ラージマウス被害報告書
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「はぁ、はぁ、はぁ……!」
 薄暗い森の中、わたしはわき目も振らずにひた走る。心臓は早鐘のように激しく打ち鳴
らされ、今にも破裂しそうだ。荒く短い息が吐き出されるたびに、肺が苦悶の声を上げる。
 しかしそれでもわたしは走るスピードを決して緩めず、歯を食いしばって走り続ける。
 わたしの目の前には、小道の両脇に立ち並ぶ木々のシルエットが、折り重なる黒い怪物
のようにその姿を現し続けていた。けれども、今のわたしにはその光景を恐怖に思う余裕
は無かった。
 なぜなら、怪物ならついさっきこの目で見てきたばかりなだったから。
 もしかしてあの怪物が私を追いかけてきてはいないだろうか。暗い夜の森の中は、普段
目にしてよく知っているはずの景色とは全く違っていて、今わたしがどの辺りにいるのか
も分からなかった。さらに、必死で逃げるわたし自身、どのくらい走ったのかということ
もよく分からなかった。それでも、もうあそこからは随分離れたはずだとは思う。だけど、
それでもまだ安心は出来なかった。闇の中に不気味に輝くあの目が、いまだに脳裏に焼き
ついている。こうして走っていても、後ろからあの目が迫ってくるのではないかという考
えが消せなかった。背後を確かめたいという欲求が、何度かわたしを振り向かせようとか
すかに首を動かそうとするが、それ以上の怪物への恐怖がそれを押し留めていた。
 心に再び浮かんだ恐怖を打ち消そうと、わたしはさらに走るスピードを上げる。薄い布
地の衣服一枚しか着ていないわたしには、夜の外気がまるで身を切るナイフのように感じ
られた。
「っ!?」
 不意に、走り続けるわたしの足に激痛が走り、視界に映る景色が暗転する。同時に全身
にも激しい衝撃と痛みが襲い掛かり、口から空気をたたき出されたわたしはうめき声を上
げた。
「う、うう……」
 頬に地面が当たる感触がする。転んだのだと気付くのに少々かかった。目に涙を浮かべ
両手をついて立ち上がる。足元も暗くて分かりにくかったが、どうやら木の根が地面から
飛び出ており、わたしはそこに足を引っ掛けてしまったらしい。
「…っ、いた……」
 再び走った痛みに顔をしかめて、足におそるおそる手をやると、転んだ時に軽くひねっ
てしまったようだった。無我夢中だったために気付かなかったが、それ以外にも裸足のま
まずっと駆けてきたせいで足はあちこち傷だらけで、とてもではないがこれ以上走ること
はできそうにはなかった。
 ざあっと吹き抜けた風が木々を揺らし、ざわざわと不気味な音を立てる。
「ひっ……」
 真っ暗な森の中、まるで怪物に囲まれているような錯覚がわたしに短い悲鳴を上げさせ
た。立たなくちゃ、立ってここから逃げなくちゃ。頭ではそう分かっているのだけども、
がくがくと震える身体はまるで言うことを聞いてくれず、わたしはうずくまったまま怯え
ることしかできなかった。
「つかまえた」
 突然響いたわたしのものではない声が、耳に届く。同時にわたしの肩に小さな手がぽん
と置かれた感触が、薄い布地ごしにはっきりと伝わってくる。それだけで、わたしの身体
は先ほど以上に激しく震えだした。かすかに開いた口からは、しかし悲鳴も助けを呼ぶ声
も出せず、ただ意味の無い小さな音が漏れるだけだった。
 そんなわたしの様子には構わず、「それ」は意地の悪い声でくすくすと笑い声を漏らす。
「おにごっこはもうおしまい? それじゃあ、こんどはべつのあそびで、あたしとあそぼ
うね。ふふ、たっぷりと、ね?」
 その言葉が終わると同時に、肩に置かれた手に力が込められるのを感じたわたしは、つ
いに恐怖に耐え切れず気を失った。
 完全に意識が闇に落ちる前に、最後に私の耳に届いたのは小さな女の子の笑い声と、か
すかに響くネズミの鳴き声だった……。

――――――――――――――

 天を覆う木々の枝の切れ目から覗く星々の煌きの下、俺は深い森の中を伸びる街道を一
人、とぼとぼと歩く。
「ふう、すっかり遅くなっちまった。結構遠出をしてみたものの、たいした収穫はなし、
か……」
 肩からかけたバッグを軽く叩き、誰に言うでもない独り言が漏れる。一人での活動が多
く、長いせいもあって、これは俺の癖のようなものになっていた。冒険者と行商まがいの
行為で生計を立てている俺には、こうしてしばしば新たな商品となるアイテムの探索や仕
入れ、そして商売相手を探して遠方へと足を伸ばすのだが、今回の旅では残念ながらめぼ
しい収穫は得られなかった。
 もっとも、ただでさえ一人での旅には山賊をはじめとした危険が付きまとう上、最近で
は各地で魔物の動きが活発になっているという話も行く先々で耳にする。そんなご時勢だ
からか五体満足で家に帰ってこれること自体がなによりの収穫である、なんてことを知り
合いの冒険者ですら言うような時代だ。贅沢を言っちゃあ罰が当たるのかもしれん。
 とはいえ、多少の無茶をしなければ飯を食っていけないのがこんな仕事の宿命。そう思
ってこうして危険を承知で初めての土地にまで出てきたのだが、ちょっとばかり足を伸ば
しすぎたようだ。まだまだ町には距離があるし、この分では野宿をするハメになりそうで
ある。
 だが、正直こんな森の中で一人で野宿というのは御免こうむりたい。寝袋につつまった
が最後、永遠に目が覚めませんでした、なんてオチがありえないとは言えないからな。
「同じ野宿でもせめて廃屋でもあれば、まだ違うんだが……」
 そうぼやきながらも、俺は道沿いに歩き続けるのだった。

