サイクロプス被害報告書
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所々まばらに短い草が生えるだけの荒れた斜面を、一歩一歩しっかりと踏みしめ、足元に
気をつけながら青年は登る。
彼の左手には急な崖が広がり、その下には鬱蒼とした森が広がっている。反対側、右手の
方にはほとんど垂直といっていいような切り立った岩壁がずっと続いていた。
大地から聳え立つ山々が織り成す世界の背骨。その山脈の中の一つ、まるで細い糸のよう
な小道を歩く青年の姿はただの登山者、というにはいささか妙であった。
背負った背嚢や足元のしっかりした作りのブーツは確かに登山用のものではあるが、腰に
つけた剣の鞘といい、明らかに山頂を目指すのではない足取りといい、どこか趣味で山登
りをする人間のようには見えない。かといって、ただの冒険者にしてはよく手入れされた
髪や白い肌、碧眼の整った顔立ち、身につけた装備がどれもこれも市販のものとしては最
高級のものであることから、ただ山を越すだけの旅人や商人でもないようだった。
青年はふと足を止めると、手元の地図に視線を落とす。そうしてもう一度目的地の場所を
確かめると、その口から独り言が漏れた。
「……ふぅ。地図によるとあとちょっとだな。しかし、本当にこんな所に人が住んでいる
のか?」
いくばくかの疑念と不審を乗せた声を聞くものは誰もおらず、その言葉は風に乗って空へ
と消えていく。ずれた背嚢を背負いなおし、地図を折りたたみ懐にしまうと再び青年は足
を進めた。

やがて、大きく蛇行した山道の向こうから、せり出した崖の上に作られた小さな家が姿を
現した。木造の小屋の屋根からは一本の煙突が突き出ており、そこから白い煙が青い空に
一筋、立ち上っている。
「あれか……。本当に人が住んでるんだな」
求めていた場所が実際に見えてきたことでそれまでの疲れも忘れ、俄然元気を取り戻した
青年は先ほどよりも歩みを早め、小屋へと急いだ。

小屋の周囲には何本かの木が植えられており、よく手入れされたそれらは青々とした葉を
広げている。近くには斧が突き刺さったままの切り株や薪の山、何種類かの作物が実をつ
ける小さな畑があり、小屋に人が住んでいるということを青年に感じさせた。
それらにきょろきょろと目をやりながら、青年は頑丈な木で作られた、しっかりとした
ドアの前に立つ。小屋の中からは別段何かの物音がするわけではないが、無人の建物には
ありえない、命の気配があった。
息を吸いこみ、いざ声をかけようとした矢先。室内からドア越しに男の声が響く。
「おい、あんた。なんか用かい? あいにく、ここは旅人用の宿屋じゃねえぞ」
まるでこちらに興味が無いようなぶっきらぼうな声に青年は一瞬言葉に詰まったものの、
すぐに気を取り直し、小屋の主と思しき者に対し言葉を発した。
「いえ、ただの登山者ではありません。失礼ながら、ここに「クロム=ヴェイン」様は
おられるでしょうか。どうか、取次ぎをお願いしたいのです」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ドアが勢いよく開かれる。青年は内心驚きな
がらも、扉が室内に向けて開いたとほとんど同時に飛んできた小石をかろうじて避けた。
「へぇ、なかなかいい反応してるじゃねーか。こんな山奥まで一人で来たことといい、
ただのぼうやじゃなさそうだな」
初対面の青年に不意打ちを仕掛け、しかもそれを全く悪く思う風もない男の声が耳に届く。
「ま、今のを避けたご褒美に話くらいは聞いてやるよ。中入りな」
「……お邪魔します」
驚きは収まったものの、それで逆に男の態度をしっかりと把握できるようになったため、
無作法な彼の態度にいささか憮然としたものを声ににじませつつ、青年は扉をくぐった。
室内は男の声の調子から予想していたものとは大きく違い、青年が驚くほどきちんと片付
いていた。床や棚、窓枠にもほこり一つ落ちておらず、清潔さだけで見るならば街中の冒
険者の宿などよりもよっぽど綺麗である。
「何ぼっとしてんだ、さっさと座るなりなんなりしな」
かけられた声の方に振り向くと、長い黒髪を後ろで束ねた壮年の男性が部屋の中央に置か
れたテーブルの向こうに座っているのが見えた。異国の服だろうか、裾の広がったゆった
りとしたズボンは腰で締められた帯で留められ、上半身は正面で左右から布を合わせるよ
うにした白い服を着ている。衣服の上からでもその体にがっしりとした筋肉が付き、無駄
な贅肉などなく引き締められているのが分かった。
しわもほとんどないその顔も、鍛えられた体とこちらを見つめる鋭い視線から歴戦の戦士
のような印象を受ける。
声から想像したよりも意外にこぎれいな身なりをしていることにも驚いたが、それよりも
青年の注意を引いたのは袖から覗く左腕の色だった。日に焼けた健康的な顔や右手などと
違い、左腕だけが異様に白い。まるで、深窓の令嬢かそうでなければ……。
その視線に気付いた男は、忌々しそうに袖をまくるともっとよく見えるように左腕をテー
ブルに乗せた。ごつごつした筋肉のついた右腕と造りは同じせいで、余計にその肌の白さ
が違和感をかきたてる。
「こいつか? 妙だろ。知り合いにくそったれな趣味を持ったむかつくぐらい腕のいいゴ
ーレム技師がいてな。義手を頼んだんだが、嫌がらせかエルフの肌の色と同じにしやがっ
たんだ。ま、もっとも筋力に関しては右よりも上ぐらいだから、不便は無いがな」
「は、はあ……」
確かに二の腕の辺りから色が違い、縫い付けたような跡も見て取れる。からくりではなく
生身のように見えるのも、ゴーレム作成の技術の賜物なのだろう。だが、そんなものは王
国では禁制に近い技術ではなかったか。
なんと言えばいいのか上手い言葉が見つからずあいまいな返事をする青年に、男は彼の腰
につけられた鞘を見やり、なにか面倒ごとでも持ち込まれたかのよう渋面を作り、言う。
「こんな辺鄙な場所までやってくるようなヤツはたまにいるが、その中でも俺の名前を知
ってるやつは極々まれだ。その腰のモンといい、言われる前に大体の用事は分かるがな」
そう言われて自分がここに来た目的を思い出した青年は居住まいを正すと、男を正面から
見つめ、真剣な調子で話し出した。
「失礼、名乗りが遅れました。私はアルベルト=サウザンドブラッド。
かの高名な『聖剣匠』クロム様に是非とも私に剣を打って頂きたいと願い、まかり越した
次第です」
「だと思ったよ。いや、ぼうやがお貴族様――あのサウザンドブラッド家の人間とは思わ
なかったがね。
しかし、俺が何でこんな山奥に住んでるか、俺の名前を調べたならわかってるんだろう?
その称号ももう、昔のものだってこともな。
お貴族様の家に飾るような剣は、俺じゃないほかの誰か、王都の武器屋にでも頼みな」
そう言い捨てると、男――クロムはイスから立ち上がり、話は終わったとばかりに部屋の
奥へと消えていこうとする。青年――アルベルトは慌ててその背に声をかけた。
「ま、待ってください! 魔王が現れ、各地に魔物がはびこるようになった事はクロム様
もご存知でしょう! 今は一人でも多くの勇敢な戦士、そして一振りでも多くの強力な武
器が必要なのです。私だけでなく、数多の戦士や勇者、国王陛下や重臣たちも、貴方様の
腕を必要としております!
それに、今こそ貴方の汚名を返上し、再び名声を天下に響かせる機会ではありませんか!」
熱っぽく語る青年に、クロムの足が止まる。それにもう一押しだと感じたアルベルトは、
さらに言葉を続けた。
「そう、いまや貴方の武器が振るわれる機会は毎日のように訪れ、実際に貴方が王都に残
していった武器のいくつかはその封を解かれ、名だたる勇者と共に新たな伝説を紡いでい
ます! 陛下も再びクロム様を王宮御用達の剣匠にしてもよいと……」
「もういい、黙れ」
まるで凍りつくかのような声が、アルベルトの言葉を断ち切った。戸惑う青年の方に、男
はゆっくりと振り返る。その目には、先ほどの氷のような響きの言葉とは正反対の、全て
を焼き尽くす炎の如き怒りがにじんでいた。
「く、クロム様……」
「黙れと言った」
何か非礼があったのか、そうならば詫びようと口を開きかけた青年を、断首台の刃が落ち
るが如く冷酷な声がぴしゃりと断つ。煮えたぎる怒りを無理やり抑え込んだまま、クロム
は吐き捨てた。
「帰りなぼうや。そして王都のやつらに、俺は二度とてめえらになまくら一本だろうと打
つ気は無いと言うんだな。誰がこんな茶番を考えたか知らんが、俺はあのクソみたいな場
所に行く気はねえよ」
何故彼が、そして青年の言葉の何処にこれほどまでの怒りを感じたのか、アルベルトには
分からなかった。だが、青年のほうもこんな山奥まで来て、「はいそうですか」と手ぶら
で帰るわけにも行かない。戸惑った表情のまま立ち尽くすアルベルトに、男とは別の声が
聞こえてきた。
「……あなた、お客さん?」
その声と共に部屋の奥から姿を現したのは、薄い紫の髪をショートカットにし、革のトッ
プスとスカートを纏った一人の女性だった。だが、衣服から覗く胸元や腹、ももなどの素
肌は薄い青色で、耳は尖り、額からはまるで尖った岩のような角が突き出している。
だが、なによりもその顔には本来二つあるべきものが一つしかなかった。そう、顔の上で
こちらの様子を不安げに見つめる瞳はたった一つしかなかったのである。
サイクロプス。もともとは強大な力を持つ巨人族であり、その者達の中でも、特徴的な一
つ目の巨人として人々に知られるものたちである。
その瞳は魔眼とされ、魔力を秘めているといわれるのも、元は神族の血筋を引くからとさ
れる。本来は巨人の名のとおり人よりはるかに巨大な体躯を持つものであるが、魔王の影
響で人と同じ大きさになったという。
「うわっ、も、モンスター!?」
そうした話こそ聞き知っていたアルベルトであったが、実物を見るのは初めてだった。目
の前に現れた魔物に慌てて剣を抜こうとするものの、鞘の留め金が引っかかって上手く行
かない。その様子をじっと見ていたクロムは呆れたような声に、ほんのわずかに嫌悪感を
にじませて口を開いた。
「そんなに慌てなくてもこいつは人を襲ったりはせん。……俺の妻、だからな」
剣の柄をつかんだまま、驚き言葉をなくすアルベルトの前で、クロムは構わずサイクロプ
スの娘を抱き寄せる。それに抵抗するどころか恥ずかしそうに顔を赤らめ、なすがままに
……どころか自分からも男の背に腕を回す魔物の娘の姿を見て、青年はますます困惑した。
「なんだ? 好きあう二人が抱き合うのがそんなにおかしいか?」
「いえ……そんなことはありませんが……。あの、彼女は魔物、ですよね」
「ああ、見て分かるだろう。サイクロプスという種族だ。ほれ、お前も真っ赤になってな
いで自己紹介しろ」
青年はそういうことを言いたいのではなかったが、あえて指摘はしなかった。ここでまた
機嫌を損ねることを言うような愚は犯したくなかったのである。
至近距離からクロムに見つめられ、真っ赤な顔のまま一つ目の魔物娘は青年の方に首を向
ける。
「あ……あの、はじめまして……チタといいます……」
蚊の鳴くような声でそれだけを言うと、チタは真っ赤にした顔をクロムの胸にうずめた。
それを見ているうちに先ほどの怒りはすっかり冷めたのか、やれやれといった調子で彼は
妻の頭を撫でた。
「すまんな。こんな山奥では俺以外の男を見る機会もそう無くてな。いつまでたっても慣
れやせん。まあ、最初にあったときの人形のような無感情の様子から比べれば、こっちの
方がましなんだろうが」
「はぁ……」
とりあえず相槌を打ってみたものの、そんなことを言われてもアルベルトにはさっぱり理
解できない。そもそも、「人にあだなす存在である魔物は退治すべき」という考えを持っ
ている彼には目の前の男と魔物が愛し合っているということすら信じられなかった。
だが、恥ずかしそうに頬を染めながらもしっかりとクロムに抱きつくチタの姿は演技でも
なんでもなく、彼らが夫婦だということを如実に物語っていた。それを実際に目にしては
流石に男の言葉を信じざるを得ない。
ひとしきり抱いて気が済んだのか、クロムはチタから体を離すと青年の方に向き直る。
「あ……」
名残惜しそうな声が彼女から漏れる。それに息を一つつくと、クロムは青年に向かって言
った。
「……話の腰が折れちまったな。だが先ほど言ったとおり、わざわざ来たお前には悪いが
俺にはお前に剣を打つ気も、王都に行く気もない。
まあ、今からだと下山する途中で夜になっちまうだろう。今夜は泊まってけ」
それだけを言うと、クロムは今度こそ部屋の奥に消える。
「部屋は、あちらにありますから。失礼します」
チタもアルベルトに頭を下げると夫のあとを追った。
「…………」
その姿にかける言葉もなく、青年はぼんやりと部屋の奥の暗がりを見つめていた。

