サキュバス的エロゲ・Mルート

眼鏡少女は女王様!?

 保健室は南棟の一階にあった。西棟の一階にある図書館からは、二階の渡り廊下を行くか、一旦中庭に出て横断することになる。小柄なだけあって逢間佐久耶は決して重くなかったが、人一人背負って階段を上り下りする気にはなれず、ぼくは中庭を突っ切ることにした。
 秋の日はつるべ落としというが、冬の日はもっと早い。只今の時刻は午後五時。すっかり日が落ちて、外はもう真っ暗だ。
 ぼくたちが踏み出したとき、中庭には人の気配も姿もなかった。夜闇の中に浮かび上がるものは、葉が落ちて裸となった広葉樹ばかりである。曲がりくねった細い枝が冷たい風を受けて揺らめく様は、実に不気味なものだった。
「結構、怖い、ね。まるで、魔物に取り囲まれているみたい」
 耳元で逢間佐久耶が呟く。全く同意見だ。ぼくは頷いて答えた。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花というからね。魔物の正体が葉を落とした銀杏の木でも、全く不思議じゃないな」
 一人分の笑い声が、辺り一面に寂しく響き渡る。狂人が闖入したというわけではない。この笑い声はぼくのものである。空恐ろしい雰囲気を吹き飛ばそうとしてのことだった。
 残念ながら、逢間佐久耶は乗ってくれなかった。そればかりではない。彼女はギョッとさせる言葉を口にしたのである。
「……そう、かな」
 一際小さく、彼女が呟く。折しも冷たい風が耳元を吹き抜け、ぼくは危うく彼女の声を聞き漏らすところだった。
「魔物って、本当に、いない、かな」
 ドキリと心臓が跳ね、ぼくはぴたりと足を止めた。恐る恐る、背中にのった同級生を振り返る。その一瞬の間に、耳の奥で明日奈の忠告が甦った。教室で聞かされたやつである。
『気をつけてね、信。わたし以外にも犠牲者がいるみたいなの。オリジアさんにやられたのか、わたしみたいな感染体にやられたのかは分からないけれど……確実なのは、その中に喜んで力を使っているのがいるということ。それも、この西純高校に。いい、信。例え校舎内でも、不用心に人気のないところに行ったらダメだからね。もし相手がオリジアさんの味方だったりしたら、信、絶対に襲われちゃうんだから』
 明るいときにはさして恐ろしく思わなかった言葉も、暗闇の中で思い起こすと凄みが弥増す。魔物が云々と言われた直後ならば尚更だった。
 確かに魔物は存在する。ぼくと明日奈はそのことを良く知っていた。明日奈の言った犠牲者というのは、魔物に襲われた被害者のことなのだ。
 わたし以外にもというからには、明日奈は既に襲われている道理である。これは事実だった。彼女は魔界からやってきたという魔物・オリジアという名のサキュバスに遭遇し、ぼくたちが知る限り第一番目の犠牲者となった。結果、オリジアの放つ淫気に中てられてサキュバスとなり、人間の精を求めて男に襲いかかるようになってしまったのである。二ヶ月前、ぼくと明日奈が恋人同士になった背景には、こんな現実離れした話が潜んでいるのだった。
 悪魔の姿に変じ性欲の忠実なシモベと化した明日奈が正気を取り戻したことで、ぼくの中ではもう、あの事件は終わったことになっていた。だが実際は何も終わってなどいない。明日奈は依然サキュバスのままであり、魔法を使って「元の姿に変身」しているだけである。オリジアも健在だった。校内には明日奈と同じくオリジアに襲われてサキュバス化した女子生徒が潜み、性欲と食欲の赴くまま人間を貪っているのだ。
 一体全体、逢間佐久耶は何を思って、あんな発言をしたのだろうか。何をどこまで知っているのだろうか。
 ひょっとしたら、逢間佐久耶こそが明日奈の言う犠牲者なのではないか――
