「英雄志願と魔物の少女」シリーズ
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 大陸の各地に点在し、人々が暮らす場である都市や街の間に網の目のように張り巡らさ
れ、血管のようにそれぞれを結んでいる大小さまざまな街道。広大な平原や峻険な山々、
緩やかに流れる大河や鬱蒼とした森をも貫く道を、数多の人々や荷馬車が毎日のように通
り過ぎる。それはまさに人という血液が大陸という身体の中を隅々まで巡るようであった。
その営みは途切れることは無く、しかし決して同じ時、同じ姿を繰り返すことも無い。
それこそが、まさに世界が生きていることを示すものであるといえるだろう。

 そうした街道を歩く人々の中に、一見妙な取り合わせの一団があった。
先頭を歩くのは、栗色の短髪を風にそよがせる、まだ子どもといってもいい位の歳の少年。
丈夫な布地の衣服にマント、腰のポーチと剣の鞘が冒険者といった風を感じさせる。だが
その瞳には押さえきれない好奇心が輝き、やんちゃそうな印象をも周囲に与えていた。
 彼の後ろには二人の少女が並んで歩く。一人は先頭の少年よりもさらに幼く見える少女。
薄紫がかった髪と、赤い瞳。わずかに尖った耳がどこか人とは違った印象を見るものに与
える。
それもそのはず、彼女はインプと呼ばれる魔物である。今は人目を気にして人間の姿に
擬態しているものの、本来は角と羽、尻尾を持った悪魔のような姿をしているのである。
だが今それらを隠し、ごく普通の街娘のような衣装を纏った彼女は何処から見てもただの
女の子にしか見えない。
「しかし、プリンさんは上手に化けますね〜」
 インプの少女、プリンの横に並んで歩くもう一人の少女・ペトラが感心したような声を
出す。薄い水色の髪をツーテールに束ね、金の眼を持つ彼女もまた、人間ではない。彼女
の正体は蛇を髪として頭に生やし、その下半身も蛇身という高位の魔物・メデューサであ
る。
 だがプリンと同じように、人の姿に変身した彼女を魔物だと見抜けるものはそう多くは
あるまい。例え、どこか踊り子の纏うような薄手の衣装に包まれた豊かな胸が歩くたびに
揺れ、道行くものの人目を集めていたとしても。
「まあ、酒場なんかで働いてると自然にね。領主様のおかげで、あの街ではインプの姿の
ままでもお客さんは皆、全然気にしないんだけど。たま〜にいるのよ。普通の女の子の格
好の方がいいって人」
「そんなものなんですか〜」
 そんな他愛も無い話をしながら歩く少女達の後ろに、穏やかな表情を浮かべながら目の
前の3人を見守る女性が続く。彼女はクズノハ。はるか東方の異国の衣装に身を包み、美
しい銀の髪がたなびく彼女もやはり、その正体は妖狐という魔物である。ややつり目がち
な瞳は優しさに満ち、まるで彼らを見つめるその姿は姉のようであった。

 やがて彼らが歩く足元の街道は道幅が広がり、地面が石を敷き詰めたものに変わってい
く。舗装された道の表面は長い年月の間に、風雨と人々に踏まれたことによって磨り減っ
ていた。
それが、目指す場所、町が近くなったことを歩き続ける彼らに知らせていた。
 道は彼らの前方に見える小高い丘を越えてまだ続いている。その丘を登り、視線の先に
大小さまざまな建物が並ぶ町の姿を認めた彼らは足を止め、いまだ遠くの目的地を見つめ
た。
「お〜、あれか〜。あそこにガスパーニュの屋敷があるんだな」
旅装の少年、アレイクが手を額にかざし声を上げる。
「やっと見えてきたわね。それにしても結構掛かっちゃったか。やっぱり徒歩じゃね……」
「そうですね〜。せめて馬車が使えればよかったんですけどね」
「ほんとにね……。ただ、お金がね……」
「ですね……」
やれやれといった風な息を吐き出すプリンに、ペトラも相槌を打つ。そんな二人をクズノ
ハがたしなめた。
「仕方ないさ。それに、過ぎてしまったことを悔いるよりもこれからどうするかが肝心な
のだから。ほら、あと少しだ。町に着いたら少し休憩するとしよう」
「ああ」
「そうね」
「はい。じゃあ、行きましょう」
クズノハの言葉に3人は頷き、再び街道を歩き出した。

――――――――――――――

「へ〜……あの街以外の所に来たのは久々だけど、やっぱ雰囲気違うな」
 石造りの立派な大門をくぐり、町の中に足を踏み入れたアレイクは町並みや行き交う人
々の様子を興味深く見回すと、感嘆の声を上げた。この町は彼が暮らすフリスアリス家の
ある街よりはやや規模は小さいものの、曲がりなりにも貴族であるガスパーニュ侯の屋敷
があるだけはあって、様々な店が立ち並び、通りには数多くの人の姿があった。子どもの
ように目を輝かせる彼の様子に気付いた傍らのプリンが声を出す。
「あ〜……。あんたっていつも冒険者冒険者とかなんだかんだ言ってるわりに、領主様の
街から出たことって数えるほどしか無いんだっけ」
「ああ、師匠が「お前には外の世界はまだまだ早い」ってさ」
むくれるアレイクをクズノハとペトラがなだめる。
「まあ、それだけ君がかわいいのだろう。いい方のようじゃないか。一度きちんとお会い
してみたい気もするな」
「そうですよ。かわいい弟子のこと、きっと心配なんですよ」
「そうかなあ……。娘のカテリナ姉ちゃんのことといい、ただの過保護のような気もする
ぜ」
 頬を膨らませる少年。その様子は確かにまだまだ子どもで、彼の師であるキルレインが
そう言うことも分からなくは無かった。そっぽをむいた彼の様子にプリンとペトラは小さ
く苦笑を漏らす。
「確かに、言われてみるとそんな気もするわね。面倒見がいいって言えば、聞こえはいい
んだけど」
「ふふ、きっとアレイクさんのお師匠様はあなたのことを本当の子どものように思ってい
るんですよ。だから危ない目に遭ってほしくないんだと思います」
ペトラの言葉にアレイクは顔を上げ、どこか遠い瞳で空を見つめた。
「師匠が親……か。俺の親も、ちょっとでもそう思っていた時があったのかな……」
「アレイク……」
 その様子に、彼の過去を知るプリンが言葉を詰まらせる。場に立ち込める重い空気を変
えるように、クズノハがあちこちを見回し、声を出した。
「それにしてもなんだかこの町は雰囲気が違うね。上手く言えないけど、アレイク達と会
った辺りとは違った感じを受ける」
「ああ、それはきっと私たちみたいな魔物の姿が無いからじゃないかしら。魔物自体がい
ないわけじゃないんだけど、この辺りまで来ると、おおっぴらに魔物本来の姿をして外を
歩くようなのの方が珍しいのよ」
「なるほどね」
プリンの説明にクズノハが納得したように頷く。同じくふんふんと頷くペトラとアレイク
も合点がいったようだ。
「ふむふむ〜。言われてみれば魔物の気配はするのに、その魔物の姿は無いですもんね。
だから何処となく妙な感じがするんですね〜」
「この町を治めていたガスパーニュってやつは魔物嫌いだっていうしな。皆余計な揉め事
を避けるために人の姿に変化したまま暮らしてるんだろうな」
「でしょうね。言われて思ったけど、私たちも人間に化けたままでよかったわ……。
敵の懐で騒ぎを起こして無駄に警戒されたくないしね」

 それからもとりとめの無い話をしながら大通りを歩く彼ら一行の前に、軒先に酒樽とグ
ラスの絵が描かれた看板を下げる一軒の建物が見えてきた。近づくにつれ微かに漂う酒気
といい、酒場に間違いないだろう。それに気付いたプリンが声を上げた。
「あ、ねえあそこの店、酒場じゃないかしら?」
その声に、彼女の視線の先に目を向けたアレイクたちも店を視界に納める。
「お、本当だ。そういえば腹減ったな……」
「ですね〜。思えば今日はずっと歩き詰めでしたし……」
軒先から漂う食べ物のにおいに思わずお腹を抑える二人の姿を見やり、クズノハが提案す
る。
「確かに、考えて見ればもう食事時もとうに過ぎてしまっているね。この町の情報も集め
たい所だし、丁度いいかもしれない。あの店で少しばかり休憩しようか」
「賛成」
「異議なーし」
「じゃ、早く行こうぜ」
言い終わるが早いか駆け出したアレイクに、プリンとペトラも続く。建物の中に消えてい
く彼らの姿を苦笑交じりに見つめ、クズノハも酒場の入り口をくぐった。

 建物の中はごく一般的な酒場となんら変わりは無かった。店の外観よりも広く感じる板
張りの店内には、丸いテーブルといくつかのイスがセットになって数個、置かれている。
壁際には酒瓶が並ぶ棚とカウンターがあり、暇そうな中年の店主がグラスを磨いていた。
プリンの働く『輝く銀翼亭』よりは小さいものの、なかなかいい雰囲気の店だ。きっと夕
暮れ時を過ぎれば多くの客で賑わうのだろう。ただ今はまだ昼間、そして食事時を過ぎた
中途半端な時間帯のせいか店内にはアレイクたちと店主以外の客の姿は無かった。
「お、いらっしゃい。……なんだ、どうも妙な組み合わせだな」
入り口のドアを開けたアレイクたちに気付いた店主が声を掛ける。その言葉に、人にはや
っぱり妙な組み合わせに見えるのね、と自分の口から溜息が出るのをプリンは止められな
かった。
 肩を落とす彼女の様子を気にした風もなく、アレイクはカウンターに歩み寄るとマスタ
ーの男に声を掛ける。
「おっちゃん、ここって飯も食える?」
「ん? あ、ああ。といっても軽食になるが」
その言葉に少しばかり顔を曇らせたアレイクだが、既に空腹に耐えかねていた彼ら一行に
は食べ物が食べられるのであればなんでもよかったようだ。すぐさまカウンターに身を乗
り出し、料理を注文する。
ペトラ、プリンもそれに続き、店に最後に入ってきたクズノハはカウンターに近づくと店
主に軽く頭を下げた。
「申し訳ない。連れがご迷惑を」
銀髪の美女に頭を下げられ、どぎまぎしていた店主は慌てて手を振る。
「い、いやいいさ。確かにここは酒場だが飯を食う客が来ないってわけじゃねえ。それに
あんたともう一人の嬢ちゃんはともかく、あの坊やとちっこいお嬢ちゃんには酒を飲ませ
るわけには行くめえ」
 店主はそういって、クズノハの肩越しにテーブルに座るアレイクたちを見やる。実際の
所、外見が幼く見えるプリンはともかく、アレイクとクズノハの外見年齢にそれほど差は
無いのだが……立ち居振る舞いのせいか、彼女の方が年上に見られることのが多かった。
(とはいっても。あの中で一番若いのはアレイクで、私たちは皆はるかに年上なのだがな。
まあ……この姿じゃ魔物だとも気付かれまいし、言っても詮無きことなのだが)
そんな考えを浮かべ微笑む彼女の内心が分かるはずも無く、店主は話を続ける。
「しかしさっきも言ったがあんたらどういう組み合わせなんだ? この当たりじゃ見ない
顔だし、あの坊やの格好から見るに旅人か冒険者のようだが」
「ああ、まあそんなところだ」
 軽く頷き認めるクズノハに、だが店主はまだ何か納得いっていないようだった。首をか
しげながら、彼女を見つめる。
「ふむ、だがそれなら何でまたこんな所に? 言っちゃあ悪いがこの辺りに稼げるような
遺跡や迷宮なんて無いぞ? あんたも聞いたことくらいあるかもしれないが、以前の領主
がえらい魔物嫌いでね。そういった場所は魔物の住処になるといってあらかた潰してしま
ったんだ」
 何気ない世間話のように話す店主の言葉に、クズノハの眉がピクリと上がる。
「へぇ……それはそれは。で、その領主っていうのは?」
「ああ、ガスパーニュっていって……。この店の前の大通りをずっと行った先、住宅地や
商店街から離れて、木々と濠に囲まれるようにして建つ大きな屋敷に住んでいたんだよ。
ここだけの話、あまりの魔物嫌いと欲深さで町の者からはあまりよくは思われていなかっ
たがね。その考え方と強欲さからか、ちょっと前に別の地域の領主様にちょっかい出して
反対にやられちまったよ」
「それは……ご愁傷様」
「まあ、さっきも言ったように領主といっても町の者も本心ではよくは思っていなかった
から、むしろ清々したくらいさ。逆にガスパーニュ家を潰した領主様が自治を認めてくれ
たから、喜んでるやつの方が多いんじゃないかな。中には魔物の住処を奪った罰が当たっ
たっていってるやつもいるくらいだしな」
 そう言いながら、当のマスターもどこか晴れ晴れとした表情を浮かべている辺り、随分
な嫌われようだったようだ。自身も魔物であり、またかつて自分を捨て駒扱いにした相手
を許すほどの寛大さは流石のクズノハにも無かったが。
「しかし……潰されたといったな。それじゃあその屋敷にはもう誰も住んでいないのか?」
少しでも手がかりを得ようと問いかけるクズノハ。マスターはそんなに何が気になるのだ
ろうかと言いたげな瞳を彼女に向けながらも口を開いた。
「ああ……今はもう誰も住んでいないはずだ。直接計画に加わらなかった家族や関係者、
勤めていた使用人なんかももうどこかへ行ってしまったしな。もっとも潰れたって言って
もそう前の話ではないから、建物自体は綺麗に残ってるが」
「そうか、ありがとう」
とりあえず得られる情報はこんな所かと思い、アレイクたちが待つテーブルへと戻ろうと
踵を返したクズノハの耳に、マスターがポツリと呟いた声が聞こえた。
「ああ……そういえば冒険ごっこに出かけたがきどもがなんか言っていたっけか。
確か……例の屋敷にお化けが出たとか何とか」

