ナイトメア被害報告書
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「う、うぅ……、う、う〜ん……」
 蒼い闇が辺りを包む夏の夜。昼間の熱気はいまだに辺りに留まり、ただ寝ているだけで
も肌着にじっとりと汗がにじむ。
 当然安眠など望むべくも無く、僕、テアトも薄いシーツをかけベッドに寝転んだままう
なされ続けていた。貴族や魔術師の中には、夏には魔法で部屋を冷やす者もいるとかいう
が、確かにそうでもしなければこの暑さは耐えられそうに無い。
「いいなあ、貴族は……。うぅ、あ、あつい……」
 特権階級をうらやみつつ、僕はただベッドの上で目をつむっていた。こうしていればそ
のうち眠りにつけるだろうと思っていたのだが、予想は完全に甘く、いまだに眠気の欠片
すらも感じることは出来なかった。
 横になってから、どれほど時間が過ぎた頃だろうか。暗闇と不快な熱気が満ちていた部
屋の空気が、不意に変わったように思えた。
(……?)
 上手く言えないが、先ほどまでとは明らかに部屋の空気が違う。僕は目を閉じたまま、
緊張に身体をこわばらせる。
 しばし、暗闇の中で部屋の様子を窺っていた僕の耳に、聞きなれない足音が届く。靴音
でもなく、裸足の足音でもない。耳を澄ませて音を聞いていた僕は、それが馬のひづめが
床に当たり、立てるものだと気付いた。
(こんな夜更けに、馬の足音? しかも家の中で? 一体何が?)
 部屋があまりに暑く、ずっとうなされていたせいで、幻聴が聞こえてきたのだろうか。
疑問を浮かべて考え込むうちに、部屋の違和感がいっそう強まる。明らかに自分以外の別
の存在が放つ気配がベッドの側に現れ、僕は一瞬、暑さを忘れた。
(なんだ、まさか、泥棒?)
 こんな夜中に、人の家に忍び込むようなものはそれぐらいしか考えられない。背中には
今までとは違う、冷たい汗が流れる。
(もし本当に泥棒なら、起きるべきか……。いや、僕が起きたら襲い掛かってくるかもし
れない。なら、寝たふりをしていた方がいいのか?)
 行動を決めかね、結局狸寝入りを続ける僕の側で空気が揺らめく。直後、僕の耳に今ま
で聞いたことの無い、女の子の声が届いた。
「……ええっと……ぐっすり、寝てますね? よ、よぉ〜し、今日こそ、ちゃんとやりま
すよぉ〜!」
 可愛らしい声が、妙な気合を入れる。思わずはね起きそうになるのを堪え、なんだなん
だと内心戸惑いつつも、僕は目を開けることなくただじっと寝台に身体を横たえていた。
 謎の声は、よおし、いきますよぉなどと何度か呟いていたが、全く行動を起こす気配が
無い。最初こそ得体の知れない存在に恐怖していた僕だが、泥棒にしては可愛らしすぎる
声と、どこか抜けている気配にそのうちすっかり気も緩んでしまった。そのせいで、再び
部屋の暑さが僕を悩ませる。正直、じっとしている方が苦痛なくらいだ。
「よし、い、行きます!」
 僕がいい加減に寝たふりもやめようかと考え始めたころになって、声の主はようやく行
動にうつる決心を固めたらしい。小さく息を吸い込む音の直後、ベッドが軋み、寝転んで
いた僕の上に何かが乗っかった。
「ええっと、この後は……」
 何者かが、ごそごそと身じろぐ。シーツがのけられ、振動と共にやわらかな感触が肌に
伝わる。
 身体の上に乗っかられているというのに、声の主には不思議と重さが殆ど感じられず、
僕はこれが現実なのか、それとも夢の中のことなのか判断が出来なくなりそうになる。
「こう、だよね」
 ちょっと戸惑ったような声と共に、小さな手が僕の額に触れる。声から感じられるとお
りの、小さく可愛らしい女の子の手だった。細い指が僕の前髪をかき分け、そっと額を撫
でる。それだけで僕の鼓動は高まった。
 得体の知れない何かが家に入ってきて、今まさに側にいるというのに、我ながらなんと
も暢気すぎるとは思ったが……それほど危機感は感じなかった。僕と同じくらいか、もし
くはやや幼く感じられる女の子の声といい、どこかおどおどとした態度といい、緊張を保
つ方が難しい。
 そもそも、もし相手に僕を害する気があるならとっくにやっているわけで、ここまで無
防備な状態の僕に何もしてこないということは、命をどうこうするつもりは無いのだろう。
 そう考えると、むしろこの奇妙な侵入者がこれから何をするのか興味が湧いてきた。耳
に届くのは年頃の可愛らしい女の子の声であることといい、寝ている男の上に跨ったこと
といい、もしかしてもしかするのか、となんだかいけない期待すら抱いてしまう。
 冷静になって考えれば、何の前触れも無くいきなり夜這いに来るような女の子がいるは
ずなど無いのだが、そこはそれ。自室に女の子がいるというだけで自分に都合よく考えて
しまう、男の悲しいサガであった。
 とりあえずは寝たふりをしていた方がいいのだろうと思った僕は、目をつぶりながらも
感覚を研ぎ澄ませる。
 だが、次に聞こえてきたのは先ほど以上に戸惑った少女の声だった。
「あ、あれ? 変だよぉ。なんで? なんで夢に入れないの?」
 おろおろと首を振っているような気配が、空気の動きから何となく分かる。さらにその
声には今にも泣き出しそうな響きすら感じられた。いや、実際にぽたり、ぽたりと水滴が
落ち、僕の寝巻きに染みを作っているようだ。
 あまりにも可哀想な気配に思わず少女を慰めてやりたくなった僕は、それまでしていた
寝たふりをやめ、そっと目を開く。じっと目をつぶっていたことと月の光が窓から差し込
むおかげで、暗闇の中でも僕は彼女の姿を見ることができた。
 闇に満ちる部屋の中、月明かりに照らされるようにして浮かび上がるその姿を上から下
まで何度も見、確かめると僕は口を開き、脳裏に浮かんだ言葉を発した。
「……馬?」
「ひぅ!?」
 短い音が、目の前、ベッドの上で僕に跨る女の子の口からもれる。いや、「女の子」と
言っていいのだろうか。それほど僕が目にした姿は異様なものだった。
 まず僕の目に映ったのは、自分の身体の上に跨る馬の下半身だった。闇に溶けるような
深い紫色の身体は月光に輝き、艶やかな印象を見るものに与えている。農耕用の馬のよう
な、しっかりとした足は折りたたまれ、その先には確かに蹄があった。首をずらして馬の
身体の背後を見れば、長い尻尾が伸び、ベッドの上に横たわっている。
 視線を上にずらしていくと、馬の首があるはずの場所には室内の闇よりも深い黒のロー
ブをゆったりと纏った少女の身体があった。薄青の髪の少女は頭をすっぽりとフードで覆
い、驚きに口を小さく開けている。頭に被ったフードや、大きな胸を包むローブには金色
の細い鎖や紐で見たこと無い奇妙な装飾がなされていた。
 前髪は長く、怯えに揺れる蒼い瞳にまでかかっている。人で言えば耳が存在する部分か
らは、馬の下半身と同じ色の毛で覆われた、獣の耳が髪から飛び出ていた。
 僕がじろじろとその姿を見つめいている間、当の不思議な少女は身動き一つせず、石の
ように固まっていた。
「あ、あの」
「は、はははい!」
 そのあまりの固まりように不安になった僕が声をかけた瞬間、我に返った彼女は弾かれ
たように立ち上がる。思わず身をすくめた僕の前で、ベッドの上に勢いよく立ち上がった
彼女は天井に頭をぶつけた。
「きゃん! ……あうぅ、痛いです……」
 少女は涙を浮かべ、フードの上から頭に手を当てる。次の瞬間、一部始終を僕がじっと
見ていたことに気付くと、顔を真っ赤にして僕の上から飛び退き、部屋の隅にうずくまっ
てぷるぷると震え始めた。時々そっとこちらの姿を窺うように視線を向けるものの、すぐ
に目をつぶってしまう。
 頭を抱え縮こまるその姿は馬というよりも、小動物のように思えた。あまりの怯えっぷ
りに、何だか僕の方に罪悪感さえ湧いてきてしまう。
 だがいつまでもこうして眺めているわけにも行かない。僕は彼女を怖がらせないよう、
できる限り優しく声をかけた。
「あ、あの、ちょっといいかな……?」
「ひゃ、ひゃぅぅっ!?」
 その瞬間、少女の身体が一際大きく跳ねる。僕は伸ばしかけた手を反射的に引っ込め、
息を止めて彼女の反応を待った。しかし、いつまで立ってもうつむいたままの彼女に動き
はない。
「ええっと、君?」
 ぴくりとも動かない少女に不審を感じた僕は、再びそろそろと手を伸ばす。僕の手が彼
女の肩に触れ、その身体を優しく揺さぶろうと思った瞬間、少女の姿をした上半身がぐら
りと傾く。あ、という声を出すより早く、鈍い音を立てて少女の身体は床に倒れこんだ。
「だ、大丈夫!?」
 慌てて顔を覗き込む。少女は羞恥に染まった表情のまま、どうやら完全に気を失ってい
るようだった。
「はぁ。どうしたもんかな……」
 僕は状況の異様さも忘れ、目の前に横たわる奇妙な姿の少女を呆れながら眺める。それ
にしても声をかけられただけで気絶とは、どれほど臆病なんだろうか。
「参ったな……」
 僕に出来ることといえば、ただ溜息をつくことぐらいだった。

