サキュバス被害報告書
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「はぁ……はぁ……はぁ」
 静かな夜の空気が乱れる。その音の出所は、一人の少女の口から漏れる荒い息だった。
だが、それは苦痛によるものではなく、脳内を絶え間なく焼き続ける快感によるものだと、
その熱のこもった響きが示している。
 蝋燭の灯りのみが照らす、薄暗い室内。床に座り込んだ少女の歳は、17、8くらいか。
子供と大人の間、その刹那の時間に属す少女の身体は可愛らしさと美しさを同居させ、見
るものを魅了するだろう。
「はぁっ……は、あぁ……」
 しかし、今の彼女は頬を真っ赤に上気させ、宝石のようだと褒められた青い瞳は熱にと
ろけていた。その顔は一目見ただけで完全に快感に翻弄されていることが分かる。乱れ、
前を開いた寝巻きからは汗の浮かぶ肌が露になっていた。女性らしさを表す膨らんだ胸、
滑らかなラインを描くお腹も、隠すものなく外気に晒されている。
 少女は乱れた服を直そうともせず、ただ荒く呼吸を繰り返すのみ。額に浮き出た汗が、
金色の前髪を貼りつかせていることにも気付いていないかのようだった。
「あら、どうしたの? まだ始まったばかりよ? ほらぁ、休んじゃだめぇ」
 不意に、背後から女の声が掛かる。同時に、暗闇の中から伸ばされた手が少女の肩に触
れた。指が軽く肩を撫でる、たったそれだけで、少女の身体に電気が流されたような快感
が走る。
「ひぁ、あ、あぁぁッ!」
 悲鳴のような喘ぎを上げると共に、少女の背が弓のように反る。その様子を見ながら少
女に歩み寄った女の姿を、蝋燭の炎が闇の中から浮かび上がらせた。
 闇の中から現れたのは、男なら誰もが目を奪われるほどの美貌を持った女性であった。
背中の大きく開いた薄手の服を纏った姿は、色気と共にどこか高貴さを辺りに振りまいて
いる。顔立ちの印象も同じく、小さな口、すっと通った鼻筋はどこかの貴婦人のようにも
見え、ツリ目がちな目も、キツさよりもどこか艶っぽさを見るものに感じさせていた。彼
女も興奮しているのか、染み一つ無い肌には、ほんのりと朱がさしている。
 しかし、その美しさは、どこか人とは思えない妖しさを伴っていた……が、それも当然
のことであった。
「夜は長いとはいえ、時間を無駄にしたくは無いのよね。それに、私も見てるだけじゃつ
まらないし。ふふ……一緒に楽しませてもらうわね」
 女の瞳が紅く輝き、その姿が変わる。頭からは、ねじれ、節くれだった一対の角が尖っ
た耳と共に、深い青色をした長い髪をかき分けて姿を現す。肌を露出させていた背中から
は黒い皮膜の翼が伸び出し、ばさりと一度空気を打った。さらにその下、腰の辺りからは
先端だけがハートのような形に膨らんだ、細い尻尾が現れる。
 サキュバス。淫魔とも呼ばれる彼女らは一様に美しい女性の姿をし、その美貌をもって
人を誘惑しその精を奪う魔物である。
 彼女は妖艶な笑みを浮かべながら、服がずり落ち露になった少女の肩を指でなぞった。
その刺激に、再び少女の身体が反る。
「気持ちいいでしょ? ほら、その可愛い声、もっと聞かせてちょうだい?」
 サキュバスは少女の背後に座り、その身体をそっと抱きしめる。女の指が肌の上を這い
回るたびに少女の身体は痙攣を繰り返し、口からは意味を持たない言葉が発せられた。
 快楽に翻弄される少女を見ながら、悪魔の姿をした女は楽しそうにくすくすと笑い声を
漏らす。
「あっ、や、はぁ、あぁ……ゆるし……も、やめ……」
「だぁめ。言ったでしょ、お楽しみはまだまだこれからなんだから……ね」
 少女の涙を零しながらの懇願にも、サキュバスは意地悪い笑みを返すだけ。紅い瞳は嗜
虐の悦びに染まり、彼女の口からもまた、興奮に熱された吐息が漏れた。
 熱に浮かされる視界の中、少女はぼんやりと自分の身体を見下ろす。寝巻きをはだけら
れ露にされたお腹の左側には、ハートのようにも見える紋様が描かれている。それをただ
見つめながら、少女、ティアーネは快楽に翻弄される中、わずかに理性が残った頭の片隅
で一体何故自分がこんな目に遭うことになったのか、そのきっかけとなる昼間の出来事を
思い返していた。