――――――――――――――

仕事場である工房に戻ったクロムは、台の上に置かれていた作りかけの剣を手に取るとひ
とりごちた。
「……嫌なことを思い出しちまったぜ」
握られた剣はまだ刃が入れられておらず、ただの棒切れにしか見えない。いまだ凹凸が残
る表面に歪んだ自分の顔が映ると、自嘲気味に口の端を曲げる。剣を元の場所に放ると、
カランという金属音が響いた。ゆれる鉄が動かなくなるまで、彼はじっと無言で見つめる。
きい、という戸がきしむ音が響いても、彼は製作途中の剣から視線を外さない。
「……大丈夫?」
その声に初めて肩越しに振り返ると、仕事場の入り口から心配そうにこちらを見つめる
チタの姿が見えた。男は芝居がかった調子で、肩をすくめる。
「ああ……。すべては時と共に流れ去り……。名誉も、汚名も、栄光も、悪夢も。
ただの世捨て人には関係のない話さ……」
だが、そう呟く声に自嘲気味な響きがこもるのは防ぎきれなかった。そんなクロムのこと
を悲しげな瞳で見つめ、チタはそっと彼の側に歩み寄ると背後からその体を抱きしめた。
「……積極的だな」
小さな声でからかう彼に構わず、サイクロプスの娘は自分の胸を男の背に押し付ける。
「泣いてもいいよ……。今は私にも、貴方の顔は見えないから」
その言葉に、男は手を薄青の細く、滑らかな腕にそっと置いた。
「……ありがとう」

