彼女が一瞬前まで転がっていた地面に、枝が突き立つのが見えた。思わず背筋
を冷たい汗が伝う。
「お願い、話を聞いて! 貴女の森を荒らすつもりは、私たちにはないの!」
「許さない……許さない……許さない……」
プリンの叫びも空しく、怒り狂うドリアードは彼女の両手と胴体にも根やつるを伸ばし、自由
を封じる。そのまま空中に持ち上げられ、締め付けられたプリンは苦悶の叫びを上げた。
「う、ぐ……や、やめて……」
根の触手で締め付けられたまま振り回され、プリンは空中に貼り付けにされたような格好で樹
精の前に連れてこられた。涙でぼやける彼女の視界にドリアードの顔が映る。普段は温厚な性
格だというドリアードの顔は、今は憎しみと怒りでゆがみ、悪鬼のごとき形相となっていた。
確かにドリアードは森を荒し、汚す者に容赦なく襲い掛かるとはいえ、ここまで問答無用な対
応を取るとは普通なら考えられなかった。本来の温厚な彼女たちなら、事情を分かってもらえ
ばむしろ快く薬を渡してくれるはずだ。
(……いくらなんでも、この怒りようはおかしいわ……もしかして、敵、が……なにか……)
頭の片隅にペトラが操られていたのと同じく、敵がなにかしているのではという考えがかすか
に浮かぶ。この霧といい、相手がこちらの行動を何らかの方法で掴んでいるなら、森に住むド
リアードに何かをして、妨害をしてきてもおかしくは無かった。
だが彼女がそれに気付くのは遅すぎた。既にしっかりと四肢は拘束されてしまっており、さら
に首に撒きついた蔓が、じわじわと締め付けだしている。
(く……うかつだったわ……! もう少しよく考えれば、これくらい予想できたのに!
 ぐぅ……だめ、い、意識が……。あ、アレイ、ク……)
締め付けられ、息が出来ない。朦朧とする頭で最期に少年の名前を呼ぼうとして、プリンの目
の前は真っ暗になった。
「『風刃斬(ウィンドカッター)』ッ!!」
静かな広場に突如響いた声と共に、一迅の風が鋭い刃と化し、空間を駆け抜ける。真空の刃は
一太刀でインプの少女を戒める木々の拘束を断ち切り、小柄な体が地面に落ちた。
「はっ、がふ、ごほっ、ごほっ!!」
少女の細い首を締め付けていた蔓がちぎれ、プリンの体は酸素を取り込もうと激しく咳き込ん
だ。少女の無事な様子に乱入した者は腕で額の汗をぬぐい、安堵の吐息を漏らす。
「ふぅ〜っ。何とか間に合ったようですね。プリンさん、無事ですか!?」
いまだぼんやりと焦点の合わない目を声のほうに向けると、インプの目に蛇の下半身を持つ娘
の輪郭が映った。
「ぺ、ペトラ……?」
「はい、助けに来ましたよ!」
かすれたプリンの声にメドゥーサはにこやかに微笑みながら答えると、ドリアードの方に油断
無く視線を向ける。
「敵……荒らすもの……消えろ……!」
突然の乱入者に激しい敵意を向けた精霊は、先ほどと同じ鋭い枝の槍を蛇にけしかけた。
だが、その切っ先はペトラの柔肌に届くことは無く、中空に現れた不可視の壁に阻まれる。
「『魔防障壁(プロテクションウォール)』! あららら、随分乱暴ですね。
 ふ〜むふむ。どうやら、催眠か何かで正気を失っているみたいですね。
 これだと邪眼はあんまり効果なさそうかな〜?
