影物語
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「何故我輩がそのような面倒なことに協力せねばならぬのだ?」
「何故って。あなた様があんまりにもやる気をお見せにならないからでしょうが。
 公的なお叱りの言葉を受けても『面倒』などとよく言えるものですな」
「面倒なことは面倒なのだ。放っておいても良かろう? それが我輩の意思じゃ」
「なんとまあやる気のないお方よ……」
「やる気なしで結構。言いたいことはよくわかった。もう下がってよろしい。
 あと、何度来ても我輩の意見は変わらぬ。さぁさぁ、しっしっ」
バタン。
「全く、何という愚かな男だ! 大人しく従っていれば、こちらも平和的に『お手伝い』
 したものを……。こうなってしまっては仕方があるまい……」



ジャグロック領の南西の小規模な町に、私たちは到着した。町に入った直後、私は
すぐにこの町の異様な活気のなさに疑念を募らせていた。主要な通りに人々の数は
少なく、目を伏せてこそこそと歩き回る様子は、まるで誰かに常に狙われているか
のようだった。
「ねぇ、この町何だか変じゃない? 何かあったの?」シルキーは直接町の男に
尋ねた。彼女の首には、金色のネックレスがぶら下っている。
シルキーはこのネックレスのおかげで人間の姿をしているが、本当は「アラクネ」
と呼ばれる、下半身が蜘蛛の魔物だ。魔物討伐派の土地であるここ
ジャグロック領では、人前でこのネックレスが外された瞬間に、彼女は……いや、
私たちは死ぬ。
「……あんたら、この辺の人じゃないみたいだな。どこから来たのかわからないけど、
 とっととお国に帰った方が得だぜ。最近この辺は……というより、ジャグロック領
 全体が物騒な事になってるからなぁ」男は咥えたタバコをぽとりと落とし、靴の裏
で踏みつけた。
「物騒な事……? それは、どういうことですか?」私は男に尋ねた。
「何だかねぇ、最近神隠し事件が多いんだ」
「『カミカクシ』? 何それ、殺人犯か何か?」珍しく、シルキーがまともに質問した。
「違いますよシルキー。神隠しというのは、人が突然行方不明になることです」
「へぇ……で、何で神隠し事件が多いの?」
「それがわかれば苦労はしないよ、嬢ちゃん。理由もなく消えちまうから『神隠し』
 なのさ。でもまぁ、一説では魔物が絡んでるっていう話だ」
「魔物が……? でもジャグロック領は……」私が問うと、男は半ば自嘲気味に答えた。
「おうよ、ジャグロック領は一応討伐派領域だ。つい最近までは、魔物なんて
 滅多に見られねぇような地域だったさ。だが、目撃例があるんだよ。しかも、
 一つや二つじゃねぇ。神隠しがあった事件現場周辺で、魔物の姿を見たっていう
 やつがいっぱいいるんだ。何でも、とてもすばしっこくて、武器みたいなものを
 常に携帯しているらしいぜ」
「……何だか信じられない」シルキーがポツリと漏らした。
「信じたくなくても、これが今のジャグロック領の現状さ。消えたくなかったら、
 夜中にぶらぶらうろつくのはやめときな。魔物を見ようとして消えたやつも
 いるからな。くわばらくわばら」
男は懐からタバコを取り出し火をつけ、そのまま去っていった。

「……今の話、キニスンはどう思う?」シルキーは目を伏せ、私の手をぐっと握った。
「……」
「黙ってないで何とか言ってよ! 確かにさ、魔物の中には人間を攫う種類もいるわ。
 でも、こんなに猟奇的にやるような魔物はいないわ! キニスン、信じて!
 あの話は――」
「あの話は、多分本当の事でしょう」私は冷静に言い放った。
「キニスン……あなた……!」シルキーが私をきっと睨み、手を握る力が強くなる。
「……しかし、実際に魔物が人間を攫っているかどうかは、これだけでは判別
 できません。もっと詳しく調べて、真犯人を暴く必要がありそうです」
「それじゃキニスン、あなたはその魔物が犯人じゃないと思っているのね?」
シルキーの手がふっと緩む。
「わかりません。どのような可能性も、決してゼロじゃないですから」
しかし、そうであってほしくないと願っていることだけは確かだった。
「さぁ、頑張って宿代を稼ぎますよ!」
「えっ、こ、ここで?!」慌てふためくシルキーだったが、私はすぐにぬいぐるみの
準備をし、シルキーに竪琴の準備を促した。