「……ん? 何だ?」
 しばらく街道を進んだ先、俺の目が道の先、路上にある妙なものに止まる。闇の中でも
何とか分かる不自然な影の形から察するに、どうやら道の真ん中に何かがあるようだ。い
まだ真っ暗な森の中ということもあって、少し離れたここからではその細部をよく見るこ
とは出来ないが、そのシルエットはただの落し物にしては大きすぎる。
「どこかの馬車から、荷でも落ちたのか? それにしてもこの辺りは交易路ではないはず
だが」
 自身の疑問と不審に急かされるように、俺はそれへと近づく足を速める。距離が縮むに
つれて暗がりの中でもはっきりと細部が判別できるようになると、俺はまた別の理由から
さらに足を速め、ほとんど間もなく駆け出していた。
「なんてこった……!」
 走りながら、俺の口から驚愕の声が漏れる。深い森の道の真ん中、地面に横たわってい
たそれは間違いなく人――それも、まだ幼い女の子であった。ぐったりと力なく倒れこん
でいる体はぴくりとも動かず、俺の背にひやりとしたものが伝う。
「おい! 大丈夫か!?」
 彼女の側にしゃがみこんだ俺は呼びかけながら、その体を抱え起こす。一瞬最悪の想像
が脳裏をよぎったが、触れた体は温かく、脈もあるようだった。幼い顔には苦悶の表情が
浮かび、ひどく衰弱しているようだが、とりあえず命には別状は無いように見える。ひと
まず安心した俺の口から、安堵の長い息が漏れた。
 一体なんでこんな所に倒れているのかは分からないが、このままにしておくわけにも行
くまい。たまたま通りがかった俺が見つけたからいいようなものの、こんな森の中にほっ
といたら朝になる前に野生の狼か、それでもなきゃ魔物の餌になっちまうのが関の山だ。
 まあとにかくどこか安全に休める場所、できれば近くの村か町まで連れてってやろう。
こんな幼い子ども一人で遠くからここまでやってこれたとは考えづらいし、家や知り合い
が見つからないにしても、何かしらの情報は手に入るだろう。
 そう考えて女の子をもう一度見た俺は、彼女が薄い服一枚しか着ておらず、靴すら履い
ていないことに気付いた。簡素なつくりに申し訳程度の装飾が施されたその服も、あちこ
ち破けてぼろぼろで、細い足にいたっては出来たばかりの無数の傷が無残な姿を露にして
いた。とてもじゃないが、普通の状況ではない。
「一体何なんだ……? と、とりあえず手当てだな」
 俺はバッグから傷薬と包帯を取り出すと、女の子の足の傷口を消毒し、手早く処置をし
ていく。薬は俺の行商での主な売り物なので、常に一定以上の数はある。この子に使った
としても、仮に町に着くまでに怪我をしても俺の分が不足することは無い。まあそんなこ
とを抜きにしても、傷ついた子どもを前にして使わないなんて選択肢は無かったが。
 彼女の傷は、裸足のまま走ったために出来たらしい足のものがほとんどであったが、ほ
かに腕にもいくつか枝か何かに引っ掛けたような切り傷があった。そちらにも同じように
手当てをしていく。
 と、一箇所、他のものとは異なる傷があるのに俺は気がついた。
「なんだこれ……噛み傷? けど獣にやられたにしては噛み千切られてはいないし、何だ
かこの痕、子どもが噛み付いたような感じもするが……まさかな」
 我ながらバカな想像だ、そう笑い飛ばすと俺は手当てを続ける。あくまで応急処置では
あるが、それでもやらないよりはずっとましだろう。
「よっと、これでいいか。さて、いつまでもこんなとこにいてもしょうがないし、先を急
ぐとしますかね」
 数分で彼女の手当てを終えた俺は道具をしまい、幼い体を背におぶる。二、三度体をゆ
すって安定を得ると、また街道を歩き出した。

 そうして、またしばらく森の中を歩き続ける俺の背で、背負った女の子がかすかに身じ
ろぎをするのが感じられた。直後耳元に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声が響く。
背負っている俺からは見ることは出来ないが、どうやら彼女が目を覚ましたようだ。
「……う、ここは……。わ、わたし……?」
 まだ事態がきちんと把握できていないのか、ぼんやりとした調子で彼女は呟く。声の感
じから察するに、先ほど倒れていた時よりは幾分元気を取り戻したらしい。
「お、気がついたか。よかった。体の調子はどうだ?」
「え? きゃっ! あ、あなたは!? ここはどこなの!?」
 なるだけ彼女を怖がらせないように、優しく声をかけたつもりだったが、目覚めてすぐ
に見知らぬ男の背に負われていること自体が彼女にとっては驚愕の出来事だったのだろう。
一瞬の間もなく悲鳴を上げると、背負われたままばたばたと暴れだした。
「離して! おろして! いやあ、助けてぇ!」
「ちょっと待て! 暴れるな落ちる! いて! やめろ説明するから!」
 彼女が夢中で振り回した手が、俺の頭や体に当たる。必死に説得の言葉を口にしながら、
ずり落ちそうになる彼女の体を何とか背負いなおす。ややあって、俺が彼女に危害を加え
るつもりがないのを何とか分かってもらえたのか、おとなしくなった彼女の気配を探りな
がら俺は口を開く。
「ふう、やれやれ。こんな状況で、いきなり見ず知らずの男にこんなこと言われても信用
できないかもしれないが、俺には君をどうこうするつもりは無いよ。それだけは分かって
くれ」
「は、はい……。あの……ご、ごめんなさい」
 しゅんとした声で謝罪の言葉を口にする女の子。どうやら、幼い見た目とは裏腹にかな
りしっかりした子のようだ。これなら、いろいろ情報を聞くことも出来るかもしれない。
「気にしないでいいさ。そっか、まあお互い名前も知らないんだし、怖がっても無理も無
いよな。俺はジェイク、見ての通りしがない行商人さ。
それより、君は何でまたこんな所に?」
「…………」
 しかし、俺の問いかけに返ってきたのは沈黙だった。何か人にはいえない事情があるの
だろうか。まあ、既に異常な事態だし、厄介ごとには違いない。正直面倒くさいことにな
らないといいのだが。ついそういうことを考えてしまった俺は、だがすぐに彼女の沈黙の
理由が分かった。
 幼いその体が震えている――恐怖を感じて、いやおそらく思い出しているのだ。一体何
があったのかまでは分からないが、とにかく口をきけないくらい怖い何かがあったのだろ
う。やっぱり素直に町まで送って、はいおしまいとはいかなそうだ。
「言いたくないなら無理には言わなくてもいいぞ。その、無神経な質問だったな。すまん」
 謝る俺の言葉に、背中で首を振る気配。
「いえ、その……」
 彼女は彼女でなんとか説明しようと口を開くものの、やはり上手く言葉が出てこないよ
うであった。まあ、こんなところに一人で倒れていること自体普通じゃないんだし、長い
話になりそうだったが。

 わたしが目を覚ますと、そこは知らない男の人の背中だった。最初はびっくりしたし、
怖かったが、思わず人攫いかなにかと思い暴れてしまったわたしが落ちないように気をつ
かってくれたところをみると、いい人のようだった。落ち着いて自分の体を確かめてみる
とあちこちに包帯が巻かれ、傷の手当てもされていた。どうりで、あんなに動いても痛く
なかったわけだ。ますますこの人が悪人ではないと思えた。
 だけど、何があったのかと聞かれたわたしは上手く答えを返すことが出来なかった。一
言で説明できるようなものではなかったのもその理由の一つだけど、それ以上にあの恐怖
がよみがえってきたのが原因だったのだ。気を失う前に聞いたあの声が今でも耳の奥で響
いており、体の震えを止めることはどうしても出来なかった。
 そんなわたしを気遣うように、ジェイクと名乗った男の人は私を支える腕に力を込める。
その暖かさと力強さがわたしに勇気を与えてくれるようだった。
「わたし、セリンといいます。……その、助けてくれて、ありがとうございました」
 その手に力を貰い、何度か口を開きかけ、ようやく自分の名前とお礼の言葉を伝えるこ
とが出来た。うん、大丈夫だ。いまならちゃんと何があったか説明できる。そう考えても
う一度口を開いたわたしを、ジェイクさんの言葉が遮る。
「何だ、あれは……?」
その言葉に顔を上げると、緊張にこわばる彼の背に負われたままのわたしの目にもすぐに、
前方の闇の中に浮かぶいくつかの灯りが映った。