アルベルトを交えた3人が夕飯を済ました後の室内。クロムはイスに腰掛け、腕を組んだ
まま何をするでもなく考え事をしていた。しばらくして台所で食事の後片付けや洗い物を
するためにチタが出て行ったのを見ると、再びアルベルトは剣匠に声をかけた。
「クロム様、どうか考え直してくれませんか。王都に戻るのが無理ならば、せめて一振り、
一振りだけでも剣を作っていただけませんでしょうか」
テーブルに身を乗り出すようにして懇願するアルベルトをクロムはじろりと睨むと、傍ら
に置かれたカップを手に取った。中身をぐいと飲み干し、とんと卓上に置くと長い息を吐
き出す。
「悪いが、さっきも言ったように何を何度言われても俺の考えはあの通りだ。
むしろ、何でぼうやが俺にそこまで拘るのかが聞きたいね」
皮肉な口調とは裏腹に、その目は青年の真意を見通そうとする鋭い光を灯している。
それを見て取った青年は、まっすぐにその瞳を見返し言葉を発した。
「先ほども申し上げたとおり、今世界には数多の魔物が姿を現し、人々を苦しめています。
王国でも騎士団を初め、教会、貴族たちがこの脅威を食い止めるべく、戦いを続けている
のです。
これ以上無辜の民に苦しみを味あわせないために、一人でも多くの兵を生き延びさせるた
めに、より強い武器が必要なのです!
それを成し遂げるものこそは、かつて『聖剣匠』の称号を陛下より授かったクロム様の武
器をおいてほかにありません! 
私が王都で一度だけ目にした一振りの剣は、他の武器にはない風格と威容を備えていまし
た。そのときに直感したのです。この剣の作り手こそ、勇者の手に救国の剣を授けるもの
だと。そして、それから方々手を尽くして様々な資料に当たり、それが貴方の手によるも
のだと知ったのです。
クロム様、どうかご理解いただきたい。今こそ再び時代がその匠の腕を必要としているの
だと!」
熱弁をふるう青年。だが、剣匠はそんな彼を冷たい視線で見つめた。その視線に氷の矢が
身を貫くような錯覚を覚え、アルベルトの口がつぐまれる。
何故そんな目で見つめられるのか全く分かっていない青年に、クロムはゆっくりと重い口
を開く。
「……なるほど、俺の刀匠として腕を評価してくれたことに関しては、そこらのお貴族様
よりもぼうやの方がよっぽど見る目があったようだ。
それにそのたいそうご立派なお題目だ。確かにそれを言われれば大抵の鍛冶は喜んで剣を
打つだろうよ。そのお題目が、あくまで「人間にとっては」という点を考えないのなら。
だがそれで簡単に頷くような男なら、今でもこんな所で隠遁生活をしているばかりか、
ぼうやのいう『魔物』を嫁に迎えはしないだろう。それぐらいはわかるな?」
「あ……」
そうなのだ。言われて改めて気付いたのだが、アルベルトとクロムでは「魔物」に対する
考え方というものが全く違う。
青年は、人間と魔物とは敵同士。決して相容れないものだと考えている。これは王都に暮
らすものなら極一般的な考えだ。積極的に排除するか、それともお互い関わりあわないよ
うにするかの違いはあれど、大体の住人の考えといっていい。
それに対して目の前の男は、人間と魔物は敵ではない、それどころか一緒に暮らせるとさ
え考えているようだった。事実、夕食の時の二人の様子は仲睦まじい極一般的な夫婦のそ
れと何らかわりはしなかった。――妻が青い肌をした一つ目の魔物でなければ。
そうした者達がいること自体はアルベルトも知っていた。冒険者や辺境の人間の中には、
魔物と共存したり、結婚し子どもをつくり、家庭を持っているものもいるという。
だがそうした者達のことは、王都の他の貴族やサウザンドブラッド家の者たちと同じく、
アルベルトには理解できなかった。
「それにだ。そのお題目を考えたのはお前さんじゃあるまい。大方……そうだな、サウザ
ンドブラッドの親父か、もしくはその親父も教会か城の重臣のジジイのだれかの受け売り
だろうよ。
大方そう言えば俺が喜んで戻ってくると思ったんだろうがな。
まあ、それは置いておくとしてもだ。ぼうや、仮に俺が剣を作ってやったとして……
お前さんは一体何のためにその剣を振るう?」
「何のため……魔物と戦い、人々を守るためではないんですか?」
まるで「1+1は?」と聞かれているような思いで、青年は自分の常日頃の考えを述べる。
だがクロムはそんな彼の言葉を聞き、その顔を見ると「まるでなっちゃいねえな」と言わ
んばかりの顔を作った。
「だめだめだな。そんな答えじゃ俺の考えはかわらねえよ。
さっきのお題目もそうだが、その考え、本当にぼうやの中から出てきたものか?
……思うにぼうや、実戦を経験したことはないな? 自分の手で、誰かを殺したことはな
いだろう?」
「えっ……!?」
絶句する青年の表情からそれが図星であったことを察すると、クロムはイスに座りなおし、
組んだ腕の上にあごを乗せる。
「まあ俺だって説教する気はねえよ。剣は凶器だし、剣術は殺す業だし、戦いが悪で地獄
だってことを否定はしねえ。
だからこそ、剣を作るにも、それを振るうにも、覚悟は必要なんだと思ってる。
貴族の家に飾るための剣はもはや剣じゃねえし、だからといって殺しだけを突き詰めた凶
器みてえなものを打つ気ももうねえ。
ましてや、一度は捨てておいて必要になったからまた呼び戻す、なんて考えのやつらのた
めにはな」
「覚悟……」
うつむき、自分の両手を見つめる青年に彼は頷く。
「今のぼうやには俺に剣を打たせる覚悟を決めさせるだけのものがねえんだ。俺を納得さ
せる答えが見つからなきゃ、俺に剣を打たせる覚悟をさせられないようなやつには剣は作
らねえ」
そういい終わると、クロムは立ち上がった。洗い物は終わったのか、部屋の出入り口から
こちらの様子を覗くチタの肩を抱くと、クロムは寝室へのドアをくぐり、その中に消えて
いった。
「もう寝ろ。んで明日朝になったら山を降りて今言ったことを王都の連中に伝えるんだな」
ドアが閉まる前、こちらを見やりながら掛けられた剣匠の声に返事を返すこともできず、
アルベルトはのろのろと立ち上がると客間として用意された部屋に入り、布団に包まった。

――――――――――――――

クロムとチタの寝室。中にはタンスや鏡台、その他小さな棚などいくつかの家具があり、
壁には鞘に入れられたままの剣が一振りだけ、金具にかけられてあった。
部屋の家具の中でも一際大きなダブルベッドの上に、小さなランプの灯りに照らされた
クロムとチタの姿がある。
「ずいぶん……気にするのね?」
珍しく、妻の方から言葉を掛けてきた。いつもなら無口な彼女に最初に話しかけるのはク
ロムの方なのだが。先ほどの仕事場でのことといい、どうやら自分でも気付かないうちに
相当今回の事態を気にしているらしい。
闇の中でもまるでブラックダイヤのように美しく輝く一つ目を見つめ返しながら、クロム
は自分の考えを纏めようとするように、ぽつぽつと語りだす。
「そうだな……。さっきは、もう全部終わったなんていったけど、やっぱりひっかかって
るんだろうな……。
もう十年以上前か……。王都もすっかり変わったんだろうな。あのころの俺は、何にも分
かってないガキだったからな。出来ることなら昔に戻ってぶん殴ってやりたいぜ」
そういって、遠い昔を思い出すように目を閉じる。



かつて男は王都で刀鍛冶をしていた。彼を仕込んでくれた親方は厳しかったが、都で一、
二を争う腕の持ち主でもあり、直弟子として直接その教えを受けた彼は持って生まれた才
能もあって若くして王宮から御用達に選ばれるほどであった。
彼は人々の望むまま剣をはじめとした武器を作り続けた。そして人々はまた、優れた出来
のそれをもてはやした。『聖剣の作り手』『刀匠の天才』。
あらゆる名誉が彼のものとなり、人々は彼の武器を求め、時には彼の剣が原因で争いが起
きるほどだった。
彼の武器は戦場で敵とした数多の命をまるで花を摘むように刈り取った。それこそが自分
の腕の証明だと、彼自身そう信じて欠片も疑わなかった。