 む〜ちょっと他人事じゃないですし……すこ〜しばかりお仕置きをして目を覚まさせてあげ
 ないとね?」
途中で口調が変わりながら言葉を発した瞬間。彼女の金の瞳がいつもの穏やかなものから、獲
物を見つめる獰猛な肉食獣のような色を宿す。
彼女は無言のまま、ゆっくりと右手を持ち上げる。その手のひらがドリアードの方に向けられ
た瞬間、一瞬で暴れる樹木の精霊は動きを封じられた。よくみると、その表面にはびっしりと
霜がくっついている。どうやら氷結系の術法で彼女を凍りつかせ、動きを封じ込めたらしい。
「え、そんなあっさり……?」
驚きに目を瞬くプリンの口から、ぽつりと言葉が漏れる。
「『氷呪封縛(フロストバインド)』 正気を取り戻すまでそのまま頭を冷やしてなさい?
 ……ふう、威力調節は適当にしましたけど、上手く行ったみたいですね。
 しばらくすれば、彼女の催眠も解けるでしょう」
当のメデューサは、なんでもないことのように言うが、ドリアードは樹木に宿る精霊の一種だ
けあって、腕力は無いもののそれなりに魔力の高い魔物である。魔力を持つ魔物は大抵の場合
魔法抵抗もあるため、こんなにあっさりいくとは信じられなかった。それだけに彼女がメデュ
ーサという、魔物の中でも高位の存在であるということを改めて実感させられる。
「プリンさん、体は大丈夫ですか?」
彼女の内心の戦慄を知ることもなく、ペトラは穏やかな表情に戻るとうずくまったプリンを案
じる。
「わ、私は大丈夫……。そ、それよりも! ペトラ、貴女アレイクのこと看てたんじゃなかっ
 たの!? アレイクはどうしたのよ!?」
掴みかからんばかりの剣幕で詰め寄るプリンに、ペトラは落ち着かせるように肩に手を置く。
「大丈夫です、アレイクさんは無事ですよ。というか、アレイクさんが「プリンたちが心配だ、
 助けに行け」ってあの後ずっと言ってきたんです。ほら、あそこ」
振り向いたペトラの視線の先に目をやると、広場の入り口の一本の木の根元に、太い幹に背を
預けるようにして座り込む少年の姿が見えた。彼女たちの視線に気付いたのか、剣を地面に突
きたて杖にして体を支えると、よろよろと立ち上がった。その顔色は真っ青で、額には脂汗が
浮いている。
「よ……。無事、みたいだな……」
プリンの耳にようやく届くかといったかすれた声で呟くと、アレイクは一歩、足を踏み出す。
だがすぐにバランスを崩し、ずるずるとその場にへたり込んだ。
「バカ! まだ毒が消えてもいないのに動かないの!」
プリンは慌ててアレイクに駆け寄り、その体をそっと地面に横たえる。血の気の失せた少年の
顔に焦燥をにじませながらも腰の道具袋から毒消し草を取り出すと、その根っこをちぎった。
すぐさまその切れ目から滲み出した透明な水滴を、アレイクの口に流し込む。
「ほら、ちゃんと飲んで」
一滴、二滴と雫が彼の口に消え、喉が動くのを見て彼女は薬草をしまうと注意深く彼の様子を
観察した。その肩越しに、背後からペトラも心配そうな表情で彼を見守っている。
やがて、アレイクの荒い呼吸が静まり、規則正しい小さな音を奏でだした。
頬にも血の気が戻り、体の汗も引いた様子を見て、プリンは安堵に胸をなでおろす。
「……ふう〜。とりあえずこれで一安心、かしらね。流石はドリアードの加護を受けた森の
 薬草だわ」
「そうですね〜。あとは、アレイクさんの目が覚めるのを待ちましょう」
ペトラの言葉に頷く。と、丁度木々の切れ目から、先ほど来た道をクズノハがこちらにかけて
くるのが見えた。妖狐は3人の前にやってくると彼らの様子を見回し、さらに少し離れた所で
凍りついた樹木を見、もう一度横になった少年に視線をやる。その胸が規則正しく上下してい
るのを確かめると、長い息をついた。
