ローパー被害報告書
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 しんとした静けさが満ちる部屋。窓には日の光を遮るように厚いカーテンがしっかりと
閉められている。室内に人気は無いが、かといって荒れた様子はなく、空気もよどんでい
ない。それらのことから、日常的とまでは行かなくても、この部屋を定期的に人が使って
いるような感じがあった。
 かちゃ、という小さな音と共に、金属製のドアノブがゆっくりと回る。きいい、という
金具の軋んだ音を響かせながら木製のドアが引かれ、一人の青年が姿を現した。年のころ
はまだ20代位か。短く刈られたこげ茶色の髪と、やや赤みがかかった瞳。若々しく凛々
しさを漂わせる顔つきからは、学者のような知的なイメージをにじませている。
 部屋の中に慣れた足取りで進む彼は、壁際にずらりと並んだ本棚を流し見る。様々な本
がぎっしりと詰め込まれた光景にも迷うそぶりを見せず、彼はそのうちの一つから一冊の
本を取り出した。
 その本は、背にも表紙にもタイトルの類は無く、一見して何が書かれているのかは分か
りそうも無い。しかし彼は構わず、立ったまま無言で、ぱらぱらとページをめくる。ペー
ジの中にはびっしりと小奇麗な筆跡で書かれた文字が詰まっており、次々と彼の目の上を
流れていく。
 だが、あるページに差し掛かった瞬間、青年の手は捲くれる紙を掴み、止めた。そのま
ま指で押さえると、先ほどまでとは違い、紙の上に書かれた文字の一字一句を記憶に焼き
つけるかのような熱心さで、紙に穴が開くようにじっと見つめる。

 そのページの最初には文が書かれた月日の記述があり、続いて取り留めの無い日々の出
来事が記されている。そう、青年が今手に持っている本はある人物の記した日記なのであ
る。かといって特に有名な人物の手記でもないし、歴史的な大きな事件を記録してあるも
のでもない。好事家や研究者にとってはたいした価値は無い、過ぎ去る日々の断片だ。
だが、それでも青年にとってはとても大事なものなのである。
そして、その最後の行には、力強い筆跡でこう記してあった。

『明日、彼女に告白しようと思う』

――――――――――――――

・――の月 ――日

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……まずい、遅れてしまう!」
 息せき切って村はずれの小高い丘へ小道を駆ける男、フェイル=アルクトスは慌てた様
子でちらりと空を見上げる。雲ひとつ無い空の中で、既に太陽は中天に差し掛かっていた。
降り注ぐ穏やかな陽光が優しく大地を照り付ける。しかし、それでも先ほどから全力疾走
を続ける彼には真夏のように感じられた。額に浮かぶ汗が、彼の橙色の前髪をぺたりとそ
の肌に貼り付けさせている。
 その視線の先、丘のてっぺんには一本の大きな木が大地にしっかりと根を下ろし、立っ
ている。彼がまだ幼い子どものころから、ずっと変わらず丘の上から村を見下ろし、ずっ
と見守っているのだ。一体いつからそうしているのか村の老人達も詳しく知るものはおら
ず、枯れもしないその姿は樹木の精霊が宿っているといわれても信じられそうであった。
 大木がその枝を広げ、地面に落とす影の中。一人の女性が立っているのが走り続ける
フェイルの目にも見えた。向こうも彼の姿を見つけたのか、片手を胸元で小さく振る。
 それほどの間もなく、彼は女性の元にたどり着く。ゆったりとした清楚な白いワンピー
スがよく似合う優しげな顔立ち。深みのあるこげ茶色の長い髪が、おだやかに駆ける風に
舞っている。
 そんな彼女を前に、ひざに手をあて、しばし上がった息を整えていたフェイルだった
が、すぐに顔を上げる。女性の方はやや心配そうに彼を見つめていたが、まだ呼吸の落ち
着きを取り戻せない彼に、少しだけ微笑みかけた。
 そして大木の下で、二人は向かい合う。
「はぁっ、はぁ……。ご、ごめんソフィ! 呼び出しておいて遅れるなんて!」
 開口一番、フェイルはそう言うなり、再び腰を90度に曲げ、深々と頭を下げる。
その様子をきょとんとした顔で見ていた少女、ソフィエはまるで気にした様子もなく、い
まだ顔を上げない彼に声をかけた。
「フェイ、そんなに気にしなくていいのに。私だって来たばかりだし。
それに私、村を見下ろせるこの場所好きだもの。待つのだってちっともイヤじゃないわ。
それよりも、わざわざこんな所に呼び出した理由は、謝るためじゃあないでしょ?」
 彼女の言葉にフェイルは顔を上げ、だが先ほど以上に緊張した様子であちこちに視線を
さまよわせる。その妙な行動に疑問を浮かべたソフィエが口を開こうかと思い始めた瞬間、
彼は意を決したように一つ大きく頷くと、少女の目をまっすぐに見つめた。彼女もまた、
その視線を受けてまっすぐに見つめ返す。
「あ……あの、さ! 昨日知らせが来て……ぼ、僕、都会の医者の学校の試験に
受かったって!」
「ほんとう!? すごい、すごいじゃない、フェイ!」
 思わぬ報告に、少女は目を丸くする。確かに先月、少年は試験を受けに街に出て行った。
医者を目指す彼が、非常に狭き門と言われる試験合格のためにずっと努力してきたのも彼
女は知っている。兄妹、あるいは姉弟同然にずっと一緒にこの村で育ってきた彼女が、彼
の大きな成功に喜ばないはずが無かった。
 だが、すぐにそのことが持つもう一つの意味に気付く。フェイルもまた、気まずそうに
ややうつむく。
「あ……、でも、都会の学校に合格したってことは……」
「……うん、来月からは学校の寮で暮らすんだ。この村を……出ることになる」
「そう……」
 本来輝かしい未来のための第一歩を踏み出す少年のことは、笑顔で送り出すべきなのだ
ろう。だが、それが分かっていても彼女は自分の顔が曇ってしまうのを抑えることが出来
なかった。
「寂しく……なるね」
 つい、そんな言葉が口をついて出てきてしまう。フェイもまた、そんなソフィの顔を見
て少しうつむき、沈んだような顔色を見せたが、すぐにそれを振り払うように軽く首を振
ると顔を上げた。
「……ソフィ! 約束するよ、3年経って学校を卒業したら、きっとこの村に帰ってくる。
だから……、そのときは……
僕のお嫁さんになってくれないかな?」
 セリフの最後の方は真っ赤になって目をつぶりながらも、しかしはっきりと少年は言い
切る。
 少女は最初、自分が何を言われたのか上手く理解できない様子だったが、やがてゆっく
りとその言葉の意味を思考が分析し、受け止めるとフェイルと同じく顔をぼっと桜色に染
め目を見開いて口元に手を当てた。
「え……あの、フェイ? えっと、いまの、ほんき、なの?」
 思わずソフィエの口をついて出た疑問――というよりも確認の言葉に、フェイルはぶん
ぶんと首を振る。
「うん、うん! ほ、本気! ソフィのこと、ず、ずっと好きだったから!!
それで、あの……どう、かな?」
 今にも火を噴きそうなほど赤く染まった表情で、目には期待と不安、そしてかすかな恐
怖を浮かべながら少年は再度、問いかける。
 そんな彼と同じくらい真っ赤な顔で、少女は目の端に涙を浮かべながらも笑顔を浮かべ
た。
「……はい。私もあなたのこと、ずっと、ずっと好きでした。
うれしい……。私、ずっとまってるから。
だから、ちゃんと迎えに着てね?」
 目の端に浮かんだ涙を細い指でぬぐうと、彼女はそっと彼の手をとる。指を絡ませ、子
ども達がするように指切りをした。
「ソフィ……。うん、約束するよ!
3年経って、卒業したら一番に君を迎えに来るから!」
 彼もまた、離れた彼女の手をそっと取ると、優しく包み込む。
そして二人はどちらからとも無く身体を近づけあうと、静かにその唇を触れ合わせた。
まるで誓い合うかのような長い口付けを、穏やかに輝き続ける太陽と、静かに佇む巨木が
優しく見守っていた。