「うぅっ、さぶっ……。キニスン、もっとこっち来て……」
今私たちは、お互いの身を寄せ合って何とか暖をとっている。
結論から言うと、私たちの芸は大失敗だった。客の集まりが悪かったのも問題だが、
何よりも活気のなさが私たちにやりにくさを与えた。私たちはひどく気まずい
雰囲気の中、鐚一文もらうこともできずに、そそくさとその場を後にしたのだった。
結局、私たちはろくに何も食べることができずに、とある木陰で野宿をしているのだ。
不意に、私のお腹の音がなった。その音に呼応するかのごとく、シルキーのお腹からも
ぐぎゅうと音がした。
「……お腹減った〜」
「我慢するしかありません」
「あっさり言わないでよ、余計にお腹が減るじゃない……」
「なおさら我慢です。私は三食ぐらい抜いても平気です」ちなみに、最大で九食、
三日間食べ物にありつけなかったことがある。

「ありえない……。うー、お腹減ったー。寒いー」
シルキーが子供のように駄々をこね始めた。が、目の端に何か動くものを見た私は、
すぐに彼女の口を押さえつけ、黙らせた。
「もがもがもが……」
「しっ、静かに! ……誰かが向かいの家に……」
果たして何が忍び込んだか、私はわからなかった。おそらく人の背丈と同等ではあるの
だろうが、薄暗いもやもやとした影にも見えたそれは、侵入者をはっきりと判別する
には不十分すぎた。
「……何か見えたの、キニスン?」シルキーが小声でささやく。
「どうでしょう、見えたという確証が持てません。何者かが忍び込んだのなら、
 もうすぐ何かが起きても不思議ではありません……」
しかし、待てども待てども、何かが起きる気配はなかった。
私たちは警戒を緩め、再び寒さに震えながら眠ることにした。


翌朝、私たちが目覚めたころには、既に通りには人だかりができていた。
「何があったのですか?」寝ぼけ眼を一瞬でかなぐり捨て、私はすぐ近くの女性に
話しかけた。
「また神隠し事件らしいわ……。あそこのお家の旦那さんよ。奥さんが夜中に水を飲み
 に行ったほんのわずかな隙に、消えちゃったらしいのよ。怖いわねぇ……」
女性が指差す先――黒山の人だかりの先には、私が昨夜謎の影を見た家だった。
「キニスン……これって……」
シルキーの問いかけるような目に答えることは、私には出来なかった。
ただ一つわかったことは、可能な限り早く、ジャグロック領領主の
トブホー=ジャグロックの元に行き、この謎について探りを入れることだった。


私たちはこの町を出て、さらに南下した。ジャグロック領は狭く、探索が容易なのが
幸いである。それでも、トブホー=ジャグロックの住まう『バグノアの町』までは、
二つか三つの町を越えなければならない。
私たちは、都合よくバグノアまで向かう馬車に乗せてもらうことができた。積荷は
薬品がほとんどで、爆薬や強酸なども少なくなかった。私たちは、それらの荷物が
こぼれないように見張る代わりに、バグノアまで半日で辿り着くことができた。

バグノアの町も、他の町と同じく暗い雰囲気に満ち溢れていた。人通りが他の町よりも
多いことは、不幸中の幸いとも言えよう。
私たち二人は、早速宿代を稼ぐために歌い、踊った。
暗い表情の人々に、徐々に笑顔が現れる。傀儡術をやってきていつも感じるのだが、
この瞬間がやはり一番嬉しい。シルキーも歌と竪琴の腕を褒められることを、そう
まんざらでもない表情で受け止めている。
が、宿代に関しては、大して集まることはなかった。多く見積もっても、滞在期間は
二日が限界といった金額だ。つまり、私たちは二日以内にバグノアの町での調査を
終えなければならないのだ。
「うーむ、これは厳しい……」私の口から、思わず本音が漏れてしまった。


その夜安い宿屋で粗末な夕食をとると、私たちは交代で見張りをして寝ることにした。
言わずもがな、神隠し対策である。もっとも、このような手段で謎の現象が防げる
などとは、あまり思えないのだが。
それでも、「何もしないよりはマシでしょ?」というシルキーの強い要望により、
この「宿屋で見張りを立てる」という奇妙な作戦は決行されたのだった。
コイントスで順番を決めた結果、シルキーが先に見張りをすることになった。
「それじゃ、四時間くらいしたら起こしてあげるわね。おやすみキニスン」
シルキーに見張りを任せて、私は先に眠ることにした。


ベッドの上に横になり、しばらく物思いに耽る。
思えば、私も随分とさすらったものだ。あの村が消滅してから、私は何度飢え死に
しかけただろうか。食べ物のために、盗みもやったことがある。初めてパンを盗んだ
時ほど、私は母に申し訳なく思ったことはない。涙に濡れて食べたパンの味は、
屈辱が口の中に広がってひどく味気なかった。その味気なさを、私は逃げる時にも
片時も離さなかったぬいぐるみで慰めた。

