レッサーサキュバス被害報告書
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「なあ、やっぱりやめないか?」
 私の背に、後ろを歩く青年から声が掛かる。発せられた言葉の意味を解するより先
に、耳に届いた声の響きだけで、私はこの依頼に気乗りしていないという彼の心情を
明確に察することが出来た。だがそれでも歩みを止めない私を、若い青年の声が追う。
「二人だけじゃさ、無茶だって。せめてもう少し仲間を増やすとかさあ」
 森の中を貫く小道。所々に丈の短い草が生える道を、私は彼と歩く。腰当ての金具
と長剣の鞘とが当たり、かちゃかちゃとせわしなく音を立てた。
「なあ、カルディナ。俺の話、聞いてる?」
 先ほどから変わらないペースで歩き続ける私に、彼がまた声を掛ける。自分の名を
呼ばれた私は、そこでようやく背後の青年に振り返った。
「聞いてるけど。ここまで来て止めたりなんてしないからね。レクサス、大体あんた
心配しすぎ。討伐依頼っていっても、ただの下級悪魔一匹の退治でしょ? 似たよう
な仕事、今までだってやってきたじゃないの」
「そりゃそうなんだけどさ……」
 私の言葉に押され、レクサスという名の青年は口ごもる。私と同じ19歳の彼は深
い青の髪を揺らし、私の二、三歩後をついてきている。身に纏うのは動きやすさを重
視した衣服で、腰には小さなポーチがいくつかとともに、ダガーが二本くくりつけら
れている。典型的なスカウトの格好だ。顔はそこそこ整っている方だが、自信なさげ
な表情が、どことなく情けない印象を与えていた。
「それに、正直この依頼の報酬はそんなに多くないし。あんまり人数多くしても、私
たちの取り分、なくなっちゃうわよ」
「わ、わかってるよ」
 私が装備しているのは、あまりお金のない戦士御用達の革の軽鎧。剣もシンプルな
長剣だ。どちらも手ごろな値段で店で買えるのが利点とはいえ、攻撃力も防御力も多
少、頼りない面は否めない。
「ふう……まだ少し歩かないといけないか」
「ああ、そうだな」
 小さく溜息が漏れる。町を出てから随分歩いてきた。金属の鎧を着ているのよりは
マシとはいえ、流石にこうも歩くと、鎧と服の下、かいた汗が少しうっとおしい。そ
れでも、時折思い出したように通り過ぎる風が私の長い金髪を揺らし、一時の涼しさ
を感じさせてくれるのが救いだった。
 隣を歩く彼も、額の汗をぬぐう。
「けどさあ、ただの獣とか魔物退治ならまだしも、今回の相手は下級とはいえ悪魔だ
ろ? やっぱり俺たちだけじゃあ危ないんじゃ」
「もう、くどいわよ。そりゃあ、この間の狼退治みたいには簡単には行かないだろう
けど、所詮は下級でしょ? ちょっと魔法が使えるくらいの魔物だもの、それに気を
つけてさえいれば大丈夫でしょ」
 自分に言い聞かせるように、私は言葉を発する。
 そう、ギルドで依頼を受ける際に聞いた話では、今回の相手は下級の悪魔一匹。下
級とはいえ魔物である以上、猪や狼のような存在とは危険度の度合いが違う。だが、
一般人ならともかく、それなりの知識や技術を持つ冒険者や戦士ならば、十分に準備
を整え、油断さえしなければ決して勝てない相手ではないのである。
「今回の仕事を請けるのはあんたも納得したんだし。それに、最初に私がリーダーっ
て決めたでしょ。文句言わないの」
「わ、わかったよ……」
 これ以上の反論を封じるべく、私はやや語調を強めてぴしゃりと言い切る。彼はま
だ何か言いたげであったが、最後にはしぶしぶ頷いた。

 私、剣士のカルディナと彼、スカウトのレクサスの付き合いは、もう随分前にさか
のぼる。
 私が冒険者としての第一歩を踏み出した日、初めて受けたクエスト。内容は「薬の
原料となる草の採取」と言う簡単なものであったが、お互い初心者同士ということで
ギルドから紹介され、以後今日にいたるまでパートナーとなっているのが彼、レクサ
スだった。
 押しの弱さと常に自信なさげな顔をしているせいで、どうもよわっちく見える彼だ
が、出会った当初からスカウトの技術に関してはかなりのものを持っていると、これ
まで付き合ってきた私は思う。正直、自分に自信を持てばもっと有名なパーティやギ
ルドに入る事だって無理ではないくらいなのだ。
「……何?」
「べつに」
 不意に黙り込んだ私の気配から何かを察したのか、彼の不思議そうな声が掛かる。
私は内心を悟られないよう短く返事をすると、横に並んだ彼をちらりと盗み見た。
 しかしながら、なんだかんだ言いつつも、正直私は彼がいまだに自分と一緒に行動
してくれることを感謝しているのだった。
 その名のとおりパーティの剣、攻撃の要である剣士は、それだけ責任も重い。なれ
ばこそ装備と腕を含めた実力が求められる。ようやく初心者の域を脱した私にとって、
彼以外で常にパーティを組んでくれる人間は、悲しいかなまだいなかった。
 だからこそ、今までよりも一つ上の難易度のクエストに挑戦し、自分の腕を磨かな
ければならないと思ったのだ。私が、彼とこの先もずっと一緒にやっていくためには。
「ほら、ペース上げるわよ。日が暮れる前には、目的地に着きたいからね」
「あ、おい。ま、まってくれよ〜!」
 決意を新たに、歩みを速め小走りに駆け出した私に遅れないよう、彼もまた、情け
ない声を上げつつも足を速めたのだった。