――――――――――――――

 青年はそこまでの記述を読み終わると、また静かにページをめくる。
 その日からしばらく、日記には旅立ちまでの村での取り留めない出来事や、街について
からの日々の暮らしの様子が先ほどまでのページと同じように書き綴られている。
 だが日記を読む彼は、それらには特に興味も関心も無いようで、数ページ分にだけさっ
と目を通すとまたぱらぱらと紙をめくった。
 しばし、彼一人だけの室内にページがめくられる小さな音だけが響く。
そしてまた、とあるページに差し掛かると彼は指を挟んで紙を止め、またじっと本に書か
れた記述に視線を落とすのだった。
 そのページの中には、まるで筆者の嬉しさが伝わってくるかのような筆跡で、こう書か
れている。

『今日、待望の子どもが生まれる。しかも男の子と女の子の双子だ』

――――――――――――――

 あの丘の大木の下で、フェイルがソフィエに告白した日から数年が過ぎた。
 二人の間で交わされた約束どおり、フェイルは3年後、きちんとこの村に帰ってきた。
そして、自分の家に荷物を置きに行くよりも先にソフィエの家に向かうと、驚きに目を見
開く彼女の手を取り、その指に小さいながらも美しく輝く宝石のはめ込まれた指輪をつけ
た。
 フェイルは嬉し涙を流すソフィエを抱き上げると、彼女が恥ずかしがるのも構わずその
まま役所に向かい、結婚を届け出た。抱かれる娘と抱き上げる男を役人はにやにやと意味
ありげに見やりながらも、その届出を受け取る。
 後日、決して王族のような派手さは無い、ささやかなものながらも村の人々総出での結
婚式が執り行われ、愛し合う二人は夫婦として認められたのだった。

 村に戻り、夫婦となったフェイルとソフィエのアルクトス夫妻は村はずれに小さな家を
構え、そこで診療所を開いた。
 それまで村には医者は無く、怪我や病気の際、あるいは薬を手に入れるためには町まで
出なければならなかったため、村人達はこの診療所のことを諸手を挙げて歓迎した。
 もちろん、受けいられた理由はそれだけではなく、子どものころからよく知られた夫妻
の人となりのおかげでもあることは言うまでも無い。

・――の月 ――日

 ほぎゃぁ、ほぎゃぁと元気よく泣く赤子の声が、まるで天まで届くかのように響き渡る。
「生まれた! お生まれになりましたよ! 元気な双子のお子さんです!!」
「そっ、そうか!!」
 その声が耳に届くやいなや、白衣のまま廊下のイスに腰掛け、ずっと小難しい顔をして
いた男が勢いよく立ち上がる。そのままばたん、と大きな音を立てて勢いよく木製のドア
が開け放つと、興奮が抑えられないかのような足取りで入り口をくぐった。部屋に飛び込
んできた男はきょろきょろと室内を見回すと、ベッドに横になった女性の側にせかせかと
した様子で歩みよる。
 その姿を認め、彼女もふっと表情を和らげる。
「あなた……わたし、がんばったよ……」
「ああ……、ああ! ありがとう、ソフィ」
掛け布団から外に出た妻の手を取り、男――フェイルは何度も頷く。ソフィエもそんな彼
に微笑み返すと、視線を自分の隣で眠り続けるわが子に移した。
「ほら、あなたも見てあげて。私たちのこどもよ」
 その言葉に頷くと、フェイルは立ち上がり、自分の子どもとして生を受けた赤子をそっ
と見やった。簡易寝台にタオルに包まれて眠る二人の子どもはこの世の何もかもをまだ知
らず、しっかりと目をつぶり、あどけない無垢な寝顔を彼の目に映していた。
「この男の子と、女の子か……!」
 父親にも気付かず静かに眠り続ける二人の赤ん坊。男の子の方は、その顔立ちがどこと
なく母親の方に似ているような気がする。逆に女の子の方は、母親の顔とは違う印象を受
けた。それに気付いたように、ソフィエは口を開く。
「女の子の方は、あなたに似たのね。きっとあなたみたいな優しくて立派な人になるわ」
「そうか……? それより君に似た男の子の方がハンサムになるんじゃないのかな?
女の子にもてるぞ、きっと」
 照れくさそうに目を逸らし、頬をかきながらフェイルが言う。そんな彼の様子がおかし
くて、妻はくすくすと笑い声を漏らした。
「む……。そんなに笑うことないじゃないか」
 むっとして顔をしかめる夫に、彼女はまだ小さく笑いながら視線を戻す。
「ごめんなさい、だってあなたが子どもみたいで可愛いんですもの。
ねえ、それよりこの子達に名前をつけてあげて」
 子どもっぽいといわれてますます顔をしかめていたフェイルも、彼女の言葉を聞いて赤
子にまだ名前がないのに思い当たると、気を取り直して再び子ども達に目をやった。
そのまましばし可愛らしい赤子達を眺めると、腕を組んで目をつぶり、じっと考え込む。
ソフィエはその様子を静かにじっと見つめ、彼が口を開くのを待った。
 しばらくしてフェイルは目を開くと、妻と赤ん坊を交互に見やり、そして赤子の側に
しゃがみこむとゆっくりとその名を口にした。
「よし、この子達の名は……」