二度目に盗もうとした時、私は失敗した。パンを掴んだ瞬間、私の腕はピクリとも
動かなくなったのだ。ジタバタともがいていると、私は突然何かに抱きとめられて、
路地裏の物陰に引き込まれたのだ。

「そんなにしてまで腹が減っているのか、ボウズ」正面から若い男の声がかかる。
私はジタバタともがいたが、私を抱きとめている何者かがガッチリと押さえ込んで
いるため、ほとんど抵抗の意味はなかった。
「……少しは大人しくしろ、ボウズ。そうすれば、何か奢ってやらんこともない」
その一言で、私はじたばたをやめた。代わりに、男の顔をじっと見た。
「……ふうん、コソ泥みたいな真似をする割に、綺麗な目だな。私の読みもあながち
 間違いではないようだな。結構結構……」男は私の体に目を滑らせ、片手に
しっかりと握られたぬいぐるみに目を留めた。
「……ボウズ、何だそのゴミは」
そのときの怒りは、今でも覚えている。私は猛烈な勢いで拳を振り上げ、あらん限りの
力で暴れまわり、私を抑え込む何者かを振り払おうとした。が、所詮は空腹な子供の
力、全く歯が立たなかった。
しかし、私の怒りだけはこの男に伝わった。
「……そうか、そんなに大事なものだったのか。悪かったな、ボウズ」相変わらず
冷淡な物言いだったが、私はその男から初めて感情らしい感情を垣間見る事ができた。
「待ってな。今ミランダから解放してやる。解放しても、私から逃げようなどとは
 思わないことだ。お前など一瞬で捕まえることができるのだからな」男が人差し指を
くいくいと挑発するように動かすと、不意に私を縛り付けていた力が緩んだ。
そして、私の上を何かがブワッと飛び越えていき、男の隣に着地し、私に向き直った。
一瞬私には、それが人間の女性に見えた。カラフルで滑稽な服装をして、先端が二つに
分かれ、その先に丸いポンポンがついた帽子を被っている。一言で言えば、ピエロだ。
だが、彼女の上に浮いているものを見ると、すぐに彼女が人間でないことを知った。
「……お姉さん、魔物? でも、お姉さんみたいな種類、見たことがないよ」
この状況になって、ようやく私は言葉らしい言葉をしゃべった。
「……ほう、驚いたな。ミランダを見ても全く臆さないとは。ボウズ、お前魔物と
 近い距離で暮らしていたな? いや、別にそれが悪いことだとは言わん」
私が何も言わない間から、男はずかずかと言った。

このピエロのような女性の頭上には、操り人形を操作する際に繋がれる糸を巻きつける
板が、クロスした状態で浮いていたのだ。そこから可視しにくい細い糸がぶら下がって
いて、彼女の体の間接部分などに繋がっている。さらに、板の上には謎の白い手が
あり、クロスした板の交差部分をわしづかみにしていた。
操り人形。しかし、それにしては表情が豊か過ぎる。しっかりとした心がなければ、
このような表情は生まれない。ただの人形には不可能なことだ。
戸惑い悩む私に、男は淡々とした口調で言ったのだった。
「紹介しよう。彼女はミランダ。種族で言えばパペットドールだ。そして私の名は……」



四時間は何事もなく経過したらしく、私は深夜の二時ごろに起こされた。
「ふぁ〜……それじゃ、今度はキニスンがんばってね」
「お疲れ様です、シルキー。ゆっくり休んでください」
「ふぁーい、おやふみぃ……」言うが早いか、彼女はベッドに倒れこんでしまった。
私はぬいぐるみに糸をつなぎ、いつでも行動できるように身構える。

一時間が経過しても、特に異常は起きなかった。強いて言えば、私が傀儡術の稽古を
し始めたことだけが、最初の状況と変わっていた。
さらにもう一時間が経過する。やはり何の変化もない。私は相変わらず傀儡術の稽古を
続けている。
もう少しで三時間が経過するというとき、私は異様な気配を感じた。

殺気……いや、似てはいるがそれとは異なる、何か禍々しい気が部屋の外から発せられ
ている。私は神経を研ぎ澄まし、部屋の外の何者かの出方を伺う。
ピリピリとした時間が、のろのろと流れていく。私はひたすらに待つ。シルキーを
起こすという選択肢があるにはあったが、迂闊に隙を作ることができない。