――――――――――――――

「ああ、セリン! 無事だったか!」
 俺たちの前に現れた男は、背負われた少女――セリンの姿を認めると、顔をほころばせ
た。その声に気付いた他の灯りも、次々とこちらに向かい、茂みの中から男達が姿を現す。
どうやら、彼らは少女の捜索隊のようだった。先ほど見えた灯りは、彼らが手に持つたい
まつの火だったのだ。一瞬、ウィル・オ・ウィスプかなにかと思ってしまったが。
 茂みから現れたの男を含め、今俺の眼前にいるのは中年の男達が5人ほど。皆片手には
赤々と燃え盛るたいまつを持ち、もう片方の手には鉈やナイフ、手斧などを持っているほ
かはごく普通の村人といった格好だ。装備や格好から見て、冒険者のようにしっかりした
捜索隊ではあるまい。おそらく、村の人々が自発的にやっているようなものであろう。
 つまりそれは、ここからさほど遠くない所に彼らが住む集落があるということだ。セリ
ンの村もそこで間違いないだろう。俺はこの辺りに不慣れなため地理には明るくないが、
彼らに道を案内してもらえば、いくら夜の深い森の中であろうとまず迷うことはあるまい。
 やれやれ、思ったよりあっさり片付きそうだ。俺は内心で安堵の吐息を漏らし、この中
でのリーダー格と思しき男に声をかけた。
「あ〜……、察するにあんたら、この子のことを探してたみたいだな?」
「はい、そうですが……。あの、あなたは?」
「おっと、名乗りが遅れた。俺はジェイクっつー行商人だ。たまたまこの道を通ったら、
この子が道に倒れてたもんでね。何だかひどく怖い目に遭ったみたいで、正直どうしよう
かと思っていたところだ」
 俺の言葉に、リーダーの男は深々と頭を下げる。
「それはそれは、わざわざありがとうございました。この子が急にいなくなって、村のも
のも皆心配していたのです。本当に、無事でよかった」
「…………」
 そういって心の底からの安堵を表情に表す男。だが、一方で肝心のセリンはさほど喜ん
でいるように感じられなかった。さっきのように、まだ恐怖の記憶のためだろうか? だ
がそれにしては何か引っかかる……。
 だが、俺の疑問は形にまとまる前に男が発した言葉によって頭の片隅に追いやられた。
「あの、私達の村はすぐ近くですし、よろしかったら村までご一緒してくださらないでし
ょうか? 何も無い村ですが、一夜の宿くらいならご用意出来ますから」
 そういってリーダーは周囲の村人に同意を求めるように顔を見回す。他の男たちも特に
異議を唱えることも無く、むしろ歓迎するような様子を示していた。ならば、折角の好意
を無にするわけにもいくまい。あまり戦闘に長けていない俺には、不慣れな土地で幼い子
を守りながらの野宿は危険すぎる。
「いいのか? ありがたい、正直今夜の宿はどうしようかと思っていたところだ」
「おお、ならば是非」
 まさに情けは人のためならず。当面の課題があっさりと片付いたことに気をよくした俺
は、彼らにこちらから頼みこむ。すぐに村へと向かって引き返していく彼らの後を追うべ
く、俺はセリンをおぶさったまま再び歩き出した。
 背後の女の子が、恐怖と困惑に顔をこわばらせているのに気付かないまま……。

――――――――――――――

 街道をしばらく行った後、森の中に分け入るような小道にそれ、そこから少し歩くと小
さな村が見えてきた。捜索隊の男達に案内されるまま村の入り口となっている木で作られ
た門をくぐると、豊かな白いあごひげを伸ばした老人をはじめ、多くの村人が俺たちを迎
え入れた。皆一様に安堵の表情を作って、俺――というよりは、その背に負われた少女を
見つめている。
 だが、何となく人々の顔に浮かぶ表情が……迷子の子どもが無事に帰ってきたことに安
心するというものではないような気がしたのが、引っかかる。そういうものというよりは、
上手くいえないが……なんだか別の感情がこもっているような……。
 どこ合点が行かない俺の前に、人々の輪の中からあごひげを伸ばした一人の老人が一歩
前に出る。
「私が村長です」
「……はあ、それはどうも」
 突拍子も無い自己紹介になんと返したものかと思いつつ、俺はとりあえず頭を下げる。
俺の横に立つ、ここまで道案内をしてくれた男が村長に歩み寄り、二言三言何かを囁くと
彼もまた頷いて何か言葉を返す。彼らの話し声は小声なために、ここからではその内容は
上手く聞き取れなかった。
「ああ、申し訳ありません。少し、この後のことについて指示を出しておりましてな。
遅くなりましたが、セリンを助けていただいてありがとうございました」
 訝しげに見つめる俺の視線に気付くと、村長はこちらを向いて頭を下げた。俺はセリン
を背から下ろし、さっとみて傷の具合を確かめる。彼女ももう自分一人で立てる位には回
復していたが、やっぱりまだ気持ちのほうは落ち着いていないのか、不安そうな顔で俺の
上着のすそをぎゅっと握った。
「いや、たいしたことはしてない。まあところどころ傷は有るが、命には問題ないし、大
事になる前でよかったよ」
「いやはや、まったくですな。ほら、セリン。お前も疲れただろう。詳しい話は明日でい
いから、今日はうちに帰ってお休み」
 村長の言葉に戸惑ったような表情を見せたセリンだったが、捜索隊のリーダーに手を引
かれると、のろのろと歩き出した。最後に一度こちらに顔を向けたが、手を引かれて歩く
彼女の姿はすぐに建物の陰に隠れて見えなくなってしまった。彼女の姿が見えなくなると、
他の村人もいそいそと自分の家に戻っていく。
 最後に見えた少女の表情に、またなんともいえない違和感を感じた俺だったが、直後に
話しかけてきた村長の言葉が意識をそちらに向けさせる。
「ジェイクさんといいましたかな。セリンを助けていただいたお礼としては、足らないで
しょうが、私の家にベッドを用意しました。今日はお疲れでしょうし、もう夜も遅いです
しな。あなたもお休みになられてはいかがですかな? 詳しい話は、また明日聞かせてい
ただければ十分ですので」
「あ、ああ。それでいいなら、そうさせてもらうよ」
 確かに、幼い女の子とはいえ、人を一人背負って結構歩いた体は疲労している。それで
なくても今日は随分歩いたのだ。安全な宿も確保できたことだし、お言葉に甘えてさっさ
と休ませて貰おうか。
 そう考えた俺は村長に案内されるまま彼の家へと足を向け、もてなしに出された酒を一
杯だけ飲むと着替えもそこそこに用意されたベッドに倒れこんだ。
 やっぱりかなり疲れていたようだ。柔らかな布団の感触を全身に感じてまもなく、俺の
意識は闇へと落ちていった。