―――――――――――――

 王都から離れたある地方の都市。その街の中心部にある冒険者ギルドの廊下をドレスを
纏ったティアーネが早足で歩く。鎧やローブを身につけ、剣や杖を背負った冒険者たちの
中でその姿は否応にも目を引き、冒険者達の視線が集まるが、彼女は気に留める様子も無
い。
 階段を上がり、角の一室、ギルド長である父の部屋の前まで来ると、ティアーネは声を
上げた。
「お父様!」
 その美しい顔は今は怒りで赤く染まり、声の調子もとげとげしい。
 彼女は父の返事も待たず、扉を開けると室内に足を踏み入れる。
「なんだ、騒々しい。ティアーネ、ノックもせずに入るとははしたないぞ」
 机の前に座った初老の男性、彼女の父であるギルド長の声が耳に届いたが、彼女は気に
した風もなく彼に歩み寄る。すぐさま口を開くと、不満と怒りの言葉がそこから飛び出し
た。
「お父様! いくらなんでもあんまりですわ! あんな愚図をわたくしの婿にしようだな
んて!」
「ああ、そのことか……」
 かすかにうんざりとした色を顔に浮かべた父が息を吐く。
「確かにお前の意見も聞かずに見合いを受けたのは悪かった。だが、お前も自分の立場と
いうものは理解しているだろう?」
「そんなことはわかっています! ですが、わたくしの婿になる殿方なら、きちんと中身
も伴ってなければなければ納得できませんわ!」
 彼女はギルドの長の娘という立場で育ってきたせいか、そこらの貴族なんぞよりプライ
ドがやたらと高いのである。実際に魔物がその数を増し、依頼を受けて魔物狩りや護衛を
引き受ける冒険者の需要が増えた現在では、その彼らを束ねるギルドの力は下手な貴族よ
りも上なのである。今回の見合いも家柄だけのぼんくら貴族に嫌気が差した彼女が、その
後の予定を全て断ってさっさと振ってきたらしい。
 抑えきれない不満を顔に表しながら、父にさらに詰め寄ろうとしたティアーネは、ふと
室内に父以外の人物が2人、立っていることに気付いた。
 彼女が顔を向けると、彼らも頭を下げる。その顔を認め、相手が誰であるかを理解した
ティアーネは彼らの名前を呼んだ。
「あら、ジレルドにアリア。あなたたちでしたの」
 その声には、かすかにではあるが相手を軽く見るような響きがある。しかし二人は構わ
ず、いつも通りの調子で声を返した。
「……どうも」
「お久しぶりですわ、ティアーネ様」
 魔術師然としたローブを纏った無愛想な男、ジレルドと、彼に寄り添う扇情的な服装の
女、アリア。二人とも20にいっていないような外見で、ティアーネとはそれほど年が離
れているようには見えない。しかし二人がまとう気配は、そこらへんの冒険者とは比べ物
にならないほど鋭かった。
 彼らについてはティアーネも知っている。ギルド長である父がしばしば直接依頼をする、
何でも屋。普通の冒険者には頼めないような仕事を専門にする彼らは、そんじょそこらの
冒険者とは比べ物にならない腕を持っているらしい。真偽は分からないが、ジレルドの方
はかつては王立魔術院――国の術研究所に在籍していた学士だったとの噂もある。
「こんな昼間にあなたたちが姿を見せるなんて、珍しいですわね。あなたたちみたいな者
が動くのは、夜の闇の中ばかりだと思っていましたわ」
「……別に、そんなことはない」
「まあ、夜のほうが動きやすいことは否定しませんけどね」
 どこか小ばかにしたような物言いにも、ジレルドは気を悪くした様子はなかった。彼は
ティアーネを一瞥した視線をギルド長に向けなおすと、短く言う。
「では、報告は以上で。アリア、帰るぞ」
「はい、旦那様」
 それで全て終わったとばかりにくるりと踵を返すと、彼はさっさとその場を後にした。
アリアはティアーネと長にぺこりとお辞儀をし、彼の後を追って室内を出て行く。
 ドアが閉まると、室内には父と娘の二人が残された。彼らの背を見送ったティアーネは
父親に向き直る。しばし彼女は自分の見合い相手がいかにダメな男だったかについてと、
そんな見合いを自分への断りもなく受けた父親について文句を並べ立てていた。
 やがて、ふと先ほどまでいたジレルド達のことを思い返し、尋ねる。
「またなにか揉め事ですの? 彼らを呼ぶなんて……」
 不安とかすかな軽蔑をにじませる娘の声の調子に、ギルドの長も長い息を吐き出す。
「いや、既に片付いた後だ。それに、まあ、そう言うな。物事にはああいう者も必要なの
だ。実際、腕は確かだしな」
「それはそうかもしれませんが……よりにもよって冒険者ギルドが、魔物の力を借りてい
るなどと、妙な噂が立っても困りますわ」
 忌々しげに彼女は言う。ギルドの中でも限られたものしか知らないが、ジレルドとアリ
アは人間ではなかった。アリアはサキュバスという正真正銘の魔物、そしてジレルドの方
は元は人間であったらしいが、サキュバスに誑かされて魔に堕ちた者らしい。今では完全
に人外の存在であった。
 一般人にはあまり知れていないが、魔物に襲われ、自らもまた魔と化してしまう人間の
数は意外と多い。そうした者たちは、大体が完全に魔物と化し、闇の中に消えていくのだ
が、中には人間のふりをして社会にまぎれるものもいるのだった。あの二人は、その典型
例というわけである。
「うむ……それも確かだな。腕が立つといっても、結局は魔物。人とは違うものが人の姿
かたちを真似て側にいるというのは、あまり気分のいいものではないな」
 彼女の父が腕を組む。この街では彼のような考えの者の方が多い。言葉だけを聞くと差
別のようだが、人語を操り、中には人に化けられる者達がいるといっても、結局は魔物。
人とは違う生き物なのだ。
 人外と共存するような辺境の田舎ならともかく、王都やその周辺のそれなりの規模を持
つ街や教会の影響が強い地域では、魔物を拒絶し、排斥するような考え方が一般的なもの
であった。
「元人間だろうが、今は化け物に変わりない。今まではよく働いているとはいえ、確かに
付き合いを考える必要があるかもしれん。いつ人を襲うようになるかもしれんしな」
「え、ええ、まあ……」
 しかし、父親の口からジレルドたちを悪く言われると、ティアーネの言葉は途端に歯切
れが悪くなった。まるで、つい勢いで言い過ぎてしまったと気付いたかのように。
 彼女はちらりと青年達が出て行ったドアを見、誰にも分からないほどの小さな溜息をつ
いた。