と、不意に部屋の戸がバタンと開く。私は瞬時にぬいぐるみを部屋の入り口目掛けて
放ち、侵入者を糸でぐるぐる巻きにして捕縛……しようとした。
しかし、捕らえたと思った瞬間、侵入者はボロボロと崩れ去り、ぬいぐるみの糸から
逃れてしまう。
私がぬいぐるみを放った相手は、もやもやとした影のようなものだった。
「何だ、これは……!」
もやは再び人のような形をとり、私の前に立ちふさがる。
「くそっ、ならば……」私は再び、ぬいぐるみを影に目掛けて放つ。
やはり影はもやになり、崩れ散った。が、離散した影に絡めるようにして、私は糸を
操る。次の瞬間、私は普段とは違う魔力を傀儡糸に流し込んだ。
「光の舞踏(ライトニングダンス)!」
傀儡糸が金色に輝き、影に高圧電流を流し込む。実体のない侵入者は、明らかに
人間的ではない苦悶の声を上げた。だが、難から逃れた影が固まり、小さいながらも
またもや人の形をとった。そして、私に目掛けて手を伸ばす。手は放たれた投網
のように広がり、私を握りつぶすには十分な大きさになり、そして……。

「ハァッ!!」

ヒュン、という鋭い音と、パシャーッという激しく床を打つ音が響くのは同時だった。
次の瞬間には、私を多いつくさんとする影の手はボロボロと崩れ落ち、霧散していた。
「くっ、逃したか……」私の目の前に、女性が現れた。

黒装束に身を包むその姿は、東洋に伝わる「忍(シノビ)」の出立ちに近い。
目や顔の輪郭などは鋭く、髪はギザギザと乱雑に振り乱している。
そして何よりも特徴的なのは、彼女の腰から飛び出した尻尾……そう、彼女は魔物だ。
「サソリの尻尾……ギルタブリル、ですか」私は確認するように、彼女に声をかけた。
なるほど、あの男性の言うこともあながち間違ってはいない。ギルタブリルの尻尾は、
先端に毒針を持つ強力な武器だ。毒の有無に関わらず、この尻尾による一撃は危険だ。
おそらく先ほどの一撃も、この尻尾によるものだったのだろう。
ギルタブリルは一瞬虚を突かれた様な顔をしたが、すぐに私に向き直り、冷静に口を
開いた。
「左様。我が名はラティーファ、ギルタブリル族の魔物だ。その方、名は何と?」
彼女の古風な物言いに少し面食らいながらも、私は名を名乗った。
「私はキニスン=ブライトンです。ラティーファさん、先ほどのあれは……一体何
 だったのでしょうか? ジャグロック領で発生しているという神隠し事件に、
 何か関係があるのではないですか?」私の頭の中には、徐々にバラバラの情報が
集まり、答えへと続く道を作り始めていた。

ラティーファは私を品定めするような目で見て、僅かに思案した。
そして、私の心臓がつぶれるようなことを言い始めた。
「そうか、そなたが『遊糸のキニスン』か……。情報で思ったよりも若いな。
 そなたのことは、我らが既に調べておる。北方の狂戦士軍を殲滅するのに一役
 買ったそうだな。さらに、『エルフの聖域』に出没した狂戦士たちとも戦い、
 無事に樹海を通り抜けてきた、と。そして、先ほどの傀儡術……なるほどなるほど」
私の体中の汗腺から、どっと汗が流れていくのを感じた。
「何故――そのことを……?」私はそう言うのが精一杯だった。
「あぁ、それほど怯えることもない。我はおそらく、そなたの味方となれるだろう。
 ……いや、むしろ『我々の組織は』と言うべきか。我はとある組織の隠密部の
 メンバーに過ぎぬ」
「……おっしゃっている事の意味がわかりません。組織? 隠密部? 神隠しに
 狂戦士……ラティーファさん、あなたは何者ですか? 何を知っているんですか?
 答えてください!」
私は声を荒げた。ラティーファを問い詰めようとして、私は足早に彼女に歩み寄る。
その拍子に椅子がたおれ、その音でシルキーが目を覚ました。
「何々、敵?」
「……アラクネの糸は厄介だ。済まぬな、我はここで失敬させていただく」
一瞬でラティーファは私の視界から消え、静寂が降りる。
不安そうな表情で私の顔を見る眼だけが、部屋の中で輝いていた。