「た、大変ご迷惑をおかけしました……」
「いや、まあ。別にいいけどさ」
 あれから小一時間後。ベッドに腰掛ける僕の前で、ようやく目を覚ました少女は、今は
膝を折って床に座っている。馬の下半身を持つ彼女は人とは違う体つきのため、椅子に腰
掛けることができないからであった。
 目覚めた後もしばしパニック状態だった少女にあれこれと声をかけ、僕は何とか落ち着
かせることに成功した。ようやく話が出来る状態になると、いろいろと気になっていたこ
とを聞こうと口を開いた。
「ええと、それじゃ色々聞かせてもらえるかな」
「は、はい……」
 彼女はまだ幾分怯えていたようだったが、僕に害意が無いことを察し、「メア」と自ら
の名を名乗った。たったそれだけを言うために彼女は顔を真っ赤にし、何度も深呼吸を繰
り返したことといい、さっきの気絶といい、どうやら目の前の少女はえらく内気で臆病ら
しい。
 人馬の身体こそ人とは違っているものの、恥ずかしさで真っ赤になっている目の前の少
女の普通の人間となんら変わらない。歳はまだ20に届かないように見えた。おそらく、
19の僕ともそれほど差は無いのだろう。
 まあそれはともかくとして、僕は先ほどから抱いていた疑問を馬の下半身を持つ少女に
ぶつける。
「で、メア? 君は、一体何なんだ? どうして僕の家に、それも夜に忍び込むような真
似を?」
 彼女は一瞬、身体をびくんとさせた。そういえばさっきは寝ている僕の上に、彼女が跨
っていたのだった。冷静になって考えれば、すごい光景だった気がする。無意識のうちに、
僕の頬も熱くなった。
「え、えっと、ですね。わ、わたしはその、『ナイトメア』という魔物なんです」
「ナイトメア? 魔物?」
「え、ええ。わ、私たちの種族は、その、夢の中に入って、い、いろいろすることが出来
るんです」
「はぁ」
 僕は目の前の女の子を見つめる。なるほど、可愛らしい少女の上半身と、濃い紫の体毛
を持つ馬の下半身。人間以外の存在だといわれれば、納得できそうな気もする。だがそれ
では、わざわざ夜中に人の家に忍び込む意味が分からない。
 表情から僕の疑問に気付いたのか、メアはさらに顔を真っ赤に染めると、消え入りそう
な声で話す。
「それで、その……あの。お、お腹が空いてしまって。たまたまこの近くを歩いていまし
たら、あ、あなたの気配がしたものですから。い、いけないことかとは、その、思ったん
ですけど……」
 うつむき、ぼそぼそと呟く。なるほど、空腹が我慢できず、たまたま人の家があったか
ら思わず忍び込んでしまったわけか。
 返事の変わりに、メアのお腹が可愛らしく鳴る。彼女は恥ずかしさで涙を浮かべ、お腹
を押さえた。
「それなら言ってくれればよかったのに」
 呆れつつ、僕はメアに言う。一人暮らしとはいえ、食料はそれなりに溜めてある。パン
や干し肉くらいなら、分けてあげることに問題はない。
 だが、彼女の反応は僕の予想以上だった。
「ほ、ほんとですかっ!?」
 僕の言葉に突然メアが叫ぶ。先ほどまでのおとなしそうな印象からは想像できない彼女
の勢いに思わず僕が身を引くのを逃さず、メアは身を乗り出すと僕の手をぎゅっと握る。
目の前にメアの顔が迫り、女の子らしい柔らかな肌の感触が伝わって、僕は思わず息を呑
んだ。
 そんなにお腹が空いていたのだろうか。なら、早いところ何か食べるものを持ってきて
あげよう。
 そう考え、腰を浮かせようとした僕の身体をメアは押し留める。
「え、ええっと。メア? その、食べ物を持ってくるから、ちょっとどいて欲しいんだけ
ど」
 しかしメアは僕の言葉を聞いていないようだった。顔を真っ赤にしたまま、僕をじっと
覗き込む。
「じゃ、じゃあ……お、お言葉に甘えさせていただきます……。ね、眠って、ください」
「はい? あの、メア? いったい、何言って」
 彼女はお腹が減ってるんじゃなかったのか? 僕に眠ってくれってどういうことだ? 
いやそもそもいきなり眠れといわれても、状況が状況だけにそう簡単には眠れそうに無い
んだけど。
「あ、い、いきなりじゃあ眠れないですよね」
 戸惑いながら聞き返す僕の姿を見つめ、メアは何か納得したらしく、立ち上がり身体を
離す。なんだなんだと見つめる僕の目の前で彼女が腕を振ると、その手の中に大きな鎌が
現れた。
「ちょっと、何で鎌っ!?」
 僕の口から悲鳴が漏れる。彼女の手にあるのは人をも真っ二つに出来そうな大きな鎌だ
った。農耕作業用のものを一回りも大きくしたような、その刃には奇妙な装飾がなされて
いる。本で見た、死神が持つ武器のようにも見えた。
「お、驚かせてごめんなさいっ! だ、大丈夫です! その、これは魔法を使うための杖
みたいな物で、あなたに危害は加えませんからっ!」
 メアはぺこぺこと頭を下げながら、くるくると鎌を器用に回転させる。同時に彼女の口
から詠唱された呪文が僕の耳に届いた。
「いや、いきなりな、に、を……」
 彼女の呪文を聞いているうちに、僕の意識がぼやけてきた。不意に猛烈な眠気が襲い掛
かり、まるで深い沼に沈んでいくように意識が薄れていく。抗うことも出来ず、力の抜け
た僕の身体はベッドの上に倒れこんだ。僕は知らなかったが、メアが唱えていたのは相手
を眠りに誘う呪文、「スリープ」だったのだ。
「ご、ごめんなさい」
 意識が完全に闇に落ちる前、彼女のそんな声を聞いた気がした。