 父の部屋を後にしたティアーネが階段を下りると、一階ロビーにたむろする冒険者達の
中にジレルドとアリアの姿を見つけた。忙しそうな冒険者達は皆、部屋の隅にいる彼らの
ことなど気にも留めていないが、ティアーネの目は無意識のうちに彼らの姿を探していた
のだった。
 青年の姿を見つけ、一瞬かすかに笑顔の浮かんだ彼女の顔だったが、すぐさま強張る。
 彼女の視線の先で、いつものようにアリアが自分の胸を押し付けるようにして彼と腕を
組んでいたからだった。普段は無愛想なジレルドも、そのときばかりはわずかに表情を和
らげ、アリアにされるがままになっている。
 知らない人間がその様子をちらりと見ただけでも、彼らのことは仲のいいカップルだと
思うだろう。それほど、二人の表情は幸せそうだった。
「……っ」
 その光景を目にしたティアーネの胸に、かすかな痛みが走る。その痛みで、彼女は無意
識のうちに自分が顔をこわばらせ、唇を噛んでいたことに気付いた。
「馬鹿馬鹿しい」
 わざと口に出し、軽く頭を振って自分の中に浮かんだ考えを打ち消す
 ジレルドが拒まないのをいいことに、アリアのスキンシップはどんどん過激さを増して
行く。先ほどまではただ腕を組んでいたものが、いつの間にか青年の腕をふくよかな胸の
谷間にはさむようにしていたかと思うと、今は彼の手を短いスカートの裾の中へ導いてい
こうとしていた。
 自分でもよくわからない怒りを感じながら、ティアーネはつかつかとジレルド達に近づ
く。彼女の顔を知る冒険者たちだけでなく、知らない者たちでさえもティアーネが纏う空
気に身を引き、道を空けた。
「……なにか?」
 ティアーネに気付いたジレルドが声をかける。しかしティアーネはその声に返事をする
ことなく、魔術師姿の青年とその腕に絡みつく女性に厳しい視線を向けた。
「ちょっと、こっちへいらっしゃい」
 彼女は有無を言わせぬ様子で二人の手を取ると、歩き出す。
「ちょ、ちょっと、急に何よ〜!」
 文句を言うアリアを無視し、ティアーネは手近な小部屋の戸を開ける。二人を押し込む
ように部屋に入れると自らも続いて室内に足を踏み入れ、後ろ手にドアを閉めた。
「もう、何だって言うの?」
 長の部屋での会話とは違い、くだけた調子でアリアが問いかける。その問いを聞き流し、
ティアーネはジレルドをにらみつけ、口を開いた。
「あのような人目のある場所で、あんな振る舞いをするなど、感心できませんわ」
「?」
 言われた言葉の意味が上手く理解できず、ジレルドとアリアは首をかしげる。だがすぐ
に先ほどの行動を思い出し、彼女がどういうことを言いたいのかを察したアリアが頷く。
「ああ、なるほど、そういうことね。ティアーネ様は私たちに『自重しろ』って言いたい
のでしょう?」
「ええ、そうです。あなたたち魔物がそういうことを好む以上、するなとは言いませんわ。
ですが、せめて人目の無い場所でやってくださらない? 常識がなさ過ぎますわ」
「あら、魔物に人の常識を押し付けられても困るわ。でしょう? 人の言葉を話しても、
私たちは『結局は魔物』ですものね。だからいつでもどこでも好きなようにやらせてもら
いますわ」
 ティアーネの強い調子の言葉にも、アリアはニヤニヤとした笑顔を崩さない。アリアは
挑発するように再びジレルドの身体に絡みつき、その豊満な胸を押し当てた。青年は我関
せずといった様子で、黙ったまま二人の言い争いを傍観している。
 そんな彼の存在を忘れたかのように、二人の少女の口げんかは続く。
「この、淫魔が! そんな淫らな服で表をうろうろするなんて、正気の沙汰とは思えませ
んわ! 場末の酒場の踊り子だってその格好の前では裸足で逃げ出すでしょうね!」
「何よ! プライドばっかりを無駄に着飾ってるどこぞの高慢娘の方こそ、見ててよっぽ
ど恥ずかしいわ! いっつもツンツンしてるんだもの、怪我しちゃうし殿方だって触りた
くないに決まってるわ!」
 すでにお互い普段の態度を脱ぎ捨て、地が出始めている。ティアーネとアリアはそうそ
う顔を合わせるわけではないが、会えば毎回このようなけんかが始まるのであった。その
時にジレルドが口を出してしまうと、決まって火に油な結果になるのである。それを経験
上知っているよく彼は、いつも通り嵐が過ぎ去るのを待っていた。このけんか、大抵はお
互い言いたいことをいうと、どちらからともなく終わりになるのである。
 だが、今回は少しばかり違ったようだ。
 それまでムキになって言い合っていたアリアが、ふとなにかに気付いたように余裕の笑
みを浮かべる。胸を反らし、ティアーネをどこか見下すように見つめると、勝ち誇って口
を開いた。
「……あ、そういうことか。今日は妙に絡むと思ったけど、なるほどなるほど」
「な、なによ……おっしゃい」
 妙な余裕を浮かべたアリアに、ティアーネはわずかに気おされる。アリアはそんな彼女
を見つめながら、口を開いた。
「さっき、部屋に入ってきたときにあなたが言ってたことだけど、またお見合い失敗した
のよね? で、そんな時に私たちが抱き合ったりしていたから、妬ましくなったんでしょ
う? いえ、ちょっと違うわね。……前々から薄々感じてはいたけれど、あなた、私の旦
那様に……」
 彼女がそこまで言った瞬間、ティアーネの顔が真っ赤に染まる。アリアの言葉、その先
を遮るようにティアーネは一気にまくしたてた。
「な! なにをいきなり! そんなことがあるわけありませんわ! 冒険者ギルドの長の
娘ともあろうものが、よりによって魔物を! ええそうよ、魔に魅入られて堕落したこん
なのに気があるなどと!」
「こんなの?」
 アリアの方がぴくりと震える。だが、興奮したティアーネは気付かなかった。
「ええ、そうよ! こんなのって言ったからってどうだっていうの? ああもう、なんで
わたくしがこんなのにやきもきしなくてはならないのよ!」
「…………」
 既にその態度が本心をさらけ出しているようなものだったが、錯乱寸前のティアーネに
はまるで意識する余裕はなかった。一方、こんなの扱いされたジレルドの方も別段気にし
てはいないのか、特に何か言うことはせず、むっつりと押し黙ったままである。
 当人からの反論が無いので調子に乗ったのか、ティアーネは続ける。
「だいたい元王立魔術院の学士だかなんだかしらないけど、エリートのくせにサキュバス
なんかに誑かされるなんて人間の恥だわ! たとえ少しばかり魔術の腕が立とうと、そん
な意志薄弱の色狂いにわたくしが思いを寄せるなんてこと、1000年たってもありえま
せんわ!」
 頭に血が上ったティアーネのセリフは最早完全に矛先が変わっている。調子にのって勢
いよくしゃべっているものの、結局の所それは手に入らないものをこき下ろして自分の心
を保とうとすることと、相手の持ち物を貶めることで優位に立ったと思い込みたいだけの
錯覚であり、つまるところ屁理屈にもならない中身の無い言い訳であった。
 だが、彼女の口からジレルドを悪く言う台詞が飛び出すごとに、アリアの目は冷たい光
を深めていく。
「……その辺にしてくれない?」
 不意に、氷のような言葉があたりに響き渡った。興奮してよくわからないことをまくし
立てていたティアーネも、その言葉の響きに、思わずびくりと身体を震えさせる。
「黙って聞いていれば、あんた何様? 私の旦那様をそこまで侮辱しておいて、何も無し
で済むと思わないでよね?」
 アリアの態度からはいつもの口げんかの時の、ムキになっているようでまだどこかに余
裕を残した姿は影を潜め、その身体からははっきりと敵意がむき出しになっている。いや、
それよりももっと冷たく鋭い、殺気とでも呼べるような気配が立ち上っていた。魔力が彼
女を中心に渦巻き、アリアは角や羽、尻尾を持つサキュバス本来の姿を現す。
 赤い瞳が射抜くような視線をティアーネに向ける。その目を見ただけで、彼女は自分が
禁句を口にしたことを悟った。
 ティアーネが言い訳や謝罪の言葉を口にしようとするより早く、アリアの身体が飛び出
そうとする。
 だが、サキュバスがティアーネに飛び掛るより前に、ジレルドはアリアの腕を掴んでい
た。
思わず彼の顔を見た彼女に、ジレルドはいつも通りの素っ気無さで言う。
「やめろ、アリア」
「でも……!」
 納得の行かない様子でティアーネを睨むアリアに、ジレルドは首を振る。
「別に俺は気にしてない。それより、ここで揉め事を起こしてギルドとの契約が破棄され
ては困る」
「……うん、わかった。ごめんなさい」
 彼にそう言われ、アリアはしょんぼりとうなだれる。羽や角を隠し、アリアが人に偽装
したのを見ると、ジレルドは床にへたり込んだティアーネをちらりと一瞥し、口を開いた。
「話はそれだけか。……最初の忠告は心に留めておこう。よし、アリア、今度こそ帰るぞ」
「う、うん」
 ティアーネの横を通り抜け、ジレルドとアリアは部屋を出て行く。背後でドアの閉まる
音を聞くとティアーネは一人、自嘲気味に小さく呟いた。
「……バカだわ、わたくし」