「ここ、だよな……?」
「ええ、そのはず……よね」
 森の中を進むことしばし。私たちの目の前には、小さな木造の小屋が一軒、木々の
合い間に隠れるように建っている。パッと見た感じ、特に妙な所は無い。正面には壁
や屋根と同じ、木製のドア。側面に回ってみたが、窓にはカーテンが閉められており、
中の様子を窺うことはできない。
「レクサス、罠は?」
「ざっと見た感じだけど、特に何も無いんじゃないかな」
 私が腕を組んで立ち尽くしている間に周囲を見回り、辺りの地面、小屋のドアや壁
を調べていたレクサスが答える。
「う〜ん……」
 唸りながら私も小屋の周りを回る。ざっと見て回ると、全体的に風雨によって少し
ばかりくたびれているものの、建物は十分に人が住むことが出来る状態だと思えた。
「誰か、ここで暮らしてるのは確かだと思う。ドアの取ってには汚れが無いし、小屋
の周囲にも人が歩いた後があるからな」
 私が元いた位置、小屋の正面に戻るとレクサスが口を開く。言われてみれば、こん
な森の奥にある割にはこの小屋は手入れが行き届いているように見えた。
 だが、魔物がこの小屋をねぐらとして住み着いていたとして、きちんと手入れをす
るものなのだろうか?
「カルディナ、多分、これ魔物じゃなくて人が手入れしてるんじゃないか?」
 私と同じ疑問はレクサスも感じていたようで、戸惑い気味にこちらに振り向いた。
「そうよね。この花壇とか、どう考えても凶暴な魔物が作りそうにないし」
 ちらりと視線を向けた先には、石で囲まれた小さな花壇に色とりどりの花が咲いて
いた。自然のままに任せていたのでは、とてもこうはならないだろう。
「けど、それじゃあこの情報はガセネタだったのかしら」
 ごそごそとポーチを探り、依頼内容の紙を取り出して確認してみても、やはり書か
れているのはこの場所である。しかしながら、周囲にはまるで魔物が潜んでいる気配
が無いのだから、不安になっても当然であった。
「……いくらなんでも、冒険者ギルドがこういう重要な情報を間違うとは思えないん
だけどな」
「でも、小屋の外側には異常なさそうよ。いっそ、中入ってみる? あんた鍵開けで
きるでしょ?」
 このまま外でうだうだしていても事態は進展しないと思った私は、そう彼に提案す
る。鍵開けはスカウトやシーフにとっての基本技術だ。王宮のような場所や、高度な
魔術で封じられた扉ならともかく、この小屋のドア程度の開錠は、彼なら朝飯前だろ
う。
「お、おい本気かよ? いくらなんでも無謀すぎるだろ!?」
 だが、私の言葉にレクサスは大げさに飛び退くと、突き出した両手を振る。この辺
りが、彼が今一歩一人前になりきれないところなのだった。スカウトにとってはこの
慎重さはプラスなのかもしれないが、言い換えれば臆病ということでもある。勝負に
出る、ということをとかく避けたがる彼は、死線をくぐることでの成長と言うものと
は無縁なのだった。
「じゃあ、どうするのよ? このまま町に帰って、『魔物はいないみたいでした』っ
ていうわけ? そんなんじゃ報酬もらえっこないわよ! ここに来るまでの準備や、
食料だってただじゃないんだし。大赤字だわ!」
「そ、それゃあそうなんだけどさ……」
 私に詰め寄られ、レクサスは縮こまる。だが、今にも消えてなくなりそうな、かす
かな声になりながらも彼は言葉を搾り出した。
「……で、でも現に、魔物が出そうにはないだろ……」
「そ、それは……私だって、わかってるけど……」
 彼の言葉は私も思っていたことであっただけに、それ以上の反論は浮かばず、くち
ごもる。だからといって何かいい案が浮かぶわけでもなく、かといってこのまま帰る
訳にもいかず、私と彼の二人が困ったような顔を浮かべ、小屋を見つめて立ち尽くし
ていたその時。
 不意に、彼らの背後の茂み、森の中をここまで歩いてきた道へと続くあたりの草が
ゆれ、かすかな、しかし決して風などの自然が起こしたものではない音が響いた。
「!」
「ッ!」
 言葉一つ発さず、バネ仕掛けのように振り返ったレクサスに続いて、驚きと共に短
い呼気を吐きながら私もそちらに素早く体を向ける。無意識のうちに剣の柄を握り、
いつでも戦闘体勢に移れるよう、体に力をみなぎらせる。
 今度は茂みがざわめく音とともに足音が私たちの耳に届き、相手がもうすぐそこま
で来ていることをはっきりと伝えてきた。
「…………」
「…………」
 緊張を高める私たちが見つめる先から、先ほどよりも大きな音が響き、背の低い木
々がはっきりと揺れるのが見えた。私は剣を半分ほど鞘から抜き、隣に並ぶ青年も腰
の投擲用ナイフを軽く指の間に挟みこんでいる。
 私たちは互いに軽く目配せし、飛び掛るタイミングを計る。頭の中でカウントダウ
ンし、相手が姿を現した瞬間に先制攻撃をかけようと精神を集中していった。
 だが、そんな私たちの作戦は、茂みから現れたターゲットの姿を認めると同時に、
白紙に戻さざるを得なかった。
「え?」
「あ、あら?」
「……あ、あの? 何か?」
 なぜなら、私たちの目の前に姿を現したのは、凶悪な魔物ではなく、優しく穏やか
な顔つきをした、年のころ18くらいの少女だったのだから。