――――――――――――――

 気がつくと、僕は見たことの無い部屋の中にいた。天蓋の付いた豪奢なベッドが、絨毯
の上に乗っている。部屋の四隅に置かれた燭台が、ぼんやりと室内を照らしている。香が
焚かれているのか、空気は不思議な香りがした。
「ようこそ。さ、こちらにいらっしゃいな」
 突然声をかけられ、僕は驚く。声のした方に目を向ければ、ベッドの中、黒いネグリジ
ェを纏った蒼い髪の女性が寝転んでいた。美しくもどこか妖しげな笑みを浮かべ、彼女は
僕を見つめている。その瞳に吸い寄せられるように、僕はふらふらと彼女に近づいていっ
た。ベッドの上に乗ると、まるで雲の様な純白のシーツが僕たちを包んだ。絹の滑らかな
肌触りが心地よい。
「いい子ね。ふふ……」
 ベッドに横たわった僕の頬を、彼女の手がそっと撫でる。彼女の指は細く、肌はシルク
よりも艶やかだった。僕の肌の上を彼女の指が滑るだけで、身体に電気を流されたようだ
った。
「あ、あの……その……」
 どぎまぎして上手く言葉を発せない僕に、女性は妖艶に微笑む。間近で見つめた彼女の
顔はどこかで見たことがあったような気もするが、思い出せない。
「うふふ……緊張しなくていいのよ? ほら……んっ、ちゅ……」
 かちかちになった僕の頭に手を伸ばし、女性はゆっくりとキスをしてきた。舌が伸ばさ
れ、僕の口内を舐めまわす。僕が目を見開いたのは一瞬。意識はすぐに彼女のキスに蕩か
され、いつの間にか僕の方からも舌を絡め合わせていた。
 しばし、室内に唇と舌の音だけが響く。
「んっ……ぷ……ちゅ……」
「あ……」
 やがて彼女は顔を離し、名残惜しそうな僕の表情を楽しそうに見つめた。
「そんな顔をしなくても、ちゃんと続きはしてあげる。ほら、わたしに全て任せて……」
 彼女が僕を優しく抱きしめる。下着越しでもなんら魅力を損なわない大きな胸が当たり、
僕は息を止めた。熟れたリンゴのような僕を見つめながら、女性は僕の寝巻きを脱がせ始
める。
「……?」
 が、そこで僕は違和感に気付いた。その手つきが、妙にぎこちないのだ。急速に熱が冷
めていった頭で眼前の女性に目をやった瞬間、ぼふんという間の抜けた音が響いた。
「な、なんだ?」
 驚きつつも目も向けると、先ほどまでの人物とは違い、馬の耳を生やした臆病そうな女
の子が僕のズボンを脱がそうと悪戦苦闘している姿が目に映る。その顔は羞恥で真っ赤に
染まり、今にも泣き出しそうであった。先ほどまでの妖艶な美女の面影は、欠片も残され
ていない。
 いや、それよりもこの表情、目の前にいるのはさっき出会ったばかりの……。
「メア?」
「はぅっ!!」
 思わず呟いた声に、目の前のナイトメアが飛び上がる。
「何やってんの? というか、さっきの人は?」
「あの、あの、あの、あの……」
 もう完全にパニック状態なんだろう。メアは両手を突き出してぶんぶんと振り、口から
は意味を持たない言葉を連呼している。
 そのとき、冷静になった僕の頭の中で目の前の少女と先ほどの女性の顔がだぶる。よく
見れば先ほどまでの女性と目の前の少女は印象が随分違うものの、髪や瞳の色、そして根
底の部分にある顔のつくりが一緒だったのだ。
「あ、ああ〜〜〜〜〜〜っ! さ、さっきの女の人って、君だったのか〜〜〜!!」
 僕は思わず叫び声を上げる。メアが目の前でびくりと身体を縮こまらせるのを目にした
瞬間、自分の発した声で、僕の意識は覚醒した。

――――――――――――――

「なるほどね。君たちはああいう風に夢の中で人から精気をもらうってわけか」
「は、はい……。ご、ごめんなさい」
 僕の言葉にメアがうつむき、謝る。
 場所は再び僕の家、寝室。室内には先ほどと同じようにベッドに腰掛けた僕と、床に座
ったメア。いや、さっきまでは夢の中にいたとはいえ、僕たちの身体自体はずっとここに
いたのだから、場所は相変わらず、というべきか。
「いや、別に謝らなくてもいいけどさ。ちょっとびっくりしたというか」
 正直、ちょっとどころじゃなく驚いたのだが、それを言ってしまうと目の前の少女は罪
悪感で押しつぶされてしまうような気がした。
 それに、なんだかんだいって自分も途中まではすっかり魅了されていたのだし。文句を
言う資格は無いだろう。
「しかし、君の食事っていうのは、その、精気を食べるというのはともかく、何でわざわ
ざ夢で?」
「あ、あの……わたし、人間じゃないから……。夢なら怖がらせないで済みますし。そ、
それにわたしみたいな異形と、その、そういうことするの、嫌な人、いると思ったし……。
そもそも、わ、わたし、臆病なもので……。その、夢の中なら、理想の姿になれるから。
ええっと、そ、そういうことも、できるかなって」
「……なるほど」
 メアの説明に、僕は腕を組む。
「の、割には上手く行かなかったみたいだけど」
「あうぅ…………」
 ぽろりと漏れた言葉に、メアの顔がふにゃっと崩れる。しまった、と思う間もなく、彼
女はぽろぽろと涙を零した。
「うっ、ひっく……そ、そうなんです……。わ、わたし、男の人とお話するの苦手で……
いつも……ひっく、最後の最後で恥ずかしくなっちゃって、じゅ、術が、解けちゃうんで
す……。み、皆はきちんと誘惑できてるのに、わ、わたしだけ……ぐす、折角夢に入れて
も、し、しっぱいばかり……」
「わ、ご、ごめん! な、泣かないで〜!」
 泣き出してしまったナイトメアの少女を慰めながらも、僕はそれも当然かもなあ、とぼ
んやり思った。確かに、毎回毎回あの調子じゃあ、男の方もそういうことをする空気じゃ
なくなってしまうだろう。
 ドジでダメな女の子はそれはそれで、という趣味の者がいるかもしれないという考えも
ちらっと脳裏に浮かんだが、何だか言わない方がいい気がした。
「でもそれじゃあ、お腹空くんじゃない? 何か他のもので代用とか出来ないの?」
「ぐす……むりです……。人の食べ物も、食べようとすれば少しは食べられるんですけど、
やっぱり男の人の精気をちゃんと摂らないと……」
「そっか」
 僕はいまだ涙を零す少女を見つめる。おそらく、この涙はただお腹が空いているからで
はあるまい。僕にはよく分からないが……ナイトメアとしての能力をちゃんと使えない自
分が情けないのだろう。
 どうしたものか、と僕は腕組みをして考える。寝床に忍び込まれて初めはびっくりした
ものの、こうして話してみると彼女はそれほど悪い魔物には思えなかった。ちょっと弱気
で臆病な所があるものの、精気を得る際にこちらに害を与えたくないと考えているところ
を見ても、根は優しい子なんだろう。
 そう考えると、何か力になってあげたくなってくる。第一、魔物とはいえお腹が空いた
女の子を見捨てて外に放り出すような真似、僕には出来そうに無かった。
「あ、あのさ。それじゃあ、その、君がちゃんと自分の力を使いこなして誘惑できるよう
になるまで、力になるよ!」
「……え?」
 思わず口走ったセリフに、メアは泣くのをやめて顔を上げた。きょとんとした彼女の表
情に冷静になった僕は、ようやく自分が何を言ったのかに気付き顔を染める。
「も、もちろん君が迷惑じゃなければだけど!」
 慌てて付け足した言葉に、メアもまた慌てて首を振る。
「め、迷惑だなんてそんなこと! わ、わたしからもお願いします! わたし一人じゃも
うダメなんです! どうか、どうかお力をお貸しください!」
 立ち上がったナイトメアの少女は僕の手を両手で握ると、身体を押し付けてくる。巨大
な、といってもいい胸が僕の腕に当たり、その形を変えるのを見た瞬間、くらりとしたが
何とか踏みとどまった。そして、僕はこくこくと頷く。
 こうして、僕と奇妙な気弱ナイトメアの生活が始まった。