「何なのよ、ホントに……謎だらけじゃない」シルキーは自分の頭の中で、必死に話を
整理しようとしていた。
「つまり、キニスンに襲い掛かってきた影っぽいやつが、神隠しの直接的な犯人
 と見てもいいわけよね。で、ラティーファさんはそれを阻止しようとしていて、
 事実キニスンは彼女に助けられた。ラティーファさんは何かの組織で忍者みたいな
 仕事をしていて、キニスンやアタシたちの情報は、ほとんどなんでも知ってる。
 ……今思ったんだけど、アタシたちのやってきたことって、結構有名になっていても
 おかしくないんじゃないかしら?」
「それはないでしょう。草原の民はそれほど積極的に外部と関わろうとしませんし、
 エルフはひどく閉鎖的です。討伐派としても、この手の情報は広まってほしくない
 類のものでしょう。ですから、私たちのことを知っている人物は少ないはず……」
「そう……。じゃ、また話に戻るわね。
 ラティーファさんは、もしかしたら組織が私たちの味方になるかもしれない、と
 言ったのよね? つまり、彼女たちの組織も、ジャグロック領での神隠しや狂戦士
 のことをよく知っていて、いろいろ活動しているのよね?」
「そう考えて間違いはないでしょう」私は賛同した。
「うーん……でも何だか腑に落ちないわねぇ……。何でアタシが目を覚ましたら、
 ラティーファさんは逃げちゃったのかしら」
「去り際に彼女は、『アラクネの糸は厄介』と言っていました。
 おそらく糸で捕縛されるか、糸をつけられて追尾されると考えたのでしょう。
 どちらも隠密にとっては致命的なミスですし」
「うーん、そんなものかしら……」
シルキーは髪をかき上げ、ふぅっと溜め息をついた。
このごろシルキーがどんどんと賢くなっていくのを感じる。


宿を出た私たちは、真っ直ぐにジャグロック領領主の屋敷へと向かった。
領主の屋敷とはいえ、ジャグロック領のそれは領地に見合っただけの小規模なもので、
他の大規模領主の屋敷とはどうしても見劣りする。
だがその門を預かる門番は、一筋縄では行かぬ豪傑が守っている。ジャグロック領自慢
の屈強な兵士は、怪しい人間は絶対に通すまいと目を光らせている。
「で、どうやって入るの? 門番とやりあうわけじゃないでしょうね?」
「まさか。でも、方法としては一応『正面突破』でしょうかね。まぁ見ててください」
私たちは、門番と対峙した。私が門番に話しかける。
「ジャグロック領領主、トブホー=ジャグロック様にお招きに預かりました、
 シィン=コクトーでございます。このたび、私めの芸をお見せするため、
 遠路はるばる馳せ参じました」……と、私は形式ばった挨拶を門番にした。
シィン=コクトーというのは、私が使ってきた数多くの偽名の内のひとつだ。
勿論、こんな挨拶自体には大した意味はない。
「シィン=コクトー? 知らんな。現在トブホー様はご病気で、面会謝絶となっている
 はずだ。下がれ、旅芸人風情が」と、予想通りの対応が返ってくる。
……いや、待て。病気? 面会謝絶? どういうことだろうか。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。私は顔色一つ変えずに、
ぬいぐるみを取り出して指に糸をつけた。
「しかし、実際に私めはトブホー様にお呼ばれになったのですから。ご病床で退屈に
 なり、私めの芸を見たくなったのでしょう。どれ、あなた様にも一つ、私めの芸を
 お見せしましょう」
門番の冷ややかな目をよそに、私はぬいぐるみを踊らせた。くるりくるりと
ぬいぐるみが宙返りをし……突然、強烈な光を門番目掛けて発射した。
次の瞬間、門番は優しげな表情になった。
「おお、これは素晴しい。このような卓越された芸ならば、病床のトブホー様も
 きっとお喜びになるだろう。さぁ、通るがよろしい」
こうして、私たちはまんまと正面突破を果たしたのだった。

「うまくいったわね。でも、何をどうしたの?」シルキーが私に尋ねた。
「何、簡単なことですよ。彼には『友好の呪文』をかけただけです。
 本物の魔術師と比べるとその威力は微々たるものですが、傀儡術師としては十分な
 効き目です。人から好かれてはじめて成立する職業ですからね」
ちなみに、魔術師がこの手の魔法を行った場合、友情を通り越して洗脳になってしまう。
もっとも、術者が友情の偉大さに打ち負け、己の罪を白状したり術を解いたりする
ことが多いのも事実だ。ある意味では、非常に平和な魔法ともいえる。
……この延長線上にあるのが、「失われた魔術(ロストマジック)」の「狂戦士化」
なのだが。