「どうやら、一足遅かったようだね。もう全て終わった、ということかな。
 とりあえずは全員、無事か。なによりだ……といいたいが、彼のムチャには参ったものだ」
「す、すみません……。いきなり目を覚ましたかと思ったら、あいつらが心配だ、俺も連れて
 けといって聞かなくて。結局、背におぶったままつれてきちゃいました……」
ばつがわるそうにもごもごと弁解するペトラに、諦めたようにプリンが言う。
「ま……こいつの無茶はもうどうしようもないわね。……はぁ、どっちが助けられる側なんだ
 か。今回はそれで実際救われたから、言えた立場じゃないけど」
そう、先ほどの自分の失態を思い返して渋い顔をする。
「それで、何時までもここにいるのもよくあるまい。とりあえずアレイクが目覚めて、霧が引
 くまで、先ほどの小屋で休むとしよう。ところで、彼女はどうする?」
クズノハが視線をドリアードの方に向ける。
「あの術はそれほど強いものではないですし、このままでも大丈夫だと思います。
 さっきは何者かの仕業か、なにか正気を失っているみたいでしたけど、例え元に戻ってもあ
 たし達が招かれざる客なのは変わらないでしょうから。今のうちに退散しましょう」
「そうね、ちょっと彼女には悪いことをしちゃったけど……」
「言っても詮無いことだな。また何かが襲ってこないとも限らないし、ここは早々に立ち去っ
 た方がいいだろう」
そう言ってしゃがみこんだクズノハはアレイクを背負うと、元来た道を歩き出す。プリン、ペ
トラもドリアードにぺこりと一つ頭を下げると、彼女の後を追った。

――――――――――――――

小屋に戻ってきた彼女たちは、先ほどと同じように室内にアレイクを寝かせる。いまだ少年は
眠り続けていたが、それはショックによる昏睡などではなく、穏やかな休息であった。この眠
りは今の彼に必要なものなのだ。
そう頭では分かっていても、ずっと目を覚まさない彼の様子にプリンはじれったさといくばく
かの恐怖を感じた。もう二度と目を覚まさないのではないか。そんなことはあるはずが無いの
に嫌な考えが頭から消えてくれない。
「毒は消したが、相当無茶をしたようだしな。いくらか衰弱してしまったせいで、目覚められ
 るだけの体力が戻らないのかもしれないな。」
同じくずっと彼の顔を見つめていたクズノハが、ポツリと漏らす。気にしすぎなのかもしれな
いと自分でも思っているような口ぶりだったが、それでもその考えを完全に否定できないのは
プリンと同じといった様子だった。ペトラも、不安げにクズノハとアレイクの顔を交互に見や
る。
「じゃ、じゃあ、どうしたらいいんでしょう?」
おろおろする彼女に、クズノハはしばし沈黙していた。プリンもまたアレイクに対してどうす
ればいいのか、クズノハが方法を示してくれるのを期待してじっと注意を彼女に向ける。
やや間があってから、再びクズノハは口を開いた。
「このまま彼が回復するのを待つ、というのも方法の一つだが……。
 私たちの精気、生命力を、直接触れ合うことで彼に流し込んで体力を回復させる、という方
 法が……ないわけでもない」
いつも通りの落ち着いた口調ではあったが、彼女の声にはほんの少し、それこそクズノハと
いう人物がアレイクにどのような感情を持っているのか知っていなければ気付かないくらいの
かすかな照れと期待が感じられた。
そしてもちろん、プリンとペトラはそれに気付かないほど鈍感ではなかった。彼女の言葉の響
きに「その方法」がどんな種類のものかを察した二人は顔を赤らめ、だがそれ以上に期待と興
味が隠し切れない瞳で眠り続ける少年を見つめる。
「……し、しょうがないわよね。こ、ここで無駄に時間を使うわけには行かないものね?
 こいつにもさっさと目覚めてもらわないと!