――――――――――――――

 さて、そう張り切ってみたものの、ごく普通の人間である僕に出来ることなど限られて
いた。
 とりあえずは人見知りを直そうということで、まずは僕に慣れてもらうため、挨拶や会
話をする際にメアにはなるべく顔を見て話すようにしてもらった。
 が、彼女の弱気と臆病さは筋金入りらしく、最初の一週間は僕の顔を10秒と見ていら
れなかった。初めてあった日は夜だったのでなんとかなったらしいが、翌日、いざ陽光の
下で顔をあわせてみると、挨拶の言葉が出る前に彼女は顔から火を出し、疾風のように逃
げ去ってしまったのだった。
 流石は駿馬の足だなあ、などと妙な感心をする僕だったが、結局彼女が戻ってきたのは
その日の夜遅くだった。
 とはいえ、いくら恥ずかしがりのナイトメアでも同じ屋根の下で暮らし、毎日顔を合わ
せていればそのうち慣れてくる。一週間が過ぎ、二週間が過ぎるとメアも僕と顔を合わせ
ただけでは逃げ出すことなくなり、一緒の部屋で過ごせるようになった。
 僕としてもメアと自然に話せるようになったのは嬉しかったし、なにより彼女の存在は
森の中の家で一人暮らしをしていた寂しさを紛らわせてくれた。さらに、彼女の使う魔法
は、日々の生活や狩りの際にも僕を大いに助けてくれたのだった。
 昼はそうして過ごし、夜は夜で食事と夢術の練習。とはいってもたいしたことは無い。
寝るときに一緒にベッドで寝て、僕の夢を使ってナイトメアの技能の一つである夢に入る
術と、男を誘惑する演技の練習を行うというだけだった。
 ちなみにメアの食事をどうするかについては二人とも散々悩んだのだが、結局は誘惑の
練習で上手く行ったときはそのまま食事、無理だったら現実世界で精気補充ということに
なった。
「そ、それしかないですよね……」
「だろうねえ」
 なにせ夢の中でメアが気絶してしまうと、彼女の意識は数分もしないうちに僕の中から
出て行ってしまうのだ。つまり、夢の中で精気を受け渡すためには彼女が最後まで意識を
保っていなくてはならない。それは、メアにとっては勇者を倒すより難しい試練ともいえ
た。
 かといって精気無しでは彼女の命自体が危なくなりかねないので、最終的にはお互い顔
を真っ赤にしつつも……交わっていた。夢の中に入るための魔法を使うにも、彼女にとっ
てのエネルギーである精気は必要なのだから。
 当初は恥ずかしさですぐに気絶しそうになる彼女を何とか説得し、交わりを通じて精気
を摂って貰わなくてはならなかった。
 なんというか、実際にやるのは夢の中でするよりよっぽど恥ずかしい気もしたのだが、
いつの間にか、あの恥ずかしがり屋のメアが普通に出来るようになったのだから妙な気も
する。
 いや、考えようによっては当然だろうか。なにせ前戯に近いことは夢の中でもやってい
るし、その後のステップで彼女が停止してしまっても、現実世界なら彼女が消えることは
無く、後は僕がリードすればできることはできるのだから。
「なんか、ごめんね。毎回無理にしちゃってるみたいで」
「い、いえ! そ、そんなことないです!」
 そもそも、彼女はいまだに夢の中では一度も最後までいった経験が無かった。特訓を続
けるうちにだんだんいいところまでいけるようにはなっていたが、やはり肝心要の部分で
術が解けたり、恥ずかしさのあまりポカしてしまうのだった。
 というわけで、正直なところ出会いの日以降、毎回精気の補充という名目で僕たちは交
わっていた。まあ、最初は僕が若さを抑えきれず、いきなり後ろからやって、恥ずかしさ
のあまり繰り出したメアの蹴りを喰らって失神したりもしたが。それでも押しに弱いんだ
か流されるタイプなんだか、何度か繰り返しているうちにメアはすっかり僕にされること
に対して従順になってしまった。
 今では毎回、精気補充の時間になると、かすかに期待を浮かべた表情で僕の側に近寄っ
てくる。すっかり安心しきって身を任せるその姿は庇護欲と共に嗜虐心をそそり、そうな
ると今度は僕の方が煩悩を抑え込まなくてはならないくらいだった。
 頭の片隅で、別に夢の中じゃなくてもメアが精気を得られるようになったんなら、もう
練習はいいんじゃあないかとも思った。が、彼女の場合は「夢の中で誘惑できない、つま
り能力を使いこなせないナイトメア」というコンプレックス克服のための特訓でもあるの
で、僕はとりあえずは何も言わず、毎夜の夢での演技特訓は続けることにした。

「じゃ、じゃあ寝るから」
「はい、おやすみなさいテアトさん。そ、そのすぐにわたしも行きますから」
 自分の夢に他人の意識が侵入してくるというのは奇妙な感覚だったが、何度も繰り返し
ているうちに慣れた。あらかじめこれが夢だと、目の前に現れるのがメアだと分かってい
れば驚くこともなく、そのうち僕は彼女の術と演技にアドバイスを出すくらいの余裕は持
てるようになっていった。
 今宵も夢の中、僕の目の前にメアの理想を反映した女性が姿を現す。貴婦人の夜会服の
ような、胸元が大きく開いたドレスを纏い、女性は僕に微笑む。蒼い瞳が妖しく煌き、僕
の脳裏に情欲の炎を灯す。
「ねえ、テアトさん。わたし、どう?」
 夢を操る魔物らしく、夢の中で現れるメアはいつも妖艶で美しく、自信に溢れている。
確かに魔物というだけあって、その姿には人が持ちえぬ魔性が備わっていた。
「う、うん、綺麗だ」
 顔を染めつつも、僕は素直に感想を漏らす。
「ふふ、ありがとう」
 彼女は嬉しそうに目を細め、僕にしなだれかかる。大きく開いた胸元から肌と谷間が見
え、僕は思わず目をそらした。
 だが、彼女の行動はそこまでだった。これからどうなるのか内心の期待を膨らませ、照
れで真っ赤になった僕に密着する彼女も、また無反応。
「…………?」
 しばしその状態が続き、流石に気になった僕は彼女の方に視線を向ける。
「あ、あうあうあうぅ…………」
 そこには目を回し、頭のてっぺんから湯気を立ち上らせるナイトメアの少女がいた。ど
うやら抱きついてきた時点で余裕の演技は打ち止めだったらしい。夢の世界を構成してい
た力がメアの気絶と共に薄れ、視界に映る景色がだんだんぼやけていた。
 僕は苦笑しつつ、メアの髪を優しく梳いてやる。
「う〜ん、とりあえず『がんばりました』かな。でもちゃんと誘惑するには『もっとがん
ばりましょう』だね」
 息を一つ吐き、人に化けたままの彼女を抱きかかえると、いつの間にか部屋の中にあっ
た天蓋付きのベッドにその華奢な身体をそっと横たえる。
「はぁ、なかなか道のりは厳しく、遠そうだね……」
 彼女の隣に身体を横たえ、最後にそう呟くと、僕は夢の中でも目をつぶり、意識を闇へ
と沈めていった。

――――――――――――――

 そんなこんなのある日。朝食の済んだテーブルにひじを突きながら、僕は目の前の床に
座ったメアを見つめていた。相変わらず能力を使いこなせず、夢での誘惑が上手く行かな
い彼女は最近すっかり自信喪失気味で、溜息ばかりついている。まるでメアの周囲だけど
んよりとした空気が固体となっているかのようだった。
「これは、何とかしないと」
 流石に見かねた僕は椅子から腰を挙げメアの側に近寄る。この世の終わりのような表情
を浮かべるメアを見つめ、かねてから考えていたアイディアを打ち明けた。
「ねえ、メア。町に行ってみない?」
「町に……ですか?」
「うん、そう」
 僕の言葉に、蒼い髪に隠された瞳がぱちくりと瞬く。
「やっぱりさ、いっつも一人で考えてると上手くいかないと思うんだ。気分転換もかねて
町に行ってみるのも悪くないんじゃないかと思うんだよ。一回リフレッシュすれば、夢の
中での集中もしやすくなるかもしれないし。町にはいろんな人もいるし、恋人たちとか、
あるいは酒場とかの女の人を見れば、夢での演技の参考にもなるんじゃないかな?」
「う、う〜ん。そうかも、しれないですけど」
 やや戸惑ったような声が、メアの口から漏れる。流石に一緒に暮らしている僕には慣れ
たとはいえ、人が沢山いる町という場所に行くのは不安なのだろう。
「大丈夫だって。僕も一緒に行くし、何度か行ったことのある町だから危ないことは無い
と思うよ」
 僕は身を乗り出し、メアの目を見つめながら熱弁をふるい説得する。その勢いと熱意に
負けたのか、彼女は最終的にはこくりと頷いた。
「よし、決まり! それじゃ用意ができたら出発しよう」
「え、ええ!? きょ、今日これからですか?」
 驚きの声をあげるメアに、僕は頷く。
「もちろん。思い立ったがなんとやらって言うでしょ。ほらほら、早く早く」
 いまだ戸惑いを浮かべる彼女を急かし、着替えと支度をさせる。僕も身支度を整え、メ
アと共に森の家を出、久方ぶりに町へと足を向けたのだった。