あの光景を目にするまでは。

それは、ある貴族からの依頼で作った剣のお披露目の会で起こった。
彼が持てる技術を全て注ぎ込んだ傑作といえる出来の剣を依頼主に届けたあの日。そのま
ますぐに工房へ戻っていればよかったと思うこともある。
しかし一方で、いや、やはりあの時あの光景を見てよかったとも思う。アレがなかったら、
今でも自分は何も知らないバカのままだったろう。

依頼の品を鞘から抜き、その美しい刀身にうっとりと見入っていた若い貴族は、自分のも
のとなった剣の素晴らしさを他人に見せ付けたいと思ったのか。
魔物で試し切りをしようと言い出した。
彼にも、自分の傑作がどれだけのものか実際に見てみたいという思いは抑えきれず、
狩場……いや処刑場となった庭に引きずりだされた魔物を見ても、何の感情もわかなかっ
た。
そして、彼が見つめる前で、その死神の刃が哀れな犠牲者に振り落とされ――



「……うっ」
クロムの口から、うめき声が漏れる。まるで目の前にそのなきがらがまだ転がっているか
のように。そのうつろな瞳と、目を合わせてしまったかのように。
多分一生、あの顔を、あの時の嫌な思いを忘れることはないのだろう。
かたかたと小刻みに震えだしたのは、悪寒のせいなのか、それとも償いきれない罪を悔い
ているのか。自分でもよく、分からなかった。
妻はそんな夫に一糸纏わぬ美しい肌を触れ合わせる。すこしでも心が落ち着くようにと。
「すまない……ありがとう……」
弱弱しく呟く夫に、チタはふるふると首を振る。
つぶらな一つの瞳をそっと閉じると、彼女はクロムの唇に己の唇をそっと触れさせた。
その柔らかな感触に、二人の脳裏にはかつての出会いの日がまるで昨日のことのように鮮
やかに思い出された。



あの事件以来、クロムは武器を作れなくなった。剣であれ槍であれ、いや、武器でなく盾
や鎧であっても、鎚を振るうたびにあの時の魔物の顔が目の前に浮かんできてしまうのだ
った。
自分が誇らしげに作っていた武器が、情けも容赦もなく、一瞬で命を奪う。後にはただ、
心無き刃に命を散らされた無残な亡骸が転がるのみ。
武器は殺しのためのものだと十分に分かっているつもりだった。確かに、頭ではそれは分
かっていた。だが、実際にそれを目にするまで、自分が殺人者の片棒を担いでいるという
自覚と覚悟が足りないことに気付かなかったのだ。
そしてさらに、そんなことをまるで考えもせず嬉々として剣を振るい、命をいたずらに
奪う下衆どもも彼は許せなかった。
全ては遅かった。全ての元凶は己であり、しかしその犯した罪は大きすぎてもう何をして
も償いきれるものではなく。
そんなどうしようもない怒りから、彼は以前に別の貴族から依頼され、依頼主に納める前
の既に出来上がっていた剣に最後の仕上げをする際、ある呪いをかけた。
『与えた傷と等しい苦痛を持ち主に与える』という強力な呪いがかけられた剣のことはや
がて教会の異端審問部の耳に入ることとなり、彼は「邪剣の作り手」として、死刑こそ免
れたものの利き腕の左手と工房、過去の栄光と輝ける未来を奪われ、王都を追われたのだ
った。その後に風の便りに聞いた噂の内容では、彼が残した武器のほとんどは呪われた武
具、忌まわしき武具とされて処分され、わずかに残ったいくつかも厳重に封印されたらし
い。

全てを失いあてもなく各地をさまよう彼はやがてこの山に住み着き、人目を避けるように
ひっそりと暮らし始めた。
だが、いくつかの季節が巡っても、彼の苦しみは和らぐことも無かった。
そんなある日のこと、彼の前に一人の少女が現れたのだった。