――――――――――――――

 それからしばらくのページには、日々の出来事と共に赤ん坊の成長記録とも育児日誌と
もいえるような内容の記述が続く。踊るようなその文字からも筆者が幸せのまっただなか
にいることが伝わってくるようであった。
 また青年はページをぱらぱらとめくり、内容を飛ばし読みする。
だが、いつまでも続くかと思われた幸せに満ちた内容が、あるページの所で途切れていた。
 同じ筆者が書いたとはとても思えない、混乱した筆跡が、紙の上にこう書き綴っている。

『何故、このようなことが起こるのだ? 妻が、何をしたというのか!?
ああ、昨日、彼女の側についてさえいれば……』

――――――――――――――

・――の月 ――日

 その日もいつもと何一つ変わらずに始まり、そして何一つ変わらないままごく普通に過
ぎて行くはずだった。
 朝の食卓。フェイルは壁にかけられた白衣を取り、食卓に並べられたパンと卵焼き、ミ
ルクというメニューを見やる。彼が部屋に入ってきたのを見て、先にテーブルについてい
た子ども達はスプーンを握り締めたまま、元気よく挨拶の言葉を発した。
「おはよー、パパ」
「おはよう、ふたりとも」
 挨拶を返して彼も席につき、朝食を食べながら、まだ幼い子どもたちの世話を焼く妻、
ソフィエの様子を何とはなしに眺める。そんな彼の視線に気付いた彼女はちょっとばかり
困ったような顔を夫に向けた。
「ふぅ。あなたも見ているだけじゃなくて手伝ってよ。ただでさえ相手は二人、こっちは
一人で人手が足りないんだから」
「そうだよー」
「そうだよ〜」
 口々に非難の言葉をかけられ、フェイルは降参とばかりに両手をあげると娘の方の食事
を手伝う。スプーンですくったスープを口元に近づけると、ふうふうと息を吹きかけて冷
まし、それからゆっくりとすすらせた。
 それを何度か繰り返し、器が空になるとフェイルは綺麗なタオルで娘の口元をぬぐう。
隣に目をやると、同じように息子の食事を手伝っていた妻の方も終わったようだ。
「確かに大変だな、これは。さてと、お役目も終わったことだし、僕は午前の診察の準備
をしてくるよ。今日は一日、うちにいると思うけどね」
 そういって立ち上がった彼に、妻も予定を伝える。
「分かったわ。私は今日はちょっと出かけるけど、たいした用事ではないし、お昼には
帰ってくるから」
 彼女の言葉にわかったと短く返し、彼は部屋を後にした。



「どいてくれ! 早く! ちょっと通してくれ!!」
 悲痛な叫びをあげながら、男は何重にも折り重なる人を掻き分ける。その表情は恐慌状
態寸前で、今にも発狂しそうなくらい切羽詰まっていた。
 そうしてようやく野次馬の壁をぬけた彼の眼に、その光景が飛び込んでくる。
 地面に散らばる果物。無残にひしゃげた馬車の荷台。固い地面にはいくつもの血の跡が
残り、ここが日常から切り離されてしまったことをまざまざと感じさせる。
 そして、そこからやや離れた場所。木箱やらなにやらを並べ、その上にシーツをかぶせ
て作った即席のベッドの上に、一人の女性が横たわっていた。
「ソフィ!!」
 悲鳴とさえいっていいような声を発し、フェイルは妻に駆け寄る。何事かといった顔で
制止しようとするベッドの側の男らに夫だ、医者だと怒鳴り散らしながら、彼はソフィエ
の側にしゃがみこんだ。
 それまでじっと目を閉じていた彼女は夫の声に気付いたのか、ゆっくりと目をあけると
弱弱しく微笑む。その様子にとりあえず命に別状はないと見て、フェイルは深く安堵の吐
息を漏らした。
 彼がひとまず落ち着きを取り戻したのを見て、一人の男が歩み出る。上等のスーツに身
を包んだ、身なりのいい男だ。とはいえ貴族らしくは無い所を見ると、どこかの富裕な商
人辺りだろう。
「旦那様ですか?
このたびは大変なことになってしまって、なんと言えばいいのか……」
顔を曇らせ、心から申し訳なさそうに深々と頭を下げる男。どうやらこの事故の加害者の
ようだ。フェイルは立ちあがると、男に向き直る。
「一体何があったんですか?」
「実は、私どもの馬車がこの道を通っている途中、不意に飛び出てきた動物に馬が驚き、
暴走をしてしまったのです。御者もそれを止めることができず、たまたま歩いていた奥様
を巻き込んでしまって……」
 そこまでしゃべると、男は言いにくそうに言葉を途切らせ、視線をいまだ横たわる
ソフィエに向ける。その視線を追ったフェイルは、そこで初めて妻の異変に気付いた。
 先ほどからベッドに寝かされた彼女には、胸元まで白いシーツがかけられていたのだが、
明らかにそのシルエットがおかしいのだ。
 輪郭が胸元から、腰の辺りまでなだらかな曲線を描いているのはいい。だがその先。
脚部、太ももの辺りからつま先にかけての布の厚みがなんともいえない違和感をにじませ
ている。布が膨らんでいるのだから足はあるはずだ。だが、それでもなにかおかしい。
「……!」
 突然それが意味することを悟った彼は、こわばった顔のままベッドに駆け寄ると、布を
取り去る。見間違いであってくれ、気のせいであってくれと祈りながらも見つめた視線の
先には、とても彼の言葉では言い表せないような、認めたくない現実が存在していた。
 背後から語りかける商人の声が、どこか遠く聞こえる。
「……幸い、私どもが運んでいた商品の中に最高級のポーションがありましたので、奥様
の命には大事ありませんでした。しかし、倒れこんだ奥様の足を――が――してしまい、
――するしか、方法が――。本当に、なんとお詫びをすれば――」
 彼の言葉が上手く聞き取れない。いや、耳にはきちんと届いているのだ。だが、頭がそ
れを理解することを拒んでいたのだった。
「あなた……」
 パニックに陥り、呆然と佇む彼に、心配そうなソフィエの声がかけられる。
だがフェイルには一体どんな顔をすればいいのか全く分からなかった。この理不尽に怒る
べきなのか、彼と彼女の身に突然降りかかった悲劇に悲しむべきなのか。
 まるで意志の光無く彼が見つめる先、ベッドの上に寝かされたソフィエの太ももから
先、包帯でぐるぐる巻きにされた両の足はぴくりとも動いていなかった。