「……と、いう話らしいのだが、どう思う?」
それからすぐ、テーブルに戻ってきたクズノハはアレイクたちが食事を済まし、一息つい
たところを見計らって先ほど酒場のマスターから手に入れた情報を一同に伝えた。
「う〜ん……怪しい……っていうか。ほとんど黒だと思うんだけど」
「あたしもそう思います。むしろ、あたし達が着くまでに敵に何の動きも無かった方が気
になるんですが」
「そうだよな。う〜ん……」
腕を組んだアレイクが唸る。その隣に座るプリンとペトラも同じく難しい顔で考え込んで
いた。
既に卓上に置かれた料理はほぼ片付いてしまっている。いくつかの皿にパンや肉、スープ
がわずかに残っているものの、アレイクたちの興味は既に料理からクズノハの得た情報、
敵の戦力や状況についてに移っていた。
「でも結局、敵が何を企んでいるにせよ、その屋敷に行くしか道はないんじゃないのか?」
アレイクはそう言って皿に残っていた最後のパンを取り、かぶりつく。確かに今のところ
得た情報ではあれこれ考えても敵の目的や状況は分からない部分が多すぎる。それに最終
目的が奪われた宝珠の奪還である以上、ガスパーニュとの対決は避けられそうもなかった。
「そうだな……。だがあまり目立つ行動をして相手に警戒されたくは無い。忍び込むにし
ても夜がいいだろう」
「そうね。場所は分かってるんだし、出来ればこっそり取り返したいけど」
アレイクの考えにクズノハが頷き、プリンがはかない希望を浮かべる。だが今までの経験
からいって相手がそれをさせてくれるとは思えなかった。その言葉に同じくややげんなり
した表情を浮かべたペトラが続いた。
「そうですね〜……。でも、やっぱり無理でしょうね〜。あたしを召喚した人、かなりの
腕でしょうし。一緒だとしたら厄介ですよね」
「まあな。あのおっさんだけならまだ問題ないんだろうけどな。あの黒フード、正直実力
は師匠に匹敵するかもしれねー」
流石のアレイクも以前一度相対した時に相手の腕を実感しているため、慎重にならざるを
得ないようであった。腕を組んだまま、真剣に作戦を考える。

 と、ふとプリンはアレイクの口の周りに料理の汚れがくっついているのに気付いた。先
ほどは空腹のあまりがっついていたため、そんなことにいちいち気を回していなかったの
だろう。
「ほらほら、アレイク。口の回り汚れてるわよ。ほら、ちょっとこっち向きなさい」
そう言いながら少年の顔を自分の方に向けさせると、手近な所に合ったふきんを手に取り
汚れをぬぐう。少年は恥ずかしそうにしていたものの、彼女の好意を無碍にするのもよく
ないと思い、されるがままにしていた。
「はい、綺麗になったわよ。まったく、赤ちゃんじゃないんだからちゃんとしてよね」
「あ、ああ。ありがとな」
たしなめる言葉とは裏腹に、世話を焼く彼女の顔はほころんでいた。迷惑どころか、その
声にはどこか嬉しそうな響きすらある。アレイクが倒れたあの森での一軒以来、プリミエ
ーラはこうしてアレイクの面倒を見ることが多くなった、とペトラたちは感じていた。
そういう方面には鈍感だといわれるアレイクすらも、何か変わったことは感じているよう
だ。
 だが、だからといって恋敵の行動を黙って見ていられる訳ではないのだった。ペトラは
すぐさまアレイクの顔を自分の方に向けさせると、その頬に舌を伸ばす。
「アレイクさんっ! ほっぺたにパンくずがくっついてます! 取ってあげますから!」
「え? うわっ!?」
少年の頬にペトラの舌が艶かしく這う。蛇の魔物であるメデューサといっても、暖かいそ
の舌の感触は人間のものとなんら変わりは無く、アレイクは驚いて妙な声を上げた。
その様子を見ていたプリンは当然、ぷりぷりと怒り出す。
「ちょっとペトラ、何してんのよ!」
だが、メデューサはそんな文句は何処吹く風とばかりにぺろぺろと少年を舐めまわし、ち
らりとインプに目を向ける。
「何って……アレイクさんを綺麗にしてあげているだけですよ? プリンさんと同じこと
じゃないですか」
「おんなじじゃないわよ! 何処が同じなのよ!!
ほら、あんたもさっさと離れなさい!」
「いてててて! おいプリン、無茶すんなって!」
されるがままのアレイクの頭を掴み、強引に蛇娘の舌から引き剥がす。そのまま彼の頭を
胸にかき抱くようにすると、プリンは厳しい視線をメデューサに向けた。
「あ〜あ、残念。終わっちゃった……」
一方のペトラは名残惜しそうな顔で指をくわえていたが、すぐに気を取り直して微笑んだ。
「でもま、アレイクさんのほっぺたは十分堪能しましたし、今はこれぐらいで満足してあ
げます。アレイクさん、次はもっと……いっぱい、しましょうね?」
ぱちり、と可愛らしくウインクを飛ばす。別に魅了の魔眼でもなんでもないのに、そのし
ぐさに少年の顔が真っ赤に染まった。それを目の端に捕らえたプリンは、ますます息を荒
げる。
「ダメよそんなの! ダメに決まってるでしょ!」
「そうだよ。次は私の番だ。そうだろうアレイク?」
「な!? クズノハさんまでいきなり何言い出すのよ!? いくらクズノハさんでもそん
なのダメですってば!!」
「おい、俺の意思は無視か」
ぎゃいぎゃいと言い合う少女達に向けて放たれたアレイクの言葉は無情にも無視され、少
年は深く溜息をつく。彼が気がつくといつの間にか左右の手にはクズノハとペトラが手を
沿え、下から自分の顔を見つめていた。
負けじといつの間にか彼の頭を掴むプリンの腕にも力がこめられ、彼をぎゅっとそのぺっ
たんこな胸に押し当てる。激しい心臓の鼓動を感じ、アレイクは無意識につばを飲み込ん
だ。
「アレイク……」
「アレイクさん……」
「アレイク……」
3人の少女達が、いずれも変わらぬ真剣な想いをこめて彼を見つめる。じりじりとしたそ
の重圧に押されるかのように、アレイクの唇がわずかに震え、開いた。
「お、俺は……」
震える小さな声。願いと期待とを込め、耳を澄ます彼女たち。
だが少年の声は、突然響いた男の声に中断された。
「おっと、いい雰囲気の所邪魔してすまないがお嬢さん方、続きは宿かどこか、別の場所
でやってくれ。悪いがここはそういう場所じゃないんでね」
はっとしてプリンたちが声のした方に顔を向けると、あついあついと言いながら手で顔を
扇ぐマスターの姿が見えた。それで自分の世界からようやく現実に引き戻された魔物の少
女達は顔を赤らめると、ぱっとアレイクから身を離す。
「す、すみませんでした……」
プリンが蚊の泣くような声で言い、食事代を払うと一行は逃げるように酒場を後にした。



「……はぁ……よくよく妙な一行だったな。にしても……あの坊主、うらやましいじゃね
えか……」
彼らが去った後、入り口をぼんやりと見ていた店主の男は磨いていたグラスをコトリとカ
ウンターの上に置くと、溜息と共にそうこぼした。

――――――――――――――

 蝋燭の頼りない明かりが不気味な影を作り出す薄暗い室内。四方を囲む壁は飾り気も何
も無い石造りのもので、どこか地下室のように思える。床に真っ赤な塗料で描かれた複雑
な魔法陣が、室内の雰囲気をさらに禍々しいものにしていた。
 部屋の中、床の陣の中心には、一人の女性の姿がある。闇色に近い深い緑色のつややか
な髪を腰近くまで伸ばし、豊満なバストと細い腰が人目を引くであろう蟲惑的な肢体を部
屋によどむ闇よりも濃いローブで覆っていた。
 彼女の胸の前には透き通った水晶球が浮かび、その球体の中にはアレイクたちの姿が浮
かび上がっている。
彼女は先ほどからずっと――アレイクたちがこの町に足を踏み入れ、酒場で情報を集めて
いたことも全て――水晶を通じてその目で見ていた。だが、それをいちいちあの男に報告
することはなかったが。それを知ったらあの、態度の割りに度胸の無い貴族気取りの男は
烈火のごとく怒り狂うか、さもなければ尻尾を巻いて逃げ出そうとするのかもしれないが、
最早彼女には興味も関心もなかった。
 ふと、胸元から上げた視線が、壁に描かれたガスパーニュ家の紋章に留まる。あの男の
性格をよく表しているともいえる見かけだけ無駄に豪奢な装飾がなされた紋章は、彼女が
つい、と視線を外すとまるで初めから存在していなかったかのように壁から消え去った。
「……潮時か。まあ、最後まで面白くなりそうではあるけれど」
誰に言うでもなく呟かれたその声には愉快そうな響きと、どこか獲物をいたぶる嗜虐的な
響きがあった。

――――――――――――――

「ああ〜……どうかしてたわ私! もうあの店いけない……」
 酒場を出てからしばらく後。実際に屋敷の位置を確認した彼らが、夜の突入までの間の
休憩所として部屋を取った宿の一室。ベッドの上でプリンは顔を枕に押し付け、もだえて
いた。
思い出すたびに何をやっていたのだろうと考え、顔から火を噴きそうになる。
 今この部屋にいるのはプリン一人。アレイクとクズノハ、ペトラは今夜の作戦に備え、
武器の補修やアイテムの調達、屋敷の偵察に出ていた。
「はぁ……ちょっとは進展したかなあ、とか思ったけど……」
 あの森での一方的な告白から、彼女は少しずつアレイクとの距離を近づけだしていた。
少年の方も彼なりに何か感じるものがあるらしく、さっきの食事時のように彼女のしたい
ようにさせてくれることも増えた。
「でも。クズノハさんもペトラも積極的になってきた気がするし……」
ぼやいてインプは枕から顔を上げる。そう、彼女が彼との仲を縮めようとしても、それ以
上にライバルが強力すぎるのが悩みの種だった。いつも少年を優しく見守る才色兼備なク
ズノハに、普段のおっとりした態度の裏に計算高さが見え隠れするペトラ。今のところプ
リンにはアレイクとの付き合いの長さと言うアドバンテージはあるものの、それだけで勝
てるとは思えなかった。
「うう〜。これというのもアレイクのバカのせいよ! 何よ、頬舐められたくらいででれ
でれしちゃって……」
先ほどの光景を思い返して怒りがぶり返すものの、同時に自分が彼の頭をずっと胸に押し
当てていたことまで思い出し、再び顔を真っ赤に染めることになった。
「うう……、また思い出しちゃった……」
恥ずかしさのあまり涙を浮かべ、ベッドに寝そべる。彼のことを考えるだけで胸の鼓動は
高鳴り、身体が熱を持つ。
「やだ……、もう……」
これじゃまるでサキュバスじゃない。そう考えるものの、火がつき火照りだした体と頭を
鎮めることは出来そうに無かった。みっともないと思いながらも、彼女の手はそっと下半
身に伸びる。
「んっ……」
指が下着越しにあそこに触れる瞬間、プリミエーラは反射的に目をつぶった。直後、
くちゅ……という微かな音と共に、指先に湿った感触が伝わる。そのまま指を押し当てる
と、じんわりとあそこが熱くなっているのが分かった。
(いや……。もうこんなに熱く……それに、濡れて……)
羞恥に頬が染まるが、それすらも彼女の興奮を高めていく。股間のクレバスに当てられた
指がゆっくりと動き始め、その溝をなぞる。
「あ……あ、んっ……」
熱っぽい吐息が彼女の桜色の唇から漏れ、指が動きを早めていく。もう片方の手も薄い胸
に当てられ、汗ばんだ肌に刺激を与えていた。
「アレイク……気持ちいいよ……。アレイク……」
彼女は無意識に愛しき少年の名を呟く。今自分を愛撫するのがその彼の指であるかのよう
に。
そんな幻想がまた新たな炎を生み出し、彼女を高めていった。少年の手が胸に当てられ、
ゆっくりと肌を撫で回す。彼の指はあそこを何度も責め、彼女に快楽を与え続ける。
子どもっぽい幻、くだらない妄想と頭では分かっていながらも、その媚薬から抜け出るこ
とが出来ない。
「んっ……やっ……! ふ……あ……あっ……、んんっ!」
快感に漏れ出る声を抑えようとプリンはベッドのシーツを噛みしめ、荒い息を繰り返す。
いつの間にか股間に伸びた指は下着をずらし素肌に直接当てられていた。染み出す熱い愛
液がぐっしょりと彼女の指を汚す。だがそれにも構わずインプの娘は更なる快感を得よう
と動きを激しくしていった。
「ああっ……! だめ、だめ……あっ、もう、だめえ……!」
限界が近づき、悲鳴のような声が漏れる。
最後に一際大きく背を仰け反らすと、力を失った少女の身体はぐったりとベッドに倒れこ
んだ。
「なにやってるんだろう……私……」
自慰後の気だるさに自己嫌悪を響かせながら、魔物の少女は力なく呟いた。