―――――――――――――

「まあ。魔物退治に、ですか」
「ええ、まあ」
 あれから少し後。私たちはこの小屋に住んでいるという少女、フィアットの勧めも
あり、家の中でテーブルを挟んで向かい合っていた。私たちの目の前には、白い湯気
とほのかな香りを立てるカップがそれぞれ置かれている。
「それで、私がその魔物だと思ったんですね」
「め、面目ないです……」
 思い出すだけで顔が赤くなるのを自覚する。少女が現れた瞬間、今にも飛びかかろ
うとしていた私たちの姿と、状況をさっぱりつかめずきょとんとした彼女の顔は傍か
ら見ればいかにも間抜けな光景だったことだろう。
「あ、すみません。そんなつもりでは」
 消え入りそうな声で謝罪の言葉を絞り出した後、うつむいて黙り込んでしまった私
たちに、慌てた少女の声が掛かる。わたわたと手を振り、沈み込む私たちを必死で慰
めようとするその姿は、彼女を見た目よりもずっと幼く見せていた。私とレクサスは
顔を見合わせ、思わず小さく噴出す。
「うう、笑うなんてひどいですよ〜」
 私たちの反応に、フィアットは頬を可愛らしく膨らます。むくれる少女をなだめ、
彼女がようやく機嫌を直したのを認めると、私は口を開いた。
「それにしても、フィアットさん? 貴女、こんな森の奥にどうして一人で?」
 ちらりと横に目を向けると、その疑問はパートナーも感じていたようだった。頷き、
少女の顔をじっと見つめる。
 私の質問に一瞬きょとんとした表情を浮かべたフィアットだったが、すぐに合点が
いったようで、あ、と小さく呟くと椅子に座りなおし、口を開いた。
「私、ここしばらくこの小屋で療養していたんです。ちょっと前まで、私体を壊して
しまっていて。それで、家から離れてここで体を休めていたんですよ。ここは町と違
って静かで空気も綺麗ですしね」
「なるほどね……。じゃあ、お邪魔だったかしら?」
 療養中の身なら、あまり長居をして彼女の邪魔になってはまずいだろう。私はそう
考えたのだが、フィアットは立ち上がろうとする私たちを制し、言葉を続けた。
「あ、いいえ。体の方は、もうすっかりいいんです。この間まで、体がだるくてちょ
っと熱っぽかったんですけど、今では熱もすっかり引いて、病気になる前より体調が
いいくらいなんです。だから、今日はちょっと町まで買出しにいっちゃいました」
 横へずらされた彼女の視線を追うと、壁際にパンや野菜、果物が入った籠が置かれ
ているのが見えた。そういえば、最初に現れた時、彼女は袋を抱えていたっけ。
「へぇ、それはよかったな。けど、あんまり無茶しちゃ、また体壊しちまうぞ?」
「そうそう。見たとこ結構な量じゃない。ここまで運ぶの、大変だったでしょう?」
 治った、との言葉に安堵の表情を浮かべたレクサスが、すぐに心配そうに声をかけ
る。私もまた、彼の言葉に同意して頷いた。
「平気ですよぉ。さっきも言った通り、病気が治ってからの私、すっごく元気なんで
す。荷物だって全然重くなくて、ちょっと買いすぎちゃったくらいなんですから」
 胸の前で拳を握り、小さくガッツポーズを作る彼女の表情には無理をしている様子
は欠片も無い。確かに、見た目も病人らしさは全く無く、肌も健康そのものといった
色とつやをしている。胸が大きいのは……関係ないだろうけど。
 それはともかく、言葉の通り、本当にもう平気なのだろう。もしかしたら病気で弱
っていた体力が元に戻って、そのギャップを彼女自身上手く捉えられていないのかも
しれない。
「そうだ。折角だし、お二人とも今夜は泊まっていってもらえませんか? 外はもう
日が沈み始めてますから、夜の森を抜けるのは危ないですし。それに、夕飯の材料も
買いすぎちゃって、一人じゃ余らせちゃいますから」
「え? でも、そこまでは……」
「あ、うん。流石に悪いかなって思うんだが」
 このクエストの報酬が手に入らないことを考えると、例え一夜分でも宿代が浮くの
は魅力的な提案だが、初対面の人物にそこまでしてもらうのは流石に気が引ける。そ
う考えレクサスに目をやると、彼もまた申し訳なさそうに遠慮の意を示そうと口を開
こうとした。
「あっ、そんなお気になさらないでください。実の所、私ここ最近はずっと一人で過
ごしていたものですから、こうして誰かとお話するのが楽しくて」
 こちらをじっと見つめるその目には、切実な願いの色が浮かんでいる。確かに、病
気を治すためとはいえ、こんな森の奥に一人で何日もいては、寂しさを堪えきれない
だろう。元は私たちの間違いとはいえ、折角出会えた話し相手をみすみす逃したくな
いという思いは私にも分からないでもなかった。
「……分かったわ。それじゃ、一晩だけお言葉に甘えさせてもらうわね」
「おい、カルディナ!? いいのかよ?」
 吐き出した息と共にそういった私に、驚いたようなレクサスの声がかかる。私はフ
ィアットに頷くと、彼の方に向き直った。
「ま、しょうがないでしょ。考えようによってはこれも人助けよ。正直なところ、こ
の提案は万年金欠気味な私たちには魅力的だし。それにあんた、彼女の顔見て、ダメ
だって断れる?」
「うぐ、そ、それは……」
 私の言葉に、フィアットの方を見たレクサスは気まずそうに口ごもる。そりゃそう
だろう。はっきりいって、かなりかわいい部類に入る顔立ちの少女が瞳を潤ませてこ
ちらを見つめているのだ。女の私でもかなりくるものがあるのに、男の上、根っから
のお人よしでもある彼が断れるはずが無い。
「そ、それじゃあ。今夜は泊まっていってくれるんですね?」
 手を合わせ、心から嬉しそうに顔をほころばせるフィアットに、私とレクサスは苦
笑しながら頷く。
「ええ、折角のお誘いだからね。ごめんね、迷惑かけて」
「いいえ! 全然そんなこと無いです! こちらこそ、ありがとうございます!」
「お、おいおい。そんな感謝されるようなことじゃないってば。こっちがお礼を言わ
なきゃいけないくらいなんだからさ」
 深々と頭を下げる少女に、レクサスが慌てる。顔を上げたフィアットはえへ、と舌
を出すと、軽快な足音を立てながら台所へと向かった。
「腕によりをかけて美味しいご飯を作りますから、期待してくださいね!」
 部屋の出口から首だけを出して、こちらに微笑みかける彼女はとても嬉しそうで、
その顔を見ただけで私は彼女のお願いを聞いてよかったと思ったのだった。

―――――――――――――

「ふう。依頼の情報が間違ってるなんて、最初はとんだ災難だと思ったけど。これは
これで悪くなかったかもね。フィアットには感謝しなきゃ」
 夕食後、彼女から寝室としてあてがわれた部屋の中。彼女は使っていない部屋とい
うことだったが、掃除は行き届いているらしく、ちっとも汚れている様子は無かった。
私は彼女が寝巻き代わりに用意してくれた薄手のワンピースに袖を通しながら呟く。
「フィアット、料理上手ね〜。ちょっと羨ましいくらいだわ」
 彼女の手料理はちょっと変わった味のものもあったが、どれも美味しく私たちは夢
中で平らげてしまった。そのあまりの腕に、途中レクサスが「カルディナも教わった
らどうだ?」とか言っていたくらいである。
「……やっぱり、女の子はちゃんとした料理が出来なきゃダメなのかな」
 彼女の手際よさや、見事な料理の数々を思い出してちょっと気落ちする。そういえ
ば、レクサスがフィアットを食事中何度か見てたような。彼女もまた、意味ありげな
視線を向けてた気がするし。
 いや、私だってまさか料理が一つも出来ないわけではない。ただ、冒険者としての
生活に慣れてしまったせいか、どうしても大雑把な料理の仕方になってしまうのだ。
私の料理は新鮮な食材そのままのものも多いから栄養はあるのだろうが、正直なとこ
ろ、年頃の女の子が作るようなものではない。
「レクサスは、こんな私のことどう思ってるのかな……」
 フィアットの手料理を美味しそうに食べていたスカウトの青年の姿を思い出す。壁
にかけられた鏡を見れば、そこにはやや釣り目の少女が眉を下げてこちらを見つめて
いる姿が映っていた。小ぶりな胸は戦いの時には剣を振る邪魔にならなくて好都合だ
ったが、やっぱり女としては、もう少し大きくてもいいと思う。
「魅力ないかなあ……」
 胸に手を当てたまま、はぁ、と溜息が漏れる。むにむにと肉を揉んで見るものの、
すぐに空しくなって私はベッドに倒れこんだ。
「あ〜あ、やっぱりこんなことしても無駄よね……。馬鹿みたい。いいや、もう寝よ」
 布団にもぐりこみ、横になった私は目を瞑る。ぼんやりと頭に浮かんだのは、それ
にしても、ギルドはなんでこの場所に魔物がいるなんていいだしたのか、という素朴
な疑問であった。
「ま、考えてもしょうがないか……。明日、町に戻ったらクエストカウンターに文句
言ってやろ……」
 ぼそりと呟き、私は意識を手放して眠りへと落ちていった。