・――の月 ――日

『治療法の研究、今日も進展なし。やはり今の技術では彼女の治癒は無理なのか?
自分の無力さが、これほど惨めに感じられたことは無い……』


「くそ!! これじゃだめだ!!」
 苦悩に満ちた声と共に、分厚い本が壁に投げつけられる。
はぁはぁと荒い息をつきながら、フェイルはイスにどっかと腰を下ろすと、血走った目で
次の本を広げ、その中身を吟味し始めた。だが、ものの数分も立たないうちに再び本は机
から乱暴に叩き落される。
「これにも無い! くそ、くそ、くそっ!!」
 頭を抱え込みながら、机につっぷす。彼はあの日からろくに食事も睡眠も取らず、この
書斎に引きこもっていた。自分が持っている医学書や専門書を片っ端からしらべ、それ以
外でもソフィエの足の治療の手助けになるものはないかとありとあらゆる情報を集め、回
復手段を探していた。
 しかし、彼の必死の努力も空しく、その方法となるような手がかりすら見つからなかっ
た。彼が都会で学んだ知識も、技術もまったくの無力だったのだ。
 車椅子に乗った妻は、そんな彼にあの時と同じ弱弱しい笑みを浮かべながら、私は大丈
夫だから、気にしないでと何度も声をかけた。だが夫婦として、いやそれ以前からずっと
一緒に育ってきたフェイルにはソフィエがその影で――彼や子ども達には決して見せはし
ないが――いつも泣いているのを知っていた。
 子ども達もまた、父母が悩み苦しんでいることは幼いながらに感じるものがあるのか、
あれからはわがまま一つ言わず、甘えたい時でもじっと我慢しているようだった。
「まだ、彼女はまだ若いんだぞ!? それに、子ども達だって母親と一緒に歩きたいはず
だ。母親に抱きあげてもらいたいはずだ……!」
 唇をかみ締めると、フェイルはまた何かに取り憑かれたように本を睨むのだった。

・――の月 ――日

『今日、旅の商人から妙な話を耳にした。
何でも、非常に強い再生力を持つ魔物だとか……』


「これが、そうなのか……?」
 疑念もあらわに呟くフェイルの前、机の上にはあちこちを探し回り、ようやく手に入れ
た件のものが一つ、乗っている。
 見かけはピンク色のつるりとしたやや楕円形の物体。大きさは小鳥の卵くらい。
クッション代わりの布が詰められた小箱の中に、そっと収められている。
 これこそが、『ローパーの卵』というアイテムである。名前の通り、ローパーという魔
物が繁殖する際に産み落とす卵だ。
 ごくり、と無意識のうちにつばを飲み込みながら、フェイルは卵を箱からそっと取り出
す。冷たくも暖かくなく、そして固くもやわらかくもなく、不思議な感触を手のひらに伝
えている。
 何故、彼がこんなものを必死になって手に入れたかというと、もちろん妻の治療のため
である。別にこの卵自体が特効薬と言うわけではない……いや、ある意味ではそれはあっ
ているのかもしれなかったが。
 そのことについて述べるには、まずこのローパーという魔物の性質について説明をしな
ければならないだろう。彼らが住んでいるこの地域ではまず見ることは無いが、各地の洞
窟やダンジョンに住んでいるローパーという魔物はぶよぶよした身体に何本もの触手をも
つ存在だ。そして人間の女性に寄生し、その下半身に取り付いて最終的には宿主と一体化、
魔物にしてしまうという恐ろしいものである。そのために、先に述べたようにローパーは
この卵を女性に植え付け、魔物化させて仲間を増やすのである。
 それだけなら、はっきりいって治療どころか害悪になるとしかいえないものだが、注目
すべきはローパーの持つ驚異的な生命力である。彼ら(彼女ら?)は例え一部が斬り飛ば
されても、焼き払われても、損傷部分を修復し元通りに戻ると言う。
 その話を聞いたフェイルは、正攻法では最早とりうる手段が無くなっていた事もあって、
藁にもすがる気持ちでローパーについての情報を集め、正直な話やばい橋ぎりぎりの所を
渡って、何とかこの卵を一つ、手に入れたのであった。
 集めた情報が確かなら、この卵をソフィエに使えば、ローパーの持つ再生力は通常の方
法では回復不能な彼女の足も元通りに直してくれるだろう。

 だが、ようやく卵を手に入れ、最初こそ喜んだものの、冷静になってみると色々と問題
も大きいことに彼は気がついた。それからずっと考え続けた今でも、彼には迷いがあった。
 まず一つは、例えその目的が治療のためであり、彼がソフィエに心からよくなって欲し
いと思っているからといって……妻を魔物にしてしまっていいのか、ということ。
 ローパーの卵を寄生させたら最後、もう後戻りは出来ない。都会で暮らしていた学生時
代、町の新聞やなにやらで魔物になってしまった人のことは何度か耳にしたことはあるし、
医者の勉強としてははっきり言って専門外ではあるが、何冊か魔物化について書かれた本
も目にしたことはある。
 だが、それらに共通しているのは、人間から魔物になったという事例はあっても、魔物
から人間に戻れたということについてはまったく聞くことが無かったことだった。いや、
もしかしたら魔物から人間に戻るアイテムや術のような方法があるのかも知れないが、少
なくとも彼は見たことも聞いたこともなかった。
 そしてもう一つは、ローパーという魔物自体の性質である。魔物には人間、特に男性の
精気――もっと直接的に言うなら精液を好んで食料とするものがいる。ローパーもこの例
にもれず、その触手で男を襲っては精液を絞り取るのだ。
 別に、フェイルはソフィエに襲われるのがイヤだというわけではない。全く知らない別
の魔物に襲われるというのは遠慮したいが、最愛の妻が変身した魔物だったら構わないと
思う。というよりもそれは人間だろうと魔物だろうとソフィエなんだから、種族がどうか
など関係なく、愛せると思っている。
 だが、それは人間のままのフェイルだから思うことで、ソフィエも同じように思ってく
れるだろうか? 彼女だって治療のためとはいえ、魔物の本能に支配されてしまうのは望
まないだろうし(フェイルだってできれば心は人のままの彼女でいて欲しい)、かといっ
て人の心を保てたとしたら、魔物となり変わり果てた自分の身体を受け入れられるだろう
か。