―――――――――――――

 ギルドを後にしたジレルドとアリアは、人通りの多い街中を宿へと歩いていた。再び怒
りがぶり返したらしいアリアが、ジレルドの隣でぶつぶつと文句を口にしている。
「ほんっと、頭にくるわー! いっつもいっつもちらちら私の旦那様のこと見てるくせに、
素直じゃないんだからあの娘! しかも私のことを言うのはともかく、あろうことか人の
ご主人様のこと侮辱するなんて! いっそローパーにでも犯されればいいのよ! そした
らよっぽど素直でかわいくなるわ!」
「その辺にしておけ、アリア。別に俺は気にしていないといったろう」
 少々呆れ気味のジレルドがたしなめるが、再び燃え上がったアリアの怒りは抑えられそ
うもなかった。彼女は足を止めて来た道を振り返る。店や民家が立ち並ぶ建物の隙間から、
丁度立派なギルドの建物が見えた。
「ほんと、このままじゃ気がすまないわ。あの小娘、どうしてくれようかしら」
 呟きながらギルドを睨みつけるアリアに、ジレルドが言う。
「お前たち魔物がそういうことをしないのは十分理解しているが……殺したりするなよ。
『ギルドに最大限協力する代わりに、俺たちを討伐対象から外してもらう』のが向こうと
の契約なんだからな。便利屋扱いはしてても内心穏やかじゃない向こうに、こっちを不利
にするような材料を与えてやることも無い」
「それは、わかってるけど……」
 口を尖らしたアリアが続ける。
「ねえ、旦那様。あなたの力なら、あんな契約結ばなくても十分だったんじゃないの? 
実際、魔術院からは追っ手をまいて上手く抜け出せたんだし」
 顔を覗き込んでくるアリアに、ジレルドは小さく首を振る。
「それは買いかぶりだ。あの時はたまたま運がよかったに過ぎない。それにこの契約だっ
て、アリアとの暮らしに平穏が保証されると思えば安いものだ」
「旦那様……」
 無愛想でいつも素っ気無いが、その実自分を何より大切に思ってくれているジレルドに
アリアは言葉を詰まらせる。そして、それだけに彼女の愛しい人を侮辱したあの少女は許
せなかった。
 しばし、彼女は考え込みながら歩き続ける。
「アリア」
 ジレルドの声で彼女は顔を上げる。いつの間にか二人は宿へと到着していた、街でのね
ぐらにしているここは冒険者向けの安宿でそれほど立派ではないが、アリアにとっては自
分が愛する主と一緒にいられるのなら、どこでもいいのであった。彼女はそれほどの価値
をジレルドに見出しているのである。
「だから、あの高慢ちき娘にも私の旦那様がどれほど素晴らしいか教えてあげないとね」
 一人呟き、アリアは目に妖しい光を宿らせる。最後にもう一度ギルドのある方角を睨む
と、彼女は先に扉をくぐった主の後を追うのだった。