「あの、テアトさん。町までは後どのくらいですか?」
 メアが振り返り、自らの背に乗せた僕に尋ねる。既に家を出てから2時間ほど。僕らは
森の小道を抜け、両脇に畑が広がる街道を歩いていた。澄んだ空には小さな雲がいくつか
浮かび、ゆっくりと流れている。僕の髪やメアの尻尾も吹き抜ける風に揺られていた。
「ん〜。もう結構歩いたし、あとちょっとで着くと思うよ」
 僕は左右の景色を見、答える。主要な交易路からは外れているため、この道を歩くのは
僕ら二人だけ。だが、その方が他人を気にせずのんびりと小さな旅を満喫出来るような気
がした。
「そうですか〜」
「あ、ごめん。もしかして疲れた? もしそうならどこかでちょっと休もうか」
 僕の言葉に、メアは首を振る。
「だ、大丈夫です。ただちょっと、昼間にこんな遠くまで出歩いたこと無かったから」
 そう言って、メアは恥ずかしそうに頬を染めた。なるほど、夢の魔物であるナイトメア
が真昼間から道を歩いていることなんて普通はありえないのだろう。彼女は大丈夫だとい
っているが、きっとなれない状況では疲れもするはずだ。町に着いたら、どこかで休もう
と僕は思った。
 ちなみに、僕がメアの背に乗っているのは彼女自身からの申し出による。家を出た当初、
僕は自分の足で歩いていたのだが、森を抜けたあたりで彼女が自分の背に乗ってはどうか
と言い出したのだ。
 魔物とはいえ、大の男が女の子の背に乗るのは悪い気がしたが、珍しく彼女から言い出
したことを無下にするのもどうかと思った僕は、結局お言葉に甘えることにした。
 まさしく馬に乗るようにメアの身体に跨り、手綱の代わりに肩に手を置く。恥ずかしそ
うに頬を染めつつも、彼女の顔はどこか嬉しそうだった。そうしてしばしかっぽかっぽと
いうメアのひづめの音を聞きながら、僕は彼女の背に揺られて街道を進んできたのだった。
「これから行く町ってどんな所なんでしょう。な、なんだかどきどきしてきました」
「ま、お城があるような街に比べたら負けるし、そんなに大きくて立派な町じゃないけど。
でもそれなりに楽しめると思うよ」
 期待と不安に胸を膨らませるメアに、僕は笑って声をかける。
 その時、不意にメアの耳がぴくりと動いた。どうしたんだろうと思った直後、僕の耳に
もひづめの音が届いた。音はどこかのんびりとしたメアのものとは違い、軽快なリズムを
刻みながら大きくなっていく。
 やがて僕らに追いついた音の主は速度を緩め、片手を上げて陽気に挨拶した。
「こんにちは、カップルさん」
「こ、こんにちは」
「……あぅ。か、かっぷる……」
「二人旅? いいわね、好きな人を乗せての旅って」
「あうあうあう。いえ、そのわたしたちはそんなじゃなくてですね、そのあのあぅ」
「いいのよ、隠さなくても」
 彼女はメアとその背に乗った僕を見、にっこりと笑顔を浮かべた。その顔や上半身は人
間と同じ、女の人のものだが、下半身はメアと同じような馬の身体をしている。
 メア以外の魔物を初めて見た僕は、思わず彼女に問い返した。
「あ、あの。貴女は?」
「ああ、ごめんなさいね。この道を通る人なんて珍しいから、つい声をかけちゃったのよ。
私は見ての通りのケンタウロス。しがない郵便配達屋さんね」
 彼女は笑うと、肩からかけた大きなバッグをパンパンと叩いた。それ以外にも彼女の下
半身、馬の身体には、本物の馬につけるような道具袋が結わえつけられている。おそらく
中身は手紙や小包なのだろう。
 はぁ、世の中にはいろんな魔物がいるんだなあと僕が妙な感心をしているうちに、ケン
タウロスの女性は真っ赤な顔をしたメアを見つめる。やがて僕の方を向いたケンタウロス
娘は、顔に驚きを表しながら口を開いた。
「あら、お仲間かと思ったら珍しい子に出会ったわ。まさかナイトメアとはね」
「珍しい? そうなんですか?」
「まあ、真昼間から男を乗せてこんな所を歩いてる姿はそうそう見ないわね」
「へえ」
ケンタウロスの言葉を聞き、僕は息を一つ吐き出す。メアが初めて出会った魔物である僕
にはそういわれてもピンと来ないし、そもそも魔物という存在は皆珍しく思えるのだけど。
「……かっぷる……。そ、そうですよね、確かにわたしたち、そう見えますよね。それに
精気を得るためとはいえ、毎夜あんなことしてますし。もうこれはカップルというより、
夫婦ですよね。そ、それならもっと頑張らないといけないですよね。ふ、夫婦なんだから
もっとテアトさんを気持ちよく出来ないとダメですよね。いつもいつもしてもらってばか
りじゃお嫁さん失格ですものね。こ、こここ、こんやこそはわたしもがんばってその、そ
の。あのあのあのあぅ」
 メアはといえば、どうやらカップルといわれたことで思考が停止したらしい。真っ赤な
顔をしたまま、なにかをぶつぶつと呟いていた。正直なところ、ちょっと怖い。
「ところで、君たちはどこに行くつもり?」
 ケンタウロスの女性の問いかけに、僕は彼女へと意識を戻す。
「ええっと、この先の町まで。ちょっと、見物にでもと」
「そっか。まあ、この道を通る人は目的地がどこであれ、大体あの町に寄るものね。でも、
わざわざ見に行くほどのものがあったかなあ」
 彼女は腕を組んで考え込む。確かに、僕らが目指す町は王都や地方都市と比べると数段
見劣りするのは否めない。わざわざ旅人が足を運ぶとは考えにくいのだろう。とはいえ、
まさか「恥ずかしがりのナイトメアのために、誘惑の仕方を勉強にいくんです」とは言え
ないし。
 そんな僕の考えをよそに、次の瞬間ケンタウロスは何かを閃いたらしく、手をぽんと鳴
らすと僕らに顔を向けた。
「ああ、そうか。君たち、劇を見に行くのね」
「劇?」
「あれ? 違った? なんでも最近、町一番の金持ちが道楽で劇場を作ったとかで、結構
人が集まってるらしいわよ」
「へぇ、そんなものがあるんですね」
 前にあの町に言ったのは随分昔なので、そんなものができているなんてぜんぜん知らな
かった。王都や大都市ならともかく、その金持ちも何を考えてあんな小さな町に劇場なん
て作ったんだろう。
「流石に王都の王立劇場や、大都市のそれには負けるけどね。暇なら行ってみるのもいい
と思うわよ。なんなら、ほらこれ。券あげるわ」
 メアの背に揺られたまま、僕は彼女からチケットを受け取りふうむと唸る。でも考えて
みれば劇といえばまさに演技の結晶であり、メアの特訓にも役立つかもしれない。とりあ
えず町に着いたらその劇とやらを見に行ってみようと思った。
「ありがとう、ケンタウロスのお姉さん」
「いいのいいの。どうせあまりものだしね。さて、それじゃあ私は仕事に戻るわ。あんま
りサボっていると、局長に怒られちゃうからね。じゃね、少年。そっちの彼女さんにもよ
ろしくね」
「あ、はい。お気をつけて」
 駆け出したケンタウロスに手を振り、僕は貰った券を見つめる。いまだに自分の世界に
入ったまま何かを呟き続けるメアをちらりと見、僕は大きく息を吐いた。
「なんだか、特訓というよりはデートじみてきたな」
 そう言いつつも、僕はなんだかわくわくしている自分に気付く。
「カップル、か」
 先ほど言われた言葉を思い返し、今更ながらに頬を染めるのだった。

――――――――――――――

「わぁ……!」
 メアが歓声を上げる。彼女の背に乗った僕にはその表情は見えないが、おそらくは子供
のように目を輝かせているのだろう。僕の耳に届いた声の響きだけで、容易に彼女の顔を
思い浮かべることが出来た。
 ケンタウロスの郵便配達さんと別れてしばし後、僕らは目指す町にやってきていた。
 街道の真ん中に存在するここは、規模としてはそれほど大きくはない。だが、それでも
町は町。通りには店が立ち並び、旅人や商人など、様々な身なりの男女が道を行き交って
いた。その表情はみな活気に満ち溢れている。
「久しぶりに来たけど、やっぱり空気が違うね」
「そうですね。わ、わたしこんなにたくさんの人、はじめて見ました」
 感想を言いながら、僕たちは町の通りを劇場へと進む。かっぽかっぽと言う足音が響く
と、町の人々はものめずらしそうにナイトメアの少女とその背に乗った僕らに視線を向け
た。
「なんだありゃ。ケンタウロスか? いつも来る郵便配達屋にしちゃ変な服だな」
「それにあの子、何だか普通のケンタウロスとは雰囲気が違うわね」
「まま、おうまさん〜。わたしものりたいな〜」」
「なんだなんだ、ちょっと可愛い子でもいんのかと思ったら魔物の上に男連れかよ」
 いつの間にか道の両脇には人だかりが出来、まるで王侯貴族のパレードのような光景に
なってしまった。視線の集中したメアは耳をぺたりと垂れさせ、その華奢な肩が震える。
「ひぅ、み、見られてます……」
「あちゃ、流石に町中でも騎乗はまずかったかな」
 といいつつも、僕は彼女の背から降りる気にはならなかった。メアの背に伝わる振動と
いい、ひづめが立てる音のリズムといい、彼女の体温を感じられることといい、背に跨る
のは妙に気持ちよかったのだ。それがもったいなかったのでそのまま町中にまで入ってし
まったが、流石に人馬の少女と背に跨る男の組み合わせは目立つ。
「やっぱり、おりた方がいいかな?」
 多少名残惜しさを感じつつも、僕はそう尋ねる。人見知りの彼女には、視線の集中はつ
らいだろう。だが、僕の提案にメアは首を振った。
「い、いえ、いいです。だ、大丈夫です。こ、これだってその、く、訓練ですから」
 かちこちにこわばった声音で、メアが言う。無理しているのではないかと不安にはなっ
たが、彼女が大丈夫だというのだから信用するしかあるまい。
「わかった。けど、無理はしちゃダメだからね」
 仕方無しに僕はそう念を押すと、彼女の背に跨ったまま息を吐いた。
 僕の言葉にメアが頬を染め、安堵と喜びを瞳に表したことには、背に揺られる僕は気が
つかなかったが。

