サキュバス的エロゲ・Mルート

眼鏡少女は女王様!?

 年末が差し迫る冬の一日の、放課後のことである。五日間にも及ぶ期末考査が漸く終わり、気楽になったところで、図書委員の招集が掛かった。恒例の大掃除に加えて、試験準備のため二週間近くほったらかしにしてあった仕事を、一気に片付けてしまうためである。
 ぼくの通う西純高校では、一年から三年までの各学級から男女一名ずつ・計二名の図書委員が選出されることになっている。一学年八学級あるから、図書委員は全部で四十八名という計算だ。これに生徒会役員の中から選出される図書委員長を一名加えて、図書委員会が構成される。
 これだけの人数を以てしても、広く・蔵書数の多い図書室の管理は大変だった。少なくとも、日が暮れるまでに下校できると言うことは無いだろう。
「……と、いうわけだ。ごめんな、明日奈あすな
 天井にぶら下がるスピーカーから目を戻して、ぼくは軽く謝った。正面に女子生徒が一人立っている。愛らしい小顔にショートボブが良く似合う、如何にも朗らかそうな女の子だ。
 彼女は夢宮ゆめみや明日奈という。穏やかで明るい・人当たりの好い性格と魅力的な笑顔で高い人気を獲得する、自慢の幼馴染み――否、恋人である。長らく幼馴染みという関係だったのだが、つい二ヶ月前、文化祭最終日の後夜祭にとある事件に巻き込まれ、彼女からの脅迫じみた告白を受けて、互いの想いを成就させた。
 今、明日奈は一緒に帰ろうと誘いに来てくれていた。と言っても、それほど大げさなものではない。同級であるため、彼女の歩いた道程は高々机数個分である。
 柔らかな髪を揺らして、明日奈はゆっくりと首を振った。
「ううん、仕方ないよ。でも、どうしようかな。まことの作業が終わるまで、待ってても良い?」
 今度はぼくが首を振る番だった。相当遅くなることを理由に、先に帰って欲しいと告げる。残念そうにしながらも、明日奈は承知してくれた。ただし、と声を潜め、神妙な面持ちで付け加える。
「気をつけてね、信。わたし以外にも犠牲者がいるみたいなの。オリジアさんにやられたのか、わたしみたいな感染体にやられたのかは分からないけれど……確実なのは、その中に喜んで力を使っているのがいるということ。それも、この西純高校に。いい、信。たとえ校内でも、不用心に人気のないところに行ったらダメだからね。もし相手がオリジアさんの味方だったりしたら、信、絶対に襲われちゃうんだから」
「分かった。気をつけるよ」
 頷いたとき、背後で呼びかける声が上がった。
「……あ、あの、土屋、君……」
 声そのものはとても小さく、とても人を驚かせるようなものではなかったが、如何せん唐突すぎた。ワッと驚いて振り返る。
 声をかけてきたのは地味な女子生徒だった。色気のない黒縁眼鏡に、三つ編みして一本に纏めた長い黒髪。胸元のリボンは几帳面に結ばれて隙がなく、スカートの丈も膝頭がしっかり隠れるよう整えられている。
 逢間あいま佐久耶さくやである。同級生であり、もう一人の図書委員だ。そろそろ委員会に行こうと声をかけてくれたのだろう――ぼくは勝手に納得して、誘いに応えた。
 実際の所、これは早合点というやつだったようである。逢間佐久耶は申し訳なさそうに首を振って、つと視線を教室の出入り口へ向けた。
「その、射裟御いさみ先輩が……」
 彼女の後を追うようにして視線を転じると、そこに一人の女子生徒が立っていた。長く艶やかな黒髪を高い位置で括り、一房にして垂らしている。背筋を真っ直ぐに伸ばして直立する姿は凛然として、謹厳実直の四字を体現するかのようだ。
 射裟御いさみえにし。西純高校の三年生で、ぼくたちの一つ先輩である。女子剣道部に所属しており、この十月に引退するまで主将を務めていた。連戦に連戦を重ねて高校女子剣道界にその名を轟かせた超人的女傑である。