屋敷内は特に変わったことはない。庭では庭木職人が枝の剪定をし、
玄関ではメイドが忙しそうに掃除をしていた。
ある程度屋敷内を散策してが、特に変わったことはないように思えた。
が、とある回廊を曲がろうとしたところ、私たちは一人のメイドに引き止められた。
「これより先は、トブホー様のご命令で立ち入りを禁止しております。
 どうかお引取りをお願いいたします」
不審に思った私は、彼女にこの先に何があるのか、トブホー=ジャグロックは
どこにいるのかを尋ねた。
「この先は、トブホー様のお部屋やお客様のお部屋がございます。ただ今
 このお屋敷には、中央領より大切なお客様がお見えになっているため、
 お通しすることができません。そして、トブホー様はこの先にお見えになります。
 トブホー様は現在面会謝絶となっております。どうかお引取り願います」
「だとしても、ここを通してもらわないといけませんね。私たちは、トブホー=
 ジャグロック様に用があってきたのですから」
また「友好の呪文」でもかけようか、と思ってぬいぐるみの準備をした、その時。

「……シンニュウシャ、ハイ・ジョ」
突如として響く無機質な声。そして、驚く暇もなく鋭い痛みが私の両腕に走る。
目の前にいたのは、鋼鉄の爪を腕にはめた、狂戦士化したメイドだった。
「キニスン、どうやら……」シルキーが「擬人のお守り」を外し、臨戦態勢をとる。
「えぇ、やるしかなさそうです」私は腕に応急処置を施し、メイドの足元にぬいぐるみ
を滑り込ませた。そして、糸を絡めて転倒させると、シルキーが糸を吐き、メイドを
床に縛り付ける。
「ガアアアァァッ!!」メイドは暴れまわったが、シルキーの糸はしっかりと
彼女を捕らえ、動きを止めている。
「可哀相ですが……これも仕方がありません。せめて苦しまれることのないよう」
私は傀儡糸を彼女の首に絡め、ぐいっと強く引いた。


そこから先は、まさに修羅の道だった。
優しげだった屋敷の人々が、次々と私たちに襲い掛かる。メイド、執事、料理人、
雑用、兵士。大臣と思われる文人も襲ってきた。もはや職業や身分などは関係がない。
しかし、これほどまでして守りたい秘密とは、一体何なのか?
トブホー=ジャグロックは何を企んでいるのか?

血に染まった回廊を抜け、私たちはとある部屋まで辿り着いた。
主人の間、つまりトブホー=ジャグロックの部屋である。
全ての真相はこの部屋で明らかになる、はずだ。
「準備はいいですか、シルキー」
「いつでもオッケーよ」
「では、三つ数えたら行きましょう……1……2……3!」
私たちはドアを蹴破り、遂にジャグロック領領主トブホー=ジャグロックに……。

「!?」



まず、説明せねばなるまい。
部屋は長期間放置されていたのか、埃が所々に固まっている。
机が少々散らかっていること以外は、どこも整理されている。
そして、その机に備え付けられた椅子には、トブホー=ジャグロックと思しき人物が
座っていた。

遺体となって。


「こ、これってどういうこと、キニスン……!」
シルキーは目の前の光景が信じられないといったように、トブホー=ジャグロック
と思しき遺体を見た。遺体の胸にはナイフが突き刺さっており、刺殺と見て間違いない。
遺体は干からびており、傷口の血糊も黒く変色している。死後からかなり時間が経過
しているようだ。
「……わかりません」私はそう言うしかなかった。
「簡単なことだ。トブホー=ジャグロックは何者かに殺された。そして、それを
 偽装するために、周囲のものには病気であると教え込んだのだ。さらにそれを
 嗅ぎ付けられないように、周囲を狂戦士たちで固めて、徹底的に守護した。
 それが答えだ」
突然の声に、私たちは身構えた。次の瞬間、天井から何者かが降りてきた。
「あなたは……ラティーファさん?」

ラティーファは机の上に腰を下ろし、怪しげに微笑んだ。
魔性の女が誘っているようにも見える。
「そなたの頭ならもうわかるだろう、キニスン=ブライトン。神隠し事件の真相は、
 狂戦士となる人間を集めるための裏工作だ。領主トブホー=ジャグロックがこれに
 抵抗を示したため、殺害された。彼の死を知られることが不都合なため――勿論
 彼は責任回避に使われるだけだ――その死を偽装し、次々と人間を狂戦士にして
 いった。実に明解ではないか?」
同じことを考えていた。いや、もっと前から、その可能性は考えていた。
「……何故ここにラティーファさんがいるのですか」私はそう尋ねた。
「その件だが……シルバーシルクよ、決して糸を吐かないと先に誓ってもらおう。
 そしてキニスン=ブライトン、そなたも傀儡糸で我を捕縛しないと誓え。さすれば、
 我がここに来た理由を話す」私たちは顔を見合わせた。そして、互いに頷く。
「よろしい。ならば説明いたす。我がここに派遣された理由は、中央司祭及びその
 従僕、もしくは魔力生命体の抹殺及び排除だ」