 僕らが目指す劇場は町の入り口である大通りをまっすぐに進んだ先にあった。
「はぁ。金持ちってのは何考えてんのか本当に分からないなあ」
 建物を見た僕の第一声がこれ。
 それもそのはず。今ではこの町の名物でもある劇場は、どこかの神殿かとでもいうよう
な石造りの建物だった。入り口へと伸びる階段の両脇には石柱が並び、壁には物語に出て
くる英雄や姫君の彫刻が施されている。
 ケンタウロスのお姉さんは王都の大劇場には負けると言っていたが、なかなかどうして、
こうして見ると立派な劇場であった。それだけに、なんでこんな片田舎の町に作ったのか
が謎だったけれども。
「す、すごいですね……。こんな立派な建物、わたし見たこと無いです……」
 だがそれでもメアは素直に感激しているらしく、目を輝かせて劇場を見つめていた。確
かに、ここのところは僕と一緒にずっと森の奥のボロ小屋で過ごしていたんだから、目の
前の建物の美しさに感動するのも当然といえた。
 ひとしきり建物を眺めた後、僕たちは階段を上り劇場内へと足を進めた。劇なんてそう
そう見れるものではないのだが、折角チケットを貰ったのだ。わざわざここまで来てケン
タウロスさんの好意を無駄にすることも無いだろう。
 受付に券を渡し、僕らは中へと進む。
「へえ、中も結構しっかりしてるね」
「そうですね〜。あ、あそこが舞台なんですね」
 劇場内は階段状に客席が並び、最下段の客席前にステージがあるオーソドックスな形式
であった。ステージにはまだ緞帳が下りているが、気の早い客の何人かはすでに待ちきれ
ない表情で舞台を見つめていた。
「ええっと、空いていて、かつ見やすい場所は……と」
「あ、て、テアトさん。あそこがいいんじゃないですか? ほら、空いてますよ」
「お、いいかもね。じゃあ、あそこにしようか」
「は、はい」
 僕の袖を引っ張るメアが指差した席に座り、その脇にメアも座った。この劇場の客席の
一部は屋外劇場などにあるような長いベンチのようなものであった。そのため馬の身体を
持つメアにとっても座りやすく、幸いといえた。
 劇が始まるまでしばし、僕らは期待を高めつつ待つ。
「と、ところでテアトさん。今から始まるの、なんていう劇なんですか」
「ん? ええっと……『姫君の永い夜』だってさ。題からするに王宮の恋物語かな?」
 客席を見回してみれば、客の半数以上は女性たちであった。人数は少ないながらも、
ごく普通の町人達に混じって獣の耳を持つ獣人や、尖った角が髪から覗く亜人種の姿も見
える。皆、そうした魔物や亜人の姿を気にした様子の無い所を見ると、彼らの存在はこう
した田舎の町では大して珍しくもない光景なのだろう。
 そういえば、入り口の係員もメアをちらりと見ただけで、特に何も言わなかったし。ま
あ、面倒ごとになるよりはその方が助かるけれども。
 そうこういっているうちに開演の音楽が鳴り、幕が上がった。

 題から僕が予想した通り、劇は高貴な姫君と騎士の恋物語であるらしい。純白のドレス
を纏い、きらびやかな冠やアクセサリを身につけた姫役の女性が、舞台の上で切なげな吐
息をもらす。
「ああ、騎士ヒリギール……。わたくしはこんなに貴方を想っているというのに……。何
故、わたくしは王族などに生まれてしまったのでしょう。お互い身分など無ければ、何も
のにも縛られること無く、この想いを通じ合えたというのに……」
 片手を胸に、もう一方の手を虚空に伸ばし、姫役の女性は瞳を閉じてせつなげな声を響
かせる。
 次いで照明が照らす場所が切り替わり、腰に剣をつけ、マントを羽織った騎士風の青年
が一歩進み出た。
「リエッタ姫! ああ、麗しのリエッタ姫! 英雄などといわれても、私の剣は貴女の涙
を止めることすら出来ぬ! 私がただの平民、貴女が町娘なら共に手を取りどこかへ駆け
落ちすることも出来ようが……私は貴女の騎士、貴女は私の主! 手を伸ばせば触れられ
るほど側にいながら、決してこの手は届かぬ、かなわぬ想いだとは!」
 悲しげな音楽をバックに、姫と騎士とが想いを吐露する。身分違いの恋を描いた、王道
の悲恋物語のようだ。どちらかというと女性向けの劇にも思えるが、なかなかしっかりし
た脚本らしく、男が見ても十分に楽しめる。
 ちら、と隣を見るとメアはすっかり劇に夢中のようだった。美しい姫君や立派な騎士の
姿に目を奪われ、彼らのセリフに悲しげな表情になったり、頬を赤らめたりしている。ど
うやらお気に召したようだ。
 舞台の上では劇が続く。夜、姫と騎士が人目を忍んで密会するシーンだ。ゆっくりとし
たテンポの曲が、ムードを盛り上げる。どうやらこの劇の見せ場のひとつらしい。
 天蓋付きのベッドに腰掛ける二人はどこか気まずそうにしながらも、とりとめの無い話
を続ける。
 ふと、会話が途切れた瞬間、どちらからともなく騎士と姫とは見つめあった。だがすぐ
に、辛そうに騎士は目をそらす。
「いけません、姫。これ以上は……。忘れましょう。すべては儚き夜の夢。私はそう思う
ことにします。ですから、姫も」
 だが、騎士の言葉に姫は首を振り、彼の胸にすがりついた。
「わたくしはできませんわ。例え貴方への想いを隠さなくてはならないとしても、それを
忘れることなど。ヒリギール、そんな悲しいことを言わないでくださいまし」
「リエッタ姫……」
「それに、貴方の本心はわたくしと同じなのではありませんか?」
 不意に清楚な姫の仮面の下から、男を求める熱い視線が覗く。思わず息を止めた騎士の
肩に手を置いた姫は、そのまま顔を近づけていく。
「んっ……」
 どちらのものとも知れぬ、かすかに息が漏れる音と共に二人の唇が触れ合う。

「なんだかロマンチックだけど、悲しい劇ですね」
「うん……」
 ぽつりと呟いたメアの言葉に、僕も頷く。身分違いの恋を描いた物語は古今様々なもの
があるが、その多くは悲劇的な結末を迎える。
 僕らと同じことを考えているのだろう。客席を見れば、観客の多くも悲しげな視線を舞
台の二人に向けていた。
「愛し合う二人が、ずっと一緒にいられたらいいんですけどね」
「そうだね」
 相槌を打つ僕は、メアのセリフが舞台の騎士と姫だけに向けられたものではないように
思えた。そっと横目で隣に座る少女を見る。彼女は何かを祈るように、胸の前で両手をあ
わせていた。
「……ええっ!?」
 しかし突然、メアは素っ頓狂な声を上げる。何事かと彼女の視線を追った僕も、目を見
開き、言葉を失った。
「うぁっ……ああ、リエッタ、くっ、あ、リエッタっ!」
「んっ……あ、ああっ、そう、そうです! もっと、もっとわたくしを求めてくださいま
し!」
 僕たちの視線の先、舞台の上では主役の二人がベッドの上に倒れ互いに身体をまさぐり、
愛を交わしていた。濃厚なキスをし合い、お互いの身体を這うように指が蠢く。羞恥と歓
喜、快楽がまぜこぜになった表情で、騎士と姫は興奮を高めていく。
「あう……こ、こんな……! ひぅ、あ、あんなことまで! だめ、わたし、そんな、そ
んなのだめです!」
 歓喜とも悲鳴とも取れる叫びが、僕の耳にも届いた。
「な、なんなんだこれ……」
 顔を手で隠しつつ、役者の演技を指の隙間からばっちり見ているメアの隣で僕は呆然と
そう呟く。
 おそらく、これもまた劇の見せ場なのだろう。なるほど地方の劇場、それも個人が道楽
で建てたものというだけあって、演目の制約は殆ど無いに等しいのだろう。それにしても
真昼間の上演から濃厚なラブシーンとは、脚本書いたやつも上演することを決めたやつも
頭がどうかしているんじゃなかろうか。
 しかし、周囲を見回すと客の反応は上々のようだ。なるほど、娯楽の少ない田舎町の劇
場とはいえ、客に楽しんでもらうことは何より大切なのだろう。こうした過激な演出もま
た、客寄せの手段というわけだ。
「しかしなあ」
 いくらなんでも悲恋物語がいきなり色本のような展開になるのはどうかと思う。なんだ
かどっと疲れた僕は、隣で興奮し続けるナイトメアを見ながら深い溜息をつくのだった。