「……ん、んんっ……。……あ、あっ……」
 深夜、私は体の違和感に目を覚ました。いや、実際の所ぼんやりとした頭はまだ夢
うつつで、これが現実なのかは理解していなかったが。
「……う、あ……ん?」
 薄く開いた目は、ただ真っ暗な闇を映すだけ。意味の無い言葉が、静かな空気を伝
わり耳に届く。かすかに身じろぎすると、枕の布地が頬に当たった。
「……あ、つい……」
 無意識に声が漏れた。いつの間にか私は掛け布団を跳ね除けており、ベッドの上で
体を丸めている。だが、ただじっとしていることはできず、小さな身じろぎを繰り返
した。
「……ふぁ、あっ……。ん、ん……んっ……っくぅ……」
 荒い吐息が抑えきれず口から漏れる。息を吐き出すたびに、体の熱は高まっていき、
もどかしさが大きくなっていく。
「……う、あ……んん……。な、なによ……どう、したの……?」
 自分の体に何が起こっているのか、さっぱりわからない。部屋の中は相変わらず真
っ暗で、私の呼吸の音と、身じろぐたびに布団が立てる音が妙に大きく耳に響いた。
 体を火照らせる熱は、下腹部よりも下から断続的に生まれているようだった。熱病
に冒されたようでもあり、熱毒が回っているようでもあり、そのどちらでもないよう
な感じも受ける。
「……ど、く? それ……あっ……とも、のろ、い? んふぅっ……! で、でもな
んで……?」
 唇をかみ締め、私は考えをめぐらそうとする。しかし体の熱ともどかしさが邪魔し
て、ちっとも嗜好は形を成さない。
「ふぅ、ふぅ……ん……も、だめぇ……。が、がまん……でき、ない……」
 ついに耐え切れなくなった私は、寝転がったままもどかしげにワンピースの裾をめ
くり上げ、下着をずらす。既にじっとりと湿ったパンツが下げられ、外気に晒された
あそこは、むせ返るような淫臭を部屋に撒き散らすような錯覚を与えた。
「だ、め……。こ、こん、なの……んん……」
 言葉とは裏腹に、私の右手は下半身へと少しずつ近づいていく。指先がぴったりと
あわせられたふとももにかすっただけで、背に雷が走った。
「あっ……くぅぅっ!」
 ふとももでこれなのだから、あそこに直接触れたらどうなってしまうのだろう。恐
怖とともに期待を感じながら、私はそっと指を近づけていく。
 だが、そのとき突然部屋の入り口からドアノブが回る音が響いた。同時に深い黒の
中に、ゆれる蝋燭がぼんやりと光をにじませる。
「……ッ!」
 急転した事態に体をこわばらせた私は、ワンピースの裾を噛み、声を殺す。その間
に軋んだ音を立てて開いたドアから誰かが室内に入ってきていた。ベッド傍らの机に
灯りを置くと、彼女はゆっくりとこちらに近寄ってくる。
「うふふ……」
 蝋燭の明かりに照らされ、笑みを浮かべた少女が私を見下ろす。彼女は昼間の清楚
な印象の衣装とは全く真逆の、透けて見えるような薄い布地の扇情的なネグリジェを
着ていた。
「フィアット……?」
「ええ、そうですよ」
 不可解な少女の登場に、私は一瞬体の火照りともどかしさを忘れる。おそらく間抜
けな顔をしていたのだろう。私を見つめた彼女は、くすくすと笑いを漏らした。
「カルディナさん、気分はいかがです?」
「え……? え?」
 彼女の言葉の意味が分からず、戸惑う私。フィアットはそれに構わず、私の姿をち
らと見ると、楽しそうに言う。
「うふ。そろそろお夕飯の効果が出てきたんじゃないかと思って見にきたんですけど、
思ったよりも効いちゃったみたいですね。ごめんなさい、苦しかったでしょう?」
 その言葉に、再び私は体の熱を認識する。小さなうめきと共に荒い息を吐き出した
私の体を、フィアットはベッドに腰かけると肩と背に腕を回し、抱き起こす。
「……ひゃん! あっ……んっ……あ、あぅ……」
「あ、ごめんなさい。もっと優しくじゃないと感じすぎちゃいますね?」
 私の悲鳴に彼女は謝ると、そっと背を撫でる。彼女の滑らかな手が肌を擦る度に、
私の熱が増幅されていくようだった。
「胸、かわいいですよ……」
「あっ……だめ……んっ!」
 開いたワンピースの胸元からフィアットの手が差し入れられ、私のささやかなふく
らみをそっと撫でる。彼女の手が乳房を優しく包み、乳首に触れただけで私は何度も
喘ぎを漏らした。
「ふふ……もう、しちゃってもいいですよね? カルディナさん、もっと気持ちよく
なれますからね……」
 耳元に口を近づけ、囁くフィアット。私と同じくらい熱っぽい吐息が耳にかかり、
背を振るわせる。
「いただいちゃいますね……?」
 一旦顔を離し、私と正面から向き合った少女の顔が近づいてくる。一瞬の後、私の
唇はフィアットの柔らかな唇と触れ合った。
「んっ……!?」
 驚きに目を見開く私とは対照的に、フィアットは目を閉じ、うっとりとした表情で
唇を嘗め回す。舌はすぐに口内にも侵入し、私に唾液を流し込んできた。
「ちゅ、ちゅぅ……んちゅ……んんっ……」
「む、う……ん、ちゅ……ぱ……」
 最初こそ驚き戸惑っていた私だったが、舌が絡み合い、彼女の唾液が流し込まれる
度に頭に靄がかかり、気持ちよさが思考を占めていった。いつしか私は自ら舌を伸ば
し、彼女の唾液を求めていた。
 その様子を満足そうに見つめていたフィアットは、やがて口を離す。ぼんやりとし
た表情にかすかな不満を浮かべた私に、少女は妖しく微笑んだ。
「そんな顔しなくても、これが終わったら好きなだけしてあげますよぉ。だから、ち
ょっとだけ、我慢してくださいね?」
 にこりと笑みを浮かべたのと同時、フィアットのネグリジェ、その腰の辺りから何
かが擦れる音がした。
「んっ……あはぁ……」
 フィアットは快楽に染まった表情で喘ぎを漏らし、左手で背後の何かを探る。すぐ
にそれを掴むと、パンツを脱がし、だらしなく愛液で濡れた私の割れ目に何かをあて
がった。
「ふぁぁっ……!!」
 敏感な部分が不意に触られた感触に、私は悲鳴を上げて震える。フィアットは、そ
の様子を嬉しそうに目を細めて見やった。
「まだまだですよぉ……これから、もっと気持ちよくなれますからねぇ……? それ
じゃあ、いきますよぉ……?」
「ぁ、あぁ……う……ん、んんっ!」
 あてがわれたものの感触に、いまだ痙攣し続ける私に囁き、彼女は手に力を入れて
何かを挿入しようとする。一瞬後に与えられる刺激と快楽への期待に、私は無意識に
淫らな笑みを浮かべていた。
 だが、フィアットは突然私から飛び退き、部屋の隅に降り立つ。彼女が私から離れ
たのとほぼ同時にドアが勢いよく開かれ、風切り音と共に飛来した刃が私の目の前、
ベッドの柔らかな布団に突き立った。
「ち、外したっ!」
 入り口から、舌打ちと悔しげな声が響く。めまぐるしく変わる状況に混乱したまま
の私が顔を向けると、そこにはたった今ナイフを投げた人物、レクサスが隙の無い構
えでダガーを握っていた。
「あらあ、もう気がついちゃったんですか? こんなすぐに回復するなんて、足りま
せんでしたかぁ?」
 部屋の隅から、意外そうな響きを持ったのんびりとした声が発せられる。
「いやいや、もう十分だよ。これ以上は流石に、そこのパートナーに殺されちまうか
らな」
 いまいちよく分からない会話が二人の間で行われる。しゃべりながらもレクサスは
片手で器用にランプに火を入れ、腰にくくりつけた。部屋の中を先ほどよりも火が明
るく照らし、私たち三人の姿を浮かび上がらせる。
「……れく、さす? なに……? どう……なって、るの?」
 妙な所で止められたせいで、私のもどかしさはひどくなっていた。それでも、事態
への関心が上回り、私は途切れ途切れに彼に問いかける。
 その声にちらりとこちらを見た彼は、私が寝巻きを乱れさせたあられもない姿をし
ているのを見て取ると、一瞬顔をしかめた。だがすぐにフィアットに視線を向けなお
し、じりじりと私に近づきながら悔しげに言う。
「……結論から言えば、ギルドの情報は正しかった。ここには間違いなく、討伐依頼
の出てた魔物がいたんだよ」
「……え? でも……」
「ああ、俺も襲われるまで考えもしなかった。まさか、自分が魔物だって自覚も無く、
人だったときのまま、自然に暮らしているなんてな。いや、会話の中にヒントはあっ
た。気付くべきだったんだ」
 いつに無く真剣な、というよりは焦燥をにじませる彼は私を背後に庇い、続ける。
「原因不明の発熱とだるさ。それが数日で引いたことといい、完治後の体力の向上と
いい……。食事中に時折見せた妙に熱っぽい瞳といい……。よく考えれば分かってお
かしくなかったんだよ。すっかり騙された」
 睨み付けるレクサスの視線を受け、少女は不満げに頬を膨らます。
「ひどい言い様です〜。私はただ、不思議な女の人が出てくる夢を見てから、病気が
治って幸せになったからぁ、お二人にも……気持ちよく、幸せになってほしかっただ
けなんですよぉ」
 そういって一歩、私たちの方に足を踏み出した少女の背から、部屋の闇よりも黒い
こうもりのような羽が伸びだす。彼女に闇が纏わりつくような錯覚のあと、蟲惑的な
肢体をボンデージのような衣装が覆った。同時に丸かった耳が尖り、髪からは硬質で
節のある角が一対、飛び出した。明かりに照らされ、ゆれる細い尻尾は先端がかすか
に濡れ、先ほど私に挿入しようとした物は、あれだったのだと気付く。
「レクサスさんも素敵でしたからぁ……私とずっと一緒にいられるようにしちゃおう
と思ったんですけど……カルディナさんのことが好きだって言うからぁ……私と、カ
ルディナさんとレクサスさん、三人で気持ちよくなろうとおもってぇ……」
 妖しく紅く光る瞳をこちらに向け、頬を染めたサキュバスがうっとりと話す。そこ
には昼間のおっとりとした少女の姿は欠片も無かった。今の彼女はただ性と快楽を求
める一人の淫魔と化していた。
「多分、サキュバスに襲われて自覚の無いまま同属になっちまったんだろうな。もう
すっかり心は魔物だよ、あれは」
 ぼそりと言う彼の頬を、汗が流れる。当たり前だった。元は人間でもサキュバスと
いったら、危険度は狼どころの騒ぎではない。率直に言って、私たちの準備が万端だ
ったとしても勝率はいいとこいって二割だろう。
「はぁ、はぁ……勝つのは、……むり、そう?」
「情けないけどな。それに、サキュバスになってしまってるとはいえ、元は人間のあ
の子だ。カルディナ、斬れるか?」
「……ふぅ……無理、ね。はぁ……ぁっ、冒険者としては、失格、かもしれないけど」
 私たちがぼそぼそと話す間にも、サキュバスはゆっくりと近づいてくる。私たちを
見つめ、彼女は優しく淫らに囁いた。
「……だいじょうぶですよぉ……こわくないですよぉ……。だからぁ、みんなできも
ちよくなりましょうよぉ……?」
 誘惑の言葉を囁きながら、フィアットだったサキュバスは手を差し伸べる。だが、
その指先が届く前に、レクサスは行動を起こしていた。
「折角のお誘いだけど、遠慮しとく!」
 素早く腰のポーチから抜き取った呪符をかざすと、目の前に陽の光を凝縮したよう
な閃光が炸裂した。
「きゃあああああ!!」
 私とフィアットの目はくらみ、視界が白で塗りつぶされる。唯一目をつぶっていた
レクサスはその隙を逃さず、私の背と足に腕を差し入れ、抱えると短く叫ぶ。
「逃げるぞ! 悪い! 視力はすぐに戻るから!」
 直後激しい破壊音と、砕けたガラスが床に降り注ぐ音が鳴り響き、私は彼が蹴りか
何かで窓を破って、小屋を脱出したのだと分かった。抱えられたまま宙に浮く感覚。
跳躍の後、人一人を抱えているとは思えないほど軽やかに着地した彼は、そのまま走
りだす。
「とりあえずここから離れる! カルディナ、少し我慢しててくれ」
「……う、ん……」
 頬に当たる風を感じながら、私はいまだ熱に浮かされた声で返事をした。