シルキーがぽかんとした表情を浮かべるのも無理がない。話が飛躍しすぎである。
「あの、言ってる意味がわかんないんだけど……」
シルキーの代わりに、私が話を咀嚼する。
「要するに、この神隠しから狂戦士化の一連の事件には、中央の神聖主義国家――
 言い換えれば、極端な魔物討伐派諸国が関わっているということです。
 そして、ジャグロック領に中央の人間、もしくは何らかの魔法で魔法生命体
 を操り、人間を集め、狂戦士化している。彼女はそれを阻止するため、この
 ジャグロック領に派遣された。それで違いないですね、ラティーファさん?」
ラティーファは満足そうに頷いた。
「左様。そして、犯人と思われる国も断定している。おそらく――」
しかし、話は途切れる。ラティーファが戦闘体勢をとり、部屋の出入り口をきっと睨む。
私も即座に指に糸をつける。シルキーは、私たちの突然の反応に驚いていたが、すぐに
戦いの準備を整えた。

やがて、感じられる殺意に似た強力な感情はますます強力になり、部屋全体を威圧
するかのような揺れが襲い掛かる。
「来る!」


部屋のドアから、影がどっと押し寄せる。無感情なその体に、表現の使用のない負の
感情を詰め込み、音もなく忍び寄る。
「外道め、消え失せろ!」ラティーファが尻尾を激しく振るい、影に撃ちつける。
影が四散するよりも早く、ムチのような尻尾が快音を轟かせる。影はくぐもった異形の
叫び声を上げ、崩れる。
「やったの?」
「そんなわけありません! シルキー、油断禁物です!」私は崩れた影に追撃を
しようと、ぬいぐるみの糸を広範囲に広げた。
「光の舞踏劇場(ライトニングダンスホール)!」糸に電流が走り、周囲が眩く輝く。
散らばった影にも電流の糸が絡まり、ぶじゅうと何かが焼ける音が無数に響く。

難を逃れた影が再び集合し、形を成していく。再び人の形となったが、先ほどよりも
明らかに小さい。
「コイツは無敵ってわけじゃないのね。アタシの糸は効くかしら?」
シルキーが糸を吐き、それが途中で網の目状にぶわっと開く。一瞬にして影は捕らえ
られ、網の目からも逃げられずにもがいている。
「無駄よ。さっきの糸は、魔法を吸い取る特殊な唾液で作った糸なの。どうやらアンタ、
 魔法生命体みたいね」
「……みたいね、じゃなくてそうなんですよ」
わかってて言ってるくせに、とは言えなかった。
「とんだ邪魔が入ったな。今始末する」ラティーファがくるくると回り、徐々に回転
スピードを上げていく。
「消え失せよ! ドゥーブルパッセ!!」ラティーファが猛烈な勢いで回転蹴り、
尻尾鞭打ち、そして尻尾の毒針注入の三連続コンビネーション攻撃を影に叩き込む。
くぐもった悲鳴が轟き、わなわなと周囲の空気が歪む。が、やがてそれも静まり、
ブジュブジュという何かが燃え尽きた時のような音が小さく響くだけとなった。
「……さて、話の続きといこうか」
何事もなかったかのように、ラティーファが口を開いた。



「我らの組織が突き止めたのは、中央国家のひとつである『ラティウム領』だ」

――ラティウム領。
中央地域の多くは、一つの領地に複数名の統治者がいるのが普通だ。
ラティウム領もその例に漏れず、数名からなる「頭領会」なる組織が領地内の政治を
取り仕切っている。
また、ラティウム領は宗教勢力が大変強く、大規模な魔物討伐教団の本拠地も存在する。
聖職者が闊歩し、巨大な大聖堂や聖なる建築物・石像が多数存在する大都市を
イメージしていただければ幸いだ。


ラティーファの話は続く。
「そこから派遣されたと思われる魔法使いが、しばらく前にジャグロック領に派遣
 された。以来、トブホー=ジャグロックは姿を消し、領地では神隠し事件が相次いだ。
 既にその魔法使いは我らの組織が数名がかりで殺した。だが、今度は先ほどのような
 魔法生命体を送り込み、人々を攫っていったらしい。術者がラティウム領にいる
 のでは、我々では手が出せぬ。せいぜい被害を最小限に止めるため、魔法生命体が
 人々を攫うのを食い止めるのが関の山だ……そこでだ」
ラティーファがずいっと前に出た……かと思うと、突然その場に正座して、ぺたりと
頭を床につけたではないか。
「どうかお頼み申したい。我らの代わりに中央領ラティウムに向かい、今回の狂戦士
 事件を終息へと導いていただきたい。我がこうしてそなたの元へ馳せ参じたのも、
 単にこの願いをそなたに託すため……。押し付けがましいことは理解している。だが、
 我々では……我々では、不可能なのだ……!」