 集まっていた人々の輪を抜け、村はずれの小屋までわたしを連れてくると、おじさんは
急に怖い顔になった。おもわずびくりと体が震える。
 そんな様子を見つめていたおじさんはすまなそうな顔をして、ぽつりと呟く。
「……わるいな。だがわかってくれ、俺たちが生きていくにはこうするしか……」
その声と共に、避ける間もなくわたしの口元に布が押し当てられる。かすかに甘い香りが
したと思った瞬間、私の全身から力が抜けていった。
 急速に目の前が暗くなる。抗うことも出来ないまま、わたしは自分の体が小屋の板張り
の床に倒れる音をどこか遠くのことのように聞いていた。



 ジェイクが眠りに落ちたことを確かめると、村長はドアを静かに閉め、椅子に腰掛ける。
すると、入り口のドアが音も無く開き、先ほどの捜索隊のリーダーが姿を現した。
「指示のとおり、全て準備しておきました」
「ふむ、とりあえずは何とかなりそうじゃな」
「はい、一時はどうなることかと思いましたが」
 二人は顔を見合わせて息をつく。ややあって、男の方がややためらいがちに口を開いた。
「……それで、あの子はまた?」
 その言葉に押し黙り苦渋の表情を見せた老人だったが、すぐに顔を上げると頷く。
「うむ、かわいそうじゃが仕方あるまい。朝までに、あの子はまたあそこに。
ああ、そうじゃ、この行商人とかいう男も一緒に連れて行くとしよう。幸い今のところは、
村に大きな被害は無かったが、彼女が逃げた分の埋め合わせはしておいて損はあるまい。
……それに、いろいろ吹いて回られてもこまるからの」
「わかりました。では、夜のうちに」
そういって頭を下げた男は、そっと、ジェイクの寝室へと入っていった。

――――――――――――――

「……へっくしゅ!」
 反射的に出た自分のくしゃみの音で、俺は目を覚ます。何故か周囲の空気が異様に冷た
い。自然と体ががたがたと震えるくらいなんだから、くしゃみも出て当然だろう。
 というか、昨晩俺は確か暖かい布団に包まって眠っていたはずだが。何でこんなに寒い
のか理解しかねる。いくらなんでも、この気温の低さはおかしいだろう。それに、何だか
体に伝わる地面の感触もふかふかのベッドではなく固いもののようだし。これはあれか、
寝ぼけて布団をふっ飛ばした挙句、床に落ちたとかそんなところか。やれやれ、俺はそん
なに寝相が悪いはずじゃあないと思ってたんだが。まいったね。
 などと暢気な考えを浮かべていた俺の意識は、手に触れた地面が板張りの床だとしても
妙にごつごつしていたこと、そして天井から垂れ落ちる水滴が、頬にぴちゃりと当たった
ことで一気に覚醒した。
「……!?」
 慌てて飛び起き、目を数度しばたたき、さらには手の甲で乱暴にごしごしとこする。そ
れでも俺の目に映る景色は変わらず、これが夢や幻、錯覚の類ではない、紛れも無い現実
であることを残酷なまでに突きつけていた。
 目覚めた俺の眼前に広がっていた光景、それは眠りに着く前にいたはずの村長の家の一
室ではなかった。俺の目に映っていたのは、どんな冒険者でも何処かしらで一度くらいは
目にした事のあるような、ごつごつとした岩壁がぐるりと周囲すべての方向を取り囲む、
どこかの洞窟内部の姿であった。ご丁寧に外への出口と思しき所は、大きな岩でふさがれ
ている。その丁度反対側の壁には、奥へと続く道が伸びていた。
 さっぱり事態に頭がついていけず、俺は呆然と呟く。
「……一体全体こりゃどうなってやがんだ? まさか妖狐に化かされたんじゃあるまいし」
 装備と体を軽く確かめるが、特に何かを取られたり妙なことをされた様子はない。俺が
着ているのは昨夜寝る前に着ていた服のままで、ご丁寧に近くにはダガーや商売道具の詰
まったバッグも落ちていた。拾い上げ、肩からかける。
「……さて、と。とりあえず状況を整理して理解するにも、情報が必要か」
 俺は自分の言葉に軽く頷くと、奥へと伸びる暗い入り口に足を進めた。