夜中、ドアをノックする音で目を覚ましたクロムはのそりと寝台から起き上がると入り口
の方へと足を進めた。ドア越しに気配を察したのか、彼が扉の前に立つと向こう側の人物
が口を開く。
「……あの、ここにクロムという方は居られるでしょうか?」
「ああ、俺がクロムだが……」
予想していなかった女性の声に少々戸惑いつつも戸を開けると、そこにはまだ若い女性が
立っていた。旅姿か、体には厚手のマントを纏い、頭もフードにすっぽりと覆われている。
女性がこんな山奥まで何の用だと思いつつも、彼女を部屋に招きいれたクロムは、フード
の下から現れた女性の姿に思わず言葉を失った。
尖った耳に一本角。その滑らかな肌の色は人にはあらざる青色で、どこか不気味な印象を
見るものに与える。そして何よりも驚く彼をじいっと見つめる黒い瞳は、たった一つしか
なかった。
「あ、驚かせてしまいましたか。決してあなたに危害を加えるつもりはありませんから」
淡々と話す彼女の言葉には、感情がほとんど感じられなかった。クロムは先刻以上に戸惑
いながらも娘にイスをすすめ、自分もその向かい側に腰掛ける。
「それで、俺に用ってのは?」
どうしても一つ目が気になってまともに顔を見れないクロムの態度を気にすることもなく、
「チタ」と名乗ったサイクロプスの娘は相変わらず感情に乏しい口調で淡々と話す。
「はい、実はかの有名な刀鍛冶に、ぜひともその業を教わりたく参りました。
どうか、私を弟子にしていただけないでしょうか」
「弟子……だと?」
「ええ」
驚いて思わず聞き返したクロムに、それがどうかしたかといわんばかりに返すチタ。
その顔は相変わらず表情に乏しく、余計に冗談を言っているようには見えない。
思わず、クロムは自分からかつての自分が何をしてきたのか、その悪行を話し出していた。
「あんただって聞いたことがあるだろう? 俺の作った武器が人間、そしてあんたら魔物
といわれている存在の命をどれだけ奪ってきたのか。直接その手を汚したかは関係ない。
いや、自分では剣を振るっていない分よけいにたちが悪い。
それに、俺の教えを受けたなんて知ったら、その武器だけでなくあんた自身ももう人間
にも魔物にも受け入れられないぞ。
俺は……どちらからも爪弾きにされたものだからな」
情けないとは思っていても、自虐が口をつくのを止められなかった。
無言でうつむくクロムに、いつの間にかイスから立ち上がりその側に来て、しゃがみこ
んでいたチタがそっと寄り添う。
彼女は男に残された右腕を優しく取ると、その手を自分の両手で包み込んだ。
「いいえ……。あなたは決して自分で言うような悪い人ではありません。
こうして一人、ずっと己を責め、かつての過ちを悔いているのがその何よりの証です」
「だが……」
なおも反論しようとするクロムを、一つ目でじっと見つめながらチタが続けた言葉が遮
る。
「私は貴方が作った剣の最後の一振りを目にする機会がありました」
思わずびくりと震えた彼の手を安心させるように握り締めると彼女は先を続ける。
「あの呪われたとされる剣が壊される時。その噂を聞きつけた私はこっそりと王都の広
場に見に行きました。魔剣、邪剣と人々が口々に罵る中、私には分かったのです。
この剣を作った者が、どんな想いで、どれほどの覚悟をこめて剣を完成させたのかを」
「…………」
「確かにあれは呪いのこめられた剣でしょう。ですが、その呪いの意味こそが、貴方が
もっとも人々に分かってもらいたかったことではありませんか?
人であれ魔物であれ、同じ一つの命。その尊さに気付いたからこそ、無益な戦に自分の
剣が使われ、ただ魔物だというだけで数多の命が散らされていくことに耐えられなかっ
たのですね。
その愚かさを知らしめるべく、その痛みを知らしめるべく、本来まじないなどと無縁な
貴方が自分の作品にあそこまで強力な呪いをこめたのではないでしょうか」
とつとつと語られる彼女の声には何の感情もこもっていないように感じられたが、それ
ゆえにどんな言葉よりも、クロムの胸に響いた。
そうなのだ。あの時は怒りに任せて呪いをこめたと自分でも思っていたが、それならば
もっと直接的なもの――例えば、持ち主に死を与えるような――にすればよかったはず
だ。そうしなかったのは……無意識に今、彼女が言ったことを自分が考え、思い、願っ
ていたからだったのだろう。
自分でもきちんとした形で理解していなかった胸のうちを自分以上に正確に言い当てた
チタというサイクロプスの娘に、クロムは俄然興味が湧いてきた。
それに彼女の鑑定眼は道楽で剣を集める金持ちや、そこらの冒険者よりもよほど確かだ。
よくみると、彼女の肩から掛けられていた道具袋に入った金槌や工具はどれもよく使い
込まれている。クロムの腕を見抜いた上で弟子になりたいと言い出すくらいだから、お
そらく自身も鍛冶の才能や経験はあるのだろう。
だがクロムは自分でもよく分からないどこか口惜しい思いと、これが申し出を断る口実
になるだろうというほんのわずかな安堵をこめて自分の左袖を見る。肩の下、二の腕の
途中あたりから厚さを失いただ垂れ下がる布地は、そこにあったものが永久に失われた
ことを如実に物語っていた。
「でもな。こっち、わかるだろ? 左腕無いんだよ、俺。だから、今じゃまともに剣を
作ることなんてできないんだ。あんたが認めてくれた腕はもう、永遠に失われたんだよ」
そしてもう一つ。クロムの心に中には自分以外の者に、いつか自分と同じあんな思いを
させてしまうのかも知れないという恐怖が存在し、彼女を弟子に取る決心を鈍らせてい
た。
「わざわざ来てくれたあんたには悪いが……俺は自分が感じたあんな思いを、他の誰か
に味わわせたいとは思わない。俺にちょっとでも関わったやつが、武器のせいで不幸に
なって欲しくないんだ。俺の教えを受けて、剣を作るというのならなおさらな。
だからすまんが、赤の他人には俺の業は教えられねえよ」
ゆっくりと彼女の手をほどき、握られていた右手を抜く。ぎゅっと握った拳を見つめな
がら、クロムは自分の決心を改めて固めた。
その様子を立ち上がり、何かを考え込みながら見つめていたチタはクロムが顔を上げ、
こちらに視線をやったのを見て、先ほどまでと同じ淡々とした調子で口を開いた。
「……わかりました。
ならば、私に貴方の子を産ませてください。人は己の遺産をわが子に遺すといいます
し、それならば貴方にとっても、赤の他人ではないでしょう?」
「……何?」
最初何を言われたのか分からず、クロムはチタの顔をまじまじと見つめた。
だがその顔には弟子にしてくれといった時とまったく変わった様子はなく、むしろ名
案を思いついたとばかりに黒い瞳が輝きを増している。
相も変わらず無表情だが、ほんのわずか桜色に染まった頬を見るに、彼女自身にもその
方法を取りたいという期待が見え隠れしていた。
なんとも奇妙な求婚をされたクロムはしばらくの間言葉一つ発せず、ぽかんとしていた
が、やがて大声を上げて笑い出した。
「……はははははははははは!! こいつはいい、これ以上ない説得だ!
参ったね、こいつは男なら断れねえや! はっははは! いやまったくこんな手でこら
れるとはな!」
腹をかかえ、目に涙を浮かべて笑い転げるクロムをチタは何がおかしいのだろうと思い
ながら見つめる。
「いいだろう、俺の負けだ。くっく……。あんたの言葉と覚悟、しかと受け取った。
この隻腕でどれだけのことを教えてやれるかはわからねえが、あんたが俺の子を産んで
くれるなら、そいつには俺が知りうる全ての技術を叩き込んでやる。
だが、いいのか? それだとあんたは俺の弟子にはなれない。俺の技術を学ぶことが目
的ではないのか?」
クロムの問に、静かな声が答える。
「構いません。私の願いは、私たちの一族により優れた技術を伝えていくこと。心技と
もに優れた貴方の子ならば、私にとっても願ってもないことです」
「……なるほどね。いい覚悟だ。いやあしかし笑わせてもらったぜ。
あんなに笑ったのはいつ以来だったか。もう思い出せやしねえ。
その礼だ、あんたを弟子には取ってやれねえが、ここの工房は勝手につかいな。
気が向いたら、あんたの作ったものの感想くらいは言ってやるよ」
目の端の涙を指でぬぐうと、男は首で工房の方を指し示す。その言葉にチタは頭を下げ、
だがひとつだけ納得がいかないような声を出した。
「感謝します。……が、私は何かおかしなことを言いましたか?
貴方が私のことを好意的に見て、私に子を産ませてくれることは理解しましたが……
何がそんなにおかしかったのか、分かりかねます」
大真面目に疑問を示す彼女の様子に、再びクロムが笑い転げる。
ひーひー言いながらも何とか顔を引き締め、クロムは再度彼女に確認する。
「ぷっくくく……。で、もう一度聞きたいんだが、俺はあんたに惚れたみてえだ。
あんたに俺の子を産んでもらいたいと真剣に思ってる。くっく。
では、あんたは俺のことを、子どもに鍛冶の技を教えるとか抜きにしたら、
愛してくれるのか?」
クロムは笑いながらもその目だけは真剣だった。その目から視線をわずかも逸らすこと
なく、彼女ははっきりと言い切る。
「はい。出会ったばかりですが、私も貴方を好いています。貴方が私を弟子に取る取ら
ないに関わらず、遅かれ早かれ私は貴方に愛を伝え、きっと求婚していたでしょう」
その答えに我慢しきれなくなったようで、クロムは盛大に噴出す。
流石にわずかに眉をひそめた彼女に男は無理やり笑いを止め、しかしおかしさを抑えき
れないといった調子で彼女の肩に手を置いた。
「いやわるいわるい。まさかこんな求婚があるとは夢にも思わなかったからな。
いやいや恐れ入ったよ。まさかクソ真面目なツラで「子どもを産ませろ」「愛してる」
と来るとはな。
くくくくく、いや参った参った。完全にやられたぜ。
だがな……チタさん? そういうのはもうちっと、媚びた態度と色っぽい言葉でするも
んなんだぜ?」
自分の言葉で先ほどの光景を思い出したのか、再び爆笑したクロムを不思議そうに見や
るチタ。人形のような無感情さから見ても、おそらくそういった機微に疎いのだろう。
だがそれだからこそクロムには新鮮に映った。かつての王都では、彼の名誉と栄光を知
る数多の女達が言い寄ってきたものだが、どいつもこいつも裏の欲が透けて見えて彼に
は反吐が出そうだった。
だが目の前の純朴な魔物娘はそんな下卑たものは欠片も無い。純粋に種族に優秀なもの
を残したいという本能と、その本能を超える愛を彼にぶつけてきたのだ。
そうした女に答えないほど、クロムという男は腐ってはいなかった。
「しかし子どもを産むためにやるにせよ、終始その調子じゃ風情も艶もあったもんじゃ
ねえな。しかたねえ、まずはチタ、俺があんたを気に入るように染めるとこから始める
ぞ?」
「わかりました。よろしくお願いします」
半分冗談、半分本気の言葉にばか丁寧に頭を下げるチタにクロムは再び噴き出し、わず
かにむくれるチタをひょいと片腕で器用に抱き上げる。
豊かな肉付きをしている割に、想像よりも軽い体を抱えたまま、クロムは寝室の扉をく
ぐった。