 コンコン。耳に届く控えめなノックの音に、プリンの意識は暗闇から浮上した。
ぼんやりとした思考のまま、身体を起こし頭をめぐらす。周囲の景色は室内のようだがど
こか見慣れないものであり、その中で彼女はベッドの上で横になっていたようだった。と
はいっても掛け布団やシーツの類も掛かっておらず、服装も寝巻きではなく、いつも着て
いる普段着のままである。それどころか、素肌に見に付けた衣服ははだけ、乱れていた。
いまいち現状が把握できない彼女に、ドア越しの声が掛かる。
「お〜いプリン、寝てんのか〜?」
「!」
アレイクの声に意識を完全覚醒させたプリンは、先ほど自分が何をやっていたのかを完璧
に思い出した。慌てて乱れた衣服を直し、呼吸を落ち着かせると戸板のすぐ向こう側に立
っているであろう少年に出来うる限りいつもの声で返事をする。
「あ、アレイクね? おかえり。ちょっとまってね、今すぐ開けるから」
どうやら自分はいつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。どれだけ眠っていたの
かは分からないが、幸か不幸か部屋の中に彼女の自慰による淫臭は残っていなかった。
もう一度大きく息を吸い込み、それを確かめた彼女はドアへと向かう。鍵を外し戸を開け
ると、そこには待ちくたびれたような顔のアレイクが立っていた。手にはいくつかの袋を
持っているが、おそらく外出先で調達してきたアイテムだろう。
「ごめんごめん。ちょっと寝ちゃってた」
「やっぱそうか。鍵かかってたからびっくりしたぜ」
気まずそうに目を逸らす少女に、少年はさほど気にした風もなく返す。
「それにしても他の二人は?」
当然の疑問がプリンから飛び出る。てっきり3人一緒に帰ってくると思っていただけに、
彼が一人でこうも早く帰ってくるのは彼女にとっても予想外であった。
「ああ、くーは最後にもう一度屋敷を見ておきたいって言って、ペトラはなんかどのアク
セサリを買うかが決まんないんだってさ。俺の用事が一番早く終わっちまったから、さっ
さと帰ってきた」
「そうなんだ」
別に彼の答えに不満があるわけではなかったが、自分に逢いたいがために帰ってきてくれ
たのではないと分かると、プリンは声のトーンが落ちるのを抑えることは出来なかった。
「そ、それにさ……。何だか俺があの森で倒れた後、上手くいえないけどみんなの態度が
妙な感じがしてさ」
「え?」
 考えにふけり、ぼうっとしていたせいで危うく彼の言葉を聞き逃す所だったプリンは、
慌てて顔を上げる。ぽりぽりと指で頬をかき、視線を彼女の顔から外しながらどこか照れ
たようにアレイクは呟いた。
「いや……ほら俺、毒で倒れて意識もあやふやだったろ? だからいまいちよく覚えてい
ないんだけど。何だかあの時プリンやくー、ペトラまでが俺を好きだって言ってたような
気がするんだよ」
 彼の言葉にプリンはわずかに目を見開いた。何とか喉から声が漏れるのを押し留め、平
静を装う。彼女にとっては幸運なことに、目の前の少年はあれが夢か何かだと思っている
ようだ。むしろそうでなくては困る。あんなみっともない告白は彼女の胸の中に永遠にし
まっておきたいのだ。またいつか告白するにしても、もっとちゃんとした形でしようと、
彼女は密かに決意していたのであった。
 そんなプリンの想いに気付いた風も無く、アレイクは言葉を続ける。
「それにさ、お前を助けにペトラの背に乗って森を駆け抜けたのは確かなんだけど、その
あとも記憶がはっきりしないんだよな。なんか皆俺に抱きついて、あったかいものが流れ
込んできたような気はするんだけど……」
「…………」
その記憶に確信は無いのか、アレイクの言葉も次第に小さくなっていく。プリンは何も言
わずにただじっと彼を見つめていた。沈黙が部屋に満ちる。
「……はは、いくらなんでもそんなの無いよな。わり、変な話して」
「いいわよ、別に」
数瞬の後、アレイクは笑って頭をかく。プリンはそんな少年を複雑に見つめながら小さく
呟いた。
「じゃ、じゃあちょっと俺は道具整理してっから。何か必要なものあったら言ってくれよ」
「え、ええ。わかったわ」
お互いにぎこちなく視線を外すと、アレイクは作業を始めた。プリンはそんな彼にお茶で
も淹れようと、部屋に置かれていたティーポットを手に取る。
「でもさ……皆が好きっていってくたの、嬉しかったぜ」
微かに響いた声にプリンはばっと背後を振り返る。だがアレイクは彼女に背を向け袋の中
身を広げている所だった。プリンもまた少年の言葉を無理に確かめようとはせず、無言で
カップに紅茶を注ぐことにした。
安らぐ香りがほんのりと室内に広がり、彼らを包み込んでいった。

「……で、いつまでそうしているつもりなんだい、ペトラ?」
部屋の外、廊下には腕を組んで壁にもたれかかるクズノハの姿があった。彼女は閉じてい
た左目をあけると、自分の隣に立つペトラに声を掛ける。
「ん〜……もうちょっと、かしらね?」
上半身は人の姿のままだが、興奮からか下半身はその正体を現し大蛇と化したペトラは耳
をぴったりと壁に押し当て、室内の様子を探っていた。少年を巡っての戦いにおいて強力
なライバルであるクズノハを相手にしているせいか、その言葉使いは獲物を狙う時の魔物
本来のものに戻っている。
 その彼女の様子を溜息交じりで見ていたクズノハは、再び目を閉じた。
「……やれやれ。そんな出歯亀をするくらいなら最初から素直に部屋に入ればいいものを。
貴女のことだから、てっきり今の状況なら、プリンのことを抜け駆けだといって邪魔する
んだとばかり思っていたんだけどね」
「それは心外ですね。いくらあたしでもそんなひどいことはしませんよ。それに、むしろ
これはアレイクさんが偶然早く帰ってきただけですし。恋敵とはいっても、あたしは別に
プリンさんが嫌いなわけでもないですしね」
「それは同感だな。彼が誰を選ぶにしろ、その後でも変わらず付き合っていきたいからね。
もちろんペトラ、貴女とも」
「そうですね。まあ、今の関係もそう悪くは無いですけれどね」
「ああ、そうだね。全くの同感だ」
忍び笑いを漏らす二人はしばし、不器用な恋敵に愛しい少年との時間を譲るのであった。

――――――――――――――

 その後部屋に戻ってきたクズノハとペトラを交え、アレイクたちはガスパーニュの屋敷
への突入作戦の最終確認を行った。
 すでに日は傾き始め、オレンジに近い陽光が窓から射し込み室内を照らす。場所は宿の
一室。その中のテーブルを囲むようにアレイク、プリン、クズノハ、そしてペトラがイス
に座っていた。卓上には先ほどまで出かけていたアレイクやペトラが調達してきた回復剤
や呪文が封じられたスクロールや札、ロープやランタン、マッチ。果ては何が入っている
のかさっぱり分からない小瓶や用途不明の奇妙な道具といったものが所狭しと置かれてい
た。
「とりあえずざっと必要そうなものは買ってきたから、皆自分で使う分はちゃんと取って
おいてくれよ」
 アレイクが薬瓶や粉末が詰められた小袋をわけながら少女達に声を掛ける。
彼らパーティの欠点として、回復や治療を行えるものがいないというものがあった。まし
てや今回は敵の本拠地への突入だけあって、用意は万全にしておきたいというのは全員の
見解において一致している。彼の言葉に皆一様に頷くと、体力回復用の薬瓶や解毒剤、
非常退避用の魔法が記された札をそれぞれ手に取った。
 皆の支度が一段落した所を見計らい、クズノハが口を開く。
「じゃあ、とりあえず昼間見てきたガスパーニュ家の屋敷について説明するよ」
アレイクたちがその言葉に注意を向けたのを見て、彼女はゆっくりと話し出す。
「貴族の屋敷っていうことだったけど、あれはちょっとした城って言ってもいいかもね。
昼間聞いた、酒場の店主の話のとおりだと、もう今は誰も住んでいないってことだった
が、外壁の門扉は閉まっていないようだった。まあ、子どもが肝試しに使うくらいだし
ね。
流石に玄関はしっかりと閉じられていたけれど、そこ以外でも侵入する場所はたくさん
ありそうだったからそれほど気にすることは無いと思う。
それから、部屋の配置だけど……」
テーブルの上を片付け、ばさりと紙を広げるとさらさらと見取り図を書き込んでいく。
「多分玄関から入ってすぐは大ホール。奥に続く通路の両脇に小部屋がいくつかと、突
き当たりに2階への階段。主人の部屋は2階のこのあたりかな。
あとはおそらく、地下室の類もあると思う。流石に深さまでは分からないが……。
もしあの敷地いっぱいに広がっているとすると、結構地階部分も広そうだ」
 よどみないクズノハの説明と共にペンを握った手がすらすらと線を描き、詳細な部屋
の配置図が出来上がっていく。そのあまりの精密さに、アレイクたちは言葉を失った。
ややあって、プリンが口を開く。
「く、クズノハさんこれ、こんなに細かく、どうやって……?」
彼女の声に顔を上げ、一同の驚きに気付いたクズノハはああ、と小さく頷いた。
「何、たいしたことじゃない。立地・外観・建物の規模からのただの推測だよ。でも8
割がたは合ってるんじゃないかな」
「すっげえな……。見ただけで分かるのか?」
「まあ、昔は色々やってたからね。ただ人を襲うだけが妖怪じゃないのさ」
「ふうん……」
感嘆の声を漏らすアレイクに小さく微笑むと再びクズノハは視線を手元の地図に落とす。
同じく見取り図を見つめるペトラが、疑問の声を発した。
「でも……その宝珠が屋敷内にあるとして、一体何処におかれているんでしょうね?」
「そうね。それが分からないと闇雲に探しているうちに相手と鉢合わせして、無駄な戦
闘になりそうだしね」
考え込む少女達の耳に、クズノハの冷静な声が響く。
「……大体において、貴重な品というのは見つかりにくく、それでいて自分の手元にお
いておきたがるものさ。かといって今回のものは盗品だから、あまり大っぴらに人目に
つきそうな場所には置かないだろうね。
と、すると……やはり、地下室かな?」
その妖狐の言葉に何か思いついたのか、ペトラが声を上げた。
「あ、なら今簡単に探査術法を使ってみたらどうです?」
蛇娘の提案に、インプの少女も頷いた。
「そうね。もうどうせ私たちがこの町に来たこと自体はばれてるんでしょうし、確実に
宝珠の在りかを知っておくメリットの方が大きいわ。ペトラ、出来る?」
 その言葉に大きく頷くと、彼女は小さなガラス玉を一つ、地図の上に置く。目を閉じ
て精神を集中すると、やがてガラス玉は意志を持ったように動き始めた。
ころころと転がるガラス玉はやがて、図に記された地下へと続く階段へと向かい、そこ
からさらに進んだ奥、大きな空間が描かれた場所で停止した。
「……あくまで簡単な魔法ですから、ちょっと正確さには欠けますけど。多分ここで間
違いないと思います」
「やっぱ地下室か……。でもなんか、妙な感じだよな」
「ああ、隠し金庫や宝物庫という感じの場所ではないね。むしろこの広さ……」
「儀式場?」
「!」
 何気なく呟かれたプリンの言葉に、アレイクが顔を上げる。そうだ、すっかり忘れて
いた。
盗まれた宝珠はただの高価な宝石では無い。『天啓の宝珠』の名を持つ、希少な魔導具
でもあるのだ。もし彼の師が言っていた通りの力を秘めているのなら、それを手に入れ
たガスパーニュが宝珠から力を解放しようとしてもおかしくは無い。
「……アレイクさん?」
焦りをにじませる少年の表情に気付いたペトラが、不安そうな声を出す。彼の様子から
プリンもその考えに気付いたのか、胸元で手をぎゅっと握った。
「ま、まさか……。宝珠の力を儀式で引き出そうとしてるの……?」
「くっ!!」
少女の言葉が終わる前に、アレイクは部屋の隅に立てかけられていた愛用の魔剣を掴み、
漆黒の外套を羽織る。そのままわき目も振らずに部屋を飛び出すと、既に暗闇が満ち、
行き交う人影もまばらになった町を流星の如く駆け抜ける。
「あ、まってよアレイク!!」
「やれやれ……、最後までこうか。まあ、らしいけどね」
「ですね。じゃ、あたしたちも急ぎましょう」
置き去りにされた少女達は顔にそれぞれ戸惑い、苦笑を浮かべ、すぐに身支度を整える
と彼の後を追って風のように大通りを駆け出した。