 どうやらこの洞窟はそれなりの広さがあるようだ。そして推測ではあるが、定期的に人
が踏み入っているような感じを受ける。所々にかすかな明かりを灯す小さな魔石が人為的
に配置されているのが、その証拠だろう。
 一応用心のため、腰からダガーを抜いて辺りを警戒しつつ進んだ俺の目の前に、やがて
一際広い空間が姿を現す。
「なんだこりゃ……」
 思わずそんな言葉が口から漏れる。
 暗闇の中、ぽっかりと口をあける広い空間の中央には、木で組まれた台座が置かれ、そ
の周囲を取り囲むように蝋燭の小さな炎が揺らめいている。そして、台座の上には横たわ
るセリンの姿があった。
「……おい! おい、しっかりしろ!」
 台座に駆け寄り、俺は少女の体を揺さぶる。彼女の体が妙に熱っぽいのも気に掛かるが、
とりあえずは目覚めさせないと。やがてセリンの口から小さな声が漏れ、その目がゆっく
りと開いた。
「……あ、ジェイク、さん……ここ、は……。……!」
ゆっくりと周囲を見回した彼女は、すぐに事態を悟ったようだ。驚愕と恐怖がその表情に
浮かんだのを見て、俺は目の前の少女に問いかける。
「その様子だと、ここが何処で、何でここにいるのかも知ってるみたいだな。
……話してくれないか?」
 セリンはしばらくうつむいていたが、やがて顔を上げるとゆっくりと話し出した。
「ここは……わたしたちの村から少し離れたところにある洞窟です。そして、ここには最
近になって怪物が住み着いたという噂があるんです。
しばらく前から、わたしたちの村の周りで怪物を見たとか、夜に不気味な鳴き声を聞いた
という話が聞かれるようになって、村の畑や動物が荒らされるようになったんです。
日に日にひどくなる被害に、村の皆は困り果て、怯えていました。
でも、調査や討伐の冒険者を雇うお金も無い貧しい村でしたから。生きていくために、村
ではいけにえを捧げているんです……」
「そのいけにえが、君ってわけか」
「はい……わたしの親は早くに亡くなってしまいましたから。もう既に、同じような何人
もの子どもがいけにえにされました。少なくともいけにえを捧げている間は被害がおさま
ったこともあって、ずっとこれが続けられているんです……」
「ひでー話だ。あの村長、人のよさそうな顔して悪魔か。なるほどね、大方最初に会った
時は、ここから逃げ出す途中だったんだな」
 俺の言葉に、セリンはこくりと頷く。
「最初は他の子と同じように、諦めていました。でも、ここであの怪物を見たらやっぱり
こわくなって。無我夢中で、誰かに助けてもらいたかったんです……」
 セリンはそういうと自分の体を抱き、震える。俺は彼女を安心させようと、肩にそっと
手を置いた。しかし、怪物とは一体。
「セリン、君は怪物を見たんだな? 一体そいつは何なんだ?」
「それは……」
 震える彼女が口を開きかけたその時。奥の暗がりに無数の気配が現れ、不気味な輝きの
瞳が闇に浮かび上がった。
 あっという間に俺たちは魔物の気配に囲まれる。やがてチチ、というネズミの鳴き声が
広間に響きだした。その気配はゆっくりと俺たちに迫り、やがて燭台の炎が彼女たちの姿
を浮かび上がらせた。
「なるほど……こいつらか」
 百聞は一見にしかず。俺の目の前に姿を現した「怪物」は、小柄な少女の体に、丸っこ
い耳、灰色の体毛で覆われた手足、細い尻尾といったネズミの特徴を持つ獣人、ラージマ
ウスだった。一体一体ならば正直それほど恐れることも無い相手だが、その数が多すぎる。
ざっと見積もっても数十匹の群れだろうか。彼女らの群れとしては一般的な数なのかもし
れないが、確かにこれはただの村人、そして俺にとっても十分すぎる脅威だ。
 そんなことを考えているうちにも、ラージマウスたちはじりじりと包囲を狭めてくる。
ダガーを構えてみるが、これ一本、俺一人でなんとか出来る状況ではない。だが、例え無
理なことが明白であろうと後ろの少女を守らないわけには行かないだろう。
「やれるとこまで玉砕覚悟でやるっきゃねーか……!」
「ジェイクさん……」
 覚悟を固め、武器を再度握りなおした刹那。不意にラージマウスたちが静まり返る。何
事かといぶかる俺たちの前で群れが左右に割れ、そこを一体のラージマウスがこちらに歩
いてきた。彼女はボロの服を纏った他のラージマウスたちと違って、ちゃんとした服を着
ている。とはいってもその服はなんというか……穴あきチーズみたいなデザインで、率直
に言って「変な服」だと思った。まあ、幼い子どものような風貌のラージマウスには、似
合ってるのかもしれなかったが。
「あ、かわいい」
 俺がいるせいか、多少は落ち着いているセリンがふと漏らした感想は、この状況の中で
はどうかなと思ったが、怯えてパニックになるよりはまあましだろう。
 俺の内心の感想には気付いた風も無く、いけにえの台座の前に来たリーダーと思しきラ
ージマウスは俺たちをじっと見つめ、口を開いた。
「キミたちが、新しい生贄さん? あ、心配しないでも命をとったりはしないし、周りの
子も合図も無しに襲い掛かったりしないから安心して。ちょっと、あたしのお話を聞いて
もらいたいだけだから」
 彼女が手を振ると、思わず俺たちが拍子抜けするほどあっさりとラージマウスの群れは
洞窟の奥に下がっていく。どうやら本気でこちらを攻撃するような気はないようだ。そう
感じた俺もダガーをしまい、構えを解く。それでもまだ、完全に相手を信用することは出
来ない。それが表情に出ていたのか、俺の顔を見たラージマウスは小さく息を吐き出した。
「まあ、すぐには信用できないよね。それじゃ、この話は知ってる? あたしたちは『い
けにえなんて要らないのに、村人の方が勝手に連れてきてる』んだってこと」
 魔物の言葉に、先ほど以上の驚愕がセリンの表情に表れる。
「そんな……! だって、村長は村が襲われないために、必要だって……!」
 戸惑い叫ぶ少女。だが、俺にはこのラージマウスが嘘を言っているようには思えなかっ
た。セリンもそれはうすうす分かってはいるのだろうが、なかなか認められないんだろう。