「思い返せば随分前のことになるな」
「そう……ですね。あの夜からしばらくはずっと、あなたにいろいろされちゃいました
ね」
「よく言うぜ。だんだん俺よりもはまってきたのはどっちだよ」
「……知りません」
朱に染めた頬のまま、一つ目をぎゅっとつぶる彼女をおかしそうに見ながら、クロムは
さらさらとした薄紫の髪を梳く。うっとりとした様子の彼女に、どれほどの言葉を尽く
しても言い表せないほどの愛しさを感じた。
髪から突き出るようにピンと尖った耳をやさしくつまむと、むずがるように彼女の体が
震える。幾度となくやっていることなのに、いつまでたってもこうすると同じ反応を返
してくるのだった。
「んっ……みみ、だめぇ……」
「耳、弱いよな。んっ……」
からかう彼の言葉を邪魔するように、角が彼に当たらないようにやや斜めからチタが
口付ける。クロムも彼女の背にそっと腕を回し、それに応えた。
彼女の舌がおずおずと彼の口内に侵入する。それにクロムも己の舌を絡め、二人はしば
し濃厚なキスを続けた。
「んちゅ……んっ……ん……ちゅ、ぷ……」
互いの唾液を交換する水音が、闇の中に響く。
やがて唇を離すと、二人の間に唾液が糸を引いた。
「あの……今度は胸も……」
上気した顔でチタががささやいた。クロムは無言で頷くと、そっと柔らかな二つのふく
らみを手のひらで包み込む。その感触に、チタの体がピクリとはねた。
「や……あん……」
「チタの胸、何度触っても気持ちいいな……」
「ぅん……うれしい……です。クロム……もっと、さわってぇ……」
上目遣いでこちらを覗きこみ、甘い声で囁くチタに、クロムは背筋にぞくぞくとしたも
のを感じる。彼女の期待に応え、ふくらみを揉むというよりは撫でるように、そっと手
を這わせる。すべすべの胸がじっとりと汗をかいてきたのを手の平で感じると、クロム
は勃ち上がりかけた乳首をやさしくつまんだ。
「きゃう……や、やぁ……ちくび、いじっちゃ……やぁ……」
「……そう? 気持ちよく、ないか?」
幼子のようにいやいやと首を振る娘の耳をそっと甘噛みしながら、耳元に囁く。
その言葉に、桜色の頬がさらに赤く染まった。
「や、や……ぁん……。そんな、こと、ない……」
「本当か?」
男は右手で胸を揉みながら、左のふくらみに舌を這わせる。生暖かい感触にチタの口から
小さな叫びが漏れた。体をくねらせ、引き離そうとする彼女をクロムは逃がすまいと、ツ
ンと尖った乳首を口に含んだ。
「あぁん! だめ、だめぇ!」
嬌声を上げ、目をぎゅっとつぶった彼女に構わず舌で転がすように愛撫する。そうして、
左を十分に味わってから、今度は手と口を入れ替え、右の胸に吸い付いた。
そうしてしばらく手と胸で愛撫を続けるうちに、だんだんと彼女の体から力が抜けていっ
た。
頃合を見計らい、男の大きな手が娘の下半身へと伸ばされる。
「あ……」
「いいか……?」
チタが発した小さな声に手は、一瞬だけ動きを止めた。クロムが許可を求めるというより
も確認するためにかけた声に彼女は真っ赤な顔で目をしっかりと閉じたままこくりと頷く。
じっとりと熱を持つそこに彼の指が触れた瞬間、くちゅという小さな、しかし確かな水音
が響いた。
「〜〜〜〜っ!」
チタは顔をクロムの肩にぎゅっと押し付け、口から声が漏れるのを必死でこらえる。閉じ
られた大きな一つ目の端から美しい水滴がこぼれた。
その様子にも構わず彼はうずめた指を動かし、時折彼女の体がびくんと大きくはねた。
引き抜いた指がぐしょぐしょに濡れているのを見たチタは顔を真っ赤にしながらも、差し
出された指をぺろぺろと舐める。完全にスイッチが入った彼女の様子を眺めながらチタの
腰を抱くと、クロムは己をチタの秘所に押し当てる。
「……もういいだろ、そろそろ挿入れるぞ」
「うん……、いいですよ……」
熱に浮かされた瞳でこちらを見つめる彼女に、クロムは己のモノを突き入れた。
「ぁっ……はいって……きた……ぁ……」
口元を覆いながらもその様子をしっかりと見つめる彼女に口付けると、奥までゆっくりと
うずめていく。根元までそれがうまるとクロムは動きを止め、優しく彼女を抱いた。
「……平気か?」
「……うん」
一言短い返事。動く前にしばし、彼を包み込む肉を味わおうかと思っていたクロムに、
チタが小さく囁いた。
「……ごめんな、さい……。貴方の子ども、まだ出来なくて……」
涙を浮かべて詫びる彼女に、男は気にするなと言い、慰めるように軽くその頭を撫でる。
「……いいんだ、それはお前のせいじゃない。時間はたくさんあるんだ。
今は気持ちよくなることだけ、考えてろ」
半分自分に言い聞かせるように、クロムは呟く。
二人の間に子どもが無いのは、これは単に偶然であった。高位の魔物のなかには、その強
力さから逆に人との間に子どもを授かりにくいものもいるという。だがそれでもほぼ全て
の魔物は今の魔王の影響か、人との間に子をなすことができるようになっている。
こうして励んでいれば、いつかは二人にも子どもができるだろう。
だが、一見無感情に見えて義理堅く愛情深い彼女は、かつてのクロムとの約束を守ろうと
して彼以上に子が出来ないことを焦っている風であった。
「ほら、動くぞ」
「あ……ぁっ……ゃ……」
ずっ、ずっ……と彼の腰が動き出し、チタの体を揺さぶる。
「くっ……」
無意識にやっているのか、絡みつき締め付けてくる彼女のあまりの快感に、クロムは唇を
噛みしめ、出しそうになるのをこらえた。
「……ん……っ」
「あ、やぁん!」
お返しとばかりにクロムはチタの腰を抱いたまま、動きに合わせて弾む胸に口付ける。
口では抵抗しつつも逃げるそぶりのない彼女を意地悪く見つめながら、ぺろぺろと肌に舌
を這わせた。
しばしの間、部屋の中には彼らの動きにあわせてベッドがきしむ音とチタの嬌声だけが響
いていた。だがそれも、二人が限界を迎えたことで終わりを告げる。
「うっ……そろそろ、いく、ぞ……!」
男の声に、かろうじて頷くと、チタは動きを早めた。
「くぅ……っ!!」
「ぁ……っ、あぁ……っ……ぁぁ……!!」
一際強く締め付けてきた快感に、男のものから熱い液がほとばしると、彼女も大きく背を
反り返らせ、かすれた叫び声を上げた。
「ふぁ……ぁ……」
ぶるぶると体を震わせると、チタの秘所からどろりと白い液体がこぼれた。その熱さに彼
女の体はまたびくんと震え、力を抜くと、くてんとクロムに倒れこむ。
「クロム……」
「ここにいる」
はぁはぁと荒い息をつきながら名を呼ぶ彼女に、短く返す。不器用な言葉とは違い、彼の
手は優しく妻の頭を撫でていた。
ベッドに彼女を横たえ、軽くその体を拭いてやる。いつの間にか眠ってしまったチタを見
つめ、彼もまた横になった。