――――――――――――――

「す、すごかったですね」
「あ、うん。劇を見た感想として本来言う「すごい」と、ここのは違うと思うけど」
 劇が終わった後、僕はメアと並んで劇場を出た。いまだ興奮冷めやらぬメアは珍しく饒
舌になり、歩きながらあれやこれやと劇の感想を語った。
 僕はメアの言葉に時折相槌を打ちながら、そっと彼女の表情を見る。その顔は朝とはう
って変わって明るくなっていた。どうやら目的の一つ、気分転換は成功したらしい。
「それにしても、騎士さまとお姫様、最後には一緒になれてよかったですね」
 登場人物に自分を重ねているのか、メアは安堵と喜びの笑顔を浮かべる。
 先ほどの劇は悲恋かと思いきや、あの後お互いの想いを確かめ合った二人が様々な困難
を乗り越え結ばれるというハッピーエンドだった。確かにあれは大衆に対しての娯楽とし
てうけるだろう。
「そうだね。やっぱり最後は幸せにならないとね」
 オーソドックスからは外れるものの、やはり僕も恋物語はハッピーエンドで終わるべき
だと思う。そう、幸せになるべきなんだ。この臆病だけど頑張り屋のナイトメアも。
 僕はメアに頷きかけ、そっと彼女の手を握る。魔物の娘は一瞬驚いたような顔を見せ、
すぐに顔を赤らめるとうつむいてしまった。だが手を振りほどく様子は無く、むしろ彼女
からもわずかながら僕の手を握り返してくれた。
 しばし、手を繋いだ僕たちは無言で通りを歩く。だがそれは心地よい沈黙だった。僕と
メアの間には身長差があるので妙な繋ぎ方になってしまったが、どちらも気にしてはいな
かった。触れ合った手から、ぬくもりを通してお互いの心が交わっていくかのように僕は
感じた。
 しかしそんな幸せな時間は長くは続かなかった。
「おい、貴様ら」
 不意に声をかけられ、僕らは立ち止まる。声のした方向に顔を向けると、高価そうな服
を身につけた男がこちらを睨んでいた。腰の剣を見るところ、どうやらこの町の警備兵か
なにかのようだ。
 男は僕らの前にやってくると、じろじろと僕とメアを見る。
「貴様。この魔物は貴様の馬か? 魔術師のようには見えんが……きちんと『支配』はし
てあるんだろうな?」
「ええっと、彼女は僕の同居人ですけど。あの、支配って?」
「はっ、なんだ貴様、モグリの魔物使いか? こいつのような魔物は町中でいつ暴れだす
かしれたものじゃあないからな。『鎖で繋いでその自由を奪っておけ、ということだ。ま
ったく、これだから異端どもは始末におえん」
 軽蔑するような目を向け、男は言い捨てる。漂いはじめた険悪な雰囲気に、道行く人た
ちは足を止め、あるものは好奇心を露に、あるものは心配そうに僕らを見つめた。「また
あの兵士か」やら、「あの子達も厄介なやつに目をつけられたもんだ」などといった声が
聞こえてくる。
「あ、あの、わたしはそんな、暴れたりとかはしません。だ、だからその、どうかここは
み、見逃してもらえませんか?」
「なんだ? 汚らわしい魔物風情が口を出すな!」
 おずおずと口を挟んだメアを、男は手で振り払う。その手が当たり、彼女が小さな悲鳴
を上げてよろめくのを見た僕は、男の前にメアを庇うように立ちふさがった。怒りの勢い
に任せ、彼をにらみつけ、口を開く。
「ちょっと、いきなりいちゃもんつけてきた挙句にメアに何するんだよ!」
「言ったな……。貴様……この場で異端として切り捨てられたいか?」
 僕の言葉に怒りを露にし、ぎろりと僕らを睨んだ男は腰の剣に手をかける。怒りは一瞬
で恐怖に取って代わり、すらりと抜き放たれた剣が陽光を照り返すのを見た僕の背に、冷
たいものが流れた。
「う……」
 思わず後ずさりそうになった僕は、背後にメアがいることを思い出してとっさに堪える。
「はっ、いい度胸だ。……なら、腕一本くらいは覚悟するんだな!」
 そういって男が剣を振り上げた瞬間、僕の背後で爆発的な風が生まれた。
「や、やめてっ!! て、て……テアトさんに、手を出さないで――――ッ!!」
 絶叫に振り返ると、立ち上がったメアが涙を浮かべたまま、男を睨みつけていた。その
身体からは魔力が陽炎のように立ち上り、背後の景色を揺らめかせている。
 今まで見たことの無いメアの剣幕に、僕は思わず息を呑む。彼女は虚空から大鎌を取り
出すと、行進する旗手のようにくるくると回し、構えた。
「ふん、本性を現したか化け物め! 丁度いい、この場で退治してくれる!!」
 男は武器を構えたメアを認めると、攻撃の相手を僕から彼女に替え、飛び出した。偉そ
うなことをいっていただけはあるのか、その動きは素早く、力に満ちていた。振り上げた
剣は一瞬の後に、彼女を襲い、切り裂くだろう。
「メアっ!」
 思わず、僕の口から悲鳴が漏れる。
「…………!! まどろみの雲よ!」
 だが、彼女の詠唱はそれよりも早かった。鎌を回転させ、素早く呪文を詠唱すると、薄
い青色の雲が、男を包み込む。以前僕がかけられた眠りの魔法の変化版だ。
「な、なん、だ……ち、ちからが……」
 一瞬の後、男の手から剣が滑り落ち、その身体がゆっくりと倒れこむ。
 だが、それだけでは終わらなかった。張り詰めるような気配を纏ったメアが瞳を閉じ、
二言三言と不思議な響きの言葉を呟く。と、彼女の身体から立ち上る気配がいっそう禍々
しさを増した。
「貴方に、終わることの無い悪夢を……!」
 呪詛の響きを持つ言葉と共に、巻き起こる風に舞い上がる前髪の下の青眼がどこか不気
味に輝く。
 直後、深い夢の中にある男の表情が苦悶に歪んだ。服の上から胸をかきむしり、倒れ目
を閉じたまま、助けを求めるかのようにばたばたともがく。
「あ……あぐ、あ……うあ、ぁあ……ああああああ!!」
 しばらく路上に倒れこんだまま、苦しげなうめき声を上げていた男だったが、やがて一
際長い絶叫と共に、その身体から力が抜けた。あっけにとられて見つめる僕の前で、男は
びくんびくんと痙攣を繰り返す。
「……ふうっ」
 やがて力尽きた男がぐったりとしたのと同時、メアの身体から緊張が抜ける。瞳はいつ
ものやや気弱そうなものにもどり、僕を心配そうに見つめてきた。
「め、メア? 一体、この人に何したの?」
 恐る恐る声をかけた僕に、メアは恥ずかしそうな表情を向ける。少しの間言うまいかど
うかと躊躇っていたものの、やがておずおずと口を開いた。
「あ、あの……ちょっと、きつめの悪夢を見せちゃいました。もしかしたら、トラウマに
なるかもしれないくらいの」
「え?」
「そ、その。この人テアトさんにひどいことしようとしてたから。だ、だからわたし無我
夢中で。ちょ、ちょっとやりすぎちゃった……かも」
 ばつが悪そうに語るメアの言葉に、僕の心には様々な感情が浮かび上がる。助かったと
いう安堵、メアが僕のために今までに見た無いほど怒ってくれたという嬉しさ。彼女の本
当の能力、その強力さに対する驚き。
 そこで、僕は一つのことに思い当たる。
「あれ? いや、ちょっと待って。メア、この人を止めるために悪夢を見せたっていうこ
とは……」
「あ……」
 そう。彼女が悪夢を見せた、ということ、そしてその悪夢によって男の心を完全に操っ
たということは、彼女がナイトメアとしての自身の能力を使いこなせたということなので
はないだろうか。当初の予定であった夢の中での誘惑ではないにせよ、男を夢の中で支配
した、ということは彼女の試練の達成を意味しているといえた。
 むしろ、僕のように彼女のことを受け入れたのではない人物、、むしろ敵対していた人
間の夢を支配するということの方が難易度は上だろう。
 メアもそれに気付いたのか、目に先ほどとは違った涙を浮かべ、口元を覆っていた。
「おめでとう、メア。これで一人前、かな?」
「は、はい……。む、夢中だったけど、わたし、夢をちゃんと操れました!」
 そう言った瞬間、メアの瞳から涙がぽろぽろと零れ落ちる。同時に、固唾を呑んで一部
始終を見守っていた人々から、嵐のような歓声が響いた。
「すげえぞ嬢ちゃん! あのむかつく兵士をやっつけちまうなんて!」
「ほんと! 胸がすっとしたわ!」
 興奮した表情の人々が僕らを取り囲む。
「お疲れ様、メア」 
 人々の作る輪の中で、纏ったローブの袖で涙をぬぐう少女をそっと抱き寄せ、僕はその
頭を優しく撫でてやった。