「なら、なんでなんだ?」
 俺の問いかけに魔物は軽く考え込み、口を開く。
「ん〜……よくわかんないけど、多分「口減らし」ってヤツじゃないの? 実際あたした
ちも何度かあの村には食べ物を探しにこっそりいったけど、あんまり豊かそうじゃなかっ
たし。あたしたち別に人なんて食べないのに、いつの間にか人食いの化け物扱いされちゃ
ってたから。
『いけにえ』って理由があった方が、ただ間引くより都合がよかったんでしょ」
「そんな……」
「それが本当なら、ますますひでー話だな……あの村長殴りてえ」
 余りにも身勝手で醜悪な話に、俺たちは絶句する。まあ貧しい村なんかで、子どもを減
らすことが行われることはあるとは知っていても、いざ実際に目にするとあんまりだと感
じた。隣のセリンも怒りのためか、荒い息をつきながら彼女を見ている。
「あたしたちもそう思うよ。だから、ここに置き去りにされた子はほっとけないし、こう
やって時々様子を見に来るわけなの。まあ、あなたの場合は説明する前に逃げられちゃっ
たけどね」
 ちらり、とラージマウスは視線をセリンに映す。当の彼女は恥ずかしそうに頬を染めて
うつむいた。
「しかし、ならその子たちはどうなったんだ?」
 頃合を見計らって、俺はさっきの会話の中で気になっていた部分を訪ねる。ラージマウ
スは、はじめきょとんとしていたが、すぐに理解がいったようだった。
「え、うん。元気にしてるよ? さっきもいたはずだけど、キミたちびっくりしてたみた
いだから気付かなかった?」
 そういって、洞窟の暗がりにおいでおいでと手招きをすると、そこから数人のラージマ
ウスが姿を現した。彼女たちの顔を改めて見つめたセリンは、驚きの声を上げる。そんな
様子に、新たに現れたラージマウスたちはくすくすと笑いを漏らした。
「……あ、あなたたちは……!」
「しってんのか?」
 いまだ驚きの表情のまま、セリンはこちらに顔を向ける。
「みんな、さっき言った、いけにえにされた子です……。でも、その格好……?」
「!?」
 状況が把握できない俺たちに、ラージマウスのリーダーが語りかける。
「えっと、あたしたちラージマウスの特性って……知らないか。あたしたちに噛まれた女
の子は、ラージマウスになるの。彼女たちには帰るところがなかったし、かといっていく
らなんでも人間のままじゃ、あたしたちと一緒には暮らせないからね」
「そりゃそうかもしれんが……」
 だからといって魔物に変えてしまうのはどうなんだろうか。まあ、人と魔物では考え方
も価値観も違うし、こんなこと言っても仕方ないのかもしれない。少なくとも目の前の、
ラージマウス化した少女達は自分の境遇に悲観してはいないようだし、当人達がそれでい
いならいいのかも知れない。それはセリンもだいたい同じ考えのようで、驚きこそすれ目
の前のラージマウスに対する怒りといったものは無かった。
「みんな、元気だったんだ……よかっ……た……」
 だが、直後彼女の体からふっと力が抜け、倒れこむ。慌ててその体を支えるが、まるで
火の様に熱くなっていた。口からは小さなうめき声が漏れ、とてもじゃないが大丈夫そう
に見えない。小刻みに幼い華奢な体が震え、虚ろに開いた瞳は輝きが消えていく。
「あらら、始まっちゃったか〜。本当ならもっとゆっくり休める所に連れて行ってあげた
かったけど、彼女逃げちゃってたからな〜」
 俺の肩越しに覗き込むラージマウスがまずったとばかりに呟く。目の前では既に、横た
わったセリンの手足をぞわぞわと灰色の短い毛が覆いはじめていた。驚いた俺は彼女を抱
きかかえたまま、魔物娘の方に顔を向ける。
「な!? おい、なにがどうなってんだ!?」
「どうもこうも、彼女のラージマウス化が始まったの。前に彼女のことは一回噛んでたん
だけど、変化までの時間は個人差もあるし、何より彼女逃げてたから。ちゃんと説明でき
なかったって言ったでしょ?」
 そう説明を受ける間にもセリンの額には珠の汗が浮かび上がり、苦しげな声を上げ続け
る。俺は焦りながら、ラージマウスのリーダーにたずねた。
「おい、これどうすりゃいいんだ?」
「ん〜? 別にそんなに心配しないでもいいよ。苦しげなのは最初だけで、ラージマウス
の体になればすぐに楽になるから。さっきの子たちもみんなそうだったもん」
「けどな……なんとかしてやれないか?」
 魔物化をとめたり治したりする薬なんて流石に持ってないし、もうこの際彼女がラージ
マウスになるのはどうしようもないとしても、せめて苦痛を取り除くくらいはして楽にし
てやりたい。そう考える俺を見つめると、ネズミの娘はくすりと微笑む。
「心配性ね。というか、見た感じこの子と知り合ったばっかりみたいなのに。いい人だね。
わかった、彼女をそこに横たえて……そうそう。で、ちょっとどいてね」
 彼女は俺を脇にどかすと、横になったセリンの腕を取り、かぷりと噛み付く。
「おい!?」
 戸惑う俺を目で制すると、ラージマウスはそのままセリンの腕をかぷかぷと甘噛みする。
不安げにセリンの顔に目を映したが、噛まれたことには特に痛みを感じている様子は無い
ようだった。
「ぷぁ……。これくらいでいいかな?」
 やがてラージマウスが口を離し、少女の様子を窺う。セリンの体は依然体毛に覆われつ
つあり、俺の目の前で変化を続けていた。それでもさっきの彼女の甘噛みのためか、表情
からはいくぶん苦しさが和らいでいっているように見える。むしろ、その顔には心地よさ
そうな色が浮かび、口から吐き出される声にも、小さくではあるが甘い響きが混ざり始め
ていた。とりあえず容態は安定したのだろうか。だが一体何をどうやったのかがさっぱり
分からなかった俺は、セリンを満足げに見守る彼女に問いかけた。
「何したんだ?」
「ん。噛んだときに、あたしの魔力を多めに流しこんだの。ほんとはこんなことしなくて
もいいんだけど、変化の手助けと、苦痛を和らげるくらいにはなってるはずよ。
あたしも余分な魔力を放出できたしね。
ほら、気持ちよさそうになってきたでしょ? 変化ももうすぐ終わるんじゃない?」