「……逃げたって、意味無いのにぃ……」
 二人が去った後、一人残されたフィアットは尻尾を弄りながら、ぼそりと呟く。だ
が、その響きを耳にしたものは、誰もいなかった。

―――――――――――――

「はっ、はっ、はっ……」
 耳元でうるさいくらいに響く呼吸音。体に感じる小刻みな振動。そして、背と足に
回された腕の力強さとぬくもり。それらはまだ体の不快感が消えない私に、不思議な
安堵を与えてくれた。
 頬に当たる風の勢いは、先ほどからちっとも衰えない。あの場所から少しでも離れ
ようと、彼が自らの体力の限界まで足を動かし続けているのだろうことが、それだけ
で分かった。
「ん……う……」
 うめきながらも、私はゆっくりとまぶたを開いていく。先ほどの閃光で一時的に眩
んでいた視覚も、ようやく元に戻ってきたようだ。星星が瞬く夜空と、それより尚暗
い木々のシルエットが目に映る。
「もう、目は大丈夫か?」
 頭上からの声に顔を向けると、私を抱きかかえたままのレクサスの顔が見えた。額
に汗が浮かび、その口からは荒い息が漏れていたが、私の視力が回復したことを認め
るとその顔に安堵の色が浮かんだ。
「さっきは悪かった。ああでもしなければ逃げられそうに無かったんで」
「ううん……いいよ、別に。く、はぁ……気にして、ない」
 謝る彼に、私は首を振る。彼を安心させようと口を開いた瞬間、体の疼きが言葉を
途切れさせた。何とかその感覚を押し殺して言葉を続けたが、結局は彼に顔を歪めさ
せる結果になってしまった。
「あの子に、何かされたのか?」
「…………」
 不安げにかけられた言葉に、私は黙り込む。正直、彼にさっきのことを知って欲し
くは無かったし、上手く言葉に出来そうにも無かった。
「わ、悪い……。言えないことだって、あるよな」
 気まずそうなレクサスの声に、私は目を伏せ、首を振るだけだった。しばらく、妙
な沈黙が二人の間に落ちる。
「……ぁ……ふ……。どれくらい、離れた?」
 それから少ししてようやく口を開いた私の質問に、彼は走る足を止めず答える。
「……正直、今どの辺りなのかよく分からないんだ。星明り以外殆ど真っ暗で、目印
もないし」
 レクサスは顔をしかめ、左右を見回す。だが、黒い影の森は同じような姿を目に映
し続けるだけだった。
「でも……んっ……大分、走ったでしょ? いいよ……一回、降ろして」
「え……? でもさ」
「いいから」
 私の言葉にレクサスはしぶしぶ頷き、道から少し離れた茂みの奥、大きな木の幹に
私の背をもたれさせる。彼もまた、私からやや離れた所に腰を下ろすと、深く静かに
息を吐いた。
「悪い……俺も、限界っぽい……。少し休むよ」
「うん」
 私が頷くと、レクサスは目を閉じ息を整え始めた。だがその最中も辺りの気配に集
中し、獣や魔物の襲撃に備えている。
「はぁ……ふぅ……はぁ……」
 索敵を続ける彼の姿を視界の端に捉えながら、私も自らの体調を整えようと呼吸を
繰り返す。だが、体の火照りと疼きは消えることは無く、それどころか先ほどよりも
いっそう激しくなっているような気がした。
「……ぅ。……ぁっ……んん……!」
 フィアットが夕食に盛った薬とかいうもののせいなのか、それとも先ほど彼女に何
かされたせいなのか。私の感覚は異常なまでに敏感なものになり、背に擦れる幹のご
つごつとした感触や、太ももを風が撫でるだけで、嬌声を上げてしまいそうになる。
必死で唇を噛み、声を殺そうとしても、漏れでた小さな響きが風に乗ってしまう。す
ぐ側の彼には全て聞かれてしまっているだろう。その考えがまた、どうしようもなく
私の体を火照らせる。
「……ん……ぅ、ぅ……や、ぃやぁ……!」
 涙を浮かべ、頭を振る私を流石に見て見ぬ不利は出来なくなったのか、おずおずと
レクサスが声をかける。
「お、おいカルディナ……。だ、大丈夫か……?」
「へ、平気だから……っ! そ、そっとして、おいて……」
 声と共にこちらに近づこうとする彼から逃れようと、私は体を引きずるように離れ
る。それだけで地面と擦れた場所から熱が生まれ、意識を飛ばしそうになった。
「全然ダメそうだろ! いいから、ちょっと見せてみろ!」
 いつになく厳しく強い声が、レクサスから発せられる。既に地面に這い蹲るような
体勢になっていた私の肩に、彼の指先が触れ……。
「あ、だ、だめ……ん、あ、っ……ぁぁあああああああああああああ!!」
 それが、引き金だった。