 だが、もう取れる方法はこれしかないのも事実だった。彼は結局、自分ひとりでこの問
題に答えは出ないと考え、妻に全てを話すべく、彼女のいる寝室へと向かった。

 軽くドアをノックし、返事を待って部屋に足を踏み入れる。ベッドの上に身を起こした
ソフィエは窓の外をぼおっと見ていたが、彼がベッドの側まで歩み寄るとそちらに顔を向
けた。彼女の儚げな微笑にフェイルもまた、少しばかりこわばった微笑を返すと、声をか
ける。
「調子はどうだい? 何か必要なものがあれば、言ってくれていいからね」
 その言葉にソフィエは軽く首を振ると、幾分やつれ、目の下にくまの出来た夫を心配そ
うに見つめる。
「ううん、特に何も必要ないわ。
それより、あなたの方こそ無理をしているんじゃないの?
私のために頑張ってくれているのは、うれしいけど……。
あなた自身の身体も、大切にして欲しいの」
「ああ、わかってるよ……」
 妻の言葉に気まずそうに呟き、目を逸らしかけたフェイル。だが、意を決するとこちら
を見つめ続けるソフィエの顔を正面から覗き、口を開いた。
「あの……さ。この間、もしかしたらその足を直せる方法があるかもしれないって、言っ
ただろ? それで……もしその方法が、ちょっと……まともじゃない、気が違っているよ
うなものであったとしたら。ソフィ、君はそれでも足を直したいかな……?」
 それを望んでいる自分はもしかしたらひどい咎人なのではないだろうかという罪悪感が、
フェイルに直接的な説明をさせるのをためらわせる。だが、ソフィエはそんな彼の態度か
ら何か大きな悩みを抱えていると言うことをすぐさま見抜き、顔を引き締めると問いただ
した。
「どういうこと……? フェイ、ちゃんと、説明して」
「あ、ああ……」
 妻の強い目の光に射すくめられ、フェイルはぽつりぽつりと「その治療法」について話
し出す。どうせ隠しても無駄なことだと、彼はこの治療法で得られるであろう効果だけで
なく、その代償についても全てを彼女に伝えた。
 流石にあまりにも突拍子も無い話に、ソフィエは言葉もなく、説明を続ける夫をただ見
つめ続ける。そして彼の話が終わると、顔をうつむけ、小さくポツリと言った。
「足が治る代わりに……、魔物になる、のね……?」
「……うん」
 歓喜も嫌悪もない静かな声に、つばを飲み込んでようやくフェイルはそれだけを返す。
治療のためとはいえ、正気とは思えないことを言い出した彼に妻は失望しただろうか。
いや、それとも軽蔑されただろうかと胸元を押さえる夫に、妻はややあって顔を上げると
決意をその瞳に灯して、彼に向き合った。
「……いいよ、あなたが私のために、一生懸命になってくれていたことは知っているもの。
それに、もうこれ以上、あなたや子ども達の辛そうな顔を見ていたくは無いの。
それで私の身体が治るなら、あなたたちに笑顔が戻るのなら……。
私のことを、魔物にして、いいよ」
「ソフィ……。すまない、すまない……!
僕が、僕の医者としての腕がもっとしっかりしていれば……!」
 震える声で呟く彼女の肩をそっと抱き、フェイルはじっと目をつぶる。その端から涙が
とめどなく流れるのをそっと可憐な指でぬぐいながら、ソフィエは何度も首を振るのだっ
た。

「ふぅ……ぁん……」
 一糸纏わぬ生まれたままの姿となったソフィエの口から切なげな吐息が漏れる。清潔な
白いシーツが引かれたベッドの上に横たわる彼女は顔を真っ赤に染めながらも、自分の秘
所を優しく愛撫する夫の指から目を離さない。
「大丈夫? 痛くないかい?」
 妻を案じるようにちらちらと彼女の顔に目を向けるフェイル。だが、その間も指の動き
は休むことは無い。いまだ閉じたその割れ目にそっと指を這わせ、こするというよりは撫
でるように指を往復させる。
「……ふぁあ……ああ……や、やぁ……ぁあ……」
 彼の指が蠢くたび、自分の下半身からじんわりとした熱が生まれていく。それは身体を
伝わり脳にまで届き、そしてまたその感覚が熱を生むようであった。
 いつの間にか、割れ目の周りはしっとりとした湿り気を持ちはじめている。それに気付
くと、フェイルは彼女を傷つけないように慎重に指を一本、うずめていった。
「ぁあん! やだ、いれちゃだめぇ……」
 涙をこぼす彼女にそっと口付けながら、くちゅくちゅとその中をかき回す。指の動きに
連動して跳ねるソフィエの身体を片手で抱きながら愛撫を続けた。
 やがて、彼女の身体が大分ほぐれたのを見計らって、彼はローパーの卵を取り出す。
それを目にした瞬間、一瞬だけ恐怖がソフィエの顔に浮かび上がったの見ると、彼はため
らいがちに口を開いた。
「……やっぱり、やめるかい? ソフィがいやなら、無理には……」
 卵をしまおうとするフェイルの腕を、彼女の手が引き止める。
「……ううん、大丈夫。大丈夫だから、入れて。
それに、私が魔物になっちゃっても、フェイはずっと一緒にいてくれるでしょう?」
 表面上は強がってみても、やはり本心は不安なのだろう。ゆれる瞳には不安が影を落と
している。
フェイルはそんな彼女の肩にそっと手を置くと、嘘偽りない本心を伝えた。
「うん。僕は君がどんなになっても、ずっと側にいる。愛し続けるよ。
それに、魔物になっても人のままの心でいたっていう女の人の記録もあったんだ。
身体は変わってしまっても、強い想いを持った心まではきっと変わらないはずだよ」
 赤の他人には気休めにしか感じられない言葉であったが、彼はそれを心から信じていた。
妻もまた、身体こそ魔物化しても心までは変えまいと、強く想う。
二人はしばし見つめあうと、やがてどちらからともなく身体を離した。
 卵とソフィエの下半身を見つめたフェイルは、視界に入った傷だらけの両足を無理やり
頭から追い出すと、既に濡れそぼった彼女の股間にそっと卵をあてがう。
「んっ……」
 敏感な場所に触れる感触に漏れた妻の吐息を聞きながら、彼女を苦しませないよう、
そっと卵を指で押し込んでいく。
「やぁ……ん……、はいって、きてる、よぉ……」
 妻の嬌声が彼の耳を打つ。卵に触れている彼の指にも、いつの間にか卵自身もぬめりだ
しているように感じる。媚薬か何かなのか、妻の方も彼が思ったよりは苦痛は少ないよう
だ。もっとも、女性に受け入れられなければ困るのはローパーなのだから、そうした工夫
があるのは当然なのかもしれなかったが。
 思わずこのまましたくなるのを、理性を総動員して何とか押し留める。
 奥の方まで達した瞬間、不意に卵が動かなくなった。流石に目で直接見ることは出来な
いが、聞いた話が確かなら、卵が彼女に根をはったのだろう。
「まずは、第一段階が終わったよ……」
 自分でも良く分からない感情の混じった息をつきながら、フェイルは妻に囁く。快感か
ら目に涙を浮かべたままの彼女は、その声に小さく頷いた。
 自分で言った言葉の通り今日出来るのはここまでだ。次は卵からローパーが「発芽」し
てから、ということになるだろう。
「大丈夫、私は、大丈夫だから。だからあなたはそんな顔、しないで……?」
 彼女自身も望んだとはいえ、妻を自らの手で魔物にしようとすることへの罪悪感からか、
翳るフェイルの顔をそっと胸に抱き寄せると、ソフィエはその唇に口付けるのだった。