―――――――――――――

 その夜。ティアーネは自室のベッドの上でひざを抱え、まだ落ち込んでいた。彼女は調
子づきやすい分だけ、落ち込むときはとことん落ち込むのだった。目を閉じると、昼間の
光景がまぶたの裏に浮かび上がり、自分が発したひどい言葉が何度も何度も耳の中で鳴り
響くのである。
「……どうしていつもこうなってしまうのかしら」
 さっきの口げんかで彼に関して言われたことはほぼ全部図星の当たりで、自分が言った
ことはほぼ全部誤魔化しの偽りだった。自分で言ったこととはいえ、あんなもの嘘にもな
りはせず、誰も信じるとは思えなかった。。
「あまりにも馬鹿で間抜けでみっともなさすぎます」
 ベッドにうつぶせになり、枕に顔を埋める。貴族並みの力があるギルドの長の娘だろう
と、結局自分の気持ちすら思い通りにならない。それも当然だ。家の力なんてもの、自分
の力でもなんでもないし、第一最終的に自分の気持ちをどうこうできるのは、外にあるも
のではなく自分の中にあるものだけなのだから。
 そのくせ、自分の周りを取り巻くものは捨てることも無視することも出来ず、がんじが
らめに自分を縛っている。しかもそれは既に自分を形作るものの一部となっており、今更
変えられそうに無いものばかりであった。
 顔を枕に押し付けたまま、ティアーネは息を吐き出す。ふと、脳裏にあのサキュバスの
姿が浮かんだ。
「自由な生き方、か……。正直、あの子が少し羨ましいですわ」
 昼間アリア自身が言ったように、人の常識に縛られず、いつでもどこでも思うがまま好
きなように生きる。そんな魔物だったら、こんなつまらない悩みなんて無いのではないか。
半ば無意識のうちに、そんなしょうも無い考えがティアーネの頭をよぎった。
「なら、なってみる?」
「!?」
 不意に響いた少女の声に、ティアーネは飛び起きる。視線を向けた先、いつの間にか音
もなく開け放たれていた窓辺に一人の女性が腰掛けていた。
「あ、アリア?」
 彼女は昼にティアーネとひと悶着起こしたサキュバス、アリアであった。昼間と同じよ
うな扇情的な衣服を纏い、背後に夜空を背負った彼女の姿は妖しくも美しい。
「こんばんは、ティアーネ様。夜分に突然の訪問、お許しくださいませ」
 優雅な一礼をしたアリアはにこにこと笑顔を浮かべている。そこには昼間見せた、敵意
や殺気、怒りは欠片も見えなかった。だが、その笑顔にティアーネはなぜか胸騒ぎを覚え
る。
「い、一体こんな時間にどうしたの? そ、それになんでわざわざ窓から?」
 ティアーネの問いかけにも、アリアは答えず笑みを浮かべるばかり。彼女が腰を上げ、
一歩一歩近寄るたび、ティアーネの中で不吉な予感が高まっていく。
「こ、こないで」
 ベッドの上を後ずさりながら、目の前の女から少しでも離れようとしていたティアーネ
だったが、やがてその背が壁にぶつかる。震え、絶望を感じながらアリアを見る少女に、
魔物の娘はいたずらっぽく首をかしげた。
「どうしたんです? 私を見てそんなに怯えるなんて、いつものティアーネ様らしくもな
いですよ」
 その時、ティアーネは胸騒ぎの元、アリアから感じる違和感の正体に気付いた。依然笑
顔を浮かべるアリアだが、その赤い目だけは笑っていない。そして、先ほどからティアー
ネを捉えたまま、一度たりとも視線が外れていないのだ。自分の奥底まで見透かすような
彼女の眼に、ティアーネは思わず逃げ出そうとして……そこで、初めて自分の身体が自由
を失っていることに気付いた。
「……え? い、いったい、どうして」
 指一本動かせなくなり、愕然とするティアーネを前に、アリアが口を開く。
「ふぅ、意外と抵抗されたわね。思ったより魔術抵抗が高かったかしら。ああ、動けない
答えは簡単。さっきからずっと私があなたに魔眼の凝視をかけていたからよ。一応ばれな
い様に結界も張るけど、あんまり暴れられると面倒だしね」
「な、何を……何を言っているの?」
 アリアの言うことが理解できないティアーネは得体の知れない恐怖を感じながら問いか
ける。だが、彼女の頭ではないどこかはこれから自分の身に取り返しが付かないことが起
こるということを悟っていた。恐怖と絶望に、彼女の目から涙が一粒落ちる。
「ああ、そんな怖がらないでもいいのに。別に命をどうこうするつもりじゃあないんだか
ら。それよりも、もっといいこと。とっても気持ちいいことをしてあげる」
 ベッドの上に乗り、肌が触れ合いそうなほどの距離に近づいたアリアは、ティアーネの
パジャマをはだけさせる。風呂上りでかすかにしっとりと湿る肌を見、彼女は感心したよ
うに言った。
「あら、思った以上に肌すべすべね。ちゃんとこまめに手入れをしているみたい。ふふ、
でも一体誰のためなのかしらね?」
「や、やだ……見ないで」
 裸を見られ、羞恥で顔を真っ赤にするティアーネにアリアは笑いかける。
「へぇ、同性にとはいえ、裸を見られるのは恥ずかしい? いっつもツンツンしてるけど、
あなたもなんだかんだ言って乙女なのね。まあ、別にあなたの裸を見たくてこんなことし
てるわけじゃないし、さっさとはじめちゃいましょうか」
 アリアが人差し指を一本立てると、その先端に淡い桃色の光が灯る。
「それじゃ、いくわよ? 大丈夫、痛くもなんとも無いからね?」
 彼女はそう言うと、ティアーネのお腹に指を当てる。言葉の通り、ティアーネに苦痛は
なかったが、なんだか指を当てられた所がほのかな熱を持っているような気がした。
「んっ……」
 ティアーネの口から小さく息が漏れる。
 アリアは指をティアーネの肌に当てたまま、そっと動かし始める。筆を這わすように優
しく、静かにアリアの指が動くにつれて、ティアーネの肌には桃色の光が軌跡を残した。
そして肌に紋様が描かれるにつれて、身体の中に熱が流し込まれるような感覚が与えられ
る。
「あ、ああ……あ、ふぅぁ……」
 じんわりと身体の中から暖められるような感覚に、知らずティアーネの口から吐息が漏
れた。彼女の頬にはいつの間にか朱が差し、快楽に染まりつつあった。
「最初はこんなもんでいいかな」
 程なくしてアリアが指を離す。そのわずかな刺激にもティアーネは小さくな声を出す。
彼女の見つめる先、ティアーネの素肌の上には、ハートのように見える印が浮かび上がっ
ていた。ぼんやりとした光を放つそれは、冒険者なら明らかに何らかの魔術がかけられて
いると分かるだろう。
「うん、ちゃんと効果が出てるわね。まずはこれくらいでいいかな。折角の『快楽増幅の
ルーン』、思う存分楽しんで頂戴ね」
 満足げな声をアリアが出す。彼女は身を引いてティアーネの様子を眺め、腕を組んで唸
った。
「ん〜……。ただ、人間に刻むのって初めてだから、加減がよく分からないのよね。これ
くらいの大きさでよかったかしら?」
 呟き、アリアはティアーネの胸をそっと撫でる。
「ひっ、ひぃぁぁっ!」
 その細い指が軽く乳首に当たった瞬間、ティアーネは悲鳴のような声を上げて仰け反っ
た。顔の赤みはいっそう増し、肌には珠の汗がいくつも浮かび上がっている。
「あちゃ、魔力込めすぎたかしら? まあ、どっちにしろこの後やることは変わらないん
だし、ちょっとくらいは昼間に私の旦那様を馬鹿にした報いってことで」
「あ……あぁ……」
 先ほどの刺激で軽く達したらしく、アリアの言葉にもティアーネは荒い息を吐き出すだ
けだった。だらしなく涎の垂れた顔を見、妖艶な笑みを浮かべたアリアは、ティアーネの
耳元にそっとささやく。
「それじゃ、ゆっくりじっくりと楽しみましょうね……」
 その言葉は、快楽に蕩けつつあるティアーネの脳に甘美でありながらどこか絶望を感じ
させる響きを持っていた。