――――――――――――――

 背の高い木々と清い水を静かに湛える濠、そして石造りの高い外壁に囲まれたその屋
敷は、まるで外界を拒絶し、己の殻に閉じこもるかのように見えた。クズノハの言うと
おり貴族が住む屋敷というよりは小さいながらも城といった風が似合うたたずまいで、
打ち捨てられてもなお、各部に残る豪奢な装飾がこの城のかつての持ち主の嗜好を何よ
りも雄弁に物語っている。
 その入り口、見上げるような鉄柵の前で、ようやくプリンたちはアレイクに追いつい
た。息を弾ませながらも、インプの少女は無鉄砲な少年をたしなめる。
「はぁっ、はぁっ……、もう! アレイク、一人で突っ走らないの!!
ただでさえ一筋縄では行かない相手なのよ?
あんた一人じゃ勝てるはずも無いじゃない!」
その後ろに立つ二人も、少年にやや厳しい声をかける。
「そうだよ、アレイク。焦る気持ちも分かるが、そんな考え無しで上手く行くとは思え
ないと自分でも分かっているだろう?」
「それに、あたしたちもいるんです。もっと信頼してくださいよ」
彼らの言葉に、少年は握り締めた拳を緩め、頷く。
「……うん。ごめんな、ちょっと焦りすぎてた」
「いいのよ。ペトラが言ったでしょ。私たちだって役に立つんだからね。
もっと頼っていいの」
 アレイクが冷静さを取り戻した様子を見て取ると、少女たちの顔もほっとしたように
和らいだ。だがすぐに緊張を取り戻した様子で、皆同じく顔を引き締める。
「しかし、ここまで来てしまった以上もう行くしかないですね」
「そうだな。どちらにしても避けては通れないんだ。覚悟を決めるしかあるまい」
「はぁ……、なんだかこんなのばかりだわ……」
口々に言う少女たちを見つめていたアレイクは、一歩前に出るといつになく真剣な声音
を出した。
「皆……ありがとう。あとは宝珠を取り戻せば全部終わる。
最後まで……力、貸してくれるか?」
 普段のやんちゃな少年の姿とのあまりのギャップに彼女たちはしばらくきょとんとし
た様子であったが、やがて小さく吹きだすと笑顔を浮かべながら言った。
「ぷっ……。何よらしくないわね。大体私を巻き込んだのはあんたでしょ?
そんな顔しなくても、最後の最後まで付き合ってあげるわよ」
「そうだよアレイク。私の力を存分に使ってくれ、と最初に言っただろう? まだ約束
を果たしていないんだ。そう言われないでも、初めからそのつもりさ」
「そ、そうですよ! あたしもアレイクさんに、まだぜんぜんご迷惑をかけた分、
償ってません! イヤと言われたって、無理やりにでもお手伝いするんですから!」
力強く言い切る彼女たちに、アレイクも笑顔を返す。魔剣を腰の鞘から抜き、天高く掲
げる。
「よし……! みんな、いくぞっ!」
「ああ!」
「はいっ!」
「任せなさいよね!」
その声とともに、奪還者の一団は鍵の掛かっていない門扉を押し開け、闇に包まれた庭
へと足を踏み出した。

 人手が入らなくなって久しいせいか、芝生のあちこちに雑草が目立ち始めた大きな庭
をまっすぐ突っ切り、固く閉ざされた玄関の扉の前まで足を進める。
「とりあえず正面玄関まで来てみたけど、どうする? ここから入る? それとも別の
入り口を探すの?」
 扉を見上げ、傍らのアレイクにプリンが問いかける。アレイクはその声を受けて一歩
踏み出し、扉の取っ手に手をかけた。ひやりと冷たい金属の感触が手に伝わる。
少年は無言のまま、力を込めて金属の取っ手を引っ張った。
ぎいい……ときしんだ耳障りな音を立てて頑丈な扉が開く。
「鍵は掛かってないのか……。いや、むしろ俺たちのために開けたのか……?」
 その考えに、どことなくいやな感じを受ける。だが、その推測が当たっているのだと
したら、既にこちらの動きが気取られている以上、別の入り口を探しても大差はないだ
ろう。そう考え、アレイクは背後の少女たちに振り返る。
「……折角だ、正面から正々堂々いこうぜ」
魔物の娘たちもその顔に緊張を浮かべながら、小さく頷く。
「罠かもしれないが……。虎穴に入らずんば虎児を得ず、か」
「うう……ちょっとドキドキしてきました……」
「アレイク……。……いいわ、もう行くしかないものね」
プリンは何か言いたげであったが、彼女もこうなっては腹をくくるしかないと思ったの
か、溜息を一つだけつくとしぶしぶ建物の中へと足を進めた。

 玄関のドアをくぐると、そこにはクズノハの見立てどおり広大なホールが広がってい
た。しかし、内部には灯りは無く、差し込む月光だけが照らすがらんとした空洞はどこ
か物寂しい思いを見るものに抱かせる。
 プリンが道具袋から取り出したランタンに火をつけ、室内を照らす。ぼんやりとした
灯りに浮かび上がった内装はやたらと見かけだけが豪華なものであったが、どこか成金
趣味を思わせ貴族らしい気品といったものとは無縁なように思えた。
 一行は周囲を警戒しながら、固まったままゆっくりとホールを進む。彫像や柱がラン
タンの炎に歪んだ影を浮かび上がらせ、不吉なイメージを呼び起こそうとする。
思わず、プリンはアレイクのマントのすそを握り締めた。
やがて彼らの視界にホールの奥へと続く通路が見えてきた。灯りがその奥まで届いて
いないせいか、どこか冥界の深淵へと続くトンネルのようにも見える。
 そのとき一瞬、月を雲が覆い隠し室内を闇に染める。アレイクたちも不意に濃くなっ
た暗闇にぴくりと身体を震わせ、緊張を高めた。しかし、予想に反して特に何かが襲い
掛かってくるということでもなかったようだ。無意識のうちに彼らの口から安堵の吐息
が漏れる。

 だが、その直後暗闇に閉ざされた玄関ホールに自分たち以外の聞きなれない声が響い
た。
「おそろいでようこそ……」
その声とともに、ぼっぼっとホールの燭台に炎が灯る。炎に照らされた彫像が立ち並ぶ
広いホール。その光景は幻想的ですらあるが、当の少年たちにとってはそんな暢気に装
飾を鑑賞している余裕は無かった。
「やっぱ、こっちの行動はばればれ、ってことか」
 額に一筋、汗が流れるのを感じながら、アレイクは油断無く剣を構える。その視線の
先、ホールから奥へと伸びる通路の入り口に、漆黒のローブに身を包んだ人物がいつの
間にか立っていた。以前、森の廃屋で会った相手だ。ほんのわずかな遭遇であったとは
いえ、その独特の気配を彼が忘れるはずは無かった。
 それはそのとき一緒にいたプリンや、罠に嵌められかけたクズノハも同じようで、射
抜くような鋭い視線をずっと黒い影に送っている。
 対するローブの人物は、矢のような視線をまるで感じないかのように変わらずたたず
む。
以前にアレイクたちの前で見せた転移術といい、メドゥーサのペトラを召喚し、操った
ことといい……おそらくかなりの魔術の腕の持ち主なのだろうが、目の前の人物からは
どこか圧倒的な威圧感というものは感じない。今も静かにたたずむその姿は、ただ影が
地面から立ち上がっただけのようで……どこか現実感が喪失しているようにさえ思える。
 だがだからこそ逆に、対峙する彼らに底知れない不気味さを感じさせるのだった。
アレイクたちの焦燥をよそに、まるで賓客を迎えるようにうやうやしく、しかしどこか
芝居じみた調子で影は口を開く。
「わざわざ遠路はるばるお越しいただき、こちらとしては心づくしのもてなしをしたい
ところなのですが……。あいにく予定が立て込んでおりまして、皆様のお相手をするこ
とが出来ないのでございます」
微かに女性的と分かるその声には、話す言葉とは裏腹にちっとも残念そうな響きは無い。
まるで出来の悪い役者が陳腐な三文芝居の台本を読み上げているかのようであった。
いや、そのほうがまだましかもしれない。
なぜなら、その声には感情らしいものが欠片も感じられなかったのだから。
「へっ……。お構いなく。こっちはこっちで目的があるんだ、勝手にやらせてもらうぜ」
「そうだな、こちらとしても余計な気遣いは無用」
「そうそう、あたし達のことは気にしないでください」
ちゃき、とアレイクが握りなおした剣が音を立てる。クズノハも鋭い爪を露に全身に力
を込めて構え、ペトラは下半身を蛇に変えると自身を中心に魔力を練り上げ始めた。
 だが、戦意を露にした彼らを見ても相対する人物は警戒も何も無く、先ほどまでと同
じく無感動な声を発し言葉を続けた。
「いえいえ……こちらとしてもそういうわけにはいきません。
無作法なものたちばかりで申し訳ないのですが、
彼らに皆様のお相手をさせるとしましょう……」
その言葉と共に、室内の暗がりから次々と鎧姿の人影が現れる。皆手に手に剣や槍を持
ち、無言のままでゆっくりとアレイクたちへと向かい始めた。
「何!?」
「うそ!? こんな人数、さっきまで気配なんてちっとも無かったのに!」
驚愕に目を見開くプリン。すぐにクズノハとペトラは何かに気付いたように憎悪に燃え
る目を黒ローブに向けた。
「いや……こいつらはさっきからずっといたんだ。気配に気づけなかったのも当然さ、
彼らは身じろぎどころか、ずっと息もしていなかったんだから」
「『屍霊操術(ネクロマンシー)』ですか? それにしても随分悪趣味ですね。
この方達、みんなこの家の兵士じゃないですか。……わざわざ罠を仕掛けるために殺し
たんですか?」
二人の声に、初めてローブは感情の欠片を見せた。くすりとほんのわずかに笑う声がし
たのだ。
「……察しがいい、といいたい所ですが読みすぎでしたね。彼らはもうずっと前に死ん
でいたんですよ。そう、ガスパーニュ家がフリスアリスによって潰される時に起こった
混乱は、権力や財産を欲しがる欲深き者たちには都合がよかったらしかったのでね……。
ふ、同族同士殺しあうとは、愚かとは思いませんか?」
 その語りに、アレイクは違和感を感じた。まるで自分はこの家や事件の当事者でない
かのようだ。
さらに言えば、その騒動を小ばかにしたような言い方は、同じ人間の愚挙をあざ笑うと
いうよりも、なんだか……。
 だがそんなにゆっくりと考えを纏めている暇は無かった。既に手持ちの槍の間合いに
入っていた一体の生ける屍が、その腐りかけた筋組織からは想像もできないほど鋭く突
きこんでくる。
「ちっ!」
アレイクは片手で魔剣を振り上げ、槍を跳ね飛ばすと素早く踏み込んで敵の胴にもう片
方の手をあてる。早口で、しかし正確に詠唱を完成させ、至近距離から氷の刃を発現さ
せた。すぐさま魔力により形を成した透明な剣は、敵が着込んだ鎧の上からにも構わず
その胴を両断する。
 目の前の敵を倒したのを彼が確認する間もなく、ホールに現れた死人たちは次々と武
器を手に彼らに襲い掛かる。亡者の群れを剣で薙ぎ、魔法で払いながら視線をめぐらす
と、クズノハやペトラも戦闘力の無いプリンをかばいながら敵の攻め手をしのいでいる
のが見えた。
「では、ごゆっくり……」
「ま、待ちやがれ!」
彼らの戦いを目にした黒い影は、闇に溶け込むように姿を消す。アレイクの叫びはあた
かもこの世に現れた冥界と化したホールに空しく響き渡った。
「アレイク、こいつらに構うな! 敵の側近がわざわざ姿を見せて足止めに来たという
ことは、向こうも時間が欲しいんだろう! 一気に突破して、おいつめるんだ!」
回し蹴りで迫りくるゾンビの一体を吹き飛ばしたクズノハが叫ぶ。
「わかった! ペトラ、デカイの一発でもなんでもいい!
通路までの道を切り開けるか!?」
「わ、わかりました! アレイクさん、プリンさん、少し離れてください!」
アレイクの声を受け、ペトラが詠唱に入る。その邪魔をしようと飛び掛る死体は、大き
く振るわれたクズノハの爪とアレイクの剣によって両断された。
「……行きます! 『火炎槍(ファイアランス)』!!」
 その言葉と共に前方に突き出されたペトラの手から、真紅の炎が剛槍となって一直線
に空間を貫く。その射線上の敵は燃え上がる槍に貫かれて消滅し、近くにいたものも荒
れ狂う炎に包まれて黒い炭くずとなり床に倒れこんだ。
「いまだ! いくぞ!」
 一瞬できた戦場の空白を、アレイクたちは一団となって弾丸のように駆け抜ける。
まだ残る魔法の熱気に顔をしかめながらも彼らは足を止めることなく、ホールを突破し
た。
だが、ホールの中では攻撃を逃れたゾンビが再び動き出し、彼らの後を追い始めている。
「しつこい人は嫌われますよ、っと!」
その様子を見て取ったペトラは、ホールと通路の境目の天井に爆烈呪文を放ち、瓦礫を
崩落させる。通路が完全にふさがれたのを見ると前方に視線を戻し、アレイクたちを
追った。