 獣人の言葉に目をセリンに向けなおすとその言葉のとおり、少女の変身はまさに大詰め
を迎えていた。
「あぁ……ふぁ……」
 体の変化は彼女に既に苦痛ではなく快感をもたらしているのか、少女の口からは先ほど
以上にはっきりと気持ちよさそうな声が響いている。先ほどから伸びだしていた体毛も生
え揃い、いつの間にか彼女の指先を残してひじやひざ上まで灰色で染めていた。
「くふぅ……やぁん、あう、むずむず、するぅ……」
 その言葉と共に服のすそからはネズミの特徴を持つ細い尻尾が飛び出し、頭の両脇から
髪の毛を掻き分けるように、まるく可愛らしい大きな獣の耳がぴょこりと姿を現した。
「う……、あ……はぁぁ……」
 最後にもう一度体が震え、口から長く息を吐き出すと、セリンはゆっくりと目を開けた。
その瞳は俺の隣で満足げに見つめるラージマウスと同じものになっており、きょろきょろ
と落ち着き無く辺りを見回す。
「んぅ……ん、ふぁ、どきどき、しちゃった……」
 何だかこちらをどきどきさせるような言葉が漏れたが、とりあえず彼女に苦痛の色は無
い。俺はおずおずとラージマウス化が終わった彼女に声をかける。
「あー……えー……。ま、まあラージマウスになっちまったことはともかく、その、体の
調子は大丈夫か?」
「あ……ジェイクさん……はい、だいじょうぶ、です……」
 彼女はそれだけをいうと、俺をじっと見つめ、もじもじと体を揺らした。その頬は桜色
に染まり、また先ほどと同じ、荒い息をつきはじめている。率直に言って、とても大丈夫
そうではなかった。その様子を見た俺は傍らの魔物娘、元々のラージマウスの方に顔を向
ける。
「おい、なんか全然大丈夫そうじゃないぞ。上手く行かなかったんじゃないのか?」
「ええ? そんなはずはないんだけどな〜? どれどれ……あ」
 俺の横から身を乗り出して魔物化したセリンの顔を見たラージマウスは、すぐに事態を
悟ったようで、俺を安心させるようににっこりと微笑む。
「心配しないでも特に何か問題があるわけじゃないよ? うん、普通普通」
「……本当にそうか? なんかそう言われても素直に信じられんのだが……うおっ!?」
 妙にいたずらっぽく微笑むラージマウスから、何か隠していることを吐かせようと口を
開きかけた俺は、だが次の瞬間勢いよく抱きついてきたセリンに押し倒された。そのまま
床に倒れこんだ俺の体の上にラージマウス姿のセリンは覆いかぶさり、はぁはぁと短く息
を吐き出す彼女に唇を奪われる。
「ちゅ、ちゅ……ん……ぷ……はぁ、んちゅ……」
「やめ……んぷ……ん……」
 魔物と化した彼女の瞳が爛々と輝き、触れ合った口の中に彼女の舌がねじ込まれる。蠢
く熱い舌、さらに押し付けられた彼女のやわらかい体の感触が、俺の性欲を否がおうにも
刺激した。思わずくらくらとする頭を何とか落ち着かせ、彼女にキスされながらもその合
間を縫って、こちらを楽しげに見守るラージマウスのリーダーに叫ぶ。 
「ん、ぷ……おい! くぅ、どこが普通だ!
セリン、やめ、むぐっ……! おまえ、ぷ……せつめ、はぁ……しろっ!」
 ラージマウスのセリンに乗られたままむしゃぶりつかれ悪戦苦闘する俺の言葉に、リー
ダーはニヤニヤしたまま言葉を投げかける」
「説明って言っても、見たままだよ? ほら、さっきこの子の変身状態を安定させるため
に魔力を流し込んだでしょ? あの量がちょっと多かったみたいで、成り立ての彼女は、
体の変化に伴う快感のせいもあって発情しちゃったのよ」
「は、発情?」
 思わず聞き返す俺に、彼女は頷く。
「心配しないでも発散すれば収まるし、命がどうこうってことじゃないから。そのうちあ
れ位の魔力なら発情しないようにはなるよ」
 いや、そうなんでもないように笑顔で言われた所で、ああそうかよかったねとは言えな
いだろう。
「……そういう問題じゃ……うっく!?」
 抗議しようと口を開きかけた俺の言葉は、セリンが突然服の中に手をいれ、素肌はおろ
か俺のモノまでを触りだしたことで途切れた。さわさわと短い体毛が生えた小さな手が俺
を撫で回す感触は、軽くくすぐったいものの、むしろそれがとても気持ちよい。今にも理
性が吹き飛び、自分から彼女の体を貪ろうと暴走しそうになるのを何とか堪えようとする
ものの、セリンの方が積極的に体を押し付けてくるせいで我慢し切れそうに無かった。か
といって、このままだとセリンの方から最後までいってしまいそうだ。ここで俺が流され
てしまったら完全にまずい。
 彼女が俺から口を離した隙を逃さず、その小さな両肩に手をやって体を離す。
「あぁん……」
 俺の耳に残念そうな声が聞こえたが、あえて意識から追いやった。一瞬目をつむってか
ら開き、少女の瞳をしっかりと見据えて俺は厳かに口を開く。
「……やめるんだ、セリン。いくらなんでもこれ以上はまずい。そういうことは、もっと
よく考えて、大切な人、一番大好きになった人とやるんだ」
 だが、俺の言葉にラージマウス化したセリンは首を振る。まだその頬は赤く、発情した
ままであったが、瞳には先ほどよりは幾分理性の輝きが戻っていた。
「ううん、ちゃんと考えてる。確かにちょっと体が熱くてその……したいのは本当だけど、
それだけじゃないの。
出会ってそんなに一緒にいたわけじゃないけど……。
わたし……あなたが好きです。
わたしが倒れていた所を助けてくれただけじゃなくて、その後もずっとわたしのことを心
配してくれたあなたにだから、初めてをして欲しいの」
 そういって潤んだ瞳を向ける彼女は真剣そのものだった。思わず脇のラージマウスに顔
を向けると、彼女もまた頷く。
「うん、その子、嘘は言ってないよ。いくらあたしたちが魔物でも、好きな人に嘘は言っ
たりしないもの。よかったね、こんな可愛い子に好きって言ってもらえて」
 もう一度セリンに目を向ける。彼女は恥ずかしそうにしながらもこくんと確かに頷いた。
そして、俺の我慢もそこまでだった。頷き、彼女の肩にやっていた手の力を緩め、招き入
れるように広げる。嬉しそうに再び抱きついてきたセリンの背に腕を回して抱きしめ、再
び情熱的な口付けを交わした。
 二人だけの世界に入ってしまった彼らを見、ラージマウスのボスは溜息を漏らす。
「あらら、始まっちゃった。うーん、いいなあ。いけにえの子、女の子ばっかりだったか
らあたしもご無沙汰なんだけど……。まあ、最初は譲ってあげよっか」
 そう呟くと、彼女は二人が絡みあう台座から離れ、暗がりに消えていった。
 やがてキスに満足すると、お互いもどかしそうに衣服を脱がしあっていく。俺のモノは
既に固くたちあがっており、魔物娘の幼い割れ目も興奮にしとどに濡れていた。
 そしてどちらからともなく俺たちは抱き合い、交わった。しばしの間、洞窟のなかには
男女の嬌声と肉を打ち付けあう音が響いていた。