―――――――――――――

「はぁ、ああっ! ひ、やぁ……、いやあ……!」
 サキュバスの姿になったアリアに抱かれ、体のあちこちをまさぐられながら、ティアー
ネはあえぎ声と悲鳴を漏らし、汗と涙と涎と愛液を垂れ流して自らの身体を汚していた。
既に寝巻きも下着も剥ぎ取られ、彼女は生まれたままの姿になっている。しかし、快感に
支配された彼女には身体を隠すために手を動かすことさえ出来なかった。いや、そもそも
快楽がその頭を占めている状況では、考えすらしなかったのかもしれない。
「ふふ……すごく気持ちいいでしょ? いい声になってきたわよぉ……。まだまだ、好き
なだけしてあげるねぇ」
 アリアはティアーネの背後から身体を抱き、彼女の耳を軽く噛みながら囁く。ティアー
ネの声にあわせるようにその手は少女の胸を揉み、乳首をつまみ、お腹を撫で、秘所をい
じった。アリアの腰から伸びる尻尾もティアーネの肌の上を蛇のように蠢き、しとどに濡
れた割れ目に触れる。
アリアの手や尻尾が送り込む快感は、ティアーネの身体に刻まれたルーンによって増幅さ
れ、意識を飛ばしそうなほどに高められている。度重なる責めによって彼女に注がれた魔
力がさらにルーンに力を与え、既にティアーネの身体は全身が性感帯になってしまったか
のように過敏になっていた。
 敏感にされた身体を弄繰り回され、倍増した快感を叩き込まれて何度も絶頂を繰り返し、
ティアーネの思考は既に焼き切れる寸前であった。けれども、彼女を責めるサキュバスは
まるで容赦というものをしてはくれない。サキュバスの特性なのか、これまでの交わりで
見抜いたティアーネの弱点を執拗に攻め、彼女に涙を流させた。
 そして、最早何度目かも分からない絶頂を迎えた時、ティアーネの中で何かが脈動した。
「はぁ……はぁ……い、いったい……な、に……?」
「あ、ようやく始まったかしらね? 結構持った方かしら? まあ、おかげで私も楽しめ
たけどね」
 くすりと笑みを浮かべたサキュバスに、ティアーネが尋ねる余裕はなかった。アリアが
身体から離れた次の瞬間、彼女は身体を弓のようにそらすと、一際大きな声を上げる。
「……あ、ああ……っ、ああああああっ!」
 その声が引き金であるかのように、ティアーネが変わる。変化は一瞬で、劇的であった。
美しい金髪の間からねじれた角が姿を現し、耳が髪をかき分けて三角に尖る。腕や脚、胸
や股間は薄紫色の短い毛で覆われ、背中と腰からは濡れた小さな羽と尻尾が飛び出した。
「あ、はぁぁぁ……」
 変身のもたらした刺激に、ティアーネは頬を染めて息を吐き出す。彼女が完全に変わっ
たのを見届けると、アリアは優しく微笑みかけた。
「おめでとう、ティアーネ。これであなたも私たちと同じ、自由に生きる魔物に生まれ変
わったわよ。ふふ、サキュバスになった気分はどうかしら?」
「ふぁ……なんだかふわふわして、すごく気持ち、いぃ……ですわ……」
 どこか夢を見ているような調子で、ティアーネの姿をした魔物の娘は答える。
「これで……もう、悩むことも無いのですね……」
「ええ、そうよ。それじゃあティアーネ、あなたは誰を思って悩んでいたのかしら?」
「わた、わたくしは……、ジ、ジレルドと……」
「あらあら、それは困ったわねぇ。その方は私の愛しい旦那様。大切な方。いくらあなた
が望んでいても、流石に譲ってあげることは出来なくてよ」
 呟くティアーネに、芝居がかった調子でアリアが嘆息する。思わず顔を上げ、すがるよ
うな目を向けるティアーネの髪をアリアは撫でる。
「ほら、そんな顔しないでも。そうね、私の旦那を譲ってあげることは出来ないけど……
もしも、あなたがジレルド様の僕、ペットになるというのでも構わないのなら……」
「ペット……」
 うつむき、ペットという言葉を繰り返すティアーネにアリアは頷く。
「そう、ペット。あなたの大好きなジレルド様に身も心も、魂も全てをささげ、尽くし、
愛し愛されることだけが全ての可愛い可愛い僕。それでも構わないというのなら、私から
旦那様に頼んであげるわよぉ……?」
 妖しげな響きを持つ言葉が、絡みつくようにティアーネの心を捕らえる。さんざん快楽
を味わわされ、魔物に変えられて性欲を増幅された彼女には迷いなど欠片もなかった。密
かに想っていた人の僕になり、愛と悦びを与えられるのならば人であったときに持ってい
たもの全てを投げ捨ててでもそれを求め、得ようとするのは魔物にとっては当然のことだ
った。
「なります……なりますわ。あの方の僕に。いえ、どうかわたくしをあの方のペットにし
てくださいまし……!」
 光の消えた瞳が、希うようにアリアに向けられる。
「ええ、分かったわ。あなたのこと、私からきちんと旦那様に頼んであげる。大丈夫、き
っとご主人様になって、貴方を受け入れてくれるわ」
「ありがとうございます、アリアさまぁ……」
 心から嬉しそうな笑顔を見せるティアーネに、アリアは満足げに頷く。生えたばかりの
尻尾や羽を不器用に動かすティアーネをそっと抱き寄せると、彼女はその尖った耳に囁い
た。
「それじゃあ、あなたがご主人様にいっぱい愛されるよう、もっと素敵な体にしてあげる
わね」
「もっと、素敵な……?」
「ええ、そう。とってもエッチで、素敵な身体にね。ちょっとの間、動かないでね……」
 アリアは再び指に桃色の光を灯すと、ティアーネのお腹、その肌に指を触れる。
「あっ……」
 ティアーネの口から声が漏れるのにくすりと笑むと、アリアの指は先ほどお腹に刻んだ
ルーンの周りをなぞった。その度にただでさえレッサーサキュバスとなり、感度を高めら
れたティアーネの身体は跳ね、口は快感の声を奏でた。
「よし、こんなものかしらね」
 しばし肌をなぞっていた指が離されると、既にティアーネに刻まれたハートを中心とし
た奇妙な紋様が追加された。ハートの周囲に拡張された部分も最初に刻まれたルーンと同
じようにうっすらと光を放ち、熱と快感をティアーネに送り込んでいく。
「うん、魔物になった後ならこれくらいまでルーンを刻んでも問題ないわね。上半身半分
に入れちゃうのもそれはそれで面白そうだけど、やりすぎると後々面倒ごとが起こりそう
だし」
 アリアが一人考え込む間にも、快楽に飢えたティアーネは自らの身体を慰めていた。毛
に覆われた胸を片手でもみしだき、もう片方の手は自分の尻尾を掴み、秘所にあてがって
激しく動かしている。半開きの口からは喘ぐ声と荒い息が吐き出され、瞳は快感に濁って
いた。
 そこにいるのは最早プライドの高いギルドの娘などではなく、完全に快楽に溺れた、一
人の淫魔であった。
「あら、ダメじゃない一人で楽しんでちゃ。ほら、あなたにはこれから奉仕の仕方を覚え
てもらわなくちゃ。そうしたら、あなたのご主人様になる方に会いに行きましょ。ちゃん
といい子にしてれば、一人でするのより何倍も気持ちいいこと、ご主人様にしてもらえる
わよ」
「あっ……!」
 苦笑しつつアリアはティアーネの自慰をやめさせると、ゆっくりと抱きつく。そのまま
ベッドの上に彼女を組み伏せた。
 しばしの間、結界の張られた部屋の中からはベッドの軋む音と淫らな水音、そしてサキ
ュバス達の嬌声だけが響いていた。