 強い意志を宿した切れ長の目が、静かにぼくを見つめる。懐しい彼女は濫りに他学級へ踏み込んだり、剣道以外で大声を出すような真似をしない。
 報せてくれた逢間佐久耶に礼を言って、ぼくは射裟御縁に近付いた。挨拶をして用向きを尋ねる。律儀に返礼して、射裟御縁は切り出した。
「お前の手を借りたい。女子剣道部の更衣室にあるロッカーがいくつか倒れてしまっていてな。起こしたいのだが、手が足りないのだ。なるべく力のある者をと思ったのだが、これがなかなか思いつかず、お前に白羽の矢が立ったという次第だ」
 引き受けてくれないかと、黒い瞳が問いかける。ぼくは迷った。多少堅苦しいところはあるが、射裟御縁はすこぶる器量好しである。頼られるのは嬉しいし、これまで受けてきた恩に報いるためにも、できる限り助けになりたいとは思うのだが……。
 不意に、横手から明日奈の声が飛び込んだ。
「信は委員会に行っておいで。わたしが代わりに手伝うよ。こう見えて結構力持ちさんなんだから」
 明るく言いながら、細い腕をくいと曲げてなけなしの力こぶを作ってみせる。何と説得力に欠ける光景だろう。非力なことは火を見るより明らかだった。
 おおかた用事を作って、こちらの仕事が終わるまで居残ろうという魂胆なのだろう。止めるべくぼくは口を開いた。
 機先を制したのは射裟御縁である。ぼくが声を出すより一瞬早く、彼女は決定を告げた。
「そうだな。他にも数人、部員が使える。力を合わせれば何とかなるだろう。すまないが夢宮、引き受けてくれるか?」
「もちろんです、先輩。それじゃあ、また後でね」
 最後の言葉はぼくに向けてのものである。にっこり笑ってみせると、明日奈は射裟御縁を促してさっさと教室を出て行ってしまった。ぼくが何を言う隙もない。射裟御縁も一礼して辞し、蚊帳の外に置かれた逢間佐久耶と出遅れたぼくとが取り残される。
「……あの、土屋君。私たちも、行きません、か……?」
 おずおずと声をかける逢間佐久耶に頷いて、ぼくたちもまた教室を後にした。
 図書委員会の活動拠点、即ち図書室に入ったのはぼくたちが最後だった。間もなく委員会が始まる。簡単な連絡が終わると、委員一同立ち上がり、図書の整理と清掃に取りかかった。作業の量は多いが、内容は簡単だ。委員長と司書の指揮の下、委員達はよく働いて次々と仕事を片付けていった。
 滞りが生じたのは、ぼくが自分の仕事を終え、逢間佐久耶を手伝おうと書架の一つを回り込んだ矢先のことである。
 脚立に乗り、危なっかしく背伸びをしていた逢間佐久耶が、突然バランスを崩して落下した。
 可愛らしい悲鳴が部屋中に響き渡る。一拍おいて、ガシャンという金属音が鼓膜に突き刺さった。逢間佐久耶に続いて脚立までもが倒れたのである。哀れ、逢間佐久耶は受け身もとれず床に倒れた挙げ句、脚立の下敷きとなってしまった。
 複数と足音と掛け声が、騒音と私語を禁じる図書室内に轟く。驚いた図書委員たちが心配して駆けだしたのだ。
 彼らに先んじて駆けつけたぼくは、手早く脚立を退けて逢間佐久耶を救いだした。
「大丈夫? 頭とか打ってない?」
「あ……はい。なんとか……」
「それは良かった」
 助け起こそうと手を差し出す。何かにつけて遠慮がちな逢間佐久耶は一瞬躊躇ったようだったが、やがて手を採ってくれた。
 尤も、全く遠慮しなかったわけではない。いざ腕を引いて助け起こしたとき、逢間佐久耶の表情が僅かに強ばるのをぼくは見逃さなかった。手を握る力・腕を引く力が強すぎただろうかと不安になったが、幸い原因は別の所にあった。彼女の膝である。
 赤黒い汚れが目に付いた。出血である。落下して倒れた拍子に、何かで擦りむいたのだろう。