 つまりこれは緊急救命措置。そう! し、仕方ないことなのよ! やらなくちゃいけない
 ことなのよ!」
真っ赤に頬を染めながら、誰にとも無く言い訳をするインプの隣で、メドゥーサがその正体を
露にしながら期待に目を輝かせる。
「あ、アレイクさんとにゃんにゃんする機会がこんなに早く……! ああ、起きていないのが
 残念だけど、それは後のお楽しみね……。じゅる。あ、いけない、あまりにおいしそうで涎
 が……」
「う、う〜ん……」
無意識に運命を察知したのか、アレイクの眉がしかめられ、口からうめき声が漏れる。
クズノハのつややかな指がそんな少年の体ををそっと撫でた。
「やれやれ。この二人はあんな調子じゃ生命力を分け与えるどころか、逆に絞りつくしそうだ
 な……。
 大丈夫だよアレイク。心配しないでも私がちゃんと分けてあげるから……」
二人を尻目にしゅるりと服を脱ぎ、一方で彼の衣服を優しく脱がしていく。その滑らかな肌を
露にしながら、クズノハはそっとアレイクに抱きつく。
「んっ……」
肌と肌が触れる感触に、クズノハの口から反射的に声が漏れた。胸、腹、そして秘所を擦り付
けるようにゆっくりとその体が動く。
「あっ! ずるいわよクズノハさん! わ、私だってしてあげるんだから!!
 ……んっ……ちゅ……」
先を越されたプリンも慌てて横から少年に抱きつくと、横を向いた頭に自分の顔を近づけ、唇
を触れ合わせた。そのまま何度か、ついばむようなキスを続ける。
「あ、二人ともダメよ! この子はあたしのものにするんだから! アレイクにはあたしの精気
 をたっぷりあげて、あたしの虜になってもらうの!」
その声と共に、二人の体ごとしゅるりと蛇身が巻きつく。ひやりとした蛇の体の感触に、プリ
ンたちの体がぴくりと跳ねるのを愉快そうに見やると、ペトラは目を細め長い舌で少年の胸板
をぺろりと舐めた。髪の蛇はうねうねと勝手気ままに動き、その何本かは彼の肌の上を這いず
り回る。
彼女たちの内部でついた火が、大きく燃え盛る炎となるまでにそう時間は掛からなかった。

それからしばらくの間、小屋からは床板がきしむ音と少女達の嬌声が響き続けていた。
正直な所その行為は、アレイクの回復のためなのか、それとも少女達の魔物としての本能のた
めなのかは分からなかったが。
一応補足しておくと、あくまでこれは緊急措置だったため、3人とも暗黙の了解で「本番」は
していないことを記しておく。



「う、うぅ〜ん……よく寝た……。もう毒も消えたみたいだな。すっきりして気分もすっかり
 よくなったし。
 ……っていうか、なんか体調はよくなった癖に妙に腰とかが痛え気がするのはなんなんだ?」
大きく伸びをすると、窓の外を見渡す。森を覆い、その中にも充満していた霧はいつの間にか
すっかり消えていた。今は木々が作り出す薄暗い影が、普段通りの森の姿を彼の瞳に映している。
「あ、起きたのね?」
声がしたほうに少年が振り向くと、何故かばつの悪そうな……何か隠し事をしているような微
妙な表情のインプがいた。その顔を見、ちらと心に浮かんだ疑問を問いただすよりも、彼女に
言うべき言葉があることにアレイクは思い当たる。
「ああ。あ、そうだ……。心配かけてすまねー。プリンが毒消し飲ませてくれたんだろ?
 おかげで助かった。ありがとな」
珍しく素直に頭を下げる彼に、いつものアレイクを知るプリンはちょっと戸惑った。だが、
すぐに顔を真っ赤にすると、そっぽを向きながら早口で言う。
「い、いいのよ。言ったじゃない、あ、あんたに死なれたら夢見が悪いって!
 それに、お礼は私だけじゃなくてクズノハさんとペトラにも言いなさいよね!
 そ、それから……もう二度とこんな心配かけさせるんじゃないわよ!」
「あ、ああ。わりい」
いつもの調子の彼女の言葉のはずなのに、どこか何かが妙な感じがして、返事をする彼の言葉
がわずかに詰まる。そんな彼にじとりとした目を向けるとさらにプリンは言葉を重ねた。
「もう、ちゃんとわかってんの!?