・――の月 ――日

『ローパーが発芽する。今のところ妻の左右の大腿部からピンク色の触手が2本ずつ生え
だした。卵は無事に彼女と結合したのだろう。そのためか、彼女の下半身、脚部に残って
いた傷跡も薄くなったようだ。
ただ、まだ彼女自身の意思で動かすことは出来ないのか、時々勝手に動き回るのが厄介だ』

 ノックとほぼ同時に帰ってきたソフィエの声に招かれ、フェイルは病室に入る。ベッド
の上に身体を横たえていた彼女はどことなく恥ずかしそうにしながらも、愛する人の顔を
見ることが出来た喜びをその顔に表した。
「ソフィ、診察の時間だよ。……調子は、どうかな」
 家族に対し、仕事でしているような対応をすることには慣れていないため、妙な感じが
して照れくさそうにフェイルは頬をかく。そんな姿にソフィエはくすくすと笑い声を漏ら
した。
「大丈夫、どこも痛くも苦しくも無いわ。……変かもしれないけど、「これ」が生え出し
てから足だけじゃない、体全部の調子がいいの。
とりあえず、見てみて」
 彼女の言葉に頷くと、フェイルはシーツを持ち上げる。ソフィエは上着のみ薄青色の入
院着で、下半身には何一つ纏っていない。これは別に彼の趣味とかそういうプレイとか、
露出癖がどうのというのではない。聞いた話によるとローパーは服すらも取り込んで一体
化するらしいため、後々のことを考えてソフィエは魔物化が進む下半身には衣類をつけて
いないのだった。
 とにかく、彼女の言うとおり、その体は確かに健康的な肌の色をしていた。ただ、その
太ももから二本ずつ、計四本のピンク色の触手が生えだしているのがどうしても目につく。
 とはいえ、もう何度も目にしているので、彼も慣れたものであった。ソフィエの感情が
ある程度は伝わっているのか、うねうねとしたその動きからは恥ずかしさと嬉しさが混ざ
ったようなものを感じる。
「大分成長したね。まあ、まだ何本か生えてくるらしいけど」
 フェイルはそっとそのうちの一本を手に取る。まるで蛇のように軽く巻きついてくる触
手は意外と暖かく、ぷよぷよとした弾力が妙に心地いい。
「きゃ……、あんまり、強くしないでね」
 不意に妻が驚いたような声を上げる。やはりまだ、十分に馴染んでいないようだ。その
ため彼女自身の足の治癒も進んでいないようで、まだ自分で歩くことは出来ないらしい。
 それでもローパー部分が日に日に成長しているのは確実だった。あとはこのまま成長さ
せていけばいいはずだ。もっとも、そのためには「栄養」をやらなくてはいけないのだが。
「えっと、今日も「治療」するのよね? それじゃ、いいよ?」
 その言葉を合図にしたかのように、四本ある触手のうちの二本がソフィエの身体に巻き
つく。
「あ、いゃ……、ふぁ、いきなりぃ……だめぇ」
絡みついた触手は彼女のふくよかな胸を揉むように軽く締め上げ、嬌声をあげさせる。
残りの触手はその前で衣服を脱ぎ捨てたフェイルの身体を絡め取ると、しっかりと二人を
密着させた。
 お互いに恥ずかしそうにしながらも顔を見合わせて頷きあい、二人は深く交わる。
その間にも触手は自分の意思を持っているかのように蠢き、絡みつき、フェイルとソフィ
エの身体を愛撫する。ぬめぬめとした粘液がいつの間にかその表面から染み出し、二人の
身体を汚していたが、彼らはまるで気にした様子も無く、お互いを求め合っていた。
 そして、一際大きな嬌声と共にソフィエが背を仰け反らせ、フェイルの身体から力が抜
けて倒れこむと、彼女から生えた触手たちはその身体が離れないようにするかのように、
二人をしっかりと繋ぎとめるのであった。

――――――――――――――

 はぁ、と短い溜息が日記を読み進める青年の口から漏れる。
 その後のページには、一日の出来事ではなく治療日誌――いや、どこぞの官能小説とい
っていいような内容がずっと書かれていた。正直な所、この本文中に書かれている事を見
たら、筆者が以前のページにあった葛藤をしたというのが嘘のようである。
というよりも、同一人物だと信じられないくらいだ。
 つまり、一言で言うと幸せそうなのである。男だけでなく、女の方すらも。
あまりな熱愛振りに、この二人どこか変だと感じるのは自分の方がおかしいのだろうか、
と青年が不安になって来るほどだった。
 流石に惚気ばかりで頭が悪くなりそうな内容に食傷を感じた青年はページをぱらぱらと
めくり、飛ばす。
 再びめくるのを止めたページで、この「治療」もひとまずの終わりを迎えたようだ。
そこにはやはり同じ筆者の手による字で、こう書いてあった。

『努力の甲斐あって、ついに妻の身体は完治した。正直当初の考えとは違ったものの、
彼女自身の力で再び歩く……?ことができるようになった。
無用なショックを与えたくないと言う彼女の意向から、この治療について、そして彼女自
身のことはこれまで子ども達には隠していた。だが、今日、ローパーとなった姿を見ても
怖がるどころか、驚くほど早く順応した所を見るに、やはり子どもは偉大だと思う。

心配していた思考の面でも、彼女自身の心は残すことが出来たようだ。
ただ、それでも魔物化の影響は少なくないのか、魔の者達の時間である夜になると、
どうしても快楽が欲しくなるらしく、我慢できずに僕に抱きついてくる。
まあ、僕としてはそれでも構わないのだが』