 彼に触れられた瞬間、全身に溜まっていた熱が、一気に燃え上がったかのようだっ
た。熱に耐え切れず、私は着ていたワンピースを乱暴に脱ぎ捨てる。まるで体の中で
何かが炸裂したような強烈な快感。その勢いに押されるように私の体が変化を始める。
 傍らでは絶句したレクサスが、呆然とこちらを見つめていた。けれども今の私には
彼に視線を気にしている余裕は無かった。
「うぁ……あっ、な、なによ……これぇ……!?」
 まず最初に感じたのは、頭の違和感だった。こめかみよりやや上、髪に隠された肌
の下で、何か今まで存在していなかったものが皮膚を突き破り生まれ出ようとしてい
る。だが痛みは全くなく、それどころかどんどん快感が増していくばかりだった。同
時に耳、そして目、瞳にも違和感が生まれ、私を混乱させた。その間にも人の体から
発するはずの無いめきめきという音が聞こえ、私の頭から何かが生えていく。
「ひ、やだ……なに、何が……?」
 耐え切れず伸ばした手は、髪を掻き分け完全に姿を現したそれに触れてしまった。
硬く、節くれだったそれは、見ることこそ出来なかったが、例えるならヤギが持つ角
のように思えた。
「やだ、いやぁ! 何で、何でこんなものがあるのよぉ!? わ、わたし、どうなっ
ちゃうの!?」
 恐怖でパニックに陥った私をあざ笑うかのように、無慈悲にも体は私とは別のもの
へと作り変えられていく。
 小ぶりだった胸が次第に膨らみ、女性らしさを強調した大きなものへと変わると、
腕や足、胸やお腹の前面を薄紫色の短い毛が覆いだした。
「いやぁあぁぁぁあ!!」
 異様な姿に変わった体を見下ろし、私は悲鳴を上げる。下腹部を中心とした熱はい
まだ引かず、体の疼きはまるで胎内で何かが脈動しているかのようだった。
「あっ、なに……まだ、まだなの……!? やめ、やめて……おねがい、もう、たす
けてぇ……っ!」
 涙をこぼしながらの哀願をも、私の体は受け入れなかった。腰の辺り、お尻のやや
上の辺りがむずつき出し、ぐにぐにと皮膚が伸びていく感触。さらにそこより上部、
背の中ほどよりほんの少し下の部分が左右対称に二箇所、同じような違和感を生み出
す。私は涙とよだれを流しながら荒い息を吐き出し、尻だけを上げて地面にうつぶせ
に倒れこむ。
「あ、あふっ……! だ、だめっ……も、がま、できなっ……! や、いやぁ、あ、
ああぁっ、――――――ッ!!」
 絶え間なく続く快感の責めに、声にならない絶叫を上げ、私が大きく背を仰け反ら
せた瞬間。ずにゅ、という異様な音と共に、今まで存在していなかった何かが私から
現れた。体を構成するパーツが急に増やされたような、違和感という言葉すら生ぬる
い異常感覚。
「……ふぁ、あぁっ……ぁあん……」
 酔ったような、甘ったるい声が私から漏れる。同時に、背中の異部がはためき、風
を打つ音を耳に届けた。重い頭をめぐらせて振り返れば、私の背中、汗で濡れたつや
やかな肌から生える皮膜の羽が、くたりと地に落ちるところだった。
 それだけではない。腰、尾てい骨の辺りからは逆トゲ、というよりはハート型のよ
うにも見える先端部を持つ細い尻尾が伸び、ゆらゆらとゆれている。どちらも生まれ
たばかりで、表面はぬらぬらと濡れ、月光を妖しげに照り返している。
「は、はね……? し、しっ……ぽ? 頭の角といい……これ、これって……!?」
 絶望をにじませながら呟く私。頭では、私が今どんな姿をしているのか、その姿を
持つものがなんと呼ばれるのか、分かっていた。同時に、私に残された人間の部分は、
自らの心を守るため、決してそれを認めようとしなかった。
「か、カルディナ……!」
 震える声でレクサスが私の名を呼ぶ。
 刹那。泣きそうな顔になりながら、そちらに振り向こうとした私に、頭上から別の
声が掛かった。
「やっとみつけましたよぉ。……あら〜、もうすっかり変わっちゃってましたね〜。
たったあれだけでここまで変化しちゃうなんて、カルディナさん、随分敏感なんです
ね〜。それとも、私と相性がよかったのかなぁ?」
 羽ばたきの音と共に、夜空からサキュバスのフィアットが舞い降りる。その途中で、
変わってしまった私の姿を認めた彼女は嬉しそうに、けれどどこか邪悪な笑みを浮か
べた。
「もう鬼ごっこはおしまいにしましょ? もっと、もっと気持ちいい遊び、一緒にし
ましょうよぉ?」
 いまだ倒れこんだままの私に、フィアットがゆっくりと足を踏み出す。地を踏みし
める足音に、それまで呆然と事態を見つめるままだったレクサスは我に返り、私を庇
う位置に動こうと腰を上げた。
「……うぁっ!? な、なんだ?」
 だが、戸惑いの声と共に彼は地面に膝を着く。はぁはぁと息を荒げながらもナイフ
を投げようと腕を持ち上げたが、震える指は柄を握ることが出来ず、短剣は手から零
れ落ちた。
「どういう、ことだ……」
 戸惑いと絶望を浮かべたスカウトの青年に、フィアットの声が掛かる。
「むだですよぉ……。さっきあれだけ私としちゃった貴方は、もう私たちの仲間みた
いなものなんですものぉ。それに、ここには私一人じゃない、私の仲間になったカル
ディナさんもいるんですよぉ? 男の人が耐えられるわけ、ないでしょお?」
「う、うう……」
 うめくレクサスを見、くすくすと笑うフィアットは私の側にやってくると、そっと
体を抱き起こす。
「カルディナさん、素敵ですよぉ……。ほら、レクサスさんにもその身体、見せてあ
げなきゃダメですよぉ」
「やだ、やだよ……。だめ、レクサス、見ちゃダメぇ……!」
 いやいやする私の耳元に熱い息を吹きかけ、フィアットが囁く。
「何でダメなんですかぁ? 貴女も、心のどこかでは彼に見てもらいたいと思ってた
んじゃないんですかぁ?」
「だ、だって……、こ、こんな、こんなの……!」
 涙を浮かべ、顔を真っ赤に染めてうつむく私に、彼女はそっと、だが残酷なまでに
はっきりと言い放った。
「こんな、なんていっちゃいけませんよぉ……。だって……カルディナさんは、もう
『サキュバス』なんですからぁ……」
「いやっ! いわないでっ!! やだ、身体が、またあつく……いやぁああ!」
 フィアットの口から発せられた「サキュバス」という、今まで考えないようにして
きた名前を認識してしまった瞬間、私の人としての何かを支えていた最後の部分が折
れた。同時に、身体の中で急速に欲望が、それも今すぐ男と交わりたいと言った類の
欲が燃え上がる。
「あ……だめ、もう……がまん、できな……。おかしく、なっちゃ……」
「ね、カルディナさんも、彼のこと好きなんでしょお? ……遠慮なんてしなくてい