 ホールを駆け抜けた勢いのまま、一行は足を止めずに真っ赤な絨毯が敷かれた長く幅
の広い通路を駆け抜ける。そのまま走りながら、プリンはアレイクに声をかけた。
「アレイク、さっきのローブの人って私達が森の小屋であったうちの一人よね?」
「ああ、多分間違いねーと思う」
「あの時は気付かなかったんだけど、あの人って……」
その考えに自信が無いのか、プリンが言葉を濁す。だが先を続けようとする前に、彼女
の鼻に異様な臭いが漂ってきた。
「……うっ、何この臭い!? まるで卵が腐ったような……」
その言葉に同じく顔をしかめていたクズノハが何かに気付いた。切羽詰った声で先頭を
走るアレイクに叫ぶ。
「アレイク、プリミエーラ! 前に飛べ!!」
「!?」
 戸惑いつつも言われたとおり、二人は大きく前方に跳躍する。直後、敷かれていた絨
毯もろとも床板が崩落し、床に真っ暗な口をあけた亀裂によってアレイクとプリン、
クズノハとペトラという風にパーティが分断された。
さらに間髪いれず、床にあいた暗黒からグロテスクな臓腑と骨がうねうねと伸びだす。
「うげ、何だこりゃ!?」
 振り向き剣を構えるアレイクもそのあまりのグロテスクな光景と臭いに顔をしかめた。
腐った臓物は不気味に蠢くと黄色がかかった骨を中心に互いに絡まりあい、やがてはっ
きりとした形を見せ始める。
 所々肉が剥がれ落ちた長い首の先には、まるでワニのような大きく裂けた口を持つ顔
があり、にごった瞳は意思無きまま、彼らを見つめている。骨をむき出しにした手の爪
はしかし鋭いままで、金属の防具すらやすやすと切り裂きそうであった。
そして廊下の大穴から這い出すように姿を見せたその巨体には、ところどころ無残に破
れた皮膜の翼と、丸太の如き尻尾があった。
「ドラゴンの……ゾンビ!?
こんなものを家の中に呼ぶなんて、正気じゃないですよ!」
ペトラが悲鳴を上げる。その声に死せる邪竜は鎌首をもたげ、クズノハとペトラの側に
向かって腐敗瘴気のガスを吐き出した。
「くぅっ!」
「ひぇえ!」
慌ててガスをかわす二人。その背後、ドラゴンが吐き出したブレスの直撃を受けた柱は
ぐずぐずと黒ずみ、腐り落ちていった。
「腐敗のブレスか!? くそっ! くー、ペトラ! 今行く!」
「来るなアレイク! こいつは私たちでどうにかする!」
「そうです、さっき言われたことを忘れたんですか? 相手は時間を稼ごうとしている
んです! 今大切なのは、こんなやつを倒すことじゃありません!」
二人に加勢しようと飛び出そうとした少年を、クズノハとペトラの声が押し留める。
「だけど……!」
 それでも納得できないように立ち止まる少年に、二人の魔物の娘は優しく微笑んだ。
「心配しないでいい、アレイク。私の実力は信頼してくれているんだろう? すぐに片
付けて追いつくさ」
「ふふ……心配されるのも、案外悪くないですね。
アレイクさん、メドゥーサの力は知っているでしょう? こんな腐りかけのトカゲに
やられると思います?」
少年に向けて余裕の笑みを浮かべながら、二人は先に行けと目で促す。
ほんの数瞬だけ、アレイクはためらっていたが、迷いを断ち切るように首を振った。
「……わかった。でも約束だからな! そんなのすぐに片付けて追いかけてこいよな!
じゃないと俺が全部終わらせちまうからな!!」
「わかってるさ。アレイクも気をつけて」
「プリンさん、アレイクさん、すぐ行きますから待っててくださいね」
「ええ……! 二人とも、アレイクの答えをちゃんと自分の耳で聞くまでは死んだりな
んかしたら許さないから!」
最後にもう一度、二人の顔を見つめるとアレイクは全力で駆け出す。プリンもクズノハ
たちに声を残すと、その後を追いかけた。



「やれやれ、あれじゃあまるで、私たちがここで死ぬみたいじゃないか。もう少し言い
方というものがあってもいいと思うけどね」
「そうですね、それには全くの同感です。だいたい、あたしはアレイクさんをこんな形
で諦めるつもり、これっぽっちもありませんよ」
アレイクとプリンが去った後、緩慢な動きで距離をつめてくるドラゴンゾンビを冷たく
見やりながら、少女達はまるで世間話でもするかのような気楽さで会話を続ける。
「まったくだね。彼と小さくとも幸せな家庭を築くという夢が、こんな醜悪な化け物に
台無しにされてはたまったものじゃない」
「あら、意外ですね。妖狐はもっと酒池肉林を好むと思ってましたが」
「それは違う国に住んでいる妖狐たちだね。彼女らは私たちの種族とは好みが違うんだ。
……っと、流石にこれ以上は無駄話もしていられないか」
「あ〜あ、イヤですね〜。これだからおしゃべりという女の子の趣味を邪魔する無粋な
方は。まあ、頭の方まで腐ってるんじゃあ、しょうがないですけどね。
ところでクズノハさん、あそこまで言ったからには何か秘策があるんですよね?」
問いかけるメドゥーサに、妖狐は溜息をこぼしながらも応える。
「……まあ、一応ね。ただあんまり人に見せたくは無いもの……特に好きな人にはね。
正直、使わずにすむにこしたことは無いんだけど、この状況じゃ仕方ないか……」
そう言って目をそっとつぶり、だらりと両手を垂らす。
「『恋しくば 尋ねきて見よ 黄泉の国 死出の旅路に うらみ葛の葉』……」
まるで歌うような文言が彼女の口から発せられると共に、クズノハの身体は手や耳、
尻尾と同じ美しい銀の獣毛に包まれていく。どころかその身体が爆発的に盛り上がり、
前足を地面について目の前の竜に勝るとも劣らない巨大な体躯の狐となった。
一時的に人化を解き、荒ぶる魔獣の魂を呼び覚ますクズノハの奥義。
かつて数多の国々を滅ぼしたとも言われる彼女たちの祖に近いその姿は、神々しさすら
感じさせた。
 恐怖と言う感情なきはずの魔竜すらひるむその強大な気配に、ペトラも感嘆の声を漏
らす。
「はぁ〜なるほど……、確かに魔獣となった姿はアレイクさんに見せたくは無いですよ
ね。なら、あたしも本気出さないと……そこまでの覚悟を見せたライバルに失礼ですね」
その言葉と共にペトラの金眼が鋭さと妖しさを増し、ツーテールに束ねた髪が先端から
本来の姿、無数の蛇と化していく。
「それじゃあ、さっさと片付けて恋しいアレイクさんを追いかけましょうか?」
 ほとばしる魔力と漏れ出す瘴気が大気を震わせ、魔に属すモノたちによる激戦の幕が
切って落とされた。

――――――――――――――

 クズノハ・ペトラと別れ、廊下を駆け抜けたアレイクとプリンは突き当たりにあった
まるで地の底まで続くかのような長い階段を飛び降りるように下り、地階へと足を踏み
入れる。
 最早辺りには異様な魔力の高まりがはっきりと感じられた。その気配を辿るように、
二人は暗い石造りの通路を進み、両開きの扉にたどり着く。その扉に片手をかけ、アレ
イクはもう片方の手に抜き身のまま持った剣の握りを確かめるように持ち直す。
「……さあ、さっさと終わらせようぜ」
「そうね、感傷に浸るのはまだ早いわ。さ、行きましょう」
顔を見合わせ頷くと、彼らは扉を勢いよく押し開けた。