 ……好きな人があんな目にあうの、もう二度と見たくないんだからね……」
「え? 今なんか言ったか?」
途中から急に声が小さくなったせいで、彼女がなんと言ったのか上手く聞き取れなかった。思
わず問い返したアレイクに、プリンは先ほど以上に顔を朱に染め、背中を向けた。
「なんでもないわよ! バカ!」
「なんだよそれ……」
さっぱり理解が出来ない彼女の態度に呆れたものの、何かいつもとは違う、言い表せない違和
感を感じてどうも調子が狂う。おそらく毒で倒れたせいでまだ体調も勘も本調子ではないのだ
ろう。そう無理やり結論付けると、このことは頭から締め出すことにした。アレイクは傍らに
置かれていた魔剣と自分の装備を手に取り、慣れた手つきで身に着ける。
「そういえば、くーとペトラは?」
がさごそと身支度を整えながら、プリンに問いかける。
「今、霧が晴れたのを見て辺りの様子を見に行ったわ。あ、ほら、帰ってきたみたい」
言われて小屋の小さな窓から外の様子を覗くと、木々の間をこちらに向かってくる妖狐と蛇娘
の姿が見えた。
ほどなく小屋に到着した彼女たちは、ドアを開けてすぐ回復したアレイクの姿を見つけると安
堵の表情を浮かべた。
「あ、アレイクさん起きたんですね。気分はいかがですか?」
「もう、体はいいのか? まだ少し休んでいたっていいんだ、無理だけはしないようにな」
口々に彼を案じる彼女らの言葉に、先ほどと同じように心配させてすまなかったと頭を下げる
と、アレイクは回復した証拠を見せるかのように自分の胸を叩いた。
「大丈夫大丈夫。もうすっかり平気さ。それに、俺のせいとはいえ随分予定より遅れちまった
 しな。遅れを取り戻すためにも早速出発しようぜ」
彼の声の調子に大丈夫そうだと感じた二人は、その提案に頷いた。
「そうそう、さっき辺りを調べていたら、森の出口までの案内役を見つけたんですよ」
ペトラは得意げに手をぽんと打ち合わせ、再びドアを開く。扉の向こうには、突然開かれたド
アに驚いた表情をしたドリアードが立っていた。彼女はちょっとの間そのまま固まっていたが、
気を取り直したのか一つ息を吸い込むと一歩、部屋の中に進み、頭を下げた。
「その……先ほどは大変失礼をしました……。あの白い霧が出てきてから、なんだか自分が自
 分でなくなってしまったみたいで……」
ぺこぺこと頭を下げる木の精霊に、プリンは優しげな声をかける。
「いいのよ。貴女が悪いわけじゃないわ。それに、こっちが勝手に森に入って、薬草をとろう
 としたのは本当だしね」
「そう言っていただけると、救われます……。あの、私はこの森に生えている樹木の精霊です
 から、この森を出るまでしかお手伝いできませんが……道案内くらいは、させてください」
そういう彼女の申し出に、一行は異論のあるはずもなく、喜んで受けることにした。
「助かるわ。結構うろうろしたから、ちょっと道に迷いそうだった所だしね」
「そうだな、ドリアードの彼女と一緒なら森に住む他の獣も襲ってはこまい」
「よし、それじゃ出発しようぜ」
頷きあうと一行は小屋を後にし、森の中をまるで街中のようにすいすいと進む精霊の後に着い
て、無事抜け出ることが出来た。

「それでは、私はここまでです。どうか、皆さんのたびに幸多からんことを」
「ありがとな。助かったよ」
「また、いつかこの森を通ることがあったらよろしくね」
森の入り口で彼らを見送るドリアードの少女に手を振り返し、彼らは再び街道を進む。
その先に何が待っているのか、それはまだ彼らには知る由も無いことだった。

――――――――――――――
第四話 「危険な森と少女の想い」 おわり

SS感想用スレッド
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