――――――――――――――

「ふぃー。一時はどうなることかと思ったけど、とにかく無事に帰ってこれてよかった」
 夜、森の中にぽつんと佇む僕の家。
 明らかに向こうが悪いとはいえ、警備兵をやっつけてしまった僕らはあの後、あの男が
目を覚まし、事が大きくなる前にあの場から逃げ出したのだった。
 それから来た道を逆にたどり、家に戻ってくると食事と入浴を済ませ、今はこうして寝
室でくつろいでいる。ベッドの上に胡坐を書いた僕の前で、メアは足を折って座っていた。
「そう、ですね。あ、あの人が剣を抜いた時は、どうなっちゃうのかと思いました」
 昼間のことを思い出したのだろう、いまさらながらにメアの身体がぶるりと震える。
「でも、ちゃんとメアが助けてくれたじゃないか。それにあの警備兵のおかげでメアも自
分の力を使いこなせるようになったんだし。まあ、結果がよければ全て良しってことで」
「そ、それはそうかもしれないですね」
「しかし、まさかあんなメアが見れるとはね。知られざる一面を見た気がして、ちょっと
新鮮だったかも」
 冗談めかして言った僕のセリフに、メアは恥ずかしそうに頬を染め、うつむく。小さな
声で、だがしっかりと呟いた。
「だ、だって……あの人、わ、わたしの……だ、だ、大事な人に、ひどいことしようとし
てたから」
「メア……」
 彼女の言葉に照れるより胸が熱くなった僕は、思わず魔物の娘を抱きしめた。メアも頬
を先ほど以上に紅く染めているものの、嫌がるそぶりは無い。そのまま、そっと僕はメア
の可愛らしい唇に口付けた。
「あっ……ん……ちゅ……、んっ……」
 驚きにメアの瞳がわずかに開いたものの、すぐに彼女も僕の唇を求めてくる。彼女が尻
尾を嬉しそうに振るのが見え、耳にばさりと言う音が届いた。
 ひざ立ちになったまま、僕はメアを抱きしめ、何度も唇を吸う。
 やがて彼女は僕から身体を離し、もじもじと服のすそをいじる。何かを言いかけ、何度
かためらった後、意を決して口を開いた。
「あ、あの……。こ、今夜は……、その、夢の中じゃなくて、せ、精気のためでなくて、
い、愛しい貴方と、ひ、ひ、一つになりたい、です……」
 羞恥に顔を真っ赤にしながら、彼女はそういってローブのすそを持ち上げる。少女の身
体と下半身の馬の身体のちょうど境目あたりにある秘所が目の前に現れ、僕もまた顔を真
っ赤に染めた。
「め、メア……その、い、いいの? 夢の中じゃない上、正面からで、大丈夫?」
 思わず発した僕の言葉に、メアは小さく頷く。たったそれだけの行動に、目の前の内気
な女の子がどれほどの勇気を費やしたのかを窺い知る僕もまた、決意をこめて頷いた。
 彼女ばかりに恥ずかしい思いをさせてはいけないと思い、僕もズボンと下着を脱ぐ。す
でに硬くなっていたそれを目にしたメアは、恐怖からかわずかに身体をこわばらせた。
「ごめん」
 謝罪の言葉に、彼女は首を振る。
「い、いいえ、大丈夫です。だ、大丈夫ですから……きて、ください」
「……ありがとう。その……やさしく、するから」
 僕はそう言うと、たちあがった肉棒を彼女の割れ目にあてがう。人間とは違うからだの
彼女に無理させないように、僕はともすれば暴走してしまいかねない自分を抑えながら優
しく彼女を抱きしめた。
「く……」
 思わず声が漏れる。やわらかく、すべすべの肌に先端が当たっただけで、背筋に電気が
流れた。
 僕はそのまま、ゆっくりと彼女の中にモノを埋めていく。
「や、ぁ……く、……あ、う……あ、ああぅ……」
 苦しげなメアの声に、胸の中の罪悪感が大きくなっていく。けれどもそれ以上に、彼女
の中は僕に快感を与えてきた。目をつぶり、歯を食いしばって堪えながら、僕は腰をすす
める。
「はあ、はぁ……ぜんぶ、はいった、よ」
 僕の言葉に、彼女は嬉しそうに目を細めた。思えば、現実でこうして間近に彼女の顔を
見たことは数えるほどしかなかった気がする。それが今、僕を想い微笑んでくれる女の子
が目の前にいる。僕にはそれが、とても幸せなことに思えた。
「それじゃ……動くね」
「は、はい……」
 彼女が頷いたのを見、僕はゆっくりと腰を動かし始める。身体がぶつかり合うたびにメ
アの大きな胸がゆれ、前髪が踊った。彼女の頬は一突きごとに赤みを増していく。
「うぁ……すごぃ……メアの、きつくって……! うぁ……う……あぁ……」
 無意識なのか、僕の肉棒を締め付けるように彼女の肉壁が蠢く。快感が思考を焼き、一
往復すらする前に射精してしまいそうだった。僕は彼女を抱く腕に力を込め、唇をかみ締
めて快楽の嵐に耐える。
「……んっ……あっ……あぁっ……」
 興奮と快感に抗えなくなったのか、いつの間にかメア自身も僕に合わせて腰を動かし、
更なる快楽を求めだしていた。僕の肩を掴んだ手は痛いくらいに力が込められ、爪が食い
込む。だが、僕にはそんなことを気にしている余裕は無かった。一瞬でも気を抜いたら、
彼女の中に全てを飲み込まれてしまいそうに思える。
 僕たちのどんどん動きは勢いを増し、いつしか二人は獣のように交わり続けていた。
「ああっ! あぁん! ……きもちぃぃ……きもちいぃです! テアトさん、テアトさん
……もっと、もっとぉ!」
「ぼくも……すごぃ……いいよ……! もう、こんな……っ、がまん、できそう
に、ないくらい……だ……!」
 まるで脳が焼きついたかように、肉欲におぼれた僕らは互いの熱と快感を求め続ける。
すでに、頭の中には快楽以外の存在は無かった。
「ああ、、あ、ああぁあぁあぁぁぁぁッ!!!」
「や、あ、んっ、いやあああああああああっ!!」
 一瞬の後か、それとも長いと気の果てか。高みに上り詰めた僕たちはほとんど同時に絶
頂を迎えた。張っていた気と力が全身から抜け、お互いの身体にもたれかかる。気だるい
感覚が僕らを包み、いまだ快感の余韻が残る視界には靄がかかったようだった。
 それは、まさに夢、それもこれ以上ないほど幸せな夢のようだった。しかし、目の前に
いる少女は決して消えはしない。そう、全ては紛れも無い現実だったのだ。
 僕たちはしばし、何も言わず、指一本も動かさずにその夢に浸かっていた。いつまでも
醒めないようにと、儚い願いを抱きながら。

――『夢と現のファンタズマゴリア』 Fin ――

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