「来たか……小僧どもめが」
 室内に一歩踏み込んだ二人を、忌々しげな男の声が迎える。
 扉の開かれた先、アレイクたちの目に映ったのは広大な空間だった。幅、奥行き共に
先ほどの玄関ホール以上のスペースがあり、高い天井は城の大広間といった感すらある。
床には真紅の魔法陣が描かれ、それを円形に取り囲むように、細緻な装飾が描かれた石
柱が立ち並び、ストーンサークルを構成している。そこにはまさしく儀式場といった光
景が作り出されていた。
 床の複雑な魔法陣と石柱は、彼らが室内に入ってきたときからずっと、ぼんやりと赤
い光を放っている。高濃度の膨大な魔力が、魔法陣によって集められているのだと彼ら
はすぐに気付いた。
 その魔法陣の中心に、豪奢な衣装を纏った壮年の男が立っている。貴族然とした衣服
に豊かな口ひげ。肉付きのいい身体。だが、その顔は不機嫌さも露にゆがめられ、憎悪
という言葉でもまだ言い表せないほどの暗い光を少年たちに向けていた。
「まったく、どいつもこいつも役立たずもいいところだ! こんなガキどもすら始末で
きんとは! ええい、忌々しい!!」
怒りを抑えきれないといった様子で怒鳴る男。アレイクは一歩、足を進めると魔剣を構
えたまま、口を開く。
「へっ、自分はふんぞりかえって何もしないようなヤツがよく言うぜ。そんなんだから
仲間にも恵まれねーんじゃないのか? ガスパーニュさんよ」
今までの道中、散々された妨害の意趣返しもかねて、少年は男を小馬鹿にしたような声
で挑発する。
だが、アレイクのその言葉に男――ガスパーニュ候は予想以上の反応を示した。
「仲間……仲間だと!?
ははははっ! 流石は悪魔憑きのフリスアリスの犬、よくも言うものだ!
化け物どもを仲間だ友人だ、恋人だという貴様らの気が知れんわ、狂人どもめ!
どうせその横の娘も、化け物なんだろうが。くくく、やはり下賎なものは下衆同士、
ゲテモノが好みということか?」
「てめえ……!」
短い間とはいえ、最初からこの旅を共にしてきた大事な仲間、インプの少女への侮蔑の
こもった罵倒に、アレイクの顔が怒りに染まる。
「……いいのよ、アレイク」
憤怒のあまり、今にも男に飛び掛ろうとする少年の腕を掴み、プリミエーラが引き止め
る。その瞳はいわれ無き侮辱への悲しみに満ちていた。だが、すぐに強い光を宿し直す
と眼前の貴族、ガスパーニュ候を睨む。
「随分と雄弁ですけれど、侯爵? ならば、直接自分の手は下しもせず、他の者からネ
ズミのようにずるがしこく盗みを働くものは、下衆と言わないのかしら?
ぜひとも教えてもらいたいものだわ」
 視線をわずかにも揺るがしもせず、しかし口元にあからさまな嘲笑を浮かべてプリン
は男を見据える。
その言葉を侯爵は鼻で笑い飛ばした。
「ハッ、下等な魔物風情が知った風な口を。
人に仇なす魔王の手先どもから、やつらを滅ぼすための正しき力を取り返して何が悪い!
そうだとも! そもそもキルレイン――ああ、名を呼ぶことすら汚らわしい、あの魔に
穢れた男が、公爵などという地位についていることすら許しがたいわ! 
ましてやその男の下賎な犬風情どもが我に剣を向けようなど、まったく恥知らずもいい
ところだ!!」
怒り狂うガスパーニュ候に、アレイクは軽蔑とともに吐き捨てる。
「何が恥知らずだよ、おっさん。たいそうな御託を並べたところで、つまるところ結局
はてめーが無能で師匠に勝てないことの逆恨み、ただの嫌がらせじゃねえか。
そのくせ、やることがちんけなコソ泥まがいなんだから、救いようも無いぜ。
そんなちっぽけな器じゃ、師匠はおろかプリンやくー、ペトラにだって百年経とうが勝
てるわけもないぜ!」
「ぐぬ……よくも……!」
図星を突かれ、いたく自尊心を傷つけられたのか、男の顔に燃え盛る怒りの炎が浮かぶ。
だが、彼はすぐに下卑た笑みを浮かべると、懐に手を入れた。
「くくく……まあいい、今は好きなように吠えておれ。すぐさま分かるのだからな……。
如何に自分が愚かで矮小な存在かということが……!」
 言葉と共に男は取り出した紅い宝珠を高々と掲げる。まるで鮮血のような紅い光を放
つ宝珠は、男の手の中で脈動しているかのような錯覚を見るものに与えた。
「それは……!」
「くっくっく……。貴様らとて、これをここまで追ってきたのだから当然知っていよう? 
『天啓の宝珠』、持つものに世を統べる力を与える究極の魔導具よ!
この力には、悪魔憑きや魔王の手先のキルレインなどではなく、この世の支配者となる我
こそが持ち主にふさわしい! 
そうだ、これさえあれば汚らしい魔物どもも、それに組する愚か者どもも、
まとめてこの世から消し去ることが出来るのだ!
さあ、宝珠よ! いまこそ力を示し、手始めにこの屑どもを消し去ってしまえ!!」
 既に狂気すら滲み出した声でガスパーニュが叫ぶと、魔法陣とストーンサークルの光
が一段と強さを増す。それに呼応するかのように宝玉は輝きを深め、男を中心として嵐
の如き魔力の風が吹き荒れた。
「くそっ!! させるかよ!」
何とか発動を止めようと、アレイクが魔剣を手に駆け出し、眼前の魔力の渦に突っ込む。
だがその刃は男に届くことは無く、少年は渦巻く魔風に勢いよく弾き飛ばされた。
「ぐぁっ!」
「あ、アレイク!?」
地面に叩きつけられた少年に、プリンが悲鳴を上げる。アレイクはよろよろと立ち上が
ると、彼女を安心させるように声を出した。
「へ、平気だぜこのくらい……。心配すんな」
 だが、その間にも宝珠は膨大な魔力を自身に蓄え続けている。このままそれを放たれ
たら、彼らに防ぐ術は無い。アレイクとプリンには、絶望にも似た焦燥が襲い掛かった。
その様子をガスパーニュ候は心から愉快そうに見下す。
「くく、どうした小僧? 先ほどまでの威勢は?
ん? その剣で我をどうにかするんだろう? やってみるがいい」
「くそ……っ!」
 ニヤニヤといやらしい笑いを顔中に貼り付け、男は先ほどまでの怒りが嘘のように上
機嫌で宝珠を掲げている。
「身の程が分かったようだな。だが貴様らのような屑どもに、慈悲など掛ける気は欠片
も無い。
……己の無力と絶望に打ちひしがれながら、むごたらしく死ね」
 男の言葉と共に、宝珠がその輝きを一際強める。プリンは目をつぶり、せめて最期は
彼の側で、と思い少年の背にしがみついた。アレイクは魔剣を構えながら、最期まで敵
から目を逸らすまいと誓う。
 だが、いつまでたっても破滅の光は放たれなかった。おそるおそる目を開けたプリン
の耳に、戸惑う男の声が聞こえてくる。
「……な、なんだ!? 一体どうなっている!?
……な、何だこれは!? やめろ、止まれ! 止まらぬか!」
 何が起こったのか。いや、何故何も起こらないのか、事態が理解できないのは侯爵も
同じだった。
だが、彼にとってはそれだけでは終わらなかった。床から立ち上る紅い魔力の光が、
まるで意志を持っているかのように彼の身体に絡みつきだしたのだ。
 驚愕に目を見開き、恐慌状態に陥った男は手の中の宝珠と床の魔法陣に何度も力の吸
収と放出を止めるよう命じる。しかしその声も空しく、足元の魔法陣や石柱から溢れる
魔力は強くなる一方だった。
 戸惑い、怯える男の身体は既にまばゆいほどの魔力の光の中に飲み込まれ、その胸元
より下は既に見ることすら出来なくなりつつある。
いや、それはまさしく言葉の通りだった。彼に絡みついた光は、侯爵の身体を少しずつ
分解し、手の中にある宝珠に吸い込み、飲み込み始めている。
「わ、我のからだが……! な……なぜだ……!?
わ、我は……この世の、支配者に……」
 既に言葉も切れ切れになりつつある男の声に、アレイクともプリンとも違う、女の声
が響いた。
「ふん、身の程を知らない馬鹿ほど始末におえないものは無いわね。お前如きの器が、
その力を御せるとでも本気で思っていて?」
 あからさまに自分より下賎なものを見下すその声に、ガスパーニュ候は目を見開く。
アレイクとプリンも不意に発せられた声に驚いて、顔をその方向に向けた。

 先ほどアレイクたちが入ってきた部屋の入り口。開け放たれたままのそこに、玄関で
会った黒ローブの人影が立っていた。ばさりとローブを脱ぎ捨てると、その下から蟲惑
的な美貌を持った女性の姿が現れる。腰まで伸びる深い緑の髪に、ペトラと同じような
金色の瞳。
どこか妖しい美しさを持ったその姿は、まるでこの世のものではないかのようだった。
「き、貴様……どういうつもりだ……」
混乱する侯爵の姿を、彼女は冷たい瞳で見やる。
「どういうつもりも何も、すべてはお前の矮小さが招いた結果よ。そういえばその宝珠
については、まだ全てを話してはいなかったかしら?」
もったいぶった彼女の言葉に、侯爵は戸惑いながらも聞き返す。
「な、何……?」
「それはね、もともとは……魔物を封じるために作られた、封印装置だったのよ。
でもある時、そこに封じられた魔物の力や知恵だけを取り出し、自らのものにしようと
した者がいてね。
それからというもの、人はそれを英知を授ける『天啓の宝珠』と呼ぶようになったのよ。
ふふ、随分と人に都合のいい勘違いをした名前ね。
でも、大抵の人間はその力を使いこなすどころか、逆に珠に自分が飲み込まれ、珠の力
になってしまったけどね。
そう、ちょうど今のお前のように」
「な……なん、だと……。き、きさま、いったい……」
侯爵の問いかけに女は笑みを深めると、今までずっと隠していた本来の姿をついに現す。
「……あ、あの姿は!」
「……あの人、やっぱり人間じゃなかったのね……!」
アレイクとプリンも、少しばかりは予想していたとはいえ、実際にその姿を目にすると
言葉を失った。
 女性の美しい上半身はそのままに、彼女のすらりとした足、その下半身が鱗で覆われ、
一つの巨大な蛇のものと化す。瞳は爬虫類のように縦長の瞳孔となり、耳が魔族の特徴
をあらわしてピンと張り出し、尖る。衣装の切れ目から覗くわき腹や腕、額には見たこ
との無い紋様が浮かび上がった。
さらに、先ほどアレイクたちと対峙していた時とは比べ物にならないほどの強大な魔力
がその身体から立ち上る。
「き、貴様……貴様は……!」
 侯爵の声が震えているのは怒りか、それとも恐怖のためか。
完全に魔物としての姿を現した彼女、それはエキドナと呼ばれる、ラミアの高位種――
いや、数多の魔物の中でも最高クラスの力を持つ存在の一つだった。
 今までの侯爵の部下といった演技を完全にやめた彼女は、さも愉快そうに
困惑するガスパーニュ候を見下す。
「最初は私の住処だった遺跡を潰してくれた馬鹿な人間でちょっとばかり遊んでやる
つもりだったんだけどもね。まさかここまで想像通りに行くとは思わなかったわ。
それにしても、最期までちっとも気付かないとはね。
……まあ、おかげでそれなりに楽しめたけれど。
今の気分はどう? お前は結局、最初から最期まで大嫌いなその魔物の手のひらで踊っ
ていただけだったのよ」
あまりのショックに、侯爵は怒りすら忘れたように彼女を見つめる。そんな男に彼女は
興味を失ったように、冷たい視線を返した。
「それじゃあ、そろそろお別れの時間のようね。さようなら、愚かな愚かな侯爵閣下」
 あざ笑うような声で紡がれた別れの挨拶に、混乱したままの男は命乞いも呪詛の言葉
すらも返すことは出来ず、ただエキドナを呆然と見つめるだけだった。
「ばかな、こんな、こんなことが……」
呆けたように口から発せられたその声を最期に、ガスパーニュ候は完全にこの世から姿
を消した。
後には男の手から零れ落ちた宝珠が唯一つ、静かな、だがどこか不気味な輝きを放って
いるだけだった。

「さて、これで邪魔者は消えたけれども。
その表情、貴方たちもいろいろ知りたいことがあるのでしょう?」
 油断無く構えるアレイクたちに、くるりと少年達の方を振り返ったエキドナは微笑
みかける。
確かに窮地を脱したのは事実だが、だからと言って全面的に彼女を信用するのは危険
すぎる。彼女の真意をきちんと聞くまで気を抜くことはできなかった。
 ただでさえメデューサ以上の力を持つ魔物との対峙に少年は汗を浮かべながらも、
口を開く。
「ああ、けどとりあえず礼を言ったほうがいいか?
まずは、助けてくれてありがとな」
 軽く頭を下げたアレイクに、エキドナは一瞬あっけに取られたようだったが、すぐ
に顔を緩めるとくすくすと笑いだす。
「いいのよ、私が何かしたわけじゃないわ。どちらにせよあの男の器ではああなると
最初から分かっていて、それを見るためにけしかけたのだし。
それにしてもやっぱり貴方は思ったとおりの人ね。いくら助けられたからといって、
魔物に素直に頭を下げられる人なんて、私が見てきた中でもそうはいなかったわ」
笑いながらもどこか熱っぽい瞳を向けてきたエキドナに、アレイクはふと既視感を感
じる。彼女とは初対面だが、この、彼にはよく分からない感情のこもった視線、これ
と同じものをいつかどこかで見たような。
 戸惑う彼をよそに、エキドナはずるずると彼らのほうに這いよってくる。
「そういえばちゃんとした自己紹介もまだだったわね。私は『ベルフェンディータ』、
ああ、呼びにくければ『ディータ』でいいわ。見ての通り、エキドナね。
よければ、貴方達の名前も教えてもらえるかしら?」
意外とフレンドリーな高位魔族に若干毒気を抜かれながら、彼らは己の名を名乗る。
「あ、うん。アレイク=エルフィードだ」
「えっと、プリミエーラ、です」
「アレイクにプリミエーラ、か。いい名前ね。もちろん、ここまで来れたその力もね。
ふふ……特にアレイク。仲間の助けがあったとはいえ、これまでの試練を乗り越えた
貴方こそ、私に子を産ませる男にふさわしいわ」
「……え?」
うっとりと彼を見つめるエキドナの口から発せられた不穏な言葉に、アレイクは反射
的に聞き返す。プリンもその言葉から何か気付いたのか、同じく口を開いた。
「ちょ、ちょっと待って? それじゃあ私たちの旅路に、魔物の妨害とかがあったの
は、侯爵からの指示じゃなくて……」
「そう。アレイクが私の婿にふさわしいかどうか、ちょっとばかり試させてもらった
のよ。何せ私たちエキドナには一生で一度しか産むことの出来ない、同族の娘の父と
なる人なんですもの。選ぶなら同じ男でも、可能な限り実力が高い男の方がいいでし
ょう?」
 何かおかしいのかといった様子で、なんでもないことのように言い放つディータに、
プリンは言葉を失う。アレイクはじっと自分を見つめてくるディータの視線に、無意
識のうちにつばを飲み込んだ。
「……もし、イヤだといったら?」
「そのときはそのときね。……力づくで、というのも魔物らしいんじゃないかしら?」
 それも楽しそうだ、といった声音で彼女は話す。どうやら目の前のエキドナは何が
あってもアレイクの子を産むつもりでいるようだ。
無言でいるアレイクの様子を見つめ、ディータは彼の心情を悟ったようだ。
彼女が地面に手をかざすと、そこから黒一色の曲刀が浮かび上がる。柄を握り、手に
なじませるようにひゅんひゅんと二、三度それを振ると、アレイクを指すように水平
に持ち上げる。
「私としてはどちらでもいいけれどね? どうする? まあ、聞くまでも無いようだ
けど」
軽い調子で聞くディータに、アレイクも剣を構えなおした。
「ごめんな。あんたが嫌いって訳じゃあないけど、だからといって「うん、わかった」
って簡単に頷く気は無いんでね。
申し訳ないけど、俺が勝ったらその申し出は断らせてもらうぜ!」
 少年の拒絶に、エキドナはまるで悲しみも怒りもせず、にこにこと微笑んでいる。
「まあ、いいわ。私も貴方の実力を直に見てみたかったしね。
じゃあ、私が勝ったら貴方の子種、娘一人分とは言わず、私の気の済むまでいただく
わね?」
無茶苦茶なことを平然と言い切るディータに向かい、アレイクが飛ぶ。