――――――――――――――

規則正しい穏やかな寝息が不意に止み、閉じられていた一つ目がぱっちりと開く。
無言のまま体を起こすと、同じく目を覚ましていたクロムの姿が暗闇の中に浮かび上がっ
た。
「気付いたか? ……招かれざる来客だな」
「はい、一人じゃありませんね。それにこの気配。間違っても道に迷った旅人ではなさそ
うです」
二人は立ち上がると手早く衣服を身につけ、部屋の隅に置かれていた武器を手に取った。
そっと窓から外の様子を窺ってみても人影はなく、ただ月の光だけが夜の庭を照らしてい
る。
その時寝室のドアが音もなく開き、思わず身構えた二人の前に、同じく緊張に張り詰めた
表情のアルベルトが姿を現した。しらず、クロムとチタの体からは力が抜ける。
「そういやぼうやがいたんだったな。気配に気付いたのか?」
抑えた声で問いかける彼に、青年は頷く。
「は、はい。」
「そうか、昼間に俺が投げた石ころを避けたことといい、なかなかいい反応だ。
ぼうやにはお貴族さまの退屈な城暮らしなんてもったいねえ。
それだけ鋭い感覚がありゃ、冒険者としても十分やっていけるかもな」
「冒険者、ですか?」
「ああ、少なくともおまえの親父よりは、実戦向きだよ。大体剣一本のために山をここま
で一人で登ってこようなんて考える辺り、普通の貴族のぼんぼんじゃないね」
いまいち褒められているのか良く分からない言葉に微妙な表情を作りながら、青年は二人
の側に歩み寄った。
「しかし、何で急に……」
「そいつは、これのせいだな」
戸惑う青年を頭の先から足元まで鋭い目で観察していたクロムが、青年の上着から精巧な
細工の着いたブローチを剥ぎ取る。青年に抗議させる暇もなく、彼がそのまま躊躇せずそ
れを握りつぶすと、ぱしっというかすかな音がした。
「い、今のは?」
「どうやら、ぼうやに監視の目をつけてたヤツがいたみたいだな。
おそらく『魔導遠視(クレアボヤンス)』に『盗聴(タッピング)』あたりか。
どうせ俺が望む答えを返さなかったときのために、あらかじめ用意していたんだろうよ」
「父上、が……?」
呆然と呟くアルベルトに、クロムは肩をすくめる。
「さあな。自慢じゃねえが敵は多いんでね。ぼうやの親父以外でもこれ位してくるやつは
いるさ。ま、中でもサウザンドブラッドは魔物嫌いで有名だしな。
俺の剣が自分のものにならないばかりか、魔物と暮らしているのを知って、その腕が魔物
のものになるのを恐れた……ってとこだろう。
あるいは魔に魅入られた邪悪な鍛冶屋に裁きを、ってとこか?」
話している間にも、襲撃者達の気配はじりじりと近づいてくる。こちらを見つめるチタの
視線に頷くと、クロムは口を開いた。
「……殺気に変わった。気付かれたのを知ったか。やる気だな。
うちの中に入ってこられると面倒だ。
相手が暗殺者なら狭い場所での戦いは厄介だ。
それよりも、こちらから庭に出て迎え撃とう」
「……はい」
頷き、巨大なバトルハンマーを軽々と担ぐとサイクロプスの娘はゆっくりと家の出口に向
かった。クロムも鞘にこめられたままのロングソードをちらりと見、壁の金具から外すと、
その後を追う。部屋を出る前に、男はふと何かを考え付いたように足を止めた。
「そうだ、ぼうやはどうする? 敵の目的は俺たちだけだ。ここで寝たふりをしていれば
お前までは襲わないだろうよ」
「いえ、私も戦います!」
戸口で振り返り、掛けられた声に青年は答える。クロムはその様子を一瞥しただけで、特
に反対も賛成もしないようだった。
「好きにしな」
それだけ言って部屋を後にした彼に続き、アルベルトも外へと向かった。

静かな月明かりが闇を照らす夜。空には星が瞬き、幻想的な絵を作り上げている。
時折通り抜ける風が木の葉を揺らすかすかな音以外には、何も聞こえない。だがそれがか
えって辺りに満ちる緊張を痛いほどに感じさせていた。
きい……という音と共に、小屋の戸が開く。そこから音もなく一人の女が月下に姿を現し
た。
その様子に、庭の木や草の茂みから、黒い影が姿を現す。
黒装束を纏い、手に手に月光を照り返す刃を持った人影は3人。そのうちの一人が前に進
み出ると、口を開いた。
「クロム=ヴェインはどこだ? 隠すとためにならんぞ?」
「…………」
無言で襲撃者を見つめるチタ。その様子を睨んでいた影の一人が、彼女の正体に気付いた。
「一つ目……! こいつが、例の化け物だ」
「話は本当だったということか、それにしても異様な姿よ」
襲撃者達の体が思わず強張る。それもまあ当然であった。魔物学者によるとサイクロプス
は元神族といわれるように、数多いる魔物の中でも強力な種族の一つである。多くが山奥
でひっそりと暮らしているためかそれほど遭遇報告はないが、いざ相手にするとなれば、
熟練の冒険者でも一対一で戦うのは危険な存在なのである。
緊張を高める両者はそれきり一言もしゃべらず、夜の静寂が場を支配する。
しかし不意に響いた声が、その静けさを破った。
「おい、人の妻のこと随分好き勝手いってくれるじゃねえか」
「……!」
息を呑んだ男達の目の前で再び戸が開き、肩にロングソードを担いだクロムが、チタの横
に並ぶ。その姿を認めた襲撃者達は武器を構えなおした。
襲撃者の隊長らしき人物が、低い声でたずねる。
「クロム=ヴェインだな?」
「ああ、聞くまでもなく知ってんだろ」
「……死んでもらう」
隊長はそれだけを言うと、目で他の二人に合図を送る。彼らはいつでも襲いかかれるよう
な体勢をとりつつ、じわじわと包囲を狭めてきた。
だが、その様子を見つめる男の顔には呆れたような表情が浮かんでいる。
「おまえらバカだろ。暗殺者が敵に釣られて自分からのこのこ姿を現したばかりか、
襲い掛かる前にべらべらしゃべってんじゃねーよ。ほんと最近のやつらはカスだな」
明らかなクロムの挑発に、黒装束の一人は目に怒りの色が現れたものの、流石に隊長は乗
らなかった。油断なく彼らを睨み、隙を窺っている。

だが、突如あたりに鈍い打撃音が響き、何かが地に倒れ伏す音が彼らの耳を打った。驚い
て音のした方に目を向けると、彼らの仲間、黒装束の一人がいつの間にか現れた青年に殴
り倒されている。
「……!」
言葉もなく驚愕に目を見開く黒装束たちの耳に、クロムの声が聞こえてくる。
「……おみごと。
だからおまえらバカだって言ったんだよ。大体襲撃前に自分から戦力を晒した挙句、敵の
戦力分析もしねえから、伏兵に足元をすくわれるんだ」
目は襲撃者から動かさないまま、アルベルトの方に親指を立てる。鞘をつけたまま不意打
ちのスマッシュで一人を昏倒させた青年は、その間に油断なく剣を倒した相手に突きつけ
ていた。
「お、おのれ……!」
怒りを露にする黒い影たち。だが彼らの注意がそれた隙をチタは見逃さなかった。飛ぶよ
うにステップを踏んで襲撃者の一人に接近すると、そのまま踏み込みの勢いを殺さずバト
ルハンマーを振るう。重い槌とは思えぬ神速の一撃を避けられるはずもなく、黒装束の男
は攻撃をまともに喰らった。
「ぐぇ……ッ!」
腰だめの下段から切り上げるように斜めに振り上げられた槌の柄が、襲撃者の腹にめり込
んだ。つぶれたカエルのような鈍い声が上がる。構わずチタが振りぬくと、黒装束は体を
くの字に曲げたまま10歩ほどの距離を吹き飛び、低い木の茂みに突っ込んだ。
突き出た足がぴくぴくと動いている所を見ると、何とか生きているらしい。
「ふぅ」
攻撃した相手が生きているのを確認したチタの口から、安堵の吐息が漏れる。
彼女の鋭い攻撃。その恐るべき膂力に、この場での一番の脅威が彼女であると見抜いた隊
長は両手にダガーを構えチタに飛び掛った。攻撃の直後、いくら力があろうとこの隙だけ
は無くせないだろうと考えたのである。空中で素早くダガーを投擲し、さらにそのまま貫
手を叩き込もうとする。
だが、その攻撃は無駄に終わった。彼女の黒い一つ目に射すくめられた瞬間、無意識に暗
殺者の体は強張り、放たれた刃は空を切った。
その隙を逃さず武器を構えなおした彼女の目をもう一度見た黒装束は、直感的に自分の敗
北を悟った。
「やっ!」
短い呼気が吐き出されるとともに大きく横薙ぎに振るわれた槌の柄が体にめり込む嫌な感
触を味わったのは一瞬、直後強烈な横殴りの力が暗殺者の体を真横に吹っ飛ばした。
「が……!」
無意識に漏れた声は、しかし意識を刈り取られた男に聞こえはしなかった。