―――――――――――――

「ふぅ……」
 かすかに呆れと疲れを乗せた息をジレルドが吐き出す、時刻は深夜、場所は彼らが取っ
ている宿の一室。お世辞にも立派とはいえない室内の簡素なベッドに、ジレルドは腰掛け
ていた。
「はぁっ……、あ、ぁ……あぁん……。ご主人様、ご主人さまぁ……」
 彼の足元には、頭に角、背中から皮膜の羽、腰から細い尻尾を生やした裸の少女が座り、
ジレルドの脚に胸をこすりつけている。蝋燭の火を受けて輝く金髪、可愛らしさと美しさ
を同居させる肢体。それは人ならざる姿になったティアーネであった。元からの美しさに
サキュバスとなったことで魔性が加わり、彼女の魅力を一段上に引き上げている。
「ごしゅじんさまぁ……あぁ……」
 恍惚の表情で、ティアーネは己の肉欲を満たし続けている。快楽に濁った瞳で媚びるよ
うな視線を送るティアーネに、ジレルドは小さく頷く。
「ああ、うれしいです……。精一杯御奉仕させていただきますわ……」
 彼の許しに、既に快楽に染まっていた顔をいっそう蕩けさせたティアーネはもどかしげ
にジレルドのズボンと下着を脱がせる。彼のものが露になると、愛しげにそれを口に含ん
だ。
「あぷ……んん……っ、ちゅ、んっ、……ちゅぱ……」
 ティアーネは肉棒を咥え、舌を這わし、嘗め回していく。彼女の奉仕にそれはすぐさま
固さを増していった。
「く……」
 アリアに徹底的に仕込まれた技にジレルドは快感を堪えきれず、その口から小さく喘ぎ
を漏らす。それを耳にしたティアーネは嬉しそうに目を細めると、さらに舌使いを激しく
させた。ジレルドの手が頭を撫でると、彼女はものを咥えたままうっとりとした表情を浮
かべる。
 やがて彼女は自ら口を離すと、上目遣いに主の青年を見上げる。彼は自らの前に跪くサ
キュバスに、いつも通りの口調で言った。
「構わない、好きなようにしていい」
「あぁぁ……ありがとうございますぅ……ごしゅじんさまぁ……」
 感極まったように言うティアーネが、そっとジレルドに抱きつく。固く勃ちあがった彼
のものを自らの手で、先ほどから愛液でぐしょぐしょに濡れた秘所にあてがい、そのまま
腰を埋めていく。
「や……ぁ、あはぁ、あぁぁぁ……」
 自らの膣内に愛しい主のものを導き挿入れる感覚に、ティアーネは声を上げ、尻尾と羽
が彼女の幸せを表すかのようにびくびくと震える。すぐに彼女は自ら腰を動かし、主への
奉仕を始めた。
「……っ、ぐ……うぁ……」 
 まさしく人外の快楽に、ジレルドの口から快楽の響きが発せられる。彼もまた、無意識
のうちに腰を動かし始め、いつしかそれは肉を打ちつけるような激しいものとなっていた。
 やがて彼の表情、息遣いから限界が近いのを悟ったティアーネは、動きを加速させる。
「ああぁっ、あはぁっ、あっ、あぁっ!」
 その彼女の顔にもまた、ジレルドと同じように達する間際の悦楽が浮かんでいた。
「ぐぅ、あ……っ、あぁぁぁぁ……ッ!」
「んっ、あぁん、あ……あああぁぁぁぁんっ!」
 それからわずかの後、限界を超えた快楽が叫びを放たせ、男と女は抱き合ったまま同時
に絶頂を迎えた。
「ふぁ……はぁ……ごしゅじん、さま……、これからずっと、わたくし、は……あなた様
の、しもべとして……はぁ……おつかえ、いたし、ますぅ……」
 熱い迸りを膣内に受け、至福の表情を浮かべたまま、青年の淫らな僕に堕ちた少女は瞳
を閉じていった。

―――――――――――――

 すやすやと幸せそうな寝息を立てるティアーネを、ジレルドはベッドの上に優しく横た
える。彼女の汗にまみれた身体を拭き、秘所からこぽりと流れ落ちた精液を布でぬぐうと、
いつも通りの口調で部屋の隅に溜まる闇に向かって言った。
「さて。説明してもらおうか、アリア」
 彼が視線を向けた先、そこにはサキュバス姿のアリアが立っている。主に鋭い視線を向
けられ、彼女はばつが悪そうにもじもじと指を絡めた。
「アリア」
 再度己の名を呼ばれ、観念した彼女はようやく口を開く。
「え、っと……。実は、ね……」
 彼女はゆっくりと、自分が宿を出た後、どこで何をしてきたのか、そしてティアーネが
何故サキュバスの姿をし、ジレルドに盲信的な愛を誓っているのか、その理由と経緯を話
し出した。



「なるほど、快楽を増幅するルーンと、魔力の侵食によるサキュバス化か……。で、その
結果がこうなったと」
 相変わらずの素っ気無い調子で、ジレルドはアリアに声をかける。それに、アリアは気
まずそうに声を返した。
「ええ。……迷惑だった?」
「別に迷惑とは言わないがな。アリアが俺のことを馬鹿にされて我慢できないってのは、
よく知っていることだし。それはいい」
 ジレルドは責めも怒りもせず、いつも通りの調子である。
 実際のところ彼女がしでかしたことは、「人を襲って魔物に変えてしまった」という人
間の感覚からすればとんでもないことなのだが、まるでなんでもないことのようにジレル
ドは言う。その辺りは、彼もまた人外の存在であることを如実に示していた。
 ただ、ベッドに横たわり眠るティアーネの身体から生える角や羽、尻尾といったサキュ
バスの証を見ると、流石に眉根を寄せた。
「ただ、このまま彼女を連れ出したら面倒ごとになるだろうな。ただの街娘なら一人くら
い消えてもなんとでもなるだろうが、彼女はギルドの長の娘だからな……。しかも、娘が
サキュバスに襲われて魔物にされた、なんて噂が流され、ギルドの耳に入ったら即俺たち
の討伐令が出されるだろうな。向こうの面子にかけて、俺とお前を八つ裂きにするまで決
して手は緩めないだろうし」
「あ……そう、かも」
「かといってティアーネを放って姿を隠すわけにもいくまい。彼女も自分が魔物になって
いることをいつまでも隠せはしないだろうし、バレりゃ結局真っ先に疑われるのは俺たち
だ。それにあの調子じゃ、俺が目の前からいなくなったら発狂するか、下手すりゃ自殺し
かねない。それになんだかんだ言って、アリアも彼女のこと、嫌いじゃないんだろ?」
「う、うん……」
 腕を組み、目を閉じてしばし黙考していた彼は、やがて長い息と共に瞳を開く。
「旦那様?」
「……しかたない。毒を喰らわば皿まで、いっそ、とことんやってみるか」
 そう言い切ったジレルドの目には、決意の光が灯っていた。その瞳を見たアリアは、彼
の言う方法なら、きっと全てが上手く行くと確信する。
 なぜなら、その目を彼女は知っていたからだ。かつて魔術院に捕らえられ、実験材料に
されそうになっていたところを救ってくれた時、院から二人で逃げ出す際、絶体絶命の危
機を何度も潜り抜けた時の光と全く同じだったからであった。
「ま、大事なものくらい、なんとか守ってみせるさ」
 ジレルドはそういいながら、自らに寄りかかるアリアと、隣で静かに眠るティアーネを
そっと撫でてやるのだった。