いんですよぉ? 自分の心のままに、したいように……ね?」
 フィアットの囁く言葉が少しずつ私の心に浸み込み、思考をぼやけさせていく。
「うん……そうだよね……。私、魔物になっちゃったんだもんね……」
 私は夢遊病の如くふらふらと立ち上がると、背後にフィアットの視線を感じながら、
光を失い人外のものへと変化した瞳で、うずくまるパートナーの青年を見つめ、淫ら
に口をゆがめる。
「か、カルディナ! おい、しっかりしろよ!?」
 豹変した私の態度に、レクサスの声にわずかな怯えが混じる。私たち二人のサキュ
バスが発する魔力に当てられ、その場から動けず石のように固まってしまった彼に私
はゆっくりと近づいていく。尻尾がどこか扇情的に揺れ、小さな羽が興奮を隠し切れ
ずはためいた。
「レクサス……しよ?」
「だ、だめだ……!」
 歯を食いしばり、わずかに顔をそらして言葉を吐き出す彼に、私は首をかしげる。
「何がダメなの? もう、ここだってこんなになってるじゃない?」
 そっと手を彼の股間に伸ばせば、既に硬くなったものがズボンの布地を押し上げて
いた。
「ぅくっ……! や、やめ……!」
 服の上から撫でられただけで、彼の身体が跳ねる。素直な反応に気をよくした私は、
ズボンの中に手を差し入れる。熱く硬い肉の棒が手に振れた瞬間響いた喘ぎにくすり
と笑い、優しく愛撫を始めた。手の平で太い棒をさすり、細い指を絡め、包み込みな
がら撫でる。
「あぐ……う、あっ……! ああっ……! ん、あ、く……!」
 私の手が蠢くたびに快感に翻弄され、声を上げる彼を見つめながら、私は空いた手
で彼の服を脱がしていく。露にされた上半身にそっと触れ、男性らしい胸板をそっと
引っかいた。それにまた、青年の股間のものが反応する。
「あは。気持ちいいの? 私もね、あなたのを触ってるだけで、すごく気持ちいいの。
ほら、もうこんなになっちゃってるんだよ」
 レクサスへの愛撫を続けながら、私は手を自らの股間に伸ばす。薄紫の体毛で覆わ
れた割れ目はぐっしょりと濡れ、指が触れると小さな水音を立てた。背に走る快感の
電撃に、私は震える。
「あぁん! んっ、あ、いいよぉ!」
 指を入れたまま、音を立てて中をかき回し、私は快楽に酔う。抑えきれない劣情と
興奮のなかに、ほんのわずかな悲しみが入り混じった複雑な表情を向け、こちらを見
つめる青年の視線に気付くと、私は口の端をゆがめ、淫魔らしい笑顔を浮かべた。
「うふふ……。見てるだけじゃ我慢できないよね……。いいよ、レクサス……私の中
に来て。ひとつに、なろ……?」
「う……、や、やめ……むぐぅっ!!」
 私の言葉に、これからどうなるのかを察した彼は一瞬だけ正気を取り戻し、かすれ
た声で私を止めようとする。だが、その言葉を最後まで続ける前に私は自らの唇で彼
の口をふさぎ、口腔に舌を伸ばした。
「ちゅ……んっ……んちゅ……」
 彼との口付けは、芳醇な果実酒のようだった。私は美酒をもっと味わおうと舌を動
かし、彼の唾液を舐めとり、口の中を隅々まで舐めまわす。それだけで痺れるような
感覚が脳を焼き、私の秘所を濡らし 身体の熱を高めていく。それだけでは満足でき
なかった私は、大きくなった胸をレクサスに押し付け、体重をかけて青年を押し倒し
ていった。
「ちゅ……ちゅぱ。ほら、おっぱいもね、大きくなったんだよ? レクサス、触って
もいいよ? ぐにゅぐにゅって、揉んじゃってもいいんだよ。ほら、ほらぁ」
「う、ぅ……」
 私は彼の手をとり、胸に押し付ける。キスの時に流し込んだ私の唾液には催淫効果
があるらしく、青年の声には意思が薄れかけていた。私の言葉に素直に従い、胸をも
みしだく。
「きゃぅ! ん、あっ……きゃふっ! そう、いいよぉ! もっと、もっとしてぇ!」
 彼は私の求めに応じ、激しくお乳を責め立てる。私は快感に叫びを上げ、身悶えた。
でも足りない。気持ちいいんだけど、私が本当に欲しいのは、これじゃない。
「ああん! んうっ、それじゃ……そろそろ、こっち……んぅ……でね?」
「あ、あぁ……」
 私はレクサスの上に乗ったまま、彼のズボンと下着を脱がせる。窮屈な布から解放
された彼のモノは石のように固くなり、先端には堪えきれない興奮がもたらした透明
な液がにじんでいた。
「あはぁ……。私でこんなにしてくれたの? 嬉しいな……。じゃ、お礼を上げなき
ゃね……。いくよぉ……」
 肉棒を握って割れ目にあてがい、私は腰を下ろしていく。痛みも、異物が中に入っ
てくることへの嫌悪感も全く無く、私が感じていたのは快感だけだった。
「あっ、ふぁぁ……あああああああんっ!!」
 獣のような吼え声をあげ、私は彼のモノを根元まで飲み込む。結合部に紅いものが
混じったが、私も、彼も気にすることは無かった。
「ふぅ……あ、あん……。どう? 私の、なか……」
「……きもち、いい……よ……」
 光の消えた瞳で彼が見返し、ぼんやりと呟く。理性が眠りに落ちた彼の言葉は、紛
れもない真実の感想なのだろう。私は幸福と満足を感じながら、優しく微笑みかける。
「ふふ……ありがとう……。もっともっと、気持ちよく……なろうね?」
 すぐさま、私は腰を動かし始める。レクサスもまた、私と呼吸を合わせて突き上げ、
さらなる快感を送り込んでくる。彼の身体と私の身体がぶつかり、それにあわせて胸
が弾んだ。くねる尻尾が彼の肌に触れ、今まで体験したことの無い感触をもたらす。
膣内を擦られる感覚に、私はだらしなく舌をたらしながら嬌声を上げた。
「あはっ、や、やぁ……きゃ、んんっ、はっ、はっ……! 足りないよぉ……もっと、
はげしくぅ……っ!」
 私の求めに、彼は無言で動きを強めていく。下から打ち付けられるような強烈な勢
いに私はがくがくと揺さぶられて背の羽を動かし、蕩け壊れかけた笑みを浮かべなが
ら息を吐き出す。
「はっ、くはぁっ! あは、ははっ、あはははっ!」
 感じる快楽に天井なんて無いかのようだった。彼に一突きされるたびに、どこまで
も、どこまでも快感は高まっていく。
 でも、それは錯覚に過ぎなかった。彼が一際勢いよく私を突き上げた瞬間、下腹部
で燃え滾る炎が一気に私の思考を焼き尽くし。
「あ、あ……あああああああああああああああぁぁぁっ!!」
 彼にまたがったまま、私は背を弓のように反らし絶頂に達した。すぐに糸が切れた
身体はレクサスの上にくたりと倒れこみ、心地よい疲労感と共にまぶたが下がってい
く。もう何も考えたくなかった。今はただレクサスの上で、彼の体温を感じながら眠
りたかった。そう思うと同時に、私の意識はどんどん遠のいていく。