 だが、お互いの剣がぶつかり合う直前、突如巻き起こった荒れ狂う魔力の奔流が、
衝撃波となって並び立つ石柱ごと、彼らの体を吹き飛ばした。
「うわぁっ!」
「きゃぁっ!」
「くっ!」
 その突風にアレイクたちは吹き飛び、壁や床にしたたかに打ち付けられ、うめき声
を漏らす。
「何なの、一体……?」
 頭を振りながら身を起こしたプリンの目に、先ほどまで魔法陣の中央に落ちていた
はずの宝珠が、禍々しい光を放ちながら中空に浮かんでいるのが見えた。



 ……そこは形を持つものは何も無く、しかしあらゆるものが混ざり合って存在する
ような混沌とした場所だった。
かつて封じられた強大な力持つ魔獣、知識を求めるあまり宝珠と同化した大魔導師。
そして幾千、幾万もの魔物、人間の欲望・怒り・嘆き・絶望。それらが一体となり、
どろどろと溶け合って渦を巻いていた。
 この中に飲み込まれた自分も、やがてその一つになるのだろうかと男はぼんやりと
考えた。いや、もう男にまともな思考をするだけの理性は無かったから、それはただ
彼の魂のうわべに浮かんだ儚い幻のようなものでしかなかったはずだった。
 だが、彼は己がこのまま消えるにしても、貴族である自分を玩具のように扱い、
見下したあの魔物――ベルフェンディータとかいう蛇――だけは許せなかった。
その小さな怒りの火がばらばらになりかけた彼の心に点いた瞬間、
地獄の業火の如く勢いよく燃え上がった。
……許せるものか許せるものかユルセルモノカ! 我をあそこまでコケにした屑、
いや屑以下、屑以下の以下の以下のカスどもを引きちぎり八つ裂きにし、その肉片の
一片さえも残さず消し去るまでは!!
 烈火の如き怒りは彼のうちにとどまらず、宝玉の中の魔力をも紅蓮の炎に染めてい
く。すでに自身の肉体は消え去り、存在してなどいなかったが、咆哮が喉元をついて
吹き上がったようだった。
 気付けば、いつの間にか目の前に先ほどの儀式場の光景が映し出されている。
真っ赤に染まり、いびつに歪んだ視界に少年と魔物たちの姿を捉えた彼は、
獣じみた狂った笑顔を再び形を成した顔に浮かべた。



 先ほどまでは手に収まるくらいの小さな宝珠であったはずの「それ」は、息を呑む
彼らの目の前で、既に元の形からは想像もできないほどに変貌を遂げていた。
 それをただ一言で言い表すならば、子どもが作るような「粘土細工の人形」のよう
であった。おおざっぱな体の各部分は、輪郭から一対の腕、足、そしてくびれも無い
胴体だと分かる。
 胴の中央には脈動するように規則的に紅い光を放つ宝珠が埋め込まれ、首も無く、
ただ胴から盛り上がり飛び出した頭部には、裂けるような口と怒りに燃える二つの目
が宝珠と同じ真紅の光を灯している。全身を真っ赤な肉とも金属とも判別できないも
ので構成する巨人は、絶句するアレイクたちの前でゆっくりと身を起こす。
「……まさか、宝珠の力を怒りで飲み込むとは……。侯爵への評価を改めなくてはな
らないかもしれませんわね」
 そういうディータの声にも、かすかに驚愕と焦りとがにじんでいる。
 やがて、天井すれすれに立ち上がった巨人は、耳障りな咆哮を轟かせる。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!
ユルさん……許サン、ゆるサンユルサン! ガきども、まもの、みんな殺すころす
コロス……ぜんぶすべてミンナ消し去るチギル潰すクダク殺す燃やす
ころすころすコロスあああアアAAAAAAAAAA!!」
 その声はもう、先ほど聞いたガスパーニュ候のものではなかった。本来人語を話す
ものではない器官を無理やりに使い出した声。そこには怒りだけが存在し、
人の意識も理性も、欠片も残っていなかった。ただ、怒りと破壊と殺戮の衝動だけに
突き動かされた、もう魔物とすら呼べないただの存在があった。
 轟音に耳をふさぐ彼らに、大きく振りかぶられた巨人の腕が、攻城槌のごとく振り
下ろされる。
「避けろっ!」
 叫び声と共にアレイクとプリン、ディータはその場から飛びのく。巨人の拳は勢い
をまったく緩めず、まるで泥地のように固い床に深々と腕をめり込ませた。
「なんて力なの!? あんなの喰らったらひとたまりも無いわよ!!」
 想像を超えるあまりの威力にプリンの口から悲鳴が漏れる。
 巨人は地面にめり込んだ腕を引き抜くと、アレイクたちを叩き潰そうと再び腕を振
り上げた。
先ほどと同じく、アレイクとディータは容赦なく叩きつけられるその巨腕を飛びのい
てかわす。
「これでもくらえっ!!」
そして彼らは着地後すぐさま呪文を詠唱し、無防備な巨人の顔面に攻撃魔法を叩き込
む。
アレイクとディータが放った火炎弾は紅の頭部を直撃し、爆炎を上げた。もうもうと
立ち込める煙が、狂える巨人の頭を包み込む。
「やったの!?」
焦燥の消えないプリンの声が響く。だが、次の瞬間巨人の頭部、真っ赤に燃える瞳か
ら真紅の光線が放たれ、煙を切り裂く。光線はそのまま、天井、そしてその上に建つ
屋敷の一角をも吹き飛ばした。石造りの天井に開いた大穴からは、星が輝く夜空が見
える。
「なんて威力だよ!? こんなヤツが、町に出て行ったら……!」
 その破滅的な力に、アレイクの声が震える。
「アレイク、右っ!!」
 突如響いたプリンの叫びに、少年の意識は現実に引き戻される。天井の亀裂に気を
取られた一瞬の隙に、巨人は少年に向けて左拳を振るおうとしていた。
「しまった……っ!」
既に腕は眼前まで迫っている。反射的に魔剣を眼前に構え、盾としようとするも、
迫り来る真紅の拳はそんなものをものともせず彼を押しつぶすだろう。
 一瞬後に迫った激痛を覚悟し、思わず目を閉じた少年は、横合いから体に掛かった
急激な加速に違和感を感じた。それは殴り飛ばされたというよりは、誰かが体をつか
んで跳躍したようなものであったのだ。直後、爆発音と破砕音が響く。
「やれやれ、間に合ったね」
 その声にアレイクは目を開く。先ほどの加速の折に感じたとおり、自分は誰かに抱
えられているようだった。慌てて顔を上げると、すぐ上に安堵の吐息をつくクズノハ
の顔があった。
「く、くー……?」
 呆けたように聞き返す少年に、妖狐の少女は優しく微笑む。
「そうだよ、アレイク。怪我は無いか?」
「あ、ああ……。無事、だったのか?」
 まだ事態を上手く理解できていない彼の物言いに、クズノハは苦笑する。
「その言葉は心外だね、私があんな腐った竜の死体にやられると思っていたのか?
ああ、もちろん無事だよ。ほら、ペトラも」
 そういわれてクズノハの視線を追った先には、プリンを抱えたペトラの姿があった。
どうやら先ほどの爆発音は、アレイクを助けるクズノハを援護するために放たれた魔
法だったようだ。
アレイクの方に顔を向け、その無事を見て取ったペトラも安堵の表情を浮かべる。
「アレイクさ〜ん、大丈夫ですか〜!? 助けに来ましたよ〜!」
 少年を脇に抱えたクズノハはたんたんと小刻みに跳躍して床に散らばる瓦礫をさけ、
ペトラ、プリンと合流する。その様子を見たディータも合流し、彼らは巨人から距離
を取って相対した。
「ペトラ、クズノハさんも、よく無事で……」
胸をなでおろすプリンに微笑みかけると、二人は迫り来る巨人を睨みつける。
「この状況、あの敵といい、君の隣のエキドナといい、いろいろ聞きたい所だが……」
「そんな悠長に話をしている暇は、なさそうですね」
「ああ、話すと長くなりそうなんだ。あいつをやっつけたら、ちゃんと説明するから」
「分かりました。約束ですよ?」
アレイクの言葉に、ペトラが念を押す。
「でも、あんな化け物どうすれば?」
パーティの心情を代弁するプリンの声には、エキドナのディータが答えた。
「あれが『天啓の宝珠』によって形を成した存在なら、胸の宝珠が核のはず。
宝珠さえ壊せば、あいつはその侯爵の妄執ごと、体を崩壊させ消え去るはずよ」
「胸のあれ、ですね!」
ディータの言葉に、ペトラは呪文を紡ぎ炎の矢を打ち出す。だがそれは宝珠に届く前に、
巨人から噴出する魔力が作る障壁に阻まれ、消えた。
「……ダメですね、ただの魔法じゃあのバリアを突破することすら難しそうです。
でも、簡単には接近させてくれそうにもないですし……」
「打つ手なし、なの……?」
プリンの言葉にクズノハでさえ、黙り込む。そんななか、アレイクはじっと手の中の
魔剣に視線を落としていた。
「……アレイク?」
訝しげに掛けられたプリンの声に、少年は何かを決意したように顔を上げる。
「くー。ペトラ。ディータ。プリン。一か八かの博打かもしれないが……大技を使う。
ほんの少しでいい、時間を稼いでくれないか?」
その目には覚悟の輝きがはっきりと灯っていた。迷いも恐れも無い言葉に、魔物の少
女達は頷く。
「わかった。……どれくらい稼げばいい?」
クズノハの問いかけに、少年が答える。
「……精神を集中させるほんのわずかだけあればいい。その間だけ、俺からあいつの
注意を逸らせてくれればいいんだ。……うん、2、3分もあればいい」
「それで、勝てるのね?」
ディータの言葉に、アレイクは断言する。
「勝てる!」
「わかったわ、それまで貴方には指一本触れさせない」
エキドナも少年に頷き返すと、するすると軽やかに瓦礫の上を這いずり、彼から離れ
る。ペトラ、クズノハもそれを見て彼の囮となるべく散解した。
「アレイク、無茶しちゃダメよ!」
最後にプリンがアレイクから身を離し、みなの邪魔にならないように退避するのを見
ると、少年は魔剣の切っ先を下にして逆手で体の前に持ち、目を閉じて詠唱を始めた。