 疑心暗鬼が生じて、ぼくの心を蝕んでゆく。救ってくれたのは、当の逢間佐久耶だった。背中の上でもぞもぞと身を縮こまらせ、蚊の鳴くような声で謝罪する。
「ごめん、なさい。土屋君を、怖がらせるつもりは、なかったの。丁度そんな小説を、読んでいたものだったから……」
「……何のこと?」
 ぼくは恍けることにした。問題の呟きは、風に遮られて聞こえなかったことにする。足を止めてしまったのも、風が冷たかったせいだ。
 この小柄で大人しい女の子を疑うとは、全くどうかしていた。喜んで力を揮っているという貪欲極まりないサキュバスが、ドジを踏んで脚立から落ち、両膝を擦りむいて弱々しく他人の背に負ぶわれているなど、いかにも信じがたい話である。
「やっぱり外に出るべきじゃなかったね。ちゃんと捕まってて。急いで中に入ってしまうから」
 身を一揺すりして逢間佐久耶を抱え直すと、ぼくは足早に南棟へ向かった。
「失礼します」
 一声掛けて、保健室の扉を開く。迎えてくれたのは温かい声、ではなく、温かい空気だった。校医の姿はない。明かりと暖房をつけたまま、鍵も掛けずに、薬品とベッドの王国の主はどこかへ出かけてしまったらしい。
 不用心なことだが、批難する気にはなれなかった。彼女が――嬉しいことに西純高校の校医は麗しい妙齢の女性だった――鍵をかけ忘れ、暖房をつけっぱなしてくれたお陰で、ぼくらは寒い中待ち惚けたり、校医を探して夜の校舎内を彷徨き回る苦労をせずに済んだのである。
 尤も、校医の帰りを待たなければならないのには変わりがない。消毒薬やガーゼの在処をぼくはさっぱり知らなかった。健康診断以外の用で立ち寄ったことなど、これまでに一度もないのである。
「あの……もう、大丈夫ですから。降ろして、ほしい……かな」
 遠慮がちな声が上がる。そういえばまだ逢間佐久耶を背負ったままだった。ぼくは彼女の提案に従って、ベッドの上に腰を下ろした。背中に押し当てられていた魅惑の感触が離れて行く。
 その時だった。突然何者かが肩を掴み、ぼくをベッドの上に引き倒した。唐突な上にものすごい力で、全く抵抗できない。ぐるりと視界が回って、綺麗に磨かれた白い天井が正面に来る。
「何だ!?」
 と叫びたいところだが、生憎、その機会は得られなかった。ふっくらとした柔らかな感触が唇の上に覆い被さり、口ごと言葉を塞いでしまったのである。
 反射的に両腕が動いた。ぼくの上に覆い被さろうとする何者かを力一杯突き飛ばす。服の袖で唇をぬぐい、目を上げたぼくは、目の前に立つ図書委員の少女を睨み付けた。
「一体どういうつもりだ。逢間さん」
 そうだ、何者か、などではない。保健室にはぼくと逢間佐久耶以外、いないのである。ぼくをベッドに引き倒したのも、上に跨って唇を奪ってきたのも、全て両膝を怪我した気弱な同級生だった。
 いや、果たして彼女は本当に「あの」逢間佐久耶なのだろうか。ずれた眼鏡の位置を正しながら静かに答える彼女からは、普段の――つい先ほどまで見せていた「気弱さ」など微塵も感じられなかった。代わりに、得体の知れない威圧感が漂いだしている。気の弱い人間ならば圧倒されて萎縮してしまうだろう。例えば、いつもの逢間佐久耶ならば。
 一度は振り払った考えが、再び頭を擡げる。やはり、逢間佐久耶こそが明日奈の言う犠牲者なのではないか――
「いやだわ。そんなに睨まないでよ。ただのお礼じゃない。わざわざ保健室まで運んでくれたお礼。制服越しの胸の感触だけじゃ、物足りないでしょう? 色々と盛んなお年頃ですもの」
 逢間佐久耶はすこぶる妖艶で挑発的な表情を浮かべていた。舌先を唇の上にゆっくりと這わせながら、笑うように目を細める。