私はすぐにでも「はい」と言いたかった。だが、その前にはっきりとさせておきたい
ことが一つあった。
「一つ、お聞きしてもよろしいですか。先ほどからラティーファさんがおっしゃって
 いる『組織』とは……一体何なのですか? 隠密として、話せる範囲でお話願います」
意外にも、ラティーファは快諾した。
「おお、これは……我としたことが。我が所属している『組織』というのは……
 『偽悪兵団』だ。風の噂には聞いたことがあるであろう」

――偽悪兵団。
風の噂、なんてものじゃない。その勢力は「反 魔物討伐派集団」としては最大級で、
時折討伐派とも戦争を引き起こしている。さらには、領有権を奪い取ったこともある。
彼らの活動は、「討伐派の悪行を戒める」という単純かつ明解なものだ。
「その為なら、討伐派連中にどれだけ『悪だ』『化け物だ』と言われても構わない。
 討伐派の人間は、魔物から見れば同じく『悪』で『化け物』なのだから」
その言葉の元に、偽悪兵団は結成されたという。

その偽悪兵団の隠密諜報員が、今目の前にいる。


「偽悪兵団、ですか……驚きました」
「あ、それ聞いたことがあるわ! すっごい強いんでしょ? 中央へ攻めちゃえば?」
「いや、さすがに我らも中央へ攻め込むには兵力が足りぬ……それに、ここ最近は
 別地域での狂戦士との戦闘で、日々兵力が減少している。貴重な戦力を、これ以上
 分散させるわけにはいかないのだ。不甲斐ない我らを許してくれ、キニスン殿」
ラティーファが再び頭を床につけた。

「……顔を上げてください、ラティーファさん」私がそう言うと、少し涙目になった
ラティーファが顔を上げた。
「では、我々に協力してくださるのですね……?」
「そう言うわけではないのですが……。というのも、私はそれほど偽悪兵団が好きでは
 ないのです。結局は戦争をして、武力でものを解決している集団ですから。私には、
 そんな戦争の片棒を担ぐような気はさらさらありません。私は人形遣い、人々の笑顔
 のために働く仕事です。だから、本質的には偽悪兵団の手助けなどはできない……」
「ちょっとキニスン、ここまできておいて、何を言って……!」シルキーが叫ぶのを、
私は小さく咳払いをして静める。そして、言葉をさらに続ける。
「だから、私は自分の意思で、勝手にラティウム地域まで行きます。あなたたちに協力
 するわけではありませんから、過剰な期待や余計な支援などは一切なさらないように」
私はにこりと笑い、ラティーファを立たせた。そして、シルキーを振り返る。
「さぁ、行きましょうか」



ラティーファの見送りを受け、私たちはひっそりと屋敷を抜け出し、翌日には
ジャグロック領の西端を出た。
「ねぇ、キニスン」シルキーが尋ねてきた。
「もしラティウムで狂戦士化の原因を突き止めて、それを解決させちゃったらさ……
 やっぱりまた、行方不明の村人探し?」
「そのつもりですけど……それが何か?」
「……ふふっ。ううん、何でもないの。ちょっと確認しただけよ」
「……?」
いぶかしむ私を尻目に、シルキーは楽しそうに私の手を引いて走るのだった。

まぁ、考えるのは今はやめにしておこう。だって、あれこれ考えるよりも、今この
瞬間を楽しむ方が、よっぽど幸せだろうから。

ラティウムを目指す二人の足取りは、軽い。




「全く、この私をあまり梃子摺らせるな、魔物風情が」
「い、嫌……やめて……」
「この期に及んで命乞いだと? やめろ、見苦しい。大人しく裁きを受け入れ、
 浄化されるがいい」
「や、やめて……誰か、助けて……!」
「ほう、助けを請うというのか。……いいだろう、魔物。お前を助けてやろう」
「……ほ、本当に……? あぁ、ありが……」
「汚れし魔物に浄化の裁きにて救済を……! イグニートジャベリン!!」

ゴオォッ……シャンシャンシャン、ブスッブスッブスッ。

「あぁっ……そ……ん……な……」
ドサッ。
「神よ、この汚れし魂を浄化し、救済したまえ……今その御身にかの者の御霊を
 捧げましたぞ……おい、お前たち。何をぼさっとしているのだ。さっさとこのゴミを
 処分しろ。聖域が穢れるではないか」




影物語 fin

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