 すらっとして美しい色白の脚をしているだけに、随分と目立って痛々しい。片膝だけでもそうなのに、両膝ともであったから、気の毒加減も一入だった。
「うわぁ、痛そう」
 投じられた声は、背後から発せられた。女子生徒のものである。悲鳴を聞いて駆けつけた図書委員の一人だった。同性の特権を活かしてまじまじと逢間佐久耶の足を見つめると、彼女は何かを否定するように頭を振った。
「これは保健室行った方がいいよ、絶対」
「でも歩ける? なんか見てるだけで痛そうなんだけど」
「保健室までちょっと距離あるもんねぇ」
 続々と否定的な意見が出る。いつの間にかぼくは女子に囲まれていた。もちろん男子も駆けつけては来たのだが、女子に遠慮して遠巻きに眺めているだけである。
「……へ、平気、です。ひとりで、行ける、から……」
 わいわいと議論する女子達に向けて、逢間佐久耶が声を掛ける。だがその声は小さすぎた。姦しい話し声に遮られて、女子達の耳まで届かない。そればかりか、彼女達は一斉にぼくを見て、とんでも無いことを言い出した。
「土屋君、逢間さんを保健室に連れて行ってあげてよ」
「カノジョがいるから、他のケダモノどもと違って信用できるしね」
 カノジョというのはもちろん夢宮明日奈のことである。公表したわけでもないのだが、ぼくたちの関係はこの二ヶ月の間にすっかり知れ渡ってしまっていた。元々傍目には「付き合っていないという方がおかしい」間柄だったそうで、漸く外見と内実が一致したというところらしい。お陰でというべきだろうか、変に妬まれたり冷やかされたりすることのなかったのが幸いである。
「とかいって、実は狼だったりして」
「それありそう」
 どっと笑声が沸く。全く言いたい放題だった。
 放っておくと益々不名誉なことを言われかねない。ぼくは先手を打って、彼女達の口を遮ることにした。手を挙げて注目を促し、運搬役を受諾する。
「と言っても、逢間さんが嫌でなければ、だけど」
 目だけを動かして、逢間佐久耶の様子を窺う。彼女は驚くべき速度で反応を示した。
「嫌だなんて! ……そんなこと、全然ない、です」
「それはよかった。じゃあ、」
 逢間佐久耶の前に歩み出て、背を向ける。しゃがんで振り向くと、逢間佐久耶は疑問符を一杯に浮かべてこちらを見下ろしていた。意図が理解できないらしい。
「負ぶって行くよ。その脚で歩くよりは楽だと思う」
 今度は長い間があった。分厚いレンズの向こうで目がゆっくりと見開かれ、頬が紅潮し、突然、激しく頭を振る。
「わ、わたし、きっと重いから!」
「平気だって。これでも一応体力には自信があるんだ。明日奈だって平気だったんだから、逢間さんなら絶対に大丈夫」
「うわぁ。土屋君、それって何気にセクハラ発言」
 最後の余計な一言は、もちろん逢間佐久耶のものではない。外野のざわめきは無視することにして、ぼくは黙然と彼女を促した。また暫くの間を置いて、こくりと小さく眼鏡顔が頷く。
 決然とした表情で、逢間佐久耶はぼくの背に身を委ねた。制服越しにもはっきりと分かる豊かな胸の感触が、肩胛骨の辺りで甘く弾ける。
「よ、宜しく、お願いします……」
「はいはい。しっかり捕まってて下さい、お客さん」
 戯けて答え、掛け声と共に立ち上がる。廊下に向かって歩き始めたぼくの背に、意地の悪い声が投げつけられた。
「こらぁ! 逢間さんの胸の感触を楽しんでにやけるんじゃない! 明日奈に言いつけるぞ!」
 名誉のために断っておくが、事実無根のデタラメである。

Copyright 2010 Fumihico All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-