―――――――――――――

 初老の男が、騒々しい靴音を立てて屋敷の廊下を歩く。その顔には苛立たしさがはっき
りと現れ、眉間に深い皺が刻まれている。通り過ぎるメイドたちが、彼の不機嫌な顔を見、
触らぬ神に祟り無しとばかりに顔を伏せた。その光景が、ギルドの長である彼をますます
苛立たせていく。
「まったく、ティアーネは何を考えているのだ! ギルドの長の娘が、あんな人外どもと
一緒に旅をするなど!」
 憤りを抑えきれず、彼はそう漏らす。
 彼の手には、苛立ちの原因となった一枚の髪が握られている。よほど気分を害したのか、
その紙は乱暴に握り締められ、くしゃくしゃになっていた。そこには先ほど彼が言ったと
おり、彼の娘ティアーネの字で、ジレルドとアリアと共に旅に出ること、金輪際見合いは
するつもりがないことが書かれていた。
 はじめは今朝のことだった。朝食になっても姿を現さない娘を訝り、メイドの一人を呼
びに行かせたところ、部屋には娘の姿がなく、代わりに机に上にこの紙が一枚あっただけ
だったというのだ。
 驚きと怒りに任せてすぐさま探させたものの、煙のように消えたとでもいうのか、ティ
アーネの姿を見たものは誰一人としていなかった。
 既に時刻は深夜。流石の彼も今日の捜索は打ち切り、ギルドを閉めて自宅に帰ってきた
のである。
「どこに行ったというのだ……!」
 もし明日にも見つからないのなら、彼はギルドに娘の捜索令と、彼女を誑かしたあの忌
々しい魔物二人の討伐令を出すつもりであった。今は妙な噂を流されないよう、自分の手
のものだけに探させているが、流石に冒険者の力と情報網を借りれば見つけ出すことは難
しくないだろう。
「くそ、やはりあんな奴等はさっさと切っておくんだった! 庇護を与えてやった恩をあ
だで返しおって!」
 憎憎しげに吐き捨てると、彼は自室のドアを開ける。叩きつけるように乱暴に閉めると、
どっかと椅子に腰を下ろした。
「どうかなさいましたの? あなた」
 背後から、妻の声がかけられる。彼はティアーネの出奔の件は妻にはまだ話していなか
った。余計な心配をかけさせたくないのと、女性の軽い口がどこに醜聞を漏らすか分から
ないと思っていたからである。 
「なんでもない、ただ少し気に入らないことがあっただけだ」
「まあ、そうでしたの」
 何も知らない妻の暢気な声が、彼をさらに苛立たせる。思わず口から出掛かった文句は
しかし、次の妻のセリフで放つ機会を失った。
「そうそう、さっきまでティアーネが来ていたんですよ。あなたに会っていったら、と勧
めたんですが、『それはお母様に任せますわ』と言ってつい先ほど帰って行きました」
「なっ……!」
 反射的に振り返ったギルド長は、妻の姿を目にした途端凍りついたかのように固まった。
そんな彼に構わず、彼女は妖艶な笑みを浮かべる。
「まあ、確かにあの子の言うことも分かりますわ。やっぱり、父と娘がするのはまずいで
すものね」
 動けない彼に、彼女は一歩近づく。かつて彼が出会い、恋し、夫婦となった女性が……、
彼と共に歳を重ねてきた妻が……、今は記憶の中にのみ存在するはずの美しい少女の姿そ
のままで彼に微笑みかけていた。
「あら、その顔を見るのは二度目ですわね。初めて出会ったあの時も、あなたはそう、わ
たしを見て驚いた顔をしていましたわ。うふふ、なんだか昔に戻ったみたいですわね」
 いや、彼女は記憶そのままの姿ではなかった。今目の前にいる少女の背には、黒い皮膜
の羽が広がり、頭からはねじれた黒い角が、そして彼女の背後では逆棘のついた細い尻尾
が揺れている。
「さ、久しぶりに愛し合いましょう、あなた。大丈夫、あなたもわたしがすぐにかつての
凛々しくも可愛らしかった姿に戻してあげますからね……」
 妻だったものが、彼にさらに一歩踏み出す。その瞳ははっきりと魔の色に染まっていた。
 そしてそれ以上に、燃え上がるような性欲の炎が紅く、瞳の中で輝いていた。
 射すくめられたように動けないギルド長の唇に、妻……いや、サキュバスと化した少女
の唇が重なる。
 部屋からはその夜、一晩中男と女の喘ぎ声が響き渡っていた。
 
 そして、失踪した娘の捜索と、淫魔の男女の討伐命令が下されることは、ついになかっ
た。

―――――――――――――

 どこかの道を走る、おんぼろの馬車。
 御者台には男が座り、荷台には扇情的な格好をした女性が二人、座っている。
「……私が言えた義理じゃないけれど。旦那様って、結構邪悪よね」
 荷台に座る一人、青い髪の女性が御者台の男に話しかける。
「何せ私達の平穏を守るために、あの家の女性全部を魔物にして、男は全員彼女たちの虜
にして封じるなんてのを考えるだけじゃなくて、実行までしちゃうんだもの」
「……」
「その冷酷非情ともいえる思考は、その気になれば魔王か覇王にでもなれるかもね。どっ
かの誰かさんたちもとんでもないのに惚れちゃったと思わない?」
 褒めてるのか、はたまた呆れているのか判別つかない女性の物言いに、御者台の男は沈
黙を返す。それに代わって、もう一人の金髪の少女が口を開いた。
「わ、わたくしはご主人様のしもべとなることを選んだ時から、どこまでも付いていくと
誓いましたわ。で、ですから、後悔もしていませんし、今こうしてそばにいられるだけで
幸せですわ」
「まあ、あなたはそうでしょうね。なにせ父親を説得させる……っていうか、家出を認め
させる味方を作るために、実の母親をサキュバスに変えるくらいなんだから。旦那様に惹
かれたのも無理ないわよ。なんていうか、手段を選ばないところは似たもの同士なんだし」
 こちらは完全に呆れた調子で、青い髪の女性は金髪の少女に言う。
「……で。おまえは結局どうなんだ? 俺がこんな悪魔みたいなヤツで失望したか?」
 珍しく冗談めかして言う彼の背に、背から羽を表した青髪の女性が抱きつく。
「まさか。惚れ直したわよ。それでこそサキュバスの夫、あなたと出会えてよかった、っ
てね」
 くすくすと笑いながら、彼女は彼の頬に口付ける。彼女は羨ましそうに指を咥える金髪
の少女を見、苦笑しながら手招きして一緒に彼の背に抱きつかせた。
「おい、邪魔だから後にしろ」
 かすかに照れた響きの声に、二人は笑いながらさらに身体を押し付けるのだった。

――『刻印』 Fin ――

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