『異界に眠りし大いなる女神よ 我が声に耳を傾け 我が願いを聞き入れ給え』

少年の深く静かな、だが力強い声が、戦場に響く。

『今永劫の眠りからひととき目覚め この身にその御力 貸し与え給え』

その声を背に、ディータとペトラの放った魔弾が巨人を撃ち、クズノハの狐火が巨人
を幻惑する。

『世に永久に明けない夜なし 世に永久に生きるものなし 儚き夜に 神降ろし』

しかし巨人には傷一つつかず、まるで怒りを爆発させるかのように巨体から放たれた
衝撃波に、少女達が吹き飛ばされた。

『今ここに、我はその名を謳いあげん……刻銘解放! 神威召喚!
その威を現せ! 『深淵よりも暗き闇(ダークネス・オブ・ダークネス)』!!』

 アレイクが目を見開き、その名を高らかに謳いあげた瞬間。
彼の持つ剣から、全てを飲み込み、塗りつぶす「闇色の光」が溢れ出る。闇は少年の体
を包み込み、竜巻のように勢いよく渦を巻いた。
「アレイクっ!?」
その異様な光景にプリンが悲鳴を上げる。
 だがアレイクの身体を闇が包んでいたのはわずか一瞬のことで、黒の風はすぐさま解
けてかき消えた。そして、先ほどまで少年が立っていたその場所に、一人の「娘」が姿
を現す。
 腰まで伸びるつややかな漆黒の髪。それとは対照的な病的ともいえる雪のような白い
肌。その華奢な身体を包む衣装は、細かな装飾のついた貴族令嬢のドレスのようだが、
フリルやリボンまですべて夜色の黒一色で塗りつぶされている。
そして片手には可憐な姿には不釣合いな禍々しい威容の魔剣を握っていた。
 まだ幼いその姿からは想像出来ないほどの存在感を漂わせる少女は、ゆっくりと可愛
らしい顔を上げる。閉じられていた目が開くと、ルビーのような紅く美しい瞳が現れた。
「あ、アレイク……なの?」
 戸惑いにかすれる声で掛けられたプリンの言葉に、彼女の目の前に現れた娘は小さく
頷く。開かれた口からその幼い姿にふさわしい、だが決して少年のものではない声が響
いた。
「ああ。神威召喚の媒体。それがこの魔剣本来の使い方なんだ」
その口調は少年の時のままで、それがかえってプリンには妙に感じられる。
「でも、その姿って……」
彼女の言葉に、アレイクもちょっと戸惑ったように自分の格好を見下ろした。
「実は俺も、神様の召喚ってのは初めてなんだけど……この魔剣で呼べるのは、ここと
は違う世界の女神様らしいんだ。
きっと神降ろしをした影響が、身体にも出てるんだろうな。
……っと、こんな無駄話、してる場合じゃないか!」
 繊細なガラス細工のような手で柄を握り直すと、アレイクは眼前で暴れる巨人に紅き
瞳を向ける。
「みんな、待たせたっ!! 離れてろ、いくぞーっ!」
 魔剣を構え、その身体から暴風のように魔力を噴出し、漆黒のドレスを翻しながら、
黒い女神の姿となった少年が飛ぶ。
空中で大きく上段から振り下ろされた剣は、剣先から闇色の閃光を生み出し、胸の宝珠
をかばうように突き出された巨人の左腕をやすやすと両断した。
「アレイク……!」
「す、すごいわ……!」
「こ、これなら、勝てます!」
 眼前で振るわれる圧倒的な力に、少女達はアレイクの姿を見つめ、畏敬の念すらこも
る声で呟く。
 少年は無言で再び黒いオーラを身に纏うと虚空を矢のように駆け抜け、残った巨人の
右腕もひじの辺りから切り落とした。
「あ、ア、A……GIYAAAAAAAAAAAAアアアアあああアアアAAA!!」
 痛みというよりは、目の前の存在に対する憤怒が巨人に耳を劈くような叫びをあげさ
せる。暴れる巨人を冷徹とすら言える目で見つめたアレイクは、ただ一言、告げる。
「とどめだ」
 黒い女神は大きく飛び上がり、大穴が開いた天井を越えて高く浮かぶ。腕を失い、も
がく巨人はその姿に燃える瞳を向け、目から残された全ての力を込めた破壊の光を放っ
た。
 だが、アレイクはその身に一段と濃い闇を纏うと、剣を構えた自身を巨大な槍として
巨人に突っ込む。全てを滅ぼすはずの真紅の光は、舞い降りる闇の刃の前にかき消え、
アレイクは巨人が纏う紅い障壁をやすやすと貫き、胸の宝珠を撃ちぬいた。
 一撃でその核を破壊された巨人は断末魔を上げることも無く、その巨体は砂のように
崩れ、消え去っていった。

「お、終わったの……?」
 まるでそんなものなど初めから無かったかのように消え去った巨人がいた空間を、
呆然と立ち尽くし、見つめていたプリンはいまだ震える声で呟いた。
それに、彼女の周りに戻ってきたクズノハたちも頷く。その身体はあちこち傷だらけで
ぼろぼろだが、皆命に別状はないようだった。
「ああ、終わったようだね」
「勝った、んですね」
「……どうやら、そう言ってもいいみたいね」
 ペトラとディータも体から力を抜くと、長い息を吐きながら座り込む。
 彼女たち以外の気配は欠片もない、先ほどまでの戦場跡は静まり返っており、つい先
刻まで行われていた戦いが夢か幻のようにすら感じられる。だが、砕けた床や引き裂か
れた壁、あちこちに散らばる大小の瓦礫はそれが紛れも無い現実であることを物語って
いた。
 しばし、魔物たちは無言でその光景を見つめる。
「……アレイクさんは?」
 不意に少年の名を呟いたペトラに、プリンははっとして先ほど彼が飛び込んでいった
場所のあたりに目を凝らした。



 プリン達が彼を探し始める少し前。少女達からはやや離れた、儀式上跡の真ん中。
 元の少年の姿に戻ったアレイクは瓦礫の中に大の字になって倒れこんでいた。その指
がピクリと動くと、やがて瞳がゆっくりと開く。
「なんとか勝てたな……」
 誰にともなしにそっと呟くと、少年は全身に走った激痛に顔をしかめた。
「いてて……。
やっぱり魔剣だけで、他に何の助けも借りずに神威召喚はむちゃだったか……。
ま、生きてただけもうけもんだな……」
 そういって苦笑するアレイクの手に握られた剣から、先ほどと同じ黒いオーラがにじ
み出る。やがてそれはぼんやりとした人のような影を少年の目の前に浮かび上がらせた。
その影から愉快そうな響きの女の声が響く。
「ほう、わずか一部とはいえ、わらわの力を降ろしただけでなく、その力を御するとは
大したものよ。戯れにわらわを呼ぶ鍵として剣を世に放って幾星霜、よもやこんな幼子
が手にするとは思わなんだわ」
「あんたは……さっき力を貸してくれた女神様か」
「いかにも。恐れを知らぬ幼子よ、お前のおかげで久方ぶりによい退屈しのぎになった
わ。そなた、名はなんという?」
 曲がりなりにも神の一柱を相手にしているのに、まるで動じた様子の無いアレイクに、
影の声は面白そうに問いかけた。
「アレイク、アレイク=エルフィード」
 何だか今日は名乗ってばかりだな、とぼんやり思いながら、彼は自らの名を名乗る。
「ふむ、アレイクか。気に入った。また力欲する時があらば、わらわの名を呼ぶがよい。
だがわかっていような? 卑小なる人の身が何の代価もなく、神威を振るえるわけでは
ないことを。
……そうさな、そなたの死後、魂をわらわのモノとするのもよいか。
ああ、それまででも気が向いたらいつでも望むがよい。その時にはそなたの魂を闇へと
堕とし、わらわの娘として生まれ変わらせてやろうぞ。これは、その約束のしるしじゃ」
「……つっ!」
 その声がした直後、アレイクの右目を電撃で撃たれたような痛みが貫く。思わず涙を
こぼした少年が顔を上げると、既に女神の影は消え去った後だった。
「……そいつは遠慮したいぜ……」
 いまだずきずきと痛む右目をつぶり、まぶたの上から手で抑えながら、少年は瓦礫の
中に立ち上がると溜息と共に呟いた。

「アレイクっ!」
「うわぁっ!!」
 直後、少年は飛びついてきた小柄な少女に抱きつかれ、バランスを崩して再び倒れこ
む。
「アレイクさんっ!」
「アレイクぅ!」
「ぐああ! い、いってぇええ……!」
 さらに覆いかぶさるように二人が抱きつき、押しつぶされたアレイクはその身体の重
みと軋んだ自分の身体の痛みに悲鳴を上げた。
 少年は涙目で、自分の上に乗る者たちの姿を見る。そこには彼以上に目に涙を浮かべ、
顔を真っ赤にしたプリン、ペトラ、ディータが重なり合っていた。
「まったく、心配ばかりかけて……。でも無事でよかった、アレイク」
 最後に、倒れこんだ彼の顔を上から覗き込むクズノハの優しげな顔が、少年の視界
いっぱいに映る。
「みんな……無事か。よかった」
 安堵の声を発した少年に、インプの少女は涙をこぼしながらしっかりと抱きつく。
「ばかぁ! よかった、じゃないわよぉ!
むちゃしちゃだめって言ったのに、心配ばっかりかけてぇ!!」
「わりい……わるかったよ、ごめんな」
 優しい笑顔を浮かべ、アレイクは幼い子どものように彼に抱きついたまま泣きじゃく
るプリミエーラをそっと撫でる。その感触に顔を上げた少女は彼の目を見て、驚いた声
を上げた。
「あ、アレイク……!? め、目が……!」
「ん? ああ、これか……なんでもない、大丈夫だから」
「なんでもないって……。その目……」
 絶句する彼女が見つめる先、少年の右目は先ほど女神の姿だったときと同じく、燃え
るようなルビーの紅に変わっていた。さらにその表面には複雑な魔法紋が刻み込まれ、
強力な契約――もはや呪いといっていいほどの――を宿していることが彼女にも一目で
分かった。
「平気だって、これぐらいで皆が無事だったんだから、やすいもんさ」
「アレイク……ばか、ほんとにばかなんだからぁ……」
 プリンはまた涙をこぼし、彼に強く抱きつく。そんな少女をアレイクは困ったように
優しく抱きしめた。
 しばらくすると彼女も落ち着いたのか、最後に目の端に残った涙を指でぬぐうと彼と
共に立ち上がった。
「まったく、女の子を泣かせるとは。我ながら厄介な相手に惚れたと思うよ」
「本当ですね〜。でも、それを後悔なんてしませんけどね」
「そうね、彼の魅力はそんなもので霞むようなものじゃないもの」
 いまだ抱き合う二人を見つめながら、クズノハ、ペトラ、ディータが口々に言う。
その言葉にアレイクは顔を真っ赤にしながらうつむいた。
「まったく、初心ねえ」
 その様子を間近で見ていたプリンは、くすりと笑みを浮かべた。やがて、少女達は顔
を見合わせくすくすと笑いあう。

 だが直後に、からんという小さな音と共に、怨念にまみれた男の声が響いた。
「グ……ア……、ウ……、ナゼダ……ナゼ……キサマラ、ナドニ……」
 ぎょっとした一同がその方向に振り向くと、瓦礫の上、砕けた宝珠の破片から微かに
漏れ出る魔力が歪んだ男の顔を浮かび上がらせていた。だがそれもところどころ薄れ、
かすれ、最早消えるのも時間の問題であった。
 侯爵だったものの残滓に、アレイクは静かに口を開く。
「さあな……何が悪かったか、何が間違ってたかなんて俺たちにはわからねーよ。
でもあえて言うならば、人とか魔物とか関係なく、
みんなを、仲間を信じられたかどうか、じゃないのか」
「シン、ジル……ナカマ……マモノ……ニンゲン……」
 もう会話としての意味をなしてもいない単語の羅列に、アレイクは頷くと侯爵に別れ
を告げた。
「じゃあな、おっさん。魔物が……いや、他人が嫌いなら二度と世界に出てくるなよ」
 その言葉を聞いたのを最後に、ガスパーニュ候の怨念と共に宝珠の破片も幻のように
消え去った。

「これで全部、終わったのね」
小さく囁いたプリミエーラはやがて彼から身体を離すと、仲間の方を向いた。
「それじゃあ……帰りましょうか?」
「ああ」
「そうだね」
 彼らは頷くと最後に砕けた天井から覗く星の輝く夜空を見上げ、やがてその場を後に
した。

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第五話 『宝珠と魔剣と人と魔物と』 おわり
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