「もう、ずるいですぅ……。二人だけで気持ちよくなっちゃって。ふぅ、仕方ないで
すねぇ……」
 完全に意識が奈落に落ちる前、私はそんな声を聞いた気がした。

―――――――――――――

「……あ」
 間の抜けた声が、私の口から漏れる。薄く目を開き、ぼんやりとした頭のまま周囲
を見回した。どこかで見た天井。あまり使われてないのか、妙に固めの枕。皺のよっ
たシーツ。そうだ、ここはフィアットの小屋。私の寝室としてあてがわれた部屋だ。
「……ゆめ?」
 ベッドから身体を起こし、呆然と呟く。さっきまで、確か私は……? 記憶を呼び
起こそうと目を閉じた時、不意に身体の違和感に気付いた。
「え?」
 腰の辺りから感じるモノが一つ。そのやや上、背中から感じるモノが二つ。そして、
頭から感じるモノが二つ。
「まさか……?」
 震える声に、空気を打つ音が応える。自分がそれを操ることが出来るという感覚に
恐怖しながら、わたしはこわごわと背の違和感を目の前に来るよう、動かした。
「……!」
 暗闇の中、私の目に映ったのはやはり黒く薄い皮膜の羽だった。愕然としつつ手を
腰に回すと、指が細い尻尾に触れる。そのままつぅと表面をなぞっていくと、腰の生
え際まで指が滑った。
「ゆめじゃ……なかったの、ね……」
「ええ、そうですよ」
 ぽつりと呟く私に、女性の声が答える。はっとして振り向いた私の前でドアが開き、
一糸纏わぬ姿のサキュバス――フィアットが姿を現した。
「お目覚めですか、カルディナさん? さっきは二人ともあのまま気絶しちゃうんで
すもの、ここまで運ぶの大変だったんですよぉ」
 フィアットはわざとらしく溜息をつき、頬を膨らませる。
「でも、折角カルディナさんとレクサスさんが結ばれたんですから、許してあげます。
さ、レクサスさんも待ってますし、今度は3人でしましょうね。ほら、カルディナさ
んもこっちで一緒に楽しみましょ?」
 優しげに、淫らに微笑む彼女の瞳は、紅く染まり妖しげな色を湛えていた。同時に、
股の付け根から太ももを愛液が一筋垂れる。
「うん……。そうだね……私も、もっと、欲しい……」
 開いたドア、その向こう側から流れ込むむせ返るような淫臭が鼻をついた瞬間、私
は自然にそう言っていた。もう、私の心にどれほど多くの――あるいはどれほど少な
くの――「人間」が残っているのかは分からなかった。きっと、元に戻ることは無い
んだろう。それでもよかった。今はただ、大好きな彼と交わりたい、気持ちよくなり
たいだけだった。
「ふふ、よかった。カルディナさんの顔、とっても幸せそう。ほら、レクサスさんを
待たせちゃ可哀想です。早く行きましょう?」
 私を見つめ嬉しそうに笑うサキュバスが差し伸べた手を、私は躊躇い無く取る。ま
だ彼女のものよりは小さな羽と尻尾が、期待と興奮を隠し切れないように蠢き、私は
フィアットと共に部屋を後にした。
 これから始まる饗宴の場に向かうために。

――『夜の娘たち』 Fin ――

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