――――――――――――――

・――の月 ――日

「そ、それじゃ、いくわね……」
 おそるおそると言った様子で、ソフィエは短めのスカートから伸びる足を床に下ろす。
固唾を呑んで見守るフェイルの前でまず右足が床につき、感触を確かめるようにくっと力
が込められる。続いて左足も下ろされ、ベッドに腰掛けた格好の彼女は手すり代わりにイ
スに掴まり、ゆっくりと立ち上がった。
「……よし!」
 ふらつきもせず、しっかりと地面を踏みしめる彼女の姿にフェイルは小さくガッツポー
ズを作る。だが、ソフィエはそんな彼にまだよ、というと、そっと一歩を踏み出した。
ぺたり、と足が地面をつかみ、一歩一歩、こわごわと彼女は歩く。
「うん、ちょっとまだこの「足」に違和感があるけど……。歩ける、みたいね」
 歩行に問題が無いことを確かめると、フェイルとソフィエ二人の顔に安堵と歓喜の色が
表れた。張り詰めた空気がフェイルがふうう、と吐き出した息によって破られる。
 ソフィエはそんな彼のところにまでゆっくりと歩くと、彼の身体に自分を預けた。
胸元に顔をうずめ、小さく笑う。
「ふふ、あなたの方が緊張していたみたいね。
これじゃどっちが患者だかわからないじゃない」
「し、しかたないじゃないか。実際ずっと不安だったんだし」
 からかわれた言葉に若干気まずそうにしながらも、彼もまた言葉を返す。そしてソフィ
エの身体を抱き返すと、感謝の言葉をかけた。
「ありがとう、ソフィ。治ってよかった、本当に、よかった……!
こんな僕のことを信じてくれて……本当に、ありがとう……!」
 強く自分を抱きしめる彼の腕にその言葉以上に彼女を想う心を感じ取ったソフィエは、
そっと首を振り、顔を夫の胸板に押し付ける。
「ううん、ありがとうって言うのは私の方。もう一度、こうやってあなたの所まで歩いて
いけるようにしてくれた。子ども達を抱いて、散歩が出来るようにしてくれた。
あなたのおかげよ。ありがとう、フェイ」
 そして見つめあった二人は、また固く抱き合うのであった。

 いつの間にか、ソフィエの頬が桜に色づいているのに気付いたフェイルは顔をそっと耳
元に近づけ、囁く。
「……もしかして、したくなってきちゃった?」
 その言葉に、彼女は恥ずかしそうに目を逸らすと、小さく頷いた。
「無理しない方がいいよ。擬態にだって、まだ慣れていないんだしさ」
「うん、ごめんね」
 彼に甘えるように抱きついたソフィエの腰から下、スカートの下の皮膚が、つやと光沢
を増すと、とろりと溶ける。スカートの中から伸びるように桃色をした触手が数本伸び出
し、彼女自身の胴と胸に絡みついた。
「ん……ぁ……やぅ……」
 身体の変化に伴う快感が、ソフィエに甘い喘ぎをあげさせる。耳元で聞こえるその声に、
フェイルもまた、己の中で興奮が高まっていくのを自覚した。
 ほんの十秒ほどで、ソフィエは魔物としての本来の姿に戻る。二本の足に擬態していた
下半身はぶよぶよとした物に変わり、粘液を滴らせる触手が我慢できないようにうねうね
と蠢いた。
「あふ、あ、はぁぁ……」
 切なげな吐息を上げると共に、触手のうち数本がしゅるしゅるとフェイルの身体に巻き
つく。器用に彼の服を脱がせながら、撫でるようにその肌に触れていく。
「く……」
 奇妙な、しかし決して不快感はないその感触に、フェイルの口から快感を堪える短い呼
気が漏れる。顔を上気させ、目に淫らな光を灯して完全にローパーとなったソフィエはそ
んな彼を嬉しそうに見つめると熱い口付けを交わした。
「ちゅ、ん……ちゅぱ……、きす、きすいいよぉ……。あなた、もっとぉ……」
一度唇を離しても、もっともっととねだるソフィエ。彼もまた、妻に応え、唇を吸うと舌
を絡め合わせる。
「ん……こっちもぉ……」 
 だが、そのうちにそれでは物足りなくなったのか、触手の一本が優しく彼の腕を絡めと
り、既に露にされた乳房に導く。魔物化したといっても、下半身と違い人のときのまま変
わらない上半身は潤いのあるすべすべと肌のままで、彼は手のひらでそっとそのふくらみ
を覆った。
 もう一本の触手も同じように巻きつくと、こちらは彼女の股間へと手を伸ばさせていく。
「きゃふ……、いい、あなたの手でむねさわられるのすきなの……、いっぱいして……。
あ、やああん、した、下もいいよぉ……」
 こね回すように揉みほぐされる胸とくちくちと弄られる秘所から与えられる刺激に
ソフィエの身体がびくんとはねる。もっともっと快楽を貪ろうと、触手が彼女の胸の触ら
れていない方に巻きつき、蠢く。またあるものはフェイルの身体に巻きつき、二人をしっ
かりとつなぎとめていた。
「あふ……やだ……すごい、これ、しょくしゅ、触手きもちいいよぉ……」
 触手はその全体が性感帯のようで、触られるだけで感じるのか肌の上を滑るたびに彼女
の口から喘ぐ声が発せられた。
 やがて堪えきれなくなったソフィエは、潤んだ瞳で彼を上目遣いに見つめる。
「ねえ、ねえ……。あの、あなたぁ……」
「いいよ」
 子犬のような声で呟く彼女に優しくフェイルが微笑みかけると、彼女は嬉しそうに笑い、
身体から生えた触手を使って驚くほど器用に彼をそっと寝床に横たえる。
「あふ、もう……がまん、できないの……」
 そういうと既に露出され、立派に立ち上がった彼自身のものの上に、ぶにょぶにょとし
た下半身を乗せる。
「きゃ……、ふぁぁ……! これ、きもちいい……」
 皮膚が当たるだけでソフィエには快感が走るのか、彼女の肩は自身の胸に当てられた手
と共にぶるぶると震える。暖かいゼラチンのような肉に包まれて気持ちいいのはフェイル
も同じだった。だが、十分にそれを味わうとさらにその先に進めるべく、彼女の腰を掴み、
その女性器に肉棒を突き入れた。
「ひゃぁぁん!? やぁ、はいってるぅ……」
 突然の挿入に、驚いた声がソフィエから漏れる。だがすぐにそれは快感にとって変わら
れ、甘い響きの吐息を吐きながら、腰を動かし始めた。
「……ぐ。すご、熱くて、締め付けて……」
 そして快感を味わっているのはフェイルもまた同じだった。人間の肉体とスライムの中
間のような感触の彼女の膣内は彼のものにまるで絡みつくようで、そのひだひだの一枚一
枚が精液を搾り取ろうと蠢いている。
「あぁ……はぁん! あ、いやぁん……!」
 だんだんと二人の動きは激しさを増し、しばしお互い獣のように体を求める。
「あっ……くる、きちゃうよぉ、あなたぁ!」
「僕も、もう……! いく、いくよぉっ、ソフィぃ……!」
ほとんど同時に上げられた声が合図となったように、彼から熱いものがほとばしり、彼女
の膣内に注がれる。
「あぁあぁ、あつい、あついよぉ! フェイ、大好き、ふぇいぃぃ……!」
寝転がる彼を両手と触手でしっかりと抱きしめ、ソフィエも身体を震わせる。
 彼のものから出される液が勢いを失った後も、彼女はそのまま自分の中に埋め、お互い
に触手が絡みついたまま、ただ寄り添って寝転がっていた。