「おつかれさん。チタだけで十分だったな。王都も人材不足か、それとも雇い主がケチっ
たか。こんな仕事するには未熟もいいとこの腕だな。」
吹き飛ばされ、気を失ってしまった隊長と他の二人を縛り上げながら、クロムがやれやれ
といった様子で誰にともなく呟く。その側ではチタが心配そうな顔で、男の作業を見守っ
ていた。
「あの、やりすぎたでしょうか」
「いい、いい。気にするな。むしろちゃんと手加減してもらったことをこいつらが感謝す
べきだよ。わざわざハンマーじゃなくて柄の方でやってくれたんだからな」
その二人の様子を、少し離れた所からアルベルトは見つめていた。ふと、自分の両手を見
下ろす。今でも先ほど男の一人を殴りとばした感触が手に残っていた。あの感触はしばら
く忘れられそうになかった。そして、それ以上に先ほどの戦場に立ち込めていた、暗殺者
の放っていた殺気も。
自分に向けられたものではないとはいえ、青年はその緊張だけで窒息してしまいそうであ
った。情けないとは思うものの、それが正直な感想である。
あれが戦場なのだ。そう痛感した。殺意と死が満ちる場。王都の貴族が行う狩りや剣術試
合とは根本的に違う。
あの場で誰の命も散らなかったのは、ひとえに彼女の力が相手よりもずば抜けており、
そして彼女に相手を殺す意志がなかったからである。もし、彼女がそれを思ったなら、目
の前でのびる男達はただの肉塊になっていてもおかしくなかったのだ。
そう、彼女は自分の命が狙われたというのに、相手の命を奪うことはしなかった。彼が常
々王都で聞いている魔物という存在と、目の前の彼女はまったく別のもののように思え、
アルベルトは混乱した。
ふと顔を上げるといつの間にか男達を軽々と担ぎ上げるチタとクロムが目の前にやってき
ていた。考え込むアルベルトの顔を覗き込んで、クロムが言う。
「どうだった? 温室育ちのぼうやにはいろいろと勉強になっただろう?
まあ本当はあんな経験しないにこしたことはないんだが。
で、どうだ? まだ剣を打ってほしいか?」
青年は瞳を閉じると、その言葉に顔を赤らめ首を振った。
「いいえ。私がどれだけ世界を知らなかったのか痛感しました。
恥ずかしいほどに私は子どもだったのですね。物語の英雄に無邪気に憧れ、その真偽も知
らず彼女たち魔物を悪と断じ、命を奪おうとは。
今、本当の戦場をほんのわずか垣間見て、クロム様が武器を作るために、そして私が振る
うために覚悟が必要だといったことが少しだけ分かった気がします」
「……そうか」
その言葉に剣匠は正しいとも間違いとも言わず、ただ青年の瞳を見つめていた。やがて視
線を外すと、サイクロプスの娘と共に襲撃者たちを担いだまま山道を下り始める。
「あの……その男達は、どうするんですか?」
疑問に思ったアルベルトが声をかけると、首だけを青年に向けたクロムがなんでもないこ
とのように話した。
「ん? ああ、どっか近くの森にでも捨ててくるさ。命のありがたみをしっかりかみ締め
てもらえるような場所にな。その後でこいつらがどうするかまではしらん」
「すぐ戻りますから、休んでいてください」
再び歩き出した彼らの姿が見えなくなると、青年は地面に転がっていた剣を掴み、一人小
屋の中に入っていった。

――――――――――――――

翌朝、肉の焼ける香ばしいにおいで目を覚ましたアルベルトを迎えたのはクロムとチタ、
そして食卓の上に載る大きな猪の肉だった。どうやら昨夜、例の男達を捨てに行った森で
捕まえてきたらしい。
そのあまりの量に少々引き気味の青年を座らせ、朝食というには豪勢な食事が始まった。

その後、朝食を済ませ、身支度を整えた青年がクロムとチタに声を掛ける。
「お世話になりました。私はそろそろ失礼しようと思います」
その声に、本を読んでいたクロムは顔を上げ、チタも家事の手を止めて姿を見せた。
「もういくのか」
「ええ、いつまでもはお邪魔していられませんから。
……いろいろ勉強になりました。ありがとうございます」
「そうか」
深々と頭を下げるアルベルトを見やり、クロムは何かを考えているようだった。ちらりと
妻の方に視線をやると、彼女もまた無言で頷く。
「ちょっと待ってろ」
短くそれだけを言うと、腰を上げたクロムは部屋を後にする。何事だろうかと青年が首を
かしげる間もなく、すぐに戻ってきた彼は、戸惑うアルベルトに一振りの剣を放り投げ
た。鞘のままなので怪我をする恐れは無いが、慌てて彼は受けとめる。
「わっ! あの、この剣は?」
飾りのない革の鞘に入れられた、まっすぐな刀身の片手剣。つばにはほとんど何の装飾も
なく、無骨な金属の輝きを放っている。手の中の剣をそっと持ちながら、青年は目を剣匠
に向けた。クロムは腕を組んだままその視線に頷いた。
「餞別だ。ああ、勘違いするな。それは俺の作じゃない。妻が作ったヤツの一本だよ。
だが出来は俺が保証するぜ。
もしぼうやにその気があるなら、そいつと共に世界を巡ってみな。きっと今まで見えてな
かったもんが見えてくるはずだ」
彼の言葉を聞きながら、アルベルトはそっと鞘からその刀身を引き抜く。
曇り一つない滑らかな両刃の刀身。その中央に、真っ赤な瞳をシンボライズしたデザイン
が描かれている。どこか禍々しいはずのその模様は、美しい銀色の刀身の中で完全に調和
していた。
「……その剣の銘は『イヴィルアイ』です。今の貴方なら、その剣を正しく使ってくれる
でしょう」
チタが彼を見つめながら、静かな声で言う。アルベルトはもう一度、彼女に頭を下げ、感
謝の意を示した。
「……ありがとうございます」
「行くとこを決めてねえんなら、ぼうやの親父が大嫌いなフリスアリスの領にでも行って
みな。その剣をみせりゃあ、領主も話を聞きたがるだろうさ」
「はい」
「道中、気をつけて」
今まで装備していた剣の代わりに『イヴィルアイ』を帯び、外した剣を背嚢と一緒に背負
う。身にマントを纏うと彼は戸を開け、剣匠の山小屋を後にした。
山道を歩き出したその背に、匠の声がかけられる。
「いつか俺を納得させられるような覚悟が出来たら、また来い。
……それまで達者でな、アルベルト!」
既に小さくなった小屋を振り返り、手を振ると青年は一人、山を下り始めた。

――『ハートレス・セイバー』 Fin ――
SS感想用スレッド
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