「あなたには不十分だったようだけれど。当然よね。なんたって、あの夢宮明日奈の恋人ですもの。もうとっくに最後までシてるのでしょう? 清純ぶってはいるけれど、彼女もサキュバス。熱く滾る狂おしい衝動には決して抗えないわ。この私のように」
「サキュバスだって!?」
 やはりと叫ぶ一方で、体内では音を立てて血の気が退いていった。冷たい汗が噴き出す。目一杯開かれた双眼の先で、逢間佐久耶はククと妖しい笑い声を漏らした。
「そうよ。サキュバス。夜な夜な男の寝所に忍び入り、想像を絶する快楽を与えてその精と生命を吸い尽くす淫らな夜の悪魔。知らないとは言わせないわ、土屋信。あなたは十分すぎるほど良く知っているはずだもの。明日奈を――オリジア様に刃向かう裏切り者のアスタロットを通じて」
「アスタロットなんてものは知らないな。ぼくがサキュバスを知っているのはゲームの中に出てくるからだ」
 恐怖心を押し隠して精一杯答えたものだったが、逢間佐久耶は全く取り合わなかった。口許の笑みをいよいよ妖しく深くして、ゆっくりと眼鏡を外す。
「そう。知らないなら知らないでいいわ。どうせやることは同じだもの。じっくりねっとり教えてあげる。この私が、この最高の身体で。土屋君の心と身体に、魔の快楽を。一度味わったら最後、もう二度と忘れられなくなるんだから。人間の女なんかでは満足できなくなる。いいえ、他のサキュバス相手にだって満足できない身体にしてあげるわ」
 宣告する逢間佐久耶の姿が、みるみるうちに変わって行く。耳が伸びて尖り、頭には二本の角がにょっきりと生えた。髪の色が艶やかな黒からエメラルドに変わる。目尻がいよいよつり上がって、自信と色気に満ちあふれる蠱惑的な眼差しを作った。
 変化は頭部のみに留まらない。元から豊かだった胸が一際大きく膨れあがり、制服が弾けた――かのように見えた。実際に布が破られたわけではない。引き裂かれる寸前、逢間佐久耶の制服は霧と化して肉感的な肢体を離れ、過激なコスチュームとなって再び彼女の肌に張り付いたのだった。
 それはおよそ服とは呼べないような代物だった。彼女の白く艶めかしい肌を殆ど覆えてはいない。胸の頂きや股間の一筋は辛うじて包み隠されていたが、それが却っていやらしかった。局所的に隠すことで逆に際立たせ、意識と妄想が集中するよう仕向けているのだ。
 漆黒のボンデージ。女体を裸よりも官能的に見せる、淫靡極まる衣装である。
 ばさりと音を立てて、背中に大きな翼が広がる。鳥や天使のような羽根に覆われたものではない。蝙蝠や翼竜の持つ、膜のような翼だ。その下でゆらゆらと揺れているのは、多分尻尾だろう。先が尖って、如何にも悪魔のものらしい。
 などと、見とれていられる状況ではない。ぼくはとっさにベッドの上を転がった。床に落ちて死角に入り、そのまま逃げようとしたのだ。
 この作戦は完全に失敗した。人間の出せる速さなど、本気を出したサキュバスの前では止まっているも同然である。逢間佐久耶はぬめぬめと光る尻尾を伸ばして、あっという間にぼくの足を絡め取った。
 ぎしりとベッドが悲鳴を上げ、マットが深く沈む。いよいよ逢間佐久耶が迫ってきたのである。見事な身体から立ち上る甘くいやらしい香りが、ねっとりとぼくの身体を包み込んだ。全身がカッと熱くなり、血液が下半身の一点に集中する。
 心身の双方から自由を奪われたぼくの目の前で、逢間佐久耶は態とらしく、音を立てて舌なめずりをした。
「喜びなさい、土屋信。アスタロット相手では味わえない深い肉欲の沼の底に、この私が、レヴィアタンが沈めてあげる。私だけの性奴隷に造り替えてあげるわ。このカラダのことしか考えられない、忠実な性奴隷に!」

Copyright 2010 Fumihico All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-