・――の月 ――日

『流石に昼間人の目のあるところでは擬態しているとはいえ、小さな村で妻が魔物になっ
たことがいつまでも隠し通せるわけではなかった。
だが、そのことがばれても村人達は僕たちを快く受け入れてくれた。考えてみれば、この
あたりは昔から魔物を含めた異種族に寛容だった。都会に行っていた3年間で、すっかり
忘れてしまっていたらしい。
僕たちは奇跡的にも、この村で同じように生活を続けていくことが出来たのだ。
妻が魔物になり、ちょっと本能――特に快楽に素直になってしまったとはいえ、僕を含め
た家族の皆に笑顔が戻ったのだから、些細なことだろう。
それ以外に大きく変わったことと言えば……診療所に来る患者のうち、異種族が増えたこ
とだ。一体誰がそんな名前をつけたのか、最近では僕のことを「魔物のお医者さん」と人
間魔物を問わず呼んでいるくらいだ。
妻も子どもも似合ってるよ、と言ってくれるのだが……』

――――――――――――――

「おにいちゃーん! もうお昼休み終わるよー!
いつまでも休んでないで、準備手伝ってよ〜!」
 部屋の外から聞こえてきた妹の声に、青年は意識を現実に引き戻すと本から顔を上げる。
ぱたぱたというスリッパの音に視線を部屋の入り口に向けると、橙色の髪を後ろで一つに
編んだ少女がドアを開き、こちらに呆れたような目をやっている。
「またここでお父さんの本読んでたの〜? まったく、いくらお父さんを尊敬していると
言っても、飽きないの?
まあいいわ、とにかく後ちょっとで休憩時間終わり。午後からも患者さんの予約いっぱい
なんだから、早く準備してよね」
 妹はそれだけ言うと、またぱたぱたと足音を立てて去っていった。その様子に青年はぽ
りぽりと頬をかくと、父の日記を机の上におく。
 開かれたままのページには、こう書いてあった。

・――の月 ――日

『今日、息子が僕の後を継いで医者になるため、都会の学校に旅立っていった。
嬉しいような、寂しいような。
あの子にも僕にとってのソフィエのような、素敵な子が見つかりますように』

――――――――――――――




「母さん! 何してんの!」
 台所に青年の叫び声が響き渡る。だが言われた方の女性はまるで堪えた風もなく、それ
どころか何で怒られたのだろうというかのように、きょとんとした表情を青年に向けてい
た。
「何って……料理。お夕食の準備」
 それが何か、と小首をかしげる女性は、裸にエプロンしか纏っておらず、しかもそのぶ
よぶよとしたスライムのような下半身からは、包丁やらお玉やらを握った触手が蠢いてい
る。まったく問題なし、とでも言いたげなその様子に、青年――彼女の息子は呆れて顔を
手で覆い、天を仰いだ。
「はぁあ……どこから突っ込めばいいのか……!
まずまだ診察終わっていなくて他の人の目もあるんだからせめて人間のフリはしてよ!
っていうかそれ以前にそのカッコは何!? あああ、味見するのに触手使わないで!!
粘液混じるから!!」
 混乱する青年をよそに、ローパーの女性、ソフィエは困ったように溜息を漏らす。
「文句が多いわねえ。大丈夫よ、ここにくるような患者さんたちは皆、私の正体知ってる
し。あなただって小さいころはこの触手に抱かれるの好きだったじゃない。おっぱいでも
ないのにちゅうちゅう吸ってたし。
それに手が多いのって、家事に便利なのよ? で、触手出すには服が邪魔だから、エプロ
ンだけで他は脱いでるのね」
「うあああ……子どもの時の話はしないって約束じゃないか! それに、そういう格好す
るのはせめて父さんの前だけにしてよ……! もっと恥じらいって物を……」
「だってお母さん、魔物だもの。えっちなローパーだもの〜」
「くっ……ずるいよ母さん、都合のいいときだけ魔物のふりするの!」
 まるで反省の色のない母親に、青年は頭を抱える。魔物となった時、若いころの姿のま
まで変化しない容姿はいまだに美しく、正直魅力的だ。もっとも彼には既に妻があるので、
いくらなんでも実の母親に欲情したりはしないが。
 いつもならソフィエがここまで暴走する前に、唯一彼女を止められる……というか相手
の出来る父、フェイルが出てくるのだが、不幸なことにあと一週間は出張中である。
 いつの間にか魔物の医者としても有名になった彼の父親は、時々こうして高位ゆえに人
里へ姿を見せにくい魔物の娘のために出かけていくのだ。大抵は母も一緒に出かけるのだ
が、今回は誰にとっても不幸なことに、留守番となっていた。
 その間は父と同じ、人間も魔物も診る医者となった青年と、助手の妹がこの診療所を預
かっているのだが、彼はどうしてもこの母には頭が上がらなかった。

「とうさん、はやくかえってきてくれ―――――――――――――ッ!!」
触手をくねらせ、鼻歌交じりで料理を続けるソフィエをよそに、青年は絶叫を上げるのだ
った。

――『魔物のお医者さん―とある手記より―』 Fin ――



「でもあなただって人のこといえないでしょ? 医者の嫁がラージマウスってどうなの?
いや、お母さんだって別にダメとは言わないけれども」
「う、うるさいな! 僕と彼女はお互いに心から愛し合ってるんだ!
それに、彼女は確かにネズミの獣人だけど、すごく綺麗好きなんだよ!
大体僕が物心ついた時から、身の回りに人間よりも魔物の女の子が多い育児の環境ってど
うなんだよ!
読み書きと同じレベルで、アルラウネのお姉さんからは薬草毒草学を、サキュバスの女の
子からは女の子の口説き方教わるっておかしいだろ!
むしろ僕は母さんがよく妹のことをローパーにしなかったと思うよ!」
「だってあの子はほら、サキュバスになりたいみたいだし」
「うわああああ、この家族、まともなヤツがいないのかあああ!!」
「同類同類。あなたも同じ」

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