――――――――――――――

「うう、腰がいてえ……」
「ご、ごめんなさい……その、気持ちよすぎて止められませんでした……」
 いけにえの置かれていた台座の上で大の字に寝そべりながら、俺は言葉を漏らす。
隣ではすまなそうな様子のラージマウス化したセリンが、そっと寄り添い横になっていた。
 あれからどれくらい経っただろうか。とりあえず俺は衣服を正すと、体を起こし周囲の
様子を探る。隣で横になっていたセリンもそれにならう。
 と、暗がりから先ほどのラージマウスたちが姿を現した。流石にさっきとは違って、俺
たちも警戒することは無かった。そもそもそのラージマウスと化した子とやってしまった
のだし。俺たちはそのままぼんやりと、彼女らがこちらに歩いてくるのを見つめる。
「あ、もういいの? 最初なんだし、もっとゆっくり楽しんでてもよかったんだけどね。
まあ、終わったならこっちの話を聞いてもらいたいんだけど」
 群れの中から先ほどのラージマウスのリーダーが歩み出る。何の話かと疑問を顔に浮か
べる俺たちの前に来ると、彼女は口を開く。
「えっと、その前に自己紹介がまだだったね。あたしはこの群れのリーダー、ラージマウ
スのメル。一応生まれたときからの、純粋種のラージマウスなんだよ? で、後ろにいる
子達があたしの群れの仲間ね。さっきも言ったとおり、元からラージマウスの子と、いけ
にえの子を仲間にしたのがいるけど」
「メル、か。まあ遅くなっちまったが俺も名乗っとくよ。ジェイク、冒険者まがいの旅の
商人だ」
「あ、セリンです。その、さっきまで人間でしたけど、今はメルさんと同じになりました。
よろしくおねがいします」
 俺たちが互いに名乗った後で、ラージマウスのメルはおもむろに切り出す。
「よろしくね。で、ジェイクにセリン。その話っていうのは頼みというか、相談なんだけ
ど……あたしたちの群れに来ない?」
 どこか照れくさそうにしながら話すメル。俺たちは顔を見合わせ、もう一度彼女の方を
向く。
「その……さっき言ったように、元々はセリンをあたし達の仲間にするだけのつもりだっ
たんだけど」
 その声に俺はセリンの方を向く。確かに、ぱっと見ただけでも明らかに人間以外の姿に
なった彼女はメルたちと暮らすほうが幸せだろう。あの村にはもとから居場所が無いみた
いだったし。しかし、俺までとはどういうことだろうか。
 メルに顔を向けなおす。俺と目が合った途端、急に彼女はもじもじとしてうつむき、腰
から伸びる尻尾を手に取るといじり始めた。
「あ、あのね……キミ、いい人っぽいし。それにさっきのアレで……精力の方も、十分だ
と思ったし。
あ、あたしたちもね、こんな洞窟で暮らしてたからずっと良い人が見つからなくて、
その……ご無沙汰なんだ。
それなのに、あ、あんなに気持ちよさそうなのみせつけるんだもん……も、もう……
げん、かい……」
 話しているうちに、メルの顔はどんどん紅潮し、息は荒くなっていく。ばっと顔を上げ
たその瞳に先ほどのセリンと同じ光が灯りだしたのを見て、俺は彼女が発情していること
に気付いた。同時に周囲の気配が一変したのに気付き、びくりとして見回すと、メル以外
のラージマウスたちも皆一様に同じような状態になっている。その気に当てられたのか、
隣のセリンですら、再び目をとろんとさせ始めていた。
 思わずじりじりと下がる俺に、ゆっくりとラージマウスたちが迫る。
「いいよね? いいでしょ? 心配しないでもすっごく気持ちよくしてあげるから。
だから、ね? いっぱい、気持ちよくして? えっちなことして?
みんなと子どもたくさんつくろ?」
 その言葉を言うが早いか、俺が口を開くより先にメルが抱きついてきた。それを合図と
したかのように、次々と周りのラージマウスたちも俺に殺到する。
「ジェイクさぁん……気持ちよくしてぇ……」
「はぁ、はぁ……がまん、できないよぉ……!」
「あん、いい、もっと、もっとさわってぇ……いっぱい、してぇ!」
「わぁ、うでふとーい! はぷ、かぷ……」
「お、おい! ちょ、やめ……んぷ! まて、そこは! いて、噛むな!」
 俺の抵抗も圧倒的な数の前には何の役にも立たず、服を脱がされキスされ肌を触られ舐
められ噛まれ舐めさせられ散々いれさせられた。
 延々と続くネズミたちの乱交に、俺はもうされるがままになるしかなく、途中から考え
ることをやめていた……。

――――――――――――――

「た、太陽が妙な色に見える……」
「わたしも、何だか……まだお腹にいっぱい入ってるみたいです……」
「あはは……同感。ち、ちょーっとやりすぎたね……ごめん。でもなんだかんだいって群
れの子達も皆満足したみたいだし、キミが私たちの仲間になってくれるって言ってくれて
嬉しかったよ。ありがと。
それに……気持ちよかったでしょ、ジェイク。キミだって随分楽しんでたんじゃないの?
この……けだもの。素敵だったよ」
 あの乱痴気騒ぎがようやく収まり、俺たちはメルの案内であの洞窟を抜け出していた。
俺たちが連れてこられた入り口はふさがれていたが、彼女たちだけが知る抜け穴が別の所
にあったのだ。おかげで俺たちは無事、あの洞窟から脱出することが出来たのだった。
 とはいえやりまくった結果、俺は全身筋肉痛で、しばらくは腰の痛みにも悩まされそう
だ。手持ちの薬は使い切ってしまったので、そのうちメルたちが魔物の仲間から回復薬と
精力剤を仕入れてくれるそうだが、自業自得とはいえ正直辛い。これが続くのか。
「……なあ、毎回あの人数相手すんのか? 俺、今回のを無事に乗り切って生きてるだけ
で十分すげえと思ったくらいなんだけど」
 その言葉にメルもぽりぽりと頬をかく。
「うーん、今回は皆欲求不満だったからねえ。次はもうちょっとおとなしくなると思うよ。
あたしとしては、もっと群れを増やしたいんだけどねー。でも、ジェイクとあんまり出来
なくなるのもやだなあ」
「そうですねー。ジェイクさんとするの気持ちいいですからねー」
 物騒なことを呟くメルに、セリンも同意する。おい待て、頼むからもっと自重してくれ。
「とりあえずは、落ち着いてえっちできるような次の住み家探しかなあ。ずっとここに居
座ってもいいけど、討伐隊が来てもいやだしね」
「そうか……しかし、どこに移動するにしてもこれは異様な光景だな……」
 くるりと振り返った俺の目に映っていたのが、数十匹のラージマウスたち。みな、落ち
着きなくきょろきょろと辺りを見回していた。だが俺と目が合うと恥ずかしそうに目を逸
らしたり、逆にぱあっと顔を輝かせたり。皆個性的で確かに魅力的だ。
だが、この人数を連れての旅か……仕方あるまい。
「まあ、やっちまった以上責任は取るよ。メル、セリン、そしてみんな、これからよろし
くな」
「はい、ジェイクさん。よろしくお願いします」
「よろしく! これからみんなのだんなさまとパパになるんだから、しっかりね」
 俺の言葉ににっこりと笑顔を浮かべるラージマウスたちを見ながら、まあこんな家族も
悪くないかと俺は息をつくのだった。

――『少女は何処へ消えた?』 Fin ――




「そういえばメル。お前、俺たちより洞窟から先に出てたよな。その後妙に楽しそうだっ
たし、なんだったんだ?」
「あ、それ私も気になります」
「ん? あ、うん。これ以上いけにえを持ってこられても困るから、村長をちょっとおど
かしにね。多分、あの村ではもう子どもを間引くことは無いと思うよ」
「へえ、そりゃよかった。けどなんて言ったんだ?」
「たいしたことは言ってないよ。『もしこれ以上あたしたちのせいにして、子どもをいけ
にえにしたら……あたしの仲間知り合い全員に知らせて、この村の食料を種一つ残さず食
べちゃうから』って」
「それは……」
「……シャレにならんわな」
「まあ、あの村長には元からあたしもむかついてたから、それとは別に『あの村長は魔物
娘にすごく親切で好きなだけ精気をくれるから、みんな思う存分もらってきたらどう?』
ってこの辺りの魔物に言っておいたけど」
「…………」
「…………」
「多分、今頃森の魔物たちとたっぷりお楽しみなんじゃない? それこそ、枯れ果てるぎ
りぎりまでね」
 どこか遠くで「ぎぃにゅあー!?」とかいう叫び声が聞こえた気がしたが、三人は妙に
暖かく穏やかな表情を浮かべるだけだった。
「……さすがメルさん」
「……よくやった」
「でしょ?」

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